No.12 (1999.5.4)
<平成維新の標準目標 No.5>
日本に残った最後の身分格差、
“官”と“民”の差別解消を
プロローグ
この平成の大不況・大失業のもとで、“官”と“民”の労働環境の格差が、益々開
いてきました。本来、この大混乱の原因は、“官”の側の失政や、硬直化した体質に
ありました。しかし、その彼等自身に危機意識が薄いといわれます。何故かと考え
てみれば、官公庁では、努力をしなくても一定の身分は保証され、給与も極めて安
定しているからでしょうか。
一方、“民”の方は、自分自身に何の落ち度もないのに、“官”の失政や金融不祥
事のあおりをまともにくらっています。そして今まさに、未曾有の大不況、大失業時
代、就職氷河時代と、暗い嵐が吹きまくっています。現在の日本のモヤモヤした不
満や不信の一端は、まさにこうした不条理な社会構造そのものに原因があるのでは
ないでしょうか。
この同じ国、同じ市町村で働きながら、何故これほど労働環境に格差があるので
しょうか。これほど“官”と“民”とが違うとは、一体どういうことなのでしょうか。ここま
で来ると、もはや意識の面でも、“身分が違う”ということが明白になってきます。
今、日本が進めている平成維新の大改革において、この官・民の“身分”の格差解
消も、ぜひ早期に実現すべき課題と考えます。おそらく、この官・民の“身分の平等
化”で、社会が平坦になり、今後の行政機構の大改造も、きわめてスムーズに進む
ものと思われます。
そのためには、まず官公庁の中に、民間の知能と技術を導入するパイプを太くす
ることだと思います。こうして民間活力を持ちこみ、風通しを良くし、行政機構全体で
数段の能力アップをはかる必要があります。このぐらいしなければ、21世紀に予想
されるハイレベルの複合的な危機に対処できないのではないでしょうか。むろん、不
要な人材は評価を下げ、民間並の解雇も考えるべきです。こんなことを言うと、すぐ
に弱者のことが引き合いに出されそうですが、ともかく官も民も、原則はフラットだと
いうことです。弱者のことは、大局ではなく、別に対処を考えれば良いことです。
(1) 官僚の危機意識の欠如
石原・新東京都知事が、就任後の記者会見でこんなことを言っていました。(テレビ)
“都庁の役人と初めて会合を持ったが、彼等はどうにも危機感というものが希薄だ。
都の財政状態が、まさに危機なんだという事を、肌で感じ取っていないようだ...”
なるほど...
やっぱり...
という感じがします。なんと言っても、この大不景気・大失業時代にあっても、公務
員は全くその影響を受けていないのですから。しかもその元凶は、大蔵省の護送船
団方式の金融政策の失敗であり、前内閣の失政にあったのです。そして今、何より
も求められているのは、行政にかかわる規制の撤廃、及び緩和です。
しかし、その肝腎の彼等に、危機意識が希薄なのです。まさに、全国各所で環境
破壊問題が起こり、放漫行政によって自治体の財政がパンクしているのに、誰にも
責任がないというわけです。大蔵官僚にしても、大不祥事を起こしても、政策的な大
失敗を何十年と続けても、ほとんど罪にも問われなければ、責任も問われないので
す。いや、それどころか、
“よく仕事をした”
ということで、この大不況・大失業時代の中で、タップリとボーナスが出ているので
す。しかもそれは、我々の税金というわけです。こんな矛盾した、皮肉なシステムが
温存されていいものでしょうか。国民はもっと怒るべきであり、もっと継続的に責任を
追及すべきです。
“無気力の心理学”によれば、何もやらなくてもある程度の生活が保証されれは、
人は無気力になっていくといいます。今、日本の“官”の社会をおそっているのは、こ
の無気力なのではないでしょうか。また、つい最近まで、東西の軍事ブロックで覇権
を争っていた共産圏が瓦解していったのも、まさにこの官僚社会の無気力だったの
です。
したがって、すでに閉塞状況に陥っている日本の官僚社会にも、早急に民間活力
を導入しなければなりません。放置すれば、やがて日本もあの国々のように、急速
に社会体制そのものが崩壊していくことになります。
さて、一方、“官”の失政のあおりをくらった民間の方を、もう一度眺めてみます。
こっちの方は、同じ無気力と言っても、やり場のない無力感が漂っています。そして
事態は、修羅場と化しつつあります。貸し渋り、リストラ、倒産...そして、いよいよ
大企業でも、本格的な整理再編が始まろうとしています。
役人も当然こうした事態を横目で見ているわけですが、全般的に危機感が薄いと
はどうしたわけでしょうか...まさに、彼等の意識は、官僚的無気力に占領されてし
まっているのでしょうか...
