「さて、いいですか、夏美さん?」堀内は、プレゼンテーション用のスクリーンの横で言
った。
「はい...」夏美は、向かい側のテーブルへ歩き、椅子を引いた。片手で、ノートパソ
コンの位置を直した。
「ええ...現在、地球表面で起きている複合的な環境破壊は...すさまじい速度で
進行しています。毎年、日本の国土面積の4割に相当する熱帯雨林(14万2000ku)
が、人間活動によって消失しています。つまり、急速に熱帯雨林が消えていっている
ということです。この状況をこのまま放置していたら、現在の状態の地球は、あと
100年とはもたないでしょう...全生態系のバランスが激変してしまいますか
ら...」
「生態系が、全滅するのでしょうか?」
「いや、実際には、地球そのものは残りますね。また、それなりの生態系も残るでしょ
う。しかし、そこにはもはや人類は居ないかも知れないということです。この濃密な地
球の生態系が維持されなければ、最高モードの人類もまた、消滅していく運命にあ
るということです。ピラミッドの頂点にあるホモ・サピエンスは、あくまでもこの生態系
によって支えられ、相互作用している存在なのです。言い換えれば、この生態系に、
不可分に縫いこまれている、布模様のようなプロセスの風景なのです...」
「うーん...」夏美は、腕組みして首をかしげた。
「いずれにしても...すでに、人類文明のまわりで、急速に“種”が絶滅し始めている
でしょう。自然のサイクルによるものも多少はありますが、そのほとんどは人類との
かかわり合いで絶滅しています。これは何を意味しているでしょうか?」
「うーん...自然の風景が、山や川の風景が、単調化
して行くというのは、危険なこ
となのでしょうか?」
「そうですねえ...」堀内も両腕を組み、うなづいた。「かなり危険なレベルに入って
きていると思いますね...」
「もし、人類が生態系を回復できなかったら、どうなるのでしょうか?」
「うむ、あまり考えたくはないですねえ...しかし、飢餓は必ず来るでしょう。気候の
バランスが崩れれば、長期的な不作や凶作が必ず来ます。あるいは、それが常態化
していくかもしれません。そうした所にインフルエンザ等が重なり、その相乗効果で、
人口が激減していく過程をとるかも知れません。しかも、こうしたことは、繰り返し起こ
るでしょう。
ただ、これは生態系全体のバランスの中で、人類のバブルの人口が適正化されて
いくメカニズムなのです。イナゴの大発生や、ネズミの大発生の後でも、こうした飢餓
によって調整メカニズムが働くのです」
「人類の持つ、科学技術力は評価されないのでしょうか?」
「いいですか...人口爆発と環境破壊で、科学技術によるコントロールが効かなくな
る、“臨界点”が出てくるということです。ま、これを、どの辺りでくい止められるかにな
りますが、これが現在の私達の仕事になるわけです」
「...」
「いずれにしても、これも人類文明のカタストロフィー・ポイント(破局点)への、シナリオの
1つということですね」
「さてと、話を進めましょう...
地球観測衛星“テラ”は、高度705kmを、極軌道で周回しています。静止軌道(赤
道上空3万6000km)をとる気象衛星などは、地球の赤道の上にあり、地球と同じ周期で
回っています。しかし、極軌道は、南極と北極を通過する軌道を回っているわけで
す。地球の公転運動に対して、スパイラル状に回っていくことになりますので、多少
複雑になります。
さて、この“テラ”は、実際にはバスほどもある大型人工衛星で、太陽電池パネルを
張れば、さらに大きなものになります。総重量も、やはり相当なものになるはずです。
最近、使用済みの観測衛星を1個、人為的に地球に落としたニュースがありました。
覚えてますか、夏美さん?」
「はい。そのニュースは見ました。太平洋とかに落としたそうですが、燃え尽きなかっ
たとか、」
「そう。その衛星も、総重量は70トンとか言ってました。むろん、宇宙空間は無重力
ですから、これは地表で換算した重量ですが、」
「70トンかあ...大きいわねえ...」
堀内は、プレゼンテーション用スクリーンの画像を入れ替えた。
「いいかな?」
「はい、」
「ええ...本来、地球の大きな気候変動は、火山噴火や造山運動、海流の変化、氷
河期の繰り返しなどで起こってきました。もっとも、なぜ氷河期が繰り返しやってくる
のか、どうして暴走冷却モードの全球凍結が終わりを告げたのかなど、その根本的
な解明が未成熟な部分も多くあります。また、地球の全生態系を、生命圏と言った
り、地球・ガイアシステムとして、一体のものとしてとらえる考え方もあります...この
ような生命システム理論については、いずれ別の機会に考察することにします...」
(2000.7.4)
(1) ASTER (資源探査用将来型センサー) (アスター)
(2) CERES
