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トップページNew Page WaveHot SpotMenu最新のアップロード   担当: ボス= 岡田 健吉 

  2021年12月     wpe75.jpg (13885 バイト)  

   

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 万能型
 
    
防護力







 脱・戦争ゴッコ

 
脱・経済ゴッコ

 
脱・覇権ゴッコ

 






物理的
 
   
専守防衛


 



    


   〔人間の巣のパラダイム〕

 
未来型/半地下都市・・・自給自足社会の展開


〔人間の巣/未来型都市/千年都市〕極楽浄土インフラ〕

        の・・・世界展開/ポスト民主主義社会の器!  

 

★ 日本の社会インフラの再構築・・・

         激烈化する気候変動/豪雨・豪雪・熱波・寒波・  

         地震・火山災害から・・・国民を完全防御

★ 対核シェルター以上の・・・

           戦争ゴッコへの対応 感染症パンデミックへの対応

          万能型・防御力/地球近傍天体の衝突への対応!

★ 気候変動への長期的対応・・・世界中で可能な・・・

             脱・冷暖房社会! 脱・車社会への対応!

        人口爆発への対応!

        コンパクト・分化・多様性・・・

        スローフード・スローライフ社会への・・・回帰


  <ジャンプ>  <ジャンプ>

 12月 31日

お休みします

 12月 30日

岡田健吉‏@zu5kokd1          

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 245 )

支折の言葉・・・24/1 】・・・( 10


…一礼した。「ええ、次は…

中断している、《ブラックホールの・・・情報問題》 に戻りますが、ちょうど、<年末年始>

になりますね。

ええと…

《MyWeekly Journal》 の方で、<時代的なコメント/・・・重要帰路の考察> があると

いう事で、そちらを優先します。私達も、《MyWeekly Journal》 へ移動することにします。

1日お休みして、新年からになります。どうぞ、よいお年を

       house5.114.2.jpg (1340 バイト)       

 


岡田健吉‏@zu5kokd1 
                             渓斎英泉/『木曽街道六十九次・馬籠(まごめ) 』   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 244 )

支折の言葉・・・24/1 】・・・(


ええと…

ともかく、この <須磨> で、笈の小文終了です。

江戸への帰路は…

くり返しますが、<中山道/木曽街道(/京と江戸を、美濃国および信濃国を経て結んでいた、山道の俗称)

を行き、姨捨(おばすて/・・・更科)で、<田毎の月(たごとのつき/長野県・更級郡・冠着山(かむりきやま

/姨捨山)のふもとの、小さな水田の一つ一つに映る月。名月として知られます。) を見て、<善光寺(ぜんこうじ

/善光寺平・・・長野市にある、無宗派の単立仏教寺院。本尊は、日本最古と伝わる <一光三尊阿弥陀如来> で、絶対秘

仏) 参拝する、 更科紀行 になるわけですね。

更科紀行 は、私達はすでに、考察終了しています。そちらへどうぞ

                    <  更科紀行 へジャンプ     

はい…」響子がうなづき、インターネット正面カメラの方を向き…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
 芭蕉庵                   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 243 )

支折の言葉・・・24/1 】・・・(


でも…

この、翌々年/1689年/元禄2年

芭蕉は、奥の細道 へ、当時、誰も経験していない・・・奥州/陸奥への、ヒッチハ

イクでの大遠征 に、出発して行くわけですよね。

笈の小文帰路/更科紀行 に…

名句多いというのも、芭蕉俳人としての飛躍/超脱(ちょうだつ/普通の範囲、程度を越えること)

が、この <須磨> であったのでしょうか?芭蕉の、<禅的境涯/・・・風雅風狂の、新た

な側面> なのでしょうか?

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が、深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 242 )

支折の言葉・・・24/1 】・・・( 7 )


「そうですね…」支折が、を当て、ユックリとうなづいた。「この句は…

<江戸時代初期/元禄の頃> に、詠まれたというより、何故か、現代的な感じがします

わ。背景描写もそうですが、芭蕉新たな側面を見たような気がします。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     芥子(けし)の花。ケシの果実に傷をつけて、アルカロイド樹脂を採取し乾燥/・・・アヘン(麻薬の一種) (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 241 )

支折の言葉・・・24/1 】・・・(


ずいぶんと、繊細風景描写をしていますね。意外な感じがしました。それにしても、さす

がは芭蕉です。印象派を、彷彿(ほうふつ)とさせる描写ですわ。

それに…

芥子(けし)の花の間に、早朝の漁師が見え隠れするのは、動的な描写ですよね。これも

な感じがしました、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
  兵庫県/神戸市西部に位置する須磨区・・・その東側が明石市・・・現在は海水浴客で賑わう・・・ (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 240 )

支折の言葉・・・24/1 】・・・(


…している様です。そんな場所だったわけですね」

「うーん…」マチコが言った。「今は…

須磨海岸は、海水浴場賑わっているわよねえ。寂しさの名所で、蟄居の地だったの

かあ、」

芭蕉は…」響子が言った。「<須磨> では…



 12月 29日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                           小倉百人一首・・・16/中納言行平』  <ジャンプ> (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 239 )

支折の言葉・・・24/1 】・・・(


訪問したようだと詠んでいます。でも、特に、<須磨の・・・秋の寂しさは別格・・・>

とか。多くの歌に、詠まれているのでしょうか。ともかく、<歌枕の地> であり、そんな名所

でもあるわけですね。

あ、それから…

伊勢物語(/在原業平を思わせる男を主人公としている) で、<在原業平(ありわらの・なりひら)紹介

しましたが、その <兄/在原行平(ありわらの・ゆきひら/・・・小倉百人一首・・・16/中納言行平

が、理由明確ではない様ですが、この <須磨に・・・ 一時、蟄居(ちっきょ/家の中にとじこもっ

て外へ出ないこと。江戸時代に、武士に科した刑罰の1つ。)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
       
                    隠岐島の後鳥羽上皇          (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 238 )

支折の言葉・・・24/1 】・・・(


大罪でもありません。

<後鳥羽上皇/後鳥羽院は・・・島根県/隠岐島に・・・島流し・・・> に、されたわけで

す。生涯許されず一緒に、新古今和歌集編纂した、<藤原定家> との、歌の交流

もなく、その地で崩御しています。

<芭蕉> は…

夏の須磨は、主人留守に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                               <承久の乱(じょうきゅうの・らん)>               (ネットより画像借用)  

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 237 )

支折の言葉・・・24/1 】・・・(


政敵/右大臣との密会バレ失脚し、流された所です。

<須磨は・・・古来・・・寂しい場所の代名詞の様な所・・・> ですが、難波からも近く、

からそれほど遠い所ではありませんよね。

後の<後鳥羽上皇> が、院宣(いんぜん/上皇からの命令を受けた院司が、奉書形式で発給する文書。 天

皇の発する宣旨に相当する。)によって鎌倉幕府反旗を翻(ひるがえ)し、<承久の乱(じょうきゅうの・ら

ん)を引き起こしたほどの…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              須磨で大嵐にあう光源氏               (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 236 )

支折の言葉・・・24/1 】・・・(


「ええと…」支折が言った。「<須磨> は、<歌枕(/和歌に多く詠み込まれる名所・旧跡。)の地

ですね…

は…

恥ずかしながら、源氏物語全編を通して読んだことはなく、何度食い齧(かじ)った仲

1人です。

そんなが、説明するのも何ですが…

<須磨> は、主人公/光源氏が…



 12月 28日


 (12月 5日)

 (12月 6日)

  に、先に考察してしま

  ったものを、正しい位

  置に移動しました。

岡田健吉‏@zu5kokd1           

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 235 )

支折の言葉・・・☆☆  】・・・(


「ええ、支折です…」支折が、両手を組んだ。「申し訳ありません・・・

ウッカリ手違いで、<大和路/唐招提寺> 箇所が、抜け落ちていました。

こんなミス初めてです。挿入し、前後修正して置きます。

アップロード後HP(HomePage)修正し、分類番号を正します。ミス記録残します。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

芥子(けし)の花。ケシの果実に傷をつけて、アルカロイド樹脂を採取し乾燥/・・・アヘン
(麻薬の一種) (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 234 )

現代語訳・・・24/ 1 】・・・( 4 )


・・・漁師の家の近くには芥子(けし)の花が途切れ途切れに見える。


★ 海士(あま)の顔 先見らるゝや けしの花

      起きたばかりの・・・

          漁師の顔が・・・

              途切れ途切れの・・・

                  芥子の花の合間に見える・・・

                      朝の景色だなあ・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1  
須磨寺 ・・・真言宗・須磨寺派・大本山 ・・・平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭がある  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 233 )

現代語訳・・・24/ 1 】・・・( 3 )


・・・はかない短か夜の夜の月もいっそう艶(つや)やかに、山のわか葉は早朝の景色の

中に黒っぽく見え、ほととぎすが鳴き始めそうな東の空も山ではなく海の方角からは

やくも白みかかってくる。須磨寺一帯の上野と思われる所は、麦の穂波が赤らんで…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              『源氏物語・・・須磨』/・・・光源氏       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 232 )

現代語訳・・・24/ 1 】・・・( 2 )


★ 月見ても 物たらはずや 須磨の夏


      月を見ていても・・・

           何か物足りない感じだ・・・

                夏の須磨は・・・

                     須磨は秋が一番だ・・・

 

卯月中ごろの空だが、朧(おぼろ)な春の夜の風情を残している。・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              『源氏物語・・・須磨』/・・・光源氏と月      (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 231 )

現代語訳・・・24/ 1 】・・・( 1 )


須磨


★ 月はあれど 留守のやう也 須磨の夏


      美しい月が・・・

           出ているものの・・・

                主人の留守に訪ねた様な・・・

                     むなしさの漂う、須磨の夏だなあ・・・



岡田健吉‏@zu5kokd1      芥子(けし)の花。ケシの果実に傷をつけて、アルカロイド樹脂を採取し乾燥/・・・アヘン(麻薬の一種) (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 230 )

原文・・・24/ 1 】・・・( 2 )


・・・海のかたよりしらみそめたるに、上野とおぼしき所は、麦の穂浪(ほなみ)あからみあ

ひて、漁人(ぎょじん)の軒ちかき芥子(けし)の花のたえゞに見渡さる。


★ 海士(あま/海人(あま)のうち、男性を指す。)の顔先見らるゝやけしの花

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
  兵庫県/神戸市西部に位置する須磨区・・・その東側が明石市・・・現在は海水浴客で賑わう・・・ (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 229 )

原文・・・24/ 1 】・・・( 1 )


<須磨(すま/神戸市西部の須磨区・明石(あかし/明石海峡に面する都市)夜泊(よはく)


須磨


★ 月はあれど留守(るす)のやう也(なり)須磨の夏


★ 月見ても物たらはずや須磨の夏

 

