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         響子の・・・ 土佐日記   

   (2) < 奈半(なは)~ 室津(むろつ)/1月8日 ~ 1月20日>

                                < 140 ~ 300 >
  
  
     

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 1月  6日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(140)

一月八日  (原文・20-1)

八日。障ることありて、なほ同じ所なり。今夜、月は海にぞ入る。これを見て、業平の君の

山の端にげて入れずもあらなむといふ歌なむ思ほゆる。もし海辺にて詠まましかば、

「波立ちさへて入れずもあらなむ」

とも詠みてましや。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(141)

一月八日  (原文・20-2)

いまこの歌を思ひ出でて、ある人の詠めりける、


照る月の 流るる見れば 天の川 出づる港は 海にざりける



とや。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(142)

一月八日  (現代語訳・20-1)

八日。

さしさわりがあって、依然、同じ場所である。今夜、月は海に沈む。これを見て、(在原)

業平(なりひら)の君の、<山の端が逃げて、(月を)入れないでいてほしい>という歌が思

われる。もし、海辺で詠んだとしたら、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(143)

一月八日  (現代語訳・20-2)

「波が立ちさえぎって、(月を)入れないでほしい」

とでも詠んだことであろう。今、この歌を思い出して、ある人の詠んだのが、


      照る月が・・・

           流れるのを見ると・・・

                天の川が流れ出る川口は・・・

                      海であったのだなあ・・・


とか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(144)

一月八日  (響子の言葉・20-1)


「うーん…

、まさに…平成29年1月5日/正月松の内ですよね。

(いにしえ)の時代

貫之さんは、依然として大湊を動けません。そして、月が海に沈むのを見て、在原

業平(ありわらの・なりひら)を思い出しています。業平825年~880年歌人であり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(145)

一月八日  (響子の言葉・20-2)


貫之さん866年~945年歌人ですから…41年ほど後に生まれた人です。業平

は、貫之さん14歳頃に没しています。貫之さんから見れば、偉大大人歌人です

ね。この頃は、時の流れも緩やかでした。

<ある人の詠めりける><ある人>が、貫之さんであり…女性託して書いている

ようですが、日記全体としては、いかにも男性のもの、ですよね…」



 1月  7日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(146)

一月八日  (原文・20-3)


九日のつとめて、大湊(おおみなと)より奈半(なは)の泊(とまり/舟をとめておく場所)を追はむとて

漕ぎ出でけり。これかれたがひに、国のさかひのうちはとて、見送りに来る人あまたが

中に、藤原のときざね、橘(たちばな)のすゑひら、長谷部(はせべ)のゆきまさらなむ、御館よ

り出でたうびし日より…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(147)

一月八日  (原文・20-4)


…ここかしこに追ひ来る。この人々ぞこころざしある人なりける。この人々の深きこころざ

しは、この海にも劣らざるべし。これより今は漕ぎ離れて行く。これを見送らむとてぞ、こ

の人どもは追ひ来ける。かくて、漕ぎ行くまにまに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(148)

一月八日  (原文・20-5)


…海のほとりにとまれる人も遠くなりぬ。舟の人も見えずなりぬ。岸にもいふことあるべ

し。舟にも思ふことあれど、かひなし。かかれど、この歌をひとり言にしてやみぬ。


思ひやる 心は海を 渡れども 文しなければ 知らずやあるらむ



岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(149)

一月八日  (現代語訳・20-3)


九日の早朝、大湊から奈半の港を目指そうとして、漕ぎ出した。あの人この人互いに、

「せめて国境(くにざかい)の内は」

と言って、見送りに来る人が大勢いる中で、藤原のときざね、橘のすえひら、長谷部のゆ

きまさたちは、(前国守が)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(150)

一月八日  (現代語訳・20-4)


…官舎から御出立なさった日から、ここかしこに追って来る。この人々は、誠意ある人々

であった。この人々の深い誠意は、この海(の深さ)にも劣らないだろう。ここ(大湊)から

今は、漕ぎ離れて行く。これを見送ろうとして…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(151)

一月八日  (現代語訳・20-5)


…この人たちは追ってきたのであった。このようにして、漕ぎ行くにつれて、海辺に留まっ

ている人も遠くなってしまった。舟に乗っている人も見えなくなってしまった。海岸で(見送

っている人々)も、言うことがあるにちがいない。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(152)

一月八日  (現代語訳・20-6)


(に乗っている人々)も、思う事があるけれども、どうしようもない。しかし、この歌を独

り言(ひとりごと)にして終わった。

 

岸に残っている人々を・・・

          思いやる心は海を渡るけども・・・

                手紙もなければ・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(153)

一月八日  (現代語訳・20-7)

 

         海を踏み渡ることも出来ないので・・・

               その心を知らないであろう・・・



 1月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(154)

一月八日  (響子の言葉・20-3)


九日早朝

ようやく重い腰を上げ、<大湊(おおみなと)から<奈半(なは)(とまり)に向かって舟

を漕ぎ出します。<奈半>に向かう途中<任地/土佐国>国境を越える様です。

<奈半>は…

現在の高知県東部に位置する奈半利港(高知県奈半利町)です。土佐国と現在の高知県

は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(155)

一月八日  (響子の言葉・20-4)


…だいぶ違いますね。位置的には、若い頃空海/弘法大師が修行した、室戸岬まで

はまだだいぶあります。

空海が生まれたのは774年であり、貫之さん872年の生まれですから、92年後の人

です。平安時代初期前期の人と言っても、平安時代は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(156)

一月八日  (響子の言葉・20-5)


794年~1185年390年もあるわけです。

ええ…空海の伝記によると…

当時の室戸岬は…野生の風波咆哮する凄まじい場所だった様です。当時は、100年

も、さして変わらないと思いますが、貫之さんはそこを海側から回ったわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(157)

一月八日  (響子の言葉・20-6)


あ、ついでに言って置きますが…

空海/弘法大師/真言宗開祖は…栄西禅師道元禅師の様に留学したのではな

く、遣唐使船留学したわけです。

同じ船に…最澄/伝教大師/日本天台宗開祖も乗っていたわけです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(158)

一月八日  (響子の言葉・20-7)


空海・最澄の時代は…

<奈良仏教>から<平安仏教>への転換の時代であり…それぞれ、空海/真言宗

/高野山の開祖最澄/天台宗/比叡山開祖になります。

空海・最澄留学した中国/唐時代は…あの<禅宗/六祖・慧能以下>大活躍

ている、まさに禅宗黎明期(れいめいき)です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(159)

一月八日  (響子の言葉・20-8)


でも、新興禅宗は…

すぐには日本伝来せず、それが伝わるのは鎌倉時代初期入宋(にっそう)した栄西禅

師/日本臨済宗の開祖道元禅師/日本曹洞宗の開祖の、<鎌倉仏教>まで…待た

なければならなかったわけですね。

さあ、話を戻しましょうか…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(160)

一月八日  (響子の言葉・20-9)


ともかく…この<大湊>で…

陸路で追って来た人々も、この土地の人々も、そして別の舟でついて来た人々も、国境

となるこの港で、<本当の別れ>です。

へ帰る地方官/四等官(/大宝令においては、長官(…守/かみ)・次官(…介/すけ)・判官(…掾/じょう)

・主典(…目/さかん)の四等官が定められ、官制の基礎となっている。)以下役人以外は、今生(こんじょう)

の別れになります。

こうした別れも、儀式化/形式化され…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(161)

一月八日  (響子の言葉・20-10)


見送りはここまで、とされ、<歌を詠んで別れた>わけですね。当時の人々は非常に

情緒があったわけですが、現代人の私たちも、日々、出会い別れをくり返す旅人です。

ただ、情報化社会では携帯電話でつながり、、<別れ>そのものが意味を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(162)

一月八日  (響子の言葉・20-11)


成さなくなりました。文明のパラダイムそのものが急速に変化して来ています。

でも…私たちの基盤/心/ルーツは、こうした(いにしえ)の時代にあるわけですね…」



 1月  9日

岡田健吉‏@zu5kokd1

《響子の・・・土佐日記》・・・(163)

一月九日 ・・・ 続き (原文・21-1)


