MenuボスのTwitter文学響子の土佐日記/プロローグ

         響子の・・・ 土佐日記  

  (3)  <室津 ~ 難波/ 1月21日 ~ 2月 6日>

                                < 301 ~ 462 >
  
     
   

トップページNew Page WaveHot SpotMenu最新のアップロード         担当: 里中 響子 

                      

             上から ・・・下へ   
 

              

 4月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(301)

一月二十一日  (原文・26-1)


二十一日。卯(う)の時ばかりに舟出だす。みな人々の舟出づ。これを見れば、春の海に

秋の木の葉しも散れるやうにぞありける。おぼろけの願によりてにやあらむ、風も吹か

ず、よき日出で来て、漕ぎゆく。このあひだに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(302)

一月二十一日  (原文・26-2)


…使はれむとてつきてくる童あり。それがうたふ舟歌、


★ なほこそ国の方は見やらるれ、わが父母ありとし思へば、かへらや ★



と、うたふぞあはれなる。かくうたふを聞きつつ漕ぎ来るに、黒鳥といふ鳥、岩の上に集

まり居り。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(303)

一月二十一日  (原文・26-3)


その岩のもとに、波白くうちよす。楫取(かじとり)のいふやう、


「黒鳥のもとに白き波をよす」



とぞ言ふ。この言葉、何とにはなけれども、物言ふやうにぞ聞こえたる。人の程にあはね

ば、とがむるなり。かく言ひつつ行くに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(304)

一月二十一日  (原文・26-4)


…舟君(ふなぎみ/舟の主/貫之)なる人、波を見て、


「国よりはじめて、海賊むくいせむといふなる事を思ふ上に、海のまた恐ろしけれ

ば、頭もみな白けぬ。七十、八十は海にあるものなりけり。

わが髪の雪と磯辺の白波といづれまされり沖つ島守楫取言へ」



 4月  9日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(305)

一月二十一日  (現代語訳・26-1)


二十一日。午前六時頃に、舟を出す。他の人々の舟も出る。これを見ると、春の海に秋

の木の葉が散っているようであった。並々ならぬ願いによってであろうか、風も吹かず、

よい天気になってきて、漕いで行く。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(306)

一月二十一日  (現代語訳・26-2)


この間に、使ってもらおうと思って、一行について来る子供がいる。その子が歌う舟歌、


★ それでもやはり、国の方に目が行ってしまう、

                          私の父母がいると思うと、帰ろうよ ★


と歌うのは、しみじみした趣がある。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(307)

一月二十一日  (現代語訳・26-3)


このように歌うのを聞きながら漕いで来ると、黒鳥という鳥が、岩の上に集まっている。そ

の岩の下に、波が白く打ち寄せる。船頭が言うことには、


「黒鳥の下に白い波を寄せる」


と言う。この言葉は…

 

健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(308)

一月二十一日  (現代語訳・26-4)


…何ということはないけれども、気の利いたことを言うように聞こえた。

身分の程度にふさわしくないので、心に留めたのである。このように言いながら行くと、

舟君である人(紀貫之)が波を見て、


(土佐)国から始めて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(309)

一月二十一日  (現代語訳・26-5)


…海賊が報復するだろうと言っているような噂を心配する上に、海がまた恐ろしいので、

頭もすっかり白くなってしまった。七十歳、八十歳は、海にあるものであったなあ。

わたしの髪の雪(のような白髪)と…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(310)

一月二十一日  (現代語訳・26-6)


…磯辺の白波と、どちらが白いか。沖の島守よ(判定せよ)船頭、(この歌を島守に)言え」



 4月 10日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(311)

一月二十一日  (響子の言葉・26-1)


「ようやく…

室津の泊出発の様ですね。朝6時頃出発とは、余裕ですね。でも、いったい何日、こ

こに留まっていたのでしょうか。そりゃ、長く待て良い天気にもなりますよね。

ええと、それから…

私の不注意かもしれませんが、最初から疑問に思っていたのですが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(312)

一月二十一日  (響子の言葉・26-2)


…この一行は、2隻以上に分乗していますよね。海賊恐れているのは意外でした

が、多少の武者の護衛を考えれば、4隻5隻ということもあるのでしょうか。

さて…この間に…

<使はれむとてつきてくる童あり>

とあります。このを、舟君/貫之さん同乗させているわけですね。その上で、

などをさせようと。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(313)

一月二十一日  (響子の言葉・26-3)


この童は、をうたっていますが、開放的統率力が漂います。うーん…それにしても、

この童/若者は、相当に出来のいい行動的な若者の様ですね。

室津で乗って、何処かの泊で下りるのか。それとも、一行の誰かと良縁を結び、まで

のぼり、そこで働き口を得て、出世するという事もありますよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(314)

一月二十一日  (響子の言葉・26-4)


うーん…この童を追って、長編小説が書けそうですね。私に、その時間がないのが残念

です。も、感傷的ではありますが、冒険旅立つ若者気概でもありますよね。

この童を聞きながら、漕いでいると…

黒鳥という鳥が、岩の上に集まっているのが見えて来ます。



 4月 11日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(315)

一月二十一日  (響子の言葉・26-5)


船頭が、


<黒鳥のもとに白き波をよす>



と、気の利いた事を言います。そして…舟君/貫之さんが波を見て…



「土佐の国府を出立以来始めて・・・海賊が報復しに来るかも知れない事をお思う

上に・・・海がまた恐ろしいので・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(316)

一月二十一日  (響子の言葉・26-6)


・・・海のみならず、頭髪まで白くなってしまった。70歳とか80歳とかは、なんと海

の上にあるものだったのだなあ・・・」


先ほども触れましたが…

海賊報復しに来るかも知れないことに、貫之さんは非常に気を揉(もん)んでいますよ

ね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(317)

一月二十一日  (響子の言葉・26-7)


貫之さんは…

国守であった時に、海賊討伐に力を入れた事があったのでしょうか。国府ならいざ知ら

ず、へ出れば海賊神出鬼没(しんしゅつきぼつ/自由自在に素早く現れたり、隠れたりすること。)です。

しかも、今はたちも同行しています。

平安時代海賊といえば…瀬戸内海村上水軍(むらかみ・すいぐん/日本中世の瀬戸内海[1]で活

動した水軍(海賊衆)である。その勢力拠点は芸予諸島を中心とした海域であり、後に大まかに能島村上家、来島村上家、

因島村上家の三家へ分かれた。)有名ですが、ここは外海ですよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(318)

一月二十一日  (響子の言葉・26-8)


でも、貫之さん平安時代初期は…

河内源氏(かわち・げんじ/河内国(現在の大阪府の一部)に根拠地を置いた清和源氏の一流。一般的に武士で、

<源氏>という場合、この系統を指す。)庶流(しょりゅう/庶子の系統)/信濃村上氏(しなの・むらかみ・し

/河内源氏の庶流村上氏の嫡流)起源とした本格的な海賊衆ではないでしょうが…ボツボツと

神出鬼没海賊に、手を焼く様になって来るのでしょうか。海賊の事も、研究してみると

面白そうですね。

そして…舟君/貫之さんが、を詠みます、


★ わが髪の 雪と磯辺の 白波と いづれまされり 沖つ島守


岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(319)

一月二十一日  (響子の言葉・26-9)


      わたしの頭髪の…

            雪のような白さと…

                  磯辺の白波と…

               どちらが勝って白いのかね…

                      沖の島守よ、判定せよ…

楫取よ、この歌を、島守に言え…


…という事ですね。



 4月 18日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(320)

一月 二十二日  (原文・27-1)


