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          原始仏教からの旅・・・素描  

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 2013年              上から・・・ 下へ      
 5月/27日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅…素描 )・・・(1)

仏教の開祖/ゴータマ・シッダールタ紀元前463年頃ネパールの小国/釈迦

カピラ国に、王子として生まれました。

王子成長するにつれ、根本的な苦/生・老・病・死…を鋭敏に感じ取り、ついに、

なる真理をもとめ、出家します。



 5月/29日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅…素描 )・・・(2)

安定した身分を捨て、釈尊/シッダールタ王子はなぜ出家したのか。私達の素朴な

疑問です。

それは非常に深い所での、命に対する疑問だったのでしょうか。一方、言葉物事

の真相を、幻影の藪の彼方に隠します。平安も、その幻影を発しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅…素描 )・・・(3)

【命・この世・時間・空間】とは、“今まさに躍動している私の姿”であり…“量子力

学の重ね合わせのように存在している”…もの…

こうした命の流れに、本質的な苦/生・老・病・死…が影を落とす。そして、食物連鎖

新陳代謝喧騒がある……救済は?



 5月/30日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅…素描 )・・・(4)

聡明な釈尊は、本質的深い命の深淵にたたずみ、無明(むみょう)の彼方に正覚(しょ

うかく)を見ようと決したのでしょうか?

一切万物が、何ゆえ存在するのか?万物の展開する背後に、神の統一性を感

得するのでしょうか?釈尊は迷妄(めいもう)の中にあり、正覚を求めて出家したわけで

す。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅…素描 )・・・(5)

釈迦族王摩耶(マーヤー)夫人は、シッダールタを産み7日後にます。仙人達

吾子の行末を占わせ…仙人達は述べます。

この赤子は…王位につけば全世界を統(す)べる転輪聖王(てんりんじょうおう)となり…王位

を捨てて苦行を積めば、正覚を得て、衆生を救う転法輪(てんぽうりん)の王者となろう…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅…素描 )・・・(6)

さらに釈迦族王は、遅れて参上した阿私多仙人(あしたせんにん)予言を聞きます。彼は

赤子の顔を見て落涙し…こう歌います…

太子無上の覚位に至り…衆生安穏(あんのん)福利のために法輪を転じ涅槃(ね

はん)を説いて、教法くまなく(あまね)からん…

明確に、太子求道の道予言されます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅…素描 )・・・(7)

のいないシッダールタ太子は、宮殿多くの侍女に囲まれて育ちました。真直

観察内省を好む少年だった様です。全学問に長じ、武技で優れていた様で

す。戦の暗雲武勇生・老・病・死苦しみには…ひときわ鋭敏な少年だったので

しょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅…素描 )・・・(8)

少年太子は…戦乱憂いを漂わせる父を見つつ、学問武技鍛練を怠りません。

余暇は、一族の少年たちと遊ぶより、馬で野山へ出向く方を好んだ様です。

そして1人…“私は何処から来、何処へ帰って行くのか?”…など、思考する事が多

かった様です。



 5月/31日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅…素描 )・・・(9)

太子従者を連れて街に出ると、クシャトリーバラモンバイシャスードラ身分差別

があった。しかし、この下にさらに卑しい、死体汚物を処理するチャンダーラがいた。

29歳の春太子はこのチャンダーラに身を落とし、出家したのである。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(10)

14歳の時太子隠棲する賢者/空網(くうもう)の元で学生期(がくしょうき)を過ごします。

空網は、太子を一目みた時、勇気理性とを失わぬ限り、いずれ、一切の真理到達

するであろうと、予想します。そして15歳の時太子は豁然と(ごう)を理解し、出家

決意した様です。



 6月/ 1日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(11)

学生期の後…16歳太子を迎えたのは、3つの宮殿3人の妃でした。王宮の中と、

夏と秋の宮殿です。

コーサラ国舎衛城(しゃえいじょう)大商人…後に祇園精舎を建立するスダッタから、

太子は様々な情報を得ます。幾多の沙門(しゃもん/僧侶)が、輪廻を説くことも聞き

ます。


岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(12)

城内の宮殿で、妃/耶輸陀羅(やしゅだらー)懐胎(かいたい: 妊娠)します。太子

に縛られた事を知り、に倒れます。それほど想いは深かった様です。

闘病の中で、太子出家許し懇願します。は、これでは吾子の身を滅ぼす

と判じ、ついに出家を許します。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(13)

29歳の春太子カピラ城の東門を出ます。出会ったチャンダーラの老人と着衣

し、南方を目指します。まず、商人スダッタから聞いた、アーラーラという瞑想の達

を訪ねるつもりでした。そこはガンジス川の彼方、マガダ国のはるかでした。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(14)

太子/シッダールタは、村々や都
(/対立するコーサラ国)托鉢しつつ南下人々から蔑ま

れつつからは解放されます。シッダールタは抜け、も次第に回復します。初

めて目にする広大ガンジス川を泳いで渡り、マガダ国に入って、建設途上王舎城

に立ち寄ります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(15)

シッダールタが、マガダ国の山中の洞穴で1夜を明かしていると、突然、国王/ビンバ

シャーラ訪問を受けます。コーサラ国は通り抜けるも、マガダ国は全てを見て(/重要

人物・釈迦族の太子の動静などは常に把握)いたわけです。国王千頭の象軍を与えると提案しま

す。が、断って南方へ去ります。



 6月/ 2日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(16)

アーラーラ仙人齢120歳に達する。シッダールタ畏敬の念に打たれ、枯れ細った

足にを押し当てて礼拝する。そして己の過去を懺悔(ざんげ)し、合掌して言った。

よ、あなたの導きを得て、命の真相を見極め、永遠の安寧(あんねい)の境地に達しと

うございます」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(17)

アーラーラ仙人は、シッダールタに言った。

「そなたは、欲望愛憎を越えてここに来た。純白なる意志で、形態のみの残存するこ

の山に至った。しかしわしは、その形態さえない無所有の境地におる。そなたもこの境

に至り、永遠の安寧を得るがよい」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(18)

沈思するシッダールタに、仙人が言います…

「宇宙は、欲界色界無色界に、3分されると知れ…

欲界も…欲望の充足する諸天欲望の苦の集る地獄、その中間に人間界がある。そ

なたは今、その欲界を離れ、形態のみの残る色界到達したのである」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(19)

アーラーラは言う…

「そなたはすでに、眼耳鼻舌触5感に対する執着がない。形は形音は音匂いは

匂い味は味感触は感触として去来し、欲望を誘うものではない。しかしさらに精進

し、その上の無色界に至るがよい。そこに永遠の安寧(あんねい)がある」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(20)

師の言葉に、シッダールタ落涙して答えます…

よ、私は今、初めて清浄なるお言葉を聞いた思いがいたしまする。欲界にいた

を悲しみ、無色界へ歩む未来を喜び、今、落涙しております。このは、私の煩悩

最後の涙となりましょう…」



 6月/ 3日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(21)

アーラーラが言う…

欲界色界の間には絶望の門があった。今、そなたは最後絶望の涙を流した。そ

れは同時に清浄なる色界に至り、無色界へ歩まんとする喜びの涙でもあった。

しかし沙門(しゃもん/僧侶)よ、色界無色界の間には、恐怖の門があると知るがよい」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(22)

