仏道正法眼蔵・草枕 正法眼蔵・談話室山水経より

  正法眼蔵談話室   正法眼蔵の世界の考察   

             山 水 経 よ り

       

  トップページHot SpotMenu最新のアップロード                 執筆 : 高杉 光一  / 里中 響子

                 

                                                                   (1998. 3. 9)       

        “正法眼蔵・草枕”/山水経より   wpeA.jpg (42909 バイト)

 

「里中響子です...

  これが私の初仕事になります。色々と力不足のところもありますので、今回は塾長に

助けていただくことにしました。内容も、塾長が最も多くデータを書き込んでおられる、

“正法眼蔵・草枕”を取り上げました」

 

                                                     

 

「さて、塾長、いまさらこんな質問というのもなんですが、“正法眼蔵”とは、どのような

意味なのでしょうか。またそれは、どのような書なのでしょうか?」

「うむ...“正法眼蔵”という言葉は、“無門関”の第六則に出てくる...意味は、師

匠から弟子に伝えられる、“不伝の伝”...現代風の言葉で言えば、“体験的に伝承

されてきた真理”とでもいったらいいかな。ま、いずれにしても、この書の内容全体

が、それを示している。それから、この書だが、これは本来95巻からなっていて、

平寺に秘蔵されていたようだ」

  高杉光一は、やや緊張している里中響子を眺めながら、ゆっくりと脚を組んだ。

「秘蔵されていたのですか...」

「うむ。ともかく、この書の巻頭文によれば、その95巻は、宗門の至宝として、歴代

相承として、高閣に秘蔵されてきたものとある。文化十三年、永平寺において開版さ

れるまでは、宗門の学匠といえども、容易に拝覧することが許されなかったという。

  ま、開版されていなければ、私などの目に触れることも無かったわけだ...また、

その現代訳が無ければ、それもまた縁の無いものだった。これは、仏縁の浅からぬ

ことを、肝に銘じておくべきだろう。このことは、君にも分かってほしい」

「はい...」里中響子は、パラリとバインダーのページをめくった。

「では、塾長...すでに講義した、“山水経”あたりのことを、少しお聞きたいのです

が、」

「うむ...

  しかし、断っておくが、私にこの書を講義する資格はない。私の得たものは、全て

まったくの独学だからだ。したがって、一俗世間の者として、あくまでも、一緒に考え

てみようということだ」

「はい。分かっております...

  では、ええ...この“山水経”の、いわんとしていることは何でしょうか?単純な

質問で申し訳ありませんが、」

「単純だが、鋭い質問だな.....うむ.....」

  高杉は、円卓の上にある“現代訳・正法眼蔵”に手を伸ばした。そして、“山水経”

ページを開き、パラリ、パラリ、とめくって読んだ。

「おそらく...この巻頭の一文だな...

 

 今ここに見られる山水は、諸仏の方々の悟った境地を現わされている。山は

山になりきっており、水は水になりきっていて、そのほかのなにものでもない。

 それはあらゆる時を超えた山水であるから、今ここに実現している。あらゆる

時を越えた自己であるから、自己であることを解脱している。

 

 ...ここに、全てが要約されているように思える。“山水”とは、この目の前に眼前

している世界と思えばいい。この世界の風景は、諸仏が悟りを開いた境地そのもの

だという...さらに、それはどのようなものかといえば...

  山は山になりきり、水は水になりきっているということだ。また、花は花になりきり、

空は空になりきっている...

  高杉は、里中響子を眺め、笑みを浮かべた。

「いいかね...山は山であり、水は水だということを、当たり前だと思ってはいけな

い...たとえば、山にも色々な山がある。芸術家の見る山、幼い子供の見る山、山

の中で遭難した登山者の見る山、すべてが違う...

  そして、もう一つ...仏道を学んだ禅者の見る山というものがある。山が山を見

て、山を学ぶ...水が水を見て、水を学ぶ...空が空を見て、空を学ぶ...世界

が世界を見て、世界を学んでいる...真に学ぶとは、そういうことだ...

「それは、どういうことでしょうか?」里中は、ぼんやりと小首をかしげた。

「それは...

  自分が...山になってみることだ。自分が...水になってみることだ。自分が、

水になり...水になりきり...水の心を見つめてみることだ...

  ...そこに、はたして何が見えてくるか...」

「そんな事が、できるのでしょうか?」

「そう書いてある...」

「でも...」

「やってみることだな...ともかく、科学的な客観性というものは、捨てなければなら

ない」

  高杉は、本を閉じ、円卓の上にもどした。

「いいかね...

  この世界は...思慮を捨て、思慮を超えたところに、真実の姿が見えてくる...

禅者の悟った境地で見つめる山水と...煩悩に狂った心で見つめる山水は...

同じであって、実は同じものではない...

  ...分かるかね?」

「いえ...」

「ここに...そうだな...

  秋風に揺れる...赤くたわわに実ったリンゴの木があるとしよう。それを、“禅者”

と“煩悩の徒”が見ていたとしよう...

  さて...そのそれぞれの心は...どのようなものかな。禅者の眼には、その悟っ

たリンゴの木、背後の悟った山々、その上の悟った青空、さらにその向こうに悟った

世界が延々と広がっている。

  まさにそこから、“悟った心の時空”が始まっているのだ...したがって、それは

同じリンゴの木であって、“煩悩の徒”の見る同じリンゴの木ではない...」

「...」

「...で、“煩悩の徒”は...」

「1つ、質問してよろしいでしょうか?」

「うむ、」

“悟った心の時空”とは...どのようなものなのでしょうか?」

「それは、色々な人々が書き残している...

  しかし、文章や詩だけで、理解できるようなものではない。それを得るために、人

出家し、修行し、あるいは黙想する...そうした意識レベルの分析というものもあ

るが、それはまた別のページですることにしよう...」

「はい...それでは、今回はこれまでということで、よろしいでしょうか?」

「うむ。ともかく...

  自分が水になり、水になりきり...水の心を見つめてみることだ。そこに、思慮を

超えた世界がほのかに見えてくる。あるいは、自分が風になり...空になり...同

じように、その心を見つめてみることだ。いずれにせよ、一朝一夕には無理なこと

だろう...また、分別によって、理解できるものでもない...」

「では、どうしたらよろしいのでしょうか?」

「うーむ...

  道元禅師のお言葉を借りれば...発心し、修行に励むことだ...

  ...私も、俗世間にありながら、“草枕”で励んでいる...」

「はい...では、今の塾長の言葉を、まとめの言葉とさせていただきます。ありがと

うございました」

                    

 

「どうでしたか、塾長?」

「うむ。よかったよ。とくに、問題もない」

「はい!」里中響子は、嬉しそうにポンと跳ねた。

「つぎは、何をいくのかね?」

「はい。これから考えてみます。何とか、軌道に乗せられそうな予感がします」

「うむ。よろしく頼むよ」

「はい!」