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  〔万葉集 - 巻3〕 ・・・・・  雑歌(ぞうか)/比喩歌(ひゆか)/挽歌(ばんか)  
 
   
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雑 歌 ・ 比喩歌       

 
       

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 プロローグ

“持統天皇の今/現在”と・・・“私たちの今/現在”は・・・

 “心の領域/非局所性世界”の・・・“同一の今/現在の場”に・・・ある

2012.12. 
No.1 〔1〕 雑歌・比喩歌とは・・・  <和歌の分類> 2012.12. 8
No.2 【巻3-(236)】  〔持統天皇 - 雑歌〕    2012.12. 8
No.3 【巻3-(237)】  〔中臣志斐 - 雑歌〕    2012.12. 8
No.4 【巻3-(267)】  志貴皇子 - 雑歌〕 2013. 1. 9
No.5 【巻3-(360)】 山部赤人 - 雑歌〕 2013. 1. 9

 

 
プロローグ                  wpe75.jpg (13885 バイト)

   “持統天皇の今/現在”と・・・ “私たちの今/現在”は・・・

     “心の領域/非局所性世界”の・・・ 同一の今/現在の場に・・・ある

               


「ええ、響子です...

  今年師走に入り、騒々しかったこの1年も、ようやく終幕が近づいています。まさに年月は、このように

過ぎ行くものなのですね。年々を重ね、時代が移り、人々の心の中に、歴史が降り積もって行くわけで

すね。歴史実態は、歴史書の中に降り積もるのではなく、私たちの心の中に降り積もるわけですね...

 

  1300年前の、あの“持統天皇”も...“今/眼前の風景/・・・この私”と思い...私/響子もまた、

“今/眼前の風景/・・・この私”...という...“主体的/精神風景”の中に(す)んでいます。

  生物体というものは...この“主体的/精神風景”み...“新陳代謝に連なる・・・食物連鎖的

/食欲という・・・基底エゴ”を持つわけですね。

  そして...“相互主体性/社会的協調と・・・芸術的・共感”創出し...それを、【人間原理・ストー

リイ・・・個体的経歴/社会的歴史】として...ホモ・サピエンス共同意識体の...“言語的/数学的

・・・バーチャル空間座標”に、“記述/フィードバック”されて行くわけですね。これは、“文明の第3ステー

ジ/意識・情報革命”の時代において、本格化するテーマと考えられます。

 

  こうした問題の考察は...現在、ミッション・コーディネーター/折原マチコが...“ミッション/永田町

・考”で取り組んでいる課題ですが...私たちの行っている、万葉集的・風景などにも...一般化され

るわけですね。

  “持統天皇の今/現在と・・・私たちの今/現在とは・・・心の領域/非局所世界の同一座標上に

ある!”...ということであり...“物理的/時空間距離とは・・・別の系”のようです。

  これは...“ホモ・サピエンスの・・・種の共同意識体/言語的・バーチャル空間座標の・・・経歴の

蓄積/種の歴史性の幾星霜と・・・生命潮流における進化の奔流”...に由来するものかも知れませ

ん...」

「 ええと...」響子が、チラリと窓の方を見た。「さあ...本題に移りましょうか...」 wpe75.jpg (13885 バイト) wpe75.jpg (13885 バイト)

 

〔1〕 雑歌・比喩歌とは・・・      

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「ええ...」支折が、軽くこぶしを握った。「和歌の分類については、最初に説明していますが、再度掲載

ておきます...」

 

               和 歌 の 分 類      

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          ≪内容から、大きく・・・3つに分類≫   

 

     【雑歌】 (ぞうか) ・・・  

             くさぐさのうたの意味で...相聞歌挽歌以外の歌です。具体的に公的

            宮廷関係の歌旅で詠んだ歌自然や四季をめでた歌...などが、この範疇

               (はんちゅう)に収められています。                    

     【相聞歌】 (そうもんか)・・・

             相聞は、消息を通じて問い交わすことで...主として男女の恋を詠みあう歌

            ...となっています。

     【挽歌】 (ばんか) ・・・  

             (ひつぎ)を曳(ひ)く時の歌...で死者を悼み哀傷を詠んでいます。

     
≪表現様式から、大きく・・・4つに分類≫  


     【寄物陳思】 (きぶつちんし) ・・・  恋の感情を...自然物に例えて表現

     【正述心緒】 (せいじゅつしんしょ) ・・・  感情を...直接的に表現

     【詠物歌】 (えいぶつか) ・・・ 季節の風物を...詠(うた)う。

     【比喩歌】 (ひゆか・・・  想いを...類似する事物に託して表現


       
≪全20巻のうち、巻14だけが・・・東歌  


     東歌】(あずまうた)