かくて、宇多の松原をゆぎすぐ。その松のかずいくそばく、幾千年経たりと知らず。もとご

とに波うちよせ、枝ごとに鶴ぞ飛びかよふ。面白しと見るにたへずして、舟人の詠める

歌、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

《響子の・・・土佐日記》・・・(164)

一月九日 ・・・ 続き (原文・21-2)


見渡せば 松のうれごとに すむ鶴は 千代のどちとぞ おもふべらなる



とや。この歌は所を見るにえまさらず。

かくあるを見つつ漕ぎ行くまにまに、山も海もみな暮れ、夜ふけて、西東も見えずして、

天気のこと…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

《響子の・・・土佐日記》・・・(165)

一月九日 ・・・ 続き (原文・21-3)


…楫取(かじとり)の心に任せつ。男もならはぬは、いとも心細し。まして女は、舟底に頭を

つきあてて、音をのみぞ泣く。かく思へば、舟子、楫取は舟歌うたひて、何とも思へらず。

そのうたふ歌は、


春の野にてぞ音をば泣く・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

《響子の・・・土佐日記》・・・(166)

一月九日 ・・・ 続き (原文・21-4)


・・・わかすすきに、手切る切る摘んだる菜を、親やまぼるらむ、姑や食ふらむ、か

へらや夜んべのうなゐもがな、銭乞はむ、そらごとをして、おぎのりわざをして、銭

も持て来ず、おのれだに来ず


これならず多かれども、書かず。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(167)

一月九日 ・・・ 続き (原文・21-5)


これらを人の笑ふを聞きて、海は荒るれども、心はすこし凪ぎぬ。かく行きくらして、泊に

いたりて、翁人ひとり、専女ひとり、あるがなかに心ち悪しみして、物もものしたばで、ひ

そまりぬ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(168)

一月九日 ・・・ 続き (現代語訳・21-1)


こうして宇多の松原を通り過ぎる。その松の数はどれほどで、幾千年経ったとも分らな

い。根元ごとに波が打ち寄せ、枝ごとに鶴が飛び通っている。風流であると見ているこ

とに耐えられなくなって、舟に乗っている人が詠んだ歌、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

                                 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(169)

一月九日 ・・・ 続き (現代語訳・21-2)

    見渡すと・・・

            松の梢ごとに・・・

                  棲んでいる鶴は・・・

              松を千年の仲間と・・・

         思っているようだ・・・


とか。この歌は、(実際の)場所を見ることには及びもつかない。

このように美しい景色を見ながら漕いで行くうちに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

《響子の・・・土佐日記》・・・(170)

一月九日 ・・・ 続き (現代語訳・21-3)


…山も海もすっかり暮れ、夜がふけて、西も東も分からなくなって、天気の事は、船頭の

心に任せてしまう。男でも、(船旅に)慣れていない者は、たいそう心細い。まして女は、

舟底に頭を押し当てて、声をあげて、ただ泣く。



 1月 11日

岡田健吉‏@zu5kokd1 

                                      平安京 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(174)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-1)

「ええ…

空海/弘法大師平安時代・初期の人、紀貫之さん平安時代・前期の人と言いまし

たが…初期・中期・後期・末期と分けるなど…色々あるようですね。

ともかく…平安時代/平安王朝は、第50代/桓武天皇京都を定めた…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 

                           平安京/・・・山河襟帯自然二城ヲ作ス「平安京」/・・・ 北に山並み(玄武)、

東に鴨川(青龍)、西に大道(白虎)、 南に川から注ぐ池(朱雀)がある。「四神相応」に適う理想の都・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(175)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-2)

794年(/長岡京から平安京へ遷都)~鎌倉時代成立/1185年(/4月25日(元暦2年3月24日) -

壇ノ浦の戦いで平氏一門が滅亡、第81代/安徳天皇が入水(じゅすい)

 源義経の勝報が鎌倉の頼朝に届く。無断任官の東国武士24人、頼朝により処罰される。源頼朝の命により土佐坊昌俊、

義経を襲撃するも失敗。源義経追討の院宣出る。/・・・(義経は、歌舞伎で有名な勧進帳/安宅関をこえ・・・芭蕉の『奥

の細道』を逆回りし、藤原秀衡のいる奥州平泉へ逃亡します。

8月6日(元暦2年7月9日)、京都一帯に大地震(/文治地震)。御所の建物も危険視され、園庭に幄(あく)を設けて御所

とした。地割れが走り、液状化によって水吹き出す。

9月8日(寿永2年8月20日) - 第82代・後鳥羽天皇が即位・・・/幕府の成立年は諸説がある。)まで…390年間

続いています。

桓武天皇次代が…

第51代/平城天皇(へいぜい・てんのう)ですが、その第1皇子阿保親王(あぼしんのう/・・・子に

在原業平、 在原行平、 在原守平、 源弘(みなもとの・ひろむ/・・・源姓を賜って臣下に下る。嵯峨源氏)がいます。

この時は、皇太子の位置に第52代/嵯峨天皇(嵯峨天皇)がいるわけですが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 

                     在原業平/三十六歌仙・天井画 (久城寺/秋田市旭北寺町 ) ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(176)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-3)

阿保親王は、嵯峨天皇の異母兄にあたります。在原業平は、この阿保親王にな

ります。

在原業平は…

この様な、高貴な血筋貴公子/才子でしたから…高子姫(/藤原高子・・・清和天皇の女御、後

に皇太后/通称は二条后、第57代・陽成天皇の母)との恋愛(/『伊勢物語/二条后』)や…まだ殿上人だっ

た頃の宇多天皇と、陽成天皇の前で相撲(すもう)をとり、投げ飛ばして…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 

                           三十六歌仙・天井画 (久城寺/秋田市旭北寺町 ) ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(177)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-4)

勾欄(こうらん/橋・回廊・廊下などにつけた欄干(らんかん)を折った、などの古事もあるわけですね。

さて…

『土佐日記』 を書いた紀貫之さんも、改めて、眺めて見ましょうか…

特筆すべきは…平安時代・前期/10世紀初めに…第60代/醍醐天皇初の

<勅撰和歌集>/『古今和歌集』編集しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 

                    古今和歌集・・・ 「定家本」(嘉禄二年四月九日書写本) 表紙の画像。題号の文字は定

家ではない後人の筆。冷泉家時雨亭文庫蔵。藤原定家は確認できるだけでも17回古今集を書写しているが、そのうち自筆

本が2種、転写本系統のもの9種が今に伝わる。                           ( ・・・ネットより画像借用 )

《響子の・・・土佐日記》・・・(178)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-5)

編者は他に…紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑がいます。

『古今和歌集/古今集』 は…<全20巻/約1110首を収録/・・・春・夏・秋・冬・雑

・恋などの部門に分類>されています。

これ以後、和歌貴族・官人にとって…



 1月 12日

岡田健吉‏@zu5kokd1 

                           三十六歌仙・天井画 (久城寺/秋田市旭北寺町 ) ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(179)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-6)

必須教養となり、時には出世にも影響しました。

いわゆる<六歌仙>も…

紀貫之さんが、<近ごろ有名な歌人として挙げ・・・評を加えた六人/僧正遍昭(そう

じょう・へんじょう)、在原業平(ありわらの・なりひら)、文屋康秀(ぶんやの・やすひで)、喜撰法師(きせん

・ほうし)、小野小町(おのの・こまち)、大伴黒主(おおともの・くろぬし)…です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 

                     僧正遍昭/三十六歌仙・天井画 (久城寺/秋田市旭北寺町 ) ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(180)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-7)

六歌仙『小倉百人一首』 にあると、『古今集』の中で加えた貫之さん批評から…

逆に、貫之さん人物像にも触れてみましょうか。

あ、大伴黒主は、『小倉百人一首』 にはありません。この人物は、歌舞伎などでは多く

悪役で登場するようです。その名前からイメージされるのだとしたら、迷惑な話です

よね。

ともかく、貫之さん<評>を見てみましょう…


【12番 → 僧正遍昭】(そうじょう・へんじょう/・・・『小倉百人一首』


★ 天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 

                              大礼記念 五節舞の図  五節舞姫   ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(181)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-8)