卯月(うづき)中比(なかごろ)の空も朧(おぼろ)に残りて、はかなきみじか夜の月もいとゞ艶(え

ん)なるに、山はわか葉にくろみかゝりて、ほとゝぎす鳴出づべきしのゝめも、・・・



 12月 27日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              『源氏物語・・・須磨』/・・・光源氏と月      (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 228)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 27 )


次は…

<須磨・明石夜泊> になるわけですが…

に、申し上げた様に、<大和路> 抜け落ち先にちらを考察してしまったわけです

ね。

申し訳ありませんでした。

ナンバーを修正し・・・大和路の後に移動・・・

して、置きます。次回は、その作業になります」

                      


岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
                   杜若 (かきつばた)           (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 227)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 26 )


蕉翁句集(/服部土芳・(はっとり・とほう)編。 土芳は・・・服部半座衛門保英。伊賀藩藤堂家の武士。 『野ざらし紀行

の旅の折、水口で芭蕉と再会を果たし、入門。) に…

<此句は万菊を供して難波の一笑が本(もと)に旅ね(旅寝)の時也(ときなり)。一笑はいが

(伊賀)にて紙や(屋)弥右衛門と云る旧友也。>

…とありました」

「はい…」支折が、コクリとうなづいた。「有難うございます…

ええ 笈の小文<大和路> は、ここで終了します。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
    
                         燕子花図(かきつばたず) 尾形光琳・筆 <国宝>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 226)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 25 )


<難波の・・・ 一笑の屋敷> には…

伊勢物語・・・第九段/・・・三河の八橋・・・ を思わせる様な、見事カキツバタが咲

いていた様です。ホホ、この一言説明するのに、ずいぶん長い引用になりましたね。

さぞ…

一笑屋敷には、<国宝・・・燕子花図(かきつばたず)・・・尾形光琳・筆> の様な、清楚(せ

いそ/清らかで、さっぱりしていること)カキツバタが咲いていたのでしょう。吉野山堪能して、

もうそんな季節に移っていたわけですか。

この、<芭蕉の・・・ 杜若(かきつばた)の句> に関しては、私も、ちょっと調べて置きました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
    
                          『伊勢物語』・・・第九段/東下り  隅田川    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 225)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 24 )


と詠んだものだから、舟の一行は皆いっせいに泣いたのであった。

 第九段/東下り・・・終わり・・・第十段へ    


ええ…

これが、伊勢物語・・・第九段/東下り です。次は<第十段/みよし野> になりま

すね、」

「はい…」響子が、支折にうなづいた。「ともかく…


 12月 26日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
    
                         都鳥 (みやこどり → ユリカモメ )    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 224)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 23 )


★ 名にし負はば いざ言問(ことと)はむ 都鳥(みやこどり)

                わが思ふ人は ありやなしやと

       都という名を・・・

           持っているならば・・・

               さあ聞いてみようよ、あの都鳥に・・・

                   私の愛する人が・・・

                       まだ生きているのか、いないのかと・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
『三十六歌仙額』/・・・狩野探幽(かのう・たんゆう)に描かれた、在原業平(ありわらの・なりひら)  (ネットより画像借用)

                           
★ ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
                            
『小倉百人一首・・・17番/在原業平朝臣』        <ジャンプ!> 

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 223)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 22 )


…鴫(しぎ)ぐらいの大きさの鳥が、水の上で遊びながら魚を捕らえて食べている。

京では見たこともない鳥なので、誰も知っていなかった。渡し守に聞くと、

「これが、ほら、都鳥(みやこどり)なんですよ」

と言うのを聞いて、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
    
                          『伊勢物語』・・・第九段/東下り  隅田川    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 222)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 21 )


「早く舟に乗れ。日も暮れてしまう」

と言うので、乗って渡ろうとするのだが、皆わびしくて辛い思いである。というのも、京

に恋慕う人が居ないわけではなかったからである。

丁度そんな時に、白い鳥でクチバシと脚とが赤く・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
    
         『風流錦絵伊勢物語』・・・第九段/東下り  隅田川の景。 絵師は勝川春章。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 221)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 20 )


(さら)にどんどん行くと、武蔵の国(むさしのくに/東京都、神奈川県/川崎市・横浜市の一部、埼玉県の大

部分を含む地域。武州(ぶしゅう)ともいう。)と下総の国(しもうさのくに/千葉県北部、茨城県南西部、埼玉県東端部に

わたる旧国名。)との間に、かなり大きな川がある。それを隅田川という。

その川のほとりに群れをなして、京(みやこ)に思いをはせれば、限りなく遠くに来てしま

ったのだなあと悲しみを分かちあっていると、渡し守が、


 12月 25日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
    
   業平(なりひら)東下り図 (伊勢物語富士山図)  伝/俵屋宗達・筆  /五島美術館   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 220)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 19 )


             一体今がいつだと思って…

                  鹿の子にまだら模様に…

                      雪が降るのだろうか…


その富士の山は、この京に例えれば比叡山を二十個ほど積み重ね上げた程で、恰

好は塩尻(しおじり/・・・塩田で塩を取るために、砂を摺(す)り鉢を伏せたような形に、積み上げたもの。これに海水をか

けて塩分を固着させる。)のようであった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
    
                                                『伊勢物語』 第九段/東下り・・・ 富士山     (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 219)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 18 )


 ★ 時しらぬ 山は富士の嶺(ね) いつとてか

           鹿(か)の子まだらに 雪の降るらむ


       時節というものを…

          知らない山は…

              この富士の嶺なのだ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
    
                                                 『伊勢物語』  第九段/東下り        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 218)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 17 )


      駿河の国にある・・・

          宇津の山辺の来てみると・・・

              現実でも夢でも・・・

                  あなたに逢えないのでした・・・


富士の山を見ると、五月も末だというのに、雪がとても白く降り積もっている。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
    
                                             『伊勢物語』  第九段/東下り            (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 217)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 16 )


と言うのを見ると、それは京で知っている人であった。京にいるあの方の所に届けて

もらうということで、手紙を書いてことづけた。


★ 駿河(するが)なる 宇津(うつ)の山辺(やまべ)の うつつにも

           夢にも人に 逢(あ)はぬなりけり

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
    
                                              『伊勢物語』  第九段/東下り        (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 216)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 15 )


…自分の分け入ろうとする道はひどく暗くまた細い上に、蔦(つた)や楓(かえで)が生い

茂り、なんとも心細く、またとんでもない目に遭うことだろうと思っていると、偶然に修

行者とばったり出くわした。

「こんな道にどうして居られるのですか」



 12月 24日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                         
 『風流錦絵伊勢物語』        第八十二段/渚の院

            散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき  ・・・の歌に合わせた景。

           散ればこそ素晴らしい桜を流転する憂き世と対比して男は詠う。 絵師/勝川春章。 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 215)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 14 )


                    遠くまで来てしまった旅を・・・

                         悲しく思うのです・・・


すると、皆の乾飯
(ほしいい)の上にポロポロと涙が落ちて、乾飯はふやけてしまったの

だった。

(さら)に行き進んで駿河の国(するがのくに/静岡県中部)に着いた。宇津の山に着いて・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
    
                                                                                                                     (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 214)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 13 )


らころも つつなれにし

         しあれば

               るばる来ぬる をしぞ思ふ


      着て馴れ親しんだような妻が…

            都に居るものだから…

                 はるばるとこんなに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                     【干飯・乾飯・糒 (ほしいい)

米を蒸して乾燥させた食料。貯蔵用の乾燥飯。湯水に浸せばすぐ食用となり、兵糧や旅行に用いた。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 213)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 12 )


・・・乾飯(ほしいい/・・・米を蒸して干したもので、昔は旅行などに携行して食用とした。)を食べた。

その沢に、かきつばたがとてもきれいに咲いていた。それを見てある人が、

「かきつばたという五文字を各句の頭に置いて、旅の心情を詠みなさい」

と言ったので、男は詠んだ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
    
                         燕子花図(かきつばたず) 尾形光琳・筆 <国宝>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 212)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 11 )


・・・迷いながら行ったのだった。

三河(みかわ/愛知県東半部)の八橋(やつはし)という所に着いた。そこを八橋というのは、水

が流れていく川が蜘蛛(くも)の手のように八方に分かれていて、橋を八つ渡してあるこ

とから八橋といったのである。

その沢のほとりの木蔭(こかげ)に馬から降りて座って・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 『伊勢物語』 第六十九段 狩りに出る「男 (在原業平: 朱色の狩衣)」 と見送る女 (斎王: 桃色の衣装) (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 211)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 10 )


その男、自分を世の中には無用の人間であると思い込んで、

「京には住まないつもりだ。東国の方に住める国を探しにいく」

ということで出かけて行った。昔からの友人一人二人と連れ立って行った。道を知っ

ている人もいなくてあちこち・・・


 12月 23日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
    
         『風流錦絵伊勢物語』・・・第九段/東下り  隅田川の景。 絵師は勝川春章。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 210)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 9 )


・・・それぞれの句の頭に折り込んで歌を作れ>…と言われて、主人公が詠んだようで

すね。

伊勢物語 に、馴染みのない私達には、ピンと来ないので、1部抜粋して置きます。


 伊勢物語 第九段/東下り/八橋(やつはしの条    


昔、男がいた。


岡田健吉‏@zu5kokd1    
  『伊勢物語』・・・第六段/芥川(あくたがわ) 背負われている女が草に宿る露を見て、「かれは何ぞ(あれは何ですか)」と男

  に尋ねる場面。  絵の筆者は・・・俵屋宗達、  詞書筆者は連歌師の・・・里村昌程と伝えられる。         (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 209)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 8 )


          はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ  (/伊勢物語
                     

…と、なると言う事ですね。

うーん…

これは、つまり…

伊勢物語(いせ・ものがたり/平安時代に成立した日本の歌物語。全1巻。平安時代初期に実在した貴族である在原

業平(ありわらの・なりひら/第51代・平城天皇の孫。六歌仙、および三十六歌仙の一人。)を思わせる男を主人公とした、

和歌にまつわる短編歌物語集。) の…

<第9段・・・八橋(やつはし)の条・・・> で…

< 「かきつばた」 という五文字を・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
           
                   杜若 (かきつばた)           (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 208)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 7 )


気軽訪問できるわけですね。家の庭に、カキツバタが咲いていたわけですか。


★ 杜若(かきつばた) 語るも旅の ひとつ哉(かな)


そして、「カキツバタ」 といえば…


★ からころも 着つつなれにし 妻しあれば

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
   
         歌川広重・・・「浪花名所図会」より、「道とんぼりの図」 (/国会図書館蔵)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 207)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 6 )