            古代おいて...東国地方で作られた民謡風の短歌万葉集/巻14と、古今集

           /巻20の1部...に収録されている。

 

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【雑歌】と...」支折が、スクリーン・ボードを指さした。「【比喩歌】の位置づけは...この表を見ていた

だければ、分かると思います。

  【雑歌】には...で詠んだ歌や、自然や、四季をめでた歌など...全てがこの範疇(はんちゅう)に入る

わけですね。それから、【比喩歌】ですが...これは、心情には出さず、何かに喩(たと)えて詠んだ歌

です。多くは、恋愛感情を詠んだものです。

  ともかく...の方を見ていきましょうか。その上で、その周辺を考察して行くことにしましょう...」



 

    【巻3-(236)】  236  持統天皇・・・【雑歌】

                                                   天皇の志斐(しひ)の嫗(おみな)に賜(たま)へる、御歌一首

*************************************************************

              


       不聴
(いな)と言へど 

             強(し)ふる志斐(しひ)のが 強語(しひがたり)

                    このころ聞かずて 朕(われ)恋ひにけり

 

****************************         

     【現代語訳/大意・・・巻3-(236)】         



  もう聞きたくないと言っているのに...

         志斐(しひ)の無理強いする...強語(しひがたり)りだけれど...

               このごろは聞かないので...久しぶりに聞きたくなりましたよ...

             

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「うーん...」支折が、微笑した。「この歌は...

  “持統天皇”が、(そば)に仕える(おみな/おうな)である志斐に対して詠んだ、【戯れ歌】です...

                 (/・・・これは“文武天皇”の歌で、嫗は“持統太上天皇”とする説もあります。後で考察します)

 

  ちなみに...題詞では、ただ天皇とだけ書かれてありますが、これは“持統天皇”ということで、

大方の意見は一致しているのでしょうか?それから...志斐は、口やかましい世話役女官の1人な

のでしょうか?

  そもそも、この志斐とは名前ではなく、あだ名と考えられています。天皇強烈意見のできる人

めったにいないわけですが、志斐といったようです。このに関しては、他にも色々と解釈があるようで

すね。

  ええと...志斐(うじ: 古代社会における同属集団)で...『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく/ 平安時代

初期の815年(弘仁6年)に、嵯峨天皇の命により編纂された、古代氏族名鑑)右京/神別に...中臣志斐連(なか

とみひしむらじ)があるようです。うーん...中臣志斐ということでしょうか?(おみな)とは、成人女性

のことで、特に老女をいうようですね。

  したって、このは...その志斐嫗しひおみな)“強語”しひがたり/無理に聞かせようとする物語を、

最近は聞いていない。久しぶりに聞きたくなった...と“持統天皇”が、志斐嫗に詠い掛けていると言う

ことになります。

  これは、あまり口やかましいので遠ざけていたが、久しぶりに宮廷に顔を出し、物語などせよ、との

なのでしょうか?ともかく、身分を超えて、非常に親しい信頼関係にあるようです。絶対的権力者

いうものは、常にこうした強く意見する人が、そばにいたものなのですね。そして、その人を通して、権力

暴走を抑えるということも...あったわけですよね。

 

  ふーん...1300年余の昔/・・・大らかな万葉時代の...宮廷/宮殿(みかど)立ち居振る

舞いや...宮中の空気が伝わってきます。天武朝持統朝では、カリスマ性の有る無しで、時代の空

は微妙に違うようです。でも...“持統天皇”“天武天皇”事業を引き継ぎ、よく統治していたのが

分かります。そのことが、宮中の空気からも、感じられますよね...