繰り返しになりますが、構造的とはいえ、ここまで加害者と被害者といった様相が
出て来ると、公務員と民間のサラリーマンとは、明確に“身分”が違うと言わざるを得
ません。しかも、官公庁の公費の乱用や情報の非公開の体質は、まさに支配者の
“身分”を感じさせるものです。
しかし、この国の主権者である国民は、そんな支配階級を雇った覚えは全くない
のです。いやしくも、国民が直接何らかの仕事を依頼したのは、あくまでも選挙で選
出した代議員と首長のみなのです。つまり、“官”と“民”という身分格差が生まれる
ような人達を雇った覚えは、全くないということです。
(
ちなみに、青島・前東京都知事の退職金は、4300万円余りとか...都民の感覚
からして、一体どのような計算をすれば、こんな膨大な退職金が計上されるのでしょ
うか。在職は4年間ですから、1年間で1000万円以上という計算になります。しか
も、その他にボーナスも出ているわけです。そして、やった仕事の評価は、都市博の
中止だけとは...一体こんな調子で、都職員にも給与やボーナスを支払っているの
でしょうか。まさに、有り余る財政で、金庫が札束で溢れんばかりの自治体のように
見えるのですが...)
それから、危機意識の欠如ということでは、薬害エイズ問題が典型的でした。ま
た、ヨーロッパと比べて10年から15年も遅れたといわれる、ダイオキシン対策問題
もあります。これとても、10年以上も承知の上で放置していた、厚生省の責任はどう
なったのでしょうか。この間、厚生省は国民のことは考えず、産業界の利益だけを考
えていたのでしょうか。
さらに、あの阪神淡路大震災時の危機管理の無策ぶりも、記憶に新しいところで
す。燃え盛る火の海の脇を、避難する車の渋滞が延々と続いているのには、ハラハ
ラさせられました。また、何故、ヘリによる消火をしないのかと、ヤキモキもしました。
他にも、原子力関連事業の事故や、それに絡んだスキャンダルの数々も、明らか
に危機意識の欠如が招いたものでした。
これらのいずれの場合でも、責任の所在を明確にし、責任と権限が表裏一体とな
る行政スタイルの確立が急務です。国民は、こうした行政の危機意識の欠如や空洞
化を、機敏に肌で感じ取っています。そしてそこから、行政に対する不信感が醸成さ
れています。
今、官僚機構が成すべきことは、自らの保身ではなく、全てを開示し、国民と一体
となり、国民の信頼を回復することではないでしょうか。そしてそれには、民間との格
差や距離、身勝手な身分意識の違いを捨てることから始めるべきです。
(2) 身分制度廃止の歴史・・・
遠い昔...この国の官僚とは、貴族や公家だったのでしょうか。それから徳川幕
藩体制の時代になり、役人は士・農・工・商という明確な身分制度のうちの士、つま
り武士階級の独占となりました。この武士階級は、いわゆる軍事力でもあり、文化は
文武両道として栄えました。このあたりに、近代日本人の精神的なルーツとアイデン
ティティーがあったのでしょうか...
