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 トップページHot SpotMenu最新のアップロード           塾長 / 統括責任者 :  高杉 光一 

 

 

 

 パラダイムとは

 

 この言葉は、トーマス・クーンが提唱したもので、特定の科学の基礎とな

っている、支配的な理論的枠組みを意味します。具体的に言いますと、天

動説や、地動説のような、科学的なバック・グラウンドのことです。もっとも、

中世ヨーロッパにおける天動説から地動説へのパラダイム・シフトは、単な

る科学の領域を越え、社会全体に大変動をもたらしました。

 事の始まりは、コペルニクスが、数学的に地動説を提唱したことです。も

っとも彼自身は、完全には地動説を信じきってはいなかったようです。それ

から、偉大なケプラー、ガリレオ・・・・・と歴史的な時間が流れます。そして、

ニュートンに至って、ようやくこのパラダイム・シフトが完了しています。この

間、教会は地動説を異端としたため、コペルニクスの仲間では、火刑に処

せられた者すらありました。また、ガリレオのように、牢獄に入れられた者

もありました。これらは、パラダイ・ムシフトがいかに困難かを示す、典型的

な例といえます。

 

 私が、パラダイム・シフトの問題を考えていたのは、一昔ほど前になりま

す。何故、私の様な者が、こんな問題を真剣に考えていたのか、今思えば

不思議な気もします。それは、多分、若かったからでしょう。それに、理由

ははっきりしていました。一つは、SF小説に使うこと。そしてもう一つは、

その事に興味があったからだと思います。

 そこで、このたびホーム・ページを作るに当たり、もう一度このニュー・パ

ラダイムというテーマを整理し、自分なりに再検討したいと思っています。

一昔前とは、様相もだいぶ変わっているだろうと、楽しみにしています。無

論、こうした科学の最先端を、素人の私に理解できるはずもありません。

従って、また一昔前のように、私流に、大雑把に眺めていきます。

 

(7月25日・追加)

 

 さて、まず、近代におけるパラダイム・シフトの風景を、とりあえず大雑

把に見渡してみます。人物をテーマにして眺めていくのが、親しみやすく、

分かりよいと思います。

 

(1) デカルト

 地動説等の新しい流れに影響を受けて登場したのが、デカルトです。

彼の哲学は、“懐疑”を最大の武器とし、全てを疑っていくことでした。そ

して最後に残った確かなものが、あの有名な 

“我思う、ゆえに我あり” 

だったのです。これは懐疑の余地のない、根源的な原点となったのです。

全てが幻想であり、夢のまた夢であったとしても、

“今、このことを考えている、自分がここに居る。これだけは間違いなく、

確かなことだ”

ということです。デカルトにとって、これはまさに“悟り”にも似た、覚醒の

瞬間だったと思います。彼の哲学は、釈迦牟尼と同じように、この世に確

かな錨(いかり)を下ろしたのです。

<デカルトは、現代文明の原形を作り上げた極めて重要な人物です。後でもう少し詳し

く見ていきます>

 

(2) ニュートン

 デカルトの哲学、デカルトのパラダイムを、実際の学問としたのがニュー

トンです。ニュートンは近代科学の父と呼ばれ、実に偉大な足跡を数多く

残しています。また、リンゴが木から落ちるのを見て、万有引力を発見し

た話は有名です。この万有引力の法則で、太陽系の惑星運動をも証明

し、物理学はここで全てが完了したかに見えたほどでした。ところが、ニュ

ートンが築き上げたこの一大学問は、たちまち古典物理学となり、過去の

ものとなってしまいます。つまり、ここにまた、パラダイム・シフトがあったの

です。

                   <ニュートンについても、後でもう少し詳しく見ていきます>

 

(3) プランク

 量子仮説を提唱したのが、プランクの定数で知られるマックス・プランク

です。しかし、この革命的な仮説に、彼自身も半信半疑だったようです。し

かし、ここから、古典物理学から現代物理学へのパラダイム・シフトが始ま

っています。物理学において、原子の世界の探求が開始されると、量子と

いう概念とプランクの定数を抜きにしては、一切の現象が記述できなくなっ

てしまったのです。つまり、万有引力の法則では、まるで歯が立たなかっ

た。

 マックス・プランクの量子仮説が発表されたのは、1900年。まさに、20

世紀に突入したその年でした。そして物理学におけるこの境界線は、19

世紀と20世紀という、人類文明の時代をも大きく二つに分けたのです。

この地質年代的ともいえる人類文明の巨大な亀裂は、20世紀の終末に

至った今でも、未だにその全貌が見えないほどです。いずれにせよ、あ

の牧歌的な19世紀は、もはやこの地球上に、二度と戻っては来ないの

です。

 

(20世紀に入り、人類文明は急速に流れ始めました。あらゆる領域で加

速度がつき、暴走が始まっています。我々は一体何を求め、何処へ向か

って流れているのでしょうか。)

 

(4) アインシュタイン

 プランク自身が半信半疑だった量子仮説を、アインシュタインは、“光電

効果に関する論文”で実証しました。1905年、アインシュタインが26才

の時です。ここで、光の二重性の問題が出てきます。つまり、光は波であ

ると同時に、粒子としての性質も同時に持っているという概念です。そもそ

も、こんな矛盾した概念を、物理学者たるものが簡単に呑み込めるわけ

がありません。文字どおり、すさまじい反論の嵐が巻き起こりました。量子

仮説を提唱していた、マックス・プランク自身までが反論するといった状況

だったのです。しかし、また、この概念を呑み込まない限り、先へは一歩も

進めなかったのです。

 さあ、この“毒”を飲めというわけです。謹厳な物理学者達は、“冗談では

ない”といったところでしょう。そんな馬鹿なことが認められるわけがないの

です。しかも、学問上でのことです。が、まさに、ここにパラダイム・シフトが

あったのです。

 その同じ年、アインシュタインは、続けてもう一つの論文を発表してい

ます。それが、有名な“特殊相対性理論”です。そして、この“特殊相対性

理論”こそが、ニュートン物理学を過去のものにしてしまったのです。後に

発表される“一般相対性理論”は、この“特殊相対性理論”を発展させた

ものでした。

 

( 私たちの日常的な感覚から言えば、相対性理論などよりは、ニュートン

力学の方がずっと解かりやすいのです。また、量子力学における因果律

の崩壊や、観測者の座標系の問題なども、無視した方が感覚的には解

かりやすいのです。では、何故、無視できないのでしょうか。それは、古

典力学ではもともと、本来この矛盾を内包していたからなのです。従っ

て、いずれは壁にぶち当たったのです。)

 

( 古典力学は、感覚的に分かりやすいものですし、近似値としては十分な

ものです。)

 

(5) ハイゼンベルク

 “不確定性原理”の提唱者です。

 

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