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トップページHot SpotMenu最新のアップロード             執筆 : 高杉 光一  <1997.11. 7 /開始>

 

 

   プロローグ・・・・・

 

  意味あるものが、いっとき静かに波動し、その存在を誇示し、そして謎は謎を残し

たまま、再び謎の深淵の世界へ沈んでいく...

                              ( 私の書いた小説 “ 人間の座標 ” より抜粋 )

    これは、私達の存在世界の一端を示した風景です。波動関数が波動し、物質世

界が析出し、それが認識の鏡に映し出されます。このページでは、この“認識”と“座

標系”を考えます。

        

  まず、物質世界が析出した後に、何が起こっているでしょうか?ここで問題とする

のは、波動関数では計り得ない、膨大なストーリイ(物語)が流れ出しているというこ

とです。無限のストーリイ( 夢や幻想を含む )の発現は、素粒子物理学では計測さ

れていない領域です。しかし、これらは、この世界のより重要な人間的側面なので

す。

      

    しかも、ストーリイの発現は、宇宙のエントロピーの増大の流れと拮抗し、全てを

構造化する方向へ流れているように思えます。これは、生命現象のベクトルと一致し

ているのでしょうか?

  この認識主体である我々の歩む、関係性のストーリイとは、いったい何なのでしょ

うか?また、このストーリイは、素粒子の計測に、どのような影響を与えているのでし

ょうか。さらにまた、ストーリイと今ある“人間原理空間”とは、どのような関連がある

のでしょうか?

 

  いずれにしても、このホームページのテーマの一つである、“物”の領域と“心”の

領域の統一に、何らかの示唆を与えてくれるものかも知れません。ではまず、問題の

“ストーリイ”について考察を始めます。

       

 

 

  率直に言って、“認識”は物理学的な計測にかかりません。私達は、こ

の問題をどう取り扱えば良いのでしょうか.....

 

  “認識”、あるいは“意識”という絶対主体性は、実際に科学という客観

性をどのように補足し、どこで折り合っているのでしょうか....

 

  “認識”、“意識”、“ストーリイ”という絶対主体性の“場”で、参与者であ

る我々は、どのように生きていくべきなのでしょうか.....

 

  

 

 正直なところ、私はこの方面の書物は全く読んでいません。したがってこ

こは、専門外の人間が、酔狂にもこんな事を夢想しているとお考えくださ

い。

 私達ホモサピエンスは、とりあえず、DNAで最高モードの頭脳を持ってい

ます。自由に、深く物事を考えるのは、私達に与えられた最高の権利であ

り、最良の喜びであり、最大義務だと考えています。

 

( とりあえず と書いたのは、一方で、はたしてそうだろうかという疑問が

あるからです。むろん、DNAにおいて、最高モードであるということは間違

いありません。

 

  しかし、植物はおろか細菌にさえも、“意識”らしきものが観測されると

聞きます。その様な、単純なものや単細胞の生命体に、何故意識が観測

されるのか。動物のような頭脳を持たないものに、何故固有の意識が観測

されているのか.....こうした“意識の本質”という問題では、また別の

視野を用意しなければなりません。)

 

( 全ては、“人間原理空間”の全体的なデザインと不可分のものと思われます )

 

 

 

 

 ストーリイの発現         

 

 (1)ストーリイとは何か

 

  ここで言うストーリイとは、その言葉のとおり、物語のことです。この世界の形態

は、物語という時空間的風景で、知的生命体の認識に映し出されています。この参

与者の認識という鏡に映し出された“この世”を、どう料理し、どのように食卓に並べ

たらよいのでしょうか.....とりあえず、いつものように、ブラリと歩き始めてみま

す。周囲をスケッチしているうちに、少しづつ骨格が固まってくると思います。

 

  さて.....私たちは、なんとなく“この世”に生まれてきています。そして、その人

間の一生は、おおよそのストーリイで縛られています。生まれてきて、社会に適応す

るために学習し、出会いがあり、別れがあります。それから、社会の一員として働

き、子孫を残し、そしてこの世を去っていきます。その間、およそ70年から90年とし

ておきましょう.....この間、“私たちの居る場”.....これこそが、私の考えてい

る座標系、“人間原理空間”の定義です。

  したがって、ここは、いわゆる物理空間ではありませんし、数学空間の一種でもあ

りません。また、多少主観の入った視空間というだけでもありません。ここはもっと多

面的な、全人間原理の発現している場.....生命体が存在し、進化が発現し、超

個性が結ぶ統一的時間風景.....ストーリイの流れている、何処かのある場

所.....とでも言ったらいいのでしょうか.....

 

  この座標系は、それぞれ見方はあると思いますが、どうも見かけどうりではないよ

うに思えます。この裏に、何かとてつもないものが流れているように思えます。たとえ

ば、何故、ストーリイには、原型という様なものがあるのか。そして、何故、くり返され

るのか.....あるいはまた、死についても、多くの疑問が放置されたままです。“輪

廻”、“死者の書”、“死後の地図”.....これらから引き出されてくる世界観もま

た、きわめて重要と考えています。

 

       

 (2) ストーリイの検証        

 

 この我々の世界に、“ストーリイ”という本質が、本当に存在するのでしょうか。そし

て、それがもしあるのだとすれば、その影響は“場”全体に、どのように及んでいるの

でしょうか。

 一方、特別な、そうした本質は不要である.....全ては、自然発生的な、物の時

間的な流れである.....とするなら、唯物論的にこの世界の全てが証明できるの

でしょうか。“認識”や“意識”を、どのように唯物論の中に組み込むのでしょうか。

 

( 学問的には、何らかの説明がなされているのだと思います。しかし、納得のできる

ものかどうかということが問題です。 )

 

( 光量子が、人間の視知覚の形態に究めて密接に関連しているように、 ストーリイ

は認識と不可分の関係にあるのでしょうか.....)

