プロローグ
「こんにちは、白石夏美です。ええ、今回の“炭素管理への道”では、実際に炭素管
理がどのように動き出しているのか。また、森林や土壌、膨大な量の海水は、どこま
でCO2を受け入れることができるのかを考察していきます。
考えてみれば、化石燃料とは全て、土壌深くで眠っていた有機系炭素化合物とい
うことになるのでしょうか。地質年代の古生代に石炭紀という名称があるように、こう
した時代の樹木等が湖沼に沈み、長い年月をかけて石炭になったと考えられてい
ます。また、海底に降り積もった大量の生物の屍骸が、有機物の層となり、これらも
長い年月の間に石油や天然ガスになっていったわけです。また、こうした既知の化
石燃料の2倍量に達するといわれるメタンハイドレートが、深海底下に眠っていま
す。むろんこれらも、深海底下の有機物の層から出たメタンによって形成されたもの
です。しかし、これらは数億年から数千万年という長い休眠モードに入っていた炭素
なのです。これを人類が、近代科学のテクノロジーで汲み上げ、燃やし、CO2を大気
中にばらまき続けています。実際の所...良くも悪くも...こうした化石燃料が、こ
こまで人類文明を加速させてきたのも事実です...」
夏美は、壁掛けの液晶スクリーンの画像をスクロールさせた。ミミちゃんと
チーコちゃんは、黙ってそれを見ていた。
「...さあ人類は化石燃料を燃やし、膨大な量の眠っていた炭素を、大気中に放出
し続けているわけです。そして、これらはよく知られているように、二酸化炭素(CO2)
という形で、私たちの身の回りに溢れています。
量的に最も多いのは、炭酸として大量に海水に溶け込んでいるものです。その次
が、化石燃料等の土壌に含まれているCO2でしょうか。さらに、有機物として、主に
植物が固定しているもの...
ちなみに、地球の全海水に溶け込んでいるCO2は、炭素換算で推定約40兆トン
と見込まれます。そして、土壌には推定約1兆6000億トン。植物が有機物として固
定している量は、推定約6000億トン...うーん...あまりにも数字が大きくて、分
らないわねえ...ま、とりあえず頭の隅に入れておいてください...
それからもう1つ、問題の第4のグループがあります。これこそが、分解されない
ままのCO2が、大気成分として残るものです。しかも、その一部はどんどん上昇して
いき、大気圏上層から成層圏一帯に滞留します。そして、これらがいわゆる今問題
となっている、温室効果ガスなのです。現在、こうしたガスがしだいに厚く地球を包
み込み、温室のように地表を暖め始めています...(大気中のCO2は、推定約
7500億トン)
もう少し詳しく言えば...ええ、どう言ったらいいかしら...
つまり、太陽の輻射熱が、この私たちの青い地球へ入ってくるわけですが、もとも
とこれらの何割かは、反射して再び宇宙空間へ放散されているのです。ところが、
温室効果ガスはこの地球からの熱放散を妨げてしまい、地球の温度は温室の中の
ようにどんどん上昇していってしまうのです。この輻射熱や放散熱は、いわゆる熱線
と呼ばれるもので、太陽光の可視光の外側にある赤外線に相当します。
つまり、CO2は、放散熱として反射して地球から出て行く、この赤外線を通さない
というわけなのです。したがって、単位面積あたりはたいしたことの無い輻射熱や
放散熱なのですが、これが全地球となると膨大な量になってしまうのです。
《
ミミちゃんガイド 》
<温室効果の原理については、ガラス温室か、ビニールハウスの中でじっくりとお考えください>
ええ...ちなみに、現在観測されている地球温暖化傾向の2/3は人類のCO2
の排出が原因といわれています。CO2は、火山噴火や、海底地滑りによるハイドレ
ート層の破壊などでも、大量に放出されることが知られています。しかし、これらは
大自然のサイクルの中で起こっているものであり、常に無視していいものです。むろ
ん、環境への影響自体は無視できないものがありますが、これは地球が本来もつ
ダイナミズムやホメオスタシス(恒常性)の中に織り込まれていくものなのです...」
「ええ...」夏美は、プレゼンテーション用のスクリーンの前で、引き伸ばした電磁ペ
ンを持ちながら言った。「ここで、こうした化石燃料が形成された地質年代について、
もう少し復習しておきたいと思います...
