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 万能型
 
    
防護力






 脱・戦争ゴッコ

 
脱・経済ゴッコ

 
脱・覇権ゴッコ

 



物理的
 
   
専守防衛


 






    


   〔人間の巣のパラダイム〕

 
未来型/半地下都市・・・自給自足社会の展開


〔人間の巣/未来型都市/千年都市〕極楽浄土インフラ〕

        の・・・世界展開/ポスト民主主義社会の器!  

 

★ 日本の社会インフラの再構築・・・

         激烈化する気候変動/豪雨・豪雪・熱波・寒波・  

         地震・火山災害から・・・国民を完全防御

★ 対核シェルター以上の・・・

           戦争ゴッコへの対応 感染症パンデミックへの対応

          万能型・防御力/地球近傍天体の衝突への対応!

★ 気候変動への長期的対応・・・世界中で可能な・・・

             脱・冷暖房社会! 脱・車社会への対応!

        人口爆発への対応!

        コンパクト・分化・多様性・・・

        スローフード・スローライフ社会への・・・回帰


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 10月 31日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
      
即位礼正殿の儀  即位の礼 ・・・前を行き、捧げ持つのが、草薙剣/天叢雲剣    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(219)

【支折の言葉・・・9/9 】


…この熱田神宮御神体ですか。天皇の元には、ないのですか?」

「うーん…」支折が、うなづいた。「ええと…

その事については、も疑問に思い、調べた事があります、」

「さすがは…」高杉が言った。「支折さんですねえ…

一度、その説明を聞いて置きたいですねえ、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                 三種の神器                           (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(218)

【支折の言葉・・・9/8 】


「うーむ…」高杉が、三種の神器画像を見つめた。「<三種の神器(さんしゅの・じんぎ)・・・

八咫鏡(やたの・かがみ)・草薙剣/天叢雲剣(くさなぎの・つるぎ/あめの・むらくもの・つるぎ・八尺瓊勾

(やさかにの・まがたま) の内の…

<草薙剣/雨叢雲剣> が…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                    氷上姉子神社 (ひかみ・あねご・じんじゃ)     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(217)

【支折の言葉・・・9/7 】


1893年(明治26年)までは、尾張造(おわりづくり)と呼ばれる独特建築様式でした。ここの

境外摂社(けいがい・せっしゃ/・・・摂社とは、本社に縁故の深い神を祀った神社。本社と末社の中間に位し、本社の境

内にある境内社と、境外にある境外社(/境外摂社)がある。)の、氷上姉子神社(ひかみ・あねご・じんじゃ/名古屋

市緑区大高町火上山にある神社)に、その尾張造建築様式が残っている、と言うことです。

ちなみに…

熱田神宮初詣には、毎年200万人以上と言われます、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
二位尼/・・・平時子・従二位/平清盛の正室が、安徳天皇を抱いて、壇ノ浦で入水・・・草薙剣も遺失  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(216)

【支折の言葉・・・9/6 】


(まつ)る神社として知られています。

そして、この剣は…

鎮座の後も、<盗難/・・・草薙剣盗難事件> にあったり、<形代(かたしろ/神霊が依憑く(よ

りつく)、依代(よりしろ)の一種)が・・・壇ノ浦の戦いで遺失する> などの、受難にみまわれてい

ます。

あと、ええと…

熱田神宮建物は、伊勢神宮と同じ神明造(しんめいづくり)ですが…



 10月 30日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                 三種の神器                           (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(215)

【支折の言葉・・・9/5 】


ええ…

お社(おやしろ)は、名古屋市南部熱田台地南端鎮座します。古くは、伊勢湾突出し

た岬上位置していたと言いますが、周辺の干拓が進んだ現在、その面影は見られない

と言います。

熱田神宮は…

<三種の神器(さんしゅの・じんぎ/日本神話において、天孫降臨(てんそん・こうりん)の際にアマテラス(天照大神)

がニニギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)に授けた、三種類の宝器)1つである <草薙剣(くさなぎの・つるぎ)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                   熱田神宮                                   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(214)

【支折の言葉・・・9/4 】


もっとも…

東海道を通って、熱田神宮素通りする事はないですね。この神社は、ご存知の様に、

古屋市熱田区にある神社です。

旧社格(/社格とは、神社の格式。近代社格制度とは、明治維新の後、延喜式(えんぎしき/平安時代中期に編纂され

た格式/律令の施行細則で、三代格式の1つ。)による社格にならって、新たに作られた社格制度。第二次世界大戦後に、

GHQ (連合国軍最高司令官総司令部) による神道指令によって廃止された。 )は…

官幣大社(かんぺいたいしゃ/官(朝廷、国)から幣帛(へいはく/神道の祭祀において神に奉献する、神饌以外のもの

の総称)ないし、幣帛料を支弁される神社。)であり、現在神社本庁別表神社となっています。

<宮中の・・・四方拝(しほうはい/毎年1月1日(元日)の早朝、宮中で天皇が天地四方の神祇を拝する儀式。 四

方を拝し、年災消滅、五穀豊穣を祈る宮中祭祀。)で遥拝(ようはい/遠く、へだたった所から拝むこと。)される一社

…と言うことですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                   伊良古崎                            (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(213)

【支折の言葉・・・9/3 】


それは、俳人/芭蕉としての、哲学だったのでしょうか。本来、関西人である芭蕉にとって、

この辺りは地元とも言えるわけです。伊良湖岬も、一度、見て置きたかったのでしょうか。

さて…

<熱田神宮(あつた・じんぐう)ですが…

芭蕉は、3年前野ざらし紀行 でも立ち寄っています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                  芭蕉が戻ったコース     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(212)

【支折の言葉・・・9/2 】


1里(/=三六町=3.93㎞)は、約4kmですから100km程ですね。

芭蕉は、現代風に見れば、わざわざ戻った様に見えますが、目的地があいまいな紀行

あり、旅好き芭蕉ですから、放浪しながら、ちょっと戻った程度の事だったのでしょうか。

どっちにしろ、門人/知足の館宿所とし、方々見学していたわけです。

それよりも…

(とが)を受けた、門人/杜国に会っておく事の方が、よほど大事だった様に推測します。



 10月 29日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(211)

【支折の言葉・・・9/1 】


「ええ…」支折が言った。「熱田神宮(あつた・じんぐう/愛知県名古屋市熱田区にある神社。主祭神は、熱田大

神で、三種の神器の1つ・草薙神剣(くさなぎのみつるぎ、草薙剣・天叢雲剣)を神体とする天照大神を指すとしている。)

すね

芭蕉は…

伊良湖崎から、<鳴海村の庄屋・・・蕉門/下里知足の館> まで戻り、そこから

の方へ、紀行を進めたわけですね。

杜国のいる渥美半島保美は、まさに道を戻った事になるわけですね。25里戻ったとあり

ますが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                   『東海道五拾三次・・・箱根 湖水図』/歌川広重     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(210)

【 現代語訳・・・9/2 】


<蓬左の人々/・・・名古屋の人々 に迎えられて、しばらく休息していた時、


★ 箱根こす 人も有らし 今朝の雪


     今朝の雪は・・・

         たいへんな降り方だ・・・

             こんな雪の中を・・・

                 箱根越えの人々もいることだろう・・・

               私の方は・・・

                   あたたかな土地の人々の歓迎を受けている・・・

                       有り難いことだ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
日本神話 三種の神器  天叢雲剣(あめの・むらくもの・つるぎ)/草薙剣(くさなぎの・つるぎ)模造刀 (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(209)

【 現代語訳・・・9/1 】


熱田神宮は修復中だった。


★ 磨(とぎ)なをす 鏡も清(きよ)し 雪の花


     熱田神宮の社殿は・・・

         きれいに整えられ・・・

             磨ぎなおした鏡も・・・

           さらに清らかに・・・

               折から・・・

                   花のような雪がふりしきる・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                   熱田神宮                                   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(208)

【 原文・・・9/1 】


熱田御修復


★ 磨(とぎ)なをす鏡も清(きよ)し雪の花


蓬左(ほうさ/・・・熱田神宮を蓬莱
(ほうらい) 宮と称したところから、それに向かって左、すなわち北の一帯。熱田から名

古屋城のある辺りにかけての地域をさす。 )の人々にむかひとられてしばらく休息する程、


★ 箱根こす人も有(ある)らし今朝の雪

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
       
                                                                             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(207)

【支折の言葉・・・8/13 】


<備長炭(びんちょうたん/狭義には、姥目樫(うばめがし)の炭のみを備長炭と呼びますが、広義において樫全般、

青樫等を使用した炭を指します。) とか…」

「はは…」高杉が言った。「そうですねえ、」

「ええと…」支折が、モニターを流した。「それから、芭蕉は…


★ 鷹(たか)一つ 見付てうれし いらご崎  (芭蕉)


…と詠んでいますが、を仰いでいる芭蕉の心が、まるで乗り移る様な光景ですね、」



 10月 28日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                   本蛤碁石                                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(206)

【支折の言葉・・・8/12 】


…有りそうなものですがねえ。

まあ、昔の人コレと決めた事です。貝殻があるのは、伊良湖崎だけではないでしょうが、

<いらご白が・・・良い品/名産> とした、わけですねえ。現在は、<宮崎県/日向の

特産> とも聞きますが、」

「はい…」支折が、微笑してうなづいた。「<日高昆布(/北海道の地域ブランド。日高地方が主産地。)

だとか、<関サバ(せきさば/豊予海峡(ほうよかいきょう)で漁獲され、大分県大分市の佐賀関で水揚げされる

サバ。関アジとともに、水産品の高級ブランドとして知られ、地域団体商標も取得している。)だとか…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                 
世界が認める碁石の最高峰。 宮崎にだけ残る「ハマグリ碁石」   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(205)