アーラーラが言う…

と化す死の恐怖が、色界無色界を隔てている。無色界へ赴く者は、その

の恐怖克服しなければならぬ…

その手段として、私はそなたにを与えよう。私が放つ、目に見えぬ矢を心に描き、

の真中で受止めるがよい…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(23)

アーラーラが言う…

「そなたは、全意志力をそのに、己を貫くその1点集中するがよい。それは純粋

な、一筋の意志となる…

しかし、持続はかなわず…はやがて己を貫く統一は砕かれ恐怖のうちに

化し…そなたは無色界に至るであろう…」



 6月/ 4日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(24)

シッダールタは、不思議な教示に従った。多くの弟子が散らばる岩山1所を選

び、決死結跏趺坐(けっかふざ/仏の坐法。禅定修行で行う蓮華座)を始めた。仲間が運んでく

れる食物を繋ぎ、無色界をめざした。眼を半眼に開き、額の中央に射ち込まれる

に、生きようと、全意志力集中した。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(25)

シッダールタ境涯は、揺れ動く百尺の竿頭上の、無念無想決死の集中であった。

集中を緩めれば、額を貫き、あるいは竿頭から真っ逆さまに落下する。

睡眠休息もかなわず…そして…ついに貫かれれば…死の恐怖無化の恐怖

に包まれる…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(26)

結跏趺坐の中、シッダールタ心地に窮し、あえてに貫かれ地上に落下して行け

ば…恐怖の識閾(ある意識の出現または消失の境界)を越え…生きながら死んでいる境涯とな

った。

季節は…夏の終わりから秋の初めの雨季結跏趺坐するシッダールタ五体に、

が容赦なく叩き続けていた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(27)

恐怖の門識閾(しきいき)を越えたシッダールタには、雨が降っている形態すらも消え

失せ、ただ静かだった。切れ切れの時の中で昼と夜が過ぎ、感覚の無いままに五体

が濡れ続けた。

そうした日々が重なり…シッダールタには次第に、冷厳な眼光が充実していった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(28)

シッダールタ集中する意志は、やがて額の中央より、白光の様に輝き出た。アーラ

ーラはその様相を認め、腹の底から湧く様な…

「オーム!」

という聖音を発した。シッダールタ驚愕し、結跏趺坐がほどけた。眼前には、輝かし

師の姿があった。(恐怖が走り、無色界から色界に戻ったのである)


岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(29)

無色界より色界に…よりに転じ帰ったシッダールタに…アーラーラは言った。

「そなたはすら所有しない、無色界/無所有の境地に至ったのである。色界表裏

一体をなす、無色界に到達したのである…」

釈尊(シッダールタ)《無門関》(中国/宋時代に無門禅師によって編集された、48則の公案集/『無門関』

の序文にある“無門の関”) を越えたのであろう。



 6月/ 5日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(30)

アーラーラはさらに言う…

「そなたは無色界において、恒常・無限・永遠安寧に安らいだのである。しかしそな

たはまだ、この事の真の意味は分からないであろう。さらに結跏趺坐を続け、存在の

表裏色界無色界を、恐怖なく往来する事に習熟せよ…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(31)

シッダールタ教示に従い、結跏趺坐を続けた。しかしある日、の元を訪れて

言った。

よ、私は無色界でも、命の真相が見えませぬ。心の平安も得られませぬ。私の求

めるものは、無色界の静寂のみではなく、命の真相が知りとうございます…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(32)

シッダールタはさらに言う…

「私は、世界の真相を知りとうございます。宇宙はいずこより生じ命はいずこへ去る

のか。何故、欲界色界無色界3界に分かれているのか。そうした知への渇望が、

無色界静寂に至った私を、なおも苦しめまする…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(33)

アーラーラが言う…
沙門よ、そなたは、有りもせぬ救済を求めているのである。無色界無欲無色

境涯こそ至高の知恵である。

他に、如何なる存在の真理があろうか。多くの弟子は、そなたほどの集中はかなわ

ず、何時までも無色界に入れぬ」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(34)

アーラーラが言う…

沙門よ、そなたの心も体もまだ若く、絶望しておらぬ。それが無色界よりも色界を、

色界よりも欲界本能が求めるのである。それゆえ人間界に、ありえぬ救済をもたら

そうと、苦悩するのである」

シッダールタは頭を垂れ、沈思した。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(35)

アーラーラが言う…

沙門よ…そなたは一切衆生救済を願う、高貴なる執着の故に、さらにしばらく

せねばならぬであろう。

そしてそなたは、遍歴の果てに、再びここに戻って来るであろう。その時、弟子たちに、

わしと同じ教え方をするであろう」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(36)

アーラーラ弟子たちが、さらに南方の山地に、ウツダカという仙人がいる事を教え

た。その仙人は、非想非々想処(ひそうひひそうじょ)という不思議な境地を説いといると言

う。(よわい)すでに130歳に達しているらしい。

シッダールタ雨季の終わりに、緑深いその山地を訪れた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(37)

ウツダカは新参の弟子に対面し、これまでの修行を聞いた。そして…

沙門よ…わしは、宇宙の3界を説かず、眼に見えぬ矢を授けない。すでに禅定の達

であるそなたは、ただ結跏趺坐を続けよ。無念無想に至ろうとせず…ひたすら、

っているがよい…」



 6月/ 6日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(38)

ウツダカは、さらに続ける…

「そうすれば…やがて、宇宙自ずから展開してゆく端緒を、自ら観察する事になる

であろう。それは、想像裡の事ではないゆえ非想と呼ばれ、想像裡の事でなくもない

ゆえ非々想とも呼ばれ…非想非々想と呼ばれる境地である」



 6月/ 7日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(39)

シッダールタは、新たな師教示を受け、適当な菩提樹(ぼだいじゅ)木陰を選び、結跏

趺坐(けっかふざ)を始めた。しかし今度は、眼に見えぬ矢意志を集中する事もなく、

を排してただ端坐(たんざ/姿勢を正して座ること)した。菩提樹香りが満ち、小鳥(さえ

ず)が聞こえたが、全て去来するままにまかせた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(40)

端坐するシッダールタの心に、様々な想念が去来した。関知しない何者とも知れ

ぬ思念想念が去来する。管弦に合わせて女性(にょしょう)が出現し、欲情かきたてる

様に踊り、自らが反応する…これは何者なのか…個体を越える欲情命の深遠

不可解だった…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(41)

シッダールタは、にありのままを語った…

沙門よ、そなたは非想非々想処(ひそうひひそうじょ)に到達したのである…正しく認識する

そなたは、欲念解脱している故に、根源的欲念を生みだすかかる想念を見るのであ

る。それを非々想という」

シッダールタは頭を垂れた。



 6月/ 8日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からのたび・・・素描 )・・・(42)

ウツダカは枯れた痩身を杖で支え、菩提樹をちぎって対座した。左右の手に

1枚づつ持ち、1方握りつぶした。

「見よ…この土水火風和合にすぎぬ。より生まれ、で生き、枯れて燃え

暫時(ざんじ/少しの間)の、形態を保っているに過ぎぬのである」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅…素描 )・・・(43)

ウツダカは言う…

沙門(しゃもん)よ、土水火風実態なき空なる相に過ぎぬ…

に溶け、火熱によって消え、によって消え、虚空に消えるので

ある。しからばこの菩提樹の葉と、そなたの想念に浮かぶ女性(にょしょう)の群れとは、

如何なる相違があろうか…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(44)

