このような体験が、生を生としてあらしめ、死を死としてあらしめるのである。このよう
        な体験が実現するとき、それは大きいともいえず小さいともいえず、無限であるともい
        えず有限であるともいえず、長いともいえず短いともいえず、遠くにあるともいえず近く
        にあるともいえない。
          
        われわれの今の命は、このような体験によってあらしめられるのであり、同時にわ
		  れわれの命がこのような体験をあらしめてゆくのである。
        
          <要約>
          普遍者としての体験は、無我の体験である。そこでは、すべての個的要素が問題でなくなる。しか
			し、同時にそれは、生きるという個的な体験によってしか実現されないのである。
        
         
 
        
		(1)・・・・・ 局所性の否定   
  
 
 
        「上記の言葉の意味は、何べんも読めば、言葉上は理解できると思います。しかし、その真
		  に意図するところは、何処にあるのでしょうか...
         
 
                 世界が我の体験をあらしめ・・・我の体験が世界をあらしめてゆく・・・
 
               認識・・・認知・・・そして、この世のストーリイの発現の光景・・・
 
             絶対一人称/リアリティーの・・・意識/この世の流れとは・・・
         
          リアリティーとは、まさに今...“眼前に展開している・・・ナマの迫真の世界”です。
		  目の前に展開している...“ナマの人間的・風景”のことです。それは、“物の領域”
		  と“心の領域”の統合された、“この世の姿”です。
		    それは...“特別なもの”ではありません。ぐるりと、東西南北、上下左右を見渡して
		  みても...何処にも“空間的な切れ目”などは見当たりません。つまり、それは“唯心”
		  の世界であり、“1人称の・・・ただ1つの・・・不可分な・・・名もなき巨大な全体”なので
		  す。
		    “1人称の・・・私だけが目撃する・・・この世のこの世の迫真・風景”なのです。“最初
		  から終焉まで・・・私だけが見渡す・・・1人称の迫真・世界”なのです。それゆえに、“私
		  という1人称”を、大切にして欲しいと思います。それは、“何物にも代えがたい・・・他人
		  に干渉されることのない・・・無上の絶対世界”なのです...」
         
        「科学における...
		    もっとも深遠な発見と言われる“ベルの定理”は、数学的に“局所性を否定”していま
		  す。それは、量子力学に決定的な影響を及ぼしました。量子力学で言う...“局所・部
		  分の否定・・・局所原因の原理の否定・・・相補性や参与者の導入・・・”...これは、ど
		  のような“人間的・光景”を指し示しているのでしょうか。
          直感的には分かりにくいものがありますが、それは...“唯心/リアリティー”...
		  と同一であると、私は理解しています」
         
        (2)・・・・・ 光あれ!/リアリティーの分割  
		
 
        「“光あれ!”と最初の言葉が発せられ...そこに“光”という概念が出現しました。
        リアリティーから“光”が分離され、名詞による初めての分断が起こります。次に、“天”
        と“地”という名詞が発せられ、リアリティーから“天”と“地”という概念が分離され、
        “名もなき巨大な全体”から、“天”と“地”が析出します...
		    これが、いわゆる、キリスト教の天地創造(旧約聖書/宇宙創造神話/世界観/・・・仏教の経
		  典ではありませんが、概念を借用しました・・・)になるわけです。“光”、“天”、“地”は、最初から
		  あったともいえず、なかったともいえず...名詞が与えられて、認識世界に分断が起
		  こり、結晶化したものです。こうして、世界の構造化が始まり、進化して行くことになり
		  ます。
          以後...私たちは名詞によって、眼前するリアリティーを無限に分割しはじめまし
		  た。また、それらを四次元時空間に配置し、“言語的亜空世界”を作り上げ、ダイナミッ
		  クに波動させて来たのです。この亜空間は、現在もなお構造化/進化が進み、さらに
		  拡大しつつ、複雑化しています。
          では...それは物理的実在とどう関わるのかといえば、それは実は何とも言えな
        いのです。物理空間もまた、認識と認知の世界に漂う、壮大な夢かも知れないので
		  す。また、物質は“実在/リアリティー/迫真”かも知れないが、それが“情報/夢”で
		  は無いという、確かな証拠は何処にも無いと言えるようです。それが、つまり、“この
		  世”の“心の領域”と、不可分に関与してくるからです...」
        
   ( 
        
 
        これらは、現時点における、私の解釈です。絶対というものではありません... 
        