二十二日。夜(よ)んべの泊(とまり)より、こと泊(/異泊・・・こととまり)を追ひてゆく。はるかに山

見ゆ。年九つばかりなる男(を)の童(わらは)、年よりは幼くぞある。この童、舟を漕ぐまにま

に山も行くと見ゆるを見て、あやしきこと、歌をぞ詠める。その歌、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(321)

一月 二十二日  (原文・27-2)


★ 漕ぎてゆく 舟にてみれば 足びきの 山さへゆくを 松は知らずや


とぞいへる。幼き童の言にては似つかはし。

今日、海荒げにて、磯に雪ふり、波の花咲けり。ある人の詠める、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(322)

一月 二十二日  (原文・27-3)


★ 波とのみ 一つに聞けど 色見れば 雪と花とに まがひけるかな


二十三日。日照りて曇りぬ。このわたり、海賊のおそりありといへば、神仏を祈る。

二十四日。昨日の同じ所なり。

二十五日。楫取(かじとり)らの、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

                                 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(323)

一月 二十二日  (原文・27-4)


「北風悪(あ)し」


といへば、舟出ださず。海賊追ひ来といふこと、絶えず聞こゆ。


二十六日。まことにやあらむ、海賊追ふと言へば、夜中ばかりより舟を出だして漕ぎくる。

(みち)に、手向(たむけ)する所あり。楫取して幣(ぬさ)(たてまつ)らするに…



 4月 19日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(324)

一月 二十二日  (原文・27-5)


…幣(ぬさ)の東へ散れば、楫取の申して奉ることは、


「この幣の散る方に、御舟すみやかに漕がしめ給へ」



と申して奉る。これを聞きて、ある女の童の詠める、



★ わだつみの ちぶりの神(/道触の神・・・陸路や海路を守護する神)に 

               手向けする 幣(ぬさ)の追風 やまず吹かなむ

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(325)

一月 二十二日  (原文・27-6)


とぞ詠める。

この間に、風のよければ、楫取いたく誇りて、舟に帆上げなど、喜ぶ。その音を聞きて、

童も女も、いつしかとし思へばにやあらむ、いたく喜ぶ。

この中に、淡路の専女(たうめ)といふ人の詠める歌、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(326)

一月 二十二日  (原文・27-7)


★ 追風の 吹きぬる時は ゆく舟の 帆手(ほて)打ちてこそ 嬉しかりけれ


とぞ。天気のことにつけて祈る。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(327)

一月 二十二日  (現代語訳・27-1)


二十二日。昨夜の港から異なる港を目指して行く。はるかに山が見える。年が九つぐら

いである男の子で、年よりは幼いのが、その場にいる。舟を漕いで行くにつれて、山も行

くように見えるのを見て、不思議なこと、(その子が)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(328)

一月 二十二日  (原文・27-2)


…歌を詠んだ。その歌は、


        漕いで行く…

            舟において見ると…

                山まで動いて行くのを…

              山に生えている松は…

                  知らないのだろうか…


と言った。幼い子供の歌としては似つかわしい。

今日は、海はいかにも荒れた様子で…



 4月 20日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(329)

一月 二十二日  (現代語訳・27-3)


…磯には(波が)雪のように降り、波の花が咲いている。ある人が詠んだ歌、


     磯での音は・・・

         波ひとつだけに・・・

              聞こえるのであるが・・・

       色を見ると・・・

           雪と花とに・・・

                見間違えることだなあ・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(330)

一月 二十二日  (現代語訳・27-4)


二十三日。日が照って、曇った。このあたりは、海賊の(襲って来る)恐れがあるというの

で、神仏に祈る。

二十四日。昨日と同じ所である。

二十五日。船頭たちが、


「北風が荒々しい」


と言うので、舟を出さない。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(331)

一月 二十二日  (現代語訳・27-5)


海賊が追って来るという噂が、絶えず耳に入る。

二十六日。本当なのだろうか、


「海賊が追って来る」


と言うので、夜中頃から舟を出して漕いで来る途中に、手向(たむ)けする場所(/航路の安全

を祈願する場所)がある。船頭に銘じて、幣(ぬさ)を奉(たてまつ)らせると…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(332)

一月 二十二日  (現代語訳・27-6)


…幣(ぬさ)が東へ散るので、船頭が申し上げて奉る言葉は、


「この幣の散る方向に、お舟を速かに漕がして下さい」


と申し上げて
(幣を)献上する。これを聞いて、ある女の子が詠んだ歌、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(333)

一月 二十二日  (現代語訳・27-7)


      海路を守る神に・・・

         手向けする幣に・・・

            吹く追風よ・・・

               止まずに吹いてくれ・・・


と詠んだ。

この間に、風がよいので、船頭は、はなはだ得意になって、舟に帆を上げなどして喜ぶ。

その(帆がはためく)音を聞いて、子供も女も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(334)

一月 二十二日  (現代語訳・27-8)


…早く(都へ帰りたい)と思っているからであろうか、非常に喜ぶ。

この中で、淡路(あはぢ)の専女(うため)という人が詠んだ歌、


       追風が吹いた時は・・・

            行く舟の帆布が・・・

                 はたはたと鳴って・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(335)

一月 二十二日  (現代語訳・27-9)


        その音を聞いて・・・

             航海の好調を知る・・・

                  乗客も手を打って・・・

                       嬉しいことであるよ・・・


ということである。

天気のことについて祈る。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                           室戸岬の御厨人窟(みくろど)と神明窟(しんめいくつ) /ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(336)

一月 二十二日  (響子の言葉・27-1)


「うーん…

海賊の事が、いよいよ深刻脅威になって来ていますね。室戸岬を回ったのかどうか、

ここまでの記述では分かりませんよね。ともかく、外海に面した最大海の難所/室戸

の周辺に、海賊巣食っていたのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                      
 室戸岬の御厨人窟(みくろど)から見える風景   /ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(337)

一月 二十二日  (響子の言葉・27-2)


前にも話しましたが…

弘法大師(こうぼうだいし/高野山・真言密教)伝記によると…空海遣唐使船(/この舟には、最長

/伝教大師/比叡山・天台宗も同乗していますが、空海は一介の留学僧の身分で乗っていました。)に乗る前に、こ

室戸岬海蝕洞(かいしょくどう/波浪による侵食で、海食崖に形成された洞窟のこと)/御厨人窟(みくろ

ど/高知県室戸市室戸岬町にある、弘法大師伝説の残る海蝕洞。御蔵洞とも表記される。日本の音風景100選の1つ)

に籠(こも)って修行しています。

ここは、お遍路(おへんろ)四国八十八箇所番外札所1つとして、有名の様ですが…



 4月 21日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
         「御厨人窟(みくろど)の波音」は・・・環境庁の「日本の音風景100選」に選ばれています /ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(338)

一月 二十二日  (響子の言葉・27-3)


空海修行した当時は、人も寄りつかない恐ろしい場所だった様です。

紀貫之さんは、空海/弘法大師より92年後に生まれた人ですが、この時代100年

っても、風景は全く変わらなかったでしょう。日本全人口が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                           外から見た御厨人窟(みくろど)  /ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(339)

一月 二十二日  (響子の言葉・27-4)


数百万人の時代ですから、変わりようもありません。

その様な…

最大難所だからこそ、海賊棲家(すみか)にもなったのでしょう。あの村上水軍(/日

本中世の瀬戸内海で活動した水軍/海賊衆。後に大まかに、能島村上家、来島村上家、因島村上家の三家に分裂。)