       

                                                                   (1997.12.29)

 

 (3)  / まほろば               

                    

  詩を書いてみました。幾らかでも、“人間原理空間”全体の線が見えてくるでしょうか。デッサンの

ように、少しづつでも輪郭が出てくれば嬉しいのですが...

  ともかく、可能な限りの手段を使い、あらゆる視点、あらゆる角度から視野を切り開いてみます。

 

                                              まほろば ”とは、すぐれたよい所/国というほどの意味です。

    

 

 波動関数から生れるのは、“物質”のみです

    しかし、そこに観測する者の“意識”が介入.....

        観測者は参与者に変じ、ストーリイが発現します

 

 さあ、“人間原理空間”が動き出します

    間断なく、壮大な宇宙の夢が溢れ出します

       夢は空間を透過し、時間を突き抜け、

           夢が夢を経歴し、“心”が結晶化します

 

 まほろばの真実の結晶世界.....

    何処からか、歌が聞こえてくる.....

       いずこにか、風が感じられる.....

          さて...歌っているのは、誰か.....

              風を感じているのは、誰なのか.....

                 そして、“我”は何者なのか.....

 

 この世界は“唯心”、ただ一つの心.....

    ただ一つの心が映し出す、幾千億の夢、夢、夢.....

        その夢が問う

           “今”、ここに現前しているのは、何者かと.....

                  そは、唯心、真実の結晶世界.....

                    そは、 “我”の姿なり..... 

 

                                    

 (4) 共時性の発現             

                         (共時性とは、意味のある偶然の一致を指します。)

 

 まず、“意味のある偶然の一致”とは何でしょうか.....

 

 これも細かく考えると、非常に奥の深い問題に入っていきます。まず、偶然の一致

と言うからには、普通は偶然ではない一致と言うものが大量にあることになります。

この“普通の一致”、これがすなわち、私たちが通常に眺めているストーリイというこ

とでしょうか。では、“偶然の一致”とは、これらのストーリイの枝葉の間隙で起こるハ

イパーリンクの様なものなのでしょうか。枝葉と枝葉が触れ、そこに意味のある偶然

の一致が発生するような...

 

 いや、そうではなく、ストーリイというものはそもそも、共時性の有機的集合体とは

考えられないでしょうか。ある意味での“偶然の一致”の集合体が、次のステージへ

変容し、関係性の進化が生れ、それが生態系を動かし.....

(例えば...共時性という単位がアミノ酸に相当し、認識というDNAが現われ、意識

というタンパク質が合成されるというようなアナロジー...これは、使えないでしょう

か...)

 

 いや、やはり...“認識”そのものが、時間関数としての“ストーリイ”を内包してい

ると考えるべきなのでしょうか...相対的時間概念をもってすれば、認識とストーリイ

の関係式は、相当な人間的圧縮が可能なはずですし...

 

 ( 繰り返しますが、私は物理化学だけでは、この世界における全ての現象を説明

できないと考えています。では、別名“歴史”とも呼ばれる、このストーリイという超関

係性の流れを、どう解きほぐし、どのように把握していったら良いのでしょう.....)

 

 

                                                                   (1998.1.1 )

  “ストーリイ”という言葉を、“歴史ストーリイ”という言葉に置き換えたら、少しは分

かりやすいでしょうか。ストーリイのすべてが歴史とは言えませんが、本質は時間の

関数で表現されます。そしてここでは、時間の非可逆性と言うことが重要になってき

ます。つまり、時間は一方にのみ流れるということです。これは、原因があり結果が

あるという因果律を表現しますが、すでに量子力学の時代に、因果律が敗れている

ことが証明されています。

 

                                              

 

  意味あるものが、いっとき静かに波動し、その存在を誇示し、

      そして謎は謎を残したまま、

          再び謎の深淵の世界へ沈んでいく・・・・・  

                                       ( 私の書いた小説 “ 人間の座標 ” より抜粋 )

 

  これは、私達の存在世界の一端を示した風景です。波動関数が波動し、物質世界

が析出し、それが認識の鏡に映し出されます。このページでは、この“認識”と“座標

系”を考えます。

 

  まず、物質世界が析出した後に、何が起こっているでしょうか?ここで問題とする

のは、波動関数では計り得ない、膨大なストーリイ(物語)が流れ出しているというこ

とです。無限のストーリイ( 夢や幻想を含む )の発現は、素粒子物理学では計測さ

れていない領域です。しかし、これらは、この世界のより重要な人間的側面なので

す。

  しかも、ストーリイの発現は、宇宙のエントロピーの増大の流れと拮抗し、全てを

構造化する方向へ流れているように思えます。これは、生命現象のベクトルと一致し

ているのでしょうか?

  この認識主体である我々の歩む、関係性のストーリイとは、いったい何なのでしょ

うか?また、このストーリイは、素粒子の計測に、どのような影響を与えているのでし

ょうか。さらにまた、ストーリイと今ある“人間原理空間”とは、どのような関連がある

のでしょうか?

 

  いずれにしても、このホームページのテーマの一つである、“物”の領域と“心”の

領域の統一に、何らかの示唆を与えてくれるものかも知れません。ではまず、問題の

“ストーリイ”について考察を始めます。

 

 

  

                                                                             house5.114.2.jpg (1340 バイト)