【支折の言葉・・・8/11 】


…知ったのですが、こっちは貝殻/炭酸カルシウムだったのですかあ。

でも白石は、伊良湖崎名産だった様ですよね。良質碁石/白石は、よほど真っ白

ったのでしょうか?」

「うーむ…」高杉が、を傾げた。「他に上質な、面白い白石というのも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                  熊野那智大社と、那智の滝                          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(204)

【支折の言葉・・・8/10 】


<新生代/新第三紀/中新世の・・・熊野層群の地層> からから採取される、黒石

そうです。那智は、熊野那智大社や、那智の滝などから来ていますよね。この黒石は、

の他に、庭園用玉石としても用いられています。

うーん…

その折に…

は、<碁石の白石は・・・いらご白> と…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                   囲碁                              (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(203)

【支折の言葉・・・8/9 】


…あ、これは、黒飴(くろあめ/黒飴那智黒・・・明治10年創業の、和歌山県を代表する観光土産)のことではな

く、碁石ですが…これは、硬質粘板岩ですよね、」

“那智黒”は…」高杉が言った。「も、聞いた事がありますねえ。囲碁はやりませんが、」

は…」支折が言った。「何かの折に、調べた事があるのですが…



 10月 27日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                   那智黒石工房/仮谷梅管堂                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(202)

【支折の言葉・・・8/8 】


旅立ちだったのです。

彼女達は、次の出会いでは、もう笑っているのかも知れませんねえ、」

「はい…」支折が、ユックリとうなづいた。「ええ、を進めます…

芭蕉は…

<碁石の白石・・・いらご白> について話していますね。うーん…これは、ハマグリなど

貝殻の白だったわけですか。

碁石黒石は…

<那智黒石(なちくろいし/三重県熊野市神川町で産出される粘板岩の一種)・・・那智黒(なちぐろ) とか言

いますが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
       
                   蝉(せみ)                    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(201)

【支折の言葉・・・8/7 】


それは…

が、から這い出して羽化し、緑の世界にまっしぐらに飛び立つ時と同じです。もそう

ですね。にとっても、まさに巣立ちの時がそうです。子亀が、海岸から海に入る時がそう

です。

およそ、全ての生物体を受け、危険感動大冒険に出、そして死んで行くわけ

です。それが、生きているとう事ですから、遊女たちも覚悟の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
       
                   当時の地図                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(200)

【支折の言葉・・・8/6 】


…この辺りの街道にも、60年周期伊勢参宮人々が、まさに湧き出ていた様ですねえ。

芭蕉は…

その人々に付いて行けと言っています。彼女達も、それを覚悟伊勢参宮であり、芭蕉達

同様に、<一期一会・・・/ 一生に一度の ・・・人生の大冒険の旅の途上・・・> だっ

たわけです。彼女達の、一生語り草です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
        『 奥の細道画巻・・・市振の宿/元禄2年7月12日 』 (与謝蕪村・・・逸翁美術館所蔵)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(199)

【支折の言葉・・・8/5 】


…そうかと言って、人情に引きずられ、<俳諧の大遠征/・・・奥州・越後路の大冒険>

を、変更するわけにも行きませんよね、」

「うーむ…」高杉が、うなづいた。「そうですねえ…

遊女2人も、糸の切れた凧(たこ)のような心細さだったでしょう。しかし、芭蕉口振りでは


 10月 26日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(198)

【支折の言葉・・・8/4 】


…冷たく断っています。


「我々は所々にてとゞまる方(かた)おほし。 只(ただ)人の行(ゆく)にまかせて行べし。 神

明の加護かならず恙(つつが)なかるべしと云(いい)捨て出でつゝ、 哀(あわれ)さしばらくや

まざりけらし。


★ 一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩(はぎ)と月  (芭蕉)


…と、冷たく突き放していますが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
        『 奥の細道画巻・・・市振の宿/元禄2年7月12日 』 (与謝蕪村・・・逸翁美術館所蔵)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(197)

【支折の言葉・・・8/3 】


深く愛したわけですね。江戸/深川芭蕉庵に、しばらくとどまると、またそぞろ、ふつ

ふつと、旅心が湧き立って来た様です。ともかく、健脚ですよね。

そうした芭蕉ですから…

杜国との別れも、特殊ではあっても、<一期一会の・・・死生観・・・> では、日常的

している、別れとも言えます。

後の、大紀行

奥の細道・・・/一振の関 で…

芭蕉2人遊女に、お伊勢参り(/60年周期の大ブームで、街道は人で溢れたようです。)同道

されますが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
                                                         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(196)

【支折の言葉・・・8/2 】


杜国を残しつつも、芭蕉の視線は伊良湖岬風物に注がれています。

を好む、芭蕉は…

幾度も、人々の厚い人情に触れ、また <一期一会の・・・出会いと別れ・・・> を、くり返

して来たわけですね。

苦しいものとは言いますが、芭蕉はそれを、<風流・・・風狂> として…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(195)

【支折の言葉・・・8/1 】


芭蕉は…」支折が言った。「保美に…

追放処分となっている杜国を尋ねた後、伊良古崎/渥美半島西端の伊良湖(いらご)に、

を伸ばしています。

あれこれと…

杜国の事を触れていないのは、芭蕉(りん)とした精神性が、伺(うかが)えるのではない

でしょうか。



 10月 25日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
       
                                                                             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(194)

【 現代語訳・・・8/3 】


★ 鷹一つ 見付てうれし いらご崎


     ここ、伊良古崎に・・・

         鷹が一羽、飛んでいるのを見つけた・・・

             万葉の昔の、情緒もしのばれ、嬉しくなってしまう・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(193)

【 現代語訳・・・8/2 】


骨山(こつざん)という丘は鷹を捕るところだ。南の海の果てで、鷹が日本に渡ってきてはじめ

て上陸する所という。いらご鷹など哥(/歌)にも詠まれていたなあと思えば、いっそう趣(おも

むき)深く思うその時、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                   伊良古崎                            (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(192)

【 現代語訳・・・8/1 】


保美村から伊良古崎までは一里ほどもあるだろうか。三河の国から地続きで、伊勢とは海

をへだてているが、どういうわけだろうか、万葉集 には伊勢の名所にうちに選び入れら

れている。

この岬で碁石(ごいし)を拾う。世にいらご白といわれるものだろうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
       
                                                                             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(191)

【原文・・・8/2】


南の海のはてにて、鷹のはじめて渡る所といへり。いらご鷹など哥(/歌)にもよめりけ

りとおもへば、猶(なお)あはれなる折ふし、


★ 鷹一つ見付てうれしいらご崎


岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
           かつて田原市/角上楼にあった碁石 「伊良湖白」 ・・・東愛知新聞      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(190)

【原文・・・8/1】


<・・・伊良古崎・熱田・・・>


保美村より伊良古崎へ壱里斗
(いちりと → いちりほど?)も有(ある)べし。三河の国の地つゞき

にて、伊勢とは海へだてたる所なれども、いかなる故にか 万葉集 には伊勢の名

所の内に撰入られたり。この洲崎にて碁石を拾ふ。世にいらご白といふとかや。骨山

(こつざん)と伝(いう)は鷹(たか)を打処(うつところ)なり。



 10月 24日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(189)

【支折の言葉・・・7/37 】


を通し、面会する許可状を書いてもらったというのが、妥当でしょうか。それを持って、

芭蕉保美へ赴いたのでしょうか、」

「まあ…」高杉が言った。「そうですねえ…

当時の人ですから、経験値から、当然、そのぐらいの知恵は働くでしょうねえ、」

「はい…」支折が、大きくうなづいた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
        
北条政子/・・・尼将軍の異名を取り、夫・源頼朝亡き後の、鎌倉幕府の実権を握った。 (/ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(188)

【支折の言葉・・・7/36 】


でも、奥の細道 は、元禄2年3月27日~9月6日の事でした。芭蕉46歳の時です。

ところで…

この時代に、追放処分になった咎人(とがにん)/杜国(とこく)に会いにいくのに、ただフラリ

会いに行って、会えるものでしょうか?

ここは、やはり…

名古屋蕉門/越人が、俳諧の筋から役人に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
           <源平の合戦/・・・治承・寿永の乱 (じしょう・じゅえいの・らん)>  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(187)

【支折の言葉・・・7/35 】


「そして…」支折が言った。「平安時代・末期は…

<源平の合戦/・・・治承・寿永の乱 (じしょう・じゅえいのらん) があり…

<西行法師> 奥州/平泉に入り…<鎌倉幕府が・・・開闢(かいびゃく) して…

さらに、<後鳥羽上皇> や、<藤原定家> たちが、新古今和歌集編纂した時代

でもありますよね。

でも…

ここは…

江戸時代・初期

元禄時代/<元禄文化の時代>

というより…

そのちょっと前、まだ元禄には、入っていないわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
     
                                          道元禅師              (/ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(186)

【支折の言葉・・・7/34 】


「うーむ…」高杉が言った。「激動鎌倉時代ですねえ。

この時代は…

<道元禅師> 入宋(にっそう)し…

帰朝してから、正法眼蔵執筆していた時代です。にとっても、非常に思い入れのあ

時代です。

<鎌倉・新仏教の勃興した時代で・・・

浄土教や、日蓮宗の外に・・・禅宗が、日本に移入された時代・・・> ですねえ、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                                                    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(185)

【支折の言葉・・・7/33 】


…(国宝)記録によると…

文暦2年(1235年)春頃に、摂政・九条道家後鳥羽院順徳院還京(かんきょう/京に還る)

提案しました。鎌倉幕府は、<承久の乱> の時の2代執権/北条義時から、第3代執

権/北条泰時(やすとき)になっていましたが、受け入れませんでした。

延応元年(1239年)2月20日

後鳥羽院は、配所/隠岐島にて崩御しています。享年(きょうねん)60…という事です」



 10月 23日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                  小倉百人一首・・・100番/順徳天皇    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(184)