     空を吹く風よ…

          天女たちの通る…

               雲間の道を閉ざしておくれ…

            天女の美しい姿を…

                 もうしばらく…

                      地上にとどめておきたいから…


これは、宮中行事/<五節の舞(ごせちのまい/大嘗祭(だいじょうさい)や新嘗祭(にいなめさい)に行わ

れる豊明節会で、大歌所の別当の指示のもと、大歌所の人が歌う大歌に合わせて舞われる、4~5人の舞姫によって舞

われる舞。大嘗祭では5人。)を詠んだものですが…『古今和歌集/・・・貫之の評』 は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 

                                 内外資料堂 (昭和天皇) ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(182)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-9)

<歌は整っているが、真実味に欠ける。絵に描いた女性に、無駄に心を動かして

いるようだ・・・>

…です。

うーん…

六歌仙に選んでおいて、けっこう辛辣な評ですね。

でも、遍昭はこれだけではなく、『古今和歌集』 をはじめとする勅撰集36首が採

られています。遍昭桓武天皇で、第54代/仁明天皇に仕えた蔵人頭(くろうどの・と

う/蔵人所の実質的な長。名目的な長官は他に<蔵人別当>と呼んで、大臣が兼任していました。 <勅旨>や<上奏

>を伝達する役目を受け持つなど・・・<天皇の直属的な秘書>の役割を果たしていた。)です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 

                                  京都/清水寺 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(183)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-10)

仁明天皇崩御後出家して比叡山修行しています。もちろん、遍昭出家名で、

良岑 宗貞(よしみねの・むねさだ)といいます。

遍昭は、を通して小野小町交流があったようですね。出家して行方を断った後、乞食

僧姿正月清水寺読経している所を、小町その声を見破られています。よほど

しかったのか、声に特徴があったのでしょう。

                                   <詳しくは・・・【12番 → 僧正遍昭】 へどうぞ>



 1月 13日

岡田健吉‏@zu5kokd1              

                           在原業平 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(184)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-11)


次に…


【17番 → 在原業平朝臣】

★ ちはやぶる 神代(かみよ)もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは


       不思議な事の多かった…

             神代でも聞いた事がない…

                   竜田川に散る紅葉が…

                          水を赤く絞り染にするとは…


岡田健吉‏@zu5kokd1              

                           在原業平 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(185)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-12)


<貫之評/・・・心情は有り余っているが、言葉が足りない。しぼんだ花が色はあ

せたのに、香りだけ残っている様なものだ・・・>


うーん…

またまた、辛辣(しんらつ/表現や見方が非常に手きびしいこと)な言い様です。貫之さんにかかって

は、在原業平形無し(/さんざんなこと。面目を失うこと。)ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

                           在原業平と二条后   (月岡芳年画)  ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(186)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-13)


『伊勢物語/二条后』で…

業平高子姫恋愛関係にありました。高子姫二条后/…第56代・清和天皇の女

、後に第58代・光孝天皇皇太后になり、幼帝を支える国母となります。蔵人頭なっ

業平は、再び身近に、彼女に仕える身となります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

                           在原業平と二条后   (月岡芳年画)  ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(187)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-14)


『小倉百人一首』この歌は…

出世の遅い業平蔵人頭となり、再びニ条后身近に接する様になった頃…彼女の屏

風絵を見て詠み、彼女捧げた歌の様です。

そう思って読むと…意味がもう少し、分かって来るのでしょうか…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

                            ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(188)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-15)


高貴血筋も、業平出世が遅れます。色恋沙汰に明け暮れている印象もありますが、

叔父/高岳親王(たかおか・しんのう/平城天皇の第3皇子。第1皇子は阿保親王で、在原業平の父)が…

薬子の乱>廃王子(はいおうじ/・・・廃嫡)となり、兄/行平中納言文徳天皇皇嗣問題

失脚した事も…一因の様です。

この辺りは…私/響子知識不足で、今後、考察を重ねて行きます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                           伊勢物語絵巻六段(芥川) ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(189)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-16)


ニ条后の、こんな歌があります…


★ 雪のうちに 春は来にけり うぐひすの こほれる涙 今やとくらむ


       雪は積もっているが…

            春はやって来た…

                 寒さで流したウグイスの涙も…

              今はとけているだろう…


岡田健吉‏@zu5kokd1   

                           伊勢物語絵巻六段(芥川) ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(190)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-17)


ニ条后
業平に対する気持ちなのでしょうか。

それにしても、高子姫出世は目覚しく、今や国母/皇太后です。浅学私/響子

には、当時の、微妙な心情は理解できませんが、業平蔵人頭就任した翌年ニ条

56歳薨去(こうきょ/皇族・三位上の人が死亡すること)します。

また同年9歳年下夫/清和上皇も、崩御します。時代大きく動くわけですね。



 1月 14日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

                             文屋康秀 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(191)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-18)


『土佐日記』考察なのに、道草をしています…

でも急ぎ旅でもなく、貫之さん人柄を知るという事で、もうしばらく御容赦をお願いしま

す。次に,、六歌仙3人目【22番 → 文屋康秀】 です…


★ 吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ


岡田健吉‏@zu5kokd1       

                             文屋康秀 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(192)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-19)


       吹くとすぐに…

             秋の草木がしおれるので…

                   なるほど、それで…

                 山から吹く荒々しい風を…

                       嵐というのだろう…


<貫之評/・・・言葉は巧みだが、歌の姿が内容に似つかわしくない。商人が立派

な服を着ている様なものだ。>


岡田健吉‏@zu5kokd1       

                                   紀貫之 (菊池容斎・画、 明治時代)   /パブリック・ドメイン

《響子の・・・土佐日記》・・・(193)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-20)


うーん…

またまた辛辣(しんらつ)な評です。ここまで重なると、ケチをつけていると、疑いたくなります

よね。でも大御所を、冷静に分析し、ケチをつける人も、必要なのかも知れません。

貫之さんは…

そんな俯瞰的(ふかんてき/・・・俯瞰(ふかん)とは、高い所から見下ろすこと。 全体を上から見ること。)見方

ができる歌人なのでしょう。



 1月 16日

岡田健吉‏@zu5kokd1 

                     小野小町/三十六歌仙・天井画 (久城寺/秋田市旭北寺町 ) ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(194)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-21)


文屋康秀下級役人/微官ですが、小野小町交流がありました。三河の国(/現在の愛

知県東部)赴任する時、小町一緒に行かないかと誘っています。それに対する小町

返歌が…

<詞書(ことばがき): 文屋の康秀みかはのぞう(みかわのぞう/三河の掾・・・掾は国司の三等官)にな

りて、あがた見にはえいでたたじや、といひやれりける返事によめる  小野小町>




★ わびぬれば 身を浮き草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ

                                  (小野小町/『古今和歌集-雑歌下/938』)


岡田健吉‏@zu5kokd1 

                     小野小町/三十六歌仙・天井画 (久城寺/秋田市旭北寺町 ) ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(195)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-22)


       侘(わび)しい日々を送っているので…

            誘ってくれる人がいるなら…

                 浮き草のように根を断ち切り…

                       付いて行こうと思うのですが…


でも…小町は、実際には、三河の国には行かなかった…とされます。侘しい日々を送っ

ているということは、小町花の盛りを過ぎていたのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 

                     小野小町/三十六歌仙・天井画 (久城寺/秋田市旭北寺町 ) ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(196)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-23)


六歌仙/小町の歌は、【9番 → 小野小町】


★ 花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに



         美しい花の色は…

              あせてしまった…

                   長雨が続く間に…

                 私の容姿も…

                      衰えてしまった


岡田健吉‏@zu5kokd1 

                     紀貫之/三十六歌仙・天井画 (久城寺/秋田市旭北寺町 ) ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(197)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-24)


                    むなしく…

                          物思いに耽るうちに…


<貫之評/

・・・ 趣はあるが、強くない。高貴な女性が病気で苦しんでいる姿に似ている。力強

くないのは、女の歌だからだろう>

うーん…この<貫之評>は、どうなんでしょうか?

