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       支折の 土器の造形・展 見学  house5.114.2.jpg (1340 バイト)

        縄文土器の“動” ・・・ 弥生土器の“静” ・・・   

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 < 2001年/ 1月30日〜3月11日 >    <ゲスト/陶芸家 : 秋川 秀作>      国立博物館/平成館/(上野公園---2001年2月27日/晴れ)

トップページHot SpotMenu最新のアップロード/           担当 : 星野 支折     秋川 秀作

  

  

               (“土器の造形”展のパンフレット)          (記念出版書)                                         

                                                       (2001. 3. 6)

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「こんにちわ、秋川さん!」星野支折は、シャネルの手提げバッグを両手で持ち、コク

リと頭を下げた。「今日は、よろしくお願いします!」

「ああ...」秋川は、粘土に触れている手を止め、支折を見上げた。「もう、そんな時

間か?」

「はい、」

「すまん、すまん...」秋川は、パンパンと両手の粘土を払った。「急いで支度をしま

す...5分ほど、待って下さい」

「はい」支折は、小さく頭を下げた。「今日は、よろしくお願いします」

「いやあ...実は、私も久しぶりに縄文土器に出会えるので、楽しみにしていまし

た」秋川は、満面に笑みを浮かべた。「うーん...ちょっと、待ってください、」

 

  秋川が奥へ入ると、支折は工房の中を見回した。棚には、作品がギッシリと置か

れてあった。が、それが完成品なのかどうかよく分からない。粘土をこねた生地のま

まのものもあった。まだ、明らかに未完成と分るものもある...それから、大小の

(ろくろ/回転台)がある。結局、この轆轤と粘土から、すばらしい陶器が生み出されるの

だと分る。他には何もない...

「うーん...そういうものかしら...」支折は、心の中でつぶやいた。

  窓の外に、冬枯れの益子(ましこ/栃木県益子町)の山が見える。そのさらに北の方の山

々は、白く雪が輝いていた。支折は、薄地のスプリングコートの襟を押さえ、小首をか

しげた。

「やっぱり、寒いのかしら...」

 

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「...ええ、支折です。秋川さんは、今回が初めての登場になります...でも、文

芸・イベントのリンク画像で、すでにだいぶ前から姿を見せている方です。今回は、上

野の東京国立博物館で、縄文土器と弥生土器を見ることになりましたので、ここは是

非にということで、秋川さんに同行を依頼しました。たいへんお忙しい所を、本当に恐

縮しています。

  ともかく、私はこの方面のことは何も分りませんので、今回は、全て秋川さんが頼

りです。それから、陶芸家という本格的な芸術家に接するのも、今回が初めてになり

ます。うーん、実は、それもたいへん楽しみにしています...ウフフ...」

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  しばらくすると、秋川秀作はGパンに黒い丸首セーター姿で出てきた。それから、

頭にかぶっていたタオルを取った。

「それじゃ、行きますかあ」

「はい。ふーん...陶芸家というのは、そういうファッションで出かけるものなので

すか?」

「あ、いやあ...これは、普段着です。寒いかな、これじゃあ?」

「いえ、今日は、日中は気温が上昇するそうですわ」支折は、シャネルのバッグを両

手で持った。

「ふーむ、それじゃあ、これでいいか...東京の方は、ここよりもあったかいでしょう」

  秋川は、油気のない髪をパラリと両手で撫で上げた。それから、そこにあったサン

ダルを突っかけた。

「あの...やっぱり、寒くないかしら?私も、さっきから、気になっているんです」

「なあに、大丈夫です。縄文人にくらべりゃあ、なんてことはないでしょう」

「はい、」支折は、口に手を当ててうなづいた。

  彼等はハイパーリンクで、東京の本部基地にジャンプした。それから、そこの

index.htmから上野公園に出た.....

 

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            (2001年2月27日.../よく晴れた朝で、上野の西郷さんも、すっかり春の装いでしょうか...)

