My Weekly Journal 第1編集室OPINION1998

 

   wpe5A.jpg (45859 バイト)       OPINION     1998年        h6w1.jpg (1193 バイト)

      wpe73.jpg (32240 バイト)     wpe7.jpg (33769 バイト)                    

  トップページHot SpotMenu最新のアップロード                      編集長 :   津田  真

wpe5A.jpg (45859 バイト)   INDEX                                  

No.1  ポケモン事件とコマーシャル映像についてについて思うこと 1998. 1.12
No.2  人口問題と食糧危機 1998. 1.29
No.3  イラクの国連査察問題VS 日本の中学生の所持品検査問題 1998. 2.16
No.4  国際・救助船構想 1998. 2.25
No.5   誰が国際社会の正義を守るのか 1998. 3. 5
No.6  混迷する日本 ・ 我々はどうすればいいのか 1998. 5.10
No.7  まず、この国の無駄をなくすことから                 <平成維新標準的目標・No.1> 1998. 8.10
No.8  こままま待っていれば、景気は回復するのか 1998. 8.16
No.9  対処的医療から未来型の予防・健康管理システムへ<平成維新標準的目標・No.2> 1998.10.21

  

  

                                                                              No.1         (1998.1.12)

  ポケモン事件と       

    コマーシャル映像についてについて思うこと

                                       

  子供向けマンガのポケモンを見ていて、大勢の子供たちがショック状態になったの

には驚きました。そしてまた、映像から来る刺激が、ついにここまで来たのかとも思

いました。事件については、専門家の方々がこれから解明されていくと思いますの

で、ここではあえて触れないことにします。

 さて、私が日ごろ気になっているのは、民法テレビで常時流されている、強烈なコ

マーシャル映像です。最近はどのコマーシャルもそうですが、映像のトーンが強す

ぎ、静かで落ち着きのある番組を殺してしまっているように思います。また、トーンの

強いコマーシャル映像を連続して流されますと、不快感とストレスを感じます。また、

中には、非常に苦痛なコマーシャル映像もあります。一体、何故こんなにストレスの

パンチを浴びながら、テレビを見ていなければならないのでしょうか。

 ポケモン事件という象徴的な現象も起こりましたことですし、もうそろそろ強烈すぎ

るコマーシャル映像というものも再考する時ではないでしょうか。また、今のコマー

シャル文化というものも、本末転倒のような気がします。第一に、コマーシャルが多

すぎ、また強烈すぎ、番組の内容が千切れてしまっています。伝統ある、奥の深い

日本文化が、軽薄で、騒々しく、落ち着きのない騒動に押しつぶされているように見

えます。こう感じているのは、私だけでしょうか.....

 

 

                           

                                                No.2       (1998.1.29)

      人口問題と食糧危機                 

        

  最近新聞を見ていると、過疎に悩む農村の話をしばしば目にします。また、将来

の年金給付の話でも、人口の減少傾向が構造的な問題を提起し始めているようで

す。いえ、こればかりではありません。小学校の閉鎖から大学生の減少と、その影

響は次第に深刻になりつつあるようです。

 10日ほど前のことですが、第5子がうまれたら、100万円を出すというような自治

体の記事もありました。事態はよほど深刻なようです。また、各省庁などの話のニュ

アンスも、なんとか減少に歯止めをかけたいという方向にあるようです。これも、国力

の維持、社会の安定ということを考えれば、その意向も分からないではありません。

 しかし、これはよく言うところの、右肩上がりの思考ではないでしょうか。もはや、

日本の社会全体が、安定期に入っているということを考えるべきです。つまり、今ま

での延長線上で将来を考えるのは、間違いだということです。日本は今まさに、明治

維新のように、あるいは戦後の昭和維新のように、日本の社会を根本から再構成す

べき時代に入っていると思います。国力は、この方向にこそ結集すべきです。人口

増加による安定志向は、当面の安心感はありますが、根本的な解決にはなりませ

ん。

 むろん、各論の全てに反対するわけではありません。それぞれの深刻な事情が

ありますし、色々な意見があっていいと思います。しかし、全体として日本の人口

は、まだ相当なダイエットが必要だと思います。しかし、現在に至ってもまだ開発が

続き、静かだった山野が宅地やゴルフ場やレジャー施設で溢れ返っています。もう

そろそろ、野生は野生の領分として返してやるべき時期ではないでしょうか。

 さて、人口問題では、もう一つ全く別の視点が必要です。それは、地球全体の視

野で考えるということです。この場合、人口は少しでも減少していくことが望まれま

す。ましてや、中国、インド、東南アジア、アフリカの人口爆発を考えると、それらが

地球の生態系へ与える負担はきわめて深刻です。いや、深刻というよりは、危機的

というべきだと、私は考えています。

 これはつまり、21世紀には相当な規模で、局所的な飢餓が頻発するだろうという

ことです。そして、やがてその影響は、気象変動により、全世界にに波及していくだ

ろうということです。実は、こうした飢餓による種の衰退ということは、大自然の中で

は日常的に多発している現象なのです。大規模なものでは、イナゴの大発生や、ネ

ズミの大発生があります。しかし、それらの大発生が、何年も続いたという話は聞き

ません。では、その大発生の後に何が起こっているのでしょうか。そこではまさに、

大規模な飢餓が起こっているのです。そして、その飢餓によって、適正な量に大自

然が調整しているわけです。

  その飢餓が、近々人類にもやって来るはずだと私は考えています。大型哺乳動

物の人類は、その数量、その総トン数において未曾有の数字になっています。いか

に文明の力とはいえ、今や生態系という器の方が壊れ始めているのです。人類の

重さで、地球生命圏そのものが危なくなってきているのです。

 私は、21世紀に、人類は巨大な飢餓に襲われると予想しています。つまり、あま

りにも増えすぎたホモサピエンスを、大自然の冷徹なシステムが削り落としていくだ

ろうということです。これこそが、様々に予想される危機の中で、ほぼ確実にやってく

る最大級のものだと考えています。そのために今、私たちの成すべき事は何なので

しょうか.....