 

  ええと、くり返しますが...“強語”(しひがたり)とは、“こじつけ話”のことのようですが、志斐(しひ)の語

に掛けて、戯れ歌となっているわけです。このには、次の【巻3-(237)】返歌があります。

  ともかく...細々したことなども分り合っている、“持統天皇”臣下/志斐との親密な関係がうか

がえます。日頃から、小言/苦言で言い争う、2人肉声が聞こえてくるようです。面白いですね。さあ、

その返歌の方も見てみましょうか...」



 

    【巻3-(237)】 B  志斐嫗・・・【返歌/御問答歌】 237

                       志斐(しひの嫗(おみな)の和(こた)へ奉(まつ)れる歌一首   嫗が名はいまだ詳(つばひ)らかならず

                                                         <志斐嫗奉和歌一首 嫗名未詳>

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      否(いな)と言へど 語れ語れと 詔(の)らせこそ 

                 志斐(しひ)いは奏(まを)せ 強語(しひかたり)といふ

 

    否と謂(いへ)ど 語れ語れと詔(の)らせこそ

                 志斐(しひ)いは奏(まを)せ 強語(しひがたり)と宣(の)

 

    不聴雖謂 語礼〃〃常 詔許曽 志斐伊波奏 強語登言   ・・・(万葉仮名の原文)

         万葉仮名とは・・・主として上代に日本語を表記するために、漢字の音を借用して用いられた文字のこと。

                  『万葉集』での表記に代表されるため・・・この名前がある・・・)
 

****************************

     【現代語訳/大意・・・巻3-(237)】    



   
 もうお話ししませんと...申し上げているのに...

             語れ語れとお言いになるから...志斐は語るのです

                     これこそ...強語しひかたり)でございましょう...

 

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「この歌は...」支折が言った。「前の、【巻3-(236)】
返歌ですね...

  “持統天皇”が、志斐志斐(しひ)という名に掛けて...無理に聞くことを強いる、志斐(しい)語り

戯れて、詠い掛けています。

  さあ、その返歌志斐は...無理に語らせることを強いられる...志斐(しひ)語りなのだ、と返して

います。ホホホ...何とも、本当に...この2首は面白いですね。当時の宮中での、笑い・さざめきが、

1300年余時空を超え、私たちの心に響いて来ます。

 

  “第41代/持統天皇”は...実姉“天武天皇”皇子/大津皇子を...謀反の罪に陥れ、処刑

したという、強烈な印象があります。でも、日常では、このような戯れ歌なども詠まれていたわけです。

“天智天皇”なども、数々の陰謀を重ねていますが、『万葉集』4首の歌が伝わる、万葉歌人でもある

わけですね。

  こと、皇位継承の争いでは...“天智天皇”も、実弟/“天武天皇”も...そして、第2皇女/“持統

天皇”も...それから、あまたの皇族もみな、同列にあるわけです。“持統天皇”だけが、特別に非道

だということではないのです。ただ...“天武天皇”と共に、“聖地/吉野での・・・6皇子の盟約”に立ち

会った皇后として、彼女には、避けて欲しかったということですね。

 

  ともかく...“持統天皇”の、(みかど)としての日常風景というものが、そこはかとなく伝わってきま

す。そして、『万葉集』という巨大な和歌集が、を通して歴史書とは違う、人間の息吹/感性永遠

伝えて来ていることに、あらためて感動します。

  あ...文法のことを一言。“志斐い”“い”は...語調のための助詞だそうです。この“い”は、主格

を示す、古代の助詞だとか...うーん...浅学の輩(やから)には、難しい話ですよね。でも、小耳に挟

んでおいてください。こういうことが、意外と知識を広めて行く、キッカケとなるかも知れません...」


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「それから...」支折が言った。「これは、
“第42代/文武天皇”とするもあるようです...

  このでは、志斐嫗(しひおみな)“持統太上天皇”ではないかとの推理になります。実際、“文武天

皇”強く意見できた人といえば...この頃では、“持統太上天皇”か、藤原不比等(ふじわらふひと: 中

臣鎌足/藤原鎌足の次男)しかいなかったようです。しかも...という老婆だということですから、志斐嫗

とは、“持統太上天皇”だろうとの推理になります。

  うーん...つまり、“持統太上天皇”皇子/・・・草壁・皇太子である...“第42代/文武

天皇”が...彼女志斐嫗などと呼んでいて...に詠んだという、推理でしょうか。 これも、納得でき

ですよね。

 

  “第42代/文武天皇”は...前にも何度か説明していますね。“持統天皇”の時代に、“天武天皇”

