My Weekly Journal 第1編集室OPINION2003年

   wpe5A.jpg (45859 バイト)    OPINION      2003年

  

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  トップページHot SpotMenu最新のアップロード                           編集長 :  津田 真

    wpe5A.jpg (45859 バイト)   INDEX                                          

No.21  2003年/国民が求めている変革 2003.01.10
No.22  “信用破壊”の危機! 2003.02.28
No.23  食糧の大量恒久備蓄を!                2003.03.02
No.24  国家大改造 は、NHK油圧ジャッキ 2003.03.24

  

 2003年/国民が求めている変革 index.1019.1.jpg (2310 バイト)

新年、明けましておめでとうございます。

           〔My Weekly Journal〕編集長の津田真です。

                                           本年も、よろしくお願いします。

 

  いま...2003年...初頭...

  いよいよ、背水の陣となった構造改の年です...

  改革は、具体的にどう進めて行ったらいいのでしょうか...

  何処から、どのように切り込んで行ったらいいのでしょうか...

 

  問題は非常に大きく、茫洋とし、複雑多岐にわたります。すでに、経済や金融面で

の話は百花繚乱の状況です。したがって、ここでは特に“人の流れ”に的を絞り、現

状の打破を考察してみます...

 

  まず、“天下り”の全面禁止! 

                 これなくして、改革ナシ!    

 

  “天下り”の弊害については、ここで改めて説明する必要はない思います。ただ、

問題なのは、それが今も、脈々と継続しているという実態です。弊害が、これだけ広

く叫ばれていても、何故、あいかわらず天下りが許されているのでしょうか。今年こそ

は、この長年の禍根を断ち切り、名実ともに日本社会の構造を一新をしなければなり

ません。これをやらなければ、これからも腐敗の連鎖は営々と続くことになります...

  この日本では、すでにあらゆる身分格差はないのです。全員が、いわゆる平民で

あり、国民と呼ばれる単一身分なのです。私の見るところ、最後まで残っていた“官”

と“民”の官民格差も、国民の意識としては、すでに無くなっているということです。

  つまり、大多数の国民の立場から見ても、もはや“天下り”というのは過去の遺物

であり、きわめて異常な風景だということです。身分格差がない以上は、終身雇用の

メリットも、“官”としての特権も無いということです。したがって、官僚や役人もまた、

普通の一般人と同じようにスキルアップし、再就職に備えて欲しいということです。

  それから、全て一般人と同じだというのなら、公務員に限って報道されていたよう

な、小さな破廉恥事件の報道は、当然マスコミは自粛していくべきです。実害もあま

りなく、動機も魔がさしたとしか言いようのない小さな事件の報道は、以前から異常

な風景だと思っていました。詳しい経緯は知りませんが、これはマスコミの側が一考

すべき課題だと思います。マスコミは、全ての国民に対し、公平であって欲しいと思い

ます。

 

  いずれにしても、本来、官僚は、誰よりもこの国のために働いてきた人たちです。

その人たちが、国を食い潰すというような事は、本望ではないはずです。最後の最後

まで、サムライの心を貫いて欲しいものです...

〔構造改革の入り口である、 “天下り”が是正されないようなら、国民

  は集会なり、デモなり、直接大衆行動を起こして、阻止すべきです〕

 

  世襲/二世議員の蔓延を阻止!   

                   どのようにやるか?     

 

  “職業選択の自由”から言えば、二世議員だろうが三世議員だろうが、この国では

自由に自分の望む職業につくことができます。しかし、現状は、はたしてそれで裁け

るでしょうか...逆に、周囲を利権構造で固められた世襲議員によって、国民の政

治家への道が堰き止められているのが実態ではないでしょうか。そして、この利権の

世襲の風景が、この国の閉塞感の象徴として居座っているわけです...

  保守系議員では、その過半数が世襲であり、野党においても有力議員の世襲

が、まさに目の前を塞いでいます。その理由はどうであれ、世襲議員への国民の反

発も、いよいよ表面化し、もはや放置できない所まで来ています。ここがまさに、国

民の政治不信の元凶の1つだからです。

  各政党の実力者は、このことにどう答えているのでしょうか。つぎの国政選挙で

は、政治改革の一環として、このことに明確な答えを出さなければなりません。これ

も、天下り同様に、もはやごまかしの効かないレッドゾーンに入っているからです。

 

  私は詳しい内情は承知していませんが、おそらく共産党以外の政党では、世襲を

阻止するシステムが無いように思います。そもそも、戦後民主主義の政党政治の流

れの中で、政治家は“政党の本質”、“政党の理想”“理想の実現”というものを考え

てこなかったのではないでしょうか。

  言い換えれば、各政党は、党を形成する優秀な人材を集め、育てるということより

も、相互に世襲を許しあい、ただみんなで甘い汁を吸ってきたということなのでしょう

か。これなら確かに、“年貢の納め時”が来て、結果として日本の政治は大混乱にな

り、方程式は成立するわけです。

  それにしても、現在の政界の実力者のほとんどは、二世議員であり、その政界で

の影響力もまた、相互に世襲しあっているのでしょうか...むろん、国を背負って立

っている、大黒柱のような人も多々いるわけです。しかし、トータルとして考えれば、

非常に困ったこと状況に突入しています。

 政治の未曾有の大混乱”、“民の過半数を占める支持政党なし”、“暴力団に比

肩するほどの高い犯罪発生率”の状況は、とても放置はできません。私たちは、“天

下り”同様に、この政治状況をも克服していかなければ、真の構造改革はできないの

ではないでしょうか。

  現状の国会議員は、まるでこの国の“お荷物”り、“強大な特権を持つトラブル

メーカー”と言われても、否定できない部分があるのではないでしょうか。むろん、真

剣に国難に取り組んでおられる議員諸氏も、多々居るわけですが、それが国民には

霞んで見えます。

 

