仏道清安寺・談話室新世紀・夏の清安寺

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 トップページHot SpotMenu最新のアップロード          担当 :  高杉 光一、 良安/清安寺の修行僧 

       INDEX                                                                   

 No.1   鹿村より・・・.里中響子 2001. 7.13
 No.2   新しいステージへの旅立ち

              “如何なるか是れ閑庭草木中の仏法...” 

                      “時”のない風景

                              新しいステージ“まほろば”への旅立ち 




2001. 7.16

2001. 8. 1

2001. 8.14


 

                                                            (2001.7.13)

               

鹿村より・・・・・ 里中響子           


「お久しぶりです。里中響子です...

  すっかり鹿村の清安寺に住み着いてしまいました。7月に入って、梅雨時も連日記

録的な猛暑が続きました。そして、今はその梅雨も明け、鹿村も夏真っ最中です。そ

れでも、標高が高いせいでしょうか、朝夕には程よい山の冷気があります。

  湿った朝の大地の臭い...ひんやりとした清水の臭い...日が昇って来ると、ジ

リジリと暑い高原の日ざしの臭い...そんな中で、作物も果物もよく実り、こちらの方

も夏真っ盛りです。

 

  私の生活は...朝夕は、清安寺の皆さんと座禅に励ん出います。そして、日中は

読書と、山野の跋渉が日課です。それから時には、私の担当分野である分子生物学

のニュースなどを、科学雑誌やインターネットで目を通しています。

 

  さあ、今日は久しぶりに、高杉・塾長がこちらに来られるとのことです。朝の涼しい

うちに、畑からトウモロコシを取ってきてあります。おいしい清水も、ペットボトルに2本

汲んできてあります。それから今、花器に、鬼ユリと山ユリとススキの若い穂を活け

ました。うーん...」

  響子は、もう一本、ススキの穂を加えた...

                                                                                                                       

 

                                                       (2001.7.16)

 新しいステージへの旅立ち       

 <1> 如何なるか是れ閑庭草木中の仏法...”    

 

  高杉は、スイカを一切れ食べ終えてから、禅的な緊張感の中で、ゆっくりと話し出し

た...

「俳人の...松尾芭蕉の禅の師匠に、仏頂和尚という人がいる...」

  高杉は、外に目をやり、自らの集中した気を解いた...そして、無心に、高原の青

空の輝きを見つめた。内外打成一片の、自らの内でも外でもない風景...内でも外

でもないがゆえに、“自らの形”であり、自らの“命の形である風景”...高杉は、その

自らのリアリティーの深い輝きを、無心に見つめた...

「...その仏頂和尚がある時、江戸深川の芭蕉庵を訪ねたそうだ...」

  良安が、団扇(うちわ)を使いながら、静かにうなづいた。

「有名な話ですね...」

「うむ...」高杉は、正座して、禅的緊張感の中でスイカを食べている、響子を見た。

「...その時、仏頂和尚の供の者で、六祖五平という男が、こう言ったと言う...」

「はい、」響子は、スイカをスッと下におろした。

「...彼は、こう言った...

 

    「 如何なるか是れ閑庭草木中の仏法 」

 

  意味は、“この閑静な中での仏法は、如何なるものか”と、尋ねたわけだ。むろ

ん、これは禅問答であり、挨拶でもあるわけだ。そして、芭蕉は、こう答えている。

 

「 葉葉大底は大、小底は小 」

 

  “大きい葉をもっているものは大きいし、小さいものは小さい”...と...

    

「 近日何の所にか有る 」

 

  仏頂和尚が、今度は直々に芭蕉に心境を尋ねた。むろん、これも禅的な心境を聞

いているわけだ。そして、芭蕉はこう答えた。

 

    「 雨過ぎて青苔(せいたい)を洗う 」

 

  意味は、“雨がサーッと降って、青い苔(こけ)が鮮やかである”...と...」

  高杉は、肩を後ろに引いて響子を眺め、ニッコリと笑った。

「さて...何故、こんな話をしたかというとだ...私も、響子さんに、仏頂和尚と同じ

質問をしたいからだ...つまり、

 

「 近日何の所にか有る 」

 

  “最近の、禅的心境は、どうですか”ということだ...」

「はい...」響子は、高杉の目を見つめ、コクリとうなづいた。

「うむ、」高杉は、唇を引き結んだ。そして、いい目をしている、と思った。ここ数ヶ月間

の進歩は、一目で見て取れる。

「あの...すぐにでしょうか?」響子は、膝の上でスイカを持ったまま聞いた。

「うーむ...出来れば、俳句で返してほしいが...はっはっはっ...それは無理とい

うものだろう。それに、私にも、そんな俳句の素養はないしな...