この地球では、およそ5億7000万年前/古生代のカンブリア紀から生物の爆発
的進化が始まっています。それ以前の地質年代は、先カンブリア時代と呼ばれ、
46億年前の地球誕生まで遡ります。世界最古の原核生物の化石は、35億年前の
ものといわれますが、その少し前に生命が誕生していると見るべきでしょうか。それ
から生命体は約30億年にも及ぶ長い揺籃期を過ごします。生存競争や環境からの
淘汰圧の無いのどかな海で、まさに“命”の惰眠をむさぼっていました。
この30億年と比較すれば、人類が出現している数百万年、人類文明が出現して
いる数千年などという時間は、地質年代における、まさに一閃の光のような短さで
す。しかし、それにしては、ずいぶんと全生態系を荒らし回り、地下資源を食い散ら
かしていますが...
さあ...こうした先カンブリア時代の生物群は、オーストラリア南部のエディアカラ
丘陵で大量に発見されたことから、エディアカラ化石群と呼ばれています。体は軟
組織だけで、ほとんどは扁平であり、最大のものは1mに達するものもあります。こ
れらの化石は世界各地に分散していて、地球全体でかなりの繁栄を誇っていたよう
です。構造的には隔壁のあるエアマット状で、摂食器や消化器などのない、単純な
生物体だったことが証明されています。
それから、あの先カンブリア紀末期に、例の全球凍結の時代がやってきます。地
表は平均−50℃まで暴走冷却し、海面は1kmもの厚い氷で覆われたと推定され
る時代です。こうした状態が、1000万年以上も続いたと考えられています。しか
し、この時代ですら、地熱のある海底において、生命は生き続けていたわけです。
ただし、エディアカラ化石群に見られたようなベンドゾア生物は、進化の袋小路だっ
たようで、古生代では姿を消しています...
しかし、古生代に入ると生物は爆発的に進化し、本格的に地球表層全体に展開
していきます。あの有名な三葉虫が太古の海に出現するのも、この古生代のカンブ
リア紀においてです。それから、オルドビス紀、シルル紀、デボン紀、石炭紀、ペル
ム紀まで古生代が続きます。そしてこの後、2億4500万年前に、古生代型生物の
大絶滅 (大量絶滅の母)
が起こります。これも、まさに地球上の生物風景が一変する激変
で、地質年代も古生代から中生代へと移ることになります。
中生代は、三畳紀、ジュラ紀、白亜紀とあります。この地質年代は、アンモナイト
や恐竜が繁栄した時代で、鳥類もこの時代に出現しています。それから、6500万
年前に、中生代型生物の大絶滅がありました。この時、あの恐竜が全滅していま
す。それ以後、現代の新生代が始まるわけです。そしてその頃から、地球上の生物
風景は、ほぼ現在に近くなったと考えていいと思います。
《
チーコちゃんのオサライ 》
<
地質年代は...先カンブリア時代(...
5億7000万年前 )/古生代(...
2億4500万年前 )
/中生代(...