りも、大分前の話になりますよね。平家源氏などの武士台頭して来るのは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                           御厨人窟(みくろど)と神明窟(みょうじんくつ)の全景  /ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(340)

一月 二十二日  (響子の言葉・27-5)


藤原氏勢力衰退する平安時代後期の事です。貫之さんは、平安時代前期/『古

今集』編纂した人ですから。

したがって…

海賊も…野武士の様な武士集団ではなく、野盗武装している様な、はぐれ者集団

といった所でしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                           御厨人窟(みくろど)の左の浅い窟  /ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(341)

一月 二十二日  (響子の言葉・27-6)


土佐からへの海路は、海賊の生業(なりわい)成立するほどに、豊かな海の交易路だっ

たという事でしょう。

さて…

国守仕事には…山賊海賊討伐し、国を治めるという事もあるわけです。その恨み

が、この海賊脅しにはあるのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                           神明窟から海は見えない    /ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(342)

一月 二十二日  (響子の言葉・27-7)


でも…

海賊もやり過ぎると、本格的討伐が行われます。その辺りの折合いもあるのでしょう

が、現場有利不利の状況下では、大きな恐怖にもなったわけですね。

第40代/天武天皇国づくり以来…

官人武装義務づけられています。平家源氏のような、武家という専門職/階級

社会が育ってくるまでは、武威兼務していたのでしょう。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                           神明窟の内部         /ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(343)

一月 二十二日  (響子の言葉・27-8)


歌人である貫之さんも、官人ですから、鍛錬ぐらいはし、そばに置いているので

しょう。

『伊勢物語/芥川(あくたがわ)でも、(/・・・在原業平)は、鬼に対峙しているわけです。

うーん…

貫之さん海賊対策は…手向け場所(/ここでは、海路の安全を祈願する場所)(ぬさ)を奉らせ

たりしていますが…


 4月 22日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(344)

一月 二十二日  (響子の言葉・27-9)


うーん…今後、どういう展開になるのでしょうか、楽しみですよね…

舟君/舟主/貫之さんとしても…

ただ、恐がってばかりではいられません。神仏祈るのも立派な対策ですが、まず、

襲われたら、被害はどの程度になるのか…です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(345)

一月 二十二日  (響子の言葉・27-10)


海賊も…

ある意味では商売/生業(なりわい)ですから、よほどの悪人でない限り、皆殺しにしてしま

う、ということはないでしょう。

では…

何人殺傷されるのか…(さら)われるれるのか…物品奪われるだけで済むの

か…この辺りは、海賊との交渉戦闘になるのでしょうか?

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(346)

一月 二十二日  (響子の言葉・27-11)


でも…

もし、朝廷の高官/…前・土佐国守殺害されたとなれば、としても放置しておけない

事態になります。

極端な事を言えば…蝦夷(えぞ)との戦争激化し、奥州征夷大将軍/坂上田村麻呂

(さかのうえ・の・たむらまろ)派遣された事態の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                            坂上田村麻呂 ( 菊池容斎 『前賢故実』 より)  /パブリック・ドメイン

《響子の・・・土佐日記》・・・(347)

一月 二十二日  (響子の言葉・27-12)


小型版にもなります。最低でも土佐・阿波で、討伐軍編成される事態でしょう。

あ、坂上田村麻呂は…

空海/弘法大師よりも16年前758年に生まれた人です。征夷大将軍として蝦夷征討

(えぞせいとう)派遣したのは、第50代/桓武天皇(かんむ・てんのう)です。桓武天皇は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                           第50代/桓武天皇像(延暦寺蔵)  /パブリック・ドメイン

《響子の・・・土佐日記》・・・(348)

一月 二十二日  (響子の言葉・27-13)


794年に、平安京を移した天皇です。ここから鎌倉幕府成立するまでの約390

年間平安時代/平安王朝が続くわけです。

ええと…ですから…

海賊としても…朝廷につながる一行に、真っ向から歯向かえば、我が身滅ぼす事にも

なります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                       
外から見た御厨人窟(みくろど)  /ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(349)

一月 二十二日  (響子の言葉・27-14)


そうだとすれば…

海賊の側も…脅しをかけておく程度が、最も効果的なのかも知れません。でも、依然とし

て、野生が支配している古代の話です。何が起こるか、分かりませんよね。


 5月  2日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(350)

一月 二十七日  (原文・28-1)


二十七日。風吹き波荒ければ、舟出ださず。これかれ、かしこく歎く。男たちの心なぐさ

めに、漢詩に、


「日を望めば都遠し」



などいふなる言の様を聞きて、ある女の詠める歌、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(351)

一月 二十七日  (原文・28-2)


★ 日をだにも 雨雲近く 見るものを 都へとおもふ 道のはるけさ


また、ある人の詠める、



★  吹く風の 絶えぬかぎりし たち来れば 波路はいとど はるけかりけり


日ひとひ風やまず。つまはじぎして寝ぬ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(352)

一月 二十七日  (原文・28-3)


二十八日。夜もすがら雨やまず。今朝も。

二十九日。舟出だしてゆく。うらうらと照りて、漕ぎゆく。爪のいと長くなりにたるを見て、

日を数ふれば、けふは子の日なりければ、切らず。むつきなれば、京の子の日のこと言

ひ出でて、


「小松もがな」



 5月  3日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(353)

一月 二十七日  (原文・28-4)


といへど、海なかなれば、かたしかし。ある女の書きて出だせる歌、


★ おぼつかな 今日(けふ)は子(ね)の日か 海人(あま)ならば 

                           海松(うみまつ)をだに ひかましものを


とぞ言へる。海にて子の日の歌にては、いかがあらむ。また、ある人の詠める歌、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(354)

一月 二十七日  (原文・28-5)


★ 今日なれど 若葉も摘(つ)まず 春日野(かすがの)

                            わが漕ぎわたる 浦になければ


かくいひつつ漕ぎゆく。おもしろき所に舟を寄せて、



「ここやいどこ」



と問ひければ、



「土佐の泊(とまり)



といひけり。昔、土佐といひける所に住み…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(355)

一月 二十七日  (原文・28-6)


…ける女、この舟にまじれりけり。そが言ひけらく、


「昔、しばしありし所のなぐひにぞあなる。あはれ」



といひて、詠める歌、



★ 年ごろを 住みし所の 名にしおへば 来よる波をも あはれとぞ見る



とぞいへる。


 5月  4日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(356)

一月 二十七日  (現代語訳・28-1)


二十七日。風が吹き、波が荒いので、舟を出さない。この人あの人、はなはだ嘆く。男た

ちが気晴らしに漢詩で、


「太陽を眺めると、都は遠い」



などと吟じているらしい言葉のあらましを聞いて、ある女が詠んだ歌

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(357)

一月 二十七日  (現代語訳・28-2)


    太陽でさえも・・・

          空の雲近くに・・・

                見ることができるのに・・・

             都へと思う道の・・・

                   はるかに遠いこと・・・


また、ある人が詠んだ歌、



    吹く風が・・・

          絶えない限り・・・

                波が立って来るので・・・

             波路はいよいよ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(358)

一月 二十七日  (現代語訳・28-3)


             はるかであるなあ・・・


一日中、風が止まない。つまはじきして寝てしまった。



二十八日。一晩中、雨が止まない。今朝も。

二十九日。舟を出して行く。(日が)うらうらと照って、漕ぎ行く。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(359)

一月 二十七日  (現代語訳・28-4)


爪がずいぶん長くなってしまったのを見て、日を数えると、今日は子の日であったので、

切らない。

正月であるので、京での子の日のことを言い出して、


「小松があればなあ」



と言うけれど、海の中であるので…



 5月  5日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(360)