  もはや、政党や議会での自浄能力・自浄作用には、期待できないと思います。そう

であれば、この国の主権者である国民が動かなければなりません。私たち国民全体

で、この日本の21世紀社会にふさわしい、“新・民主主義”を確立し、政治を再構築

していかなければなりません。

  衆議院解散による総選挙が予想される今年は、まさに政治の大改革の年になり

ます。まず、衆議院解散による総選挙までに、有志によって新しい選挙の枠組みを、

早急に作るべきです。

 

  〔新しい水を引き込む新党が、一刻も早く動き出すことを期待しています〕

 

  社会の表舞台にいる人の、国民合意の評価システムを!  

             〔 芸能人・芸術家・学者・スポーツマン・マスコミ人... 〕

      オープンな評価・運用システムの確立  風通しのよい人の交流! 

 

  今、社会の表面で活躍している人たちは、誰が、どのような評価基準で選び出して

いるのでしょうか。芸能人といっても、ほとんど“芸”がなかったり、芸術家といっても

何かを極めたというほどの実力が無かったり...あるいは、スポーツといっても、た

だプロのスポーツで、高いギャラを稼いでいるだけだったり...

  私たちが求めているのは、そうしたウソっぽいものではなく、あのワールドカップの

ような、真の感動なのではないでしょうか...そう考えれば、子供のサッカーにだっ

て感動はあるし、むしろ純粋なだけに面白く、熱気があります。真のスターやヒーロ

ーというものは、そうした所から生まれてくるのではないでしょうか...

  そうしたナマの熱気や情熱を、マスメディアは真摯に育てていって欲しいものです。

テレビなどは、非常に社会的影響力が強いわけであり、真に“オープンな評価システ

ム”を確立して行くことが必要な時代だと思います。

  国民には、ごまかしは効きません。日本文化再生のために、全てを“情報公開”し、

全てのスポーツ全ての選手に、気を配って欲しいものです。それは、広く、正しく評

することによって実現するものと思います。これから進めていく日本文化の再構築

では、是非心に留めておいてもらいたいテーマです...

 

  つぎに、芸能人などにも、世襲が多く見られるようです。政治家にしろ、芸能人にし

ろ、むろん誰もがそんな職業につきたいわけではありません。しかし、若いうちは、ま

ずそうした社会の表面で活躍する人々に憧れます。また、そうした夢を持つことは、

悪いことではありません。

  ところが、そうした職業に憧れても、それが実態としては世襲であり、コネであり、

一般の人が入れる間口が非常に狭いというのであれば、社会に鬱屈としたものが

溜まって行きます。しかも、そこに“芸能”や“政治的理想”が受け継がれていれば納

得もしますが、肝心のそれがどうにも希薄なのです。ただなし崩し的であり、そうした

意味では、芸能人の世襲も、官僚の天下り”や“政治家の世襲”と共通するもの

があります。つまり、構造的既得権であり、実力が空洞化していて、この国を腐らせて

いるという共通項があるわけです...

  こうした人たちが、まさにこれまで、日本の社会構造や文化をになってきたわけで

す。むろん、その行き着いた結果は、現在の日本の状況を見れば分ると思います。

 

  したがって、くり返しになりますが、ここでもまた“国民参加”“情報公開”が不可

欠です。国民に見える、風通しのよい、開かれたオーディションというようなものを、

しっかりと確立しておくべきです。二世も三世も、親から受け継いだ才能があるのな

ら、その才能で、堂々とその正門をくぐればいいわけです。むろん、覚醒剤で逮捕さ

れたような人は、当然はじかれるべきです。現在のように、何度覚醒剤で逮捕されよ

うが、復帰できるシステムなどは、言語道断です。そうした人たちが、社会の表面で活

動していること事態が、覚醒剤の蔓延を招き、若者たちの心と体を蝕んでいるので

す。

  マスコミが、社会正義民意をないがしろにし、現在のようなシステムを作り上げ

ているのも問題です。したがって、社会の公器であるマスコミにおいても、採用の仕組

みや人事の評価は、オープンにしておくべきだと思います。そうでなければ、政治や

芸能ばかりでなく、この国の文化の伝え手であるマスコミも、益々国民の信頼を失っ

て行きます。

  すでに、日本のマスコミは、相当にその力を失い、かつ国民の信頼も失い、迷走し

ているように思います。もちろん、今まではマスコミの自主性に任せていたわけです

が、それではこの国の文化や規律が崩壊する事態に至っているわけです。報道の自

由、言論の自由を声高に叫ぶなら、せめて自らが国民に信頼されるよう、しっかりと

日本文化の再生に取り組んで欲しいものです...

