南ロシア・コーカサス・ウクライナのヨーロッパミヤマ

Lucanus cervus of S.Russia,Ukraine

最初に今回もマニアックなミヤマクワガタについての話で、ミヤマ好き以外は全く興味を持てない内容であることを宣言する。 (笑)

ミヤマクワガタの仲間は昔から採集、調査されている甲虫だが近年になっても知られていなかった種が見つかるのには驚かされる。それも魅力的な種ばかりで、ミヤマが好きでやまないミヤマ馬鹿としては素直にとても嬉しく目が離せない状況なのだ。この先どこまで未知種が発見されるのか当分楽しめそうである。
そしてミヤマクワガタの最たる既知種で古くから議論されていたクワガタと言えば、博物学の先進地であったヨーロッパ各地に分布するヨーロッパミヤマの仲間である。唯一大きく強健な甲虫が研究対象となるのは至極当然なことで挙って種名が付けられたのも不思議ではない。時代が進み現代、分布地からは遠いが何故か虫好きの多い本邦においても、ミヤマクワガタ属の中で最も巨大になり、色々とミステリアスな学名が付いているこの仲間が注目されないはずがない。研究者、コレクター、活き虫趣味、昆虫新人類、その他? 方向は問わずこの種のファンはきっと多いと思う。分類や分布に関しては整理されつつあるようだが良く分からない部分も多くヨーロッパミヤマの仲間は、まだまだ興味が尽きることはない。

今から約147年前(1861)日本のミヤマクワガタ Lucanus maculifemoratus Motschulsky, 1861 を命名したロシアの甲虫学者 V.de Motschulsky は、それと前後して南ロシア、コーカサス地方、ウクライナ、クリミヤ半島のヨーロッパミヤマについても幾つかの学名をつけている。先に命名されたものは160年以上前になり何しろ日本が開国していない頃の話で、当然ながらこれらのミヤマについて資料を見ることは難しい。また後にシノニム (同物異名) とされたものもあるが、そのあたりを詳しく書いた文献をまだ見たことがない。
この地域について知りたい思いは以前からあり標本、文献など機会があれば集めていたのだが、その結果時間を要したもののロシアとウクライナの虫屋、研究者から何度か標本を送ってもらうことが出来た。勿論、他の多くのヨーロッパ諸国と同じく、この種は保護されロシアではレッドデーターブックにも載っている。どの様な保護対策がとられているか詳しいことは分からないが、現在の状況として採集は出来るらしく標本を国外へ送ることも許可を受ければ可能だそうだ。送られて来る標本には何枚かのインボイス(許可書)が必ず添付されていた。ウクライナ、南ロシアなどでは森が分断され点在化しているが良い森が残る場所では少なくない様で、ある程度まとまった数が来たところもあった。

これは、南ロシアとコーカサス地域、ウクライナのヨーロッパミヤマについて、幾つかの標本と文献から 外観に関してのみ地域別に比較を試みたものである。標本はある程度の数を見ることが出来た場所もあるがまだ十分とは言えず、この地域全体ともなると到底不可能(笑) 本来は地域ごとに更に多くを見ないことには語れないのだが、無謀にもやってしまうのは何時ものことである。(笑)





ロシア、ウクライナ、コーカサス地方から記載されているヨーロッパミヤマの亜種(型)。

Lucanus cervus tauricus MOTSCHULSKY, 1845 : Crimee
Lucanus cervus maxillaris MOTSCHULSKY 1845 : Crimee, Caucase, Tourcmenie.
Lucanus cervus brevicollis MOTSCHULSKY 1870 : SW European Russia : Voronege.
Lucanus cervus europaeus MOTSCHULSKY 1870 : Kharcov.
Lucanus cervus mediadonta LACROIX, 1978. Georgia : Tiflis.






載せる事の出来た標本の産地を@からHまで地図に示した。






ロシア南部

fig-1 の@からDは地図@地点 ボロネジ (Voronezh) 近郊のもので Lucanus cervus var. brevicollis MOTSCHULSKY 1870 とされたものか? 中央ヨーロッパに広く分布するヨーロッパミヤマ Lucanus cervus cervus との差をあまり感じないが、強いて言うと体形は若干細めのものが殆どで全長に対してエリトラ(前翅)のしめる割合が長めに見える個体が多く、大顎は小型個体でも割と太い。Dはアンテナ5節目が伸びる個体。
衛星写真で見るとこの地域には所々割と大きい森が点在しているようでそれら残った森で発生しているのだろう。送ってくれた現地の人の話として近年の採集では大きくて75mm程度との事、80mmに達した個体は見たことがないそうだ。
fig-1 Eは写真A地点 ロストブ (Rostov) 近郊産でアンテナは5節になっている。





コーカサス地方

fig-2 @の標本は地図B地点アプシロネスク (Apsheronsk) からのものでアンテナは微妙に5節目が出る( この個体は98年11月号  欧州各国のユーロミヤマ by K-sugano, に拡大図あり )。
fig-2 AからDまでは全て地図C地点ソチ (Sochi) 近郊産で、ここのものは比較的多く見ることが出来たが、アンテナは全て4節だった。