そして、ご存知のように明治維新となり、武士階級そのものが崩壊します。また、
身分制度もなくなり、全てが平民となります。が、それ以後も、日本の社会に残った
いわゆる“部落民”を、新平民として統合します。この時、同じ平民として統合してこ
そ意味があるものを、なぜか新平民として統合するという不手際がありました。そし
てこれが、つい最近までしばしば耳にしていた、部落解放運動として残ったわけで
す。
さて、ではこれでこの国は、全ての身分差別がなくなったのでしょうか。私は最初
に述べたように、どうも現代社会に至っても、“官”と“民”という2つの身分制度・身
分格差が残ってしまったように思っています。
“官”の“民”に対する不信感は、根深いものがあります。郵便を民間に任せて大
丈夫かとか、学校給食を民間に任せて子供は大丈夫かとか...その他、あらゆる
検査や許認可でも、そうした感情はあるようです。一方、“民”の方も、権力者として
君臨した“官”に対しては、歴史的な反感と不信感を持っています。これが、もはや
本能のようになり、体質の中に深く染み込んでいる人々もいます。
私は、平成維新の大改革の中で、日本の社会に残った身分制度の最後の残
滓...この、“官”と“民”の格差も、きれいに解消されて行くべきだと考えています。
そしてこれを越えた時、日本の民主主義は新しいステージへの第1歩を踏み出すの
ではないでしょうか。
むろん、行政機関や公務員の仕事を、全て民間と同じにしろと言っているのでは
ありません。それぞれ、仕事の性質が本質的に異なるものもあり、民間へ移行でき
ないものも多く残ります。しかし、特殊な仕事を除いては、“官”と“民”との垣根を低く
設定し、人事交流を活発にし、労働環境としても民間とフラットにして行くべきだとい
うことです。本来、現憲法下では、身分の格差は、何の根拠も無いものなのですか
ら...
(3)
諸悪の根源
かって、“諸悪の根源”という言葉がはやりました。あれはたしか、権力機構と癒着
した総合商社のことだったでしょうか。しかし、平成の大改革を必要としている現在、
日本の社会を停滞させている諸悪の根源は、公務員の終身雇用制を中心とした、
その“身分”にあると考えます。この安楽で活力を減退させる身分制度が、現在の日
本社会における改革勢力と、ことごとく対立しているのではないでしょうか。
官公庁では、“学歴社会”、“年功序列”、“終身雇用”と、まさに今改革を要求され
ているほとんど全てが、金看板のように残っています。まずは、この真正面にある公
務員制度の金看板を下ろさないことには、この国の真の行政改革は始まらない様に
思います。すでに一般社会では、これらの古い雇用形態は崩れつつあると聞きま
す。むろん、良い面と悪い面は表裏一体のようにあるわけです。しかし、すでに時代
の大勢は、よりダイナミックな方向へ決しています。また、官僚社会の無気力を打破
するためにも、こうした硬直的な雇用形態は、早急な是正が必要です。
もっとも、こんな“身分”のことを言えば、既得権を持つ関係者は、激怒するかもし
れません。しかし、繰り返しますが、この程度のことは、市場原理で動く民間では当
たり前のことです。都職員の削減でも、青島・前都知事の言葉を借りれば、
“生首を切るようなもので、とても出来ない”
( 都知事退任後、テレビで、 )
といいます。そして削減を実現するには、定年で退職した人の補充をしないことだ
とも言っていました。むろん、これは本音の発言であり、ひとつの妥当な行政テクニ
ックなのだと思います。
しかし、まさにここに、“官”と“民”の身分の違いというものが、如実に表現されて
います。つまり、民間では、それこそ100万人もの生首が切られている現実がある
にもかかわらず、都の職員ではそれがかわいそうだから出来ないと、平然とテレビ
で発言しているわけです。この一事を見ても、青島・前都知事には、やはり庶民の声
はあまり届かず、
“都職員の言っていることは、実によく分かる”
という状況だったのでしょうか。また、そんなことを言っても少しも違和感を感じな
いほど、“官”と“民”との間には、“身分の違い”が歴然としていたということでしょう
か。
(4) 高度化する社会と行政機構
それにしても、社会がきわめて多様化・高度化しています。今のままの公務員の
採用・教育・意識程度では、この国の運営に支障をきたす部分が益々増大してきま
す。
高度化する産業の分野で...
最先端科学技術の分野で...
宇宙開発の分野で...
環境や厚生医療の分野で.....
多様化する複合的な危機コントロールの分野で.....etc.
たとえば、あのエイズにおける危機管理対策ひとつをとってみても、まさにあの有
様でした。しかもその後も、エボラ出血熱をはじめ、この種の危機の社会的なポテン
シャルが、日増しに増大しているのです。したがって、この種の国家的危機のコント
ロールも、それこそ次元の違うレベルで再構築していく必要があるように思いま
す。21世紀は人口増大や文明の加速化で、まさにSF映画のような危機が、多元的
に現実化する世紀なのですから.....