「あ、ええと…」支折が、モニターを見た。「調べてみると…

4月13日~19日まで、大阪滞在している様ですね。<難波(なにわ/現在の大阪市およびその

周辺地域の古称)の一笑> を、訪ねています。

<一笑> とは、当時大坂に住んでいた、<伊賀蕉門/保川一笑> のことだ、とありま

す。<伊賀蕉門> 門人なら、旧知です。


 12月 22日

岡田健吉‏@zu5kokd1         
 
   
                                       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 206)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 5 )


まさに…

<俳聖/芭蕉の・・・記念碑的な句> ですよね。奥の細道結句に相応(ふさわ)しい、

余韻(よいん)を残しています。この句置き土産に、芭蕉は再び歩み始めます…」

「うーん…」マチコが言った。「それは、奥の細道よね…

笈の小文 では、芭蕉奈良/大和路から、大阪へ出ているわけか。この、大阪訪ね

た人物は、なのかしら?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                      伊勢市の二見ヶ浦に、仲睦まじく寄り添うように立つ2つの岩   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 205)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 4 )


奥の細道大遠征終了して、次の二見ケ浦へ向かう時の、別離吟詠(ぎんえい)

す。芭蕉新たな旅へと、再び出発する際の様子が、よく分かるです。

ちなみに…

(はまぐり)は、(ふた)(み)に分かれますが、<ふたみ> は、これから行く <二見ケ

浦> を、かけているわけです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
   
                        ハマグリ  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 204)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 3 )


別れ幾つもあります。 そんな程度別れで、これから先もまた会えるのだと、言外

込めています。これと似ている、別れ句に、後の…


★ 蛤(はまぐり)の ふたみに別れて いく秋ぞ   ( 奥の細道 の・・・結句 )


…がありますよね。芭蕉が、岐阜/大垣で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
   
                                                 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 203)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 2 )


その…

奈良で、偶然に出会った<伊賀蕉門の・・・弟子達> と、鹿の角の様に二股に分かれて

行くことだと…詠んでいるわけです。

つまり、この句は、<蕉門/門人達への・・・別離(べつり)の挨拶吟(あいさつ・ぎん) です。

鹿の角は、これからも次々と分岐(ぶんき)していくわけで…



 12月 21日

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
   
                                       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 202)

支折の言葉・・・23 /1 】・・・( 1 )


「ええ…」支折が言った。「ここで、お別れだと言うから…

<杜国(とこく)/万菊丸> との、別れかと思ったのですが、そうではない様ですね。

<芭蕉と・・・杜国> は、ここ奈良で…

<伊賀蕉門の弟子達/・・・猿雖(えんすい/伊賀上野の富商。手広く商売。伊賀蕉門の最古参のひとり) 

卓袋(たくたい/貝増卓袋(かいます・たくたい)・・・伊賀上野の富商。絈糸商人) ・ 梅軒(ばいけん/墨売(すみうり)

・・・奈良は今でも書道用墨の名産地。) ・ 梨雪 ・ 示蜂 と、偶然に、出会っているわけです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
           
                   杜若 (かきつばた)           (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 201)

現代語訳・・・23 /1 】・・・( 2 )


大坂にてある人のもとにて、


★ 杜若 語るも旅の ひとつ哉


      杜若かきつばたを前に・・・

          伊勢物語(いせものがたり)の杜若の条(じょう/えだ、くだり)の話をしたり・・・

              貴方(あなた)といろいろと・・・

                  心を通わせるのです・・・

                 こういうことこそ・・・

                     旅の醍醐味(だいごみ)です・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1    
           
                   奈良公園の鹿             (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 200)

現代語訳・・・23 /1 】・・・( 1 )


旧友に奈良で別れる。


★ 鹿の角 先一節(さきひとふし)の わかれかな


      鹿の角は・・・

          晩春から夏にかけて生え替り・・・

             その節目ごとに・・・

                 新しい枝がわかれる・・・

               そんなふうに・・・

                   貴方ともここでお別れだ・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1  
           
                   奈良/東大寺                     (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 199)

原文・・・23 /1 】・・・( 1 )


旧友に奈良にてわかる。


★ 鹿の角先一節のわかれかな


大坂(おおざか)にてある人のもとにて、


★ 杜若(かきつばた)語るも旅のひとつ哉(かな)



 12月 20日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
           
                   有間皇子の墓 (/和歌山県海南市)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 198)

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 55 )


<古人大兄皇子(ふるひとの・おおえのみこ/第34代/舒明天皇の第1皇子。母は蘇我馬子の娘/蘇我法提郎

(ほほての・いらつめ)で大臣/蘇我入鹿とは従兄弟に当たる。娘は倭姫王(天智天皇の皇后)。)と、<有馬皇

(ありまの・みこ/孝徳天皇の皇子、母は小足媛。) が、を着せられて、排除・処刑されたのでしょ

うか?」

「うーん…」響子が、ユックリと、うなづいた。「そうですね…

母/斉明天皇重祚(ちょうそ)する前に、放り出されて、失意のうちに崩御した天皇も居まし

たが。

<皇太子(/・・・大皇弟であり、皇太子とは少し異なる)/太政大臣(/・・・事実上、太政大臣の仕事をしていた)

の・・・大海人皇子(/額田王を、天智天皇に召し上げられて以来、2人の関係が微妙に崩れたとする説があります。

の場合は、天智天皇の明らかな失着(しっちゃく/囲碁で、まちがった手を打つこと。転じて、しくじり。不

覚。)ですね。

彼の場合は、近江朝人々は、<虎に・・・羽をつけて・・・放ったようなものだ と、

評していた、と言います」

「はい…」支折が、大きくうなづいた。「さあ、を進めましょうか、」

「ホホ…」響子が、うなづいた。「そうですね。もう年末になってしまいました、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
           
                   <乙巳の変(いっしのへん            (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 197)

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 54 )


元々の原因を作った、<天智天皇> こそ、率先して近親者殺戮は、回避するべきだ

ったはずよね、」

「そうですね…」支折が、前髪を払った。「<乙巳の変(いっしのへん/中大兄皇子・中臣鎌足らが、蘇我

入鹿を宮中にて暗殺し、蘇我氏(蘇我宗家)を滅ぼした政変)の後…

皇位継承をめぐり、<障害となる・・・近親者の殺戮> を、始めたのは、そもそも、中大兄

皇子ですわ。

ええと…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
           
                   <吉野の盟約>             (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 196)

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 53 )


<持統天皇> が…

草壁皇太子ライバル/大津皇子に、を着せてを処刑したりせずに…

<吉野の盟約(/6皇子のうち、4人が天武天皇の皇子。2人が天智天皇の皇子です。そして、天武天皇と皇后/鵜

野野讃良の間の皇子は、草壁皇子だけです。6人は平等ではなく・・・草壁皇子が最初、大津皇子が次、最年長の高市皇子

が3番目に誓いを立て・・・この序列は、天武天皇の治世の間、維持されました。) の通りに…

力をも合わせていたら、歴史相当に違っていたはずですわ。彼女も、まさに、その場にい

たわけですから、」

「うーん…」マチコが言った。「そういう事よね…

でもさあ、天武天皇持統天皇に、ソレを言うなら…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
     
九州・大宰府から 「…道鏡を天皇にすべし…」 とする、宇佐八幡の神託が届く。喜ぶ女帝、反対の声をあげる臣下

     で、ついに、事の真偽を確かめるため、使者を九州/宇佐に派遣することになりました。    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 195)

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 52 )


<天武天皇系の・・・血脈・・・> は、終息してしまうわけです。<称徳天皇> 出家

のままで重祚(ちょうそ)して即位していますが、<独身で、子供もいなく・・・天武系の血脈

が絶えた・・・> ことが、朝廷大混乱を引き起こしました。

コトもあろうに、皇位につけようとした、<道鏡事件(/宇佐八幡宮神託事件・・・769年に、九州

/大宰府管内/豊前国の、宇佐八幡神が <僧/道鏡を天皇にしたならば天下太平ならん> と、称徳天皇に神託を奏上し

た事件。) も、そうですね。

この、女帝/称徳天皇以降は…

江戸時代初期即位した、“第109代/明正天皇(/後水尾天皇の第2皇女。母は、太政大臣/征夷大

将軍/徳川秀忠の娘の、東福門院源和子。在位当時の3代将軍/徳川家光の姪にあたる。徳川将軍家を外戚とした唯一の

天皇です。) に至るまで、850余年女性天皇立てられることは無かった、という事です。

これは、現代に至るまで…

女性社会進出障害1つの遠因、という事はないでしょうか?もちろん、彼女はな

く、男性同様の事をやっているわけですが、ともかく、忌避する雰囲気が作られた、という

事でしょうか?」

「うーん…」マチコが、腕組みをし、を傾げた。

「ここでも…」響子が言った。「“もし”、という事で…

シミュレーションしてみますがすが…


 12月 19日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
           
          妃/鸕野讃良(うのの・さらら)・・・/後に即位して、持統天皇   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 194)

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 51 )


皇女ということもあり…

天智天皇が、実弟/大海人皇子に与えた4人の皇女のうちの1人で、都落ちに、付き従っ

だけという事で、助命はかなったかも知れませんね。誰かが、付き従う必要が、ありまし

たから。

でも…

色々あったあげくに…

歴史的事実として、<第45代/聖武天皇の・・・皇女/・・・孝謙(こうけん)天皇・・・重祚

(ちょうそ/一度退位した天子が再び位に就くこと。)して、称徳(しょうとく)天皇・・・> で、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
                   <壬申の乱(じんしんのらん)>           (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 193)

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 50 )


・・・クーデター(/武力を行使するなど、非合法的な手段によって現行の政府を倒し、政治的権力を奪い取ること。)

引き起こした・・・張本人・・・> という烙印(らくいん/鉄製の印を焼いて、物に押しあてること。また、その

跡。刑罰として罪人の額などに行った。比喩的にも用いられる。)を捺(お)され、大海人皇子はもちろん、血縁

も、処刑されたでしょう。

元々…

<近江朝からの・・・都落ち> 時点で、<大海人皇子の首は・・・落とすつもり・・・>

だった、わけですから。従って、<近江朝廷側・・・大友皇子/弘文天皇> の、を取ら

れても、当然結果なのです。

あ、ただ…

妃/鸕野讃良(うのの・さらら)・皇女だけは、天智天皇の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
                   <壬申の乱(じんしんのらん)>   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 192)

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 49 )


<大海人皇子の・・・強烈なカリスマ性(/人を惹きつける力) を持ってすれば、“兵を鎮める

ことは・・・可能だった” と、は見ています。だからこそ、<近親間の・・・殺戮(さつりく)の連

鎖> は、“ここで・・・断ち切って欲しかった” のですわ。

うーん…

でも…もし…

<壬申の乱の勝敗が・・・逆転> していた、としたら、<大海人皇子は・・・反乱/・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
<壬申の乱(じんしんのらん)> の際の、近江朝側の総大将/大友皇子・・・第39代/弘文天皇   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 191)

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 48 )