木で鼻をくくった(/ひどく無愛想で、そっけないこと・・・くくったは、<括る/縛る、束ねる>ではなく、<こくる/こす

る>の意味です。)ような…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 

                     紀貫之/三十六歌仙・天井画 (久城寺/秋田市旭北寺町 ) ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(198)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-25)


それにしても…

大した批評ではないですね。ここは私も、<貫之評>の様に、ドライ批評しましょうか。

でも、それは…はるか千年昔の…国宝/『古今和歌集』中の話です。手出しのできる

はずもありません。

ともかく…紀貫之さんの、オッサン的人柄一端が…垣間(かいま)見えますよね。



 1月 17日

岡田健吉‏@zu5kokd1     

                           喜撰法師  土佐光起・筆・・・東京国立博物館所蔵   /ネットより画像借用 

《響子の・・・土佐日記》・・・(199)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-26)


次に、六歌仙/【8番 → 喜撰法師(きせん・ほうし)


★ わが庵(いお)は 都の辰巳(たつみ) しかぞすむ 世をうぢ山と ひとはいふなり


       わたしの庵は…

               都の南東/宇治山にあり…

                       心安らかに暮らしている…

                             それなのに世の人は…

                    わたしが世を憂しとみて…


岡田健吉‏@zu5kokd1     

                           喜撰法師  土佐光起・筆・・・東京国立博物館所蔵   /ネットより画像借用 

《響子の・・・土佐日記》・・・(200)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-27)


            隠れ篭(こも)っていると

      噂(うわさ)しているようだ…


<貫之評/・・・言葉がぼんやりしていて、歌の首尾が一貫していない。秋の月が

夜明け前の雲に覆(おお)われたようだ。>


うーん…辛辣(しんらつ)な評には、もう驚きませんが本当にそうなのかしら?

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

                           大伴黒主   中村芝翫(なかむら・しかん)     /ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(201)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-28)


六歌仙最後

大伴黒主(おおともの・くろぬし/滋賀郡大領(だいりょう/大宝令によって定められた郡司における最高の地位。四等

官の長官にあたる。終身官・・・大友皇子(/第39代・弘文天皇:  <壬申の乱で第40代・天武天皇に敗れ自害してい

る。/正妃は十市皇女で、天武天皇と額田王の間の皇女。)末裔との伝えもある…/歌舞伎などでは、多くは悪役とし

て登場する様です。です。

彼の歌

六歌仙では唯一『小倉百人一首』 に採(と)られていません。でも、 『古今集/古今和歌

集』には収録され、貫之さんコメントもあります。


★ 春雨の 降るは涙か さくら花 散るを惜しまぬ 人しなければ

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

                           大伴黒主   中村芝翫(なかむら・しかん)     /ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(202)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-29)


       春雨が降るのは…

              涙だろうか…

                     桜が散るのを…

                 惜しみ悲しまない人は…

           いないのだから…


<貫之評/・・・歌の姿が通俗でみすぼらしい。薪を背負っている山人が、花の陰

で休んでいるようなものだ。>

(/古今和歌集仮名序/原文では・・・<大伴黒主はそのさまいやし。いはば薪を負へる山人の花の陰にやすめるが如

し>、とあります。)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(203)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-30)


ええ

六歌仙<貫之評>から、貫之さん人柄一端が分かったと思います。

<非常に優秀で・・・創造的かつ俯瞰(ふかん)的視野を持った歌人・・・自信家で、諧謔

好きな、いい気なオッサンで・・・高度な常識人・・・>

ここまで見て来た所では大体、こんな人柄なのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(204)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-31)


一方…

奈良時代『万葉集』 以後<勅撰和歌集(/天皇や上皇の命により編集された歌集)

編纂(へんさん)を命じられたわけで朝廷からの信頼絶大なものです。

もちろん

他に、紀友則(きの・とものり)凡河内躬恒(おおしこうちの・みつね)壬生忠岑(みぶの・ただみね)

纂者がいるわけですが…<評>加えるとは、大したものですよね。ただ、この<古今

和歌集仮名序>は、当然、<他の3人の合意>もあるわけです。このあたりの事情は、

まだ浅学私/響子には、はかりかねるわけですが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(205)

一月九日 ・・・ 続き (響子の言葉・21-32)


でも…

うーん…

その肝心<評/古今和歌集仮名序>に、<多少~相当の、ギャグ・諧謔(かいぎ

ゃく/面白い気のきいた冗談。ユーモア)入っている、わけですよね。

でも…

『土佐日記』そのものも、日本紀行文学源流に、位置づけられるものです。

さあ…長い道草になりましたが、『土佐日記』の方に戻りましょうか。



 1月 31日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(206)

一月十日  (原文・22-1)


十日。今日はこの奈半の泊にとまりぬ。

十一日。あかつきに舟を出だして室津を追ふ。人みなまだ寝たれば、海のありやうも見

えず。ただ月を見てぞ西東をば知りける。かかる間に、みな夜明けて、手洗ひ、例のこと

どもして、昼になりぬ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

                                    ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(207)

一月十日  (原文・22-2)


今し、羽根といふ所に来ぬ。稚き童、この所の名を聞きて、

「羽根といふ所は、鳥の羽根のやうにやある」

といふ。まだ幼き童の言なれば、人々笑ふ時に、ありける女童なむ、この歌を詠める

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

                           羽根崎と紀貫之の歌碑 羽根岬にたっています  /・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(208)

一月十日  (原文・22-3)


まことにて 名に聞くところ 羽根ならば 飛ぶがごとくに 都へもがな


とぞいへる。男も女も、いかでとく京へもがな、と思ふ心あれば、この歌よしとにはあらね

ど、げにと思ひて人々忘れず。

この羽根といふ所問ふ童のついでにぞ、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

                           羽根崎と紀貫之の歌碑 羽根岬にたっています  /・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(209)

一月十日  (原文・22-4)


…また昔へ人を思ひ出でて、いづれの時にか忘るる。今日はまして、母の悲しがらるる

ことは、下りし時の人の数たらねば、古歌に「数はたらでぞかへるべらなる」といふ言

を思ひ出でて、人の詠める、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(210)

一月十日  (原文・22-5)


世の中に おもひやれども 子をこふる おもひにまさる おもひなきかな


といひつつなむ。

十二日。雨ふらず。ふんとき、これもちが舟の遅れたりし、奈良志津より室津に来ぬ。

十三日のあかつきに、いささかに雨ふる。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

                                    ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(211)

一月十日  (原文・22-6)


…しばしありてやみぬ。女これかれ、ゆあみなどせむとて、あたりのよろしき所に下りて

ゆく。海を見やれば、


雲もみな 波とぞ見ゆる 海人
(あま)もがな いづれか海と とひて知るべく


となむ歌詠める。



 2月 1日

岡田健吉‏@zu5kokd1  

                                    ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(212)

一月十日  (現代語訳・22-1)


十日。今日はこの奈半の港にとまった。

十一日。夜明け前に舟を出して室津を目指す。人はみな、まだ寝ているので、(自分一

人が起き出すこともできず)海の様子もわからない。ただ月を見て、西東の方角を知っ

た。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

                                    ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(213)

一月十日  (現代語訳・22-2)


こうしているうちに、すっかり夜が明けて、手を洗い、いつもの事などをして、昼になった。

ちょうど今、羽根という所に来た。幼い子供が、この所の名を聞いて、


「羽根という所は、鳥の羽のような形なの」



と言う。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

                           羽根崎と紀貫之の歌碑 羽根岬にたっています  /・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(214)

一月十日  (現代語訳・22-3)


まだ幼い子の話なので、人々が笑う時に、例の女の子が、この歌を詠んだ。


         
本当に名に聞く通り・・・

               羽根であるならば・・・

                     飛ぶように・・・

                  都へ帰りたいものだ・・・


と言った。男も女も、何とかして早く京へ帰りたいと思う気持ちが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

                           羽根崎と紀貫之の歌碑 羽根岬にたっています  /・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(215)

一月十日  (現代語訳・22-4)


…あるので、この歌がよいというわけではないが、そのとおりだと思って、人々が忘れな

い。

この羽根という所を尋ねた子供の(ことを見た)機会に、また亡くなった娘を思い出して、

いつの日にか忘れるであろう。今日はいっそう、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(216)