 

 いずれにせよ、人口を極力抑制し、社会を安定させ、生態系を保護し、その上で

食糧の増産体制を整えておくべきです。科学の力で、生態系の復元につとめ、あの

かっての豊かな海洋を取り戻すことです。

 そのためには、国連に力を結集し、国連が地球社会を統治していくというのも、一

つの方向です。まず、強力な国連軍を創設し、各地の紛争を終結させ、世界中の地

雷を除去し、来るべき飢餓の救済に当たるということです。かっては、日本の国内で

も群雄が割拠し、国中いたるところで戦争をしていました。しかし、天下が統一され、

一つの行政組織になれば、紛争というものは、それなりに治まっていくものです。

 

 私は、国連の強化と、国連指導によるによる

                      地球社会の統治に期待しています。

 

 また、話をもどしますが、日本における人口の抑制も、こうした地球生命圏という

視点で考えていくべきです。地球は既に深く病み、人類文明を半減させるほどのダイ

エットを求めています。そして、おそらくそれは、万難を排して実行されると思いま

す。何故なら、そうしなければ、この生命圏が沈没してしまうからです。しかし、それ

がどのように実行されるかは分かりません。が、大量虐殺のシステムは、絶えずそ

の機会をねらい、試行錯誤を積み重ねています。インフルエンザやエイズのシステ

ムもまだ生きていますし、増え過ぎた人類には、今後益々巧妙な落とし穴が無数に

仕掛けられてくると思います。

  しかし、そうした無数の可能性の中で、ほぼ確実にやってくると分かっているのが

飢餓だということです。そして、その飢餓にインフルエンザやエイズ等の大量虐殺シ

ステムが重なれば、その相乗効果は計り知れないものがあります。まさに、絶滅の

危機すらあります。恐竜やマンモスは、すでにこのようにして地表から絶滅していっ

たのです。他にも、この地球生命圏から絶滅していった種は数限りなくあります。そ

の原因が、かりに飢餓でなくても、大量絶滅はこの生態系の中で、いともあっさりと

起り得るということです。

 では、私たちに希望はないのでしょうか。私はそうは思いません。この世紀末から

21世紀前半を乗り切れば、人類文明は太陽系空間に展開し、かなり大きな安定期

に入ると思っています。そのためには、この世紀末の混乱を乗り越え、飢餓を乗り越

え、民族対立や宗教対立を乗り越えていかなければなりません。

 そのために、私たちは人類の英知を結集し、来るべき大艱難に備えておかなけれ

ばなりません。世紀末の現在、残された時間は、もうあまり無いように思えるのです

が.............

 

 

 

                                                                  No.3           (1998.2.16)

 

   イラクの国連査察問題 VS 

          日本の中学生の所持品検査問題

                     

  イラクの国連査察問題が緊迫の度を深めています。核兵器や生物兵器(細菌兵

器/将来的には遺伝子兵器の可能性まである)、毒ガス兵器(サリン等の神経ガス

/マスタード・ガス等)が秘密裏に蓄積されているとしたら、国際社会にとって大きな

脅威となります。イラクは、持っていなければ公開すればいいのだし、また持ってい

るからこそ隠すということでしょう。従って、追求する方は、益々不信を深めていくこと

になります。

 イラクにも、言い分はあると思います。つまり、先頭に立って追求しているアメリカ

も、フル・メニューで一式を持っているではないかということでしょう。が、しかし、アメ

リカは、それらを廃絶しようと努力しています。また、実質的に、アメリカのそれらの

大量虐殺兵器は使えなくなっています。あの、最大時50万人の兵力を投入したベト

ナム戦争でさえ、アメリカは一発の核兵器も使用しなかったのです。これは国際世

論を受け入れたものであり、アメリカのそれらの兵器は、国際世論の管理下にある

といっていいと思います。

 しかし、一方、仮にイラクにそれらの大量虐殺兵器があるとしたら、また国連の査

察を拒絶して隠し続けるとしたら、それは大きな脅威になります。なぜなら、それは

国際世論の管理下にはないからです。また、最近のイラン・イラク戦争で、また自国

のクルド族に対して、実際に毒ガス兵器が使用された過去があるからです。つまり、

フセイン大統領指導下のイラクには、何の歯止めも無いということです。ここでアメリ

カが弱腰になり、この事実に目をつむることになれば、第2第3のイラクが出てくるこ

とは明白です。そうなれば、世界中が、再び武装強化に動くことにもなります。

 