このあたりで採集されたものには他の産地とは明らかに違うフォルムを見ることが出来る。大顎がいくぶん細く、小型個体では直線的なものも有るが60mmを超えると湾曲してくる。更に体長が65mm程度になっても先端の二又部分はそれほど大きく開かない。大きい一対の内歯は (内歯の発達しない小型個体を除く) 斜め前方 (上方) を向く。サイズに関しては採集されるものの殆どが小型個体だそうで、この地域のものが最大どの程度までになるかは不明。

fig-2 Eは地図D地点カスピ海に面したアストラハン (Astrakhan) 近郊からのもので60mm前後のサイズを少数だけ見ることが出来た。少し細身で大顎は直線的、やはり先端二又はあまり大きく開かないようだがソチ (Sochi ) あたりのものとは少し違う印象で、ここはもっと見てみたい気がする。

始めにも書いたが V.de Motschulsky は160年ほど前1845年にLucanus maxillarisLucanus tauricus を記載している。その約半世紀後 L. Planet 1897 はこれらについて記述しているのだが、今までに見ることの出来た文献はこれだけである。マキシラリス maxillaris に関しては7♂♂を所有 (注1) しているとしクリミヤ半島、コーカサス、トルクメニスタン (文献にはTourcmenie.と書いてあるが多分トルクメニスタンを示す? Turkmenistan の stan は土地とか国とか言う意味だそうで省略してあるのではないかと思う) などに分布、更にタウリクス tauricus についてはクリミヤ半島に分布と書いている。素晴らしい多くの図を残している L. Planet だが残念ながらこの文献に図は載っていない。
この解説では最初の部分にアンテナ(触角)についての記述 (注2) がありそこからタウリクス tauricus とは触角が pentaphyile (5葉の~) になっている個体に与えられた名だと分かる。地方型であると書かれ形態を説明しているがサイズに関してはっきりした記述はない。また、有名な R. DIDIER et E. SEGUY 1953「世界のクワガタ図説目録」の中では黒海周辺から記載された Lucanus cervus ver. maxillaris de Motschulsky について何ら情報を持っていないとの記述もあり、把握出来ていなかったことが伺える。

ヨーロッパミヤマ系統のアンテナについては地域によって同じ個体群の中でも変化することが知られている(安定した地域もある)。他のミヤマにはない面白い現象だがこれはヨーロッパのあちこちで見ることが出来て、今までに来たロシア南部広域からも普通の4節に混じって幾つかの5節と言って良いものがあった。ただ中には微妙な個体もあるのが厄介である。これは触角が先端から5節目がはっきりと片状とならない(4節と1/3-1/2とも見え微妙)もので、このような個体を当時の研究者が常に5節に含めたのか不明である。しかしアンテナに関しては色々な文献に書かれていて重要視していたことが分かる。一例として J. Thomson 1864 (Catalogue des Lucanides) はギリシャに分布するヨーロッパミヤマクワガタのアンテナについて、一般的な4節のほかに4 - 1/3節、4 - 1/2節、5節、6節、になっているものが有るとして細かく分けている。

更に亜種名から考えるとタウリクス tauricus は「クリミヤ半島の~」でありマキシラリス maxillaris は「顎が骨状の~」と言う意味だそうだ。V.de Motschulsky はその種の持つ特徴を示した学名を付けることがしばしばあったようだが、この顎が骨とはどんな意味なのか? 都合よく解釈し顎が細いと言うことで付けられた名 (注3) だと考えると此処に載せたコーカサス産は顎が幾分細身でその特徴は一致する。勿論、虫のことである例外がないとは言えないが、これまでは別の産地の同サイズと並べると違いは明瞭だった。この点で見るとソチ (Sochi) 近郊の個体群は Lucanus cervus maxillaris MOTSCHULSKY 1845 としてもよい? またヨーロッパ人研究者が マキシラリス maxillaris と同定した標本を少数見ているが、ここに載せたものとほぼ同様の特徴が見てとれ、それらにはコーカサス地方産のラベルがついていた。

タウリクス tauricus の方は意味からしてクリミヤ半島のものに与えられた名と考えるのが妥当だろう。L. Planet はクリミヤではこれらが野生の古い梨の木 (pear trees) を利用している (注4)と書いているが、近年は採集されていないのか新しいクリミヤ産ラベルを見たことがない。古い標本には同定ラベルの付くものも有るのだが謎が多く(笑)、良く分からないのが現状で、実際にどんなものかクリミヤ半島産を見ないことには話しにならない。