ウツダカは、さらに言う…

現実女性想念とは、共に暫時の形態であり、空相である…

現実である故に非想と呼ばれ、女性想念である故に、非々想と呼ばれる。しか

し、両者はいずれも、そなたの煩悩(ぼんのう)が作り出している、幻影なのである…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(45)

沈思するシッダールタに、ウツダカが言う…

人体も所詮は、土水火風和合である…暫時(ざんじ/少しの間)の形態であり、幻影

のである。それゆえに、事物の真相は、幻影幻影を生み出していると言えよう。

(うつつ)も、幻影二元対立の姿であり…暫時の所産である…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(46)

シッダールタが言う…

よ…それでは、を生み出したのは、何ものなのでございましょうか?」

幻影が、幻影なるこの大地の上に、生み出したのである。人間の起源

過去に遡って行くが、宇宙にもにも、始まりは無いのである」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(47)

シッダールタが、苦しげに言う…

よ…にはの言う事が信じられませぬ…

バラモンは、不滅霊魂実体と説きまする。それが生老病死する肉体に、くり

返し出入すると言いまする。不滅霊魂煩悩が、にるる、生死輪廻(しょうじりんね)

を説いておりまする」



 6月/ 9日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(48)

ウツダカが言う…

「ならば、沙門よ、その不滅霊魂を見せてみよ」

シッダールタは頭(こうべ)を落とした。ウツダカは、笑みを浮かべうなっいた。

バラモンの教えは、2つの意味迷妄である。不滅霊魂生死輪廻(しょうじりんね)

証明できず、あったとしても幻影である」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(49)

ウツダカが言う…

沙門よ、そなたのは若い。本能において、死/無化を恐れている。それゆえ

アーラーラ無色界に、安住することが出来なかった。また、幻影なる一切万有を去

来せしめる、非想非々想境地にも、安住することが難しいのである」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(50)

アーラーラと同様にウツダカも、シッダールタのさらなる遍歴を予言した。

シッダールタは、故郷の北の方向へ歩み出した。もはや求めるべき師はなく、迷妄

深かった。アーラーラの住む岩山を過ぎ、鉄山酷使される、に繋がれたスードラ

シュードラ。カーストの最下位身分、隷属民/・・・このさらに下に、チャンダーラ身分の不可触民がいる。シッダールタ

はこのチャンダーラに身分を落とし、托鉢しつつ放浪する)たちを眺めた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(51)

シッダールタは、に繋がれて酷使されるスードラたちを眺め、が溢れ出した。苦し

スードラ幻影…しかし幻影であろうと…苦しみは現前している。彼らは苦しみ

渇望している。私は、全ての苦しむ命救済を求めて、出家したのではなかった

か…



 6月/10日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(52)

は、全ての命救済を求めて出家した。しかし、アーラーラウツダカの教えは、

結跏趺坐における個人救済であった。

結局私は、2人の仙人が指摘した通りに、欲界苦しむ声に惑わされ、欲界に舞い

戻ってきたのである。さあ…どうすればいいのか…?

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(53)

鉄山スードラ(被征服民/隷属民階級)を見ていたシッダールタは、眼前で驚くべき光景

目撃する。動けなくなったスードラに、甲冑(かっちゅう)を纏(まと)ったクシャトリー(武士、貴族

階級)をかざした。スードラ呪詛(じゅそ/のろうこと)を叫ぶ!

傲慢(ごうまん)なる征服民・アーリア人(紀元前2000年頃、中央アジアの遊牧民・アーリア人が大移動で

南下した。紀元前700年頃には、アーリア人が建設したガンジス川流域の小王国は6つあった。そのうちの1つが釈迦

族の国)よ!殺すがいい!次の世で、必ず復習するぞ!

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(54)

シッダールタは、スードラ深い呪詛(じゅそ: のろうこと)の叫びに戦慄した。そして自分が

出家に至った苦を顧みた。小国といえども王子として育ち、桃源郷(とうげんきょう: 俗

界を離れた別世界)で暮らしてきた。出家後の苦行も、スードラ苦の生涯に比べれば

なものだ。これで、命の真相が見えようか…?



 6月/11日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(55)

シッダールタは思い当たって、身に(まと)襤褸(らんる: ぼろきれ)を脱ぎ捨てた。少年の

頃に出会った苦行者同様、裸形のみを布切れで覆った。その布切れで、

小な生物も吸い込んで殺すまいとした。また、地上を見つめて慎重に歩き、どんな

小な命殺すまいとした。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(56)

シッダールタ行乞(ぎょうこつ: 僧侶が乞食をして歩くこと。托鉢)の時は、家の戸口に無言で立

ち続けた。(わずか)な食物を得た時も、が寄れば犬に与え、が止れば蝿にも与

えた。そして、少年の頃出会った裸形苦行者の様に、伽耶山(がやさん/ガヤーシーサ)

目指した。そこはあえて地獄を体験する、苦行者のみの集まる所だった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(57)

伽耶山(がやさん)シッダールタは、様々な苦行で心身を鍛えた。そして、最悪と言われ

止息(しそく)の行にいどんだ。仲間に両手をしばらせ、鼻孔を赤土で埋めさせた。

即、転倒して悶えた…狂おしい呻きを発し続け…意識のある限り…全ての殺された命

許しを乞うた…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(58)

失神から覚めると、次に鼻孔に加え、肛門も赤土で埋めた。すると、内部から

肉壁を押し破ろうとするは、熱炎の様に五体で荒れ狂った。焼いた槍で胸を突かれ

スードラ、生きながら祈祷(きとう)の炎に投じられる生贄(いけにえ)スードラの叫びが、

全身を襲った

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(59)

シッダールタは、くり返し地獄苦しみに身を投じ…祈り…そして目覚めた。しかし

の真相は見えなかった…

シッダールタ苦行に疲れ果て、心は絶望した。そうしたある夜、少年の頃に出会っ

た、裸形苦行者の言葉と、彼が示した丸い小石を思い出した。



 6月/12日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(60)

シッダールタは、あの苦行者が言った《金の首飾り》を思い出した。失神する苦行も、

楽々と無色界に至る瞑想も、命の深奥に接近していないと思い当たった。まさに彼が

指摘した様に、断食によってゆっくりと死に接近し、命の真相が見えて来るのであろう。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(61)

シッダールタ《金の首飾り》/1888日に及ぶ断食行にいどんだ。1期472日

し…384日の絶食日88日の行乞日をはさむ。しだいに断食に身を慣らし、ついに

15日の断食日1日の摂食日をはさむ。日数の連なりが、首飾りの様になっていた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(62)

シッダールタは、少年の頃に出会った苦行者の様に《金の首飾り》断食を巡りつ

つ、進んで壮絶な地獄に身を沈めた。チャンダーラ死体が棄てられる谷を訪れ、

その屍衣(/しい)を纏って結跏趺坐をした。また、牧童たちに尿をかけられても、

微動もしなかった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(63)

シッダールタは…には尼蓮禅河(にれんぜんが)の水に浸り、糞掃衣(ふんぞうえ/字の

通りに・・・糞を掃除する衣。チャンダーラの襤褸)獣皮鳥の羽を纏い、頭髪を全て抜き取

り、焼けつく陽光に晒された。

また、棘の筵(とげのむしろ)の上にも座り続け、雨季には1度も沐浴(もくよく: 髪や体を洗うこと)