 

  それにしても、何故、各テレビ局が、毎日・毎回“芸能ニュース”と“スポーツニュー

ス”を流しているのでしょうか。これは、正直に言って、個人的には非常にうんざりして

います。何故、毎日、こんな押し付けがましいニュースを、お茶の間に流し続けるの

か、理解に苦しみます。私は野球選手の松井もイチローも好きですが、私生活やギャ

ラの話にはうんざりしているのが実状です。

  野球選手やサッカー選手は、グランドでのファインプレイやスポーツマンシップが、

最も輝いています。芸能人は、舞台や映像での姿が花です。それ以外のギャラの話

や、私生活の話は、むしろ聞かない方がスター性があるのではないでしょうか。

  マスメディアは、こうしたあたりの総合的なスターの演出や、日本文化全体の品

性、マスメディア自身の品性というものを、再構成して欲しいと思います。

  それから、もう一言付け加えると、“芸能人のニュース”と“野球のニュース”が、毎

日定番ニュースのように取り上げられているのは、何故でしょうか。NHKでさえ、この

真冬の1月に、連日野球選手のニュースを流しています。色々と事情はあるにせよ、

山々の木々や草花と同じように、野球選手も、冬は静かに休息させてやるべきです。

  そして、あらゆるスポーツに光を当てるという意味において、冬はウインタースポ

ーツを中心に、スポーツニュースを構成すべきではないでしょうか。あえて、視聴者の

側が、こんな基本的なことを言わなければならないほど、マスコミは常識をなくし、自

分のいる座標が分らなくなっているのでしょうか。そうだとしたら、私たちは、国民主権

の立場から、どんどん意見や注文を突きつけなければなりません。

 

  また、芸能やスポーツだけが、この国の文化ではないはずです。昨今は、日本の

国が大混乱になっているわけであり、地方政治をも含めた、“政治ニュース”“構造

改革ニュース”が定番であってもいいわけです。

  あるいは、“科学技術ニュース”、“経済産業ニュース”、“各種の芸術ニュース”、

“ボランティア・ニュース”だっていいわけです。国民は、スポーツや芸能だけを求めて

いるのではないことを、ひとこと言い添えておきます。

  また、各マスメディアが、それぞれ別々の特徴のある分野で、その独自性を競う道

もあるのではないでしょうか。まさに国民は、マスメディアにも、こうした多様性を求め

ているのではないでしょうか...

 

〔 マスメディアは、この国のあらゆる分野に、細心の注意を払って光を

当て、国民の全ての思いを反映させて欲しいものです。それは、言い

換えれば、公平・公正で、心優しい日本の姿を創出して欲しいというこ

とです...

  確かに、草創期の頃のマスメディアには、そうした気概がありまし

た。是非、それを取り戻して欲しいものです...〕

                                                   

 

  さて、現在の日本の社会は、“人の流れ”の面においても、まだまだ非常に多くの

問題点があるように思います。しかし、とりあえずは、官僚や政治家、それから社会

の表面で活躍する人たちの質を高め、評価と採用をオープンにし、そこから新しい日

本の形を作って行くべきではないでしょうか。2003年を、そのスタートの年にしたい

ものです...

                                                    

 

                                                        

    信用破壊”危機 index.1019.1.jpg (2310 バイト)

 

≪モラルハザード

  モラルハザードという言葉が社会に登場し、すでに久しくなります。国民はその実

態に怒り、あきれ、その改善に、辛抱強く期待をつないで来ました。しかし、実状は良

くなっていたのでしょうか。それは掛け声だけで、実際には何も動いていなかったので

はないでしょうか。いや、それどころではなく、景気の後退とともに、事態はさらに巨大

化し、悪化していたわけです。結局、悪事インチキは許さないという、この問題の本

質にメスが入っていなかったからです。

  大企業の数千億円というような借入金が、銀行によって棒引きされて行くニュース

は、百円玉を倹約して生活している庶民には、まさに驚愕的です。そして一方、債務

に苦しんでいる弱者に対しては、ヤミ金融業者が暴力的な金融をやっています。これ

らは、いずれも、この経済社会の中で、おおぴらにインチキを押し通している風景

す。しかも、失業すれば、払っていたはずの失業保険ももらえないという有様です。

  これは、雲の上と、弱みを持つ弱者の話ですが、では中間層は大丈夫かというと、

ここもまた、まさにモラルハザードの舞台だったわけです。あの雪印や、日本ハム

不祥事があり、流通業界の不祥事があり、これらは氷山の一角と思われます。

 

≪誰が、こんなことにしたのか...平気で嘘をつく社会

  すべてとは言いませんが、現在の日本の社会は、“平気で嘘をつき、大っぴらに金

をふんだくり、国民の健康などはそっちのけ”というわけです。さらに、最近では、生命

保険も、“嘘つき”と呼ばれかねない話が持ち上がっています。“パンクするよりはまし

だろう”と言って、一連の“横車”をずっと押し通してきたわけです。

  その結果、責任をとるべき所が責任をとらず、犯罪者となるべき人々が、罪を問わ

れずにいるわけです。こんな処理の仕方では、まさに現在そうであるように、社会全

体がグチャグチャになってしまいます。少年達が引ったくりをやり、浮浪者をいじめ殺

してしまうのは、まさに社会の縮図なのではないでしょうか。

  いずれにしても、こんなことがさらに進行していけば、モラルハザードの段階を通り

越し、“社会全体の信用破壊”が起こるのではないかと危惧しています。つまり、すで

社会システ経済システムが、国民に不信の目で見られ始めているということ

です。

 

≪責任の所在の追求...明確な目標の設置

  一体誰がこんな日本にしたのか、何故こんな状況に陥ってしまったのか、その原

因を徹底的に究明すべきです。不景気、失業、倒産、多額の負債...まさに言語に

できない、それこそ無数の苦悩が、そこには凝縮されています。誰がこんなことにし

たのか

 

  この失政は、何処にあったのか?誰がその責任を取ったのか?この事態を打開

するために、今こそその所在を明確にすべきです。すでに失ったものは、取り戻せま

せん。しかし、その責任が何処にあったのかは、国民一人一人が、しっかりと知るべ

きです。

 