 私は中東情勢に明るい方ではないですが、この地域のことを一言コメントしておき

ます。まず、この地域にはさまざまな矛盾が渦巻いています。2000年前の正義、

現在の正義、幾つもの神の正義。そして、その確執は、旧約聖書にある風景であ

り、2000年以上も前まで遡り、到底私などの理解を超えた領域で展開しています。

 また、まさにこのイラクの国連査察の問題にしても、イスラエルの核兵器は黙認

し、周辺の他の国々がそれを持つと危険というのにも、無理があります。しかし、そ

れでもなお、私たちはここでサジを投げてしまうわけにはいきません。何とか、国連

の名のもとに、この地域を平和戦略の中に組み込んでいかなければならないので

す。まず、少しづつ武装を凍結解除していき、そこで人々が平和に暮らしていくこと

が大切です。そして、やがてその平和な暮らしが安定していけば、問題は時の流れ

が解決していくと思います。

 

 ところで、日本では、このイラクの国連査察問題を、アメリカの国際的なパワー・ゲ

ームとして眺めているような風潮があります。マスコミのニュアンスも、それを助長し

ているように思われます。一方、国家の上層部は、平和憲法下ということで、何も言

わず何もせず、ただ黙って見ているのが得策であり、美徳であるとでも思っているの

でしょうか。もしそうだとしたら、これらこそ、現在の日本をダメにしている、腐った精

神の元凶ではないでしょうか。しかも、このどうにもならない日本の現状を考えると、

これがどうも本当ではないかと思えてきます。

 いったい、こんなことでいいのでしょうか。武装したアメリカの若者が、命懸けで国

際社会に貢献しようとしている時、それを対岸の火事として、笑って見ていていいの

でしょうか。これが、この国の方針であり、この国の民族性なのでしょうか。私たち

は、まず、少なくとも、イラクの国連査察問題で、何が正しいのかを真剣に考えるべ

きです。そして次に、何をすべきかを真剣に考えるべきです。そして、できれば、それ

に向かって行動を起こすべきです。

 

 確かにこうした国際問題では、様々な利害対立があり、国家間のパワー・ゲーム

という側面もあります。しかし、それを考えてもなお、国際社会における正義というも

のはあります。私たちは、その正義というものを守っていかなければなりません。益

々人口の過密化する地球上では、たがいを尊重し合い、ルールを守るということが

何よりも大切です。

 

 戦争は悲惨であり、無意味なものであり、その辛さはイラク国民が一番よく知って

います。あるいは、それはボスニアの人々であり、古くは日本の国民もそうでした。

従って私は、アメリカの武力行使は、慎重の上にも慎重であるべきだと考えていま

す。しかし、それでも、より大きな悲劇を封じ込めるために、辛い決断をしなければな

らない時もあるのです。さて、あなたは、何が正しく、どうすべきだとお考えでしょう

か.....

                       

                                 *************

      

 それにしても、今日本では、中学生のポケット検査でもめています。彼等のポケッ

トには、いったい何が入っているのでしょうか。タバコ、麻薬、覚醒剤、バタフライ・ナ

イフ.....何と恐ろしいことでしょうか。しかも、彼等はイラクのフセイン大統領のよ

うに、査察を拒否しているそうです。教育委員会も、文部大臣も、どうも発言がはっき

りしません。そういえば、大蔵大臣も...

 

( もちろん、ほとんどの中学生は、真面目に勉学やスポーツに励んでいることと思い

 ます。念のため...)

                  

                       

 

                                                                          No.4           (1998.2.25)

    

    国際・救助船構想        

                                           


 
日本は“顔の無い国”と言われ、既に久しい時が流れています。これは政治の無

策であり、国家意思の欠如と言うことです。そこで、私は国際・救助船という構想を

提案をしたいと思います。かって、阪神大震災の折かなにかに、テレビで一言耳にし

ました。ほう、それはいいと思ったのですが、以来二度と聞くことがありません。そこ

で、私なりに、その構想を再度展開してみようと思います。

 

 アメリカは、世界に空母機動部隊を展開し、世界の警察官を自任しています。しか

し、世界第2位の経済大国日本は、保安官助手になることができないでいます。何

故か...いわく、平和憲法があるからであり、憲法第9条があるからです。しかし、

そのために、国際社会の平和戦略に貢献できないと言うのであれば、まさに本末転

倒です。本来立派な精神のものが、これでは悪役に回ってしまいます。ま、いずれに

しても、ここでは憲法論議は避けることにしましょう。

 さて、アメリカが世界の海に空母機動部隊を展開しているのなら、日本は国際・救

助船を展開してはどうでしょうか。例えば、阪神大震災のような災害時に、3万トン級

の救助船が入港してきたら、心強いかぎりです。船には、病院施設を完備し、援助

用の食料や衣類を常備し、さらに数機の輸送ヘリとレスキュー隊がいれば万全で

す。あの阪神大震災の時、こうした船が2隻3隻と海から接近し、物資を補給し、傷

ついた人々をどんどん船の簡易ホテルに収容できたら、どんなに良かったでしょう

か。

  こうした大小の船が、世界に数隻から10隻も展開していれば、各地の地震等の

大災害時には相当に役立つはずです。あるいは、疫病や飢餓、各種の難民に対し

ても、大きな拠り所となります。単純な比較はできませんが、最新式のヘリコプター

搭載護衛艦を1隻作るのであれは、この程度の中古船は何隻も集められるはずで

す。むろん、運用となれば、また別の費用がかかります。しかし、戦闘機を乗せた空

母機動部隊を展開しているよりは、遥かに安上がりで、かつまた仕事量も多いはず

です。そして、これが軌道に乗れば、まさに国際社会に向けた日本の顔になるので

はないでしょうか。

 こうした救助船の規模や運用については、スタートしてから学んでいけばいいこと

だと思います。また、運用を、自衛隊にするか民間にするか、あるいは国連の指揮

下に置くかといったような問題も出てくると思います。が、いずれにせよ、まず2隻ぐ

らいでスタートしてみてはどうでしょうか。この世紀末から21世紀にかけて、ぜひとも

必要な船舶群と考えます。

 