  まあ、この場面は、巨匠・松尾芭蕉と仏頂和尚の対面だから、次元が違うわけだ。

しかし、この後、

 

「 古池や蛙飛び込む水の音 」

 

という、芭蕉の最も有名な句が生まれている...」  (詳しくは、 俳句コーナー へどうぞ)

「うーん...」響子は、口元を崩した。「やっぱり、俳句で答えるのは無理ですわ、」

  高杉は、うなづいた。

「俳句でなくていい...まあ、表現するのは難しいかも知れないが、この場面にも見

るように、それもまた修業なのだ...禅問答と思ってほしい」

「はい、」

「禅問答は即答するものらしいが...うーむ...夕方まで、時間をやろう」

「はい」響子は、深く頭を下げた。

                                                                                                                     

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                                                      (2001.8. 1)  

  <2> “時”のない風景                

 

  高杉は、午前中に、ナップザックを背負い、ツバ付き帽子をかぶり、渓谷の谷川まで

下りた。谷川へ下る水田の中の小道は、黒い火山灰土で弾力があった。水田の土手

は、所々で夏の雑草が刈り払われていた。乾燥した雑草と、土手と、強い陽射しに、

夏の匂いがした。近くに、谷川のせせらぎの音が聞こえる。

  しかし、渓谷の底近くまで来ても、川へ下りる道が無かった。高杉は、仕方なく、ヨモ

ギやススキを掻き分けて進み、潅木につかまりながら、急坂を下った。それから、両

手で藤ヅルを伝い、川原の砂利石の上に跳び降りた。

  川原は広々と視界が開けた。巨岩や大石がゴロゴロあった。幅は30メートルほど

もあり、川上と川下へカーブを切って続いている。一面の花崗岩の丸石が、夏の強い

陽射しを反射し、まぶしかった。高杉は、プンと藤ヅルの匂いのする手で、丸石に手を

触れてみた。石は熱く焼けていた。

  広い川原の片隅を流れる水流は、かなり急だ。岩や石を縫うように、所々白く泡だっ

て流れている。夏の川原にしては、水量もかなり豊富だった。川の向こう側に大きなク

ルミの木が何本かあり、川原の上まで枝を伸ばしている。その斑の光の射している水

面から、カワセミが一羽、水を切って飛んでいった。

                           

  高杉は、スニーカーを脱いで浅瀬に入り、足を冷やした。水は、キリキリするほど冷

たかった。それから手と腕も冷やし、浅瀬の中を歩いた。高杉は、陽光を反射する水

面と、川底を見つめた。川底の石が明るくユラユラと揺れる。しびれるような冷たい水

が、陽光を透かして澄み切っていた。

  高杉は、何も考えず、ボンヤリと眼前する現実世界を見つめていた...この世のリ

アリティーとは、何と身近にあることか...あまりにも身近すぎて、それと理解するの

が困難なほどに...

 

  この透きとおる水の冷たさ...ユラユラと揺れる川床の石...川面に揺れる陽光

の綾...そして夏の太陽...周囲の緑の繁茂...高杉は、無心にそれらを見てい

た...

 

  この、眼前のリアリティーを指し示すために、かの大禅匠たちは“一喝”し、“痛棒”

食らわせ、あるいは“一指”を立てた。真実は、ココ、まさにココにあるではないか

と...しかし、常人には、それがなかなか分らない...一生涯、それを理解できない

者も多い...

  リアリティーとは、“不可分であり、1つのものである...”とも、全ては“一と響

く...”いうのも、この眼前の、まさにこの目の前の、この風景を指しているのであ

る。全てはこの、水の冷たさ...ユラユラと揺れる川床の石...川面に揺れる陽光

の綾...の中にある。まさにココは、無門禅師の言う、“大道無門、千差道有り”

場なのである...

 

  水から上がると、高杉はナップザックを下した。そして、グラスファイバーの釣り竿

を取り出し、引き伸ばした。20年以上も昔の、3.6メートルの2間竿だ。しかし、古くは

あったが、あまり使う機会の無かった竿である。

  高杉は、陽光の反射に目を細めながら、竿先に道糸を結んだ。そして、道糸の先に

仕掛けをつけた。気持ちのいい微風が、藤ヅルの緑の小山を揺らし、川原に吹き降ろ

してくる。まさに、真夏の川原の匂いがする...