  また、どうすればこの現状を改善できるのか?再び繰り返さないためには、どうす

ればいいのか?私たちは、それ等を追及しながら、今こそ真剣に考えるべき時が来

ています。

  これまでは、あえて波風は立てずとも、それでも全員が何とか食べていけたわけで

す。しかし、これからは違います。社会の構造的な悪社会を蝕むガン細胞は、しっか

りと切除しなければ、国民全体が“地獄”を見ることになります。最後は、私たち国民

が立ち上がらなければ、事態は一向に改善されないことも分ったわけです。

 

  今、必要なのは、国民一人一人の、社会や国を良くしようという自覚だと思います。

そして、明確な国家・社会のビジョンを設定することだと思います。

 

≪それから、政治の改革...一部、直接民主制の導入も、≫

  私はかって旧・日本新党が選挙のキャッチフレーズに使った、“政治家総とっかえ”

がいいと思っています。しかし、ともかく今は、新党が立ち上がるのを待っています。

政治家の大量入替えと、政界再編成に期待しています。

 

  それから、例えば...国会議員の65歳定年制の賛否を、“国民投票”にかけてみ

る、というようなことをやってはどうでしょうか。こうした直接民主制のような新しいシス

テムを導入しなければ、この国は一向に活性化してきません。国民主権の国家なの

ですから、国民が望めば、これは必ず実現できるはずです。

  ともかく、このまま閉塞感の中で衰退していくよりは、色々と試行錯誤をしてみるべ

きです。あるいは、国家レベルでは、費用やシステムが大変だというのなら、まず地

方都市などのレベルで試してみてはどうでしょうか...恐れずに、色々とやってみる

ことが、活性化につながると思います。

 

                           My Weekly Journal  編集長 :  津田 真    

    

 

    食糧の大量・恒久備蓄を

 

【不安な時代の始まり...】                        house5.114.2.jpg (1340 バイト)          

 

  いよいよ、21世紀の、不気味な世相が動き出した観があります。アメリカにおける

同時多発テロ、インドネシアのバリ島での無差別テロ、そして世界的な金融不安、さ

らに世界中で対立を深める宗教紛争、そして文明衝突のうねり...

 

  しかし、私はこれに加え、地球規模での長期的な気候変動を危惧しています。気

候変動は、即“地球規模の飢餓”に結びつく大問題です。また、日本は、食糧自給率

40%台にまで落ち込んでいると言われます。これは、通常の国家ではありえない

姿です。まして、先進国家を自認するのであれば、非常事態であり、崖縁にある危機

的状況に突入していると言えます。

  こんな“国家・民族”の危機的状況下にあって、立法府、行政府は、一体何をして

いるのでしょうか。ほとんど、何も有効な手を打っていないのが実状ではないでしょう

か。あったとしても、せいぜい、古米を積み上げておく程度の災害備蓄だと思います。

  食糧自給率が40%台の上に、この程度の備蓄では、国民はたちまち飢餓に陥っ

てしまいます。しかも、それに追い討ちをかけるように、産業の空洞化が進行し、国力

のもの低下してきている昨今です。

  また、もし、何処かの国や地域のバイオハザード等の影響で、主要なシーレーン

が切断されたら、日本の食糧事情はパニックを起こします。そして、1ヵ月後には、実

際に食糧不足が始まるかも知れません。したがって、こうした事態に対処するために

も、どうしても、70%台の食糧自給率は、絶対に確保しておくべきです。

 

  さて...もし、今、世界的な異常気象が2年続いたら、世界の穀物市場はたちま

ち暴騰し、飢餓地帯が急激に拡大します。こうした状況になると、食糧はまさに、戦略

物資となります。そして、日本のような先進工業国でさえ、食料の調達は困難を窮め

ることが予想されます。したがって、日本は今、この現時点から、穀物の大量備蓄

開始すべきだと思います。また、持てる科学技術力をフルに使い、恒久的な備蓄

開始すべきです。

 

   【地下に、巨大な食糧備蓄施設の配備を】  house5.114.2.jpg (1340 バイト)

                   ≪公共事業で、全国に、食糧備蓄施設の建設を

 

  日本とは、どのような国なのかと問われた時、私たちは即答に窮することがありま

す。また、その祖国である日本をどう思っうかと問われた時、その答えはさらに曖昧

なものになります。もはや武士道精神も無く、ただ世界の失笑をかっているばかりで

す...

 

* この、日本は、本当に“祖国・日本”として、愛せる国なのか?

* 貧しくとも、平等で、努力した人は報われる社会なのか?

* インチキや、暴力的な横車は、社会によってしっかりと監視され、そ

  れがキッチリと正される社会なのか?

  こう思って、日本の社会を振り返った時、それが裏切られた苦い経

は、普通の人なら、誰もが経験しているのではないでしょうか。

 

  そこで、私は、日本の“国家戦略”として、また“国の形”として、“数十年規模の食

糧の大量備蓄”をしてはどうかと考えています。穀物を中心に、多様な食糧を多様な

形態で保存していくのがいいと思います。

  ここに、相当な資本技術人員を投入し、全国展開で備蓄施設が建設されれ

ば、公共事業としても、大きな成果が期待できます。また、本格的な国家備蓄が始ま

れば、“祖国・日本の大きな財産”になって行きます。それはまた、社会を安定化さ

せ、危機管理に対しても計画性を持つようになり、未来社会への大きな遺産にもなり

ます。

 

  それから、何よりも、このような社会なら、“祖国・日本”として愛せる国家になるの

ではないでしょうか。日本とはどのような国かと聞かれた時、“食糧を、数十年間分、

恒久備蓄している国家”です、と誇ることが出来ます。また、その日本を愛しているか

と聞かれれば、当然、“私の愛している祖国です”と即答することができます。人々の

社会や時代に対する思いとは、本来、このようなものなのではないでしょうか...