一月 二十七日  (現代語訳・28-5)


…難しいというものである。ある女が書いて出した歌、


    はっきりわからない・・・

           今日は子(ね)の日なのか・・・

                   私が漁師であるならば・・・

               海松(うみまつ/水松(みる)・・・みる科の緑藻類)なりとも・・・

                        引いたであろうものを・・・


と言っていた。海で子の日の歌に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                 

《響子の・・・土佐日記》・・・(361)

一月 二十七日  (現代語訳・28-6)


…しては、どうであろうか。また、ある人が詠んだ歌、


    子(ね)の日は今日であるが・・・

           若菜も摘まない・・・

                 春日野が・・・

              私が漕いで渡る・・・

                      浦にないので・・・


このように言いながら漕いで行く。風流な所に舟を寄せて、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

《響子の・・・土佐日記》・・・(362)

一月 二十七日  (現代語訳・28-7)


「ここはどこ」


と尋ねたところ、



「土佐の港」



と言った。昔、土佐といった所に住んでいた女が、この舟にまじっていた。その者が言う

ことには、


「昔、しばらくいた所の名と同じであるうようだ。ああ」



と言って…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(363)

一月 二十七日  (現代語訳・28-8)


…詠んだ歌、


    長い年月も・・・

           住んだ所の名を・・・

                 持っているので・・・

                       寄せて来る波をも・・

                    しみじみ懐かしいと・・・

               思って見る・・・


と言った。



 5月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(364)

一月 二十七日  (響子の言葉・28-1)


「うーん…

一行舟旅難儀が…

<かれこれ、かしこく嘆く/・・・この人あの人、はなはだ嘆く >…に象徴されていま

す。

<潮待ち・日和待ち>の…外海航路の旅/土佐から都への旅は、古代においてはこ

れほど大変な旅だったでしょうか。前にも言いましたが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(365)

一月 二十七日  (響子の言葉・28-2)


荷物を載せての徒歩の旅の方が、よほど確実ですよね。

<日を望めば都遠し>とは…李白(りはく/中国・唐の最も栄えた頃の詩人。同時代の杜甫(とほ)ととも

に最高の詩人とされる。)の、“遥かに長安の日を望めば…”(/李白の詩・・・『単父(ぜんほ)の東楼にて秋

夜族弟(ぞくてい)沈(しん)の秦に之くを送る』の中の、“遥かに長安の日を望めば、長安の人を見ず、長安の宮闕九天

の上・・・” )連想したものの様です。

<つまはじきして寝ぬ>…というのは、<爪弾き/・・・指の爪を弾いて、・・・



 5月  9日

岡田健吉‏@zu5kokd1  

《響子の・・・土佐日記》・・・(366)

一月 二十七日  (響子の言葉・28-3)


・・・悪いことを避けるオマジナイ>をして、寝た…ということです。

二十九日。ようやく、<うらうらと照りて/・・・うららかに日が照って>その中を漕いで

進みます。

が、かなり長くなったのを見て、を数えてみます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(367)

一月 二十七日  (響子の言葉・28-4)


ここで、数えるというのは…

<十二支(じゅうにし)/・・・子(ね/鼠)・丑(うし/牛)・寅(とら/虎)・卯(う/兎)・辰(たつ/龍)・巳

(み/蛇)・午(うま/馬)・未(ひつじ/羊)・申(さる/猿)・酉(とり/鶏)・戌(いぬ/犬)・亥(い/豚(猪))

廻り合わせ数えることです。

でも、今日<子の日>なので、切らないとあります。手の爪<丑の日>に切る

決まりで、<子の日>はその前日に当たりますよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(368)

一月 二十七日  (響子の言葉・28-5)


そして、足の爪の方は、<寅(とら/虎)の日>切るのをとしていました。そんな風に、

風習(/風俗習慣)神仏に、礼を尽くして…いたわけですね。

この時代人々は、現代人私たちが考えるより、はるかに、神仏身近実感してい

た様です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(369)

一月 二十七日  (響子の言葉・28-6)


そして、吉凶を占い、手向(たむ)け所があれば(ぬさ/神に祈る時に捧げ、また祓(はらい)に使う、紙・

麻などを切って垂らしたもの。幣帛(へいはく)。ごへい。)を立て、地神(じがみ、じしん/土地の神、天照大神以下こ

の国を治める神々。)往来の無事を祈ります。

そして、<会うも別れも・・・深遠な仏縁>とも、解していた様ですね。現代人は、<出

会いは意味のない・・・偶然の確率の問題で・・・その集積が人生だ>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(370)

一月 二十七日  (響子の言葉・28-7)


などと思い込んでいる人も、多いのではないでしょうか。でも、果たして、そうなのでしょ

うか。

手向け所(ぬさ)を立て…<会うも別れも・・・深遠な仏縁と解する方>…が、はる

かに<人間の真髄/真実>に近く…<哲学的にも・・・深いもの>…を感じさせます。

そういう意味では、現代人は、“ものを考えなくなった”…のではないでしょうか。



 5月 10日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(371)

一月 二十七日  (響子の言葉・28-8)


正月<子の日>なので、<都/京の子の日>のことを、誰となく言い出します。そし

て…<小松もがな/・・・小松があればなあ>と言います。

そこで、ある女の書いたが…<海女(あま)ならば 海松(うみまつ)をだに引かましもの

を>…と詠みます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(372)

一月 二十七日  (響子の言葉・28-9)


<小松>というのは松の小枝でしょうか。<海松/・・・ミル(/浅海の海底に生える、みる科の

緑藻類。円柱状で、幾つにも細かく分岐する。食用。)海藻ですが…代わりにしようと思うのです

が、海女ではないので、潜って採って来る事ができない…と詠んでいます。


<おもしろき所/・・・風流な所>
を寄せて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(373)

一月 二十七日  (響子の言葉・28-10)


<ここやいどこ/・・・ここはどこ>と尋ねたところ、<土佐の泊/・・・土佐の港>

と答えます。現在の、徳島県/鳴門市/鳴門町/土佐泊浦です。

うーん…

は…どうやら、鳴門海峡近くに達していている様子です。ここから、淡路島南方を通

り…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(374)

一月 二十七日  (響子の言葉・28-11)


和泉国/…大阪府和泉市あたりに向うことになります。

さて…

<昔、土佐といひける所に住みける女、この舟にまじれけり>とあり…

彼女は、<昔、しばしありしところのなくひにぞあなる。あはれ/・・・昔、私が・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(375)

一月 二十七日  (響子の言葉・28-12)


…しばらく住んでいた所と名の通う所です。懐かしいこと。>…と言っています。

うーん…

この女性は…どういう経緯で、紀貫之さん一行に加わる事になったのでしょうか。女性

ですから…結婚か、それとも幼い頃に、に付いてに上ったのでしょうか。想像してみ

ると、面白いですね…」



 5月 22日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(376)

一月三十日 (原文・29-1)


三十日。雨風吹かず。海賊は夜歩きせざなりと聞きて、夜中ばかりに舟を出だして、阿波

(あわ)の水門をわたる。夜中なれば、西東も見えず。男女からく神仏を祈りて、この水門をわ

たりぬ。寅卯(とら・う)の時ばかりに、沼島(ぬしま)といふ所を過ぎて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(377)

一月三十日 (原文・29-2)


…多奈川(たながわ)といふ所をわたる。からく急ぎて、和泉の灘といふ所にいたりぬ。

今日、海に波に似たるものなし。神仏のめぐみかうぶれるに似たり。今日、舟にのりし日

より数ふれば、三十日あまり九日になりにけり。今は和泉の国に来ぬれば…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(378)