長男/太政大臣/高市皇子薨去(こうきょ)され、皇位継承の問題が持ち上がりました。そして、

統行事化している...すったもんだの挙句...“持統天皇”に当たる皇子が、15歳の若さ祖母

から譲位され、天皇即位したわけです。そして、“持統天皇”は、初の“太上天皇/上皇”になったわ

けです。

 

  でも...その“文武天皇”も、24歳の若さで崩御されています。そして、次の天皇は、母/“第43代

/元明天皇(げんめいてんのう)になります。この女帝は...したがって、“天武・持統/両天皇”の間の

皇子/草壁・皇太子の、正妃に当たる人です。

  また、“元明天皇”のもう1つの側面は...“天智天皇”第4皇女/阿閇皇女(あへひめみこ)だとい

うことです。“持統天皇”(鸕野讚良皇女)第2皇女ですから、異母妹に当たります。

  そして、“天智天皇”第1皇女というのが...同じ、大海人皇子/“天武天皇”に嫁いだ大田皇女

すね。また、彼女が、悲劇の姉弟/大来皇女・大津皇子になります。鸕野讚良皇女大田皇女

同母姉妹であり、父の実弟/大海人皇子に嫁いだわけです。生前のは、そういうわけで、非常

に仲が良かったと想像されます。

  悲劇といえば...朝鮮半島/百済への出兵で、筑紫/九州への下向の折に生まれた...大海人

皇子3人の御子全員かも知れません。大来皇女・草壁皇子・大津皇子の順に姉妹が産んでいるわ

けですが、3人とも、呪われていたのかも知れません。

  “第37代/斉明天皇”も...船上で産まれた大来皇女を見ていますが...大宰府の隣の朝倉宮

入ってすぐに、崩御されているわけです。むろん...<白村江の戦い(663年)では唐・新羅の連合軍

との戦で、国際的な大敗北となり...急きょ、難波大和大津への撤退となり...以後、西国防護

して、防人の制度が始まるわけです。

 

  ともかく...このでは、“歌柄から推して・・・20歳を過ぎた頃の・・・文武天皇の歌”といわれます。

“文武天皇”20歳の時といえば...702年/大宝2年であり...この年、“持統太上天皇”58歳

崩御されています。このが正しいとすれば...この返歌は、“持統天皇”最晩年の歌ということ

になるのでしょうか。

  ええ...そして、“文武天皇”4年後崩御され、“第43代/元明天皇”即位となるわけです。

その時代に...『古事記』が...太安万侶(おおやすまろ)によって、編纂されるわけです。

   御存知と思いますが...『古事記』は、“天武天皇”の命で、稗田阿礼(ひえだあれ)誦習(しょうしゅ

う: 暗誦/あんしょうしていた、『帝皇日継』(天皇の系譜)『先代旧辞』(古い伝承)を...太安万侶筆録・

編纂し...和銅5年に、元明天皇献上されています...」

 

ええ...」支折が言った。「話を戻しますが...

  でも...“持統天皇”が、(そば)に仕える志斐嫗(ひしおみな)に対して詠んだとするが、有力のよ

うですよね。題詞にも...“嫗が名はいまだ詳(つばひ)らかならず”...とあるわけですから、そうなの

か、という気もします。

  ともかく、このあたりの趨勢(すうせい)は、よくは分かりません。今後の研究を待ちたいと思います。で

も、こうしたことも...古代ロマンの推理ということになるのでしょうか...楽しい推理ですよね...」

 

 


 

 

    【巻3-(267)】       志貴皇子・・・【雑歌】  267

                                                              志貴皇子(しきのみこ)の ・・・御歌一首

*************************************************************

              


       むささびは 木末
(こぬれ)求むと あしひきの

                  山の猟夫(さつを)に あひにけるかも

 

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     【現代語訳/大意・・・巻3-(267)】         

 

  むささびは梢を求めて...得意の滑空をしていたのか...

         それがアダとなり...山の猟師に...見つかってしまったのだな...

 

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  house5.114.2.jpg (1340 バイト)                      


「これは...」支折が、両手を結んだ。「
志貴皇子(しきのみこ)の歌ですね...