 

  二人は、チケットを買い、東京国立博物館の正門から中に入りました。広い敷地を

横切り、特別展の開かれている平成館の方へ歩きます。すでに、“光の春”といわれ

る2月も末になり、陽光もすっかり春めいています。

  しばらく歩くと、体がいくらか汗ばんでくるほどです。支折は、スプリング・コートのボ

タンを外し、コートの内側に風を入れ、平成館の白い建物を眺めた。

「おお...」秋川がうなった。「あれが平成館か!」

「はい。私は、最近はちょくちょく来るんです」

「ふーむ...ははあ、でかい立て看板があるな、」

「はい」

 

                     

                      (平成館の正面噴水)                   (正面玄関右側の立て看板)

「この立て看板に描かれているのが、有名な“火焔(かえん)土器”です。中に入れば、本

物の火焔土器が見られるでしょう」

「はい。この火焔土器というのは、有名ですよね。本物を見たことはないのですが、

写真では何度か見ています...あの、これは1個しかないのですか?」

「いや、何個か出土しています。同じものはありませんが。これは新潟県の信濃川と

阿賀野川流域の狭い地域に集中しているのですが、この奇妙な形は土器の様式な

のです。確か、十日町で出たものが、国宝に指定されていたと思います。国宝に指

定されているのは、他に“縄文のビーナス”と呼ばれている土偶があったと思いま

す。しかし、国宝の指定は、こうした土器ではあまり多くはないようですね。こうした土

器は、“重要文化財”“重要美術品”が相応のレベルのようです。もちろん、こうした

ものに、絶対的な基準というものはないですがね」

「はい」支折はうなづき、秋川と一緒に回転ドアの羽の中に入った。

 

 

  エスカレーターに乗り、平成館2階にある展示室に入っていくと、最初にガラスのケ

ースに入った国宝の“火焔土器”がありました。

                          

        (火焔土器/国宝)                   (土偶/国宝/ツリ目/“縄文のビーナス” といわれます...)

                  <これらの写真は、記念出版書籍のものを、デジタルカメラで写したものです>

 

「あの、少し解説していただけるでしょうか、」支折が、手提げバッグを肩に掛け、そ

れを肘で押さえながら言った。

「うむ...縄文土器は、型式様式6つに分けられています...」秋川は、Gパン

のポケットに両手を突っ込み、陳列ケースの中の土器を覗きながら言った。「型式

いうのは、器の形、模様、製作法などによる分類ですね。それから、様式というの

は、時期や地域において、実際に共存した型式群を指します...」

「はい...」支折は、腕組みをしてうなづいた。

「6つというのは、草創期、早期、前期、中期、後期晩期になります。似たような名

前が並びますが、型式と様式から、要するに6つに分類されるということです」

「ふーん...6つですかあ、」

「そして、最も初期の素朴な草創期のものから、晩期のものまで、実に1万年もの

間、こうした縄文土器が作られ続けたわけです」

「1万年も...ですか?」

「ええ。つまり、こういうことです。今から1万2000年前頃からこの縄文土器の文明

が始まり、2400年前頃まで続いた。別な言い方をすれば、紀元前10000年頃か

ら、紀元前400年頃まで続いたわけです。これに比べれば、弥生土器の時代は、

元前400年〜紀元後300年頃までの700年ぐらいしかない...」

「700年というのも、短くはないですが...1万年に比べれば、少ないわねえ、」

「その1万2000年前の縄文土器以前は、石器時代ということになります。その時間

的スケールは、もっと長いものになります」

「はい」

「いずれにしても、こうした先史時代のほうが、文字で歴史の刻まれた時代よりも、は

るかに長いのが分るでしょう。今年は西暦で2000年を終え、21世紀に入ったわけ

ですが、日本人と日本文化のルーツは、このはるかな縄文時代にまで遡るわけで

す。

  縄文人たちは、我々と殆ど同じ夕日を見つめ、同じ月を見上げていました。私は、

これらの土器を見る時、よくそう思うのです。彼等と我々は、そんなに違わないと、」

「太陽系の運行から見れば、そうですね。縄文人も、私たちも、ほとんど一緒かもしれ

ませんわ...」

「そう...ま、ともかく、1万年もの間、穏やかな時の流れの中を、彼等は生きてき

た。そうした中で、土器を作り、土器を自慢し、新しい造形や創作に驚き、そして互い

に影響しあいながら、芸術性を高めていったのです...