6500万年前 )/新生代
(...現在)
となります...>
さて、何故こんな話をしてきたかというと、こうした地質年代の中においても、地
球は温暖化と寒冷化を繰り返してきていたということです。しかも、赤道付近まで氷
河に覆われるという全球凍結も経験しているわけです。したがって、人類文明が直
接関与しなくても、温暖化や寒冷化、氷河期や間氷紀は巡り巡って起きているとい
うことなのです。また、このような全地球的なダイナミズムの中でこそ、命というプロ
セス性の安定が保たれているのではないでしょうか...」
「うーむ、ご苦労さん!」堀内が、プレゼンテーションをしている夏美の方へ歩み寄
り、拍手をした。「なかなか、いい背景説明だったよ」
「ずいぶん勉強したようだね」高杉も言った。「自分自身で資料が理解できるようにな
って、そこから学問が始まる」
「はい、」夏美は浅く一礼し、口をすぼめた。それから、ミミちゃんたちの居る支援コ
ンピューターの方へ下がった。
「さあ、つぎは私と高杉さんです。高杉さん、ひとつ、よろしくお願いします」
「こちらこそ。私の方は、予備知識がありませんので、」高杉は、椅子の上で脚を組
み直した。
「はい...ええ、ここではまず、ノルウェーのスライプナー鉱区の天然ガス採掘施設
について、概略を説明します。ここは実際に炭素管理が進められている現場です」
夏美は高杉のいるテーブルの方へ行き、椅子に掛けた。
「ミミちゃん、チーコちゃん...」夏美が、支援コンピューターの方を振り返って言っ
た。「コーヒーを用意してくれる?」
「うん!」ミミちゃんがうなづいた。
「お菓子もね」
「はーい!」チーコちゃんが言った。
<1>
現在進行中の炭素管理の実態と“炭素税
”
堀内は、壁掛けスクリーンの前に立ち、左手をズボンのポケットに突っ込みながら
話し始めた。
「ノルウェーの沖合240kmの海上に、スライプナー鉱区天然ガス採掘施設があ
ります。ここで、1996年10月、CO2の地層内への封じ込めが開始されました。こ
れが、地球環境に配慮した、炭素管理の第一歩となりました。
ええ...この施設では、週2万トンのCO2を、海底下1000mのユトシラ層(砂岩層)
に注入しています。ええ...このスライプナー鉱区の天然ガスには、不純物として、
9%のCO2が含まれていたようです。一般的に天然ガス中のCO2の許容値は、
2.5%以下といわれますから、市場に出すには精製する必要があったわけです。
もっとも今までなら、この過程で精製して分離したCO2は、大気中に放出していたわ
けです。したがって、この分を、深海底下の砂岩層(ユトシラ層)へ注入していったわけで
す。
では、なぜわざわざ、面倒で費用のかかる砂岩層へ注入する方法に転換したの
でしょうか。そのわけは、ノルウェー政府が近海油田に課した“炭素税”にありまし
た。この税は、1996年に、近海油田に対し、CO2排出量1トンあたり50ドル(2000年
からは、38ドルに引き下げました。)を課すものでした。そこで鉱区を管理する会社は、CO2を
大気中に排出する代わりに、深海底下の砂岩層に注入する方法に投資したわけで
す」
「つまり、」と、高杉は言った。「税金を払ってCO2を大気中に排出するよりも、海底
下1000mの砂岩層に注入した方が安いと見たわけか、」
「はい。そういうことですね。投資額は、わずか1年半で回収したといいます」
「なるほど...これがよく言う、“炭素税”のカラクリか、」
「ま、カラクリと言えるほどのものではないですねえ。いずれにしても、この方法は
世界のほかの地域でも検討を始めています。例えば、南シナ海の“ナツナ天然ガス
田”は、CO2を71%も含んでいます。これは、当然精製した時に出るCO2は、封じ
込めなければならんでしょうね」
「うむ。他には、どんな所があるんですか?」
「そうですねえ...検討されているのは、オーストラリア北西大陸棚のゴルゴン天然
ガス田、ノルウェー北部バレンツ海のスノヴィット(白雪姫)天然ガス田、アラスカ北部大
陸斜面油田、などですね。ま、こうした所では、いずれにしても精製段階でCO2が出
るわけです。積極的に炭素管理を選択していくべきですね」
「なるほどね...」
<2>
CO2の封じ込め
「あの、みなさん、コーヒーをどうぞ!」ミミちゃんが、コーヒーを用意したテーブルの方で
言った。
「お菓子もどうぞ!」チーコちゃんが言った。
「あら、」夏美が振り返った。「それじゃ、次に入る前にコーヒーをいただこうかしら、」
「うーむ」堀内が顎をなでた。「そうするかね...」
