仏道正法眼蔵・草枕 正法眼蔵・談話室有時より

  正法眼蔵談話室   正法眼蔵の世界の考察   


        
有 時
 (う じ) よ り

                  

  トップページHot SpotMenu最新のアップロード                 執筆 : 高杉 光一  / 里中 響子

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                                                          (1998. 3.28)       

         “正法眼蔵・草枕”/有事より       wpeA.jpg (42909 バイト)  

 

先日、“正法眼蔵・草枕”有時(うじ)の項が終わりました。それで、引続き“正法眼蔵・

草枕”を、No.2として取り上げました。再び、わたくし <里中 響子> がお話をうか

がいます...」

                                                                                  

                               

「塾長、よろしくお願いします」

「うむ、こちらこそ」                     

「それでは ...

  ええ、有時の項の最後で、塾長はこう書かれていました。“あらためて僕自身の未

熟さを痛感しています”と...まず、このあたりのことを、伺っておきたいのですが、」

「そうだね ...まさに、その言葉のとおりだ ...」高杉は、円卓に片手を置いた。

「はい、」

「そもそも道元禅師は...

  座禅修行をする僧侶のために、この正法眼蔵を書いた。それを、在野(出家していな

い俗世間の者)の私が...修行ぬきで読解しようとしている ...つまり、このあたりから、

すでに無理があった...」

「はい ...」

「しかし、だからといって、無意味だと言っているわけではない...

  まず、現代人のほとんどは、出家などできないからねえ。また、一生涯、静かに修

行しようにも、そんな場所などはおよそどこにも存在しない。いかに、仏門にあこが

れていてもだ。

  もっとも、よほどお金があれば別かもしれないが...したがって、このあたりはシス

テムとして、何とかしてもらいたいところだ。これだけの経済力のある国家だから、出

来ないことではないと思う」

「はい...

  オウム事件(/松本サリン事件や、地下鉄サリン事件など)でも、あんなに多くの人たちが、い

ゆるオウム真理教の信者として“出家”をしていました。潜在的に、あのような人た

ちは、大勢いるのでしょうか?」

「うむ。いると思う ...

  そうした衆生は、意外なほど多いと思う。出家したい理由はどうあれ ...まあ、

私もそうした種類の人間かも知れない」

「でも、昔は...時代そのものに、仏教文化の風土があったのではないでしょうか?」

「だから、楽だったはずだというのかね...その中に飛び込むのに...」

「はい、」

「それは違うな ...

  そもそも、仏教は素晴らしいものだが、難しすぎる。悟りを得るとなると、さらに困難

だ。あのインドの大地で、仏教が衰退したのも、それが原因といわれている。つまり、

普通の人々は、そんな修行や勉強に熱中していたら、生活ができないわけだ」

「うーん ...」

「釈迦の入滅は...

  紀元前500年頃(別の説もある)と言われている。それ以後、仏教は絶頂期に入り、あ

の広大なインド全域で隆盛を誇った。さらにシルクロードに広がり、チベット、中国大陸

へと拡大した。また、南方は、セイロン島から東南アジアへ広がった。アンコールワット

ボロブドールは、その時代の信仰の厚さと栄華をしのばせるものだ。

  さて、西遊記(/孫悟空の活躍する物語)のモデルと言われる、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう/中