【支折の言葉・・・7/32 】


伝えられている様です。つまり、そうした間接的意思疎通しかできなかった様ですね。

ええと…

後鳥羽院は、隠岐に流される直前出家して、<法皇(ほうおう) となっています。天皇

譲位すると上皇となり、上皇出家すると <法皇> となります。

明月記(めいげつき/・・・藤原定家の日記。・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
       
                   小倉百人一首・・・99番/後鳥羽院        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(183)

【支折の言葉・・・7/31 】


勝ち組とはいえ、ままならなかった様です。

わずかに…

定家は、小倉百人一首編集で、最後の2首に、後鳥羽院と、順徳院(/後鳥羽院の第3皇

子で、共に <承久の乱> を画策し、こちらは <佐渡へ配流> となっています。)配されています。

それは、隠岐隠棲する後鳥羽院にも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
       
                    隠岐島の後鳥羽上皇          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(182)

【支折の言葉・・・7/30 】


・・・寂蓮の6人が・・・後鳥羽院の院宣(いんぜん/上皇からの命令を受けた院司が、奉書形式で発給する文書。天皇の発

する宣旨に相当する。)により定められた。) は、<承久の乱> 勝ち組/九条家に属し、配流

後鳥羽院とは逆に、出世して行くことになります。

それ以前に、後鳥羽院定家は、の事で意見対立して、互いに譲らず、それから後鳥

羽院は、鎌倉幕府反旗を上げる方に興味が移ったようです。

<承久の乱> は…

後鳥羽院第84代/順徳天皇反旗ですから、本来はクーデターではなく、鎌倉幕府

逆賊になりますよね。でも、この争いはあっけなくケリが付きました。

かつて…

第40代/天武天皇は、実兄/天智天皇崩御後に、近江朝反旗をひるがえし…

<吉野出兵・・・壬申の乱(じんしんのらん) を引き起こしましたが、これはクーデターですね。

でも、それから、天武天皇による日本国造りが始まり、その大事業は、持統天皇が引き

継かれて行きますよね。

ええ、ともかく…

共に、新古今和歌集編纂し…

今は、隠岐隠棲している後鳥羽院とののやり取りは、定家の方にも、空気ピリピリ

るような、鎌倉幕府厳しい監視がしかれ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
       
                   藤原定家                 (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(181)

【支折の言葉・・・7/29 】


当然…

<島流し> ですから、流刑地/隠岐島においても、監視所が置かれ、鎌倉幕府による

々な弾圧があった事は想像されます。

かつて…

<後鳥羽上皇> で…

勅撰和歌集/新古今和歌集編纂(へんさん)した <藤原定家(/源通具・六条有家・藤原定家

・藤原家隆・飛鳥井雅経・ …



 10月 22日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                  隠岐島の後鳥羽上皇                     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(180)

【支折の言葉・・・7/28 】


…残しておき、越人か誰かに手渡していたら、芭蕉にも伝えられたかも知れませんね。

うーん…

それから…

後鳥羽上皇(第82代/後鳥羽天皇・・・高倉天皇の第4皇子で、源平の戦いで、壇ノ浦で入水(じゅすい)した安徳天皇

の異母弟)が…

<承久の乱> に敗れ、<隠岐に・・・配流(はいる)/島流し> にされたケースでは、厳し

い弾圧・格落ちでも、上皇隠岐の人々には愛されていましたよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
       
                                    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(179)

【支折の言葉・・・7/27 】


…どの様な管理になっていたのでしょうか。

ちょっと考えてみたのですが…

あばら屋を、竹垣で囲み・・・小さな畑ぐらいは、与えられていた・・・

…のでしょうか?

そして、当然、それを管理する小役人の家も、に有ったのでしょうか。もし、その小役人

が、杜国俳句を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                   渥美半島伊良湖岬       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(178)

【支折の言葉・・・7/26 】


…その <・・・風流・・・> 伝授する、力量があった、と信じましょうか、」

「はい…」支折が、明るく、うなづいた。「これ以後…

杜国のことは記録に残っていないと言いますが、もし残っていたら、面白かったですよね。

あ…

は違いますが…

追放になった咎人というのは、そもそも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(177)

【支折の言葉・・・7/25 】


空売買(からばいばい/現物の受け渡しをしないで、相場の変動による差益の獲得を目的として行われる取引。)する

ような素地の人ですが、蕉門俳人ですよね。面白い人物だと思います。

空売買については、具体的な事は分かりませんが、大きな穴をあけ、追放処分なるような

事があったのでょうか。

うーん…

でも、芭蕉がわざわざ保美を訪ねたことにより、杜国 <・・・開眼(/真髄を悟り、極致を窮めるこ

と)・・・> しているのではないでしょうか?」

「そうですねえ…」高杉が、うなづいた。「芭蕉には…



 10月 21日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
       
                   米相塲早見本五種一括綴      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(176)

【支折の言葉・・・7/24 】


詮索しているわけですが…

それは…

<・・・甘く・・・悲しくもあり・・・無心の境地・・・> と、いった所でしょうか。

<・・・それもまた・・・風流・・・> ということが、芭蕉に接し杜国会得していたとしたら、

しいですねえ、」

「うーん…」支折も、を当てた。「米相場(こめそうば/江戸時代における米の先物相場。現代まで続

いている。)に、手を出し…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
       
                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(175)

【支折の言葉・・・7/23 】


芭蕉の…

<・・・生死(しょうじ)・・・咎(とが)・・・>、そして <・・・ 一期一会(いちごいちえ)の・・・死生観

ししょうかん)・・・> とは…どの様なものだったのでしょうか。

その辺りを、是非、高杉・塾長に、お聞きたい所ですわ、」

「うーむ…」高杉が、を当てた。「<芭蕉の・・・域・・・> に、到達していない者が、

あれこれと…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(174)

【支折の言葉・・・7/22 】


芭蕉に、迷いは無かったと思います。


★ 古池や 蛙飛び込む 水の音  (芭蕉)


…ので、芭蕉がいわゆる <・・・芭蕉・・・> になって2年後であり、<俳聖/芭蕉>

は、自信が漲(みなぎ)っていたと思います。そして、あえて、咎人(とがにん/罪人)/杜国にも、

会いに行ったのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                  芭蕉が戻ったコース     (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(173)

【支折の言葉・・・7/21 】


鳴海より25里引きかえし伊良湖岬(いらご・みさき)まで行っているわけですから、江戸を立つ

時に、すでに計画していた様ですね。

芭蕉東海道風物堪能(たんのう/十分に味わい、満足すること)しながらも、時には追放となっ

門人/杜国(とこく)のことも、考えたと思われます。さて、どう接したものかと考えたでしょ

うが…


 10月 20日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
東海道53次・・・吉田宿/歌川広重  芭蕉は、<・・・其夜吉田に泊まる> と記しています。   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(172)

【支折の言葉・・・7/20 】


…と言いますが、悪事を出してしまった門人/弟子でも、そうなのでしょうか?

杜国は、芭蕉にことに愛されたと言いますが、俳聖/芭蕉は、彼をむやみに愛したわけで

はないですよね。

それは、杜国という人格と、(とが/罰されるべき行為。罪)を受けた門人への、愛惜(あいせき/名

残惜しく思うこと)の情でしょうか?

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                伊良子岬にある 「鷹一つ・・」 の句碑/牛久市森田武さん  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(171)

【支折の言葉・・・7/19 】


空売買にかかわり、罰せられています。所領没収され、追放されています。

最初は、三河畠村追放されていましたが、後に保美に移されています。こうした消息を、

芭蕉は同じ名古屋門人の、<越人(えつじん)/越智越人(おち・えつじん/・・・この紀行の帰路の、

更科紀行 で同行しています。) に尋ねています。

不肖(ふしょう/未熟で劣ること)の子ほど可愛い

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
       
                                                                             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(170)

【支折の言葉・・・7/18 】


・・・其夜吉田に泊まる。>


…とある所です。

三川の国/保美という所にいる、<杜国(とこく)/坪井杜国(つぼい・とこく) を尋ねている

わけですね。

杜国名古屋門人であり、米商人でした。

ところが…

貞享2年(1685年/…芭蕉が 笈の小文 の紀行に出発する2年前 ) に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                                           (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(169)

【支折の言葉・・・7/17 】


…私の方も脱線し過ぎているかも知れません。

あ、次に進む前に、もう1つ考察して置くことがあります。それは、<原文> で…


<三川の国保美といふ処に、杜国がしのびて有けるをとぶらはをと、まづ越人に消息

して、鳴海より後ざまに二十五里尋かへりて、・・・



 10月 19日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                              (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(168)

【支折の言葉・・・7/16 】


…などを催したのでしょうか。集うのは、庶民有力者だけではなく、武家も含めての事で

す。身分制社会では、武家有力者であり、インテリ層だったわけです。

さて、を進めましょうか…

笈の小文 では、芭蕉がなかなか、紀行本題に入って行かないので…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(167)

【支折の言葉・・・7/15 】


性急な社会ではありません。全てが、緩やかに流れています。

<情報は人への・・・言づけ/文づけ、で伝わり・・・身の安全では、旅は道連れ、とい

う世の中・・・>…だったわけです。

ともかく…

首を長くして、待ちに待った

<蕉風/蕉門の・・・松尾芭蕉の到着> で、歓迎幾度 <連歌の会>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                近江商人の旅姿               (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(166)

【支折の言葉・・・7/14 】


あ、すみません。また余計な事を言ってしまいました。ええと、戻ります。

芭蕉は…

その一方で…

今評判の、<蕉風/蕉門の・・・松尾芭蕉> が、鳴海/知足の館逗留する事は、

触れで、近隣俳人・文化人には広く伝わっていたのでしょう。そこに、芭蕉が乗り込んで

行くわけです。

野ざらし紀行 とは違い、笈の小文 は、堂々自信東海道でした。でも、何度も言

いますが、現代のように…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                               庶民の旅姿        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(165)