大勝利しても…

敵将の首を取らなければ、“莫大な軍事的なエネルギー が・・・鎮まらなかった” のじゃな

いかしら。そうなれば、“自死/自決ではなく・・・剣で首を落とされる” という事態は、無か

ったかしら。

一方的に…

助命歎願(じょめい・たんがん/殺される予定の命を、助けてもらうように頼むこと)を、かなえては、“義憤(ぎふん

/道義にはずれたこと、不正なことに対して、憤慨すること。)に駆られて戦い・・・討死した兵が、浮かばれ

ない わよね、」

「うーん…」響子が、コブシを当てた。「そうですね…



 12月 18日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
                   <壬申の乱(じんしんのらん)>   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 190)

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 47 )


罪を着せて処刑、する事に…つながって行くわけですね、」

「でもさあ…」マチコが、を見た。「それは後になって、歴史的に見るから、言える事じゃな

いかしら…

<壬申の乱は・・・大戦(おおいくさ)だったし、多くの兵が、壮絶な死闘をしているわけよ

ね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
           
                   <吉野の盟約>             (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 189)

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 46 )


止められなかったのか、という言ですね、」

「そうですね…」支折も、うなづいた。「<吉野の盟約(/天武天皇8年・・・天武天皇は、皇后の鵜野讃良

/持統天皇と6人の皇子と共に吉野に行幸し、吉野宮の庭で、“私達には10人余りの皇子がいて、みな母親は異なるけれど、

天皇の勅に従って、お互いに助け合おう” と、誓い合いました。) を、する前に…

<壬申の乱の後始末/・・・琵琶湖湖畔での終止符として、大友皇子の自死の回避>

は、出来なかったのでしょうか。

これは、後に

<持統天皇> が、<姉/大田皇女と、天武天皇の間の皇子・・・大津皇子・・・> を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
                   <壬申の乱(じんしんのらん)>   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 188)

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 45 )


当然…

娘/十市皇女額田王も、大友皇子助命嘆願をしただろうし…

長年、宮廷一緒に過ごして来た年長者も、には大勢いたはずです。

でも…

結局最後は、<大海人皇子/天武天皇の・・・決断・・・> になるわけですが…

そこで、何とか、<皇位継承をめぐる・・・近親間の殺戮(さつりく)の連鎖・・・> を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
       
                      <蒲生野>    琵琶湖の東岸・・・近江国蒲生郡に広がっていた野。

           668年に・・・天智天皇は蒲生野で薬猟を行っていて、男は薬用の動物を狩猟し、女は薬草を摘みました。 

        ★ あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る  (額田王)

         紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人嬬ゆゑに 吾恋ひめやも  (大海人皇子) (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 187)

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 44 )


<吉野出兵による・・・クーデター?・・・> も、その根本皇位継承をめぐる、理屈抜

権力闘争ですわ。

<天智天皇の心変わり・・・血塗られた権力闘争・・・> は、<乙巳の変(いっしのへん)

以来のもので、仕方がないとして、<天武天皇> には、この流れ止めて欲しかったと思

います。

<近江朝側の、大友皇子/弘文天皇の・・・正妃/十市皇女(とおちの・ひめみこ/天武天皇の

第一皇女) は、大海人皇子/天武天皇と、<歌人/額田王> の間の皇女なのです。



 12月 17日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
                   <壬申の乱(じんしんのらん)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 186)

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 43 )


壮絶死闘です。

は…

も、時々思うのですが…

大海人皇子/天武天皇は…

<壬申の乱の・・・後始末・・・> で、<近江朝側・・・大友皇子/第39代・弘文天皇

の自死・・・> を、何とか、救えなかったのか、という言です。

そもそも、<大海人皇子の・・・都落ち・・・> も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
           
       第44代/元正天皇 ・・・唯一、母から娘に母系で皇位を継承しました   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 185)

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 42 )


・・・草壁皇太子の妃> ですね。

<第44代/元正天皇は・・・文武天皇の姉/・・・独身で即位した初めての女性天皇

・・・母は元明天皇であり、母から娘への譲位で・・・父は、草壁皇太子・・・> です。

ええ…

ややこしいですが、全て近親間継承であり、かつ、近親間皇位継承をめぐる…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
 橿原市/藤原京・・・大和三山/香具山・畝傍山・耳成山が、すっぽりと藤原京の中に入っていた  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 184)

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 41 )


成長するまでの、つなぎの即位でした。

でも…

皇太子/草壁皇子は、即位直前薨御(こうぎょ/親王・女院・摂政・関白・大臣の死去すること。)します。

草壁皇太子(/天皇の子・孫で、親王の宣下(せんげ)のない、また、姓をも賜わらなかった男子。/皇子?)が、

<第42代/文武天皇> で、その皇子が、<第45代/聖武天皇> になります。

その間の…

<第43代/元明天皇は・・・文武天皇の母であり・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
           
         飛鳥宮跡/石敷井戸 ・・・(/飛鳥浄御原宮期の・・・復元遺構)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 183)

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 40 )


<天武天皇の・・・飛鳥浄御原宮(あすかの・きよみはらの・みや/天武天皇と持統天皇の、2代が営んだ

宮。<藤原京>への遷都も、天武天皇の国造りの一環。<藤原京>は、日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風

都城ですが、16年間のみで、710年に <平城京> に遷都されています。)における、日本の国造り・・・>

が、始まるわけです。

でも、天武天皇崩御し、<鸕野讃良(うののさらら)・皇后が即位・・・第41代/持統天皇

と、なるわけです。

それは、天武天皇持統天皇の間の、<草壁皇子・・・皇太子> が…


 12月 16日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
正倉院(しょうそういん)・・・東大寺大仏殿の、北北西に位置する・・・校倉造(あぜくらづくり)の大規模な正倉 (高床式倉庫)

                聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵。

1997年(平成9年)国宝 に指定され、翌1998年(平成10年)に、「古都奈良の文化財」 の一部として、ユネスコの世界

遺産(文化遺産)に登録されています。                                      (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 182 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 39 )


東大寺/正倉院数々の宝物も、聖武天皇ユカリの物が多いわけよねえ、」

「そうですね…」響子が、うなづいた。「まず…

何度も、くり返しますが…

<大海人皇子(おおあまの・みこ)・・・第40代/天武天皇> の…

<近江朝からの・・・都落ち> があり、<吉野出兵 → 壬申の乱(じんしんのらん)・・・>

あり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
           
       未完の都/恭仁京(くにきょう)・・・流転の聖武天皇、波乱の人生    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 181 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 38 )

ええ、せっかくの機会ですから…

聖武天皇・以前の事も、ザッと触れておきましょうか。非常ダイナミックで、数々の出来事

が、あった時代ですね。

あ、二言三言…うーん…四言、で説明します」

「そうかあ…」マチコが言った。「東大寺大仏を作ったのも、聖武天皇だし…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
           
                                                 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 180 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 37 )


「ええ…」響子が、準備していたスクリーンボードを投げた。「芭蕉は、大和路を歩き、

<鑑真が創建した・・・唐招提寺> を、訪れたわけですね。

時代は、<第45代/聖武天皇の・・・治世・・・> です…


<★ 聖武天皇>

文武天皇(/父が草壁皇太子、祖母が持統天皇)の第一皇子・・・

母は、藤原不比等(/・・・父は、乙巳の変(いっしのへん)で、中大兄皇子と共に蘇我入鹿を討った中臣鎌足 → 藤原

姓を賜り、藤原鎌足)の娘・宮子。


7歳父と死別母/宮子心的障害に陥ったため、その後は、長らく会うことはありませ

んでした。物心がついて以後の天皇が、病気平癒した母との対面を果たしたのは37歳の

だったと言います。

文武天皇・崩御(707年8月18日)の…

前日/707年7月17日

父方の祖母/第43代・元明天皇(/天智天皇の皇女で、草壁皇太子の妃)が、中継ぎの天皇として、

即位しました。和銅7年6月25日(714年8月9日)には、首皇子(おびとの・みこ/聖武天皇)元服

行われて、同日正式に立太子されるも、病弱であったこと、皇親勢力外戚である藤原氏

との対立もあり、即位先延ばしにされました。

翌/霊亀元年9月2日(715年10月3日)

伯母(/文武天皇の姉)第44代/元正天皇が、「中継ぎの・・・中継ぎ」 として、皇位を継ぐこと

になりました。元正天皇は、容姿端麗未婚の女性のまま即位し、まるで、“現代の・・・宝

塚・少女歌劇団”の様な時代、だったのでしょうか。

そして24歳の時に、この元正天皇より譲位されて、即位することになります。

聖武天皇

治世初期

皇親勢力代表する <長屋王> が、政権担当していました。この当時、藤原氏自家

出身 <光明子(/父は藤原不比等、母は県犬養三千代)の・・・立后> を願っていました。しかし、

皇后は、天皇亡き後中継ぎの天皇として即位する可能性があるために、皇族しか立后

れないのが当時の慣習でした。その事から、長屋王光明子立后反対していました。

ところが

神亀6年(729年)に、<長屋王の変> が起き、長屋王自害反対勢力がなくなったため、

<光明子は・・・非皇族として、初めて立后・・・> されました。長屋王の変は、長屋王

取り除き光明子皇后にするために、<藤原不比等の息子で・・・光明子の異母兄であ

る・・・藤原四兄弟> が、仕組んだもの、と言われています。

最終的に

聖武天皇後宮には他に4人の夫人が入りましたが、光明皇后を含めた5人全員藤原

不比等・県犬養三千代のいずれか、または両人の血縁の者でした。

天平9年(737年)

天然痘大流行が起こり、藤原4兄弟を始めとする政府高官のほとんどが、病死するとい

惨事に見舞われました。これは、横暴(たた)だとされました。ともかく急遽、長屋王

実弟である鈴鹿王知太政官事に任じて、辛うじて、政府体裁が整えられました。

さらに、天平12年(740年)には

<藤原広嗣の乱> が起こっています。乱の最中に、聖武天皇は突然、関東(/伊勢国、美濃

国)への行幸を始め、平城京に戻らないまま恭仁京(くにきょう)遷都しました。

その後

約5年間の間目まぐるしく行われた遷都経過は、続日本紀 で、多くが触れられてい

て、彷徨五年” と呼ばれています。詳しい動機付けは定かではない様ですがが、遷都

頻繁に行った期間中には、前述の <藤原広嗣の乱> を始め、先々で火災大地震

ど、多くの社会不安をもたらす要因遭遇しています。

天平年間災害疫病(/天然痘)多発したために、聖武天皇仏教深く帰依し、天平

13年(741年)には国分寺建立を、天平15年(743年)には東大寺盧舎那仏像造立

を出していいます。

これに加えて

度々遷都を行って、災いから脱却しようとしたものの、官民の反発も強く、最終的には

城京復帰しています。また、藤原氏重鎮相次いで亡くなったため、国政橘諸兄

たちばなのもろえ/・・・光明皇后の異父兄にあたる)が、執り仕切りました。

天平15年(743年)には

耕されない荒れ地が多いため、新たに、墾田永年私財法制定しました。しかし、これに

よって、律令制の根幹一部が、崩れることになりました。

天平16年閏1月13日(744年3月7日)

