「さあ、さっそく今回のテーマに入ろうと思います。良安さん、よろしいかしら?」
「はい。後で、一真が茶の用意をします」
「はい。いつも、ありがとうございます。ええ、高杉塾長、今回のテーマに入る前に、
1つ質問をしたいのですが、」
「うむ、」高杉は、自分のノートパソコンから顔を上げた。「何かね?」
「禅は、仏教ですよね?」響子は、真っ直ぐに高杉を見、かすかに微笑した。
「ええ...もちろんです、」
「それなのに、ここでは信仰心がほとんど問題にされていないのは、何故かしら?」
「うむ...」高杉は、座卓の上で両手を合わせた。「そのことは、私も気にしていま
す。まあ、いずれは私も、そうした信仰心が芽生えて来ることを期待しています」
「はい...それだけでしょうか?」
高杉は、雪の張り付いた夜の窓を眺めた。
「そうですねえ...宗教には、“智慧の道”と、“儀礼の道”と、“信仰の道”があると
言われます。まあ...様々な宗教が、この3つの道のどれかに属するというのでは
なく、これらのうちの1つが、強く強調されるということですね」
「...」響子は、黙って、唇を引き結んでうなづいた。
「例えば、“信仰の道”といえば、キリスト教が思い浮かびます。それから、“儀礼の
道”で思い浮かぶのは、日本の神社などの神道があります。いわゆる、儀式にのっと
り、きっちりと礼拝する道です。そして、“智慧の道”といわれるのが、いわゆる禅宗な
どがそれに当たると思います。あるいは、釈尊が存命中の頃の原始仏教なども、こ
の“智慧の道”に入るのだと思います...」
「はい...」
「釈尊が出家し、空前絶後といわれるほどの苦行をされ...菩提樹の下で、明けの
明星を見て“覚醒”したといわれる...
...“涅槃“涅槃(ねはん)の境地”...
つまり、禅とは、簡単に言ってしまえば...
この“涅槃の境地”を体現するものだと思います...
...」
「ふーん...そう言われると、よく分ります」
「私は、宗教を分類したり、比較したり、あるいは各種の宗教の歴史を研究してきた
わけではありません。したがって、詳しいことは分りませんが...しかし、同じ仏教で
も、“密教”と“禅宗”とはずいぶん違います。というのも、“密教”は、どちらかと言うと、
“信仰の道”かも知れません...
学僧の空海(後の弘法大師)が、中国から日本に移入した“密教”は、インドにおいて、
ヒンズー教と仏教が融合したもののようです。曼荼羅(まんだら)に描かれている様々な神
々も、ヒンズー教に通じる神々と聞きます。したがって、“密教”は、そうした神々に帰
依(きえ)する“信仰の道”と言えるのではないでしょうか。
一方、“禅宗”は、インド人の菩提達磨(ボダイダルマ)が、海路より中国に渡り、中国の
大地で開花した宗派です。海路といっても、当時は未開の海であり、3年にも及ぶ苦
しい航海だったと言われます。
その初祖・菩提達磨は、3年後に中国の広州にたどり着き、梁(りょう)の武帝(ぶてい)
に会っています。それから、密かに北方の魏(ぎ)の国に入っています。以後、そこの
嵩山(すうざん)の少林寺で、9年間もの間、壁に向かって座禅をしていたと記録されて
います。しかし、この間に、二祖・慧可(『無門関』第四十一則/“達磨安心”)を得ています」
「魏(ぎ)の国、嵩山(すうざん)の、少林寺ですか...」
「そうです...魏(ぎ)の国と言えば、『三国志』を思い浮かべる人もいるのではないで
しょうか。あの劉備玄徳や諸葛孔明が出てくる、有名な時代です。したがって、中国
全土で、中国文化としての禅宗が大きく開花するのは、密教の伝来よりも後の時代
になります。また、初祖・達磨以降の禅宗の系譜も、しっかりと残っています」
「日本に禅宗が伝来するのは、鎌倉時代ですものね...」響子は、自分のノートパソ
コンをのぞきながら言った。「栄西(えいさい/最初に天台密教を究め、後に臨済禅を究めています)や、
道元・禅師が中国に渡ったのは、宋の時代ですし...」
「まあ、中国で禅宗が隆盛してくるのは、唐の末期になります。『無門関(宋の時代に編
集)』の“第一則”に出てくる趙州・禅師も、この唐末期の時代の人物です」
「はい、」
「いずれにしても...
初祖・菩提達磨は、座禅と“涅槃の境地”を教えたわけです。つまり、“智慧の道”
を教えたのであって、“信仰の道”を説いたのではなかったということです。 また、
それは、『正法眼蔵』や『無門関』などを読んでも分るように、そこでは“信仰の道”
や、“儀礼の道”は全く説かれていないわけです。これは、響子さんも承知だと思い
ますが、」
「はい。確かに、『正法眼蔵』や『無門関』で説かれているのは、“智慧の道”です。
では、まずは、ここでは...この“智慧の道”を究めるということでしょうか?」
「そういうことですね...
密教が説かれている状況の中で、なぜ初祖・菩提達磨は、あえて“禅の道”を説い
たのか?また、それが何故、中国文化の中で大きく開花し、日本文化の中でも、これ
ほどまで深く受け入れられたのか...
...これは、私があれこれと言うよりも、大きな歴史的事実の示す所と思います」
「はい。よく分かりました。だから、この“智慧の道”を歩むということですね、」
「はい」