3人は、コーヒーを用意したテーブルへ移った。
「ありがとう、」高杉は、ミミちゃんとチーコちゃんに言い、椅子を引いた。
「はーい!」チーコちゃんが、尻尾の先を揺らした。
「この間のオークスは、当たったそうだな」
「はい。でも、あたしは外れました。支折さんが、5番人気だった桜花賞馬を軸馬にして
当てました」
「うむ。ま、たいしたものだ」
「チーコちゃんは、グランバドドゥの単賞だったの」ミミちゃんが言った。
「そうか。支折が当てたのか」高杉は、コーヒーを一口飲んだ。「アレは、バクチの才能
がありそうだなあ、」
「今日のダービーは、誰が担当するんですか?」堀内が、夏美に聞いた。
「私とマチコ」夏美は、コーヒー・カップを口へ運びながら言った。「それから、ミミちゃん
たち、」
「しかし、マチコは競馬は好きなんだが、案外当たらんなあ、」高杉は笑った。
「ヨミはいいんだけど、もう少しなのよね...」
「それがギャンブルさ」
「で、武騎手のエアシャカールでいいんですか?」堀内が聞いた。
「私は、他の馬も差はないと思ってます...重馬場ですし...」
「うーむ...買ってみますか、堀内さん?」
「そうですねえ...」
「さて、と...“CO2の封じ込め”ですが...」堀内は、プレゼンテーション用の壁掛
けスクリーンの前に立って言った。「ノルウェーのスライプナー鉱区天然ガス採掘施
設に見られるように、すでに技術としては確立されているものです。これは、いわゆ
る石油や天然ガスを汲み上げる技術と、逆のプロセスを実行すればいいわけです。
また、多くの油田で、すでに実際にCO2を石油層に注入している事例がありま
す。これは“石油の増進回収法”と呼ばれるもので、CO2の注入によって埋蔵石油
の流動性を増進させ、生産性を高めているものです」
「すると、石油層の流動性を高めるために、CO2を注入しているのですか?」高杉は
聞き返した。
「はい。そういうことです。アメリカではすでに、この方法で約4300万トンのCO2を地
中に注入しています。しかし、これはノルウェーのスライプナー鉱区のような地球環
境に配慮したものではなく、生産性の向上が目的でした。したがって、炭素管理と
いうことでは、スライプナー鉱区が記念すべき第一歩というわけです」
「うーむ...しかし、地中に戻すということでは同じでしょう?」
「まさに、そういうことです。要するに、精製して、何割か。あるいは、最後のものが
地中に戻された形になればいいわけです...」
「うーむ...」
「地中のスペースとしては色々ありますね。ま、相当な収容能力があるようですね
え。枯渇油田や地下空洞、岩塩採掘跡地、スライプナー鉱区のような砂岩層...」
「安全性はどうなんですか?」
「ええ、それが重要なポイントです。なんといっても高い濃度のCO2ですから。もし、
人口密集地で噴出したら大災害になります。安全性と、環境への影響評価、これが
最重要になります。
1986年に、カメルーンのニオス湖で、CO2が湖面から大量に噴出した事故があ
りました。約1700人がCO2で窒息死したと言われます。何といってもCO2は、酸素
を遮断する消化施設に用いるガスですからねえ、」
「そんなニュースがありましたね、」
「CO2は、空気より重いわけですから、大気中に拡散するというよりは、下に沈んでき
ますからねえ、」
「あのニオス湖では、湖にCO2を固定していたのですか?」
「どうも、そうらしいですねえ...ただ、小さな湖に大量のCO2を蓄えることは、本質
的に難しかったのではないでしょうか。ただ水で蓋(ふた)をするだけでは、」
「海洋にCO2蓄えるのはどうなんですか?」
「海洋中には、炭酸として40兆トン(炭素換算)のCO2がすでに溶け込んでいます。こっ
ちの方は、これから本格的な研究が進んでいくと思いますが、ニオス湖のようなこと
にはならないと思いますね。まず、CO2封じ込めのシナリオが違いますから、」
<3>
最大の収容能力/深海への封じ込め
《
チーコちゃんのオサライ 》
「海洋中に炭酸として溶け込んでいるCO2は、推定約 40兆トン...(炭素換算)
土壌中には推定約 1兆6000億トン /
植物中には推定約 6000億トン
/
大気中には推定約 7500億トン。ただし、これは非常に大雑把な数字です」
「ええ...チーコちゃんのオサライにもあるように、海洋中に溶け込んでいるCO2
は、炭素換算で推定40兆トンと言われます...これは実に膨大な数字で、ちょっと
比較になる数字がありませんねえ...