【支折の言葉・・・7/13 】


を戻します…

単に、お金があるからと言って…

当時は、大金を持ち歩くのは、重くて難儀な事でした。また、盗賊に狙われることにもなり、

危険です。それ故に、芭蕉のような僧衣での身軽な旅こそ、最も安全でもあったわけです

ね。

あ、それから…

庶民でも、小刀一本、腰に付けていたようですね。これは武器にもなり、色々と便利

にもなります。流れ者ヤクザなどは、長ドスなどとも呼んだ様ですね。そして、武士は、

太刀小刀2本差しが決まりでした。うーん、それだけで、かなり重かったわけですね。



 10月 18日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                              玄奘三蔵               (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(164)

【支折の言葉・・・7/12 】


似ていますねえ、」

天竺ですかあ…」支折が、を仰いだ。「西遊記世界ですね?」

「まあ…」高杉が言った。「西遊記モデルの…

<玄奘三蔵> チベットを超えたのは、唐時代です。栄西禅師の場合は、数百年後

時代ですからねえ。

それでも…

チベット越えにしろ、海路にしろ、莫大な金がかかるわけで、容易ではありません。芭蕉

ヒッチハイクとは、スケールが違いますね」

「はい…」支折が、コクリとうなづいた。「ええ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                              西行法師                (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(163)

【支折の言葉・・・7/11 】


人跡未踏大冒険評価されているわけです。

芭蕉は、西行法師足跡をたどって、奥州/平泉到達したわけですが…

西行の場合は、僧侶として寺社拠点としていました。また鎌倉で、頼朝鎌倉御所

されたように、元・北面武士歌人として、狭い貴族社会での有名人でした。そして平泉

には、親戚筋藤原氏繁栄を誇っていたわけですよね。

それに比べて…

芭蕉曾良の場合は、<庶民レベルの・・・ヒッチハイク/無銭旅行の・・・大冒険>

ったわけです。芭蕉は、蝦夷地(えぞち)/北海道までも足を伸ばそうとしましたが、それは

しています」

「うーむ…」高杉が言った。「鎌倉時代・初期に…

栄西禅師入宋(にっそう)した折に、はるか ”天竺(てんじく)/インド/・・・釈尊の誕生の地”

まで、を伸ばそうとして、それを断念したのと…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                               芭蕉と曾良                       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(162)

【支折の言葉・・・7/10 】


うーん…

でも、門人知己の少ない 奥の細道紀行では、こうした路銀集めに、芭蕉難儀

ていた様子ですよね。知己を訪ね、紹介状をもらい、あるいは曽良親戚筋を訪ねたりし

て、路銀工面しています。

それ故に、<奥州への・・・風雅・風流の旅・・・> は、まさに文学史上でも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                            (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(161)

【支折の言葉・・・7/9 】


芭蕉も、裕福門人に頼るだけではなく、連歌の会を催し、そこで多少旅費を集めたわ

けですよね。そうした俳諧師/宗匠仕事にも、その礼金にはおのずと相場と言うものが

ありました。

でも、<蕉風/蕉門の・・・松尾芭蕉> ともなれば、当然、一目置かれていた存在だと思

います。



 10月 17日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                           与謝蕪村の絵  画家で俳人/芭蕉より、72年後の人  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(160)

【支折の言葉・・・7/8 】


江戸時代・初期/元禄の頃は…

現代の様に、新幹線格安航空機で一気に到着し、1泊して次の目的地旅立つという

様な、性急な旅ではありません。

また、お伊勢参りは、食料持参大移動だったのでしょうか。この辺りは、知識不足して

います。

一方、この時代に…

漂泊した、絵師俳人は…

土地有力者の館に逗留して、旅の疲れを癒(いや)しつつ、を書いて回って小銭

稼ぎつつ、その土地風物堪能し、旅立つ時には、多少の路銀世話してもらうという、

ですね。もっとも、こうした人々出現したのは、芭蕉の時代・以降かもしれませんね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
  
 東海道/鳴海宿・・・鳴海 名物有松絞  『東海道五十三次 /歌川広重・・・復刻版浮世絵』   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(159)

【支折の言葉・・・7/7 】


「うむ…」高杉が、大きくうなづいた。

「ええと…」支折が言った。「を戻しますが…

芭蕉は、<鳴海の門人/知足の館> 足場として、しばらく逗留したという事でしょうか。

研究者ではないので、資料からではなく、その時代を、知識を寄せ集め、想像してみま

す。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              歌川広重 「伊勢参宮・宮川の渡し」         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(158)

【支折の言葉・・・7/6 】


「そうです…」支折が言った。「そして…

ようやく訪れた安定した平和の中で、<元禄文化・・・上方を中心とした・・・庶民文化>

花開いたのです。江戸が、文化的にも日本の中心になるには、もうしばらく時間必要

だった様ですね。街道整備されていくのも、非常に緩やかでした。

あ、でも…

奥の細道 で…

芭蕉曾良 <市振の関(いちふりのせき/現・新潟県糸魚川市大字市振) で、“越後の国/新潟

という所の遊女2人” と、隣室になりますよね。彼女達伊勢参宮で、これから一生の思い

お伊勢参り大冒険に出る所です。

市振まで送って来た遊郭老人とも、<親不知(おやしらず)の難所> を超えた市振で別れ

るようで、翌朝、芭蕉曾良に、同道懇願します。でも、芭蕉は断りましたよね。

つまり…

何が言いたいかというと…

この時は、<お蔭参り(おかげまいり)/お伊勢参り> が、60年周期大流行にの年に当

たっていた様で、遊女でも、お蔭参りに行きたいと言えば、それを認めざるを得なかった

うですね。

従って、うーん…

街道も、それなりに整備されていたようですね。北陸道(ほくりくどう/五畿七道の1つで、本州の日本

海側の中部の行政区分。また、古代から近世にかけて、同所を通る幹線道路を指す名称)は、加賀百万石参勤

交代街道ですよね。

ちなみに、この大名行列は…

金沢/加賀百万石城下から…富山湾に見て、越後/直江津まで行き…そこから

の方に右折し、北国街道(ほっこくかいどう/直江津から追分まで。)信濃/善光寺へ向かい…

(おいわけ/中山道・軽井沢追分宿)から、中山道江戸まで下ったわけですね。

 

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                   近松門左衛門/人形浄瑠璃  『けいせい仏の原』 絵入狂言本    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(157)

【支折の言葉・・・7/5 】


変わって来た頃と、例えてもいいかも知れませんね。

<明治維新にも似た・・・元禄文化の明るさとは・・・そういう明るさ> だったとだと、

は思っています。<明治維新は・・・西洋文化と日本文化が融合し・・・独独の明るさ>

がありますよね、」

「うーむ…」高杉が、深くうなづいた。「そして、時代の流れは、非常に緩やかだったという

事ですか、」



<>

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                      徳川家康                      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(156)

【支折の言葉・・・7/4 】


<江戸時代・初期・・・元禄文化> とは…

<日本史の中で・・・長い長い・・・不安定な・・・戦乱の時代・・・> をようやく超えて…

おそらく、初めて

<庶民が・・・安心して暮らせる時代・・・が到来> し、ようやくそれを、実感として享受

し始めた頃、なのでしょうか。

世の中が、<強力な・・・徳川幕府の武断政治で・・・鎮静化・・・> し、泥水がようやく

澄んだ水に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                              <関ヶ原の戦い・・・1600年10月21日>    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(155)

【支折の言葉・・・7/3 】


…それから85年後の、同じ秋に…

芭蕉は、この 笈の小文』 の紀行出発しているわけですね。

この当時は、時代の流れが非常に緩やかでした。そして原野にはまだ、大戦記憶が生

々しく残り、人々口の端にも、この未曽有大戦(おおいくさ)の事が、語り継がれていたで

しょう。

 

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
       
                    <関ヶ原の戦い・・・1600年10月21日>       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(154)

【支折の言葉・・・7/2 】


…まだそれほどに、進んではいなかったのではないでしょうか。

参勤交代/大名行列では、宿所本陣相当に整備されて行っても、庶民の宿とし

ては、その <参勤交代による・・・莫大な浪費/経済の発達・・・> を、待たなければな

らなかったのでしょう。

反面、それで…

大名経済力が削がれ、反乱する力も削がれて行ったわけですね。そして、庶民の中に

も、非常に緩やかに、貨幣経済浸透して行きます。でも、当時の人々は、その一生を、

まれた村の中で過ごすのが、ほとんどでした。

でも…

万葉集防人の歌以外に…

<貴族・僧侶・武士階級が・・・独占していた日本文化・・・> も…

芭蕉の様な人々の出現により、ようやく庶民レベルに降りて来た様ですね。でも、まだまだ、

裕福な庶民独占物でした。それは、芭蕉紀行文学の中にも示されています。蕉門

門人たちも、そのほとんどが裕福有力者たちです。

ええ…

1600年10月21日に…

<関ヶ原の戦い> があり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
  
 東海道/鳴海宿・・・鳴海 名物有松絞  『東海道五十三次 /歌川広重・・・復刻版浮世絵』   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(153)

【支折の言葉・・・7/1 】


「さあ…」支折が言った。「この 笈の小文紀行では…

芭蕉は、鳴海村庄屋/蕉門門人/下里知足の館を、宿としていますよね。芭蕉はここ

拠点として、しばらく逗留したのでしょうか。

江戸時代・初期/元禄の頃では…

まだ、<五街道 (/江戸・日本橋を起点に伸びる、東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道 の5つを指