 

                                                                 No.5            (1998.3.5)


 
  誰が国際社会の正義を守るのか      

                      

  当面のイラク危機は去りました。アメリカも、国連のアナン事務総長の外交成果に

救われた感があるのは否めません。しかし、再びフセイン大統領が同じような態度

に出た場合、国際社会は一体どうしたらいいのでしょうか。結局、アメリカやイギリス

と同じような行動に出るのでしょうか...

 今回は<国連の勝利>、<フセイン大統領のポイント>、<アメリカは非難の嵐>

となってしまいましたが、果たしてこれでいいのでしょうか。こんなことで、国際社会

の正義は、誰が主張するのでしょうか。法やルールを守らない者に対して、誰が制

裁を発動するのでしょうか。もし、それを誰もやらないとしたら、世界はいっきに無法

地帯と化してしまいます。現在、日本の大蔵省を中心とした金融システムの破綻

が、まさにこの状態です。世界がこんな状態になっては困りますし、西部劇の無法

者の町のようになっても困ります。確かに、アメリカの一極支配は批判の多いところ

ですが、世界が無法者の闊歩する場所となっても困るわけです。

 

( 私は、一般的にアメリカの言っていることが正しいのなら、また、それがより優れた

システムなら、日本は素直にそれを受け入れるべきだと考えます。そして、それが国

際スタンダードだというのなら、それもいいと思います。それ以上の良いシステムが

出てきたら、それに置き換えればいいだけのことです。いずれにしても、地球が狭く

なり、国境というラインが色褪せてきた現在、国際スタンダードという概念は否応なく

押し寄せてきます。)

 

 さて、今回、爆撃が回避されたことは、国連の大きな成果であることは間違いあり

ません。そこで、今回のアメリカやイギリスの役割ですが、これは国連軍に課すのが

筋ではないかと考えます。むろん、臨時編成の国連軍ではなく、常設軍としての国

連軍です。こうした意味からも、強力な国連正規軍の創設を望みます。最初から、国

連と国連軍主導のもとで行われていれば、今回のような騒動は起らなかったのでは

ないかと考えます。むろん、国連軍がペルシャ湾に集結という事態も、当然ありうる

わけですが...

 

 強力な国連正規軍ができれば、各国のもつ国防軍などは、しだいに無用の長物

になっていきます。また、紛争地域における各国の軍隊も、逐次国連軍に組み込ん

でいけば、軍事衝突というような紛争はしだいに下火になっていくはずです。いずれ

にしても、地球はどんどん狭くなってきています。もはや、戦争などをしている余裕は

どこにも無いのです。人類文明の無制限の拡大で、この地球生命圏全体が、未曾

有の危機に直面しているのが現実です。

 

               

 

                                                                        No.6            (1998.5.10)

 

    混迷する日本 /   我々はどうすればいいのか          

                         

  現在の日本の政治システム、行政システム、社会システム、教育システム等の混

乱ぶりは、あらためてここで書く必要はないと思います。また、如何に対処すべき

か、処方箋の方もすでに出尽くしているのではないでしょうか。が、しかし、では私た

ちは今現在、どうしたら良いのでしょうか。それがさっぱり分かりません。そして、政

治も年がら年中そのことを議論していて、それがかえって混乱の元凶となっていま

す。

 一体私たち個人は、この国を大改造するために、どの方向へ第一歩を踏み出した

ら良いのでしょうか。明治維新に匹敵する平成維新を展開するためには、まず何か

ら始めたら良いのでしょうか。そこで、とりあえず、3つの視点を用意してみました。こ

れを叩き台として、何とか道筋が見えてこないものでしょうか .....

 

     (1) 国民の意識改革

     (2)  情報公開と強力な社会正義の執行

     (3) システムの改革

 

  まずは、私たち自身が変わらなければならないということです。それから、情報公

開を推進し、私たち市民・国民が、社会正義を強力に執行していくこと以外にないよ

うに思います。また、3つ目には、古くなったシステムを変えていかなければなりませ

ん。これには、現在の民主主義のあり方や、社会の慣習までも変えていくことが必

要になります。また、法治国家であるからには、全てに厳正に法を適用していく必要

があります。一部の人々が、特権のように法を破り、社会全体がそれを見逃している

というようなことがあってはならないと思います。

 

  さて、では、具体的に私たちは、どうしたらいいのでしょうか。そこで私なりに、この

国のシステムを狂わせている“最大公約数”、“共通項”は何かと考えてみました。す

ると、やはり、ありました。なかなか面白い共通項が出てきました。それは、こうで

す...