をせず、肌の(あか)の上には(こけ)が生えたが、それを洗おうとはしなかった。



 6月/13日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(64)

シッダールタは…行乞日(ぎょうこつび/托鉢に行く日)には野菜生米米のとぎ汁のみ口に

入れた。孤独の行では遠い森に独り住み、が近づけば逃げ去った。また汚穢(おわ

い/けがれていること。大小便、糞尿)を食う行では、牛舎に忍んで子牛の糞を食べた。バラモン

では、チャンダーラがこう言うものを食えば畜生道(悪業の報いによって、死後に生まれ変わる

畜生の世界)に堕ちる…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(65)

シッダールタ畜生道に落ち、畜生の苦しみを味わおうとしたのである。恐怖の行

虎の彷徨(さまよ)う山中で、凄まじい捕食の恐怖の中で…“虎よ、飢えに苦しむの

であれば私を食べるが良い”…と念じ続けた。やがて恐怖は消え、生死を越えた無

境地に至った。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(66)

縄張りの山中では、シッダールタは常に指呼の間(しこのかん/呼べば答えるほどの近い

距離)補足されていたであろう。しかし、禅定の達人には容易に近づけなかった。さ

らに無我の境地に到達して、殺気シッダールタ補足できず、素通りした。殺気

放てば、それは虎自身反射したであろう。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(67)

《金の首飾り》断食行5年に及んだ…

しかし、合わせて行った空前絶後の苦行にも、シッダールタには、命の真相について

の知は生じなかった。彼はついに、少年の頃に出会った裸形苦行者言葉に従

い、結跏趺坐したまま、餓死に至ろうとした。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(68)

シッダールタ伽耶山(がやさん/ガヤーシーサ)にもどり、死を覚悟を始めた。豆粒

米粒胡麻粒を、1日に1粒…ついには7日に1粒づつでをつなぎ…が燃えつき

る様を、見極めようとした。そしてそのものが業の鉄鎖と分かったなら、そのまま

吹き消そうといどんだ。



 6月/14日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(69)

餓死覚悟断食行に入ると、シッダールタの体は痩せ衰えて行った。肋骨が浮き、

がくぼみ、全身の毛髪は腐れ落ちた。しかし全意志力集中する額中央に、1筋

白い巻毛が伸びた。結跏趺坐する周囲には、いつしか5人若い苦行者が取巻

き、祈り始めた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(70)

若い苦行者たちは…生きながらミイラとなった最高苦行者の…命の真相を明かす

を、聞き漏らすまいと待った。

彼等が幾度となく周囲で囁く声が、シッダールタには悪魔の声に聞えていた。私は…

汝らに敗れて生きるより死を選ぶ…と言うと声は去った。



 6月/15日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(71)

シッダールタは何十日間も、今生(こんじょう: この世)別れとなる決死の行を続けた。し

かしは得られず、死が先行しようとした。

ついに…に集中する意志力も消え…前方に崩れ、息絶えようとした。が…ヨロヨロ

と立ち上がると…何度も倒れつつ伽耶山(がやさん)に下って行った。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(72)

シッダールタは、ゆるゆると尼蓮禅河(にれんぜんが)のほとりへ歩いた。まばゆい朝

中、眼にははっきりと物が見えず、望洋とした光の帯であった。水の匂い河音

にいざなわれ、這い進み、ようやく河岸に着いた。そこで、しらずをすくって飲み、

顔にを当てた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(73)

シッダールタ無意識のまま、を終えた者の儀式に従い、流れに入って沐浴した。

が、力無い五体が流れにとられた。そのまま枯木の様に流された。ようやく

触れた(あし)の1本を掴み、そろそろとへ寄った。そしてしばらく、岸辺に倒れ伏し

ていた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(74)

河辺に倒れ伏す苦行者をみとめ、やがて、近くの村から小鉢を持つが降りて行った。

彼女は耳元に口を寄せ語りかけた。答えぬと半身を起こし、小鉢乳酥(にゅうそ/醍醐・・・

乳→酪→生酥→熟酥→醍醐と精製され一番美味しいもの。涅槃経も同じく最後で最上の教えであることをたとえとして

書かれている。これを五味相生の譬(たとえ)という。/製造方法の伝承が絶たれていて、幻の食品・・・)を食べさ

せようとした。シッダールタが気づき、しらず小鉢を受け取り、手ですくって食べた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(75)

シッダールタ一部始終を、遠くから5人の苦行者が見ていた…

最高苦行者に至らず、最後に乳酥(にゅうそ)を口にしたのを目撃した。ついに、

望の魔軍に敗れたのである…死ねば餓鬼道に堕ちるであろう…

5人失望し、別の師を求め、西の鹿野苑(ろくやおん/・・・カーシー国の都・バーラーナシー城の郊

外。仙人の居所として名高かった)を目指した。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(76)

シッダールタ岸辺で安らいだ…

数年ぶりでに入った乳酥が、命の内奥に、不思議な変化を起こしているのを感じて

いた。断食行では感じ得なかった、命の息吹鼓動だった。やがてシッダールタは、

我しらず立ち上がり、金剛座(こんごうざ)のある南方に歩き始めた。



 6月/16日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(77)

尼蓮禅河(にれんぜんが)西岸に遡れば、金剛座と呼ばれる巨岩があった。菩提樹

がまばらに茂る巨岩は、大地の最奥にまで達していると言われる。求道者たちの、

格好の静坐の場であった。シッダールタも、幾度となく結跏趺坐した場であり、我しら

ず足が向いたのである。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(78)

そろりそろりと…全裸河岸白砂を歩くシッダールタを、先の村娘が追った。今度は

真新しい白衣を着せた。

金剛座では1本の菩提樹下に、農夫吉祥草(きっしょうぐさ)を刈って敷いていた。手を

取ってそこへシッダールタを招き(/・・・吉祥草を手渡したともあります)結跏趺坐の形をとると

農夫合掌した。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(79)

金剛座菩提樹下で…シッダールタ7日7夜結跏趺坐を続けた。半眼を開いて

静坐し、ただ全てを去来するに任せた。乳酥(にゅうそ)血管細胞にしみ、ひび割れ

た大地が潤うように、全身がみなぎった。

やがて、半眼が開き…空に明けの明星を見て驚愕(きょうがく)した…



 6月/17日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(80)

シッダールタは、豁然(かつぜん: 視野が大きく開けるさま)と、太極(たいきょく/古代中国の宇宙観・・・

陰陽/2つの気に分かれる以前の、根元の気。天地万物の根拠の理)との一体感を得たのであろう。そ

の中で

《 私は星を見ている 》 …というクリアーが生じた。

真相忽然(こつぜん: にわかに)と湧き、確信に到達した。しかし、この成道(じょうどう:

釈迦が仏になったこと)言外(/言葉に出さない部分)のものであった。半眼の中で…毎朝、

見ていた…のである。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(81)

毎朝見ていたのである。が…によっては見ていなかったのである。7日7夜

静坐の中、乳酥(にゅうそ)によって再形成されて行く過程の中で、シッダールタ

真理の知が成立したのであろう。太極/宇宙意識(/遍在する創造主の真我意識)一体化

し、膨大な知解放されたのであろうか…



 6月/18日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(82)

シッダールタ/釈尊の…明けの明星(/金星・・・宵に見えるのが宵の明星であり、同じ金星)を見て

覚醒/悟りとは…何だったか?その、パラダイムシフトは、何処から来たのか…?