  いいですか、支折さん...この縄文土器というのは、実は、世界最古の土器なの

です」

「え、そうなんですか?」

「今のところは」秋川は、うなづいて見せた。

「炭素14法の測定でも、世界最古と証明されています。このことを、日本人はどうも

よく知っていないようですね」

「縄文土器が、世界で一番古いんですか?」

「そう。そして、世界に類を見ない独特の様式だと言われます」

「ふーん、そうなんですか...でも、急にそう言われても...」

「ともかく、草創期あたりの縄文土器は、世界最古の土器だということでしょう。私も、

陶芸家であって、考古学者ではないので、詳しくは分りませんがね。ただ、縄文土器

が隆盛を極めるのは中期(B.C.3000〜B.C.2000)であり、造形的にも最も優

れたものが多数あるということは分ります。これらは展示でも示されているように、ま

さに縄文土器の精華と言えるものです。そして、それが、中期に集中しているので

す。土器も、大型のものが多いですね。あの国宝の火焔土器や土偶の縄文のビーナ

も、この中期のものなのです。まさに、中期が、縄文文化の爛熟期とも言えるわけ

です」

                                        

           (縄文・草創期の丸底と尖底の深鉢)                (縄文・中期の大型の深鉢/造形力に優れ、数も多い)

 

                          

    (縄文・中期の大型の深鉢/造形力に優れ、数も多い/この時期の大型の深鉢は、深さ50cmから、最大で70〜80cm)

                                                   中期(B.C.3000〜B.C.2000)

 

「それから、これらは人面装飾の深鉢や壷だが、これも中期のものです...」

「何で、こんな人の顔を彫ったのかしら?」

「これらは、祭器として使われたと考えられています。つまり、彼等の神々に対する、

儀礼的なものがあったのでしょう。これは、火焔土器もそうですし、縄文のビーナスに

してもそうだと思います。彼等の神々に対する畏敬の念というものは、まさに現代人

の比ではなかったでしょう」

「ふーん...」

「この中期(B.C.3000〜B.C.2000)は、わずか1000年で短いようにも見えま

すが、1000年といえば、決して短くはない。まさに、大芸術時代であり、またそれを

評価するしっかりとした文化的背景もあったのでしょう。そうでなければ、これほどの

労作は生まれなかった、と私は思いますがね...」

 

                                     

 (これらも、縄文・中期の深鉢で、特徴的なツリ目の人面装飾があります。このツリ目は、同時期の土偶にも見られます)

                    

        (縄文・中期の深鉢で、人形装飾があります)            (人形装飾部分の拡大/ツリ目ではない)

 

「ねえ、秋川さん、」支折が言った。「この深鉢の取っ手のお人形さん、可愛いわね、」

「うーむ。これは、あまりツリ目ではないな。髪の半分が、ウェーブがかかっているよう

だが...それにしても、たいした造形力だ...」

「この口、ちょっと位置がズレていないかしら?」

「...うーむ...やや、正確ではないな。ズレている...」

「そう、少しまがっているわね。でも、これが、可愛さを出しているんじゃないかしら?」

「そうかもしれん...しかし、これはわざとズラしたものだろう...」

「うーん...これも、芸術的な感性なのかしら?」

「うーむ...確かに、ユーモアのセンスもあったようだな」

「ねえ、秋川さん、ユーモアといえば、毛虫コノハヅクキノコの土製品もあります

よね」

「ああ、」秋川は、顔に笑みを浮かべた。「まあ、これらも、神々や祭りに関係したも

のだろうね」

                       

(下の写真は、毛虫/土製品)       (上の写真は、きのこ/土製品)             (弥生土器)

 