 

  (1) 間違ったことを、堂々と主張している人々がいる。

  (2) その人々に同調する人々がいる。

     (3) それらを黙認している社会状況がある。

              <国民の認識の甘さ /慣習 /法治国家としての力不足>

  

    さて、ここに実際に当てはめてみると、どうでしょうか。まず、筆頭的存在の大蔵省

と金融業界の構造的な腐敗...天下り、接待、それを担当する業界のモフ担、こん

なことはいまさら大問題にされなくても、本来周知の事実だったのです。しかし、そ

れを、<国民の認識の甘さ /慣習 /法治国家としての力不足>が黙認してきてい

たのです。しかし、それにしても、国家行政の中枢、官庁の中の官庁、金融業界全

体が、これほど腐敗しきっていたとは驚きました。また、その全体風景から垣間見え

る、趣味の悪さにもあきれました。

 

 次に政治及び政治家ですが...たとえば、政治腐敗防止法(仮称...誰が命名

したか知りませんが、実に立派で有意義な名称です。これには脱帽しています。何

故なら、政治が腐敗しきっていることを、誰よりも何よりも、本人達が認めているから

です。)に反対している自民党議員の倫理感覚には、あきれるばかりです。自分個

人に都合の悪いことは、それが正しいことであろうと、何がなんでも反対ということで

す。それはまさに、土井さん(元衆議院議長)の言う、“斡旋収賄を合法化しようとし

ている”という言葉が正鵠を射ています。

 いずれにしても、そんな事をしていることが、まさに政治の腐敗なのであり、その

防止が必要なのであり、そのための政治腐敗防止法なのです。自分たちが何の法

律を議論しているのか、その辺りをぜひ分かってほしいと思います。

 

 イギリスでできた、あの厳しい政治腐敗防止法が、何故この国ではできないので

しょうか。この後に及んで、何故そんな甘いことが言っていられるのでしょうか。一

体、誰のことを規制し、誰を取り締まろうとしているか、そのことが分かっているので

しょうか。まず何よりも、本人たちが、自分たちのことでそんな低レベルの議論をして

いることを恥じるべきです。

 

    それにしても、もはや末期症状といっても過言ではないと思うのですが、彼等自身

はいたって意気軒昂です。来る参議員選挙も大勝利の予想を立てています。これ

は、一体何故なのでしょうか。何故こんなことになってしまっているのでしょうか。国

が滅びて自民党が残るとは ...それと、意味不明な連立政権 ...野党のだらし

なさ ...

 

 いずれにしても、こんな珍妙な状況に断を下すのも、やはり国民自身の、自覚と、

義務と、責任ということでしょうか ...

 

  こんなチグハグナ状況になってしまったのは、選挙という国民の審判を遠ざけてき

たためではないでしょうか。もっと早くに、総選挙を行い、国民の審判を仰ぐべきだっ

たのです。また、選挙公約の違反、リーダーシップの欠如、政権の交代という課題

等も、同じ失敗を繰り返さないために、もっとオープンに議論すべきです。

 

  さて、こうした間違ったことを堂々と主張できる人々、人前で堂々と悪いことの出

来る人々は、何も官僚や政治家に限ったことではありません。社会の様々なところ

にいる実力者達は、往々にしてそういう傾向があります。また、その周囲には、それ

に同調する人々がいて、さらにそれらを黙認している社会状況があります。私は、こ

の国がシステム・ダウンに陥っている元凶は、まさにここにあると考えています。

 

 それから、もう一つ、“社会正義の執行”の問題があります。これは、システムの

問題でもありますが、とりあえず私たちは、法が厳密に執行されていくことを監視し

ていく必要があります。ここを曖昧にしていくと、問題は何も解決しません。また、厳

密な処罰が執行されないと、問題は際限なく繰り返されていくことになります。さら

に、一つの問題を故意に見逃すと、社会は際限なく混乱し、やがてはシステム・ダウ

ンに陥ることになります。現在の社会状況は、まさにその集大成といったところで

しょうか。社会のあらゆる分野で起っているシステム・ダウンが、いまや国家全体に

暗い影を落とし始めています。

 

 そこで、私たちは、何を為すべきなのか。何が出来るかということです。とりあえず

私達は、個人に出来るささやかなことから始めていくしかありません。まず、悪いこと

は悪いとはっきりと言うことです。それが恐くて言えないならば、少なくとも支持する

側には回らないことです。また、それが政治家ならば、選挙の時にはっきりと断を下

すことです。選挙になると政治家は、甘い顔で握手を求めてきます。こちらもついそ

の気になって許してしまいますが、その集大成が現在の政治状況になっているので

す。個人にとって、いかに頼みがいのある優しい先生でも、他の場所で悪いことをし

ているのではしょうがありまむせん。つまり、ここの分別は、緊急に、はっきりとつけ

なくてはならないということです。私たちが、新しい政治状況を望むのならば、一度は

この癒着と、キッパリと決別しなければならないのです。

 

  ここでの結論は、以下のようにしたいと思います。

   

   < 誰であろうと、悪いことは、認めない、許さない >

   <   社会正義の執行、法治国家の確立  >

 