(雲・放射エネルギー測定システム) (セレス)
(3) MOPITT
(対流圏汚染計測装置) (モピット)
(4) MISR (多視角イメージング分光放射計)
(ミスラ)
(5) MODIS
(中解像度イメージング分光放射計)
(モディス)
(
カタカナの呼び名は、私が勝手に付けたものです... )
「ええ...では、テラの本体と、上記の5つの高性能センサーについて、私の方から
簡単に説明します。その前に、まず全体構成である“地球観測衛星・テラ”について
大雑把なデータを示しておきます...」
テラ (Terra) “地球観測システム計画”(EOS:Earth Observing
System)の 旗艦
<設計寿命 6
年>
高さ : 3.5m
全長 : 6.8m
総重量 : 5190kg
平均出力 : 2530W
搭載機器のデータ通信速度(平均)
: 毎秒1万8545KB (キロバイト)
「テラを構成するのは、高感度アンテナ、Xバンド送信アンテナ、通信機器、誘導・運
航・制御機器、データ記録機器、太陽電池パネル...ですね...」夏美は、スクリー
ンに表示されたテラを、伸縮式の電磁ペンで指しながら言った。「ええ...あとは、5
つの気候観測用センサーが占めているわけです。全体は、バスほどの大きさとお考
えください...」
(1) ASTER (資源探査用将来型センサー) (アスター)
<観測対象> 雲、氷河、地表温度、土地利用、自然災害、氷山、降雪、 植生
<特徴> テラの搭載センサーのうち、分解能が最も高く、望遠鏡を回転して、特定の観
測対象に向けられる。
<測定機器>
3つの独立した望遠鏡が、可視近赤外光、短波長赤外光、熱赤外光を
とらえる。
<機器開発者> 通産省 /(日本)
<空間分解能> 15m 〜 90m
「この、日本の通産省が開発した“ASTER”は、地表面の温度をきわめて高い精度
で測定します。また、放射や反射エネルギー、温度の測定などは、地球の熱収支を
計算する上で重要です。さらに、氷河の後退や、砂漠の拡大、森林の破壊...それ
から洪水や山火事なども継続して監視できます。
“ASTER”は、地球の詳しいデジタル地形図を作成できます。1972年以降、ラン
ドサット衛星が集めている地球の画像データを、さらに時系列で補充していくことにな
ります。こうした観測データの蓄積は地球を監視していく上で、非常に重要な仕事に
なります。しかし、こうした軌道上からの監視は、ようやく本格的な体制がスタートし
たばかりといったところでしょうか...」
(2) CERES (雲・放射エネルギー測定システム) (セレス)
<観測対象> 熱放射、雲、
<特徴> 大気からの放射エネルギー束を記録できる、初の衛星搭載型センサー
<測定機器> 2つの広帯域走査型放射計
<機器提供者>
NASAラングレー研究所
<空間分解能> 20km
「これまでの研究では、大気圏に入ってくる太陽光の8%が、行方不明になっている
といわれています。これはエアロゾル(煙やチリ等の微小な粒子)や雲が、大気低層でエネル
ギーを反射したり吸収したりしている分と見られています。既存のセンサーでは、こう
したエネルギーを追跡できませんでした。しかし、“CERES”は大気の高層や低層
で、約2倍の精度で熱放射を測定します。
“CERES”は、この種のものとしては、初の衛星搭載型センサーになります。な
お、同型の初代センサーはすでに別の衛星に搭載されてあり、1998年の2月に、
史上最大規模のエルニーニョをとらえています。
エルニーニョは、赤道直下の太平洋であるエクアドルからペルー沖で、毎年のよう
に起きています。いわゆる、海流の変化で水温が上昇する現象です。ところが、これ
が1998年のように異常に発達すると、地球規模の気候異変につながります。また、
日本の気象にも、直接非常に大きな影響を与えました。1998年の史上最大規模の
エルニーニョは、2年前ですので、まだ記憶に新しいのではないでしょうか...」
(エルニーニョについては、いずれ詳しく考察する機会があると思います)
(3) MOPITT (対流圏汚染計測装置) (モピット)
<観測対象> 大気汚染
<特徴> 汚染物質を追跡できる、初の衛星搭載型センサー
<測定機器> ガス相関スペクトロスコピーを組み込んだ走査放射計
<機器提供者>
カナダ宇宙機構
<空間分解能> 22km
「さあ、この“MOPITT”は、大気低層でのメタンや一酸化炭素(CO)の分布や濃度
を詳しく調べます。メタンの温室効果については、メタンハイドレートを考察したときに
も少し触れましたが、非常に温室効果の高いガスです。その時の資料では、二酸化
炭素(CO2)の10〜20倍の温室効果とありました。そして、今回の資料では、30倍
近いとあります。うーん、まあ、こうした所の数値は、まだしっかりとは確定していない
ということのようです...
