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         響子の・・・ 土佐日記   

   (2) < 奈半(なは)~ 室津(むろつ)/1月8日 ~ 1月20日>

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 1月  6日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(140)

一月八日  (原文・20-1)

八日。障ることありて、なほ同じ所なり。今夜、月は海にぞ入る。これを見て、業平の君の

山の端にげて入れずもあらなむといふ歌なむ思ほゆる。もし海辺にて詠まましかば、

「波立ちさへて入れずもあらなむ」

とも詠みてましや。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(141)

一月八日  (原文・20-2)

いまこの歌を思ひ出でて、ある人の詠めりける、


照る月の 流るる見れば 天の川 出づる港は 海にざりける



とや。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(142)

一月八日  (現代語訳・20-1)

八日。

さしさわりがあって、依然、同じ場所である。今夜、月は海に沈む。これを見て、(在原)

業平(なりひら)の君の、<山の端が逃げて、(月を)入れないでいてほしい>という歌が思

われる。もし、海辺で詠んだとしたら、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(143)

一月八日  (現代語訳・20-2)

「波が立ちさえぎって、(月を)入れないでほしい」

とでも詠んだことであろう。今、この歌を思い出して、ある人の詠んだのが、


      照る月が・・・

           流れるのを見ると・・・

                天の川が流れ出る川口は・・・

                      海であったのだなあ・・・


とか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(144)

一月八日  (響子の言葉・20-1)


「うーん…

、まさに…平成29年1月5日/正月松の内ですよね。

(いにしえ)の時代

貫之さんは、依然として大湊を動けません。そして、月が海に沈むのを見て、在原

業平(ありわらの・なりひら)を思い出しています。業平825年~880年歌人であり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(145)

一月八日  (響子の言葉・20-2)


貫之さん866年~945年歌人ですから…41年ほど後に生まれた人です。業平

は、貫之さん14歳頃に没しています。貫之さんから見れば、偉大大人歌人です

ね。この頃は、時の流れも緩やかでした。

<ある人の詠めりける><ある人>が、貫之さんであり…女性託して書いている

ようですが、日記全体としては、いかにも男性のもの、ですよね…」



 1月  7日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(146)

一月八日  (原文・20-3)


九日のつとめて、大湊(おおみなと)より奈半(なは)の泊(とまり/舟をとめておく場所)を追はむとて

漕ぎ出でけり。これかれたがひに、国のさかひのうちはとて、見送りに来る人あまたが

中に、藤原のときざね、橘(たちばな)のすゑひら、長谷部(はせべ)のゆきまさらなむ、御館よ

り出でたうびし日より…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(147)

一月八日  (原文・20-4)


…ここかしこに追ひ来る。この人々ぞこころざしある人なりける。この人々の深きこころざ

しは、この海にも劣らざるべし。これより今は漕ぎ離れて行く。これを見送らむとてぞ、こ

の人どもは追ひ来ける。かくて、漕ぎ行くまにまに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(148)

一月八日  (原文・20-5)


…海のほとりにとまれる人も遠くなりぬ。舟の人も見えずなりぬ。岸にもいふことあるべ

し。舟にも思ふことあれど、かひなし。かかれど、この歌をひとり言にしてやみぬ。


思ひやる 心は海を 渡れども 文しなければ 知らずやあるらむ



岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(149)

一月八日  (現代語訳・20-3)


九日の早朝、大湊から奈半の港を目指そうとして、漕ぎ出した。あの人この人互いに、

「せめて国境(くにざかい)の内は」

と言って、見送りに来る人が大勢いる中で、藤原のときざね、橘のすえひら、長谷部のゆ

きまさたちは、(前国守が)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(150)

一月八日  (現代語訳・20-4)


…官舎から御出立なさった日から、ここかしこに追って来る。この人々は、誠意ある人々

であった。この人々の深い誠意は、この海(の深さ)にも劣らないだろう。ここ(大湊)から

今は、漕ぎ離れて行く。これを見送ろうとして…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(151)

一月八日  (現代語訳・20-5)


…この人たちは追ってきたのであった。このようにして、漕ぎ行くにつれて、海辺に留まっ

ている人も遠くなってしまった。舟に乗っている人も見えなくなってしまった。海岸で(見送

っている人々)も、言うことがあるにちがいない。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(152)

一月八日  (現代語訳・20-6)


(に乗っている人々)も、思う事があるけれども、どうしようもない。しかし、この歌を独

り言(ひとりごと)にして終わった。

 

岸に残っている人々を・・・

          思いやる心は海を渡るけども・・・

                手紙もなければ・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(153)

一月八日  (現代語訳・20-7)

 

         海を踏み渡ることも出来ないので・・・

               その心を知らないであろう・・・



 1月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1 </