 むろん、こんなことは当たり前のことなのですが、あえてこんなことを指摘しなけれ

ばならないところに、この国の混乱した状況があります。たとえば、住専問題の処理

に、6800億円も投入しました。しかし、あの阪神大震災の救済には冷たかったし、

むろん一般企業や個人の倒産には何の保証もありません。したがって、地上げを

やった彼等だけが、国家政策として優遇されたのです。住専問題は緊急避難的で

仕方なかったと言いますが、火だるまになって沈没するまで放置しておいて、一体ど

こが緊急だったと言うのでしょうか。まさに、社会正義に逆行するようなことが、堂々

と行われていたわけです。おそらく、政策不況と言われている現在の日本の状況

も、こうした所に心理的要因があったのではないでしょうか。結論に、

 

   <社会正義の執行、法治国家の確立>

 

と書きたしたのは、こうした問題も、しっかりと監視していく必要を感じたからです。

 

                              ****************************

 <個人的問題>                

 

 さて、私にも、未解決の個人的な問題があります。人権問題に関するもので、一度“日弁連”にも

相談したことがありました。日弁連からは2度手紙がきましたが、「具体的な内容を示せ」というもの

でした。まあ、これはもっともだと思います。しかし、私の方も、その実体がつかめず、雲を掴むよう

な状況だったので相談したわけです。ま、「うーむ」といったところでしょうか。

 

(当時、産経新聞を購読していたので、そちらの方にも同じ文面で相談したのですが、返答はありま

せんでした。)

 

  まあ、裁判には莫大なお金がかかると聞いていましたし、私にそんなお金のあるはずもなく、いず

れにしても無理だったのかも知れません。が、しかし、このまま放置するつもりもありません。上記の

ような善悪という観点からも、また私の人生を完結しなければならないという観点からも、放置はでき

ません。しかも、放置しておくということは、だらだらといつまでも繰り返されるということでもありま

す。これは、私個人に対しての人権侵害だけでなく、必ず他の多くの人々にも拡大して行くということ

です。

 

( もう10年近くも前のことになるでしょうか ...私はこうした観点から、どうしたら良いものかと、日

弁連と産経新聞に相談したのです。しかし、たいした答えも得られず、結局私にはどうしようもありま

せんでした。)

 

 いずれにせよ、いずれ裁判で区切りを付けるのが、妥当かと考えています。何とも気の進まない問

題なのですが、5年10年のスパンで勉強していけば、何とかなると思います。

 ま、ものは考えようで、その頃には、一体あの当時何があったのかと、私も笑いながら裁判が出

来るかもしれません。日弁連が示せと言ったものが、その頃には私自身にも、おぼろげながらでも

見えてくることを期待しています。あるいは、それはさらに晩年になるかも知れません。そうなったら、

人生を振り返りながら、そうした手記を書くという老後も、悪くはないかもしれません.....

 いずれにしても、時が全てを押し流し、開示してくれるはずです。知らないのは私ただ一人という

状況であったにせよ、この“毒”を飲むのは容易ではなかったということです。私の本能が、この“毒”

を飲むのには、数十年という人生をかけた時間で薄めなければ、きわめて危険だと示唆していたの

だと考えています。人間の体も精神も、きわめてもろく、壊れやすいものだからです .....

 

                        

                                                                        No.7                (1998.8.10

           平成維新の標準的目標...No.1>

 

   まず、この国の無駄をなくすことから              

                                                                 

  日本は今、国家機構の大改革の時を迎えています。しかし、全世界が注視する

中、本格的な改革は遅々として進んでいないようです。現内閣もそれなりに一生懸

命にやっているのは感じられますが、私たち国民から見れば、まだかなりの温度差

があるのではないでしょうか。そのために、かなり思い切ったことをしても、国民も景

気もいまひとつ盛り上がってこないように感じられます。

    さて、それではこの国をどうすればいいのか...すでに、専門家の方々や、評論

家の方々から、一応意見は出揃っているように思います。その上で、一国民として

の私の意見を簡単に述べてみます。

 

 <平成維新の標準的目標...No.1>

 

(1)参議院の廃止、もしくは規模を1/10程度に縮小

 

  参議院不要論は、すでに国民の共通した認識ではないでしょうか。参議院が何故

必要ないか、それはここであえて述べるまでもないと思います。しかし、二院内閣制

を取っているわが国では、廃止するには憲法の改正が必要です。あるいはまた、廃

止ではなく、議員を1/10ぐらいに縮小し、別の役割を与えるというのもいいのかも

知れません。いずれにせよ、我々国民が決めるべき課題です。

 

(2)全国の市町村議会のボランティア化

 

  市町村議会に、フルタイムの議員は必要ないという意見も、かなり以前から耳に

しています。このレベルまでは、昼間は生業につき、議会は夕方からで十分だと私

も思います。また、外国の例では、こうした議員の歳費は、議会のあった日の日当

になっているようです。ちょうど、町内会の役員と、現在の議員の身分の中間ぐらい

でしょうか。

  まず、仕事の内容からしても、このあたりが妥当かと思います。また、この方が、

良い議員構成で、良い仕事をしてくれるのではないでしょうか。また、良識ある、落ち

着いた社会の育成も期待できます。

 

  全国で3300あると言われる全自治体に、それぞれ議員がいるわけであり、その

総数となると相当の人数になります。しかも、すでに破産状態にある自治体もあるよ

うに聞いています。まずそのあたりから、議会や議員、さらに公務員のあり方を、根

本的に変えていく必要があるのではないでしょうか。 

 

