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       国 宝/普 勧 坐 禅 儀 (ふかんざぜんぎ) 

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    『普勧坐禅儀』 永平寺所蔵 (道元禅師の真筆/国宝)                                                 道元禅師                   永平寺

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 2013年               上から ・・・下へ   
 12月 6日  





      道元禅師

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(66)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(1)

普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)1227年入宋修行を終えて帰国した道元が、

の年撰述(せんじゅつ/著述・・・永平寺に伝わる本巻は、帰国から6年後に自らが清書したもの)した

(/永平寺所蔵・・・国宝)

28才若き道元による帰朝第一声であり、具体的な坐禅の仕方について述べて

いる。実質的な、道元立宗宣言の書とも言われる。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(67)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(2)

〔 序 論 ・・・要 約 〕

仏道とは…まっすぐな只管打坐(しかんたざ/ひたすら坐禅すること)である。ただそのまま

が…仏の命現成(げんじょう/眼前に隠れることなく、ありのまま現れていること)である。本来、

全てに通じ、妙用自在(みょうようじざい/不思議な作用が自在であること)絶対真実である。

嗣法せられた坐禅宗旨宗乗(しゅうじょう/宗派の教義)であって…支障なく自在

(くふう/工夫)は重ねられる。


 12月 7日  

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(68)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(3)

真実の全体は…無常現成(むじょうげんじょう/無常が現前している)命の存在なるゆえ、

坐禅絶対真実

尽十方界真実人体(/宇宙・大自然ないし、その生命活動及びそれに伴うあらゆる事実)は、はる

かに迷い超出している。

今、結跏趺坐(けっかふざ/座禅するときの正しい姿勢)する当処は、現前仏の命現成

(げんじょう)。この事実を離れて、修行の行脚(あんぎゃ)用いる者があろうか。


 12月 8日  

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(69)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(4)

毫釐(ごうり/ごくわずかなこと)違いがあると、に叶(かな)った端坐依行(たんざえぎょう

/姿勢を正して座り、教えにしたがって修行すること)天地の隔たりとなる。違順(いじゅん

/逆境と順境)が生じれば、たちまち明心を失う。

道を会得し…わずかばかり仏法通達しても…そのをも解脱身心脱落

上の命全現成には遠く及ばない。


 12月 12日 





  釈迦立像








月岡芳年画 『達磨図』

           (木版画 1887年)

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(70)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(5)

釈尊難行苦行せられ…菩提樹下端坐六年(/釈尊がカピラ城を出、空前絶後の決死の

修行6年の後、悟りを開かれた)只管(しかん/ただその事だけに心が向かうさま)に行じられた

をこそ学べ。

また…正しい禅の仏法(/ヒンズー教と融合した密教ではなく、釈尊が修行した原始仏教に近いもの)

中国に伝えた第1祖師/達磨(ダルマ)尊者(/菩提達磨=ボーディダルマ)が、少林寺

9年面壁した。この尊い伝えは、今なお声名が聞こえるではないか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(71)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(6)

(いにしえ)の聖者でさえ、端座修行没入された。を継ぐ今人が、参禅弁道

ずということがあろうか。

言葉で探し求めるのを、休まねばならぬ。なすべきは、対象向かう心を返し、

自己の本来の所(/内観)に返照される只管打坐(しかんたざ)である。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(72)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(7)

身心自然に脱落し、もとより <真実そなわれる・・・本来の面目> は、たち

まち現前するであろう。

恁麼(いんも/かくのごとく)な真実身心脱落(/道元は天童山の如浄のもと、“身心脱落”をもって

悟)なることあらんとするなら、一刻の猶予なく、恁麼な真実修行打坐につと

めよ。


 12月 13日 















岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(73)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(8)

〔 本 論 ・・・ 要 約 〕

坐禅するには、静かな所がよい。

飲食の量節度が大切。

種々の縁を放ち、心ゆるやかに、万事のいとなみを休息

善悪是非分別にかかわらず…心が動くのを停め…思量をめぐらさず…に成

ろうと図らず…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(74)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(9)

作仏(/仏となること。悟りを開くこと)は…迷妄(めいもう)日常生活上坐臥(ざが/座っている

ことと寝ていることに拘(こだ)わるものでなく、<坐臥を・・・脱落すべし> である。

通常…不断坐禅する処には、厚く敷物を敷き、その上に坐蒲(ざぶ/坐禅の際に使用

する座布団)を置いて坐る。

坐法は…結跏趺坐(けっかふざ)、あるいは半跏趺坐(はんかふざ)がある。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(75)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(10)