一月十日  (現代語訳・22-5)


…母親が悲しがられることよ。下向した時の人の数が足りないので、昔の歌に、「数が

たりないので帰るようである」 という文句を思い出して、ある人が詠んだ歌、


          
世の中で・・・

                思いをめぐらしても・・・

                      子を恋い慕う・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

                                    ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(217)

一月十日  (現代語訳・22-6)


                  気持ちにまさる・・・

            思いはないのだなあ・・・


と言いながら…

十二日。雨は降らない。ふんとき、これもちの舟が遅れていたのが、奈良志津から室津

に来た。

十三日の夜明け前に、少し雨が降る。しばらくして止んだ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(218)

一月十日  (現代語訳・22-7)


女のこの人あの人は、水浴びなどをしようとして、周辺のそれなりによい場所におりて行

く。海をはるかに眺めると、


         
雲も全て・・・

              波と同じに見える・・・

                   漁師がいたならば・・・

                       どちらが海かと・・・

                   尋ねて知るのに・・・


と歌を詠んだ。


 2月 2日

岡田健吉‏@zu5kokd1  

                                    ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(219)

一月十日  (響子の言葉・22-1)


「うーん…船旅というのは…

古代運搬手段としては申し分ないのですが、それなりの苦労も多いようですね。私な

どは山育ちの人間ですから、確実に歩を刻んで行く方が楽しいような気もします。

でも外海の、室戸岬廻る赴任の旅は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

                                    ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(220)

一月十日  (響子の言葉・22-2)


当人だけでなく、幾世代もの語り草になるのでしょう。これほどの、命を洗うような新鮮

な旅の体験は、現代ではもう不可能ですね。

大自然の風景そのものが神秘的で、脅威的で、感動的だったと思います。(いにしえ)

野生の只中(ただなか)に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

                                    ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(221)

一月十日  (響子の言葉・22-3)


…あったわけですが、現代とは違う感動の世界があったわけですね。

現代では…

芭蕉『奥の細道』足跡をたどっても、風景そのものがスレてしまい、感動の無いもの

になっています。自然のリズム単調になり、無感動になり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

                           羽根崎と紀貫之の歌碑 羽根岬にたっています  /・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(222)

一月十日  (響子の言葉・22-4)


多様性を失っているのでしょう。

話は、少し違いますが…

私たちは…そうした大自然復活させるためにも…<文明の折り返し/反グローバル

化>を…その具体策として、また、ポスト民主主義の器として、〔人間の巣の世界展開

/人間の巣のパラダイム〕…を提唱しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(223)

一月十日  (響子の言葉・22-5)


ええ…

貫之さんは、国守として土佐赴任する時は、子供2人連れてきた様ですね。でも、

を亡くし、母親はその悲しさに苦しんでいます。

<これもちが舟の遅れたりし、奈良志津より室津に来ぬ>…の一文、意味不明です

が、読み進んで行くうちに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(224)

一月十日  (響子の言葉・22-6)


…分かって来ると思います。

女たち<ゆあみなどせむとて>というのは…海水体を洗うという事でしょうか?


★ 雲もみな 波とぞ見ゆる 海人
(あま)もがな いづれか海と とひて知るべく


この歌は…途方もなく雄大古代の海を、連想させますね。



 2月 11日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(225)

一月十三日 - 続き (原文・23-1)


さて、十日あまりなれば、月おもしろし。舟にのりはじめし日より、舟には紅濃
(くれないこ)

よき衣(きぬ)着ず。それは、


「海の神に怖
(お)ぢて」


といひて。何の葦陰(あしかげ)にことづけて、ほやのつまのいずし、すし鮑(あわび)をぞ、心

にもあらぬ脛(はぎ)に上げて見せける。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

                              “土佐日記/御崎の泊”の石碑   ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(226)

一月十三日 - 続き (原文・23-2)


十四日。あかつきより雨ふれば、同じ所にとまれり。舟君(ふなぎみ)、節忌(せちみ)す。精進

(さうじもの)なければ、午時(むまどき)よりのちに、楫取(かじとり)の昨日釣りたりし鯛(たひ)に、

(ぜに)なければ、米(よね)をとりかけておちられぬ。かかることなほありぬ。楫取また鯛

持て来たり。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

                              “土佐日記/御崎の泊”の石碑   ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(227)

一月十三日 - 続き (原文・23-3)


(よね)、酒、しばしばくる。楫取気色(かじとり・けしき)あしからず。

十五日。今日(けふ)、小豆粥煮(あずきがゆ・に)ず。口惜(くちを)しく、なほ日の悪しければ、ゐ

ざるほどにぞ、けふ(今日)二十日(はつか)あまり経(へ)ぬる。いたづらに日を経れば、人々

海を眺めつつぞある。女(め)の童(わらは)のいへる、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(228)

一月十三日 - 続き (原文・23-4)


★ 立てば立つ ゐればまたゐる 吹く風と 波とはおもふ どちにやあるらむ


いふかひなき者のいへるには、いと似つかはし。

十六日。風波やまねば、なほ同じ所にとまれり。ただ海に波なくして、いつしか御崎(みさ

き/室戸岬)といふところ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                             “土佐日記/御崎の泊”の石碑   ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(229)

一月十三日 - 続き (原文・23-5)


…渡らむとのみなむ思ふ。風波とににやむべくもあらず。ある人の、この波立つを見て

詠める歌、


★ 霜だにも おかぬ方ぞと いふなれど 波のなかには 雪ぞふりける


さて、舟にのりし日より今日(けふ)までに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                             “土佐日記/御崎の泊”の石碑   ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(230)

一月十三日 - 続き (原文・23-6)


…二十日あまり五日になりにけり。



 2月 12日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(231)

一月十三日 - 続き (現代語訳・23-1)


さて、十日過ぎであるので、月が趣(おもむき)深い。舟に乗り始めた日から、舟では紅の濃

く美しい衣(きぬ)は着ない。


「それは、海の神に怖れをいだいて」


といって。何の役にもたたない葦陰(あしかげ)で、何が悪いことがあろうかと葦にかこつけ

て…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

                              “土佐日記/御崎の泊”の石碑   ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(232)

一月十三日 - 続き (現代語訳・23-2)


…ほやに取り合わせる貽貝(いがい)の鮨(すし/・・・男性器の象徴)や鮨鮑(すしあわび/女性器の象徴)

を、思いもかけぬ脛(はぎ、すね)まで高々とまくりあげて、海神に見せつけたのであった。


十四日。夜明け前から雨が降るので、同じ所に泊っている。

舟君(ふなぎみ/舟主)は、節忌(せちみ/精進潔斎・・・しょうじんけっさい)をする。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《響子の・・・土佐日記》・・・(233)

一月十三日 - 続き (現代語訳・23-3)


(とはいえ舟の中なので)精進物(しょうじんもの)がないので午前中で取りやめにし、午後に

船頭が昨日釣った鯛(たい)を、(手持ちの)銭がないので米を代わりに与えて、精進落ち

をなさった。このようなことが、何度かあった。船頭が、また鯛を持って来た。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

  

《響子の・・・土佐日記》・・・(234)

一月十三日 - 続き (現代語訳・23-4)


そのつど、米、酒を与えた。それで、船頭は機嫌がいいのだ。


十五日。今日は小豆粥(あずきがゆ)を煮る日だったが小豆がないので取りやめた。口惜し

いうえに、天気が悪く、舟が進まないでいるうちに、今日で二十日ほど経過してしまった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(235)

一月十三日 - 続き (現代語訳・23-5)


無為に日を過ごしているので、人々はただ海を眺めて、思いに耽るばかりであった。幼

い女の子が次のような歌を詠んだ。


    風が立てば・・・

          波も立ち・・・

               風がおさまれば・・・

                    波もおさまる・・・

                 風と波とは・・・

            仲良し友達なのかしら・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(236)

一月十三日 - 続き (現代語訳・23-6)


言うに足りない幼い者の言った歌としては、とても似つかわしい。


十六日。風も波も止まないので、やはり同じ所に泊っている。ただ、海に波がなくなって、

いつになったら御崎(みさき/岬・・・室戸岬)という所を通り過ぎるのだろうか、とばかり思う。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(237)