した陸上幹線道。1601年(慶長6年)に徳川家康が、全国支配のために江戸と各地を結ぶ5つの街道を整備し始めて、2代

将軍/秀忠の代になって、基幹街道に定められた。) 宿場整備も…



 10月 15日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
 
       
                          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(152)

【現代語訳・・・7/3 】


           ふと田の面を見ると・・・

       馬上のわが姿がうつっている・・・

           いかにも寒々として、凍るようだ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                  冬枯れの天津繩手・・・(/牛久市森田武さん撮影)   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(151)

【現代語訳・・・7/2 】


     寒さはかわらないが・・・

         二人で寝る夜は・・・

              一人寝の夜とは違って頼もしい・・・

 

天津縄手は田の中に細道があって、海から吹き上げる風がたいへん寒々した所だ。


★ 冬の日や 馬上に氷る 影法師(かげぼうし/人の影のこと)


     田の中の細い道を・・・

         馬にゆられながら進んでいくと・・・

             風は寒々と吹きすさぶ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
     
 潮音寺境内にある杜国の墓。誰が供えたのか菊の花・・・ (/牛久市森田武さん撮影)   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(150)

【現代語訳・・・7/1 】


三河の国(みかわのくに)保美(ほび)という所に杜国(とこく)がしのんで暮らしているのを訪ねよう

と、まず越人(えつじん/越智越人に手紙を送って鳴海から後ろに二十五里杜国をたずねて戻

って、その夜吉田に泊まる。


★ 寒けれど 二人寝る夜ぞ 頼もしき


岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                              (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(149)

【原文・・・7/1 】


三川の国保美(みかわのくに・ほび/愛知県渥美郡渥美町保美。渥美半島の先端。伊良子崎の手前。)といふ処

に、

杜国(とこく/坪井杜国・・・名古屋の人。米商人。貞享2年(1685年)米の空売買にかかわって罰せられ、所領を没収さ

れ追放される。三河畠村にいたが、後に保美にうつる。芭蕉にことに愛された。)がしのびて有けるをとぶらはを

と、

まづ越人(えつじん/越智越人・・・名古屋の蕉門俳人。蕉門十哲の一人。更級紀行 の旅に同行した。奥の細道

の巻末にも登場する。)に消息して、鳴海より後ざまに二十五里尋かへりて、其(その)夜吉田

(/愛知県豊橋市。東海道の宿駅。渥美半島の付け根。)に泊まる。


★ 寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき


あま津縄手(/天津縄手…豊橋市天津。渥美半島の西岸。)、田の中に細道ありて、海より吹上る風

いと寒き所なり。


★ 冬の日や馬上に氷る影法師


岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(148)

【支折の言葉・・・6/6 】


…かも知れませんよね?」

「ま…」高杉が、(なご)ませた。「研究者は知っているのかも知れませんが、調べて見

のも、面白いかも知れませんねえ、」

「うーん…」支折が、コクリとうなづいた。


 10月 14日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                                                          (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(147)

【支折の言葉・・・6/5 】


/閏3月刊行蛙合(かわずあわせ)で…

ついで、同年/8月に、芭蕉七部集(/俳諧七部集/蕉門の代表的な撰集七部十二冊をまとめたもの)

春の日収録されています。これで、<俳人/芭蕉>名声は、緩やかに全国

に知れ渡って行きます。

これは、笈の小文 紀行出発する、前年の事になります。

従って…

もし、それ以前に、芭蕉西鶴接触がなく…

西鶴の側から、芭蕉に会ったとすれば、この 笈の小文紀行の折だった…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                                    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(146)

【支折の言葉・・・6/4 】


…のかを考えて見るのも、想像をかき立てますね。なにしろ、まだ、写真無い時代ですか

ら、」

「うーん…」支折が、を傾げた。「でも…

芭蕉が、いわゆる <・・・ 芭蕉 ・・・> になったのは…


★ 古池や 蛙飛び込む 水の音    (芭蕉)


…のだったと言われます。

この初出は、貞享3年(1686年)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                       芭蕉         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(145)

【支折の言葉・・・6/3 】


大輪の花ですね。当然、芭蕉は、西鶴とも昵懇(じっこん/親しく打ち解けて、つきあうこと)だったの

でしょうか?」

「うーむ…」高杉が、をやった。「双方が…

江戸時代・初期/元禄文化俳人であり、スーパースターですから、ニアミスで終わった、

ということはあり得ないでしょうねえ。まあ、どんな顔接触していた…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
       
                       井原西鶴             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(144)

【支折の言葉・・・6/2 】


この 笈の小文 では…

東海道の、尾張国/鳴海村庄屋(りしょうや

・・・庄屋名主(なぬし)肝煎(きもいり)は、江戸時代の村役人である地方3役の1つ。郡代・代官のもとで村政を担当した

村の首長。いずれも中世からの伝統を引く語で、庄屋は 「荘(庄)園の屋敷」 、名主は 「中世の名主 (みょうしゅ)」 からきた

語とされています。)

/下里知足(しもざと・ちそく)宿にしています。知足は、松尾芭蕉井原西鶴とも、親し

かった様ですね。

こうした、世話好き有力者/文化人は…

全国的にいて、様々な旅人宿提供していた様です。その代わりに、人の交流から各地

情報収集していました。また、その時代における、文化伝播中継地ともってたわけ

ですね、」

「うーむ…」高杉が、うなづいた。「今風の、インターネットスマホの様なものは、皆無だっ

たわけですねえ、」

「はい…」支折が、うなづいた。「そうですね…

版木で刷った <芭蕉の句集> などは、不定期のものですが、文化情報伝播としては、

もっとも早かった方でしょうか…?

文化の多くは…

各大名江戸への参勤交代によって伝播したと思われますが、それは非常に緩やか

でした。それよりも、格段に速かったのが、旅人を呼び込んで、逗留させることでした。で

も、そうした話は人によってマチマチでした。

その代わりに、印刷物新しい浮世絵などを持ち込めば、高く買い上げてくれたのかも知

れませんね。江戸時代・初期東海道でも、まだそんな状況だったでしょうか…?

話を戻しますが…

井原西鶴は、そもそも俳諧師ですよね。そして、好色一代男好色五人女日本

永代蔵世間胸算用 などを書き、上方における元禄文化の…



 10月 13日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
                       芭蕉         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(143)

【支折の言葉・・・6/1 】


「うーん…」支折が、うなづきながら、微笑んだ。「ようやく…

笈の小文 の、が始まりましたよね。

ここは…

<歌枕(うたまくら/和歌に多く詠み込まれる、名所・旧跡。)の地・・・鳴海> ですか…

<鳴海宿(/・・・愛知県名古屋市緑区)・・・東海道の40番目の宿場> には、<蕉門の俳人

・・・下里知足(しもざと・ちそく/・・・尾張国鳴海村の庄屋。井原西鶴や松尾芭蕉ら多くの俳人・文人と交流。<鳴海

六俳仙の一人>。 現存する井原西鶴の書翰7通のうちの4通は、知足に宛てたもの)がいました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
 松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画 )   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(142)

【現代語訳・・・6/3】


★ 京までは まだ半空や 雪の雲


     京までは・・・

          半分の道のりを来たばかりだ・・・

               空を見上げると遠く・・・

             はるかな旅を暗示するように・・・

                   雪を降らせそうな雲がただよっている・・・


岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                         
 千鳥科/ハジロコチドリ    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(141)

【現代語訳・・・6/2】


もう都とははるかな海を間にへだてているのだ。はるばる旅をしてきたわが身を実感

することよ」


と詠じられたのを、自ら書にお書きになってこの宿に賜わられたことなどを聞かせてくれた

ので

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
   鳴海潟                        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(140)

【現代語訳・・・6/1】


鳴海に泊まって


★ 星崎の 闇を見よとや 啼(なく)千鳥

     星崎・・・

         という地名からも・・・

              闇はぴったりである・・・

           星崎の闇を・・・

                さあ、見ろと言はんばかりに・・・

                     千鳥が啼いている・・・


飛鳥井戸雅章公あすかい・まさあき・こう/・・・蹴鞠(けまり)・書に、すぐれていたが、この宿にお泊りに

なって…


「この鳴海潟まできて、いよいよ都も遠くなった。


 10月 12日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
 松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画 )   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(139)

【原文・・・6/1 】


鳴海(なるみ/名古屋士緑区鳴海町・・・歌枕。千鳥の名所。東海道の宿があった。)にとまりて


★ 星崎の闇を見よとや啼(なく)千鳥


飛鳥井雅章公(あすかい・まさあき・こう/蹴鞠(けまり)・書に、すぐれていた)の此宿にとまらせ給ひて、

「都も遠くなるみがたはるけき海を中にへだて々」

と詠じ給ひけるを、自らかゝせたまひてたまはりけるよしをかたるに、


★ 京まではまだ半空や雪の雲


岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
             
               鎌倉・・・ 阿仏尼の墓 浄光明寺   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(138)

【 支折の言葉・・・5/31 】


…と考えられています」

「うーむ…」高杉が、を引いた。「いつの世にも…

下らない様々な対立はあるものですねえ。まあ、それが、<豊かな波動を生み出し・・・

構造化・進化の糧・・・> になるわけですがね、」

「はい…」支折が、うなづいた。「考察を、進めましょう…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                
藤原定家子孫・冷泉貴実子さん・・・「パリで実家の価値に気付いた」      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(137)

【 支折の言葉・・・5/30 】


風雅和歌集(/南北朝時代の勅撰和歌集。勅撰集としては第 17番目の集。 20巻。) や、阿仏尼と親し

かった京極為兼(きょうごく・ためかね/別名・冷泉為兼)選者を務めた、玉葉和歌集(/ぎょくようわ

かしゅう/鎌倉時代後期の勅撰和歌集である。和歌数約2800首と勅撰和歌集中最大。中世和歌に新風を吹き込んだ京極

派和歌を中核とした和歌集として知られる。) では、入集数多いのですが…

<冷泉家> と対立した <二条家(にじょうけ/五摂家のひとつで公家)選者を務めた時は、

入集数極端少なくなっている、という事です。これは当時の、歌壇政治的対立状況

反映している…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
   
アラ還女性が 「いざ鎌倉!」  息子への愛情と遺産相続の執念を詠み綴った 十六夜日記  (ネットより画像借用)  