 

  日本は、今こそ、官僚の縦割りの弊害を超え、是非このような大プロジェクトを立ち

上げて欲しいと思います。この困難な今、全てを前向きにスタートさせるために

 

【本当の、飢餓の時代がやってくる...】   

 

  むろん、コトの本質は、当面の景気回復にあるわけではありません。問題は、この

未曾有の人類の大繁栄の背後に、地球規模の飢餓と、人類の大艱難が控えている

と思うからです。今まで、世界史の中で、このような地球規模の危機はありませんで

した。それは、人類文明が、このように地球の風景を変貌させるほどのことがなかっ

たからです。

  また、人間のような大型哺乳動物が、数十億というような個体数にまで膨れ上がっ

たことも、これまではなかったからです。しかし、すでに地球が満杯である以上、この

大繁栄、大繁殖は、やがて大減速に転じる時が必ず来ます。そして、その時、まず

確実にやってくるのは、“飢餓”だということです。

  これは、バッタイナゴの大発生でも、ネズミの大発生でも、あるいは細菌などの

微生物の大発生でも同じです。その大発生したバブルの固体数は、飢餓によって適

正化されていくのです。それが、生態系の、食物連鎖の、偽らざる本来の姿です。

  この我々の存在している生態系の中では、一人勝ちということはありえません。私

たちは、織物のような濃密な関係性の縦糸と横糸で編み上げらた、大きな布模様

ような存在なのです。ダイナミックに波動する無限の食物連鎖の環、それが互いに干

渉しあい、四季が巡り、自然環境が暴走し、さらに生命進化のベクトルが加わりま

す。

  しかし、私たちは、結局この生態系の中でしか生きられないのです。そして、その

ためには、この生態系の中でバランスをとって生きていくしかないのです。そこで、結

局話は元に戻りますが、食物連鎖の環によって調整されていく、ということです。

  ただ特殊な要素は、人類はこの地球の全生態系の中で、初めて文明を持ち得たと

いうことです。それも、巨大な科学技術文明です。ここで、食物連鎖の環が、だいぶ変

形しました。しかし、人類文明もまた、地球の全生態系を潰してしまっては、それこそ

生きる術はないのです。つまり、結局は、その環の中にあるということです。

  ただ1つ、開かれた望みがあるとすれば、生命や生態系は、開放系システムだと

いうことでしょうか。つまり、地球生命圏は、宇宙空間に対しても開かれているというこ

とです。が、これは、私たちの日々の生活や、その日の食量を問題とするような時間

スケールの話ではありません。とりあえず、火星への植物の移植というようなことはあ

るのかも知れませんが...

 

  ともかく、生物体である以上、“飢餓に備えて食糧を確保しておく”ということは、何

にもまして大きな安心であり、大きな財産なのです。この国家備蓄が、無駄になると

いうことは、絶対に無いと思います。が、もし仮に、小惑星衝突のような異常事態が

生起し、大量備蓄が無駄になったとしても、これは保険であり、貯蓄であり、私たち

はこの時代を、まさに、このように生きてきたという証しなのです。

 

                           My Weekly Journal  編集長 :  津田 真      

 

 

                                                                                                                       (2003.03.24)    

   国家大改造 は、 NHK 油圧ジャッキ  

                    

  公共放送・NHK は、日本のミニチュア          

                     NHK健全化は、日本健全化のバロメーター

 

 <1> 『金色夜叉』の“お宮”        

 

  今、日本の国が、未曾有の大混乱に陥っています。政治、経済、金融、教育、文

化、そしてモラルハザード、失業の増大、株価の暴落...この状況は、あらためて

説明するまでもないと思います。

  さて、それでは私たちは、この窮状を誰に訴え、どう切り抜けたらいいのでしょう

か。政治は陳腐化してダメ...官僚機構も縦割り・硬直化・天下りでダメ...マスコ

ミも、“文化の原理”から“経済の原理”にシフトし、多少のお金のために、その本来

の力を失っています...

  共通しているのは、『金色夜叉』(尾崎紅葉の小説)の、“お宮”が、金のために“貫一”

の純情を裏切った構図でしょうか...要するに、政治家も官僚もマスコミも、“お宮”

のように、金とダイヤモンドに目がくらみ、日本国家・日本文化・日本国民の信頼を、

大きく裏切ってしまったということです。最も大切なものが、金のために見えなくなって

しまっていたということです。

  そして、目覚めてみれば、それはシャボン玉のようなバブルであり、ビールのジョッ

キの泡のように、消えてなくなっしまったというわけです...しかも、その弊害は産業

界や社会全体にも及び、壮大なモラルハザードを引き起こしていたわけです...

  さらに、まさにこうした風景の中で、今の青少年達は育って来たわけです。むろ

ん、彼等は、“援助交際”“オヤジ狩り”“ひったくり”“万引き”と、事態をさらに悪化さ

せ、暴走しています...

                               

 

  さて、それで...では、どうしたらいいかということです。私は、ここはやはり、公共

放送であり、国民の浄財で運営されている、NHKに期待すべきだと考えています。

  また、NHKは最近では、見ごたえのある番組も増え、日本文化を支えているとい

う観もあり、国民の期待に必ず答えてくれるものと思っています。むろん、そのために

は、国民の全面的なバックアップに加え、“超えなければならない大きな山”も、ある

かと思います。NHKにも、実に様々な人がいるわけですから...

