『ゲゲゲの鬼太郎』(第2作) レビュー

最終更新日: 2007/4/7

 モノクロの第1作に続く続編で、第1話を担当するものの、雪室さんはメインライターという立場ではなかったようです。 作品を通じて、カラー化に伴い、妖怪のビジュアルな怖さはずっと増幅されています。 また、第1作では戦闘内容がかなり間抜けなところもありましたが、その点は強化されているように感じます。

 雪室さんの他の脚本家として、安藤豊弘さん、辻真先さん、柴田夏余さんが主に書いていますが、その充実ぶりも第2作の魅力でしょう。 安藤さんのものすごく怖い作品(牛鬼、足跡の怪)や、柴田さんの変な話(地相眼、霊形手術)などは、DVDを通して見て大変楽しめました。 鬼太郎シリーズでは、やはり自分が子供の頃見ていたということもあるでしょうが、この第2シリーズが一番好きですね。


第1話「妖怪復活」(1971/10/07放映)

オープニングも怖かった

ストーリー: 鬼太郎が姿をくらまし、死んだという話まで出る、というオープニング。実は鬼太郎は富士山のすそ野の港町で干物を干したり俳句を読んだり、悠々自適の生活をしていたのである。 ところがその港町に妖怪「泥田坊」が現れる。なんやかんやあったものの、鬼太郎は泥田坊を近所の田んぼに返して一件落着。

感想: 前半と後半で話が全く変わってしまうという脚本は、この時代から受け継がれていることがわかる。 しかし、第1話なのになぜ鬼太郎が隠居生活しているのか、全くわからない。前作(第1作)は特に続く設定で終わったわけではないので、再開には頭を悩ませたのではないかと思います。 当時としてはほとんど前例のない「続編」に対する方法として、このような隠居生活を考えたのかもしれないと思いますが、妖怪ポストの投書を放置したりして、やや無責任な印象が…


第7話「猫又」(1971/11/18放映)

ストーリー: インドネシアから、50年以上生きて化け猫となった飼い猫を退治してほしいという依頼が舞い込む。 現地へ赴く鬼太郎と、猫娘、ネズミ男の前から、その猫ジーダは消えてしまう。 そこへ現れる怪しげな老僧や、明かされる妖孤の存在…

感想: 最後まで誰が悪者かわからない謎に満ちた展開で、緊張感あふれる傑作でしょう。 また、猫娘の存在と猫の妖怪をからめることで、面白い話になっています。

★これは名作★

第42話「死神と貧乏神」(1972/08/24放映)

ストーリー: 5回にわたって続く死神ものの第4作ということになる。世の中に自殺者や貧乏人を増やそうとたくらんだ死神と貧乏神は、ある自動車メーカに潜入し火葬機能付き自動車を開発する。 プレス発表で貧乏神は、死神の火葬をデモし、会社の重役が殺人罪で逮捕される。会社の評判はがた落ちになる。当然死神は骨になったふりをしているだけで、死んではいない。 それを暴こうとした鬼太郎だが、一度は火葬車に閉じ込められ、火葬されてしまう。泣きながら車をレッカーする猫娘。しかし鬼太郎は生きていて、結局死神たちをつかまえる。

感想: う〜ん、新車のプレス発表風景から始まり、目まぐるしく変わる展開。最後まではらはらする。 しかし、車の中での火葬シーンとか、社長の飛び降り自殺シーンなんて、現代ではできないだろうな。

第45話「死神のノルマ」(1972/09/28放映)

ストーリー: 鬼太郎第2作の最終話であり、死神シリーズの完結編にもなっている。死神は死者の霊魂を集めるノルマがあるが、自分から人間を殺すことはご法度である。 ところがアラビアの死神が日本にやってきて、外国なら見つからないだろうといって人間を殺す計画を(日本の)死神に持ちかける。死神はノルマが達成できず地獄へ帰れなかったので、ついついこの計画に乗ってしまう。 しかし、たまたま地獄からやってきた死神の女房子供がこの話に気づき、鬼太郎にやめさせるように頼む。

感想: ストーリーはともかく、ここでは「死神」といういわば悪者にとっても、それなりの論理があり、ノルマや何かで苦労している、そして待っている家族もいるという、「悪役の救済」がひときわ目立っている。 やはりリアリティを追求した脚本を書いていると、悪役の側にもその行動論理を求めてしまって、こんなノルマで苦しんでいるのだろうと想像してしまうのではないだろうか。


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