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(136)

【 支折の言葉・・・5/29 】


それから、歌論書夜の鶴 があります。また若い頃に書いた うたたね は、例の10

代の失恋顛末(てんまつ)を記した日記という事です。

<阿仏尼> は…

続・古今和歌集(しょく・こきんわかしゅう/鎌倉時代の勅撰集で、二十一代集の第十一番目。全20巻。) 以下

<勅撰和歌集> に、計48首入集しています。

でも、阿仏尼である冷泉為秀(れいぜい・ためひで/冷泉家2代当主参画した…


 10月 11日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
   
<弘安百首> 弘安・・・<2度目の蒙古襲来/・・・弘安の役> のあった頃です。   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(135)

【 支折の言葉・・・5/28 】


ええと、その後…

<阿仏尼>は…

訴訟結果が分かる前に、鎌倉没したというと、京都へ帰った後に没したとのが、

ある様です。

<弘安百首> などに参加し…

関東にある10社(/・・・寺社)に、勝訴を祈願して奉納した、<安嘉門院四条五百首> や、

<安嘉門院四条百首> などもありますね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                   
 藤原定家小倉百人一首 を編集 ・・・藤原為家の父     (ネットより画像借用) 

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(134)

【 支折の言葉・・・5/27 】


女性だった様ですねえ。

俄然(がぜん)十六夜日記 にも、興味が湧いてきました。芭蕉が、秀逸(しゅういつ/他のもの

よりぬきんでて優れていること) <紀行文> としてめているわけですから、是非、読んでみた

いですねえ、」

「はい…」支折が、深くうなづいた。「《 文芸 》考察する事を、検討してみます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
              藤原俊成(ふじわらの・としなり 、しゅんぜい/・・・藤原定家の父       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(133)

【 支折の言葉・・・5/26 】


この時紀行と、鎌倉滞在を記したのが、十六夜日記(いざよいにっき) という事です」

「うーむ…」高杉が言った。「意外でしたねえ…

は、天皇行幸にでも加わった際の、日記ていどに考えていました。<幕府に提訴す

るための・・・鎌倉下り・・・> ですか。

うーむ、インテリ活動的な…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                   
 藤原為家(ふじわらの・ためいえ)・・・/藤原定家の三男   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(132)

【 支折の言葉・・・5/25 】


でもその後も、世俗との関わりを持ち続けました。

30歳頃<藤原為家(ふじわらの・ためいえ/藤原北家御子左流(ふじわら・きたけ・みこひだりりゅう/藤原道

の6男/藤原長家を祖とする、藤原氏の流。<歌道の家> として、4代/藤原俊成5代/藤原定家をはじめとする、歌

壇の中心人物を輩出。また、6代為家を流祖とする、蹴鞠(けまり)の流派。) 藤原定家の三男・・・であり、官位は正二位

・権大納言)

側室となり…

冷泉為相(れいぜい・ためすけ/冷泉家の祖・・・藤原為家の晩年の子。母は十六夜日記 作者として知られる

阿仏尼) らを、産んでいます。

為家没後

播磨国細川荘(/現兵庫県三木市)相続をめぐり、正妻の子/二条為氏と争い、弘安2年

1279年)幕府に訴えるため、鎌倉へ下りました。



 10月 10日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
『十六夜日記写本挿絵 (月影の谷)』   鎌倉下向380年後の江戸前期・万治2年(1659年)刊行  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(131)

【 支折の言葉・・・5/24 】


養女ではなく、実の娘であるとする見解もあります。

彼女略伝では…

桓武平氏・大掾氏流(だいじょうし・りゅう)平維茂(たいらの・これもち)長男である、平繁貞(たいら

の・しげさだ)子孫である、奥山度繁(または養女)

 安嘉門院(あんかもんいん/高倉天皇の皇子・守貞親王後高倉院) の王女。)に仕え、出仕中10代で、

失恋失意から出家決意し、となりました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
阿仏尼 (あぶつに)/・・・後高倉院の皇女・安嘉門院に仕え、四条と名乗った女房   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(130)

【 支折の言葉・・・5/23 】


さあ…

ええと…

<阿仏尼(あぶつに) は…

鎌倉時代中期女流歌人です。

女房名(にょうぼうな/主に平安時代から鎌倉時代にかけて、貴人に出仕する女房が仕える主人や同輩への、便宜のた

めに名乗った通称)は、安嘉門院四条(あんか・もんいんの・しじょう)、または、右衛門佐(うえもんの・すけ)

です。

実父母不明で、奥山度繁(おやま・のりしげ)養女となっています。ただし…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
                       芭蕉         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(129)

【 支折の言葉・・・5/22 】


「まあ…」高杉が言った。「芭蕉は、彼等のことを詳しく知っていた、という事ですからねえ」

はい…」支折が、うなづいた。「<コロナ禍> や、<地球温暖化> 知らなかったでしょ

うが、漢籍(かんせき/中国の書物)日本古典文学には、相当詳しかったわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                     
十六夜日記(いざよいにっき)・・・阿仏尼 (あぶつに)    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(128)

【 支折の言葉・・・5/21 】


ええ、次に…

<阿仏尼(あぶつに) ですが…

<鴨長明>方丈記 と、同程度考察して置きましょうか。元々は、笈の小文

考察をしているわけですが、芭蕉彼等名前を出して来ているので、それに従っている

という事ですね、」



 10月  9日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                           
枕草子 (/清少納言)         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(127)

【 支折の言葉・・・5/20 】


…に、<一丈四方・・・方丈・・・> 小庵をむすび、隠棲しました。

方丈記 は…

そこで当時世間観察し、書き記した記録であり、自ら 方丈記名づけました。

丈記 は、日本中世文学代表的随筆であり、徒然草枕草子 と並ぶ、 <古典日

本・三大随筆> に、数えられています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
         
大岡寺(だいこうじ)   滋賀県/甲賀市/水口町京町にある、天台宗の単立寺院   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(126)

【 支折の言葉・・・5/19 】


神職としての出世を断たれました。

そのため、後鳥羽院“とりなし” にも関わらず、長明近江国甲賀郡/大岡寺(だいこうじ)

出家し、京都東山大原、後に日野に、閑居生活をした、という事ですね。

晩年/長明は…

その、京の郊外/日野山(/日野岳とも表記、京都市伏見区日野)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                       
京都/河合神社(ただすの・やしろ)・・・下鴨神社摂社  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(125)

【 支折の言葉・・・5/18 】


かねてより望んでいた…

河合社(ただすの・やしろ/

・・・下鴨神社の摂社 (せっしゃ/本社に付属し、その祭神と縁故の深い神を祭った神社。本社と末社との間に位し、本社の

境内にあるものを境内摂社、境外にあるものを境外摂社という。) として古くより祀られ、女性守護としての信仰を集めるお

社。ご祭神には神武天皇の母、玉依姫命(タマヨリヒメ)をお祀りし、玉依姫命は玉の様に美しい事から美麗の神としての信

仰も深い。)の…

禰宜欠員が生じたことから、長明就任を望み、後鳥羽院から推挙内意も得て

いました。

うーん、ところが…

賀茂御祖神社・禰宜/鴨祐兼が、長男祐頼を推して強硬反対したことから、長明

希望はかなわず…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(124)

【 支折の言葉・・・5/17 】


説明しようと思いましたが、結局、もう少し説明して置きましょうか。方丈記 を書くこと

になった、経緯ですね、」

「うむ、」高杉が、うなづいた。

「ええ…」支折が、モニターを覗いた。「その経緯ですが…

元久元年(1204年)



 10月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                         
  鴨長明                         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(123)

【 支折の言葉・・・5/16 】


「うむ…」高杉が、アゴを当てた。「<和歌所寄人(わかどころ・よりゅうど)というのは、

にした事が有りますねえ、」

「あ、はい…」支折が、うなづいた。「<和歌所寄人> というのは…

平安時代以後朝廷 <和歌所・・・に置かれた職員> のことです。和歌選定にあ

ずかり、召人(めしうど)と呼ばれました。

<寄人(よりゅうど)は、記録所・御書所などに置かれた職員ですね。この人達は、庶務・

執筆などのことをつかさどりましたが、<和歌所寄人> は、特別に、召人(めしうど)と呼ば

れた様です。

ええと…

鴨長明概略だけを…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
鴨長明 (菊池容斎画、明治時代)   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(122)

【 支折の言葉・・・5/15 】


以降…

石清水宮若宮社歌合正治後度百首新宮撰歌合和歌所撰歌合三体和歌俊成卿

九十賀宴元久詩歌合などに出詠し…

建仁元年(1201年)8月<和歌所寄人(わかどころ・よりゅうど)任命されました」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
   葵祭 (あおいまつり) 京都市の下鴨神社と上賀茂神社で、5月15日に行なわれる例祭。    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(121)