  高杉は、確実にヒットさせるために、ミミズを餌にした。本当は毛バリを使いたかっ

たが、こっちの方はそう簡単ではない。腕も感も鈍っているとなれば、ミミズがいいだろ

うと判断したのだ。響子と自分の分の、2匹の岩魚を確保できたら、後は逃がしてや

るつもりだ。が、それにしても、良安や一真から川の様子は聞いていたが、初めての川

である。岩魚はいる、と聞いてはいるが、様子が分らない...

 

  心地よい重さの釣り竿を片手に持ち、川原の遡行を開始すると、高杉は少年の頃

を思い出した。強い夏の陽射し、熱く焼けた岩肌、しびれるように冷たい清流、川の

せせらぎの音、そして夏の川原の匂い...

  全ては何も変わっていない...初めて入る川原だったが、少年時代の川原の匂い

がする。釣り竿を手にすると、岩の間の速い水脈や、小さな滝壷の1つ1つに岩魚が潜

んでいる様で、ドキドキした。釣り糸を放り込むと、何度か小さな魚信があった。が、食

いついては来ない...

  少年の頃は、底にガラスをはめた箱眼鏡で川底をのぞき、ヤスでカジカを仕留めた

ものだ。そうした時、たまに箱眼鏡の中に、岩魚や虹鱒が見えた。それに、淵で泳い

でいる時、岩魚が何度も体に触れたのを覚えている...

  はるか上流から流れ着いた、直径10メートル近い花崗岩の巨岩があった。この川

原で目にする最大のものだった。巨岩の上に、崖の方から藤ヅルの藪が下りてきて

いる。こうした巨岩の下には滝壷ができ、深い淀みの淵が広がるものだが、ここの淵

はまさに小さなプールほどもあった。その広さと、水の色の濃さから、相当に深いのが

分る。

  高杉の知る限りでは、川原の形は春の雪解け水で毎年変わる。しかし、こうした巨

岩の周辺の地形は、数年に一度しか変わらないものだ。山の子供達には、こうした淵

はちゃんと名前がついていて、恰好のプールになっているはずである。もっとも、それ

もこれも、全て高杉の少年時代の話なのかもしれない。今は、見渡しても、子供の影

はどこにも見えない...

  高杉は、そっと淵に近づき、竿を振った。1mほど上から、白く泡立つ滝壷に餌を流

し込む。それから、ゆっくりと深い緑色の淵の方へ流してみた。当たりはない。大きな

淵なので、大物の岩魚が潜んでいるかもしれないと思った。もう一度、同じ様に誘って

みた。しかし、当たりはなかった。

  ところが、その淵から数メートルほど上った所で、クッ、とかすかな魚信が竿先にあ

った。水流の強い、段段になった小さな滝壷だったが、次にグンと竿が弓なりにしな

った。水の中の、魚の震えが伝わってきた。心地よい緊張感が走り、心臓がドキドキ

した。高杉は、岩魚との綱引きのタイミングを見計らい、スッ、と一気に川面から抜き

上げた。それを乾いた砂利の山の方に落とした。30センチに近い大物だった。

  経験の量からしても、高杉の釣りは、それほどうまいとは言えない。しかし、いまゴ

ボウ抜きにしたタイミングは、昔は出来なかった芸当だろう。禅的な修業の成果とい

ってもいいかも知れない。高杉は、跳ね回る岩魚を拾い上げ、パシッ、と砂利の上に

叩きつけた。それから、両手を合わせ、無心に頭を下げた。岩魚から釣バリを外し、水

で洗い、小型の保冷バッグに入れた。

  高杉は、また無心で石から石へ跳び移り、遡行を開始した。やがて、急斜面の上の

方で、川原は大きく広がっていた。そこには川原の真中に中州が出来ていた。2本の

柳の木が、青空の中に超然と立っている。さらに、滝壷の岩魚を探りながら遡行して

いくと、中州にはグミの藪が茂っているのが見えてきた。一真からこの地形は聞いて

いたが、はじめて見る川原は、どこもかしこも感動的な風景だった。しかし、思えば、全

ては“永遠の相”であり、“永遠の風景”なのである...