一月三十日 (原文・29-3)


…海賊ものならず。


二月一日。あしたの間、雨ふる。午時(ごじ、ひるどき)ばかりにやみぬれば、和泉の灘とい

ふ所より出でて漕ぎゆく。海の上、昨日のごとくに、風波見えず。黒崎の松原を経てゆく。

ところの名は黒く、松の色は青く、磯の波は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(379)

一月三十日 (原文・29-4)


…雪のごとくに、貝の色は蘇芳(すおう)に、五色にいま一色ぞたらぬ。この間に、けふは

箱浦といふ所より、綱手曳(つなで・ひ)きてゆく。かくゆく間に、ある人の詠める歌、


★ たまくしげ 箱の浦波  立たぬ日は 海を鏡と たれか見ざらむ


 5月 23日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(380)

一月三十日 (原文・29-5)


また、舟君のいはく、


「この月までなりぬること」



となげぎて、苦しきにたへずして、人も言ふこととて、心やりにいへる、



★ 曳く舟の 綱手のながき 春の日を 

              四十日五十日(/しとか・ごとか・・・?)まで われは経にけり


聞く人の思へるやう、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(381)

一月三十日 (原文・29-6)


「なぞただごとなる」


と、ひそかに言ふべし。



「舟君のからくひねり出だして、よしと思へることを、怨
(えん)じもこそし給べ」


とて、つつめきてやみぬ。にはかに風波高ければ、とどまりぬ。



二日。雨風やまず。日一日…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(382)

一月三十日 (原文・29-7)


…夜もすがら、神仏を祈る。


三日。海の上、昨日のやうなれば、舟出ださず。風の吹くことやまねば、岸の波立ちか

へる。これにつけて詠める歌、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(383)

一月三十日 (原文・29-8)


★ 麻(ま)をよりて かひなきものは 落ちつもる 涙の珠(たま)を ぬかぬなりけり


かくて今日暮れぬ。



 5月 24日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(384)

一月三十日 (現代語訳・29-1)


三十日。雨(も降らず)風も吹かない。海賊は、夜は活動しないものであると聞いて、夜

中頃に舟を出して、阿波の水門を渡る。夜中のことであるので、西東も見えない。男も女

も、一心に神仏に祈って、この水門を渡った。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(385)

一月三十日 (現代語訳・29-2)


午前四時から午前六時頃に、沼島という所を過ぎて、多奈川という所を渡る。必死に急

いで、和泉の灘という所に着いた。

今日は、海に波らしい波はない。神仏のお恵みを受けたようである。今日、舟に乗った

日から数えると…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(386)

一月三十日 (現代語訳・29-3)


…三十九日になってしまったのである。今は、和泉の国に来たので、海賊など問題では

ない。

二月一日。朝の間、雨が降る。正午頃には止んだので、和泉の灘という所から出て漕い

で行く。海の上は、昨日のように、風も波も見えない。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(387)

一月三十日 (現代語訳・29-4)


黒崎の松原を通って行く。場所の名は黒く、松の色は青く、磯の波は雪のようで、貝の色

は蘇芳色(すおういろ/黒みを帯びた赤色)で、五色に今一色だけたりない。この間に、

今日は箱の浦という所から、引綱を曳いて行く。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(388)

一月三十日 (現代語訳・29-5)


こうして行く間に、ある人が詠んだ歌、


     箱の浦に・・・

         波が立たない日は・・・

             海を鏡と・・・

            誰が見ないだろうか・・・

                誰もが・・・

                    鏡と見るであろう・・・



 5月 25日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(389)

一月三十日 (現代語訳・29-6)


また、舟君(紀貫之さん)が言うことには、


「この月
(二月)までになってしまったことよ」


と嘆いて、苦しさに耐えかねて、人も詠むことだからと言って、気晴らしに詠んだ歌、



曳いて行く舟の・・・

引綱のような・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(390)

一月三十日 (現代語訳・29-7)


長い春の日を・・・

四十日、五十日になるまで・・・

私は過ごしたことだなあ・・・


聞いている人が思うことは、



「何だって、平凡な歌なのだろう」



と、こっそりと言っているに違いない。


「舟君がようやく捻り出して…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(391)

一月三十日 (現代語訳・29-8)


…よいと思っていることを、恨みでもなさるといけない」


と言って、ささやいて止めてしまった。急に風が強く、波が高くなったので、泊まってしまっ

た。


二日。風雨が止まない。終日、終夜、神仏を祈る。

三日。海の上は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(392)

一月三十日 (現代語訳・29-9)


…昨日のようなので、舟を出さない。風の吹くことが止まないので、岸の波が寄せては

返す。これにつけて詠んだ歌、


麻をよって・・・

糸をつむいでも・・・

甲斐(かい)のないのは・・・

落ち積もる涙の珠(たま)を・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(393)

一月三十日 (現代語訳・29-10)


(つらぬ)きとめることが・・・

出来ないからなのだよ・・・


こうして、今日は暮れてしまった。



 5月 26日

岡田健吉‏@zu5kokd1  

《響子の・・・土佐日記》・・・(394)

一月三十日 (響子の言葉・29-1)


「ええ…

<海賊は夜歩きせざなり/・・・海賊は夜は活動しないものである>…という事です。

阿波/徳島阿波の水門/鳴門海峡淡路島南部/沼島の辺りは…さかんに海賊

跋扈(ばっこ/のさばり、はびこること)していた様ですね。

でも…

海賊は夜は働かないと言います。海賊商売は、実入り(みいり/収入)がいいという事なので

しょうか…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(395)

一月三十日 (響子の言葉・29-2)


うーん…

いえ、そうではなく…海神(わたつみ、わだつみ、うながみ、かいじん/海を司る神。また、海に住んでいるという

神。世界各地の神話においても比較的高位の神とされている場合が多い。/ギリシア神話ではポセイドン、ローマ神話で

はネプチューン)などのからむ、縁起担((えんぎかつ)の方が、有りそうですよね。

ほほ…

私/響子め邪推(じゃすい/他の人の行為を、悪い意味に、ひがんで推量すること)はともかく…

(なぎ/風力がゼロの状態・・・朝凪、夕凪)海賊活動休止真夜中に…鳴門海峡をこえ、沼島

(ぬしま/淡路島の南4.6kmの紀伊水道北西部に浮かぶ島)を過ぎ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(396)

一月三十日 (響子の言葉・29-3)


多奈川(/多奈川駅は・・・大阪府泉南郡岬町にある、南海電気鉄道多奈川線の駅で、終着駅。大阪府内で最も西

に位置する駅。)という所を渡ります。そして必死に漕いで、大阪府和泉の灘に到着です。

うーん…私にもようやく…

当時海賊の様子が少しづつ分かってきました。和泉の国に入れば、もう地続き

す。海賊心配はない様ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(397)

一月三十日 (響子の言葉・29-4)


ええと、旧暦では…

一月三十日までで、翌日二月一日になります…

<けふは箱浦といふ所より、綱手曳きてゆく/今日は箱の浦という所から、引綱を

引いて行く>

…とあります。これはをつけて、砂浜を歩いて曳いて行くわけですよね。こうしたこ

とは、昔は多かった様ですね。

うーん…この<綱手曳き>に関しては…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(398)

一月三十日 (響子の言葉・29-5)


