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<正法眼蔵/・・・
全機(普遍的自己)1~13> |
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ツイート の
記 録
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1月 2日 |
( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(127) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(33)
★ 全機/ 普遍的自己・・・①
仏道の究極は <透脱(とうだつ)> であり <現成(げんしょう)> である。 <透脱> とは…生において生を解脱(げだつ)し、死おいて死を解脱することであ る。生死を離れる事、生死に没入する事が、いずれも仏道の究極である。
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1月 4日![]() 明治神宮/南神門 (2014年1月3日11時) |
( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(128) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(34)- ② また…生死を捨て、生死を救うことが、いずれも仏道の究極である。 <現成> とは…生きること。今ここに我の命を実現していること。現成の時…生 の全現成にあらずということなし。死の全現成にあらずということなし。
( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(129) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(35)- ③ この体験が…生を生としてあらしめ、死を死としてあらしめる。 この体験が実現する時…それは大きいとも小さいとも言えず、無限とも有限とも 言えず、長いとも短いとも言えず、遠くにあるとも近くにあるとも言えない。
( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(130) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(36)-④ 命は…この体験によってあらしめられ…命が、同時にこの体験をあらしめて行く。 命は…やって来るものでも、去って行くものでもなく…現れるものでも、成立するも のでもない。生は生の全体験…死は死の全体験である。
( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(131) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(37)-⑤ 自己の内に、量り知れない世界がある中に、生があり死があることを知るべきで ある。一時一物として、命と関わりを持たないものはなく、一事一心として、命と関 わりを持たないものはない。
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1月 5日 |
( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(132) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(38)- ⑥ 生きるという事は、人が舟に乗るようなものである。我が帆を使い、我が舵をとり、 我が棹(さお)をさしているとはいえ、舟が我を乗せ、舟のほかに我はない。我が舟 に乗ることによって、舟を舟としている。
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1月 6日![]() 道元禅師示寂の地 京都府/下京区高辻通西 洞院西入る北側永養寺町 の一角。 永平寺を2世/懐奘に託 し、懐奘に伴われて上洛、 俗弟子の覚念の屋敷に滞 在し、示寂しています。 |
( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(133) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(39)-⑦ このような体験が現れる時の事を、身をもって学ぶべきである。 そのとき…舟の時でないものは、何処にもない。天も水も岸も、みな舟の時になり 切っている。命は我が生じさせ…我を、命になり切っている我とする。
( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(134) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(40)-⑧ 我が舟に乗るならば…我の身心、その周りの全てのものが舟の世界となり…大 地の全て、大空の全てが舟の世界となるのである。我が生と一体であり、生が我 と一体であるとは、このような事である。
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1月 7日![]() 臼杵磨崖仏(臼杵石仏) 阿弥陀如来及び両脇侍像 (国宝) 大分県臼杵(うすき)市 |
( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(135) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(41)-⑨ 圜悟(/圜悟克勤(えんご・こくごん)・・・中国の宋代の禅僧)禅師が言う。 「生とは、生の全体験であり・・・死とは、死の全体験である」 この言葉の意味を明らかにし、身をもって究めよ。生の全体験が…順逆(/時間的な 順序)にかかわりなく、大地大空を覆(おお)い尽くすが…生死の全体験を妨(さまた)げ ない。
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1月 8日![]() 阿弥陀如来坐像 木造、漆箔 (国宝) 平等院鳳凰堂の本尊 (京都府宇治市 ) |
( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(136) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(42)-⑩ 従って…生は死を妨げず、死は生を妨げない。大地の全て、大空の全てを覆い尽 くす全体験が…生においてなされ、死おいてもなされる。しかし全世界が、生にお いても死おいても、同じものとして体験されるのではない。
( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(137) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(43)-⑪ 世界は全ての人にとって…同じものではないが異なるものでもなく…異なるもので はないが等しいものでもない。 全ての物事が生においても死おいても…生でも死でもない所にも、全体として体験 される普遍的全体である。
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1月 10日![]() 普賢菩薩像 (国宝) 大倉集古館 /日本最初の 私立美術館/東京都港区 虎ノ門 ![]() 普賢菩薩像の全体 |
( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(138) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(44)-⑫ このような体験の内に、生があり死がある。生の全体験、死の全体験は、壮士(そ うし/壮年の男性)の臂(ひじ)を屈伸するが如く、わずかの隙間もなく実現する。 人が眠りながら枕を探るが如くである。修行という優れた行いにより、実現するの である。
( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(139) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(45)-⑬ このような体験は…全世界を体験する事であり、今より以前には無かったと思う かも知れない。しかし、今の全体験の前には、それ以前の全体験があり、それが 今の全体験を妨げないのである。
★ 《 以上・・・ 全機/全文要約・・・完 》
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