  それから...言いにくいことですが、NHKにも、問題点は多々あるように思いま

す。しかし、それを言う前に、一言、断っておきます。それは、

 

<私は、人脈もなく、何の組織にも属さず、たった一人で遠くからNHKを眺めている、

                           ごく平均的な1国民だということです...>

 

  さあ、そこで問いたいのですが、この未曾有の大混乱の現状を、公共放送である

NHKは、どう認識しているのでしょうか。つまり、政治・官僚・産業界からの影響を完

全に排除し、直接国民の聴視料で運営されている、この国で唯一の公共放送とし

て、これまで十分にその役割を果たしてきたのかということです。これは、別の言い

方をすれば、NHKは国民を啓蒙し、“社会正義の守護神”として、“民主主義の牙

城”として、本当に有効に機能してきたかどうかということです...

  確かに、これは誰もが認める所だと思いますが、公共放送として、立派な番組も多

くありました。また、その文化的貢献も、大きかったと思います。そして、まさにその面

で、この日本の国を支えて来たのも確かだと思います...

  しかし、国民一人一人の聴視料/浄財で運営されてきた、その中立的で非常に

特殊な任務とは、まさに“社会を正しくし、国難を回避すること”にこそ、あったのでは

ないでしょうか。つまり、私は、この日本の未曾有の大混乱は、NHKにも非常に大き

な責任があったと考えているわけです...

  これは、あの“薬害エイズ事件”のように、その担当する部局が、いざコトに当っ

て、“何もしなかった”という罪です。しかも、あの“薬害エイズ事件”と同様に、結果は

非常に残酷なものであり、国家衰亡という、取り返しのつかない事態を招いているこ

とです...

  むろん、陳腐化して歯車の噛み合わない政治や、一連の狂牛病問題を引き起こし

たような、いわゆる官僚機構的な無責任体質が、最も悪いのは言うまでもありませ

ん。これらは、はっきりと言って、“ガン細胞”であり、外科手術や放射線治療、抗がん

剤や遺伝子治療が必要な部位です。

  こうした巨大な構造的死病に対し、全く別の立場から、厳しく“社会正義を執行”

るのが、NHK創設当初からの主要任務だったはずです。ところが、NHKは、文化面

の方にのみ走り、本来の任務である、“社会秩序の守護神”の仕事は、放り出してし

まっていたようです。その証拠に、日本社会のこれほどまでのモラルハザードの進行

を、真剣に止めようとさえしてこなかったわけです。私は、NHK内部のことは何も知り

ませんが、諸々の状況から、むしろそうした流れを助長してきたのではないかとさえ

思っています...

 

  一方、この国の展望などについても、1週間に一度の“日曜討論”や、たまに特集

される“NHKスペシャル”だけでは、とうてい全ての問題に対処できないことは、分り

きっていたはずです。少なくとも、毎日数時間の娯楽番組を潰しででも、こうした国家

存立の大問題を討議してくるべきだったと思っています...

  政治の問題、教育の問題、農業と食糧の問題、有事と危機管理の問題、憲法の

問題...数え上げたら切りがないほど難問が山積しています...それを国民全体

で語り合える場を、NHKはもっと積極的に提供してくるべきだったのではないでしょ

うか...

  その一方で、NHKテレビの政治ニュース、スポーツ報道、娯楽番組等は、次第に

民放テレビに似てきている観があります。しかし、国民にとっては、民放のようなチャ

ンネルが1つ増えても、何の益もないわけです。

  この、国家大混乱の折、私たちは聴視料を払ってまで、そんな娯楽番組を見たい

とは思わないわけです。わざわざ聴視料を払って、私たちがNHKに期待しているの

は、どのような圧力にも動じない“社会秩序の守護神”、“民主主義の牙城”として

の、“国民のためのマスメディア”です。その本来の任務をすっぽかして置いて、民放

なみに娯楽番組やスポーツ番組を充実されても、それはまさに本末転倒の所業では

ないでしょうか...

 

  もちろん、これは私の個人的意見です。しかし、こうしたNHK設立の本来の任務と

逆行するような流れに対しては、私と同意見の人も多いと思います。したがって、こう

した反対・賛成を議論する前に、NHK運営委員会は、しっかりと国民に説明してほし

いと言うことです。

  また、こうした基本的とも言える方針の軌道変換は、NHK運営委員会だけで行う

のではなく、もっと国民の意見も聞くべきだと言うことです。そうでないと、NHK自体

が、聴視料だけを要求し、何処かとんでもない所へ流れて行くように思えます...

 <2>公共放送・NHKは、日本のミニチュア       

 

  さて、そこで、NHKというものを、あらためて眺めてみます。すると、この組織は、

まるで日本全体のミニチュア”のように思えてきます...

  NHKは、日本の政治・行政・経済から完全に独立しているわけですし、独自の聴

視料は国の税金に相当します。したがって、NHKだけで、国家のような1つの独立し

た開放系システムを形成しているわけです。むろん、日本という国家も、開放系シス

テムであり、外国に対して開かれているわけで、非常によく似ています。

  さらに検討してみると、日本の国と同じように、資金は聴視料で潤沢...それから

官僚的非効率の支配...?...そして、日本の国と同じように、どこかが陳腐で、

全体がズレていて、非常に高い能力を持ちながら、自浄能力がない...?...

 

 (まあ...遠くから、たった一人でブラウン管を見ているだけでは、これ以上のことは分りません)

 

                                     

 

  さて、そこで、私はいいことを思いつきました...