(3)情報公開と、社会正義の執行

 

    こんなことは当たり前ではないか、と思うかもしれませんが、これがなかなか実行

されていません。現在、日本の民主主義が行き詰まっているのは、まさにここらあた

りが元凶なのではないでしょうか。

    また、社会正義の執行ということでは、マスコミや警察・検察の役割が極めて重要

です。ここらあたりは、一緒になって浮かれて騒いだり、自らの利益を確保するので

はなく、是非とも大所高所から、中立的に社会を見守ってもらいたいものです。

 

  とりあえず、この三つを取り上げておきます。いずれにせよ、現在のこの国の白け

たムードは、単に景気回復のテコ入れをすれば済むような状況ではないように思い

ます。私たちがすでに薄々感づいているように、かなり大きなモラル・ハザードがやっ

て来ているのではないでしょうか。そうだとしたら、減税や金融政策ばかりに目を向

けていると大変なことになります。

  つい最近の和歌山県の事件でも、食中毒だと思っていたら、猛毒の青酸化合物

だったという例があります。しかも、つぎに青酸化合物と思い込んでいたら、死因は

砒素化合物のアヒサンだったと言います。青酸は気がつかなかった、そして次に、

砒素は気がつかなかった、とこんな調子でいいのでしょうか...

  ともかく、この教訓は、現内閣にはしっかりと生かしてもらいたいものです。もう、後

ろは崖ッ縁なのですから...

 

 

                                                       

                                           No.8        (1998.8.16)

  このまま待っていれば

              景気は回復するのか ?   

 

    いよいよ、小渕政権が発足したわけですが、この夏の空模様と同じで、景気の方

もどうにも青空が見えてきません.....

  私は社会が活性化してこない要因の一つとして、前のOPINIONでモラル・ハザー

ド指摘しました。そして、ここで二つ目として、“物の時代から心の時代へ”という流

れを指摘したいと思います。むろん、これは経済学の問題ではありませんし、社会

学の課題としても、容易なものではありません。 

  < 景気回復には、 >

(1) モラル・ハザードからの脱出

(2) 経済も、物の時代から心の時代へ

 

    日本はもはやバブルの時代を通して、物質欲の時代を通り抜けてしまったのでは

ないでしょうか。物はすでにまわりに有り余っていているし、デパートなどへ行って

も、どうにも欲しいというものがありません。  

    こうなってくると、流通業界の現場だけで消費の低迷を復元するのは、なかなか

難しいのかもしれません。一方、国民がいま真に求めているのは、“物”ではなく、大

きな“心のケアー”、“心の広場”なのではないでしょうか。はからずもオーム事件で

表面化したように、出家志願者があれほどいたのには驚きました。しかも、既存の

宗教界では彼等を受け入れることが出来ず、結局はあのような形になってしまって

いたのです。

    したがって、例えば、数ヶ月間気軽に出家して修行の出来る、公設の修道場など

はどうでしょうか...また、宗教、創作、サークル活動等へサービス産業をシフトして

いくことも必要なのかもしれません。ともかく早急に、こうした方面の研究開発や試

行錯誤を開始する必要があるのではないでしょうか。要するに、これもより進化し

た、安心できる将来の社会の形だと思うのですが...

 

(単に、デパートでの展示の仕方や商品開発だけでは、真に国民のニーズに答えて

いるとは思えません。本当に景気回復に必要なのは、まさに“平成維新”そのもの

なのかもしれません。少なくとも、そのスタートを切ることが、国民の意識に変化を起

こすのではないでしょうか...)

 

 

   OPINION 流通産業から心の広場へのシフト(1998.8.−−)を計画中だったのですが、

Hot Journal に雛型の このまま待っていれば、景気は回復するのか ???   

が入ってしまいました。内容をもう少し拡大し、再検討するつもりだったのですが...こ

のようなミスは初めてです。しかし、読み返してみたのですが、特に問題はないようで

す。従ってこれを OPINIONのNo.8とします。

 

 

                                          No.9           (1998.10.21) 


              
     <平成維新の標準目標...No.2>

   対処的医療から、未来型の

             予防・健康管理システムへ   

 
                                                            index.1019.1.jpg (2310 バイト)

 しばしば、医療システムと教育システムは、外部からのメスが入りにくいと聞きま

す。が、ここでは細かなシステムの修正ではなく、医療というもの、健康管理というも

のの全体的デザインを考察したいと思います。いわばこれは、政治で言えば、政局

の問題ではなく、政権構想のようなものです。

 この医療における課題は、私達個人にとっては、政治よりもさらに深刻なものがあ

ります。何故ならこれは、私達の命と健康に直接かかわる大問題だからです。

 

(1) 構造的不信感          

 

  私達はしばしば、お金さえあれば何でも手に入ると思うことがあります。しかし、

実際にはそうではありません。少なくとも、お金で健康を買うことはできないのです。

また、高額な医療費をかければ病気を予防でき、健康を維持できるかというと、これ

も少し筋が違うようです。現在の医療システムは、あくまでも病気を発見し、治療し、

それに見合った報酬を得るシステムなのです。少し言い過ぎかもしれませんが、別

ないい方をすれば、“不健康な治療を必要とする患者”が大勢いなければ儲からな

いという側面を持っているです。また、さらに突っ込んで言えば、

 

“過剰医療をしていないか?”