まず実態は、道元禅師正法眼蔵で言うように…

     月は水を破らず、大小の水、1滴の水も、月を宿す

 …という状況であろう。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(83)

次に釈尊が知ったのは…最初にあり、それが未知なる覚醒世界を知ったのでは

ない…と言うことであろう。

無明の闇/DNA原理の源流から吹き寄せるサザ波から…再形成されて行く

を…釈尊7日7夜結跏趺坐の中で見ていたのであろうか…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(84)

無明/DNA原理源流の彼方より、無知なるが生まれ、により一時一所に、

が形成される。その主体がある時 …私は星を見ている… という知/覚醒が生じ

た。これが釈尊開悟(かいご: 迷いから脱却して真理を悟ること)だが、知の真髄/知的生命の

進化においては、巨大な1歩となった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(85)

釈尊豁然(かつぜん)太極(たいきょく)と一体を得、知と合一覚醒した。暁天(ぎょうてん)

の明星幾度となく目撃して来たが、初めて真の星を見たのである。

それは、彼がカピラ城東門を出て6年後35歳の冬のことであった。しかし、この

成道(じょうどう)は、言葉で説明できるものではなかった。



 6月/19日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(86)

釈尊はしばらく、無の境地安住された。やがて、この真理衆生に説かねばならぬ

…同じ真理を、体得できるものだろうか… と思われた。

そして、まさにこの難しさこそ 真理の体験的伝承/覚醒的継承の世界宗教

最大の特徴となってゆくのである。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(87)

衆生苦楽の中にあり、苦集滅道苦行の道にはいない…また求道心のある者で

も、私と同じ様な、7年の苦行に耐えられようか…他に、真理を体得する近道はない

のであろうか…

釈尊正覚を得た後、衆生真理をどの様に説くかで、再び迷われたのである。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(88)

そうしたある夜、金剛座釈尊スダッタが語りかけた。かつてカピラ城で、様々な

情報を提供した商人である。

太子よ…あなたは正覚を得られたに相違ない。あなたは真理を伝えなければなりま

せぬ。まず、マガダ国ビンバシャーラ王を説かれよ」



 6月/20日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(89)

釈尊が言われた。

スダッタよ…何を求めて金剛座に来たか?

肥満した五体から、様々な欲念が噴き出しておるぞ。目論見(もくろみ)7年前に申し

た、(あきな)のための天竺(てんじく/インドの古称)統一か。ビンバシャーラ王を、

宗法を…しかしは、密かに訪れる者に耳は傾けぬ…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(90)

さらに釈尊が言われた。

王舎城ビンバシャーラ王の所へは行かぬ。が…おかげで方向が見つかっ

た。アーラーラ予言したように、かの地へ戻って行こう。ウツダカも訪ねよう。思え

体得したものは、それと同じであった。最初の師空網(くうもう)も…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(91)

釈尊は続けた。

空網はすでに亡いが…アーラーラウツダカに、が体得した全てを語ろう。

2人の仙人より若く、苦しい遍歴を要した。それゆえ、より明確 滅への道 を切り

開いた。はその真理を示し、同じ道を歩む求道者たちに、私の道を語ろう」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(92)

スダッタ合掌して言った。

太子よ…釈尊よ…2人の仙人はすでに亡く、弟子たちも四散しております」

釈尊は無言で立ち上がった。

「いずこへ行かれます?」

鹿野苑(ろくやおん)へ行く…そこに5人沙門がいる。真理の言葉を、待ってい

た者たちである」



 6月/21日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(93)

鹿野苑(ろくやおん)は…尼蓮禅河(にれんぜんが)より約60里西方/ガンジス川中流南岸

/カーシー国の都・バーラーナシー城郊外にある。古来より仙人の居所として名

高い。広大な庭園鹿が放し飼いされ、仙人沙門木陰に集う。それぞれ説法

聞き、議論し、瞑想している…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(94)

10日ほどので、釈尊鹿野苑についた。

その姿は、まだ人を恐怖させる、極限の荒行が残っていた。頭髪が抜け落ち、

に伸びた1本の白毛が巻き不屈の意志を表すは強く引き締められていた。

死者のように静かで、深い光輝をたたえていた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(95)

釈尊鹿野苑5人を見つけ、木陰に招いた。そして静に言われた。

「そなたらが去った後…正覚を得た…そなたらが見たとおり、尼蓮禅河沐浴

流された。その後、我しらずが与える乳酥(にゅうそ)を食べた。しかし…その縁起(え

んぎ/起源や由来)によって…正覚を得たのである」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(96)

釈尊が言われる…

乳酥(にゅうそ)を食べ、我しらず、無意味苦行から退転した。その縁起により、

命の真相を体得したのである。乳酥が体の隅々に行き渡り、それが命を再生する様

を、つぶさに見たのである…見よ、私の顔生死の動揺(ごう/カルマ)の翳(かげ)

はあるか…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(97)

釈尊の言葉に、5人は顔を見合わせた。

伽耶山(かやさん)において、そなたらは、から正覚の言葉を聞こうとした…

今こそそれを語り、そなたたちを、同じ境地に導こう。世を捨て欲望を捨て

行を続けるそなたたちは、私の境地に到達できるであろう」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(98)

釈尊は、苦 集 滅 道過程をつぶさに語った。最高位苦行者と知りつつも、欲望

魔軍に敗れたと判じた5人に、次第に尊崇の念が戻った。

以後…は、3人づつ交代托鉢に出て食事をまかない、菩提樹下結跏趺坐を続

けた… 《初転法輪》 の始まりである。



 6月/22日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(99)

《初転法輪》 とは釈尊鹿野苑最初に説法した根本教説《四諦(したい)・八正道

(はっしょうどう) と言われ、仏教網格(/網目のような骨格)をなすと言われます。

四諦は…真理の意味で…4つの真理苦諦(くたい)・集諦(じったい)・滅諦(めったい)

・道諦(どうたい) で、迷い悟りの両方にわたって、因果を究めた、4つの真理です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(100)

まず 苦諦 とは…人生は苦であるという真理

4苦 とは… 生・老・病・死8苦 とは…これに 愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・

五蘊盛苦 …を言います。愛する者との離別怨憎を持つ者との出合求めて得ら

れない苦悩、そして生きていること自体の苦悩です。



 6月/23日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(101)

次に、集諦 とは…人の生真相であること。その原因は、煩悩であると言

真理です。また、滅諦 とは…人の生苦を滅した境地が、涅槃であるという真理

です。それから、道諦 とは…を滅し、涅槃を実現する道が、八正道であるという

です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(102)

《八正道》 とは…苦を滅し涅槃(ねはん)を実現する道

1・正見 → 正しい知恵  2・正思惟 → 正しい意志  3・正語 → 正しい言語 

4・正業 正しい行為  5・正命 → 正しい生活  6・正精進 → 正しい努力 

7・正念 → 正しい意識、注意  8・正定 → 正しい精神統一…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(103)

5人の沙門は、釈尊の言葉にのみ忠実に従った。鹿野苑菩提樹下の一所で、

を半月に囲み、結跏趺坐を続けた。

5人の沙門を教導しつつ、釈尊は各々の境地に、著しい差があることをお知りになっ

た。無用の苦行を捨てた、仏道試行錯誤であった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(104)