結跏趺坐は…右足左腿の上に安じ、左足右腿の上におく。半跏趺坐は…た

左足右腿の上におく。衣服は…きちんと整えよ…

次に…右手左足の上に安じ…左掌右掌の上に安じ…両手の親指をそっとつ

け…円相(/悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したもの・・・また、禅における書画の

ひとつで・・・円形を一筆で描いたもの。一円相、円相図などとも呼ばれ、解釈は見る人に任される)を作る。


 12月 14日 






 京都/広隆寺「宝冠弥勒」

           (国宝







 奈良/中宮寺

  木造菩薩半跏像 (国宝)


中宮寺は・・・法隆寺に隣接

する聖徳太子ゆかりの寺

院。広隆寺の弥勒菩薩半

跏像とよく比較される。寺伝

では如意輪観音だが、これ

は平安時代以降の名称。

当初は弥勒菩薩像として造

立されたものと思われる。


国宝指定の際の官報告示

は単に木造菩薩半跏像。








岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(76)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(11)

そのまま、正身端坐する…

左右に傾いたり、前屈したり、後にそってはならない。

両耳両肩とが対し、(へそ)と向かい合うようにせよ。

上顎(うわあご)につけ、を合わせる。

はかならず…常に開くようにせよ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(77)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(12)

出息入息は、で自然に静にせよ…

体の形を整えたら…口を開き息を長く大きく吐き… 体を左右にゆっくり揺り動か

す。(/中心が定まったところで止める)

兀兀(こつこつ/・・・たゆまず努め、励むさま)と…動かざること巌(いわお)ように不動の形

で坐し…この不思量底(/心の底から・・・何も考えないこと)思量せよ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(78)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(13)

不思量底で、どう思量なのであろう…

思量はない。超出しきっている。ありとあらゆるものは非思量

人間界是非善悪等思量分別脱落し…ただ打坐のみである…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(79)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(14)

不思量止まり居る処のみを任運(にんぬん/運命に任せること)に、そのまま不思量底

である所…本来相としての非思量。これが坐禅要術である。

坐禅は禅定(ぜんじょう/精神を集中して三昧(さんまい)に入り、寂静の心境に達すること)に習熟する

ことではない。落ち着くべき所に落ち着く・・・ この上ない安楽の法門である。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(80)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(15)

坐禅は…仏の命の働きそのままで…修行即実証(修行が、即、悟り)である…

現に…あるあらゆるものが、普遍的な働き事実になりきっている…

命としてかけがえのない、絶対の真実そのものの現成(げんじょう)である…


 12月 15日 


 





岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(81)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(16)

この打坐…即ち、命の現成にあって…身心の安らぎ/自由をさえぎる煩悩や妄

到ることがない。

この意を得、そのまま打坐となれば…龍が水を得たように、虎が山に依るように、

本来の有りっ丈(たけ)(あ)であろう。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(82)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(17)

知るべきである…

仏の命が現れ、自ずから現成・・・ 昏沈(こんちん/煩悩の1つで、沈み込んだ心・・・明るく

澄みわたっている瞑想の対象がぼけてきたら、心が沈みこんできた証拠。心がさらに沈み込むと眠くなります)

散乱(/煩悩の1つで・・・心が認識対象によって散り乱れ一箇所に止住しない。“掉挙/じょうこ”は・・・心

それ自体が落ち着かない状態)する心は、先より脱落・・・ 尽十方界真実の現前であ

ることを・・・

坐を解き、立つ時は…ゆるやかに上体を動かし安らか気をつけて起ち、

々しい振舞いをしてはならない。


 12月 16日 




岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(83)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(18)

〔 結 論 〕

古を見るに…凡夫生死流転聖者生死解脱…こうした凡聖2つなが

らに超脱(/世俗にかかわらないこと)している。坐禅の相立姿のまま寂然(じゃくねん

/ひっそり静かな様子)涅槃(ねはん/さとり・・・証、悟、覚と同じ意味)に入る生死のあり方を見

せる。すべて、坐禅の力一任されたからであった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(84)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(19)

いわんや…指頭(しとう/1指頭の禅・・・『無門関・第3則/倶胝竪指』)竿頭(かんとう/『無門関・

第46則・竿頭進歩)を用い、(はり)を把(と)(つち)を拈じ…知解分別を超え真実を

悟らせる機微の働きとなし…さらに払子(ほっす/もとインドで蚊・ハエやちりを払うのに用いた

が、のちに法具となった)拳頭(こぶし)をふるい、(/徳山禅師の棒)で打ち、一喝(かつ/

臨済禅師の喝)をあびせ、ピタリ真実にかなえさせた…という働きはすべて坐禅の

であった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(85)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(20)