“過剰投薬をしていないか?”

“それらが、逆に健康に害をおよぼしてはいないか?”

“外科手術や歯科手術で、逆に傷つけられたことはないか?”

“結局、本当に直す気があるのか?”

 

  と、いったようなシステム的な疑惑が噴出して来ます。また、これが経済原理で動

いていますから、より多くの利益をあげようというプレッシャーが常に働いているわけ

です。こうした中で、“医は仁術である”を貫けというのも、所詮無理な話です。一方、

医療現場での訴訟が増加しているというのも、こうした現実があるということを、如実

に示しているのではないでしょうか。

 

(誠心誠意医療に取り組んでおられる、非常に多くの方々がおられることは承知しています。しかしここで

は、国民全体にとっての健康管理システムを考察しています。)

 

  では、どうしたらいいのでしょうか。私は医療方面の専門家ではないので、具体的

な妙案は持ち合わせてはいません。しかし、全体的なデザインとしては、表題にもあ

りますように、

 

“対処的医療から、未来型の予防・健康管理システム”

 

  へ、シフトしていくべきだと考えます。まず、予算を予防・健康管理システムの確立

の方に徐々にシフトし、医療関係者も予防医学の方へ重心をシフトしていくべきだと

思います。

  また、いずれ必ず来る死の問題はきわめて複雑で、ここで簡単に述べるわけには

いきません。が、ここもパラダイムを変えていく必要があります。かっては天国や地

獄というような、独創的で豊かな思想がありました。しかし現在は、単なる消滅として

捉えられ、“忌み嫌うもの”というマイナスイメージだけがはびこっています。

 この領域は、本来そんな薄っぺらなものではありません。いわく、死は“人生の完

成であり”、“最高位のもの”であり、ここに“人生の原動力”があることを、もっと知る

べきです。したがって、医療現場でも、ただ延命に延命を重ねるのではなく、死の哲

学というものも教えつつ、静かな死を迎えられるような心のケアが求められます。

 

 いずれにせよ、難しい問題ではありますが、<平成維新の標準目標 No.2>

して、どうしてもこの医療革命はやっておかなければなりません。すでに健康保険財

政はパンクし、一方で国民は医療に対して構造的な不信感を増大させています。そ

の上、モラルハザードがこの国家の根幹を蝕んでいます。こうした中で、私達自身の

命も、俎上の鯉のように扱われているのではないでしょうか。

 

(2) 未来型の予防・健康管理システムへ        

 

  さて、今年の夏のことです...インドネシアで、自然発火的な大火災がありまし

た。原因はエルニーニョとか言ってましたが、どのようなメカニズムだったのでしょう

か...

 ところで、その時のニュースで知ったのですが、あの国では消防自動車を呼ぶと、

お金がかかるのだそうです。つまり、ポンプで水をまくと、一回いくら、あるいは一時

間いくらとお金を取るのでしょうか...ずいぶん奇異な話だな、とニュースを見なが

ら思いました。現地の人は、家や町が延焼しているのに、お金がないから消防自動

車を呼べないんだと話していました。なぜ、日本のように、消防活動を国が管理し、

無料にしないのかと不思議に思いました。

 ところが、実は日本でも同じようなことが、医療現場で起こっていました。病気で死

にそうなんだが、お金がないので病院に行けないんだという...また、病院はインド

ネシアの消防自動車のように、放水した水の量で料金を取ります(本当に水の量か

どうかは知りませんが...)。したがって、水をどんどん無駄につかっていれば、そ

れだけお金が儲かるという仕組みです。まあ、実際には水ではなく、薬であり、医療

施設ということになりますが...

 

 では、未来型の予防・健康管理のシステムとは、どのようなものが想定されるで

しょうか。先ほどの消防活動のアナロジーを、逆に考えてみるのも一考と思います。

 日本の消防署は、一定の区域を所轄し、火災を極力起こさないように日夜監視し

ています。そして、もし火災が起こった時は、ボヤのうちに消し止め、万全の態勢で

延焼を食い止めます。しかも周囲の消防署からも応援に駆けつけ、さらに上部組織

が広域のコントロールをしています。

 これを医療システムに置きかえると、大体こんな風景になるでしょうか。消防署の

ような国営の病院や保健所が各所に配置され、予防・健康管理のキャンペーンが張

られます。また、各種のスポーツ施設や運動施設が建てられ、健康管理を志向しま

す。無論、薬漬け、検査漬けの医療は激減させ、消防署のように費用は無料としま

す。

 こうなれば、タバコや飲酒、肥満や糖尿病などに対しても社会的な認識が高まり、

予防が効果をあげ、大幅な医療費の削減につながります。また国民も、大いに健康

的になると思います。一方、医師の身分なども大変動するわけですが、こうした所

も、大きな社会的合意が必要なところです。

 私は専門外なので詳しいことは分かりませんが、参考になるのは、北欧の高福祉

社会の医療システムなどでしょうか。しかし、いずれにしても、より優れた独創的なシ

ステムが求められます。それには、医療システムだけでなく、平成維新という社会シ

ステム全般の大変革が必要なわけですが...

 

 さて、21世紀の医療システムは、どのようなものが良いでしょうか。私達の未来

は、私達が設計し、私達が作り上げていかなければなりません。大いに議論が盛り

上がることを期待します。