一月十三日 - 続き (現代語訳・23-7)


だが風も波も急に止む気配がない。ある人が、この波立つのを見て、歌を詠んだ。


    霜さえ降りない・・・

           暖かい地方というけれど・・・

                  なんと波の中には・・・

              雪が降っていることよ・・・


さて、舟に乗り込んだ日から…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

                              “土佐日記/御崎の泊”の石碑   ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(238)

一月十三日 - 続き (現代語訳・23-8)


…今日までに二十五日が過ぎてしまった。



 2月 13日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

                                大湊から奈半の地図 ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(239)

一月十三日 - 続き (響子の言葉・23-1)


「ええ…

奈良志津から、室津(とまり)に入っているわけですね。この古地図では、最初は気づ

かなかっのですが、室津すぐ隣になっていますね。

紀貫之さんは…

930年土佐の国守として赴任し、4年間任期を終えて、934年にもここを通っている

わけです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  

                                                 /ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(240)

一月十三日 - 続き (響子の言葉・23-2)


この帰京舟旅の途上で…

風波が激しく、室戸岬を回れずに、10日間室津に留まっています。

当時の旅で…

土佐~京都間は、陸路上り35日下り18日とあります。都へ上る時は、年貢米

産物などの荷物があったという事でしょうか。身一つなら、18日間なのかも知れません

ね。そして、海路だと荷物に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

                              “土佐日記/御崎の泊”の石碑   ・・・ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(241)

一月十三日 - 続き (響子の言葉・23-3)


…関係なく25日ということなのでしょう。

でも…

『土佐日記』では、2倍55日間もかかり、大変な船旅だった様です。当時室戸岬が、

海路大変な難所だった事が分かります。室津に、本格的掘込港(ほりこみこう)が着工

されたのは、江戸時代/1629年の事です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(242)

一月十三日 - 続き (響子の言葉・23-4)


この地方で、捕鯨業本格化するのも、これ以降の様です。

さて…

舟君/舟主/紀貫之さんは…精進潔斎(しょうじんけっさい/肉食を断ち、行いを慎んで身を清めること)

します。律儀な事というか、当時の人々が、如何に地神(じしん、じがみ/日本の農村で特定の集団

と関係する縁起をもち、特定の土地に祀られる機能神の総称 )海神(わだつみ、うながみ、かいじん/海を司る神。海

に住んでいるという神)怖れていたかが分かります。

でも…

野菜もなく、午後からを食べたりしています。ほほ…けっこういい加減ですね。紀貫之

さん人格が偲ばれます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(243)

一月十三日 - 続き (響子の言葉・23-5)


紀貫之さんの様な…

博学陽気自信家歌人統率者舟旅は、それが難儀な旅であっても、楽しい

すよね。

『古今和歌集』では…

<こっぴどく・・・歌の批評をしている・・・いい気なオッサン>ですが、上司とするなら、

頼もしい人格者かも知れません。一緒にいて、楽しくなるようなカリスマですね。



 2月 26日

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(244)

一月十七日 (原文・24-1)


十七日。くもれる雲なくなりて、あかつき月夜いとおもしろければ、舟を出(い)だして漕ぎ

ゆく。このあひだに、雲の上も海の底も、同じごとくになむありける。むべも昔の男は、


「棹
(さお)は穿(うが)つ、波の上の月を。舟はおそふ、海のうちの空を」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(245)

一月十七日 (原文・24-2)


とはいひけむ。聞きざれに聞けるなり。また、ある人の詠める歌、


★ 水底の 月の上より 漕ぐ舟の 棹(さお)にさはるは 桂(かつら)なるらし


これを聞きて、ある人のまた詠める

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(246)

一月十七日 (原文・24-3)


★ 影見れば 波の底なる ひさかたの 空漕ぎわたる われぞわびしき


かくいふ間に、夜やうやく明けゆくに、楫取(かじとり)ら、


「黒き雲にはかに出(い)で来ぬ。風吹きぬべし。御舟かへしてむ」


といひて、舟かへる。この間に雨ふりぬ。いとわびし。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(247)

一月十七日 (原文・24-4)


十八日。なほ同じ所にあり。海荒ければ、舟出(い)ださず。この泊、遠く見れども近く見れ

ども、いとおもしろし。かかれども、苦しければ、何ごともおもほえず。

男どちは、心やりにやあらむ、漢詩などいふべし。


 2月 27日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(248)

一月十七日 (原文・24-5)


舟も出(い)ださで、いたづらなれば、ある人の詠める、


★ 磯(いそ)ふりの よする磯には 年月を いつともわかぬ 雪のみぞふる


この歌は、常にせぬ人のことなり。また人の詠める、


★ 風による 波の磯には 鶯(うぐいす)も 春もえ知らぬ 花のみぞ咲く

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(249)

一月十七日 (原文・24-6)


この歌どもを、少しよろしと聞きて、舟の長(おさ)しける翁(おきな)、月日ごろの苦しき心や

りに詠める、


★ 立つ浪(なみ)を 雪が花かと 吹く風ぞ よせつつ人を はかるべらなる


この歌どもを、人のなにかといふを、ある人聞きふけりて詠めり

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(250)

一月十七日 (原文・24-7)


その歌詠める文字三十(みそ)文字あまり七文字、人みな、えあらで笑ふやうなり。歌主い

と気色(けしき)(あ)しくて、怨(えん)ず。まねべどもえまねばず、書けりともえ読み据ゑが

たかるべし。今日だに言ひがたし。まして後にはいかならむ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(251)

一月十七日 (原文・24-8)


十九日。日あしければ、舟出ださず。



 2月 28日

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(252)

一月十七日 (現代語訳・24-1)


十七日。曇っていた雲がなくなって、夜明け前の月がたいそう風流なので、舟を出して漕

いで行く。この間に、雲の上も海の底も、同じよう(に月が輝いていたの)であった。なる

ほど、昔の男は、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(253)

一月十七日 (現代語訳・24-2)


     棹はさす・・・

           波の上の月を・・・

        舟は通る・・・

               海の中の空を・・・


とは言ったのだろう。おもしろ半分に聞いただけである。また、ある人が詠んだ歌、


     水底に映る・・・

           月の上を漕いで行く舟の・・・

        棹にさわるのは・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(254)

一月十七日 (現代語訳・24-3)


            月に生えていると言われる・・・

                 桂であるらしい・・・


これを聞いて、ある人がまた詠んだ歌、


     水面(みなも)に映る・・・

           月を見ると・・・

        波の底にある空を・・・

              漕ぎ渡る私こそ・・・

                   心細いものだ・・・


このようなことを言っている間に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(255)

一月十七日 (現代語訳・24-4)


…夜が次第に明けて行く。そして、船頭たちが、


「黒い雲が急に出て来た。風か吹くに違いない。お舟を戻そう」


と言って、舟は帰る。この間に、雨が降り出してしまった。非常につらい。

十八日。依然、同じ港にいる

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(256)

一月十七日 (現代語訳・24-5)


海が荒れているので、舟を出さない。この港は、遠くを見ても、近くを見ても、たいそう趣

がある。このようではあるけれども、何事も思われない。

男どもは、気晴らしであろうか…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(257)

一月十七日 (現代語訳・24-6)


…漢詩など吟(ぎん)じているそうだ。舟も出さないで、暇であるので、ある人が詠んだ歌、


     荒波の・・・

           打ち寄せる磯には・・・

                 年月を・・・

              どの時とも区別せず・・・

        雪だけが降る・・・



 3月  1日

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(258)

一月十七日 (現代語訳・24-7)

この歌は、いつもは(歌を詠むことなどは)しない人の作品である。また、(ある)人が詠ん

だ歌、
              


     風波が・・・

          打ち寄せる磯には・・・

               鶯(うぐいす)も・・・

             春も知らない・・・

                  波の花だけが咲く・・・


この歌を少し好ましいと聞いて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(259)

一月十七日 (現代語訳・24-8)


…舟の長をしている爺(じい)さんが、日常のうさ晴らしに詠んだ歌、



     立つ波を・・・

          雪が花かと・・・

               みまがわせるように・・・

             吹く風が・・・

                 打ちよせ打ちよせして・・・

                     見る人を欺(あざむ)くようだ・・・ 


この歌などを、人が何かと言うのを…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(260)