5人の中の1人コンダンニャ集中は際立っていた。釈尊を信じ、百尺の竿頭

していた。ついに…竿頭から無位身を転じた瞬間釈尊が微笑まれた…

コンダンニャ、知るがよい …そなたは悟った… だが1度解脱は持続せぬ…益々

精進せよ…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(105)

釈尊はさらに言われた…

コンダンニャよ…そなたはより、はるかに容易真理を体得した。衆生

を説く自信を得た。忠実なる求道者は、同じ境地に達するであろう。しかし、そ

なたが、等しい覚者とは認めぬ。そこは入口にすぎぬ」



 6月/25日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(106)

釈尊12月8日正覚を得てから…翌年夏の終わり/ 雨季の終わりまで…鹿野

に留まっておられたようです。教えを乞う者は拒まず、をお説きになられた。

豪の酔いどれの息子も、死児を抱いて泣き伏す母親にも、丁寧に教え、お諭しにな

った。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(107)

釈尊は…言葉解脱の境地を問う者には、煩悩の滅却を説かれた。一切万有の真

を問う者には、無明によって集束解離する、知られざる流れを説かれた。

そして自らは…苦の根源/無明滅却するための…真理を体得している者である…

と言われた。



 6月/26日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(108)

ある者が釈尊に問うた…

解脱(げだつ)された尊者には、痛みは生じないのでしょうか?」

釈尊は、微笑みながら言われた…

苦行中背中を痛めた。雨季にはそれが痛む。しかし、それは空なるものの

集束であり、を生じさせることはない」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(109)

雨季が終り…釈尊思う所あって、正覚を得た地へ帰ろうとされた。名声は隠れもな

く、50人余同行を望んだ。釈尊は通る村々の布施(ふせ)の負担を避け、1人マガダ

を目指された。

途中、霊鷲山(りょうじゅせん/マガダ国の首都・王舎城の北東にある山。釈尊が『法華経』などを説いた所)

(ふもと)竹林瞑想中に、再びビンバシャーラ王訪問を受けた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(110)

午後の日射しの中…白絹の衣裳大きな緑宝石王冠を被ったは…1人釈尊

近づき…(ひざまず)いて礼拝した。

尊者よ…覚えておられるであろう…

は前に白善山(びゃくぜんさん)洞穴で会った時…深夜に訪ね…立ったままで話した。

今は白昼に訪れ跪いて話している…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(111)

ビンバシャーラ王は言われた…

尊者よ、私は幼少より4つの願いがあった…

1つになること。残る3つは…正覚者に会い正法を聞き、それを私が理解する

ことであった。どうか王舎城においでになり、残り2つの願いをかなえさせて下さりま

せ…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(112)

釈尊が、(ひざまず)く王に答えられた。

よ、覚者住居空なる天地である。はそこで語られる。相応(ふさわ)しい

ではない。またよ、を聞くには相応しい心も必要である。王の心は常に人を疑

。そうした王の心が、覚者の法を受け入れるであろうか…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(113)

ビンバシャーラ王が問うた。

尊者よ…孤独の城壁/牢獄の中に住むが、あなたを声のかぎり呼んでも…なお、

訪れてはくれぬであろうか?」

その者が真に私を求めれば、はきっと訪れよう…」

それを聞くとは、一礼し、釈尊の前から去った。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(114)

しばらく、釈尊伽耶山(かやさん)金剛座のあたりを遊行(ゆぎょう)された。この辺りに、

苦行者が集まっていたからである。

そして再び霊鷲山(りょうじゅせん/釈尊が『無量寿経』『法華経』を説いたとされる山)を訪れ、洞穴

1人で住んでおられた時、5人の弟子の1人/アッサジが、1人の苦行者を連れて来

た。舎利弗(しゃりほつ/釈迦の十大弟子の1人。最高の悟りを得た舎利弗は釈迦の信任も厚く、釈迦に代わって

法を説くこともあった。)との出合いである。



 6月/27日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(115)

アッサジが、釈尊の前に(ひざまず)いて言った。

尊者よ、この者真理を求めておりまする。尊者言葉驚愕し、すぐ連れて行っ

て欲しいと懇願されました」

釈尊憂悶の漂う苦行者を見、苦悩の深さを見抜かれた。それは自らの苦悩の姿

に重なるものだった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(116)

舎利弗(しゃりほつ)は、一時、釈尊透明眼の静まりを見ていた。それから、深くひれ

伏した。

覚者よ…滅に至る道を教えたまえ…同じ道に身を投じとうござりまする…

はこれまで、伽耶山幾度苦行を試み、今はサンジャヤの元で修行をしている

者です」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(117)

マガダ国/王舎城に住むサンジャヤは…名声が高く、多くの弟子を持っていた。その

高弟舎利弗/サーリプッタ(パーリ語の名前)目連(もくれん)/マハーモッガラーナ(パーリ

語の名前)が、250人の弟子と共に釈尊帰依(きえ)した。サンジャヤにも勧めたが、彼

激怒し、血を吐いたと言われる。



 6月/28日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(118)

《釈迦十大弟子》/・・・(1)

経典によって異なるが、『維摩経』では出家順に以下の10人

舎利弗(しゃりほつ) 摩訶目犍連(まかもっけんれん)摩訶迦葉(まかかしょう)

須菩提(しゅぼだい) 富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(119)

《釈迦十大弟子》/・・・(2)

摩訶迦旃延(まかかせんねん) 阿那律(あなりつ) 優波離(うぱり)

羅睺羅(らごら) 阿難陀(あなんだ)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(120)

《釈迦十大弟子》/・・・(3)

舎利弗(しゃりほつ)サーリプッタ舎利子

『般若心経』などで釈尊説法の相手として登場。釈尊の教えをよく理解 《智慧第

一》 と言われる。目連とは子供の頃からの友人。教団をよくまとめ、釈尊より先に没

した。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(121)

《釈迦十大弟子》/・・・(4)

2/摩訶目犍連(まかもっけんれん) 目連マハーモッガラーナ

《神通第一》 と言われる。舎利弗と共に懐疑論者/サンジャヤ弟子だった。目連

餓鬼道に落ちたを救うために行った供養《盂蘭盆会(うらぼんえ)起源

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(122)

《釈迦十大弟子》/・・・(5)

 3/摩訶迦葉(まかかしょう) 大迦葉マハーカッサパ

《頭陀行第一(ずだぎょうだいいち/衣食住にかかわる一切の欲を捨てる行)と言われる。釈迦

教団を統率釈迦教法を編集(第一結集)し、付法蔵 (教えの奥義を直伝すること)

《第1祖》 となった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(123)

《釈迦十大弟子》/・・・(6)

4/ 須菩提(しゅぼだい) スブーティ

《解空第一》と言われる。を説く大乗経典にしばしば登場。『西遊記』/三蔵法師

が天竺へ取経の旅をする物語では、なぜか孫悟空師匠として登場。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(124)

《釈迦十大弟子》/・・・(7)

5/ 富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし) 富楼那 プンナ・マンターニープッタ

《説法第一》と言われる。富楼那の弁と言われ…弁舌がさわやかであった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(125)

《釈迦十大弟子》/・・・(8)

6/ 摩訶迦旃延(まかかせんねん) 迦旃延 マハーカッチャーナ

《論議第一》と言われる。他宗教との対論を担当したり、聖典の中で主として哲学的

論議を多くしていることから、論議第一と称された。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(126)