  
        )
         
        (3)・・・・・ プランク・スケールと、流体ブラックホール  
		 
        「現代物理学は...
		    一般相対性理論と量子力学という、2本の相矛盾する基礎的理論で構成されてい
		  ます。つまり、現代物理学はダブルスタンダードなのです。むろん、厳格な物理学で、
		  こんなことが許されるはずは無いのです。
          
        そのために物理学者たちは、この2つの理論の統合・超越に、莫大な労力を費やし
        て来ました。しかし依然として、“両理論とも正しい”ということで...その前に茫洋とし
		  たリアリティーが横たわっています。
		   
		  物理学は、“物の領域”のみの考察であり、“心の領域”が統合されて、リアリティー
		  となるわけです。そのリアリティーは、“日々/常時・・・私/1人称の・・・眼前”に迫
		  真し、“人間原理空間ストーリイ”として、時間軸に沿った夢の世界を開示します。
		  “私たち/1人称的・主体”は、その夢の世界の旅人という側面を持つわけですが、
		  最大の謎は...まさにこの、“自己/自我/1人称主体”...の正体なのです...」
		   
        「さて、ともかく...
		    一般相対性理論と量子力学の統合には、“距離”というものに、“下限”が必要なこ
		  とが分って来ました。そして、それはおそらく“プランク・スケール”だろう、ということに
		  なっています。“意味”を持ちうる、“最短の長さ”が“プランク・スケール”ということの
		  ようです。
          これは、素粒子のスケールよりもはるかに小さな、“極微のスケール”でだといいま
		  す。それ以下では、“距離”といった概念が存在しないと考えられる、“限界のスケー
		  ル”だとも説明されます。
          当然のことですが...これはまだ仮説の段階です。しかし、両理論の統合には、空
		  間というものの、何らかの“粒・構造”が必要だということのようです。
		   
        
        
		“プランク・スケール”には、具体的な大きさが存在します。
          
            
 
 プランク長  
			 : 
			10−35 
			m
 
             
 プランク質量 :           
        10−8Kg
 
             
 プランク密度 :          
        1097Kg/m3
 
          
 
          
(プランクは、ノーベル賞を受賞したドイツの理論物理学者。量子論の端緒を開いた1人。
			
			  
			
			“プランクの定数”は、量子力学に現れる基礎定数の1つで・・・
			                          =   
            
			 6.62607×10−34/ジュール秒  
          
         
 
        
 
          重力理論(/一般相対性理論)の統合は、有名なホーキング博士のホーキング放射の理
 
        論から、本格化したようです。また、これらの仮説も、最近のブラックホールの研究から
 
        分ってきていることのようです。
 
          最近は、ブラックホールを研究するのに、銀河中心をのぞく必要はないようです。ブ
 
        ラックホールの様な“事象地平の現象”が、いわゆる“流体ブラックホール”でも研究
 
        が可能になりました。ロケットエンジンの“ラバルノズル”などのアナロジー(類推)から、
 
        “事象地平”の研究が進んでいるようです...」
 
         
 
        「簡単に説明しましょう...少し専門的になりますが、サッと読み流してください。
 
          まず...絶対零度(セ氏       
        -273.15度)に近い液体ヘリウムなどの流体の中では、“音
 
        /音波”も、量子のように振舞います。これは、ごく普通に観測されている現象です。  
        この量子化した音を、“フォノン”と言います。これは光の量子である“フォトン(光子)”
        に対応しています。
          この、“流体ブラックホール”における“フォノン”の振る舞いが、ブラックホールにお
        ける光の振る舞いに相当するのです。音も光も...実は、周波数と波長と伝播速度
        によって決まるという共通項があります。これが、“流体ブラックホール”のアナロジー
        (類推)を可能にしているのです。
          光は...ブラックホールの事象地平の重力ポテンシャルの壁を登る時...波長
        が引き伸ばされます...仮に、ブラックホールへ落ちて行く人を外部から見ていると、
        光の波長が引き伸ばされるために...非常にゆっくりとスローモーションで落ちて行
		  くように見えると言います。
          また、“重力による赤方偏移”で、普通よりも赤く見えるだろうとも言われています。
        さらに、“事象地平”では、“赤方偏移”が無限大になり、無限の時間をかけて落ちていく
		  ことになるようです...  (  
        
 
         これは、古典的解釈と言えるようです...
 )
          ここで、“ホーキング放射/ブラックホールの量子的な熱放射の概念”が登場してく
		  るのです。ここが実は、重要なポイントになるのですが、その説明は残念ながら、別の
		  機会に譲ることにします。説明が、非常に長くなってしまうからです。
          
        ここで、私が話したいのは、“流体ブラックホール”での、音の現象の方です。これは、
		  くり返しますが、ブラックホールの光に対応しています。
		   
		  音/音波が成立するのは、波長がそれを伝える...“流体を構成する分子の・・・
		  分子間距離”...よりもはるかに長い場合です。分子間距離よりも短くなると、そもそも
		  音/音波/フォノン(量子化した音)は存在できないのです。
          