国人)のチベットを超えだが...彼が、単身でインドに渡った頃...そこでは仏教はす

でに絶頂期を終えていたと言われる。インドでは再びヒンズー教が勢力を増し、仏教

衰退に入っていたという。しかし、玄奘三蔵は、膨大な量の経典を中国に持ち帰

り、それがやがて日本にももたらされたわけだ。

  一方、インド大陸での仏教の衰退を悟り、その活路をシナ大陸(中国大陸)に求めたの

が、ボダイ・ダルマ(菩提達磨/ダルマさん)だ。この我々にも馴染みの深いダルマさんが、

中国大陸におい禅宗の始祖となる。『正法眼蔵』を書かれた道元禅師は、日本の

曹洞宗の開祖が、当然この菩提達磨の流れをくむものだ...」

「はい ...」

道元禅師が学僧として渡った中国は、宋の時代だった。そうした、修行に命のかけ

られた時代がうらやましい。困難な時代ではあったが、一途な時代だった。釈尊の時

代も、そうだったのだと思う。釈尊も、何度も死を覚悟の苦行をしている。そんな

熱は、もはや現代人にはない...」

「何故でしょうか?」

「色々言えるだろうが、やはり、時代ということかな ...

  それぞれの時代には、飽き飽きするような倦怠感があり、ウンザリするような、ゆ

るやかな時の流れがある。しかし、それも別の時代から眺めれば、まさに光り輝い

て見えるものだ。自分の子供の頃の思い出が、そうであるように ...」

「 ...」

「しかし、そうしたすべての時間は、自分から離れて存在しているのではない。全て

は、自らの内にあるということだ...」

「それが...有時(うじ)と...」

「うむ...」高杉は、強くうなづいた。「それから...

  話はとぶが...できることなら是非、“座禅”を進めたいね。私にはその環境がな

かったが、今からでも機会があればやりたいと思っている」

「でも、そんな環境になくても、読解は、可能と言うわけでしょうか?」

「うむ...私はそうしてきた...

  しかし、それが正しいかどうかは分からない。ただ、こうは言える ...この未熟

私が、このような環境下で、『正法眼蔵』講義のまねごとをしている。これも、仏縁

というもだろうねえ。未熟在野の私だからこそ...この私の迷いを、必要としてい

る人々がいるのではないかと ...」

「迷いをですか?」

「うむ...“迷い”と、その先に見えてくる“光”だ。また、この現代科学文明の中を、

共に歩んでいる仲間としても、だ...」

「はい。では塾長 、有時の項の内容のほうに入って行きたいのですが」

「ああ...」高杉は、円卓の上にポンと置いてある、『現代訳・正法眼蔵を取り上

げた。

「では、この有時の項で述べられている中心的なテーマは、どのようなことでしょう

か?」

  里中響子は、かるく唇を結んだ。ゆっくりと、高杉の言葉を待った。

「うーむ ...やはり、この冒頭部分かな。下の、文語体がいい。

 

  古仏いわく、

“ 有時は高高たる峰頂に立ち、有時は深深たる海底に行く...”

いわゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり...

 

 ここに、有時がどのようなものかを、的確に語っている。それから、次のページにこ

うある。上文を口語体で訳した部分だ。

 

  古仏いわく... 

  “自己が発心すれば、一切世界も同時に発心し、自己と同じ心を持

が始まるのである”

  “一切世界のすべてが自己のうちにあり、それを自己が体験するの

である。「自己が時である」 とは、このようなことである。”

                   

 内容は、書いてある通りだ。時というものがどのようなものであるか、一切世界とは

どのようなものであるか、後は自分で考えてみることだ」

「では、本文を、何度もくり返し読むということでよろしいでしょうか?」

「うむ。それが一番だ。結局は、自分でその意を汲み取るしかない。私自身も、まだ

未熟さを痛感している。いいかね、ときには時間をかけ、放置しておき、総合的な熟

成を待つということも大事なことだ」

「うーん...醸造のようですね」

「まあ、そうかもしれん。ともかく、あらゆる手段を尽くしてだ、」

「はい。では、そういうことで...ええ、これで、まとめにしたいと思います」

 

           

 

「ありがとうございました、塾長」

「うむ、」

「今回は、少し変でしたでしょうか?」

「うーむ...話が少しそれたが、君のせいではない。それに、ここは談話室だ。形式

にこだわる必要はない。内容については、すでに有時の項で講義を終えているわけ

だからね」

「はい。それでは、どうもありがとうございました。

 

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