<釈迦十大弟子>/・・・(9)

7/ 阿那律(あなりつ) アヌルッダ

《天眼第一》と言われる。釈尊の従弟(いとこ)阿難と共に出家した。釈尊の前で居眠

して叱責をうけ、不眠の行を行った。そのため失明したが、かわりに天眼(てんげん/

智慧の眼を得た。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(127)

<釈迦十大弟子>/・・・(10)

8/ 優波離(うぱり) ウパーリ

《持律第一/ 釈尊が制定した戒律の実践が第一》と言われる。もと理髪師戒律

制度否定する釈尊により… 出家した順序にしたがい…貴族出身比丘(びく:修行僧)

兄弟子とされた。

 

 6月/29日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(128)

《釈迦十大弟子》/・・・(11)

9/ 羅睺羅(らごら) ラーフラ

《密行第一》と言われる。釈尊の実子釈尊帰郷に際し出家最初の沙弥(しゃみ:

少年僧) となる。そのことから、日本では寺院の子弟のことを仏教用語羅子(らご)

言う。

 

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( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(129)

<釈迦十大弟子>/・・・(12)

10/ 阿難陀(あなんだ) 阿難 アーナンダ

《多聞第一》と言われる。釈尊の従弟(いとこ)出家以来釈尊が入滅するまで、25年

間付き人をした。第一結集の時、アーナンダ記憶に基づき経を編纂120歳まで生

きた。



 7月/2日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(130)

《釈尊の入滅》 (死期を悟った釈尊は、霊鷲山から生まれ故郷に向う途中で入滅する)

入滅前年雨期は、祇園精舎(コーサラ国/舎衛城にあった寺院。天竺5精舎1つ)安居(あんご/

個々に活動していた僧侶が、一定期間一カ所に集まって集団修行すること)が開かれた。最後の伝道は、

竹林精舎(ちくりんしょうじゃ/仏教で建てられた最初の寺院。マガダ国の首都/王舎城にあった)から始め

たという。

やがて 「如来のヴァイシャーリーの見納めである」 と涅槃(悟りの境地、釈尊の死)

近い事を告げた。最後の歩みをクシナーラー(故郷/釈迦国のカピラ城の手前70キロほど)に向

け、サーラ沙羅双樹/さらそうじゅ/ツバキ科のナツツバキ)の林で横たわり入滅した。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(131)

《釈尊の在世当時…》

インドには祭事を司る支配階級バラモンとは別に、沙門(しゃもん)/サマナが存在し

た。彼等は出身(土地・身分などの生まれ)出自(出生と同時に組み込まれる集団)を離れた、

想家宗教家修行者たちです。バラモン教の土壌の中、仏教はこうした沙門

発点とした、智慧の道/実践的宗教でした。



 7月/3日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(132)

《 原始仏教から…部派仏教へ》

釈尊入滅後100年教えの解釈に、様々な差異が現れて来た。この為、2回目(/・・・

1回目は付法蔵の第1祖/釈迦十大弟子/大迦葉=マハーカッサパを中心に行われた)三蔵結集(/釈迦の

言葉、経典を集める作業)を行い、釈尊の教えを再検討した。

この時、教義の解釈によって、僧伽(そうぎゃ/サンスクリット語でサンガ・・・仏教教団)上座部

(保守的)大衆部(進歩的)2つ根本分裂し…さらに枝末分裂する…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(133)

《 部派仏教の流れ…》

上座部の1部は、スリランカに伝わる。さらに、東南アジアに伝わり、現在も広く残

っている… 南伝仏教/上座部仏教

紀元前3世紀半頃仏教史上名高いアショーカ王が、パータリプトラ城(マガダ国の首

都。王舎城から遷都された。現在のビハール州/パトナ)で、第3回目三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)結集を行

う。



 7月/4日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(134)

《 部派仏教の流れ…》

覚醒以来釈尊45年間の布教は、布施()を受けながらの徒歩の移動であり、

ンジス川中流域に限定された。

アショーカ王は、仏教全盛時代を創出…西ヘレニズム(地理的には・・・ギリシア・マケドニア

を中心に、アレキサンダー大王の東征地域)東南アジア中央アジアに、伝道師を派

遣した。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(135)

《 部派仏教の流れ…》

アショーカ王時代(マウリヤ朝の第3代の王/在位は紀元前268年頃~紀元前232年頃)文字が発

達し、口伝(くでん/口頭で伝えること)経典(釈尊の教えを記録した、仏教の聖典)となった。北イン

サンスクリット文字(/古代から中世にかけ、インドや東南アジアにおいて用いられていた言語・・・梵語

(ぼんご、ブラフマンの言葉)・・・)が発達。南方ではパーリ語(/南伝仏教経典(原始仏典)で主に使用さ

れる言語)が発達して、上座部古典語となった。この時代仏典日本語訳した著

名人に、中村元/東大名誉教授がいます。

 

 7月/5日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(136)

《大乗仏教…北伝仏教…》

紀元/…西暦0年イエス・キリストの誕生の前後…単に生死を脱した阿羅漢(あらか

ん/初期仏教では修行者の到達しうる最高位)になるのではなく…一切智(一切のものについて完全に知

る智慧。仏智)を備えた(仏陀、悟りの最高位・・・仏の悟りを開いた人)となって、一切衆生(この世に

生を受けた全ての生き物。特に人間をいう)済度(さいど/仏が迷い苦しんでいる人々を救って、悟りの境地に導

くこと)する教えが起こる。この大乗仏教(だいじょうぶっきょう)思想は急速に広まる。ガン

ダーラ(パキスタン北西部。ペシャーワルにほぼ相当する地方の古称)経由し、中国韓国日本

伝来する。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(137)

《密教の成立…》

7世紀頃ヒンドゥー教(/ヒンズー教とも・・・インドやネパールで多数派を占める民族宗教。世界で約9億

人)神秘主義(絶対者と自己との合一体験)1部と合体し、密教(/秘密仏教・・・ 秘密といっても、

怪しいものではなく、1人の弟子に対して、1人の師匠がついて教えを説く。 いわゆる、口伝が秘密といわれる由縁)

が興る。

様々な土地の習俗(/風習、ならわし)宗教を包含し、を中心に世界観を統一高度

に象徴化した独自の修行体系を作った。秘密の儀式で、究極の境地に到達し、即身

成仏(そくしんじょうぶつ/・・・人間が肉身のまま、究極の悟りを開き仏になること)ができるとする。



 7月/6日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(138)

《密教の成立…》

密教は…インドベンガル州バングラディシュに発し…チベットブータンへ、さらに

中国韓国日本に伝わる。土地の習俗包含しつつ変容を繰り返す。

日本へは…空海(/平安時代初期の僧。真言宗の開祖)/弘法大師(/“醍醐天皇”による諡号(しごう

贈名)中国/唐から移入し、高野山(和歌山県伊都郡高野町にある標高1000m前後の山々。 真言

宗の総本山。比叡山と並ぶ日本仏教の聖地)開山した。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅…素描 )・・・(139)

《チベット仏教…》

チベットは…8世紀僧伽(そうぎゃ/サンスクリット語でサンガ・・・仏教教団)の設立仏典の翻

国家事業とし、大々的に推進。同時期インドに存在した仏教の諸潮流を、

十年間一挙に導入。以後、チベット僧侶布教により、チベット仏教モンゴル

南シベリアまで拡大する。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(140)