【 支折の言葉・・・5/14 】


…争いましたが、これに敗北してしまいます。

<鴨長明> は…

和歌俊恵(しゅんえ/俊恵法師・・・平安時代末期の僧・歌人/{}小倉百人一首・・・85番/俊恵法師』 ★ よもすがら 

もの思ふころは 明けやらぬ 閨(ねや)のひまさへ つれなかりけり ) 門下として…

そして琵琶を、楽所預(がくしょの・あずかり/唐楽、三韓 (高麗・百済・新羅) 楽を調習する所)中原有安(な

かはらの・ありやす/平安後期~鎌倉時代の雅楽家・歌人)学びました。

<鴨長明> は、歌人として活躍したようで…

歌林苑(かりんえん/ 俊恵(しゅんえ)が自らの白川の僧坊に開いた歌会グループの称。民間の和歌所として <和歌政所

/わか・まんどころ と呼ばれたこともあった。)会衆として、賀茂重保撰月詣和歌集(つきもうで・わ

かしゅう)入撰し、千載和歌集(せんざいわかしゅう/平安時代末期に編纂された <勅撰和歌集>。全二十

巻。『詞花和歌集』の後、『新古今和歌集』の前に撰集され、勅撰和歌集の第七番目に当たる) にも、<詠み人知

らず、として入集されています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
   葵祭 (あおいまつり) 京都市の下鴨神社と上賀茂神社で、5月15日に行なわれる例祭。    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(120)

【 支折の言葉・・・5/13 】


<従五位下に・・・叙爵(じょしゃく/貴族または華族の爵位に叙せられること。 古代・ 中世の日本においては、

貴族として下限の位階であった、従五位下に叙位されること。) されましたが、承安2年(1172年)父・

長継が没した後は、後ろ盾を失っ様です。

安元元年(1175年)

鴨長継の後を継いだ禰宜/鴨祐季と、比叡山/延暦寺との間で土地争いが発生して、

失脚したことから、長明鴨祐兼とその後任を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                       
   下鴨神社              (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(119)

【 支折の言葉・・・5/12 】


鴨長明と言うと…」高杉が言った。「<加茂神社(かも・じんじゃ)関係があるのですか

?」

「はい…」支折が、うなづいた。「まさに…

<加茂御祖神社(かも・みおや・じんじゃ)/下鴨神社(しもがも・じんじゃ/<上賀茂神社は・・・賀茂別雷神社

> 。両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。 両社で催す賀茂祭 <通称・・・葵祭/あおいまつり> は有名です。)

<神事を統率する・・・禰宜(ねぎ)/鴨長継・・・の次男> として、京都で生まれています。

高松院(たかまついん/平安時代後期の・・・第78代/二条天皇の中宮(ちゅうぐう)。鳥羽天皇の皇女。母は美福門院。

36歳で死去しています。)愛護(あいご/可愛がって庇護すること)を受け…

応保元年(1161年)



 10月  7日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
方丈記 (ほうじょうき)・・・鴨長明 』   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(118)

【 支折の言葉・・・5/11 】


歌人であり、随筆家です。

俗名(ぞくみょう/仏門に入る前の名。反対は、戒名(かいみょう)も、鴨長明同じですが、読み方が、“か

かもの・ながあきら” になります。

禰宜(ねぎ/神職の職称(/職名)の1つ。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐す

る者)・鴨長継次男で、<位階は・・・従五位下> ですから、<紀貫之・・・従五位上>

よりは、やや下ですね。法名蓮胤(れんいん)です。」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                          
方丈記 (ほうじょうき)・・・鴨長明 』        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(117)

【 支折の言葉・・・5/10 】


…この芭蕉笈の小文 の次に、考察しようと考えています。

そういうわけで、<鴨長明> についても、ここでは概略だけを述べて置くことにます。

ええ…

あらためて…

<鴨 長明(かもの・ちょうめい/かもの・ながあきら)は、平安時代・末期 ~ 鎌倉時代・前期にか

けての…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                        
徒然草絵巻
  作者/海北友雪(1598~1677年)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(116)

【 支折の言葉・・・5/9 】


…あるのでしょうか。方丈記有名ですが、」

「いや…」高杉が、を傾げた。「方丈記冒頭ぐらいは、読んだことがありますが、そ

の程度です」

「実は…」支折が、微笑した。「も、その程度知識しかありません。

でも…

方丈記徒然草 は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   紀貫之  

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(115)

【 支折の言葉・・・5/8 】


それから、土佐日記著者であることはよく知られていますし、小倉百人一首 にも

収録されています。

従って、日本文学史上において、超有名人ですよね。

次に…

<鴨長明 (かもの・ちょうめい) ですが…

高杉・塾長は、鴨長明については、何か特別な思いと言うものは…



 10月  6日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 ★
久方の ひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花のちるらむ   古今和歌集  小倉百人一首・・・33番/
 
                                                紀友則
  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(114)

【 支折の言葉・・・5/7 】


4人撰集(せんじゅう)し、天皇に奉(たてまつ)っています。

また

<仮名による序文である・・・仮名序(かなじょ/・・・『古今和歌集仮名序』 は、『古今和歌集』 に添えられ

た2篇の序文のうち、仮名で書かれているものの方の名称。通常は単に 『仮名序』 という。執筆者は紀貫之。初めて本格

的に和歌を論じた歌論として知られ、歌学のさきがけとして位置づけられている。)執筆しています。


「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」


…で始まる <仮名序> は、後代日本文学に大きな影響を与えました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
           『古今和歌集・・・巻2/春歌下』
・・・ 『小倉百人一首・・・9番/小野小町』   
(ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(113)

【 支折の言葉・・・5/6 】


貴族であり、歌人です。<官位は・・・従五位上・木工権頭(むくの・ごんのかみ/木工寮(もくり

ょう)は律令制において、宮内省に属する機関。 主に造営、および材木採集をつかさどり、各職工を支配する役所。) 、贈

(ぞう/死後に朝廷から官位をおくること)従二位> です。

つまり、中堅クラス貴族で、ひと財産をつくるには、地方国司として赴任しなければな

りません。土佐日記 は、その土佐国からの、海路での帰路日記ですね。

ええと、それからは…

古今和歌集選者の1人ですね。また、<三十六歌仙(/藤原公任(きんとう) 『三十六人撰』

 に載っている平安時代の和歌の名人36人の総称)・・・の1人> です。

あ…

古今和歌集(/平安時代前期の勅撰和歌集。全二十巻。勅撰和歌集として最初に編纂された。) は…

延喜5年(905年)

第60代/醍醐天皇(だいご・てんのう)による…

の、<勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう/天皇や上皇の命により編纂された歌集) で、<紀友則(き

の・とものり) ・紀貫之(きの・つらゆき)  ・凡河内躬恒(おおし・こうちの・みつね)・壬生忠岑(みぶの・ただ

みね)の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   紀貫之  

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(112)

【 支折の言葉・・・5/5 】


<紀貫之> は…

当/《HomePage/人間原理空間》 で、土佐日記/・・・ジャンプ・・・考察している

ので、その人物像については、かなり詳しく説明されていると思います。従って、ここで

は、概略だけを説明して置きます。

ええ、改めて…

<紀 貫之> は…

平安時代・前期~中期にかけての…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        
 
                         
                       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(111)

【 支折の言葉・・・5/4 】


…とあるわけですね。

この文意については、<原文・・・現代語訳> があるので、あらためて説明する必要

ないですね。

そこで…

まず、<紀貫之 ・ 鴨長明 ・ 阿仏尼> について、いずれも有名文筆家であり歌人です

が、あらためて、簡単説明して置きましょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                         
                (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(110)

【 支折の言葉・・・5/3 】


</=

紀貫之・鴨長明・阿仏尼が文筆をふるい心を尽くしてからというもの、その他はみな内容は

似たもので、それらの粕をばかり嘗めて新しいことは何も無い。まして知恵や才能が無い

ものの筆で何か新しいことが描き出せるわけでもない。>



 10月  5日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                          
山茶花(さざんか/・・・冬の季語    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(109)

【 支折の言葉・・・5/2 】


笈の小文原文が、そうなっているのですから、退屈でも、私達もそれに従います。

まず、<原文/・・・現代語訳> では…

<・・・紀氏・長明・阿仏の尼の、文をふるひ情を尽してより、余は皆俤似かよひて、其

糟粕を改る事あたはず。まして浅智短才の筆に及べくもあらず。>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
     
                                             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(108)

【 支折の言葉・・・5/1 】


「ええ…」支折が言った。「いよいよ、江戸出発していますが…

この、<・・・道の日記・鳴海・吉田・保美・・・> の章に入っても…

<仰、道の日記といふものは・・・/=そもそも、紀行文というものは…>

…という、紀行文<蘊蓄(うんちく/ 十分研究して、たくわえた深い知識)から始まっています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(107)

現代語訳・・・5/4 】


…なんとまあ酔っ払いのざれ言に等しく、寝ている人のうわ言のたぐいと考えて、読者もま

た、いい加減に聞き流してほしい。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
                       芭蕉         (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(106)

現代語訳・・・5/3 】


しかしその所々の風景が心に残り、山や野で旅寝することの苦しい愁いもまた話の種とな

り、自然に親しみ句を詠むよすがともなると考えて、忘れられない所々のことを前後も整え

ず書き集めてみたのだが…



 10月  4日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
       
阿仏尼 (あぶつに)/・・・後高倉院の皇女・安嘉門院に仕え、四条と名乗った女房   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(105)

現代語訳・・・5/2 】


「その日は雨がふり、昼から晴れて、そこに松があり、あっちに何という川が流れてい

る」

などという事は、誰も誰も言いたくなるものだが、表現の新しさ・奇抜さを以って知られた黄

庭堅や蘇東坡の類ででもなければ、言うものではない。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                     
十六夜日記(いざよいにっき)・・・阿仏尼 (あぶつに)    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(104)

現代語訳・・・5/1 】


(仰)そもそも、紀行文というものは、紀貫之・鴨長明・阿仏尼が文筆をふるい心を尽くして

からというもの、その他はみな内容は似たもので、それらの粕をばかり嘗(な)めて新しいこ

とは何も無い。まして知恵や才能が無いものの筆で何か新しいことが描き出せるわけでも

ない。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                          
  方丈記 (ほうじょうき)・・・鴨長明 』      (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(103)