  まず...志貴皇子について、簡単に説明しましょう。彼は、“天武8年5月・・・聖地/吉野での6皇子

の盟約”(草壁皇子・大津皇子・高市皇子・忍壁皇子・川島皇子・志貴皇子)参加した、皇子1人です。つまり、

そうした天武朝・持統朝の時代の、皇子の1人だったということです。

  そして、実は...この志貴皇子の系統が...現在/平成の、“第125代の天皇”/今上天皇(きん

じょうてんのう/・・・現に在位する天皇を示す呼称・・・にまで継続している様子です。あ、ええ...私は、浅学の

ですので、詳しくはご確認をお願いします。

  ちなみに...志貴皇子は 、“天智天皇”第7皇子です。貴族の出身ではなく...地方豪族の

(越道君伊羅都売(こしのみちのきみいらつめ)であったことから、生まれた時から、天皇即位することは、

望めない地位にあったようです。

  さらに...<壬申の乱>(じんしんのらん)によって皇統“天武天皇”の系統に移り...敵方/近江

朝廷の、“天智天皇”系統皇族であった志貴皇子は...皇位継承とは、さらに縁遠い存在だったわ

けですね。そうした、志貴皇子生きざまが、このから読み取れる、とも言われています。

  でも...皇位継承から全く無縁だったかというと、実はそうでもなかったわけです。それが、つまり、

生きざまに表れているわけです。事実、吉野の6皇子の盟約”にも参加しているわけですから、

力な系統だったことは、間違いないわけです。

  吉野の6皇子の盟約”は、“天武天皇”皇后/鸕野讃良が執り行ったわけですが、6皇子のうち、

川島皇子(天智天皇の第2皇子/母は忍海造小竜の娘)志貴皇子2人は、“天智天皇”皇子でした。その

彼等/6人の皇子が、聖地/吉野で、天皇・皇后と共に、争い事はしないと誓ったわけです。

  何故、“天智天皇”皇子2人も加わっていたのかというと、切っても切れない関係にあったからで

す。というのも、何度も言うことですが、“天武天皇”“天智天皇”実弟であり、皇后/鸕野讃良は、

“天智天皇”第2皇女であり、皇子たちとも固い縁戚で結ばれていたからです...むしろ、そうした中

で、<壬申の乱>が起こったことの方が、異常だったということでしょうか。

  さあ、そんなわけで...志貴皇子権力闘争のど真ん中にいたわけですが、もちろん、この時にも、

皇位継承とは最も遠い位置にいたわけですね。そうした環境下で、志貴皇子は身を慎み、政治よりも

和歌などの、文化の道に生きた生涯だったようです。

  ところが...薨去(こうきょ/716年)から54年後宝亀元年(770年)に...第6男/白壁王が、

“第45代/聖武天皇”娘/井上内親王とし...“第49代/光仁天皇”として即位しているので

す。そして、御存知のように...“第50代/桓武天皇(かんむてんのう/平安京に遷都をした天皇。坂上田村麻呂

を征夷大将軍として、東北地方を平定)と、系統が続いて行くわけですね。そしてこの系統が、現在まで長く続

ているようです...」

 

 

さあ...」支折が言った。「本題の、の方に話を移しましょう...

  志貴皇子は、『万葉集』には6首が採られているそうです。清澄で、自然鑑賞に優れた歌い手

して、知られているようですね。

   【巻3-(267)】では...

   むささびは 木末(こぬれ)求むと あしひきの 山の猟夫(さつを)に あひにけるかも

     ・・・木の枝へ、飛び移ろうとしたムササビが、山の猟師に見つかって、射られてしまった・・・

  ...と詠んでいるわけですね。

 

  ムササビは...高い木の梢から滑空する技を持つ、リス科/モモンガ亜科哺乳動物です。モモン

ガ亜科は、ムササビモモンガで構成されるわけですが、ムササビの方が大型です。

  ムササビ体長/約40センチメートルであり、それに約35センチメートルが付きます...モモ

ンガの方は、体長/約20センチメートルで、約14センチメートルと資料に載っています。いずれ

も、前肢と後肢の間に飛膜を持ち、それでグライダーのように滑空します。も使って、を取っている

のでしょうか。

 

  は...滑空できる才/技におぼれて...勇壮に飛び出さなければ...猟師に見つかることもな

かっただろうに...と詠んでいますよね。“雉(きじ)も鳴かずば撃たれまい”、ということと似ています。

でも、“鳴かない雉”“滑空しないムササビ”は、でもムササビでもないわけです...うーん...