《仏教の・・・移入の姿》

仏教は…インドでは段階を踏んで発展した。しかし、中国経由仏教を移入した国

は、釈尊の極意を、特定の教典特定の行(/禅や密教など・・・)、を実践する方向を指

向した。チベットでは、初期仏教から密教までを、1つの体系に統合する方向を指向

した。



 7月/7日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(141)

《経典・・・》

三蔵とは、仏教聖典3種類に分類し、まとめた呼称三蔵を中心に集めたものに

『一切経』 = 『大蔵経』 (/5048巻の経・律・論) がある。

経蔵 ・・・釈尊の説いた教え

律蔵 ・・・規則・道徳・生活

論蔵 ・・・上記の注釈、解釈

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(142)

《経典・・・》

代表的経典は…

『法句経』(ほっくきょう)『阿含経』(あごんきょう)『般若経』(はんにゃきょう)『維摩経』(ゆいまき

ょう)『涅槃経』(ねはんきょう)『華厳経』(けごんきょう)『法華三部経』(ほっけさんぶきょう)『浄

土三部経』(じょうどさんぶきょう)『金剛頂経』(こんごうちょうきょう)などがある。

大きくは…『原始仏典』と、『大乗仏典』分類される。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(143)

《経典・・・》

『原始仏典』には…『パーリ・・・5部』、及び漢訳『阿含経典』があり…1部は釈尊

の言葉を、比較的忠実に伝えると言われる。

『大乗仏典』は…西暦紀元(西暦0年/イエス・キリストの誕生)・前後以降から、大乗仏教教団

によってサンスクリット語編纂(へんさん)された。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(144)

《経典・・・》

『大乗仏典』は…歴史上釈尊の説ではないとする説は、古来からある。しかし、

とする考えが一般的である。『般若経典』(はんにゃきょうてん)『法華経』(ほっけきょう)

『華厳経』(けごんきょう)、その他がこれに含まれる…

日本でより広範な、『大正新脩大蔵経』(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう/大正13年から昭和9年

の10年(1924~1934年)かけて編纂された、民間人の手による大蔵経/より広範囲に、中国・日本撰述の典籍

含める/・・・大正一切経刊行会)編纂

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(145)

《経典・・・》

『経』は…釈尊弟子たちの言行録釈尊入滅後教えを正しく伝えるため、弟子

たちは 経典編集の集会/結集 を開き、経典整理を開始…

しかし、入滅後 100~200年 で、教団多くの部派に分裂。各自三蔵を保持す

るようになった。 

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(146)

《経典…》

『 経 』は…インド各地の言語で語られたと思われる。完全な形で現存するのは、

スリランカに伝えられる上座部系パーリ語経典のみです。現在は、スリランカ

ミャンマーなど、東南アジアの仏教国で用いられている。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(147)

《経典…》

上座部系パーリ語経典は…紀元前1世紀頃スリランカに伝えられた。以後、多

くの蔵外注釈書綱要書史書等が作られた。日本では、若干の蔵外文献も含

めて『南伝大蔵経 』 65巻(/1935年~1941年)完訳されている。

(大蔵経/一切経の作業は、中国では皇帝名で行われることが多く、編入される書物の基準が厳格。基準外のも

のは蔵外と称された・・・)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(148)

《経典…》

日本への『大蔵経/ 一切経』伝来は…天平7年(735年)玄昉(げんぼう/奈良時代の法

相宗の僧)将来した5000余巻。当時の『欽定大蔵経』(きんてい/・・・欽定とは、君主の命令

によって制定すること)推定される。平安時代末から鎌倉時代にかけては、栄西(ようさい、

えいさい/平安時代末期から鎌倉時代初期の僧/日本・臨済宗の開祖/建仁寺の開山)重源(ちょうげん/

平安時代末期から鎌倉時代の僧。源平の争乱で焼失した、東大寺の復興を果たした)慶政(けいせい/鎌倉

時代の僧/藤原道家の兄)、その他の入宋僧(にっそうそう/中国・宋に渡った僧)により、『宋版一

切経』(そうはんいっさいきょう)導入された。



 7月/8日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(149)

《8大聖地・・・》

〈1〉 ルンビニ・・・釈尊生誕の地・・・世界遺産

ネパール南部タライ平原にある村。マーヤー・デーヴィー寺院を中心に、アショーカ

巡礼時に建立した石柱釈尊産湯の池などが残る。巡礼者で賑わうが、12

月から1月にかけて多い。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(150)

《8大聖地・・・》

〈2〉 ブッダガヤ・・・成道/悟りの地・・・最高の聖地・・・世界遺産

インド/ビハール州ガヤー県・・・尼蓮禅河のほとりの大菩提寺。まわりに、日本

中国寺ネパール寺などがある。大菩提寺には大塔金剛宝座菩提樹

浴の蓮池がある。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(151)

《8大聖地・・・》

〈3〉 サールナート・・・初転法輪の地・・・世界遺産に登録準備・・・

インド/ウッタル・プラデーシュ州・・・ワーラーナシー(ベナレス北方約10km鹿

多く、鹿野苑とも言われる。遺跡公園で・・・周辺からサールナート仏/仏像

数出土

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(152)

《8大聖地・・・》

〈4〉 ラージギール・・・王舎城/ガンジス川中流域・・・布教の地

マガダ国首都・・・国王ビンバシャーラと、舎利弗(しゃりほつ)目犍連(もっけんれん)

帰依者を得た。『般若経』 『法華経』 『無量寿経』 など、多くが、近郊の霊鷲山(りょ

うじゅせん)竹林精舎、そして祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)を舞台としている。



 7月/9日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(153)

《8大聖地…》

〈5〉 サヘート・マヘート・・・教団本部の地

 サヘート祇園精舎(ぎおんしょうじゃ/正式名: 祇樹給孤独園精舎)マヘート舎衛城(しゃえい

じょう)推定ネパールとの国境(釈迦国/カピラ城はネパールに入るのか)に近く、舎衛城

ーサラ国首都祇園精舎は、ここの長者/スダッタと、この国ジェータ太子によ

って寄進された林園

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(154)

《8大聖地・・・》

〈5〉 サンカーシャ (僧伽舎)・・・昇天の地

ウッタル・プラデーシュ州アーグラの東釈尊亡き母/マーヤの為に、彼女の住

刀利天(欲界における六欲天の第2の天部。三十三天ともいう)昇天し、説法して降りてきた所

8大聖地唯一の、伝説に基づいた聖地ストゥーパ/仏塔がある。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(155)

《8大聖地・・・》

〈7〉 ヴァイシャリ・・・最後の旅の地

(130)・・・《釈尊の入滅》

 「如来のヴァイシャーリーの見納めである」 と、涅槃が近い事を告げられた

地。華麗ダンサー/遊女アンバーパリーマンゴ-園寄進、後に尼僧

なった。



 7月/10日

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 原始仏教からの旅・・・素描 )・・・(156)

《8大聖地・・・》

〈8〉 クシーナガラ・・・涅槃(ねはん)/入滅の地

ウッタル・プラデーシュ州東端カシア付近の村死期を悟った釈尊は、霊鷲山

生まれ故郷に向う途中、この地で入滅した。『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう)

この地で、釈尊涅槃するまでの模様を描写する。

 

                     < 完 >