いずれにしても、現在排出されているCO2の85%は、自然の過程で非常にゆっく
りと、海洋中に吸収されていくと推定されています。空気より重いCO2は、数百年と
いう時間をかけ、海水に溶け込んでいくということです。つまり、海洋へのCO2の封
じ込めというのは、この自然のサイクルを人為的に加速させるものだということもで
きるわけです。
さて、人為的に海洋中にCO2を封じ込めるには、水温躍層(すいおんやくそう)よりも深い
所にCO2を注入しなければなりません。この水温躍層というのは、水深100mから
1000mにあって、水温が急激に変化する所です」
「それより深い所の海水は、どう違うのですか?」高杉が聞いた。
「まあ、簡単に言ってしまえば、低温で、密度が高いということ、上の海面側の水と
は、ほとんど交わらないということですかね、」
「うーむ...今、世間で騒がれている深層水というのは、そういう所の水なのです
か?」
「ええ、そうですね。そういうことです。しかしまあ、深層水の研究については、その
方面の人に任せることにしましょう。ここではともかく、水温躍層よりも深い所の海水
は、表層の海水と混ざるには、数百年もの時間がかかるということが重要ですね。
つまり、深い所の海水に溶かし込んでおけば、相当の時間はCO2を封じ込めておけ
るという訳です。それも、深ければ深いほど、上昇してくるのに時間がかかります」
「なるほどね。海面では、大気上層から沈んでくるCO2もあれば、深海から昇って来
るCO2もあり...ですか、」
「炭素換算で40兆トンのCO2と比較すれば、いずれも微々たるものです」
「なるほど、」
「さて、話を進めましよう...
現在、海洋にCO2を封じ込める方法として、2つのケースが検討されています。1
つは、水深1000mから2000mの海中に、CO2を溶かし込む方法。これは、海洋
の局所的な影響を最小限に押さえ込もうというものです。そして、もう1つは、3000
m以上の深海にCO2を注入し、“CO2の湖”と呼ぶ状態を作る方法です。これは、で
きるだけ長期間(数千年間)、CO2を封印しておくことを狙っています。この他にも、CO2
が固体化した“ドライアイス”状にして、海洋に投入するプランもあります。しかし、こ
れはコストがかかりますねえ、」
「それで、安全性と、環境への影響はどうなんですか?」
「そうですねえ、深海底に“CO2の湖”を作るにしても、その海底が安定していること
が絶対条件になると思いますね。当然、火山帯や地震帯では困ります。また、メタ
ンハイドレートのように、海底地滑りに巻き込まれても困るわけです」
「なるほど、」
「それから、環境への影響評価は、今後じっくりと研究していく必要があります。なん
といっても、大量のCO2を海洋に溶かし込めば、海水が酸性化しますからねえ。い
ずれにしても、慎重な対応が必要です」
<4> 火力発電所の対応
「はい、それでは...」夏美が、愛用の伸縮式電磁ペンを持って、壁掛けスクリーン
の前に立った。「私が最後に、火力発電所から排出されるCO2対策の現状について
レポートします」
高杉は、軽く手を叩いた。
「ありがとうございます...」夏美は、にっこり笑って頭を下げた。「...まず、CO2
の全排出源の中で、火力発電所から出るものは、約1/3を占めています。これは
非常に大きな排出源と言わなければなりません。したがって、そのために、風力発
電や太陽光発電、原子力発電等の新エネルギーが模索されてきたわけです。
さて、そうではありますが、ヨーロッパ等で原子力発電が縮小傾向にある中では、
火力発電の比重はやや増してきているのではないでしょうか。それと言うのも、つま
り火力発電には、“炭素管理”という最後の手段が残されているからだと思います」
「なるほど、」高杉は言った。「しかし、本当に、化石燃料を燃やし続けるということ
で、いいのかな?」
「ええ。化石燃料は、いわゆる土壌の中に固定されていた炭化水素系化合物です。
これを燃やし続け、残ったCO2を別の場所、海洋に溶かし込むと言うのはどうなので
しょうか。しかも、莫大な量です...