…調べても、あまり資料/データがない様です。

江戸時代は…特に、水運/運河発達していたわけですよね。江戸近郊においても、

重い荷物舟で運ぶ時などは、 舟引道(ふねひきみち/細い小道)運河両側にあり、それ

専門とする人夫もいたと聞くのですが…

うーん…どうしたことでしょう。あまり資料はないようですね。かつて版画で見たことがあっ

たのですが、残念ながら、その版画も見つかりません。



 5月 27日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(399)

一月三十日 (響子の言葉・29-6)


さあ…

箱の浦から、漕ぎ手たちはに代えて、長い引綱を引いて浜を歩きます。その舟の上で、

ある人詠んだ歌


★ たまくしげ 箱の浦波 立たぬ日は 海を鏡と たれか見ざらむ



この、ある人と言うのは貫之さんですよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(400)

一月三十日 (響子の言葉・29-7)


そして舟君/貫之さんは、もう二月に入ってしまったと嘆き


★ 曳(ひ)く舟の 綱手のながき 春の日を 

              四十日五十日(しとひ・ごとひ/?)まで われは経(へ)にけり


ふーん…この次の下りが面白いですよね…

<聞く人の思へるやう/・・・聞いている人が思うことは、・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(401)

一月三十日 (響子の言葉・29-8)


「なぞただごとなる/・・・何だって、平凡な歌なのだろう」

と、ひそかに言ふべし/・・・と、こっそりと言っているに違いない>


…という事ですね。

貫之さんが、ひどく平凡なので、まわりが気を揉(も)んでいる風景です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(402)

一月三十日 (響子の言葉・29-9)


この下りは、文章全体滑稽(こっけい/言動がおどけていて、おもしろくおかしいこと。)で、笑えますよ

ね。『土佐日記』には、こうした滑稽風景随所に出てくる様です。

かな文字女性を気取っていますが、このギャグ感覚的には男性のもの、つまり、

之さんのものですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(403)

一月三十日 (響子の言葉・29-10)


そして…

二月二日は、風雨が止まないので、終日終夜神仏に祈っていた様です。

三日も、同じ天気で、また、連日足止めです。



 6月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(404)

二月 四日 (原文・30-1)


四日。楫取(かじとり)


「今日、風雲の気色はなはだ悪し」



といひて、舟出ださずなりぬ。しかれども、ひねもすに波風立たず。この楫取は、日もえ

はからぬかたゐなりけり。この泊の浜には、くさぐさのうるはしき貝、石など多かり。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(405)

二月 四日 (原文・30-2)


かかれば、ただ昔の人をのみ恋ひつつ、舟なる人の詠める、


★ よする波 うちもよせなむ わが恋ふる 人忘れ貝 おりて捨はむ


といへれば、ある人のたへずして、舟の心やりに詠める

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(406)

二月 四日 (原文・30-3)


★ 忘れ貝 捨ひしもせじ しらたまを 恋ふるをだにも かたみとおもはむ


となむいへる。女児のためには親幼くなりぬべし。



「珠
(たま)ならずもありけむを」


と人いはむや。されども、



「死し子、顔よかりき」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(407)

二月 四日 (原文・30-4)


といふやうもあり。なほ同じ所に日を経ることを歎(なげ)きて、ある女の詠める歌、


★ 手をひでて さむさも知らぬ 泉にて 汲むとはなしに 日ごろ経にける



 6月 13日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(408)

二月 四日 (現代語訳・30-1)


四日。船頭が、


「今日は風や雲の様子が非常に悪い」



と言って、舟を出さずじまいになった。しかしながら、終日、風も波も立たない。この船頭

は、天気も予測できない盆暗(ぼんくら)であったのだなあ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(409)

二月 四日 (現代語訳・30-2)


この港の浜には、いろいろの美しい貝、石などが多い。このようだから、ただ亡くなった

娘のことばかりを恋しがりながら、舟にいる人が詠んだ歌、


寄せる波よ・・・

打ち寄せてくれ・・・

私の恋い慕う人を・・・

忘れるという忘れ貝を・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(410)

二月 四日 (現代語訳・30-3)


そうしたら私は・・・

舟をおりてそれを拾おう・・・



と言ったので、ある人が耐えられず、舟旅の気晴らしに詠んだ歌、


忘れ貝を・・・

拾ったりもするまい・・・

白珠のように美しかった・・・

今は亡き娘を・・・

思う気持ちだけでも・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(411)

二月 四日 (現代語訳・30-4)


形見と思う・・・


と詠んだ。娘のためには、親は子供のようになってしまうようである。


「珠
(たま)というほどでもなかったであろうに」


と人は言うであろうか。けれども、


「死んだ子は、顔が美しかった」



ということもある。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(412)

二月 四日 (現代語訳・30-5)


依然、同じ所で日を過ごすことを嘆いて、ある女が詠んだ歌、


手をつけて・・・

冷たさも感じない・・・

名ばかりの泉・・・

その和泉の国で・・・

水を汲むこともなしに・・・

日を過ごしてしまったことだ・・・



 6月 14日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(413)

二月 四日 (響子の言葉・30-1)


「うーん…

この日楫取(かじとり)/舟頭が、海が荒れる判断して、を出さなかったわけですね。

そしたら、一日中も立たなかったわけです。それで…

<この楫取は、日もえはからぬかたゐなりけり/・・・この舟頭は、天気も予測でき

ない・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(414)

二月 四日 (響子の言葉・30-2)


・・・盆暗(ぼんくら)であったのだなあ>

…とボヤいています。こんな旅ですから、気持ちは十分に分かります。でも、天気予想

気象衛星のある現代でも、難しいものですよね。それを盆暗(ののし)られ舟頭

の毒ですが、そんな事の集積がこうした舟旅です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(415)

二月 四日 (響子の言葉・30-3)


舟頭一時(いっとき)しおれて、それでお終いです。

和泉の国砂浜には、美しい貝殻が多いとあります。これらを見て、亡くなった娘

ことを恋しがってを詠んでいます。

<忘れ貝>などというが、あるのでしょうか。その貝を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(416)

二月 四日 (響子の言葉・30-4)


に詠みこむなどは、歌人とは風流な人々ですよね。

<しらたま/・・・白珠>の様なといい…いや、<珠ならずもありけむを/・・・白珠

というほどでもなかった>と言い…けれども、死に別れた時は、本当に美しいもの

…と言います。

当時の…が偲ばれます。



 6月 23日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(417)

二月 五日 (原文・31-1)


五日。今日、からくして和泉の灘より小津の泊(とまり/みなと)を追ふ。松原、目もはるばる

なり。これかれ苦しければ、詠める歌、


★ ゆけどなほ ゆきやられぬは 妹がうむ をづの浦なる 岸の松原


かくいひつつ来るほどに、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(418)

二月 五日 (原文・31-2)


「舟とく漕げ、日のよきに」


ともよほせば、楫取(かじとり)、舟子(ふなこ/水夫)どもにいはく、



「御舟よりおほせ給ぶなり。朝北の出で来ぬさきに綱手はや曳(ひ)け」



といふ。この言葉の歌のやうなるは、楫取のおのづからの言葉なり。楫取は、うつたへ

に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《響子の・・・土佐日記》・・・(419)

二月 五日 (原文・31-3)


…われ歌のやうなることいふとにもあらず。聞く人の、


「あやしく歌めきてもいひつるかな」



とて、書き出だせれば、げに三十文字あまりなりけり。今日、



「波な立ちそ」



と、人々ひねもすに祈るしるしありて、風波立たず。



 6月 24日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                    (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(420)

二月 五日 (原文・31-4)