決して…思量分別で窺(うかが)い知れず、神通(じんつう/どんなことも自由自在になし得る、

計り知れない不思議な働き・力)の修行でもって分かろうはずもない。それは感覚的

実生活の外の、正しい身の行住坐臥(ぎょうじゅうざが/日常の振る舞い)、その威儀(いぎ/

ち居振る舞いに威厳を示す作法と言うべきものである。知識とか認識とか言う以前の、

にかなった法則である。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(86)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(21)

賢愚(/賢者と愚者) 問題でなく利人(りじん/りこう)鈍感かは関わりがなく専一

に力をつくす。ただ、打坐のみの世界が、修証一如(しゅうしょういちにょ/修行は悟りのため

の手段ではなく、修行と悟りは不可分で一体のものだということ)である。自らに染汚されず、本来

の面目の趣く所が、本来のあり方平常心行持(ぎょうじ/ 仏道の修行を常に怠らずに続

けること)になりきって、行くばかりである。


 12月 17日 





  
     道元禅師

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(87)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(22)

おおよそ、現われとなる、この世界でも別世界でも…

西はインド、東は中国日本に至る国土でも…

等しく仏祖の印証(/“証”とは・・・仏教用語で、正法を修得して真理を悟ること)護持し…各々

みな非思量なるこの打坐の、仏の命現成宗風とし…自在に実証(/悟りを実現)

体達(/実際に、理をきわめること)している。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(88)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(23)

ただ打坐をつとめ兀兀(こつこつ/たゆまず努め、励むさま)坐定兀地(こつち/ただ1人・・・

ただひとつのことを頑張る)だけに礙(さ)えぎられ(/・・・無礙、無碍= 妨げのないこと)…他に一切

く、少しも離れず。まさに自受用三昧安坐

この自らの修証(/修証一等・・・修行と悟りを区別しないこと)接化(/接得心導の意で、師家が学人

を親しく教化し指導すること)において、千差万別様々であっても、ひたすらに坐禅し、

実の道につとめるべきである。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(89)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(24)

仏性自家としての…

自受用三昧(じじゅゆうざんまい/坐禅の外側の形が “正身端座” であり、中身を “自受用三昧” という

言葉で表現する・・・空なる器の無我に成り切り、それを楽しむこと) 端坐弁道(/端坐し、仏道修行に精

進すること)坐位(/・・・具体的には、僧堂の単=1人1畳)をなげうち…他国の塵境(じんきょ

う)に迷い、仏性の自己を見失ってしまうことが、どうしてあってよかろうか。もし、

この初1歩をあやまると、目前の大道を踏み違えてしまう。


 12月 18日 





 薬師座像
    
   行基の作/新薬師寺

 薬師如来は左手に薬坪

 を持つ







   
薬師如来(『図像抄』)

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(90)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(25)

人は…すでに、受けがたき人身の、(/はたらき)肝要(/かなめ)が具わっている。

人は…むなしく光陰(こういん/月日)を渡ることが、あってはならない。

人は仏道肝要を用い保ち…それこそ、全うする器だからである。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(91)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(26)

誰が一体…生滅無常のこの日月をもって、あたら空しく楽しみをこととするであ

ろう。この肉体草露のごとく、時運命数(じうんめいすう/めぐりゆくいのち)稲光(いなび

かり/稲妻)のごとく滅し去る。たちまちにして空に帰し、またたくまにして失し

(おわ)ってしまう。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(92)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(27)

願わくは…ひとえに貴い志をもて発心修証(ほっしんしゅうしょう)し、参禅学道におもむ

く方々よ…

久しく彫龍(/彫った龍)を愛する所から、すすんで真龍(/真の龍)を愛せよとの故事

ように、文字知識の一端をもって、真実仏祖正伝の全道見紛(みまご)うてはな

らない。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(93)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(28)

言葉文字にわたらず…

端的に指し示す兀坐(こつざ/じっとすわっていること)それ自体に精進自受用三昧

仏法に徹せられた方を尊貴諸仏の菩提(ぼだい)に、ピタリと合致するととも

に…諸祖坐禅三昧の、正統を嫡嗣(ちゃくし/宗教・芸能で・・・流派の正統を継ぐ人)せよ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1

( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(94)

《道元・・・『普勧坐禅儀』》・・・(29)

久しく恁麼(いんも/かくのごとく)為すならば、必ず恁麼なるはずである。まさに宝蔵

のずから開け、仏の命の働きの全現成を、自受用し、他受用し、意のままに限り

もないであろう。

 

                     【 完 】