ここは、化石燃料を燃やし続けること自体に反対する人々の意見にも、謙虚に耳
を傾けるべきではないでしょうか」
「うむ...いずれにしても、エネルギーの総需要量を押さえていくことが重要だな」
「はい、私もそう思います。
ええ...火力発電所は、これまでにも、かなり大掛かりな大気汚染の抑制を行っ
てきています。しかし、これまではCO2は対象外でした。これまで実行していたの
は、煤塵、硫黄酸化物(SOX)、窒素酸化物(NOx)、一酸化炭素(CO)のみでした」
「CO2の分離・除去は、相当にコストがかかるのかな?」
「はい。まず、煙突から出るCO2の濃度は、3%〜15%です。そこで、これを濃縮し
て扱おうと言うわけですが、この濃縮装置が既存の施設の中では最も高いものにな
っています。もちろん、技術開発は今も進めていますが、」
「なるほど、」
<5> 森林の役割
「ええ、最後と言いましたが、もう1つ話しておくことがありました。それは、植林とい
うものは、どの程度の効果があるかということです。チーコちゃん、画像をお願い、」
夏美は、壁掛けスクリーンの画面がかわるのを見つめた。
「これでいいかしら?」チーコちゃんが、支援パソコンの方で言った。
「これは、麦畑じゃないの、」
「そのむこうに、杉林があるもん!」ミミちゃんが言った。
「うん、まあ、いいか...ええ、植物は大気からCO2を吸収し、C(炭素)をその体内に
蓄えて成長し、O2(酸素分子)を大気中に還元します。これを“炭酸同化作用”と言いま
す。あの太古の何もない原始の海で、まずシアノバクテリアがこの炭酸同化作用を
始めたあたりから、地球生命圏のストーリイが始まったのでしょうか...
これによって地球の大気は、しだいに酸素の量が増加してきます。そして、やが
てエネルギー効率のよい酸素消費型の生命体が出現してくるわけですが、この辺り
から、生命は爆発的に進化していきます」
「後に、こうした進化の過程で、シアノバクテリアを体内に取り込み、これと共生していく
細菌が出現してきます。これが、いわゆる植物となるわけであり、シアノバクテリアの能
力は、植物細胞の中の葉緑体となって残っています。植物がこの葉緑体を獲得したの
に対し、動物細胞の方は、ミトコンドリアを獲得しています。このミトコンドリアというの
も、実に面白い特徴を色々と持っています。しかし、ここでは詳しいことは省略させてい
ただきます。」 ......<夏美>.....
「さて...1997年に、温暖化防止京都会議が開催されています。これは第3回目
ですね。この時、“京都議定書”が作られています。そして、この目標値を達成する
ために、各国や企業は、森林の再生や植林の事業に乗り出しています。これは炭
素管理と同じように、植物によってCO2を固定するという考えです」
「それは、どのぐらい進んでいるのですか?」高杉が聞いた。
「ブラジルやマレーシア、中米のグアテマラなどの熱帯域から、アメリカやロシア、ノ
ルウェー、オーストラリアなども取り組んでいるようです」
「うーむ、」
「ええ...では、今回は、ここまでとします。ありがとうございました、塾長」
「うむ、」
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