今し、かもめ群れゐて遊ぶところあり。京の近づく喜びのあまりに、ある童の詠める歌、


★ 祈り来る 風間と思ふを あやなくも かもめさへだに 波と見ゆらむ


といひて、行く間に、石津といふ所の松原おもしろくて、浜辺遠し。


岡田健吉‏@zu5kokd1      

《響子の・・・土佐日記》・・・(421)

二月 五日 (原文・31-5)


また、住吉のわたりを漕ぎゆく。或る人の詠める歌、


★ 今見てぞ 身をば知りぬる 住の江の 松よりさきに われは経にけり


ここに、昔へ人の母、一日片時も忘れねば詠める、


岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(422)

二月 五日 (原文・31-6)


★ 住の江に 舟さし寄せよ 忘れ草 しるしありやと 摘みてゆくべく


となむ。うつたへに忘れなむとにはあらで、恋しき心地しばしやすめて、またも恋ふる力

にせむとなるべし。


 6月 25日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                    (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(423)

二月 五日 (現代語訳・31-1)


五日。今日、やっとのことで、和泉の灘から小津の港を目指す。松原は、目にもはるか

にずっと続いて見える。この人あの人不快であったので、詠んだ歌、


いくら行っても・・・

まだ行き過ぎることが・・・

できないのは・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《響子の・・・土佐日記》・・・(424)

二月 五日 (現代語訳・31-2)


小津の浦にある・・・

岸の松原だなあ・・・


このように言いながら来るうちに、



「舟を早く漕げ。天気が良いから」


とせき立てると、船頭が水夫どもに言うことには、


「御舟から命令をいただいた。朝の北風が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(425)

二月 五日 (現代語訳・31-3)


・・・吹き出さない前に、綱手を早く曳け」


と言う。この言葉が歌のようであるのは、船頭がたまたま言った言葉である。船頭は、こ

とさらに、自分が歌のような文句を言っているというわけでもない。聞く人が、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《響子の・・・土佐日記》・・・(426)

二月 五日 (現代語訳・31-4)


「不思議に歌のように言ったものだな」


と言って、書き出したところ、実に、三十一文字
(/歌のように・・・5・7・5・7・7)であったのだ。


「今日は、波が立つなよ」



と人々が一日中祈る甲斐
(かい)があって、風も波も立たない。たった今、かもめが群れ留

まって…


 6月 26日

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《響子の・・・土佐日記》・・・(427)

二月 五日 (現代語訳・31-5)


…遊んでいる所があります。京が近づく喜びの余りに、ある子供が詠んだ歌、


祈ってきた・・・

その甲斐あって・・・

風の絶え間だと思うのに・・・

わけが分からないことに・・・

かもめさえもが・・・

波と見えるのであろう・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                       
大阪/浜寺公園の松林     (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(428)

二月 五日 (現代語訳・31-6)


と言って行く間に、石津という所の松原が趣深くて、浜辺が遠くまで続いている。また住

吉のあたりを漕いで行く。ある人が詠んだ歌、


いま見て・・・

自分自身を知ってしまった・・・

住吉の松より先に・・・

私は年老いてしまったのだなあ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             忘れ草/ヤブカンゾウ       (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(429)

二月 五日 (現代語訳・31-7)


ここで、亡くなった娘の母が、一日片時も忘れないので、詠んだ歌、


住之江に・・・

舟をさし寄せよ・・・

忘れ草を・・・

効き目があるかどうかと・・・

積んで行きたいから・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《響子の・・・土佐日記》・・・(430)

二月 五日 (現代語訳・31-8)


と。完全に忘れてしまおうというのではなくて、恋しい気持ちをしばらく休めて、またも、恋

い慕う力にしようというのであろう。



 6月 28日

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《響子の・・・土佐日記》・・・(431)

二月 五日 (響子の言葉・31-1)


「ようやく…

大阪湾内海に入り…和泉の灘から小津の港を目指す、というわけですね。和泉の灘

というのは、大阪湾正式名称なのだそうです。


★ ゆけどなほ ゆきやられぬは 妹
(いも)がう(績)む をづの浦なる 岸の松原

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                       
大阪/浜寺公園の松林     (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(432)

二月 五日 (響子の言葉・31-2)


この歌は…


行っても、行っても、行き尽くせないのは…女たち(つむ)ぐ麻糸と同様に…この小津

の浦に続く…岸辺松原だ…


…と苦しさボヤいています。舟の一行が、どこまでも続く岸の松林ウンザリしている

のが、ヒシヒシと…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《響子の・・・土佐日記》・・・(433)

二月 五日 (響子の言葉・31-3)


…感じられます。

こうした男臭いユーモアは、『土佐日記』全体に流れている空気感の様ですね。女性

を気取って、仮名混じり文字で書いていますが、むしろ、作者/紀貫之さんの、男性的

人間性が伝わって来ます。


 6月 29日

岡田健吉‏@zu5kokd1

《響子の・・・土佐日記》・・・(434)

二月 五日 (響子の言葉・31-4)


そんな呑気な事を言っているので、舟主/紀貫之さん催促し、船頭がそれに応えて

に言います。


<舟とく漕げ、日のよきに/・・・舟を早く漕げ。天気が良いから>



<★ 御舟より おほせ給ぶなり 朝北の ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                       
大阪/浜寺公園の松林     (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(435)

二月 五日 (響子の言葉・31-5)


・・・出で来ぬさきに 綱手はや曳け/・・・御舟から命令をいただいた。朝の北風が

吹き出さない前に、綱手を早く曳け>


船頭普通に言ったのですが、歌人満載している舟なので、誰かが言います。



<あやしく歌めきてもいひつるかな/・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(436)

二月 五日 (響子の言葉・31-6)


・・・不思議に歌のように言ったものだな、>


そこで、書き出してみたところ…<5・7・5・7・7=31文字>…と成っていました。

うーん…これはやはり、<一緒にいる・・・周囲の人々の・・・学習効果>…と、私/響

は見ていますが、どうでしょうか?

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             忘れ草/ヤブカンゾウ       (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(437)

二月 五日 (響子の言葉・31-7)


<何かにつけて・・・歌を詠む>…というのは、人生楽しくするものですね。

それから…京/都(みやこ)近づきがそれを喜び、を詠んだりします。石津住吉

漕いで行き…今度は…忘れ草を見つけて、娘を亡くした母親を詠みます。



 7月 24日

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(438)

二月 五日・続き  (原文・32-1)


かく言ひて眺めつつ来るあひだに、ゆくりなく風吹きて、漕けども漕げども、しりへ退きに

退きて、ほとほとしくうちはめつべし。楫取(かじとり)のいはく、


「この住吉の明神は例の神ぞかし。ほしき物ぞおはすらむ」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(439)

二月 五日・続き  (原文・32-2)


とは、今めくものか。さて、


「幣(ぬさ/神に祈る時に捧げ、また祓いに使う、紙・麻などを切って垂らしたもの)を奉(たてまつ)り給(たま)へ」



といふ。言ふに從ひて、幣たいまつる。かくたいまつれれども、もはら風やまで、いや吹

きにいや立ちに、風波のあやふければ、楫取またいはく、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(440)

二月 五日・続き  (原文・32-3)


「幣には御心のいかねば御舟もゆかぬなり。なほ、うれしと思ひ給ぶべきものたい

まつり給べ」


といふ。またいふにしたがひて、



「いかがはせむ」



とて、



「眼もこそ二つあれ、ただ一つある鏡をたいまつる」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(441)

二月 五日・続き  (原文・32-4)