 

  それは、公共放送であるNHKの透明化・健全化を、日本社会全体の透明化・健

全化のバロメーターに使えるということです“日本のミニチュア”であるNHKが、真に

透明化・健全化していけば、NHK本来の任務が発動し、日本の社会全体もまた、透

明で健全な、21世紀型の新しい民主主義社会へ移行して行くということです...

 

  しかし、こう言うと、全体を計るバロメーターというよりも、動力を伝達するエンジン

のような感じもします...が、ここに、“国民”という1億人余の主権者を流し込むと、

非常にうまく連動してきます。論理回路も双方向でスムーズに接合し、日本という国

家全体の健全化が、“公共放送・NHKの健全化”というバロメーターに、敏感に連動

してくるわけです。

  まあ...これを、コンピューターのソフトウエアーに例えれば、まだまだバグ(プログラ

ムの誤り)があるかも知れません。しかし、これを戦略的風景を検証するツール(道具)とし

て利用するのであれば、十分に使えます。また、戦略を見るには、あまり細部にこだ

わり過ぎると、全体を見誤ることがあります。したがって、この程度が、実際に使える

社会的ツールなのではないでしょうか...

  また、この仕掛けを、中学生・高校生向けに説明するなら、“連通管”のアナロジー

(類似、類推)がいいかも知れません。電気ポッドなどは、中の水の量を測るのに、外側に

見えるようにゲージがついていますが、そのゲージの部分がNHKと言うわけです。非

常に良く見えて、全体も分かると言うわけです。

  そして、この“連通管”に油を満たして密閉すれば、パスカルの法則で“油圧ジャッ

キ”になります。したがって、NHKという細い管に圧力を加えれば、その力は数十倍

にもなって、日本全体を動かせます...この“NHK・油圧ジャッキ”は、社会工学の

ツールとしては、非常に有効なものだと思います...

 

                         house5.114.2.jpg (1340 バイト)             

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  さて、この“バロメーター”を凝視していて...NHKの“情報公開”が一向に進ま

ず、“社会正義の守護神”、“民主主義の牙城”としても活性化して行かないようであ

れば...日本の国全体もまた、モラルハザードからの脱出は、一向に進んでいない

ということになります...

*******************************************************************

 

  この場合、聴視者は“唯一の権利”である、“聴視料の支払い拒否”に動かなけれ

ばなりません。これは、国家レベルにおける、“選挙権”や裁判官の“信任投票”と同

質の、“日本のミニチュア”における、“聴視料の権利”です。

  そして、NHKが、日本の“社会ツール”として、まともに機能しないのであれば、

たち国民は、だらだらと聴視料だけを払いつづける必要はないわけです。この時は、

“キッチリと拒否”することも必要です。

  これまでの長年の経緯、国家がモラルハザードに陥った推移を考えれば、ハード

ルはそれ程高くする必要はありません。公共放送・NHKに苦言を呈したいことがあ

り、それを一向に聞き入れてもらえないのなら、聴視者にも“反発する権利”があると

言うことです。それは非常に小さな権利ですが、集まれば選挙権と同様に、“非常に

大きな力”になります。これは、NHKに対する“信任投票”と同じ意味を持つわけです。

 

  NHKは、聴視料の支払いの徹底を、ことあるごとに喧伝していますが、その前に、

自らの“社会秩序の守護神”としての仕事を徹底するべきです。その本来の仕事をお

ざなりにしておいて、聴視料だけを義務づけるようなやり方は、国民を愚弄するに等し

いのではないでしょうか。

  かつては、テレビ技術全体はヨチヨチ歩きのヒヨコでも、その放映されるものには、

よほど心がこもっていました。当時は放映する側も、非常に国民を大切に扱っていた

からです。また、折り目正しく、礼を尽くしていたからではないでしょうか...

 

  ところで、日本の“国家予算”と公共事業の関係のように、“NHK予算”にも、どこ

空虚な一面が感じられます。むろん、テレビのデジタル化等でインフラの整備が必

な事情も分ります。しかし、それならば、NHK運営委員会等を全面公開し、広く国

民の意見を求めるべきではないでしょうか。それこそ、聴視者が求めるものであり、納

得のいくものであれば、喜んで聴視料も支払います...

 

  これは、一言で言えば、いったい誰のためのNHKなのか、ということです...

 

 <3>バロメーターの監視と解析        

 

  まず、NHKは、人事、予算、運営委員の選出、その骨格を分りやすく“情報公

開”すべきです。それが、国家大改造の第一歩になります...

 

  それから、現在問題となっている、政治ニュース“切り口”構成は、適正なもの

か。その報道内容ブレはないか。違和感のある政治家が登場したり、特定の政治

だけが、頻繁にニュースに取り上げられる傾向はないか...

 

  さらに、省庁関係や、産業界のニュースは、NHKとして公平公正なものか。各組織

や団体の、モラルハザードへの対応を適切に評価しているか。

  さらに、NHKの社会正義の執行は、公共放送として、適正に実施されているか。

また、NHK自身の情報公開と透明性は、着実に進んでいるか...等々...

