AsianVox/阪神大震災 page5 /1995-1-18

 

 

 

ここからは震災翌日、18日に撮影した写真です。

翌朝7時、日が昇ると同時に部屋に戻り、追加の荷物をまとめて、連絡がついた三木市に住む親戚宅に避難することにしました。
待ち合わせ場所はJR「明石」駅前。
愛用の自転車に空気を補充して出発。

 


フラワーロードを加納町交差点から下に下ろうとしたら、昨日まで斜めに傾いていたビルが倒れていました。


向かいのビルには接触していませんでしたが、その間は通れません。迂回しました。

倒れたビルに向かって右に行ったとこにあるホテル。
入り口が無い、と思ったら1Fはつぶれていました。

落ちたビルのガレキ首をへし折られたかんじになってる大型トラック。
キャビンはなんとか大丈夫そうです。


ビルの横にあった木造の古い建物はくずれました。
ガレキの山のようにしか見えなくなっていました。


いたるところでビルがこのようになっているので狭い道路は危険です。
大きな通りをひたすら明石に向かいます。


安全そうな大きな通り(大開通り)を選んで走ります。
ここは自衛隊の車両が集結しています。とても頼りになります。


警察車両も出動してます。
あちこちで救急車や消防車のサイレンをききます。


長田区。明石に行くためにはどうしても通らなければならず、昨日テレビで見た火災をしっているだけに、恐る恐る通過。


クルマが押しつぶされています。
1Fがガレージになっている建物は2Fが落ちてつぶれていることが多かったです。

路地を抜けて海側の2号線に行こうとするも、いろんなものに遮断されてなかなか思うように走れません。

兵庫区、長田区、須磨区のあたりは本当にひどいです。
木造家屋が多かったせいでしょうか。

たぶん家があったであろう空間が痛たましいです。

救急車が止まっています。
鎮火していない建物もいくつかありました。
前に進めないほどつらい状況ですが、空腹もあってかボーっとしてきます。
カメラが非常に重く感じていました。

自転車を押して歩道を歩いていると、熱気さえ伝わってきます。
緊急自動車ばかりが走っています。長田区で被災地最後の写真。

渋滞中の2号線を自転車をこいでやっと大蔵海岸の手前まできました。
まだ建設中の明石海峡大橋が見えます。
どんよりした空からも開放されて地震とその信じられない光景を一瞬、忘れさせてくれる景色でした。
が、空腹がこの事実を実感させてくれます・・・とにかく明石に向かいます。

ここまで自宅から2時間。
ここから約30分後、ようやく明石駅前のさくら銀行に到着し、お金をおろすことができました。親戚の方のクルマもみつけて合流!
いとこのお姉さんがおにぎりを作ってきてくれていました。
このおにぎりのおいしかったこと!約2日ぶりくらいに顔が緩みました。
でもこの惨状にはやはり笑えず、親戚宅に向かう車中では、自分が生きていて本当に良かった、とただそれだけの会話でした。

その後、親戚宅には約2週間ほどお世話になり、しばらく大阪の仕事場まで3〜5時間かけて通いました。
自宅に戻ってからは三宮周辺からでる臨時バスで大阪方面に行くことができる電車の走っている最西端の駅まで乗りました。三宮からのバスの待ち時間1〜2時間、所要時間が2号線、43号線がひどい渋滞ということもあり、片道2、3時間。通勤に半日を要する日も何度かありました。

しばらくは会社に泊まったり、そんな生活が続きます。

>>>>>>