 

  高杉は、何かの象徴のように立っている、中州の柳の木をボンヤリと眺めた。ミミズ

を殺し...岩魚を殺し...高杉は無心に川原を遡行していく...これが、人生その

ものであるかのごとく...

  高杉は、ミミズも、岩魚も、そして彼自身も、命は雌岸(しがん)にあるばかりでなく、彼岸

(ひがん)に半身をおいていると考えていた。私たちは何故、睡眠をとるのか。何故、睡眠

とは、毎日とらないと死んでしまうほど重要なのか...

  それは、私たちの命の本質の半分は、彼岸にあるからだと高杉は考えていた。ミミ

ズも、岩魚も、人間も...その他の、ありとあらゆる地球生命圏の膨大な生命体

も...みなその本質の半分は、彼岸に根ざしているのではあるまいか。個々の生命

体は、その彼岸で結ばれた、同じ“1つの地球生命体”の枝葉なのであろう。樹木とい

“上位の命”は不動であり“下位の命”である葉が新陳代謝されていくように...

                          <詳しくは “36億年の彼・彼岸と此岸” ご覧下さい>

   つい最近、国際ヒトゲノムプロジェクトが、人間の遺伝子の数は、約3万2000である

と発表した。これはマウスの遺伝子とほぼ同数で、ハエの2倍強、線虫の2倍弱

母菌の5倍弱...こんな程度の遺伝子数で、本当に“最高モードのヒト”が、ヒトであ

り続けることが可能なのか...

  しかし、高杉は、これまで約10万と言われていたヒトの遺伝子数が、約3万2000

と発表されても、あまり驚かなかった人間のひとりである。というのも、つまり、私たち

の命の半分は、睡眠の向こう側、つまり彼岸の側に、謎の本質があると考えていたか

らである。高杉は、それは有機体的な巨大な情報系だと考えていた。

  蚊も、追えば逃げるし、怒れば逆襲もする。一体、あの小さな蚊の脳ミソの中に、そ

れほどの複雑な環境の中を生き抜く能力が、本当にインプットされているものなのだ

ろうか...ここに、遺伝子のもつ別の意味が見えてくるのではあるまいか。つまり、

その背後にある、彼岸における別の“命の本質の姿”である...

 

  高杉は、そうした全てを体現しつつ、川原をたった一人で遡行して行った。首にジリ

ジリと焼ける真夏の陽射しを受け、無心に釣りざおを振り、ひとり遡行していく...

  アーネスト・ヘミングウェイは、人生とは巨大な悲劇だと言っていた。あの、行動的

なヘミングウェイが、何かの折にそんなことを書いていたのを読んだことがある。そう

いえば、彼の最後は、猟銃による自殺だったわけだ...体も、ボロボロになっていた

ようだ...

  高杉は、ヘミングウェイは好きな作家であり、また彼からは、多くのものを学んでき

た。が、本当に好きなのは、ヘミングウェイの少年の頃の、マス釣りなどの短編小説だ

った。高杉が渓流釣りを始めたのも、まさにその短編小説がきっかけだったのであ

る。

  高杉は、そうしたヘミングウェイの短編小説から始まり、今では全く別の文章世界を

構築している自分を感じていた。そして、ヘミングウェイのように、人生を悲劇だとも思

っていなかった。何故なら、いつの頃からか、彼は“禅”の道を歩み始めていたからで

る。

  が、しかし...それは、たった一人の禅の道だった。里中響子は、高杉にとって、

最初の禅の道の弟子である...

                     

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                                                 (2001.8.14)

  <3>>新しいステージ新しいステージジ“まほろば”への旅立ち       

 

                   

 

  岩魚を焼いてビールを1杯飲み、夕食を食べた後も、日はまだ西の空にあった。夕

方の座禅は、7時からだという。夏だと、村人が夕食を終え、寺に集まってくるのがそ

の頃になるらしい。これも、清安寺の長い慣習である。

  響子もまだ、

 

「 近日何の所にか有る 」

 

という、高杉の質問の答えを持って来ない。彼女は奥の方で、パソコンのキーボードを

叩いている。おそらく、その答えを整理しているのだろう。鹿村では、東京の下町と違

い、時の流れも人の思いも、どこかのんびりとしている...