 

                      wpe7.jpg (10890 バイト)                

 

  私たちは、バロメーターの動向を、しっかりと凝視して行かなければなりません。ま

た、NHK運営委員会の放映は必須です。それに加え、インターネット等での完全公

開も、バロメーターのゲージに反映させる必要があります。

 

  くり返しますが...“NHKの健全化”は、“日本社会全体の健全化”の、バロメータ

ーとして使えます。当面、私たち国民は、NHKの透明化・健全化に的を絞り、この強

力な“ツール(道具)を使って、国民世論を盛り上げ、社会正義を執行し、この“モラル

ハザード時代”を、克服していかなければなりません。

 

  この未曾有の国家大混乱を収拾し、21世紀の日本社会を建設するには、NHK

の活性化・正常化が、カギになります。巨大な国家全体を、一気に立て直すのは容

易ではありません。しかし、NHKを立て直すのなら、比較的容易だと思います。そし

て、このツボをおさえれば、日本という国家全体の健康が、急速に回復して行くもの

と思います...

 

  さて...この方法が、国家再建の最も近道なのではないでしょうか...もし逆に、

NHKが一向にその本来の任務に目覚めず、健全化して行かないのであれば、日本

の21世紀社会は、まさに絶望的だということになります...

 

 <4>NHKの組織と運営を、透明なガラス張りに 

 

  最近、“テレビ放送開始50年”ということで、NHKは、様々な催しを行っています。

しかし、私のように、ひとり遠くからそれを眺めていると...何故でしょうか、国民と

は乖離(かいり)しているようで、かすかな違和感を覚えます。放送文化賞、放送事業

賞、そしてNHKに出演したり、番組制作に携わった人たちの表彰の連続...

  それから、農業賞といって、NHK会長が賞を授与しているのも、違和感がありま

した。NHKが主催しているということですが、NHKが主催しているものだけを、優先

的にニュースで流すのでしょうか...

  これは、一体、どういうことなのか...私たち国民は、一体何のために聴視料を納

め、NHKの放送を支えているのか分らなくなります。NHKは、聴視料を支払ってい

る、国民のためのものではなかったのでしょうか。聴視料だけを取り、そこには排他

的な内輪のサークルでもあるのでしょうか。

  また、これは前にも書きましたが、何故、真冬の1月から、連日野球のニュースで

あり、松井選手なのか...これも、国民に納得のいくように、キッチリと説明すべきで

す。私も松井選手は好きですが、それは民放テレビで十分だと思っています...

  公共放送であるNHKには、もっと他に重大な任務があるのではないでしょうか。結

局、その分、これまであった重要な何かを削ったわけであり、その説明もなされてい

ません。もちろん、私としても、賛成も反対も、NHK運営委員会の説明を聞いてから

ということになりますが...

  国や社会が、うまく行っているのであれば、私もあえてこんなことは言わなかった

と思います。しかし、現状は、その規模と深さにおいて、日本の歴史始まって以来の

大混乱だと言います。こんな折に、“社会秩序の守護神”であるNHKは、本来の任務を

投げ出しておいて、何故、真冬の1月から、連日野球のニュースだったのでしょうか。

ともかく、NHK運営委員会は、国民に納得のいく説明をするべきです...

 

  また、こうしたことと関連しますが、私はNHKの運営は、“全て透明なガラス張り”

にするべきだと思っています。むろん、NHK運営委員会によって、国民の意見も入

れられているのでしょうが、上記のような基本的な説明不足も痛感しているわけです。

つい先日も、平成15年度のNHK予算が国会を通過しましたが、内容はほとんど伝

わってきませんでした...

  また、放送法によって国民から直接、聴視料/浄財を徴収し、政治や行政や産業

界から、完全に独立しているわけですが、このあたりも現状はどのようになっている

のか、しっかりと説明してほしいと思います。人事や予算に、政治や行政は本当に影

響していないのでしょうか。また、非常に大きな事業や研究開発を展開しているわけ

ですが、産業界とはどのようにして一線を画しているのでしょうか...

  それから、収益を上げているNHK事業とは、どのような会計になっていて、それ

はどのように使われているのか、聴視料を払っている国民に、納得のいくように、キ

ッチリと説明するべきです。これは、野球の話よりも大切な、公共放送の基本的な義

務なのではないでしょうか...

 

 <5>NHKの機能を使い、国民的な大討論の開始を! 

                                    

  現在の日本は、司法・立法・行政が求心力を失っています。また、マスコミも、文化

の形骸化・空洞化に拍車をかけています。こうした中で、国民が最後に頼れるのは、

国民自身が直接浄財で支えてきたNHKなのではないでしょうか。そしてまた、NHKに

は、公共放送としての義務と責任があるはずです。

 

  さて、そこで...国家再生の大戦略は、NHKを中核として利用し、他のテレ

ビ局や新聞、雑誌、インターネット等も総動員し、この国はじまって以来の、国民

世論を盛大にもり上げていくことにあります...

  また、その国民的な盛り上がりによって、政治・行政・社会慣習を動かし、モラ

ルハザードを克服し、理想の“21世紀社会”に、大改造していくということにあり

ます...

 

  それには...先ほども述べたように、まず、NHKの1日数時間の娯楽番組を、“国

民的な大討論の場”に再編成していくことが必要です。むろん、いずれは、他のチャン

ネルや民放テレビ、新聞等も活用し、こうした建設的な討論の場をどんどん増やして

いくべきです。現在の、この国の大混乱を静めていくのは、こうした“真剣な大討論の

場”しかないのではないでしょうか...

  そしてまた、コトは、すぐに実行しなければならない段階にあります。一刻の猶予

も、ない状況に来ています。しかし、それでも、NHKの動きが鈍いのであれば、聴視

料の流れていくバルブを閉め、10%、20%をカットしてみるのも一考です。

  それで、NHKも国民も目覚め、本格的な議論が沸き起こり、この国が救われるの

なら、安い労力なのではないでしょうか...

                            My Weekly Journal  編集長: 津田 真