        そして実は...まさにこの制限が...空間をプランク・スケールの粒子の集合体
        と見る、“仮説”を生み出しているようなのです。“流体ブラックホール”が...ともに、
		  “絶対零度に近い流体”や、“ボーズ・アインシュタイン凝縮体の・・・ガス”を想定してい
		  るのは、分子のランダムな熱運動による散乱を排除するためのようです。
          そうした、条件下で...ブラックホールにおけるホーキング放射と類似した現象が、
        “流体ブラックホール”のフォノン(量子化した音)で、観測可能だということです...ブラッ
        クホールにおける“事象地平の類似現象”が、私たちの身近で、実際に、近々観測可
		  能になるのでしょうか...」
            <参考文献: 日経サイエンス/2006.03/相対論を書き換える・流体ブラックホール>
         
        「最先端科学ですので、詳しい事情は、私には分かりません。
          さて...一般的には、滑らかなエネルギー量というものも、無限に分割できるもので
		  はなく、量子の世界では粒子の数でカウントします。1個の光子、1個の電子というよう
		  にです。そこには、つまり、エネルギー単位というものの“下限”があったのです。
          
        それと同じように、空間にも、“最短の長さ”、“プランク・スケール”という“下限”があ
        るという概念が登場してきたわけです。しかし、時空に、“プランク・スケール”の超微
        細構造があるとすると、相対性理論の見直しが必要になるとも言われます...今後
        の理論物理学の展開に、注目したいと思います...」
         
        
		(4)・・・・・   実在と夢  
      
        「さて...“実在と夢”ということを考えてみましょう... 
          現代物理学の研究は、このように“実在”の構造化が進み、日々進化しています。
    
        しかし、それでも、“認識”と“認知”の世界に漂う、“壮大な夢”かも知れないのです。
 
        それが“1人称世界の夢”ではないという、確かな証拠は無いのです...
 
           
        それを証明するには、デカルトが分割した、“物の領域”と“心の領域”の統合が必
 
        要です。しかしこれは、相対性理論と量子力学を統合するようなわけには行きませ
 
        ん。文字通り、“この世の本質”に迫るものです。はるかに、壮大なスケールでの探求
 
        が必要になります...」
 
                                                      ********************
        「しかし...デカルトは言いました...“我思う・・・ゆえに我あり・・・”と...した
		  がって、確かに、“我”という“1人称の何者か・・・”が存在するのです。これは、間違
		  いないことです...」
                                ********************
         
        (5)・・・・・ 超媒体である命と、人間原理空間 
 
		
 
        「くり返しますが...
          人類文明の形成する“言語的亜空間”は、眼前するリアリティーと重なっています。
        様々な草木の名前、空や水や大地という名詞で...人類はリアリティーを無限に細
        分化し...そのように“人間的解釈”を展開してきたのです...私たちはこれを、別
        名、“人間原理空間”(/当ホームページの名前)と呼んでいます。
          
        形容詞は豊かに名詞を修飾し...動詞は世界はダイナミックに波動させ、壮大な
		  ストーリイが流れ出して行きます...そして、“意識の広野”に歴史が記憶されて行
		  きます...
          光/電子技術ネットワークで形成される“人工・情報空間”も、本質的には“言語的
		  亜空間”に含まれます。では、“言語的亜空間”に、何故、微細なストーリイが溢れ出
		  すのでしょうか。そして、それを駆動するものは何者でしょうか。むろん、動詞がエネ
		  ルギーをもち、実際に世界を駆動しているわけではありません。
          
        “認識”、“認知”、“意識”というプロセス性が、時間軸上で形成されるのは、何故な
        のか...また、ストーリイに一定の傾向...強いバイアス(偏向)がかかってくるのは、
        何に起因するものでしょうか...また、“超媒体である命の本質”は、いったい何処か
		  らやって来るのでしょうか。
          それから、“言語的亜空間”が構成する“複雑性の深度”...時空間的スケールは、
      
        夢やストーリイ性に、どのような関係をもってくるのでしょうか...分からないことばか
		  りです...もはや、私の手には余る問題になってきました...
           
        しかし、時空を考えること...また思惟することは...まさに“命の本質”に属する
		  ものかも知れません...」
         
 
        「ともかく...“壮大な意識の大河”が流れて行きます...“1人称のリアリティー”
 
        が...その“茫々と流れる夢・・・”を、内省的に目撃しています...」
 
         
 
         (  
        
   
        これらは、現時点における、私の解釈です...絶対というものではありません... 
        
 )
 
           
                    
		        
                                                   
      
		
		
		
         
 