 

  高杉は、境内から鹿村を見下ろすプレハブ基地の縁側で、半跏趺座(はんかふざ/座禅

の結跏趺座を簡略にし、脚を半分組んだ状態。半跏座ともいう、)していた。そうやって、ボンヤリと、山の

夕刻を見つめていた。強い夏の落日が、ケヤキの巨木の梢に赤く透けている。下界

の鹿村は、すでに日が陰り、右手の渓谷はしだいに夕闇に沈んでいく。高杉は、その

渓谷を、見るともなく見すえていた...

  自らが作り出す、禅的な緊張感...その“至福の今”を、高杉は無心に見つめてい

た。“無我”が“無我”を見つめ、それそのものの中に、無心で溶け込んでいく...

  一段高い“悟り”のステージは、このような微妙な感性の上に広がっているのであ

る。つまり、“無心”や“無我”を好み、それに習熟し、生活化していくことが、 第2ステ

ージ“まほろば”なのである。 

 

  さて、道元禅師は、『正法眼蔵』の中で、こう言っておられます...

 

  仏道を学ぶということは自己を学ぶことである。自己を学ぶということは

自己を忘れることである。自己を忘れるということは、総てのものごとが自

然に明らかになることである。総てのものごとが自然に明らかになるという

ことは、自分をも他人をも解脱させることである。

                           <『正法眼蔵』“現成公案”より>

  

  これは、つまり...“修業だ!”、“解脱だ!”、“悟りだ!”と、思い悩むなということ

である。そう思い、“励む”ことが、そもそも“迷い”であり、“二元的”なのである。した

がって、ただひたすら自己を忘れ去れば、総てのものごとが自然に明らかになってく

る、と道元禅師は言っておられるのです。きわめて、単純明快です。しかし、この真意

を、自分自身で体現するとなると、それほど簡単ではないかもしれません。つまり、身

を捨てて、そこへ飛び込むのが難しいのかもしれません...

  しかし、いずれにしても、この“無心・無我”という心境は、少しづつ習熟していくうち

に、必ずたどり着くことが出来ます。むろん、浅い深いは様々あるわけですが、そうし

た心境というものは、確かに存在します。悩みや妄想、数限りない雑念の中にいると、

“無心”“無我”はありえないと思えるかも知れません。しかし、修業し、訓練してい

けば、少しづつそうした雑念を捨てていくことが出来ます。

 

  そうした雑念を、きれいサッパリと捨てることが、仏道そのものなのです。しかも、

自己を捨て、自己を忘れた時...総てのもごとが、自然に明らかになるのです。

 

  高杉は...無心に...渓谷の夕闇を見ていた...それから、やがて、夕映えの

透けるケヤキの巨木を見上げた...

  透脱した風景から、透脱した風景へ...“無我”が“無我”を経歴し、一切世界を究

め尽くしていく...

                 wpeA.jpg (42909 バイト)<ミケ>            

 

  風鈴が、チリリリリーン・・・と澄んだ音色で鳴った。すると、ミケがのっそりと縁側へ

出てきた。高杉の横で、ゆっくりと背伸びをし、バリバリと板で爪を研いだ。それから、

ヒョイと高杉が脚を組んでいる上に跳び乗った。ミケは、そこでひっくり返って毛づくろ

いを始めた。すると、奥の部屋から、響子が出てくる気配がした。

  彼女は、高杉のやや後ろで正座し、静かに息を吐いた。そして、唇を引き結び、すで

に日の陰った鹿村を見わたした。彼女は何も言わず、ピンと張り詰めた、心地よい緊

張感を漂わせていた。

  高杉も、そこに響子の気配を感じながら、暮れて行く渓谷の空を見ていた。彼女の

持ち込んだ禅的な緊張感と共鳴し、夏の夕暮れの中に、“永遠の相”を眺めていた。

が、やがて、彼女が静かに口を開いた。

 

「水になり...風になりたる...この命...

                    鹿村の海...まほろばの里... 」

 

「...鹿村の海...か...うーむ...」高杉は、ミケの頭に手をかけた。

「“空”にしようと思ったのですが、“海”の方が広いと思いました...無次元の世界に

拡大すると...」

「うむ...いいだろう...

     水になり風になりたるこの命...鹿村の海まほろばの里...

  うーむ...君の心境を良く表わしていると思う...なるほど...短歌の方が好き

だったのか...」

「...」

  高杉は、また無心に、暗い灰色に変化していく夕空を見ていた。そこに、“鹿村の

海”“まほろばの里”を重ね合わせて...