とて、海にうちはめつれば口惜し。されば、うちつけに、海は鏡の面のごとなりぬれば、

ある人の詠める歌、


★ ちはやぶる 神の心を 荒るる海に 鏡を入れて かつ見つるかな

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(442)

二月 五日・続き  (原文・32-5)


いたく、住の江、忘れ草、岸の姫松などいふ神にはあらずかし。目もうつらうつら、鏡に

神の心をこそ見つれ。楫取の心は、神の御心なりけり。



 7月 25日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                           『小倉百人一首』 【18番→藤原敏行朝臣】  (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(443)

二月 五日・続き  (現代語訳・32-1)


このように言って、眺めながら来る間に、不意に突風が吹いて、漕いでも漕いでも後ろ

に退き退きして、今にも沈めててしまいそうである。船頭が言うには、


「この住吉の明神は、例の神だぜ。欲しいものがおありなんだろうよ」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                           幣 (ぬさ)

《響子の・・・土佐日記》・・・(444)

二月 五日・続き  (現代語訳・32-2)


とは、なんと当世風な話し方よ。さて、


「幣を奉納なさいませ」



(船頭が)言う。言うことに従って幣を奉る。このように奉納したのだが、いっこうに風

は吹き止まないで、いよいよ(風は)吹きに吹き、いよいよ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(445)

二月 五日・続き  (現代語訳・32-3)


(波は)立ちに立ち、風と波が危険であったので、船頭がまた言うには、


「幣では御満足なさらないので、御舟も進まないのである。もっと嬉しいとお思いな

さるような物を奉納なさいませ」


と言う。

 

岡田健‏@zu5kokd1             

《響子の・・・土佐日記》・・・(446)

二月 五日・続き  (現代語訳・32-4)


また、(船頭の)言うことに従って、


「いかがでしょうか」



と言って、



「目も二つあるのに、たった一つしかない鏡を奉納する」



と言って、海に投げ込んだので、残念なこと。そうしたら、突然に、海は鏡の面…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(447)

二月 五日・続き  (現代語訳・32-5)


…のようになったので、ある人が詠んだ歌、


霊力の・・・

盛んな神の心を・・・

荒れた海に・・・

鏡を入れたと同時に・・・

見てしまったなあ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             忘れ草/ヤブカンゾウ       (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(448)

二月 五日・続き  (現代語訳・32-6)


それほど、住之江、忘れ草、岸の姫松などという(優美な)神ではないのだなあ。

目にもまざまざと、鏡に神の心を見てしまった。船頭の心は、神の御心であったのだ。



 7月 26日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                           幣 (ぬさ)

《響子の・・・土佐日記》・・・(449)

二月 五日・続き  (響子の言葉・32-1)


「うーん…不意に、突風が吹いて来たのですか…

そのため住吉海岸も強いようです。漕いでも漕いでも、が進まなくなりま

した。

そこで…

船頭は、地神/住吉明神仕業と見抜き、(ぬさ)奉納するよう勧めます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(450)

二月 五日・続き  (響子の言葉・32-2)


でも…

を立てても、はますます強くなり、もますます高くなり、危険なほどになりす。

地神では満足しないようです。船頭は、もっと嬉しがるような物を奉納するよう進言

します。そこで、しかたなく…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                     
           住吉明神        (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(451)

二月 五日・続き  (響子の言葉・32-3)


に沈めて奉納すると、風波突然おさまり、鏡の面のように鎮(しず)まりました。

ほほ…

うーん…まさに、住吉明神仕業の様ですね。そして舟君/紀貫之さんが、一首、詠ん

でいます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(452)

二月 五日・続き  (響子の言葉・32-4)


★ ちはやぶる 神の心を 荒るる海に 鏡を入れて かつ見つるかな


       霊力の・・・

             盛んな神の心を・・・

                  荒れた海に・・・

                鏡を入れたと同時に・・・

                       見てしまったなあ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             忘れ草/ヤブカンゾウ       (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(453)

二月 五日・続き  (響子の言葉・32-5)


貫之さんは…

まのあたりに、地神本心を、鏡に映して見てしまった様です。

それは…

<住之江><忘れ草><岸の姫松>などという、優美なことを言うではなかっ

た様ですね。まさに、を欲しがり、喜んだのですから、」



 9月  29日

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(454)

二月六日 (原文・33-1)


六日。みをつくし(澪標)のもとより出でて、難波につきて、川尻に入る。みな人々、嫗(をむ

な)、翁(おきな)、ひたひに手をあてて喜ぶこと二つなし。かの舟酔ひの淡路の島の大御

おほいご)、都近くなりぬといふを喜びて、舟底よりかしら(頭)をもたげてかくぞいへる。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(455)

二月六日 (原文・33-2)


★ いつしかと いぶせがりつる 難波がた 

              葦こぎそ(退)けて 御船(みふね)来にけり


いと思ひのほかなる人の言へれば、人々あやしがる。これがなかに、心地なやむ舟君

たくめでて、


「舟酔ひし給(たう)ベリし御顔(みかを)には、似ずもあるかな」


と、いひける。



 9月  30日 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(456)

二月六日 (現代語訳・33-1)


六日。澪標(みおつくし)の所から出立して、難波(なにわ)について、河口に入る。人々はみ

な、(とくに)お婆さんやお爺さんは、額に手をあてて喜ぶこと、この上もない。あの舟酔し

た淡路島の高齢のご婦人は、


「都が近くなった」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(457)

二月六日 (現代語訳・33-2)


と言うのを喜んで、舟底から頭をもち上げて、このように言った。


早く帰りたいと・・・

気持ちが晴れずにいた・・・

難波潟に・・・

(あし)を漕ぎ分けて・・・

御舟はやって来たことよ・・・


まったく意外な人が詠んだので、人々は不思議に思う。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(458)

二月六日 (現代語訳・33-3)


この中で、気分がすぐれないでいる舟君(紀貫之)が、たいそう賛美して、


「舟酔いしていらっしゃった御顔には、似つかわしくない、良い歌だなあ」


と、言ったのだった。



 10月  1日

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(459)

二月六日 ( 響子の言葉・33-1 )


2月6日

<澪標(みおつくし)の所から船出して、難波に着いて、河口に入る>

…とありますね。

外海に張り付くように航海し…大阪湾に入り…いよいよにも歌われる<難波潟

(なにわがた/・・・難波江(なにわえ)と同じで・・・歌枕 )に、到着しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                  難波潟         (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(460)

二月六日 ( 響子の言葉・33-2 )


『小倉百人一首/20番→元良親王(もとよし・しんのう/・・・第57代/陽成天皇の第1皇子)/…後撰

集・恋-961』


★ わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても 逢
(あ)はむとぞ思ふ


6日は…

その<難波潟><澪標(みおつくし)/・・・水脈に杭を並べ立てて・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                            難波津/伊勢物語絵巻六十六段          (ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(461)

二月六日 ( 響子の言葉・33-3 )


・・・舟が往来する時の目印としたもの>…の所からを出し、難波/難波津(なにわず

/難波江にあった港・・・歌枕 )に着いて、そこから淀川(よどがわ)河口から都へ遡上する、最終

コースに入ります。

とたんに、一同の顔が明るくなり、とくに、老女は額に手をあてて大喜びです。そし

て、舟酔い

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                                         
(/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(462)

二月六日 ( 響子の言葉・33-4 )


…していた老女まで、舟底からを上げを詠んでいますね。

それを、みんなが不思議がりますが、気分を悪くしていた舟君/紀貫之さんが、たいそ

(ほ)ました。

この辺りは…創作ではなく、実体験紀行文らしさが伝わって来ますよね、」