一月十七日 (現代語訳・24-9)


…ある人が聞くことに集中して詠んだ。その歌は、詠んだ文字数が三十と七文字。人は

みな、そのままではいられず、笑う有様である。歌の主は、たいそう機嫌が悪くて、恨み

言を言う。その通りに詠もうとしても、その通りには詠めない。この歌などを、人が何かと言

うのを…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(261)

一月十七日 (現代語訳・24-10)

書いたとしても、詠み続けがたいに違いない。(聞いたばかりの)今日でさえ、言い難い。ま

して、後では、どうであろう。



十九日。天気が悪いので、舟を出さない。


 3月  2日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(262)  

一月十七日  (響子の言葉・24-1)


ええ…

民族主義者愛国主義者は、よく…

<日本/日本の心>を、大切にしようと言います。無論、私も大賛成ですわ。

では…

<日本/日本の心>とは、何でしょうか。物理的・法律的な意味での<日本国/国土

・・・領土・領空・領海>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        wpe86.jpg (6318 バイト)   

《響子の・・・土佐日記》・・・(263)  

一月十七日  (響子の言葉・24-2)


…とは別に、<日本らしさ>形成するものとは、は何か

簡単に言えば…

それは、<宗教と・・・日本語>でしょう。もう一声かければ、ぐっと下って…即物的な、

<日本食/和食>であり、<酒/日本酒>という事など、でしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(264) 

一月十七日  (響子の言葉・24-3)


ともかく…

<日本の心/日本人の精神性の形成>という意味では…

<平安王朝時代の・・・仏教の・・・本格的導入>空海/・・・弘法大師/真言密教

/高野山と…最澄/・・・伝教大師/天台宗/比叡山確立が…その基盤になるので

しょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                         / ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(265)

一月十七日  (響子の言葉・24-4)


そして…

わが紀貫之さんは…<日本語形成/・・・かな文字の基盤を創った人>、という事で

すね。<大和言葉に・・・中国の漢字を導入>し…<漢字混じりの・・・ひらがな文字

の文体>を作り…<日本語の基盤を創出>しました。

日本古の時代に、中国漢字文化を導入しましたが、そうした中で<日本独自の・・・

日本語を進化させて来た>…わけです。

隣の朝鮮半島この事失敗していると思われます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                 
1543年に、王命によって刊行された『列女伝』のハングル翻訳版 /ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(266)

一月十七日  (響子の言葉・24-5)


朝鮮民族この事に気付き…ハングル文字(朝鮮語を表記するための表音文字)創出したのは

日本に遅れること数百年後の、1446年(/李氏朝鮮第4代王の世宗が、朝鮮固有の文字の創出を

推し進めた。)と言われます。

これは、歴史的必然性もあり、朝鮮半島はあくまでも大陸の一部だったということです。

逆に日本は、<大陸文化から一定距離離れ・・・文化的にも独立性が高かった>、と

いう事がありますね。

この<日本の・・・地政学的位置>は、軍事戦略上重要でした。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                 古今和歌集 仮名序         /ネットより画像借用

《響子の・・・土佐日記》・・・(267)

一月十七日  (響子の言葉・24-6)


日本の…<文化的・軍事戦略的な・・・地理上の位置>は、<ヨーロッパ大陸と・・・

イギリスの関係と酷似>すると…軍事担当/大川慶三郎が、言っていました。確か

に、大陸程よい距離を保ち、緯度・国土面積等も、似ていますね。

ともかく…

紀貫之さん最初<かな文字>を使ったのは、『古今和歌集/古今集』<仮名

(かなじょ/『古今和歌集』に添えられた2篇の序文のうち、仮名で書かれているものの方の名称。)で…



 3月  3日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(268)

一月十七日  (響子の言葉・24-7


『土佐日記』よりも30年も前になります。これらは完成時において23年間の開きがあ

ります。

つまり『土佐日記』は…

紀貫之さん(おきな)と呼ばれるようになった時代に、中級貴族として土佐国守として

赴任した時の…航海記/紀行文ですが…完全記録ではなく、フィクション(/虚構、創作)

も混ざっているようですね。

くり返しますが…

<日本という国の形>整ったのは、<壬申の乱>後…第40代/天武天皇<新

しい国造り>以降です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(269)

一月十七日  (響子の言葉・24-8


天武天皇は…

<道教>関心を寄せ、神道(しんとう)を整備して<国家神道>を確立し、仏教保護

<国家仏教>を推進しました。<天皇>称号とし、<日本>国号とした、最初

の天皇とも言われます。

そして、国家の方向性定まって来たのが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(270)

一月十七日  (響子の言葉・24-9


平安時代であり、その核心<平安仏教/・・・真言密教・天台宗/高野山・比叡

山>であり…<日本語/・・・かな文字の確立>だった…という事でしょう。

平安時代確立された<日本らしさ/・・・日本人の精神性>は…つまり、<宗教と

日本語/・・・かな文字>だった、という事ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(271)

一月十七日  (響子の言葉・24-10


紀貫之さん平安時代・初期の人ですが、これ以前の物語/読物は、『伊勢物語』『竹

取物語』ぐらいしか、なかった様です。

そこで、かな文字による『土佐日記』登場したわけです。そして、平安時代・中期には、

第66代/一条天皇の下で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(272)

一月十七日  (響子の言葉・24-11


かな文字女流文学大輪の花を咲かせます。

中宮・定子の局(つぼね)/清少納言『枕草子』…さらに道長の娘/中宮・彰子(つぼ

ね)には、『源氏物語』を書いた紫式部をはじめ、和歌和泉式部赤染衛門伊勢

どがいました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(273)

一月十七日  (響子の言葉・24-12


かな文字/日本語文学は、漢文・漢詩を離れて、<日本独自の文化>開花させて行

きます。

やがて…

日本では漢文漢詩(すた)れて行き、公用語としても使われなくなります。道元禅師

『正法眼蔵』も、経典/仏典としては初めての…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(274)

一月十七日  (響子の言葉・24-13


かな文字で書かれました。正確な所は承知していませんが、既存仏教経典は全て

漢文で書かれていました。『般若心経』も、『法華経』も、『観音経』も、全て漢文です。



あ…舟旅の方は…説明の必要はないですよね、」



 3月  4日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(2754) 

一月十七日  (響子の言葉・24-14)


「あ…すみません。追加です。

ふと…思ったのですが…

この…<日本らしさ/・・・宗教と日本語/・・・日本の独自文化の醸成>は…

現代社会においても、強く反映しているという事ですわ。日本現代宗教比率を見る

と…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(276)

一月十七日  (響子の言葉・24-15)


<神道/79・2%・・・仏教/66・8%・・・キリスト教/1・5%>です。数字合計

が合いませんが、これはかっては神仏習合(しんぶつしゅうごう/神仏混淆(しんぶつこんこう)・・・日本土

着の神祇信仰(じんぎしんこう/神道)と仏教信仰(/日本の仏教)が混淆/混交(こんこう)し、一つの信仰体系として再

構成(習合)された宗教現象。)で…神道仏教一体だった事を反映しているのでしょう。

そして同様に…

韓国の、現代宗教比率を見て驚いたのですが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(277)

一月十七日  (響子の言葉・24-16)


現代韓国では…<無宗教/43・3%・・・キリスト教/31・6%・・・仏教/24・2%

です。

データはいずれも、<Wikipedia/=インターネット百科事典>のものです。現代韓

において、キリスト教徒が実に31・6%も占めるのは…意外でした。

東南アジアにおいて、キリスト教の国フィリピン(/90%がキリスト教徒といわれ…これはスペイン統

治時代のローマ・カトリックが主流)東ティモール(/99・1%がキリスト教徒で、大半はローマ・カトリック)ですが、

韓国31・6%(/内訳は・・・プロテスタントの信者が2に対して、カトリック信者が1の割合。)は、それに次ぐ

ものと思われます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(278)

一月十七日  (響子の言葉・24-17)