さて、私は“官”と“民”の本質的な違いは、高度なモラルと高い国家意識にあると
考えてきました。ところが、大蔵省の構造的な不祥事が象徴的に示すように、国民
は官僚のモラルの低さに嘆いています。また、国家的な危機意識の低さにも、国民
は怒りを爆発させています。少なくても、その職務や任務の本質において批判を受
けるようであれば、公務員たる者はその職を辞すのが本筋ではないでしょうか。その
公僕たる精神性の高さのみが、その職責の大半を占めているのですから...
しかし、辞任もせず、行状も改めないとなれば、行政機構が動脈硬化を起こし、国
家そのものが崩壊してしまいます。ここはどうあっても、官僚社会の中に民間活力を
導入しなければなりません。また、21世紀社会の建設という意味からも、“官”と
“民”の身分格差を解消し、国家を再生していかなければなりません。
この“官”と“民”の身分格差は、歴史的な流れからしても、この平成維新の中で
解消していくべき課題と考えます。
執筆: 津田 真
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今、日本の官公庁は、学歴、年功序列、終身雇用制が主流にあり、民間との人
事交流はきわめて細いのが実態です。また、“お役所仕事”と批判されるように、高
給の割に仕事は楽というのは本当だと思います。さらに、自治体によって多少の格
差はありますが、雨が降れば“雨天手当”、窓口を担当すれば“窓口手当”、冬にな
れば“寒冷手当”というように、民間では考えられないような、
バカらしい
手厚い手当てがあることが知られています。しかし、これらはみんな私達の税金か
ら支払われているのです。何故、こんなことになっているのでしょうか。
いつか、テレビの対談で誰かが言っていました。“役人たちは、自分たちで勝手に
法律や文書を作り、こうなっている。だから、しょうがないじゃないかと言う”と...ま
あ、こうは言っても、役人だけで法律を作れるわけではありません。議会で法案が通
らなければならないからです。では、市民の代表である議会のチェック機能が働いて
いるかというと、必ずしもそうでないところに問題があるわけです。第一議会がしっか
りしていれば、納税者が呆れるような“雨天手当”、“窓口手当”、“寒冷手当”などと
いう法案が通るはずがありません。一般市民はみんな、そんな手当など無しに働い
ているのですから。 ......(自治体によっては、一部是正されているものもあるようです)
また、地方自治体が様々な事業を展開し、そのほとんどが赤字になっている実態
があります。しかも、単なる赤字というよりは、自治体が倒産するか、パンクしてしま
うほどの赤字です。いったいこんなことをしてしまった責任を、誰が取ったのでしょう
か。むろん、実際には誰も責任を取っていません。指導実行した首長や議員、そし
て役人は、実質的な責任を負うこともなく、たっぷりと給料とボーナスを貰っていま
す。ここは少なくとも、担当者の給料の大幅カット、ボーナス無しは当然だと思いま
す。また、行政的な処分としては、降格や懲戒解雇まであってしかるべきです。こん
なことは、民間では当たり前のことですから。しかし、自治体ではそれが全く成され
ていない所に、民間との“身分”の違いを感じさせます。つまり、“殿”は、何をやって
もお構いなしという事でしょうか.....
さて、官公庁の給与等に関しては、人事院が担当しています。しかし、これとて
も、民間の側から見れば納得の出来るものではありません。赤字の自治体では、当
然ボーナスのカットぐらいはあってしかるべきです。そもそもボーナスは、民間で利
益の上がった会社が行うべきものであり、非営利の公務員が率先してボーナスをも
らうというのには、違和感を感じます。まして、不祥事を起こした大蔵省や防衛庁の
担当者にボーナスが出るというのは、本来の趣旨に反しますし、国民感情を逆なで
するものです。何故そこまでして、不祥事を起こした彼等に、ボーナスを支払う必要
があるのでしょうか。
もっとも、汚職で議員辞職勧告の出ている国会議員にも、ボーナスが支給される
お国柄です。何故、こんなことが今も放置されているのでしょうか。こうしたことが、ま
さにこの国を、モラルハザードという社会的な大混乱に陥れているのではないでしょ
うか...
いずれにしても、これらは全て“官”の側であって、
民間では考えられないことです...
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