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訂正しなければならない箇所 が出てきたので、次のくわ馬鹿に書こうと思っていたのですが、新たなくわ馬鹿の発行が 遅れている為、ここに書かせていただくことにしました。
この記事を書いた後に、Lucanus tauricusLucanus maxillaris に関して V.de Motschulsky の記載文 (Bull. soc. ent. de Moscou, 1845) と1870年に新たにこの両種について解説をしている文献 (Bull. soc. ent. de. Moscou, 1870) を見ることができました。
まず分かったことは、L. Planet が Le Naturaliste 1897 に載せていたものは殆どこの記事からの引用であったことです。勿論、引用であることを L. Planet は書いていますが tauricusmaxillaris の形態を説明している部分が全文全て V.de Motschulsky が書いた文献からの転載だとは分かりませんでした(汗)。くわ馬鹿にこの記事を書いた当時はてっきり L. Planet による記述が主だとばかり思っていたわけです。オリジナルでなく揃っていない文献で見ていたことによる間違いでした(汗)。

  文中の訂正箇所です。

(注1) --- maxillaris に関しては7♂♂を所有している --- 

この部分は L. Planet が所有しているのではなく V.de Motschulsky が1870年の解説に各地産の7♂を検した (所有) と書いたものです。 

(注2) --- アンテナ(触角)についての記述がありそこからタウリクス tauricus とは触角が pentaphyile (5葉の~) になっている個体に与えられた名だと分かる ---

この "アンテナ(触角)についての記述" は L. Planet が書いているのですが、文の解釈に間違いがあったかもしれません。 V.de Motschulsky の記載文には Lucanus maxillaris は触角片状部が4節と書かれています。 Lucanus tauricus の触角については記載文 (1845) には書かれていませんが、1870の文献では5節としている? 4節と5節があるようです。

(注3) --- 顎が細いと言うことで付けられた名だと考えると ---

これはコーカサス産標本からの勝手な解釈でした、記載文には大腮が細いとは書かれていませんでした。

(注4) --- 野生の古い梨の木 (pear trees) を利用している ---

この部分も L. Planet の記述ではなく V.de Motschulsky がこの両種の記載から後に解説した文献からのものでした。

                                                                                     2010/09/04

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ウクライナ南東部

ウクライナはかつてロシアの穀倉地帯といわれた地域であり、土地は農地として開発が進み本来の自然の多くは失われている。 fig-3 @Aは地図F地点ハリコフ (Kharkov) からのもので、Lucanus cervus var. europaeus MOTSCHULSKY 1870 とされたものか? 大顎も太く先端の二又も良く発達し幅広な体形のものが多い。サイズも大きくなりそうで、80mmに達するものも採集されている。付いている学名の europaeus は「ヨーロッパの~」と言う意味。広く分布する普通のヨーロッパミヤマと変わりないように見える。
fig-3 BCは地図G地点ザポロージェ (Zaporozhia・Zaporozhye) で採集された。小さいものは見ていないが大型個体の体形は太い印象である。
fig-3 DEは地図E地点のルガンスク (Lugansk) からで、来たのは40mm台の小さい個体ばかりだった。ここのものは大きくならないのかもしれない。Eはアンテナが5節のもの。
 





ウクライナ南西部

fig-4は@からEまで全て地図H地点オデッサ近郊 (Odessa Beryozovka) からのもので大型から小型個体まで、一地域としては多くを見ることが出来た。体形がいくぶん細身のものが多いようだが、大型個体の大顎は細くはなく先端の二又は綺麗に開き良く発達している。現地の人の話でここには80mmを超えるものもいると言う。またアンテナについては見た限り一般的な4節だけだった。

標本が来るロシア南部以外にどのあたりまでヨーロッパミヤマが分布しているのか、現地の虫屋に聞いてみたがあまり良く知らないようだった (多分興味の対象でない?)。現物を見たことはないがモスクワ近郊での記録もありかなり寒い地域 (北欧にもいるようだし) でも分布の可能性はありそうだ。厳しい乾燥した地域では谷沿いに辛うじて残る森で繁殖している場合もあるようで、適応力の強いミヤマである。
今回扱った最も西側のウクライナのオデッサから黒海沿いに南西方向へ進んだ地域ルーマニア、ブルガリアあたりからトルコにかけてはアンテナ(触覚) が6節になる個体群が見られる。どの辺から変化しているのかも知りたいところで、機会があれば資料をシコシコと集めている。 更に東側には、カスピ海に面したカザフスタン、トルクメニスタンはほぼ確実に、そしてウズベキスタン、アフガニスタン? などにもヨーロッパミヤマの仲間は分布しているかもしれない。このあたりも見ることが出来れば面白そうだが、難しい地域である。なにしろミヤマはとても深いのだ、、。(笑)
 

何時ものことながらとりとめなく、はたまた分かり難い文でここまで読んで下さった方は有難うございました。また最近はミヤマクワガタに関しても、くわ馬鹿が発刊開始された頃とは比べ物にならないくらい情報が増えました。それに伴い以前に書いた記事 (HPにおいても) とは一致しない矛盾した記述があるかもしれません。そのあたりも楽しんで? いただければ本望なのですが果たして、。(笑)
皆様にとって本年が良い年でありますようお祈りいたします。



2009/01/05 A.CHIBA - Yushiyo@info.email.ne.jp -
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