そもそも、この“温室効果の高いガス”とは、具体的には熱線である赤外線を透過
させない能力が高いということを意味しています。したがって、宇宙へ出て行くはずの
熱線が、これらのガスのために大気低層域にこもってしまい、いわゆる温室効果とな
ってしまうのです。ちなみにこのメタン(CH4)は大気中の酸素(O2)と反応して二酸化
炭素(CO2)になりやすいのですが、どちらも温室効果ガスということです。
大気低層のメタン濃度は、年間1%の割合で増加しているといわれます。主に、湖
沼や家畜の糞、あるいは深海底のメタンハイドレート層から放出されていると考えら
れていますが、詳しい解明はこれからになります。したがって、こうした宇宙空間から
の強力なセンサーの活躍が期待される次第です...
“ガス相関スペクトロスコピー”は、衛星に搭載されるのは“MOPITT”が初めてで
す。これは二酸化炭素(CO2)や水蒸気など多くの気体の中から、メタン(CH4)と一
酸化炭素(CO)だけを区別する能力を持っています。
一酸化炭素(CO)は、工場や自動車の排気、森林火災などが主な発生源になりま
す。また、焼畑農業や、南米での開発のための森林の焼き払いなども問題となりま
す。
さあそこで、何故、この一酸化炭素(CO)が問題になるのでしょうか...それは、
大気が持つ有害物質の自然浄化能力を、この一酸化炭素(CO)が、妨げるように作
用するからです...」
(4) MISR (多視角イメージング分光放射計) (ミスラ ...自分の呼びやすいように...)
<観測対象> エアロゾル、雲、土地利用、自然災害、熱放射、植生、
<特徴> 雲や煙の立体画像を作成 <宇宙空間では新登場のセンサー>
<測定機器> 9つのCCD(電荷結合素子)カメラ
<機器提供者>
ジェット推進研究所
<空間分解能> 275m〜1.1km
「ええ...このセンサーも、宇宙空間では新登場のものです。広角の9つのレンズ
で、異なる地域を同時にとらえます。そして、太陽光で照らされた地球表面を、4色の
光(青、緑、赤、近赤外線)ごとに分析します。被写体によって、反射光が変化すれば、雲や
エアロゾル、地表の様子が、どう違うかをとらえられるといいます。
うーん...そう言われても、具体的にはよく分らないわね。ま、ともかく、9個のC
CDカメラで、エアロゾル、雲、熱放射の相互作用を、立体的にとらえることができま
す。詳しいことは、今後の運用の中で、しだいに明らかになってくると思います...」
(5) MODIS (中解像度イメージング分光放射計) (モディス)
<観測対象> エアロゾル、気温、雲、火災、地表温度、土地利用、自然災害、
海洋の栄養素、海面温度、熱放射、氷山、降雪、植生、水蒸気、
<特徴> 地球全域を、1日〜2日ごとに観測できる。
<測定機器> 可視光、短波長、近赤外領域などを、測定できる4種類の検出器。
<機器提供者>
NASA
ゴダード宇宙センター
<空間分解能> 250m〜1km
「このセンサーは、36の波長帯で、地球全体をとらえます。したがって、観測項目も
14種にのぼり、他のセンサーよりも圧倒的に多くなっています。むろん、こうした能力
は、他のセンサーとタイアップして、より総合的な威力を発揮するものと思われます。
とくに、1日から2日の周期で、地球全域をカバーできるのは、非常に心強いものを
感じます。こうした能力は、データの収集もさることながら、パトロールとしての役割も
大いに期待できるのではないでしょうか...」