  動物の...本能の哀歓のような、ユーモアを感じます。でもこれは、皇位継承政争においても無縁

はなく...“ある種の寓意(ぐうい: ある意味を直接には表さず、別の物事に託して表すこと)が・・・こめられてい

る”...とする見方もあるようです。志貴皇子微妙な立場生き様が、そう思わせるのでしょうか。

  これは1つの情景スケッチしたものですが...志貴皇子の背後にある、もう1つの心情も垣間見え

て来る、というわけです。つまり、をひけらかし、目立ったことをしたために、ムササビは山の猟師

見つかってしまったのだと。志貴皇子は、冷静に、客観的に、そのさまを見ているわけですね...」

 

                          house5.114.2.jpg (1340 バイト) house5.114.2.jpg (1340 バイト)
「ふーん...」支折が、頭を傾げた。「
志貴皇子は...

  華麗に梢に大ジャンプし...猟師に射られたムササビに...数多(あまた)皇子貴族たちの

劇の姿を、重ね合わせて見ていたのでしょうか。でも、そうした志貴皇子堅実な生き方は、彼の死後

大きな意味を持つこととなるわけです。

  現代/平成時代に至るまで、“天智天皇”系統天皇が続くことになるわけです。でも、“天智天皇”

“天武天皇”血脈は...もともとが兄弟の上に、濃密婚姻が交じり合っていて、どちらがどうとい

うことも、無いのかも知れません。

  そして、元々は...“初代/神武天皇”ということです。それは、はるか、『日本神話』の世界になる

わけですが...人口希薄だった古代より、その周辺から人口爆発的に増大してきたわけです。そ

して現在の、日本国家/日本民族/日本文化を...形成してきているわけです。

  さらに、昨今...最大人口/約1億3000万人に達し...ようやくそれが、減少過程/調整過程

入り、“折り返し”が開始されたようですね。偉大自然調整能力発動しているようです。現在...

態系としての、日本列島/日本民族の、恒常性/ホメオスタシス発動している、ということでしょうか。

  やがて、やって来る...“21世紀ギャップ・・・大艱難(だいかんなん)の後には...再び、〔極楽浄土

のような・・・大きな安定期〕が...到来するものと思われます...」

 

 

 

    【巻3-(360)】       山部赤人・・・【雑歌】  360

                                                                 題詞/山部宿祢赤人 ・・・ 歌6首

*************************************************************

        


       
(しほ)(ひ)なば 玉藻(たまも)刈りつめ

          家の妹(いも)が 

                浜づと乞(こ)はば 何を示さむ

****************************         

     【現代語訳/大意・・・巻3-(360)】         

 

    潮が引いたら...美しい海藻を刈り集めなさい...

           家でまつ妻が...

                 浜土産をと乞うたら...何も持って返る物がないから...

             

*************************************************************


 
             
          


「ほほ...」支折が、唇に指を当ててほほ笑んだ。「のどかな、
生活感のあるですね...

  “玉藻”(たまも)は、特定の海藻の名前ではなく、生活に役立つ海藻の総称だそうです。海藻美しく表

する時にも、用いられたようですね。

  古代から海藻を食べていた日本では、その季節になると、浜辺で海藻を刈ったり、海藻を焼いて

取る風景が見られたということです。『万葉集』にも、多くの歌に詠まれているようですね。家で待つ

ために、海藻浜の土産に刈り取る光景は、素朴な生活感があり、微笑ましいものですね。

  さしずめ、山の土産は、山菜木の実などの山の幸だったのでしょう。私は山育ちですので、山の幸

はよく知っています。古代には、海の幸山の幸も、よほど豊かに溢れていたことでしょう。そして、危険

も、隣り合わせに存在していたわけですね。

  でも...現在では漁業権だの、山の持ち主だのと、ギスギスとしてしまっていますが、本来は誰のも

のでもなかったわけです。動物や植物ともども、全てでそれを分かち合っていたわけですね。古代にお

いては、全てがのどかで、野趣に富んでいて、まさに、山や海の幸だったのでしょう。 

  には...それほど深い意味もなさそうです。古代の、のどかな生活感日常風景活写されてい

て、親しみを感じます。また...生活の中の男女の機微も見えて、微笑ましく軽妙な感じもいいですよ

ね...うーん...作者/山部赤人さんは、こういう人でもあったわけですか...」

 

 

 

 

 


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