安積親王脚気のため急逝しました。これは藤原仲麻呂による毒殺と見るがあります。

天平勝宝元年7月2日(749年8月19日)

<聖武天皇は・・・娘/阿倍内親王(/孝謙天皇)に・・・譲位・・・>しています。

一説には

<自らを・・・三宝の奴> と称した天皇が、独断で出家してしまい、それを受けた朝廷が、

慌てて手続を執った、とも言われています。

天平勝宝4年4月9日(752年5月30日)

<東大寺/大仏の・・・開眼法要> を行っています。

天平勝宝6年(754年)には

<唐の高僧/鑑真が・・・来日> し、聖武上皇は、皇后天皇と共に会いました。同時

に、長く病気を患っていた、母/宮子死別しています。

天平勝宝8年(756年)

<天武天皇の2世王/道祖王を・・・皇太子にする遺言を残して・・・崩御・・・>しまし

た。宝算56戒名は、勝満



聖武天皇/上皇七七忌に際し

光明皇后東大寺盧舎那仏(大仏)聖武遺愛の品追善供養のため奉献しました。

その一部は正倉院伝存しています。

なお、明治40年(1907年)~明治41年(1908年)東大寺大仏殿改修の際に、須弥壇周辺

から出土した鎮壇具のうち、金銀装大刀2口が、奉献後まもない天平宝字3年(759年)12

正倉院から持ち出され、奉献品目録である東大寺献物帳(国家珍宝帳)「除物」 とい

う付箋を付けられていた、「陽寶劔(ようのほうけん) と、「陰寶劔(いんのほうけん) であることが、

平成22年(2010年)エックス線調査で判明しました。

この2口の大刀は、聖武天皇遺愛品であり、正倉院一旦納めた後、光明皇后返還

された、と考えられています。

 

       


岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              唐招提寺/奈良県奈良市   南都六宗の1つである、律宗の総本山。

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 179 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 36 )


これが、<国宝・・・唐招提寺/鑑真像> ですね。ちなみに、これは、日本最古肖像彫

とされています。

また…

779年(宝亀10年)

淡海三船(おうみの・みふね/・・・奈良時代後期の皇族・貴族・文人。第39代/弘文天皇の曽孫。始め御船王を名乗る

が、臣籍降下し淡海真人姓となりました。)により…

鑑真の伝記/唐大和上東征伝 が記され、鑑真事績を知る貴重な史料となっている、

という事です」



 12月 15日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
           国宝 
鑑真和上座像』  奈良時代/8世紀  乾漆造彩色  像高 80.1cm  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 178 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 35 )


ええ、そして…

763年(/天平宝字7年)に…

<鑑真> は、唐招提寺死去しています。享年76

死去を惜しんだ、弟子/忍基(にんき/・・・鑑真の死を予見,し、その影像を弟子とともに作りました。/・・・つまり

活写(かっしゃ/生き生きと描きだすこと → 生きている鑑真を、写し取ったのでしょうか?)しました。)は…

<鑑真の彫像/・・・脱活乾漆(だっかつ・かんしつ/「脱活」 とは、「張子の虎」 のように内部が 空洞と言う意

味で、「乾漆」とは、「漆」が乾いて堅くなったと言う意味です。)/彩色(さいしょく)/麻布を漆(うるし)で張り合

わせて骨格を作る手法/両手先は木彫・・・>

…を造り、現代まで唐招提寺に伝わっています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
            玄昉像 (げんぼう・ぞう) 国宝   遣唐使に学問僧として随行し入唐。 法相を学ぶ。 在唐は18年に及ぶ。

      聖武天皇の母/藤原宮子の病気を、雑密の孔雀王咒経の呪法祈祷により回復させ、栄達。  (ネットより画像借用)  

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 177 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 34 )


759年(天平宝字3年)
には…

<新田部親王(にいたべ・しんのう/天武天皇の皇子。新田部皇子(にいたべの・みこ)とも呼ばれる。 奈良時代初期

に、<舎人親(とねり・しんのう)<長屋王(ながや・おう) とともに、皇親勢力(こうしん・せいりょく/壬申の乱後か

ら天平年間(/7世紀後半~8世紀前半)にかけて行われた、天皇と皇親(/皇族)を主体とする政治体制を指す、歴史学上

の用語。)として、権勢を振るいました。)の、旧邸宅跡が与えられて…

<唐招提寺を・・・創建し・・・戒壇を設置・・・> しました。

<鑑真> は…

戒律の他に、彫刻薬草造詣(ぞうけい/学問・芸術・技術などについての、深い理解やすぐれた技量。また、

それをきわめていること。)も深く、これらの知識も伝えました。また、悲田院(ひでんいん/仏教の慈悲の

思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために作られた施設。 )を作り、貧民救済にも積極的に取り組みまし

た。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
          吉備真備 (きびのまきび 元正天皇→聖武天皇→孝謙天皇→淳仁天皇→称徳天皇→光仁天皇に仕えた。

    留学生として入唐。藤原仲麻呂政権下での左遷と、再度の入唐。そして、復権と右大臣就任    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 176 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 33 )


少し戻りますが…

758年(天平宝字2年)に…

<第47代/淳仁天皇の・・・勅・・・> により…

<鑑真> は、<大和上(だいわじょう/戒和上としての最高を意味する尊称。鑑真に贈られたものを最初とする。)

に任じられて…

政治にとらわれる労苦から解放するため、僧綱(そうごう/・・・仏教の僧尼を管理するためにおかれた僧

官の職。律令制度では玄蕃寮の監督下に置かれ、僧正、僧都、律師からなり、それを補佐する佐官も置かれました。)

が解かれ、“自由に・・・戒律を伝えられる・・・配慮・・・” が、なされたという事ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
             第46代/孝謙天皇( こうけん・てんのう) ・ 第48代/称徳天皇(しょうとくてんのう)    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 175 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 32 )


併せて…

<常設の・・・東大寺/戒壇院> 建立され、その後…

761年(天平宝字5年)には…

日本東西で、<登壇授戒> 可能となるように、 <大宰府・観世音寺> 、および、

<下野国(しもつけの・くに/栃木県)・薬師寺> 戒壇が設置され、戒律制度急速整備

れて行きました。



 12月 14日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                        国宝・・・『千手観音菩薩坐像』 葛井寺(ふじいでら/・・・大阪府藤井寺市)所蔵

                    古代・中世に制作された・・・日本の仏像の中で、唯一1000本以上の手を持つ千手観音。

              寺伝によると、聖武天皇の発願によって制作され、行基が開眼したとされます。(ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 174 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 31 )


<戒壇(かいだん/戒律を授ける場所。律を受けるための、結界が常に整った場所)の設立と、授戒につい

て・・・全面的に一任・・・> され、<東大寺> に、住することとなりました。

同年/4月

<鑑真> は、<東大寺大仏殿> 戒壇を築き…

<聖武上皇から・・・僧尼まで400名に・・・菩薩戒(ぼさつかい/大乗の菩薩が受持すべき戒)・・・

を授けました。

これが、日本の・・・登壇授戒(とうだん・じゅかい/・・・戒壇に登り受戒すること。正規の手続きにより受戒し

たことを示す。)の・・・嚆矢(こうし/かぶら矢。(昔、中国で戦いを始める時、敵陣に向かって鏑矢(カブラヤ)を射た所か

ら・・・) 物事のはじまり。)、という事です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                     『奈良/東大寺・戒壇堂 (戒壇院) 』  重要文化財     (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 173 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 30 )


<鑑真> は、ついに…

753年(/天平勝宝5年)12月26日<筑紫/大宰府> 到着しました。

<鑑真> は…

<大宰府/観世音寺に隣接する・・・戒壇院(かいだんいん/出家者が正式の僧尼となるための、必要

な戒律を授けるために設置された施設) で、初の授戒(じゅかい/仏門に入る者に、仏弟子として生きるための戒を

授けること。→ 受戒。)を行いました。

翌/754年(/天平勝宝6年)2月4日

<鑑真> は、<奈良/平城京> 到着し…聖武上皇以下大歓待を受けます。

第46代/孝謙天皇(こうけん・てんのう/・・・第48代/称徳天皇(しょうとく・てんのう)と、重祚(ちょうそ/一度退位

した天子が、再び位に就くこと)。) <勅 (ちょく/・・・天子(/皇帝・天皇)の命令、またはその命令が書いてある文書

により…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                       遣唐使船/・・・荒海の中で、僧侶が決死の読経をしました。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 172 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 29 )


弟子21人が、随行希望しました。それ以後、日本への渡海の試みは5度に及びまし

たが、ことごとく失敗し、捉えられてしまいました。

そして…

すでに述べた様に、6度目の密航で、ようやく渡日をかなえています。11年間にも及ぶ

祈願達成であり、その間に、<鑑真> 潮風に入り、盲目になっています。

それから…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
            国宝 「
鑑真和上座像」  奈良時代/8世紀  乾漆造彩色  像高 80.1cm  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 171 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 28 )


ええと…

栄叡普照要請を受けた、<大明寺・住職/鑑真> は…

“渡日したい者は・・・いないか?” と、弟子達に問いかけました。ところが、大きな危険を冒

してまで、渡日希望する者は、1人もいなかった、と言います。

そこで…

<鑑真自らが・・・渡日・・・> することを、決意すると…


 12月 13日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                        『天平の甍 (てんぴょうの・いらか)』                  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 170 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 27 )


主張する声が、強まって来たと言います。

そこで、おそらく…

<沙弥勝満(しゃみ・しょうまん) ・・・第45代/聖武天皇> の…

勅命(ちょくめい/天子の命令)で、栄叡(えいよう)普照(ふしょう)が、授戒のできる僧10人招請

るために、<遣唐使船> に渡りました。それが、733年(天平5年)の事でした。

そして…

<戒律の僧として高名な・・・大明寺の住職/鑑真・・・> のもとを、訪れた、という次第

ですね。それが、742年です。大陸/唐に渡って20年であり、<鑑真> にめぐり合って、

11年後成就です。この間、栄叡大陸で没します。

<鑑真が乗船した・・・遣唐使船> が、屋久島帰着し… 

<勅命で招請/来朝した・・・高僧/鑑真和尚・・・> に、礼を失して面目が立ちませ

ん。さいわい20年後も、聖武天皇健在で、普照盲目になっていた <鑑真> の元を

一時離れて、筑紫/大宰府先行し、高僧来朝と、自らの帰着報告しました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                              
行基菩薩坐像・・・(/唐招提寺蔵 ・ 重要文化財 (ネットより画像借用)