  支折は、ふと、展示室中央のガラスのケースを覗いている高杉を見つけた。

「アラ...高杉さんじゃないかしら?」

「知っている人ですか?」

「ええ。私たちのホームページの塾長です」

「ほう、」

  支折は、摺足で、高杉の方に駆け寄った。秋川は、Gパンのポケットから手を出

し、のっそりと後をついていった。

「高杉塾長、いらっしゃってたんですか?」

「ああ、」高杉は、支折を見て顔をくずした。「今来た所だ。君が出かけたと聞いて、フ

ラリと出てみたんだ。こっちに来れば、会えるだろうと思ってね」

「だったら、ご一緒したのに。あ、こちらは、陶芸家の秋川秀作さんです」

「ああ...よろしく」高杉は、手を差し出して、握手をした。「『人間原理空間』塾長の

高杉光一です」

「どうも。陶芸をやってる、秋川秀作です。ホームページの方は、しっかり見ていま

す。今日は、星野さんの招きで、久しぶりに縄文土器を見に来ました。まあ、この中

期の大型土器などは、現代人の我々が見てもドキドキしますねえ、」

「うーむ...私は実は、本物の縄文土器を見るのは初めてなんです。しかし、何です

ねえ...今までは、単なる土の器ぐらいに思っていたのですが、これはすごいもので

すね」

「あの、塾長は、この“縄文土器の精華”から入られたんですか?」支折が言った。

「え?というと?」

「ああ、だから、一緒になったんですね、」支折は、笑って手を上げた。「私たちは、順

路どうりに、草創期の土器から見てきたんです」

「ははあ、」

「ま、みんな見れば、同じです」秋川は、また両手をズボンのポケットに入れた。「実

は、高杉さん、私も昔この縄文土器を真似て作ってみたことがあるんです。しかし、こ

の大胆な造形力というものには、遠く及びませんでした...」

「ほう、作って見ましたか...こうした大型土器は、現代でもいい飾り物になるでしょ

う」

「ええ。こうした1万年にわたる縄文土器は、日本中から発見されています。それか

ら、弥生時代、古墳時代と続くわけです。しかし、そうし勇壮なルーツを持つにも

かかわらず、最近の日本は、馬鹿なことをやっていますな、」

「はい。特に昨今は、文化もダメ、政治もダメ、経済もダメ...」

「何処が悪いのですか?」秋川は、高杉を見つめた。

「この国では、全てがインチキになってしまったからです。一口で言えば、そういうこと

ですね」

「なるほど。何もかもが、インチキになったからですか、」

「しかし、秋川さん...そこで私も、日本文化のルーツである、縄文時代を見てみる

気になったのです」

「なるほど。確かに、縄文時代まで遡るのは、いいことだと思います。そうですか、縄

文文化まで遡りますか...」

「この縄文時代のロマンというものを、もう少し知りたいのです。しかし、残っているの

は、土器だけですね。骨太の、原始のロマンを描ければと思っていたのですが、」

「いいですねえ...面白いテーマですねえ...一度、じっくりと話し合いたいです

なあ。具体的なことを、」

「はい...しかし、何といっても、文字が残っていないのが残念です。うーん、それに

しても、紀元前1万年といえば、世界の4大文明の発祥よりも古い時代ですねえ。そ

んな頃、日本では縄文人が土器を作り始めていたわけですか...」

「ええ、世界最古の土器を、です」

「あの、そろそろ先へ進みましょうか?」支折が言った。「ここから先が弥生土器にな

っています」

「ふーむ、今回は、弥生土器の展示は少ないようですね」秋川が言った。

「はい...今回は、“縄文の動”、“弥生の静”というテーマでしたが、縄文土器の感

動が大きすぎたと思います。そこで、弥生土器については、次の別の機会に譲りた

いと思いますが、どうでしょうか。それまでに、私の方も、もう少し勉強しておきますの

で、」

「そうしますか、」秋川が言った。

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「支折です...今回も、祈念出版書はハ゛ッチリと買いました。これで、私も、縄文土

器については少々うるさい方かしら...?」

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「秋川秀作です。今回は、改めて、縄文土器の造形力のダイナミズムを感じました。

私自身の作品が、最近は矮小化し、技巧に走っていたのを痛感し、反省しています」

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「ええ...高杉光一です。我々、日本人と日本文化のルーツに、縄文文化1万年の

歴史があることを知りました。むろん、縄文時代というのがあることは分っていました

が、これほどの土器文化の爛熟した時代が、1万年も続いていたことを知っむたの

は、大きな驚きです。

  秋川さんの言うように、縄文人たちは、私たちと同じ夕日を見、同じように月が昇る

のを見ていたのです。そして、火焔土器や縄文のビーナスを作っていたのです。決し

て楽な生活ではなかったでしょうが、愛と勇気、恐れと祈り、厳しい中での豊かさとユ

ーモアも、持ち合わせていたようです。そうした文明の精華が、様々な土器の中に結

晶化し、遠いはるかな子孫である私たちに、再び勇気を与えてくれています...」

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