トップ<無宗教/43・3%>というのは…儒教土着の宗教という事でしょうか。

つまり…何が言いたいかというと…

同じ中国4000年漢字文化影響圏にあり…日本朝鮮半島/韓国経由でも、多く

の文化を吸収して来たわけです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(279)

一月十七日  (響子の言葉・24-18)


そして、日本敗戦になるわけですが…

アメリカ軍進駐して来た占領政策下においても、日本にはキリスト教はほとんど普及

なかったという事です。

一方…

同じ時に、韓国は、同じマッカーサー元帥率いる国連軍(/朝鮮戦争・・・その戦争は現在も継続して

いて、朝鮮半島の北緯38度線は“休戦ライン”となっています。北朝鮮は・・・今も韓国軍・国連軍と戦争状態にあります。)

迎え入れたわけですが、以後、31・6%の人々キリスト教改宗しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(280)

一月十七日  (響子の言葉・24-19)


これは…

<宗教選択の問題>であり、良し悪しの問題ではありません。でも、日本では、<奈良

仏教/・・・聖徳太子の法隆寺・鑑真和上(がんじんわじょう)の唐招提寺(とうしょうだいじ)・聖

武天皇の東大寺>…そして、<平安仏教/・・・弘法大師の高野山・伝教大師の比

山>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(281)

一月十七日  (響子の言葉・24-20)


…それから、<鎌倉仏教/・・・栄西の臨済宗・道元の曹洞宗・親鸞(しんらん)の浄土真

宗>と…仏教が、国土民族文化の中に、しっかりと根付いて来たという事です。

そして、それに貢献したのが…和歌を中心とした女性かな文字であり、紀貫之さんの、

『古今集/仮名序』『土佐日記』 に、その源流があった、という事ですね。

<かな文字混じりの日本語>は、<日本独自の文化醸成>に、多大な貢献があった

という事です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(282)

一月十七日  (響子の言葉・24-21)


うーん…

私/響子は…朝鮮半島歴史は詳しくはないのですが…この地では仏教は、日本の様

には、深く根付かなかった様ですね。

公用語も、地政学的影響が強かったのでしょうか…漢文影響下から脱する事に…

識階級反発した様ですね。ハングル文字はそれを押しのけて、1446年(/李氏・朝鮮第4

代王の世宗が)に、『訓民正音』(くんみんせいおん/ハングルの古称・・・あるいは、それについて解説した書物)

名で、普及をはかっています…」



 3月 18日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(283)

一月二十日  (原文・25-1)


二十日。昨日のやうなれば、舟出
(い)ださず。皆人々うれへなげく。苦しく心もとなけれ

ば、ただ日の経ぬる数を、今日いくか、二十日、三十日と数ふれば、およびもそこなは

れぬべし。いとわびし。夜はいも寝ず。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(284)

一月二十日  (原文・25-2)


二十日の夜の月出でにけり。山の端(は)もなくて、海の中よりぞ出(い)で来る。かうやうな

るを見てや、昔、阿倍の仲麻呂といひける人は、唐に渡りて、帰り来ける時に、舟に乗る

べき所にて、かの国人、馬のはなむけし、別れ惜しみて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(285)

一月二十日  (原文・25-3)


…かしこの漢詩作りなどしける。飽かずやありけむ、二十日の夜の月出(い)づるまでぞあ

りける。その月は、海よりぞ出でける。これを見てぞ、仲麻呂の主、


「わが国にかかる歌をなむ、神代より神も詠んたび、今は上中下の人も・・・


 3月 19日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(286)

一月二十日  (原文・25-4)


…かうやうに別れ惜しみ、喜びもあり、悲しびもある時には詠む」

とて詠めりける歌、


★ 青海原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも


とぞ詠めりける。かの国人、聞き知るまじく思ほえたれども…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(287)

一月二十日  (原文・25-5)


…ことの心を、男文字に様を書き出だして、この言葉伝へたる人に言ひ知らせければ、

心をや聞きえたりけむ、いと思ひのほかになむめでける。唐とこの国とは、言異なるもの

なれど、月の形は同じことなるベければ、人の心も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(288)

一月二十日  (原文・25-6)


…同じことにやあらむ。

さて、今、そのかみを思ひやりて、ある人の詠める歌、


★ 都にて 山の端に見し 月なれど 波より出でて 波にこそ入れ


岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(289)

一月二十日  (現代語訳・25-1)


二十日。昨日のようなので、舟を出さない。人々はみな、憂い嘆く。苦しくいらだつので、

ただ日の過ぎた数を今日で何日、二十日、三十日と数えるので、指も痛めてしまいそう

である。非常につらい。夜は寝もしない。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(290)

一月二十日  (現代語訳・25-2)


二十日の夜の月が出た。山の端もなくて、海の中から出て来る。このようなのを見てか、

昔、阿倍仲麻呂といった人は、唐に渡って、帰って来ようとした時に、舟に乗るはずの

所で、あちらの国の人が、餞別の宴を開き、別れを惜しんで…


岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(291)

一月二十日  (現代語訳・25-3)


…あちらの漢詩を作ったりした。ものたりなく思ったのだろうか、二十日の夜の月が出る

まで、(そこに)いたのであった。

その月は、海から出たそうだ。これを見て、仲麻呂さんは、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(292)  

一月二十日  (現代語訳・25-4)


…お詠みになり、今は上、中、下(いずれの身分)の人も、このように別れを惜しみ、

喜びもあり、悲しみもある時には詠む」


、と言って、詠んだ歌、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(293)

一月二十日  (現代語訳・25-5)


青い海原を…

            遠く眺めると…

                故国の都の…

               春日にある…

                    三笠山に出た月と…

                         同じなのだなあ…


と詠んだそうである。



 3月 20日

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(294)

一月二十日  (現代語訳・25-6)


あちらの国の人は、聞いてわかるまいと思われたけれども、言葉の意味を、漢字で様子

を書き出して、日本の言葉を習得している人に言い知らせたところ、気持ちを理解した

のであろうか、ほんとうに思いのほかに賛美したそうである。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(295)

一月二十日  (現代語訳・25-7)

 

唐とこの国とは、言葉が異なるのであるが、月の光は同じはずなので、人の心も同じな

のであろう。さて、今、その当時を思いやって、ある人が詠んだ歌




     都では…

         山の端に見た月も…

              この海辺では…

                   波の中から出て       

                        波に入っていくことだ…


岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(296)

一月二十日  (響子の言葉・25-1)


「うーん…

1月10日に…奈半(なは)…それから室津に入り…(なぎ)月夜の海を漕ぎ進んだので

すよね。でも、1月20日もまだ、室戸岬を回って いないのでしょうか?

苦しくいらだつ日々が続き…<いとわびし/非常につらい>と、文字にも綴(つづ)り、

書き表しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(297)

一月二十日  (響子の言葉・25-2)


さらに、<夜はいも寝ず/夜は寝もしない>と…辛さは頂点に達しています。でも、20

日の夜は、が出たとありますから、明日は漕ぎ出せるのでしょうか?外海に面した

津の海が、穏やかならば…ですが。

から昇る月を見て…阿倍仲麻呂故事(こじ/昔あった事柄)を思い起こしています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(298)

一月二十日  (響子の言葉・25-3)


ほほ…さすがは歌人ですね。

楽しい時も、別れつらい時も…ともかく、<風流>です。それをみんな…に詠んで、

人生楽しみます。

あ…ボス(/岡田)も…母君他界した時1句、詠んでいますよね…


★ 母が逝
(い)き 入梅の 白き雨     (一風/ボスの俳号  …2014年6月6日…命日は6月2日)


岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(299)

一月二十日  (響子の言葉・25-4)


阿倍仲麻呂
故事は…

《響子の小倉百人一首/ 【7番 → 安倍仲麿】》考察しています。は…


★ 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも


…ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《響子の・・・土佐日記》・・・(300)

一月二十日  (響子の言葉・25-5)


『土佐日記』に出てくるは、少し違います。


★ 青海原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも



発句が…『小倉百人一首』とは違っています。それから、資料にもよるのでしょうが…

<阿倍仲麻呂>漢字も違っていますよね。『小倉百人一首』では、<安倍仲麿>

なっています。ともかく、古いのは『土佐日記』の方です。