行基集団を形成し・・・畿内(近畿)を中心に民衆や豪族など階層を問わず広く人々に仏教を説きました。併せて困窮者の救済

や社会事業を指導。布施屋9所、道場や寺院を49院、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所を各地に整備しました。当初、朝廷

から度々弾圧や禁圧を受けましたが、第45代/聖武天皇により、奈良大仏造立の、実質上の責任者として招聘されました。

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 169 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 26 )


<自分で自分に授戒する・・・自誓受戒(じせい・じゅかい/大乗仏教の菩薩戒を受けたいにもかかわら

ず、周囲に戒師がいない時、仏・菩薩の形像の前で、自ら誓い、菩薩戒を受けることをいう。なお、『梵網経』 『瓔珞経』 など

で、その作法が説かれています。)・・・> が、盛んに行われました。

そして、奈良時代に入ると…

<自誓受戒を・・・蔑(ないがし)ろにする者達・・・>  が、徐々に、幅を利かせ始めました。

そこで、<10人以上の僧尼の前で、儀式を行う方式の・・・授戒の制度化・・・> を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
     
    奈良/東大寺の大仏・・・東大寺盧舎那仏像(とうだいじ・るしゃなぶつ・ぞう) 国宝   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 168 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 25 )


戒律のうち、<自分で、自分に誓うものを・・・戒・・・ と言い、<サンガ/僧団内で

の、集団規則を・・・律・・・ と言います。

その…

<戒> を誓うためには、10人以上の僧尼の前で、儀式/授戒を行う宗派もありました。

しかし、日本では、仏教伝来した当初は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                              第45代/聖武天皇    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 167 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 24 )


私度僧(しどそう/官の許可をえないで剃髪・出家した僧尼。

剃髪・出家して仏道を修行し、僧尼となることを得度(とくど)と言いますが、律令時代には国家による一定の手続を要する、

許可制がとられていました。官の許可をえて得度した者が官度僧です。官の許可をえず私的に得度した者を、私度僧と言い

ます。)

…が、多かったため…

伝戒師(でんかいし/授戒作法の儀式を司る師。伝教師ともいう。)制度を、普及させようと…

<第45代/聖武天皇 = 沙弥勝満(しゃみ・しょうまん/・・・聖武天皇は、宝算(ほうさん/天子を敬って、

その年齢をいう語)56。戒名(かいみょう/戒律を守る証として与えられる名前)が、勝満です。/沙弥とは、修行中の僧で

す。沙弥勝満/聖武天皇は、仏教に深く帰依し、741年(天平13年)に、国分寺建立の詔(みことのり)を、743年(天平

15年)には、東大寺の大仏/盧舎那仏像の、造立の詔を出しています。また、自ら、沙弥勝満と名のっていました。)

…は、適任僧侶を捜していました。

仏教では…

新たに、僧尼となる者は、戒律遵守(じゅんしゅ)することを誓います。



 12月 12日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                        『天平の甍 (てんぴょうの・いらか)』                  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 166 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 23 )


中国/南山律宗継承者であり、4万人以上の人々授戒(じゅかい/教団にはいることを誓った

出家、在家の者に、それぞれに応じた規律を、師僧が授けること。→ 受戒。)を、行ったとされています。

中国/揚州(ようしゅう/揚州市)の…

大明寺住職(じゅうしょく/寺の長である僧)であった、742年に…

日本からに渡った僧/栄叡(ようえい)・普照(ふしょう)らから、戒律日本へ伝えるよう懇請

こんせい/心を尽くして頼むこと)されました。

当時奈良には…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
            国宝 「
鑑真和上座像」  奈良時代/8世紀  乾漆造彩色  像高 80.1cm  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 165 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 22 )


…その一部は、<★ 釈尊の言葉を・・・比較的忠実に・・・伝えている・・・と、言われ

ています。

ええと…

を、戻しますが…

<鑑真和尚(がんじんおしょう)/鑑真和上(がんじんわじょう) は…

日本における、<律宗(りっしゅう)の・・・開祖(かいそ) と、なるわけですが…

<律宗> とは…

<仏教徒/・・・とりわけ僧尼(そうに/僧と尼僧)が遵守(じゅんしゅ)すべき、戒律を伝え研究

する宗派・・・> という事ですね。

<鑑真> は、四分律(しぶんりつ/・・・上座部の一派である法蔵部に、伝承されてきた律)に基づく…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
             
 仏教は、北伝仏教(大乗仏教)と、南伝仏教(上座仏教)とに分かれました。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 164 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 21 )


・・・大乗仏教と言う。大乗は、サンスクリットのマハーヤーナの訳で、大きな乗物の意

味>

…に、2分されます。

ちなみに…

<原始仏典> には…

<パーリ五部(/経蔵は分量的な長さに応じて、長部、中部、相応部、増支部、小部の5つにわかれます・・・

パーリ仏典/パーリ経典(パーリ語仏典、パーリ聖典)、あるいは、パーリ三蔵は・・・南伝/上座部仏教に伝わるパーリ語で

書かれた仏典です。北伝/大乗仏教に伝わる漢語・チベット語の仏典と並ぶ、三大仏典群の1つです。

日本でも・・・戦前に輸入・翻訳され、『漢訳大蔵経(/北伝大蔵経)『チベット大蔵経』 に対して、『南伝大蔵経 『パーリ大

蔵経』 などとしても、知られています。)

および…

<漢訳の・・・阿含経典群(あごん・きょうてんぐん/

阿含経・・・とは、初期仏教の経典です。釈尊の言行を伝え、それを集成したものです。釈尊の滅後、その教説は次第にまと

められて経蔵を形成し、一方、修行僧の守るべき規則は、律蔵 としてまとめられました。

経蔵は、4または5に分類され、それぞれ阿含または部の名をもって表示されました。現在、まとまったものとしては、スリラ

ンカ、ビルマ (現ミャンマー) 、タイ 、カンボジア 、ラオス 、ベトナムに伝えられている、パーリ語の聖典と、その相当漢訳があ

ります。)

…があり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                    
       お釈迦様                    (/ネットより画像借用) 

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 163 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 20 )


大きく

原始仏典/・・・原始仏教・・・釈迦が生きていた時代を含む初期の、約150年 ~

200年の間> と…

大乗仏典/・・・大乗仏教・・・紀元前後に、伝統的仏教に対する、革新運動の中か

興った、新仏教。上座部仏教 (/小乗仏教) に対に対して・・・



 12月 11日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
  玄奘三蔵 (/629年にチベットを超えてインドに行き、645年に、経典や仏像などを持って帰還。) (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 162 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 19 )


3つの分類形態から、<三蔵(さんぞう) とも呼ばれています。

<三蔵法師(さんぞうほうし) という言葉がありますが、この <三蔵に・・・通じている僧>

という意味です。

後に、それは、<訳経僧(やくきょうそう/・・・経典の翻訳に従事する僧。特に、中国においてサンスクリットの経典

を漢訳する僧をさすことが多い。鳩摩羅什(くまらじゅう)や玄奘三蔵(げんじょうさんぞう/法相宗の開祖)などが代表的です。

霊仙三蔵(りょうせん・さんぞう/平安時代前期の、法相宗の僧。日本で唯一の三蔵法師。)のような、日本人の訳経僧もいま

す。)を、指す様になります。

あ、すみません。もう少し概論を続けますが…

<仏典> は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
キジル石窟(新疆ウイグル自治区)の入り口前の広場に、最近建てられた鳩摩羅什(くまらじゅう)の像 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 161 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 18 )


「ええと…」支折が言った。「まず…

<仏典> とは…

仏教典籍の略称で…<仏教聖典の・・・総称・・・> の事です。

それは…

<律蔵(りつぞう)/・・・僧団内部の規則である、律をまとめたもの> <経蔵(きょうぞう)

/・・・釈迦の教説である、経をまとめたもの> <論蔵(ろんぞう)/・・・仏陀の教えに

対する、解釈・注釈書である、論をまとめたもの> という…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1         

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 160 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 17 )


仏教について、その辺りの事情を、もう少し説明して置きましょうか。響子さん、間違って

たら指摘して下さい」

「私も…」響子が、苦笑した。「修行中の身ですわ。自信はありませんが、気づいた所

します」

「お願いします…」支折が、うなづいた。「響子さんは、私の師ですから頼りにしています」

「ホホ…」響子が笑った。「努力します、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                                                  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 159 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 16 )


「そもそも、さあ…」マチコが言った。「何故日本は、<鑑真和上> の様な、高僧を求め

ていたのかしら?

<空海/弘法大師> の様に、唐/長安で、シッカリ勉強してさあ、日本仏教を持ち

帰ればいいわけよねえ、」

「あ、そうですね…」支折が言った。「でも、<空海>奈良時代ではなく、平安時代

・初期です。

うーん…


 12月 10日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                              第45代/聖武天皇    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 158 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 15 )


漂着しました。

それから…

12月26日に…

大安寺(/奈良にあって、南都七大寺の1つ。奈良時代から平安時代前半までは、東大寺や興福寺と並ぶ大寺でした。)

延慶 (えんけい/入唐僧(にっとうそう/日本から唐に渡った学僧)と思われ・・・天平勝宝5年753年 に、鑑真の一

行と共に帰国。鑑真らを、薩摩から大宰府に導きました。鑑真が、東大寺大仏を拝した際も、通訳として活躍しています。

ちなみに・・・

天平の甍 では、入唐僧/普照(ふしょう)は在唐20年、大陸を放浪の果てに高僧/鑒真を伴って、ただひとり故国/日本

の土を踏んでいます。大宰府で出迎えたのは、高僧/鑑真の渡日を知らせる事前の触れ込みで、先に大宰府に入ったと思

われます。)

…に、迎えられながら、<鑑真は・・・ついに、大宰府に到着・・・> しています。

を、長くして待つ

<第45代/聖武天皇 → 退位していて、聖武上皇> の、<平城京/・・・奈良朝廷

への到着は、翌/754年(/天平勝宝6年)2月4日となります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              大宰府政庁跡/・・・福岡県太宰府市観世音寺   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 157 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 14 )


そして11日後

12月18日に…屋久島から、<九州/大宰府(だざいふ/7世紀後半に、九州の筑前国に設置された地

方行政機関。軍事・外交を主任務とし、九州地方の内政も担当した。)を目指して出港します。

翌/12月19日に、遭難するも…

遣唐副使/大伴古麻呂と、<鑑真> の乗った <第二船> は…

12月20日に…

薩摩国/秋目(あきめ/秋妻屋浦/・・・鹿児島県・南さつま市・坊津町秋目)に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                      『鑑真和尚像』・・・<国宝>  唐招提寺に安置されています   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 156 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 13 )