【 原文・・・5/3 】


…猶酔ル者の 【リッシンベン+「孟」】 語にひとしく、いねる人の譫言(・・・うわごと/酔っ払

いの、分けのわからない言い草)するたぐひに見なして人又亡聴(ぼうちょう/聞き流す)せよ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                          
方丈記 (ほうじょうき)・・・鴨長明 』        (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(102)

【 原文・・・5/2 】


…かしこに何と伝(いう)川流れたりなどいふ事、たれゝもいふべく覚侍(おぼえはべ)れども、

黄奇蘇新(こうきそしん/中国宋代の詩人黄庭堅 (こうていけん/号は山谷道人) の詩の奇警さと、蘇軾 (そしょく/東

坡)の詩の斬新さをいう。)のたぐひにあらずは伝事(いうこと)なかれ。

されども其(その)所ゝ(/所々)の風景心に残り、山館野亭(さんかん・やてい/山に泊まり野に伏す旅寝

のこと)のくるしき愁(うれい)も且(しばらく)ははなしの種となり、風雲の便りともおもひなして、

わすれぬ所ゝ(/所々)後や先やと書集(かきあつめ)(はべ)るぞ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
             
小倉百人一首・・・35番/紀貫之  /古今集・・・巻1/春上   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(101)

【 原文・・・5/1 】


<・・・道の日記・鳴海・吉田・保美・・・>


(ぎょう ?)、道の日記(/紀行文)といふものは、紀氏(/紀貫之)・長明(/鴨長明)・阿仏の尼

(あぶつのあま・・・阿仏尼/鎌倉時代中期の女流歌人。『十六夜日記(いざよいにっき) の作者。京都から鎌倉までの道

中をつづる )の、文をふるひ情を尽してより、余は皆(みな)(おもかげ)似かよひて、其(その)

糟粕(そうはく/酒のかす)を改る事あたはず。まして浅智短才(せんち・たんさい/知恵や才能が無いこ

と)の筆に及べくもあらず。其日(そのひ)は雨降(あめふり)、昼より晴て、そこに松有(まつあ

り)・・・



 10月  3日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                          
芭蕉庵                 (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(100)

【支折の言葉・・・4/6 】 


「はい…」支折も、苦笑した。「ええ、を進めます…

ここは、<・・・旅立ち・・・> と言っても、まだまだ、江戸出発しているわけではありませ

んね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              宝井其角                  宝井其角  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(99)

【支折の言葉・・・4/5 】 


<其角亭> は、別邸ではなかったかと、推測したわけです。どうなのでしょうか?」

「さあ…」高杉が、苦笑した。「は…

芭蕉について、支折さんほどと知識はありません。多少、分かるのは、その禅的風景

けです、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                        其角の住居跡/日本橋茅場町1-6-10 (日幸茅場町ビル)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(98)

【支折の言葉・・・4/4 】 


其角は…

<蕉門十哲の中でも・・・第1の門弟> とされていますが…

うーん…

其角は、江戸堀江町(/現町名: 中央区日本橋小舟町、日本橋小網町)で、近江国・膳所藩(おうみこく・ぜ

ぜはん/近江国・滋賀郡・膳所の膳所城(現在の滋賀県大津市)に藩庁を置いた藩。本多家/7万石/譜代大名。近江国

では彦根藩(井伊家)に次ぐ規模)/御殿医(ごてんい/幕府や大名に召しかかえられた医者)/竹下東順長男

として、生まれています。

そして…

其角住居跡は、東京都/中央区/日本橋茅場町に、石碑がある様ですから、深川

木場の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              江戸/深川木場の風景                (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(97)

【支折の言葉・・・4/3 】 


従って、露沾公(ろせんこう)立場も、<句餞別> 納得できます。

それから…

<其角亭> 場所ですが、<芭蕉庵> と同じ、江戸/深川木場にあった様ですね。今

でも、東京都/江東区町名に、深川木場、がありますが、ここにあったのは、宝井其角

別邸という事になるのでしょうか?

 

深川・木場は江戸のウォーターフロント! 絵をよく見ると、張り巡らされた水路に沢山の材木が浮かんでいるのがわかりま
すね。独特の雰囲気です。                                            (ネットより画像借用) 

 

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                                            1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(96)

【支折の言葉・・・4/2 】 


俳諧に親しんだ様です。は、西山宗因・派(にしやま・そういん・は/・・・西山宗因は、本名は西山豊

一。父は加藤清正の家臣/西山次郎左衛門。通称次郎作。)と言われますが、<蕉門(しょうもん/芭蕉の門人、

およびその門流) とも交流があった様です。<蕉風(しょうふう/芭蕉、およびその門流の俳風)/蕉門

に、相当傾倒していた様ですね。

<蕉門/蕉風> については、別途考察します。

それから…

岩城の住人/長太郎が、<其角亭での・・・送別会の亭主> という事ですが、

城平の城主/内藤家家臣の様ですね。



 10月  2日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                              吉野の千本桜             (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(95)

【支折の言葉・・・4/1 】 


「うーん…」支折が、首を傾げた。「ええと…


★ 時は冬 よし野をこめん 旅のつと (/つと・・・は、土産のこと)


この句は…

露沾公(ろせんこう)岩城平(いわきだいら/・・・磐城平藩は、現在の福島県の浜通り南部を治めた藩)の城主

/内藤義泰(俳号; 風虎)次男/義英の、<句餞別(くせんべつ) ですね。

露沾は、天和2年(1682年)に、若くして隠棲し…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(94)

【現代語訳・・・4/4 】


…持ってきて道中を祝してくれ、名残を惜しんだりするのは、それなりに立派な人が出発

するようでもあると、たいそう物々しく思われたことだなあ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                        紙衣(かみころも、かみこ、しえ/和紙を材料とした着物、)   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(93)

【現代語訳・・・4/3 】


…おかげで、そこまで力を入れることもいらなかった。

紙衣(かみころも、かみこ、しえ/和紙を材料とした着物、)・綿子(わたこ/真綿をそのまま縫って作った、防寒衣や、か

ぶり物)などというもの、帽子、足袋(たび)といったものが心ゝ(/心心・・・こころごころの贈り物とし

て集まり、霜や雪の寒さに震える心配も無い。

ある者は…

隅田川に小舟を浮かべ、別荘で送別の宴会を開き、私の草の庵に酒と肴(さかな)を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                    
荘子             (ネットより画像借用)       

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(92)

【現代語訳・・・4/2 】


…これを餞別(せんべつ/・・・句選別)のはじめとして、旧友、親類、門人らが集まり、ある者は

詩歌や文章をもってきて訪ねてくれ、あるいは道中の草鞋代(わらじだい)を包んで志(こころざし)

をあらわしてくれる。

荘子(そうし、そうじ/紀元前369年頃~紀元前286年頃の、中国戦国時代の思想家/道教の始祖の1人)  には…

千里先に旅立つには、三カ月かかって食料を用意せよとあるが、私は周りの人々の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            磐城平藩/維新後に設置された仮藩庁    (ネットより画像借用)    

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(91)

【現代語訳・・・4/1 】


★ 時は冬 よし野をこめん 旅のつと (/つと・・・は、土産のこと)


今は冬ですが・・・

     吉野につく頃には・・・

          すっかり、花/桜の季節でしょう・・・

     吉野で、すばらしい花の句を詠んで・・・

          是非、お土産に持って帰ってください・・・


この句は…

岩城の城主/内藤家の次男/露沾公(ろせんこう)からたまわったものだが…



 10月  1日

岡田健吉‏@zu5kokd1        

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(90)

【原文・・・4/2 】


・・・ 心ゝに送りつどひて、霜雪の寒苦をいとふに心なし。あるは小舟をうかべ、別墅

(べっしょ/しもやしき、別荘)にまうけし、草庵に酒肴携来(さけさかな・たずさえきた)りて行衛(ゆくえ/

行くべき目当ての所)を祝し、名残をおしみなどするこそ、ゆへある人の首途するにも似たり

と、いと物めかしく覚えられけれ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                          
『奥の細道』 ・・・蕉門十哲の、河合曾良を同行
   (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(89)

【原文・・・4/1 】


★ 時は冬 よし野をこめん 旅のつと


此句(このく)は露沾公(ろせんこう/内藤露沾(ないとう・ろせん)・・・江戸時代中期の俳人。磐城平藩主内藤義泰

 (内藤風虎 ) の次男)より下し給(たま)はらせ侍(はべ)りけるを、はなむけの初として、旧友、

親疎(しんそ/関係が親しいか、疎(うと)いかということ)、門人等、あるは詩歌文章をもて訪ひ、或は

草鞋(わらじ)の料を包みて志を見す。かの三月の糧を集に力を入ず。紙布・綿小など

いふもの、帽子・したうづやうのもの・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                              蕉門の高弟/宝井其角(たからい・きかく)  (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(88)

【 支折の言葉・・・3/9 】


★ 又(また)山茶花(さざんか)を宿ゝ(しゅくじゅく)にして/

        そして・・・

             山茶花の咲く各地の宿に・・・・

                   泊まりを重ねましょう・・・


…という <脇句> になる、という事ですかね?」

「そうですね…」支折が、ゆっくりとうなづいた。「今度は…

旅の先々で、蕉門(しょうもん)門人達が、今か今かと、芭蕉到着を待ちわびています。そ

こへ乗り込んでいく、余裕ですよね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                          
山茶花(さざんか/・・・冬の季語    (ネットより画像借用)

《笈の小文/・・・ 芭蕉》・・・(87)

【 支折の言葉・・・3/8 】


これも、徘徊連歌の流れの中で、実際にやってみないと、イメージが湧かないですよね。

ともかく…

ここでは <脇句(わきく)というものを、小耳は挟んでおきましょうか、」

「うーむ…」高杉が、うなづいた。「つまり、こういう事ですか…