ええ、一方…

<鑑真> の方ですが…

<第二船・第三船> は、753年12月7日に、屋久島到着して、<鑑真の渡日> は、

かなっています。日本は、この朗報歓喜します。

それから…

この一大事が、海路朝廷上奏(じょうそう/意見や事情を天子に申し上げること。)され、大宰府

け入れ態勢等を、屋久島で待つことになった様です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                     阿倍仲麻呂   天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 

            小倉百人一首・・・7番/阿倍仲麻呂仲麿 <ジャンプ!>       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 155 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 12 )


阿倍仲麻呂は、2度日本土を踏む事はありませんでした。

玄宗に仕えた後は…

<第7代/粛宗(しゅくそう)皇帝と・・・第8代/代宗皇帝> に仕え、770年1月に、73歳

で没しています。死後その功により、代宗皇帝によって、<潞州(ろしゅう)大都督(/都督(と

とく)は、中国の官職・称号。三国時代に現れ、軍政を統轄した。 日本人では阿倍仲麻呂が唐朝に出仕し、潞州大都督の官

名を贈られている。)・・・の官名(/官職の名称) が、贈られています。



 12月  9日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                        <安史の乱/・・・安禄山の乱> 期の・・・アジアの勢力図  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 154 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 11 )


皇帝惑わせたとして、兵達怒り<楊貴妃> 処刑することを要求し…玄宗

を与えざるを得なくなります。これが、<馬嵬駅(ばかいえき)の悲劇> です。


          
       楊貴妃の墓・・・馬嵬駅(ばかいえき/中国・陝西省咸陽市興平市) の付近。  (ネットより画像借用)

ともかく…

第6代/玄宗皇帝は…

治世前半善政で、絶頂期を迎えました。でも後半は、政治(う/倦む・・・イヤにな

る)み疲れ楊貴妃寵愛(ちょうあい)したことで、<安史の乱> 原因を作りました。

玄宗は、失意のうちに退位しています。反乱鎮圧されて、唐王朝存続しますが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
  安禄山 (あん・ろくざん/・・・康国(サマルカンド)出身のソグド人と、突厥(とっけつ)系の混血。)  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 153 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 10 )


漂着しています。当時の、航海難儀さをうかがわせています。

藤原清河と、阿倍仲麻呂は…

2年後/755年に、唐の都/長安に戻っています。でも、この年に、<安史の乱/・・・安

禄山(あんろくざん)の乱> が、起こっていますよね。

この反旗で、パニックに陥った唐朝廷は、ついに <玄宗皇帝・楊貴妃> ともども、都/

長安宮廷脱出する事になります。そして、この敗走の途上で…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
              遣唐使船の航路/・・・沿岸航路は、戦争もあり、政情の不安定もありました。 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 152 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 9 )


でも、今度出港直後に、<第一船> 座礁し、残る2隻だけが南風にのり、そのまま

日本を目指しました。

<第一船> は…

遣唐大使/藤原清河と、<帰朝する・・・阿倍仲麻呂> 乗船していましたが、難破

て、はるか南方/ベトナム北部にまで流され…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                       遣唐使船/・・・荒海の中で、僧侶が決死の読経をしました。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 151 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 8 )


11月21日
に…

無事に、沖縄本島到着しています。また、<第三船> はすでに、前日/11月20日に、

沖縄到着していました。

それから、12月6日に…

南風(はえ)を得て、3船沖縄を発ち、種子島・屋久島に向けて出港しました。


 12月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                遣唐使船/・・・荒海の中で、僧侶の決死のも読経と、唱和でしょうか?  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 150 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 7 )


<第四船> は、行方不明になっています。構造上装備、または乗組員技量等

で、多少の優劣はあったはずです。

当然…

正使/遣唐使搭乗する <第一船> が、万全の、親船のはずですよね。それ以上は、

運任せと、読経祈願です。そうした中での、風任せの航海であり、船団はしだいにバラ

て行ったのでしょうか。

ともかく…

<第一船> <第二船> は、偏西風(/緯度30度~65度の帯域にかけて見られる、西から東に向かっ

て流れる気流。

熱帯地域の加熱を中心とする “ハドレー循環” と、極地域の冷却を中心とする “極循環” の、2つの “子午面循環” の間の

温度差の違いと、“地球回転の影響(/コリオリの力) により発生します。

偏西風は・・・

上空/高度とともに強くなり、対流圏界面付近で風速が最大となります。特に、風速の強い狭い区域は、<ジェット気流>

と呼ばれる帯を形成します。

これとは、逆に吹くのが <貿易風(ぼうえきふう/熱帯に定常的に存在する偏東風。熱帯東風ともいう。) です。季節や

地域によって、異なります。)

運ばれ

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                      『鑑真和尚像』・・・<国宝>  唐招提寺に安置されています   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 149 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 6 )


乗船させました。内密に、強くこだわったのは、正使/遣唐大使立場を考え、さらに、

大使(とが/罰されるべき行為)が及ぶのを恐れたからですよね。は、自分が背負う覚悟

した。

この時

753年11月16日に…

日本遣唐使船/4隻は、同時に、中国大陸沿岸を離れ、日本への帰途に就いていま

す。でも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
  大宰帥 (だざいのそち/宰府の長官)・・・大伴旅人の邸宅  「令和」 を生んだ 「梅花の宴」 とは?  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 148 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 5 )


ボスは、その禅の独学過程で、何度か鑑真和尚とも再会したと言っていますが、今後、

さらに何かが、あるのでしょうか?見当もつきませんが。あ、を戻しましょう…

ええと…

遣唐副使/大伴古麻呂(おおともの・こまろ/

・・・730年(天平2年)、大宰帥(だざいの・そち/九州筑紫の長官)/大伴旅人(おおともの・たびと)が任地で病臥した際に、

遺言(ゆいごん)を受けに、大伴稲公(おおともの・いなきみ)と共に、九州に赴いています。

大宰帥/大伴旅人は・・・

『万葉集』 の編者とされる、大伴家持(おおともの・やかもち)の父親です。また、大宰帥/大伴旅人の邸宅で行われた  「梅花

の宴」 から、<新元号・・・令和・・・> が、採られています。『万葉集・・・巻五/梅花歌三十二首』序文から、<令月(れ

いげつ)の令> <風和(かぜやわらぐ)の和> の2文字を採り、組み合わせて創られました。この序文の作者をめぐっては

、大伴旅人や筑前守/山上億良(やまのうえの・おくら)など、諸説がありますが・・・現在有力なのは大伴旅人です。)

は…

遣唐大使/藤原清河(ふじわらの・きよかわ)には内密で、自分 <第二船> に、密かに

鑑真> を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                    『正法眼蔵 しょうぼうげんぞう』 の著者/道元禅師     (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 147 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 4 )


ホホ…

そもそも、はあまり読まなかったと言うボス(/岡田)が、確かに、そんな若い時代に読むよ

うな、小説ではないですね。

でも…

ボスは、正法眼蔵(しょうぼうげんぞう) とも、運命的出会っていて、この書物人生の指針

となり、禅を独学して来ています。“本との出会いとは・・・実に不思議なもの” ですね。



 12月  7日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                        『天平の甍 (てんぴょうの・いらか)』                  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 146 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 3 )


歴史小説ですね。後に、映画化もされています。

ボス(/岡田)が、何故(なぜ)か、高校生の時にこの小説を読み、<奇妙な・・・運命的な巡

り合わせ・・・を感じている・・・> と、話していました。

でも、こうも言っていました…

<不思議には思うが・・・まだ、その巡り合わせの・・・結論は出ていない様だ・・・>

も。うーん…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                               遣唐使船                      (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 145 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 2 )


日本遣唐使からの真摯(/まじめで、ひたむきなこと)要請を受け、誰も行かないならば、私が

行こうと、、を破って何度日本への密航を試みます。そして、ついに、盲目になりながら

も、6度目に、日本遣唐使船密かに乗り込み日本への渡航/漂着を、果たしていま

す。

ええ…

作家/井上靖(いのうえ・やすし/・・・1907年(明治40年) ~ 1991年(平成3年))小説/天平の甍

(てんぴょうの・いらか/甍は・・・屋根の頂上の部分。また、屋根に葺(ふ)いた棟瓦(むねがわら)。) は、この歴史的

偉業を扱った…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                       唐王朝・・・第6代/玄宗皇帝 (在位/712年~756年)   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 144 )

支折の言葉・・・22/ 1 】・・・( 1 )


「ええ…」支折が言った。「中国/唐の…

確か、第6代/玄宗(げんそう)皇帝と…

あの <絶世の美女/傾国の美女(/元首が寵愛(ちょうあい)にかまけて、政治を疎(おろそ)かにしたため、

その国家が崩壊に至った女性をいう)・・・楊貴妃(ようきひ) の、時代だったと思います。

<日本人/阿倍仲麻呂(あべの・なかまろ) も、科挙(かきょ/中国で行なわれた官吏の登用試験)

し、玄宗官人(かんにん/官吏。役人。)として、仕えています。

その時代に、<唐の高僧/鑑真> は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                             唐招提寺/奈良県奈良市五条町  南都六宗の一つである律宗の総本山。

本尊は盧舎那仏(るしゃなぶつ)、開基(創立者)は中国・唐出身の僧/鑑真。鑑真が、晩年を過ごした寺であり、奈良時代建

立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。1998年(/平成10年)に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世

界遺産に登録されています。                                            (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 143 )

現代語訳・・・22/ 1 】・・・( 1 )


唐招提寺(とうしょうだいじ)を開基(かいき/・・・基礎を作ること)された鑑真和尚は来朝の時、船に

乗って七十数回の難をしのがれ、御目のうちに潮風が吹き入って、ついに失明され

た、その尊像を拝して、


★ 若葉して 御めの雫 ぬぐはばや


      清らかな若葉で・・・

          御目の涙の雫を・・・

              おぬぐいいたしたいものです・・・



 12月  6日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                      『鑑真和尚像』・・・<国宝>  唐招提寺に安置されています   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 142 )

原文・・・22/ 1 】・・・( 1 )


招提寺(しょうだいじ/唐招提寺)鑑真(がんじん)和尚(おしょう)来朝の時、船中七十余度の難をし

のぎたまひ、御目のうち塩風吹入て、終に御目盲させ給ふ尊像を拝して、


★ 若葉して御めの雫(しずく)ぬぐはばや

 

 12月  4日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                               花祭り/・・・灌仏会(かんぶつえ)・・・    (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 141 )

 支折の言葉・・・21/ 1  】・・・( 14 )


そして、そうした人々の間では、次第消えて行くわけですね、」

「うん…」マチコが、うなづいた。「<衣更> は、ともかくさあ…

<灌仏/・・・お釈迦様の誕生日・・・花まつり・・・> というのは…

うーん、どうかしら?

言葉知っているという事は、子供の頃に、聞いた事があるかも知れないわねえ…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                               花祭り/・・・灌仏会(かんぶつえ)・・・      (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 140 )

 支折の言葉・・・21/ 1  】・・・( 13 )


灌仏/…お釈迦様の誕生日も…

つい、数十年前までは、当然のように、私達生活リズムとして、定着していた様ですね。

もちろん、田舎寺院などでは、 <花まつり/・・・お釈迦様の誕生日> として、

ッカリ伝統が守られている所もあります。

でも…

そうした古い慣習が、消えはじめるる世代では、一般家庭その周囲影響で、全く耳に

しなくなる人々も出て来る様です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                               花祭り/・・・灌仏会(かんぶつえ)・・・       (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 139 )

 支折の言葉・・・21/ 1  】・・・( 12 )


…すでに、多くの鹿がいた様ですね。野生鹿春日大社一帯に住みついていて、確

かに、人間社会共存していた様子です。

さあ…

ええと…

<衣更(ころもがえ)は・・・陰暦(いんれき/太陰(月)の満ち欠けを主とし、太陽の運行をあわせ考えて作った暦。

本の旧暦、ユダヤ暦、中国暦などが、これにあたる。)4月1日> 、そして、<灌仏(かんぶつ)は・・・陰暦

4月8日/・・・お釈迦様の誕生日> …という事ですね。

衣更も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                                                           (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 138 )

 支折の言葉・・・21/ 1  】・・・( 11 )


説明され、受け入れられて来たからでしょう」

「そうかあ…」マチコが、コクリとうなづいた。「民衆も…

その説明納得して来たわけかあ。から、<神鹿> だったし、<全体を・・・信仰対象

・・・> にして来た、長い歴史があるわけなんだ、」

「そうですね…」支折が、小さくうなづいた。「ともかく…

芭蕉が、奈良を訪れた江戸時代・前期/元禄の頃には…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                            (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 137 )

 支折の言葉・・・21/ 1  】・・・( 10 )


「ホホ…」支折が、笑った。「そうですが…

奈良県公式HP 明記されている事です。神社仏閣(じんじゃぶっかく/神社や寺院の、社殿や堂塔

などに関連する説明案内では、こういう形のものが多い様ですね。学術的説明同時に、

神話的世界との一体化容認されています。元々、そういう形で、民衆にも…



 12月  3日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                  奈良公園/奈良県奈良市にある都市公園・・・国の名勝・・・の鹿。   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 136 )

 支折の言葉・・・21/ 1  】・・・( 9 )


・・・現在、奈良公園周辺に生息するニホンジカは・・・1180頭(/平成28年7月現在)

…だと、いう事です。

これだけ多く野生の鹿が、人間と共存しているは、世界でも奈良だけの様ですね、」

「ふーん…」マチコが、を傾げた。「分かった様な、分からない様説明よねえ…

<神鹿> 子孫というのは、さあ…

でも、そんな古代(/日本の古代は、おおむね、古墳時代・飛鳥時代~平安時代の中期・後期まで。)から人間と

共存しているのも、不思議な話よねえ。本当なのかしら?」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                  奈良公園/鹿奈良県奈良市にある都市公園・・・国の名勝・・・の鹿。  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 135 )

 支折の言葉・・・21/ 1  】・・・( 8 )


ともかく…

<現在・・・奈良の鹿は・・・国の天然記念物に指定されている・・・野生動物> と、い

う事です。

<決して・・・飼育されている動物ではありません・・・> と、奈良県公式HP(HomePage)

に、明記されています。

<奈良公園周辺の鹿は・・・すべて野生のニホンジカです。・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
    『春日神鹿御正体 (かすが・しんろく・みしょうたい)』 (重要文化財) 京都・細見美術館蔵   (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 134 )

 支折の言葉・・・21/ 1  】・・・( 7 )


<鹿島の森に住む・・・白い鹿> にまたがって奈良へ向かい、長い長い旅を経て、奈

良の都到着したという事です。

この時に乗って来た、<神鹿(しんろく/霊力のある鹿。神の使いとして、神社で飼っておく鹿。)と呼ばれる

・・・ 一頭の白い鹿・・・> が、春日の森子孫を増やして行った、という事ですね。

うーん…

これが、<神鹿> ですか…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            <奈良/春日大社・・・中門・御廊> (重要文化財)  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 133 )

 支折の言葉・・・21/ 1  】・・・( 6 )


奈良に…

<平城京(/710年に、藤原京から遷都するにあたり、唐の都/長安城を模倣して建造された都城。) が作られ、

<春日神社(/春日神を祭神とする神社。全国に約1000社あり、奈良の<春日大社>を総本社とする。)

する際、貴族達都を守護する神様として、<武勇の誉れも高い神・・・武甕槌命(たけ

・みかづちの・みこと) を、お招きすることにしました。

<茨城の・・・鹿島神宮(/茨城県鹿嶋市宮中にある神社。全国にある鹿島神社の総本社。宮中の四方拝(しほう

はい)で遥拝(ようはい)される一社。)に住んでいた・・・武甕槌命> は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                               (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 132 )

 支折の言葉・・・21/ 1  】・・・( 5 )


日本鋳造された、最も古い貨幣という事でした。

でも、流通貨幣ということでは、奈良時代 <和同開珎> の様ですね。

それ以前貨幣は、大陸・中国/唐から入って来ています」

「はい…」支折が、うなづいた。「奈良の、鹿を戻しますが…



 12月  2日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
   <富本銭(ふほんせん/・・・天武天皇12年頃に、日本でつくられたと推定されている銭貨)>  (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 131 )

 支折の言葉・・・21/ 1  】・・・( 4 )


あ、この <和同開珎> は…

708年8月29日(/和銅元年8月10日)に、日本鋳造・発行されたもので、<日本最初の流

通貨幣> と言われています」

「私が…」響子が言った。「かつて…

万葉集考察していた時に、<第40代/天武天皇> 時代の、<富本銭(ふほんせん/

天武天皇12年頃に、日本でつくられたと推定されている銭貨)が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 和同開珎(わどうかいほう、わどうかいちん) 鋳造したバリ銭/まとめて棒に突き刺し、形を整える。 (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 130 )

 支折の言葉・・・21/ 1  】・・・( 3 )


野生の鹿が、我が物顔で歩いていた様ですね。ええと、少し調べてみました…

うーん…

言い伝えによると…

奈良鹿がやって来たのは、今から1300年前の、710年(/和銅3年)ということです。<古

銭/和同開珎(わどうかいほう 、わどうかいちん) が、鋳造された頃ですよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
              
              芭蕉         (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 129 )

 支折の言葉・・・21/ 1  】・・・( 2 )


その間に…

衣更(ころもがえ/陰暦4月1日)がやって来て、寒さもすっかり和らぎ、綿入の小袖(こそで/現

在の和服のもととなった、袖口の小さく縫いつまっている衣服)を、(あわせ/裏地をつけて仕立てた着物。秋から春先に

かけて用いる。)着替える時になりました。そして、5月5日には、帷子(かたびら/あわせの、

「片ひら」 の意。裏をつけない衣服の総称。ひとえもの。)着替えるわけですね。

古都/奈良には、この頃にはすでに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                              大和路/古道               (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 128 )

 支折の言葉・・・21/ 1  】・・・( 1 )


支折が、クスリーンボードの、芭蕉杜国/万菊丸俳句を眺めていた。

「ええ…」支折が、視線を戻した。「芭蕉万菊丸は…

<吉野の・・・山・滝・里・・・> で、満開の桜堪能(たんのう/十分に味わい、満足すること)し、

(いにしえ)の都/奈良盆地下山し、大和路を歩いたわけですね。


 12月  1日

岡田健吉‏@zu5kokd1        
                                          (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 127 )

現代語訳・・・21/ 1  】・・・( 3 )


・・・鹿が子を産むのを見た。釈迦が生まれたこの日に、子を産むとはありがたいこと

だ。


★ 灌仏の 日に生れあふ 鹿の子哉(かな)

    
      灌仏の日に・・・

           めでたくも生まれた・・・

               可愛い鹿の子だなあ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                        
   松尾芭蕉・像/・・・葛飾北斎・画      (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 126 )

現代語訳・・・21/ 1  】・・・( 2 )


      吉野を出たら・・・

           衣更を過ぎて・・・

               不要になった布子を・・・

                    売ってしまいたいものだ・・・

                                    (万菊丸)


灌仏の日は、奈良であちこちの寺院に詣でてまわったところ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                       
    菅笠
すげがさ         (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 125 )

現代語訳・・・21/ 1  】・・・( 1 )


衣更


★ 一つぬひで 後に負ぬ 衣がへ


      衣更といっても・・・

          重ね着を一枚脱いで・・・

               後ろに背負うだけ・・・

                    身軽なことだ・・・


★ 吉野出て 布子売りたし 衣がへ  万菊

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                                     おにぎり            (ネットより画像借用)

《 笈の小文・・・ 芭蕉/2 》・・・( 124 )

原文・・・21/ 1  】・・・( 1 )


<大和路>


衣更
(ころもがえ/陰暦4月1日)

★ 一つぬひで後に負ぬ衣がへ


★ 吉野出て布子(ぬのこ/木綿の綿入れ)売りたし衣がへ  万菊


灌仏(かんぶつ/仏像に香水こうずいを注ぎかけること)の日は奈良にて爰(ここ)かしこ詣侍(もうで・はべ)

るに、鹿の子を産を見て、此日(このひ)におゐ(い)てかしければ、


★ 灌仏の日に生れあふ鹿の子哉(かな)


   

 

 季節の俳句・短歌                                     選者 :  星野支折  里中響子
                          小林一茶/2句           wpe75.jpg (13885 バイト)

                         小林一茶は・・・
                       
                        信濃国柏原で中農の子として生まれた。15歳の時に奉公のために江

                        戸へ出て、やがて俳諧と出会い、<一茶調> と呼ばれる独自の俳風

                        を確立して、松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ、江戸時代を代表する俳諧師

                        の1人となった。                             


  
寝た犬に ふわとかぶさる 一葉かな 
(一茶)
                                                                                         (ひ と は)

                                 wpe75.jpg (13885 バイト)     wpe75.jpg (13885 バイト)      
                                           

「眠っている犬に...大きな枯れ葉でしょうか...ふわっと被さる情景

が...限りない優しさにあふれています。

 私も、これから一茶について研究して行くわけですが...この優しさは、

一茶独特の、小さきものに対する、優しい境涯なのでしょうか...」 

 

猫の子の ちょいとおさえる 木の葉かな (一茶) 

                                                                 wpe75.jpg (13885 バイト)              wpe75.jpg (13885 バイト)                         

「子猫が、舞い落ちてきた木の葉でしょうか...それをチョイと押さえる

可愛いしぐさは、昔も今も変わらないのでしょうか。そうした情景を、一茶

の鋭い感性が、活写している一句です」 


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                                                                                                                                                 小林一茶       (ネットより画像借用)