フォークダンス、この1曲

1969年にフォークダンスを始めて50数年、この世界に関わってきました。何曲踊ったか数え切れません。ここらあたりで自分なりにダンスの魅力を曲ごとに振り返ってまとめてみようかなとふと思いつきました。曲が魅力的で踊りも素敵でということにこしたことはありませんが私なりにどちらかでも気に入った曲を紹介しようと思っています。あくまでも私の好みです。

  

(29曲目) Alunelul De La Danet (Theodor 2008)

Theodor202422日に亡くなったのを機にAlunelul De La Danetを「この1曲」に選んだもののどうも文面がうまく浮かんでこなくてそのままになってしまった。そのうちIonicaのルーマニアが入ってきて、その踊りを見て文面が浮かんだ。Theodorの踊りとは明らかに違っていた。フォークダンスには二通りの楽しみ方がある。それは踊ることと見ることだ。プロのダンサーの素晴らしいパフォーマンスの舞台を見ることは感動ものだ。一方で普段私たちは自ら踊ることを楽しんでいる。当然踊って楽しいものを求めるだろう。

長年踊って来て楽しい踊りというのは音楽と調和して自然と体と融合するような踊りを言うものだと思う。その点、このAlunelul De La Danetは流れるようなボタンアコーディオンの音色に合わせて足の運びや体の回転が実にスムーズで心地よい。これと言って難しいステップがあるわけではない。これこそ踊って楽しいフォークダンスそのものであろう。これに反して今まではそうでもなかったが今回のIonicaのルーマニアは舞台上でかっこよく見せるための振付が随所に取り入れられているように思う。右足から左足に出足がかわったりして素直に体が動かないし楽しめなかったのは私だけだろうか?

ルーマニア全土を訪ねてダンスを蒐集したTheodorの功績は大きい。確かに彼が紹介した踊りには土地土地の人々の歴史が刻まれているように思う。こんな時代になってもやはりフォークロア感のある踊りは大切である。このAlunelul De La DanetLiaとともに二人で楽しそうに紹介してくれた2008年の映像は長く私の心に残るだろう。Lia2018年に亡くなっている。二人に感謝してできる限りいつまでも踊り続けたいと思う。

(28曲目) Bifrot Nevel Ve'Ugav(Shumlik 2022)

このBifrot Nevel Ve'Ugav(ビフロット ネヴェル ヴェウガフ)はイスラエルの歌手Ilanit(イラニット)が1972年に発表した曲である。50年前の曲をどうしてShumlikは今回取り入れたのか?(振り付けは2022)真意はShumlikに聞いてみなければわからないが私なりに解釈してみたい。改めて曲を注意して聞いてみるとかつての懐かしいイスラエルの雰囲気が感じられるメロディーである。振付もゆっくりした曲に合った前半から一転して今までにないような急速な回転が入り最後のハープをつま弾く動作はダンサーを満足させてくれる構成になっている。ここ最近のモダンな曲と振付よりはこの曲と踊りの方がずっとイスラエルらしさがあって素敵に思う。この歌が発表された1972年はイスラエル建国から24年、ようやく欧州からも認められだしたころだ。1973年にイスラエルがユーロビジョン・ソング・コンテストへの参加が認められ歌手Ilanit(イラニット)は4位に入った。それから50年、今のイスラエルは世界に認められようと健気に努力していた頃から遠い所に行ってしまったように感じられる。もしかしたらShumlikもそんなことを感じてこの曲に回帰したのかもしれない。ハープをつま弾く動作を終えるとそんなことが頭をよぎる。

(27曲目)Boze Pravda Nema(Ventzi 2023)

この踊りはヴェンツィーがアタナスに捧げたものである。確かにアタナスらしさは全開だ。まずは12拍子、KavadarskoOvcaraniなどたくさんある。さらに歌詞の内容もマケドニアの歴史を嘆いたものでアタナスからは悲惨な曲をたくさん紹介してもらった。もっともこの曲はマケドニアの曲なので当然といえば当然のことである。この踊りが気に入ったのは途中に間奏が入らずキッチリと3パートに分かれているところだ。さらにヴェンツィーの振付の妙も気に入った。第1、第2パートが6小節の踊りにしてあるところだ。どうしても体は8小節に慣れているのでついつい引っかかってしまう。ヴェンツィーでさえ引っかかっている。12拍子の踊りをアタナスから教わってヴェンツィーが引き継いでくれたことはとってもうれしい。

プロモーションビデオ

このビデオの舞台はマケドニアのビトラから西へ15kmの所にあるCapari村の山の中の修道院(Monastery Saint Paraskeva of Rome)である。映像を見る限りとてもいいロケーションである。もう1度ビトラに行きたくなりました。因みに曲名のPravda(プラウダ)はかつてのソ連共産党の機関紙のタイトルと同じで「正義」「真理」の意です。高齢の方はご存じですね。

(26曲目)Sevda(Ahmet 2023)

2023年になってようやくコロナも一段落した。これに伴って講師陣が次々とやってきた。202211月にシュムリク、20231月にアフメット、そして5月にヴェンツィー等々。今年来日したティーチャーに注目されることが起こった。アタナスに捧げる曲が3曲もあったことだ。それだけアタナスが偉大だったことかを物語っている。その一つがこのSevdaである。振付は簡単で物足りない感じだが踊りに集中しなくてもいいのでその分アタナスを偲ぶにはかえっていいのかもしれない。それよりも初めて踊ったときに音楽の方にとても惹かれたことを思い出す。元歌はマケドニアの曲(Nazad nazad Kalino mome)だということで納得がいった。さらに両方の曲を比較して聞いてみるとSevdaの方がより洗練されているように思える。元歌の方は男女が交互に歌う恋(不倫)の歌だが、こちらも内容はほぼ同じだが女性だけが切々と歌い上げていてつい引き込まれてしまう。この映像を見るとアタナスを偲ぶことはどこかに吹き飛んでしまい歌手Fatma Parlkolの情念に溺れてしまいそうだ。(Sevda)

(25曲目)Sonata(Ira Weisburd 2006)

コロナの影響で新曲の紹介は無いし密に踊ることもままならないのでこんな時にとっておきの曲を紹介したい。あるサークルのHPを見ていたら足慣らし曲に「ソナタ」が入っていた。そうかこの曲があったかと思い出した。10数年前にイスラエルが得意なオ○マが教えてくれた曲だ。すっかり忘れてしまっていたが記憶にあるのはソロダンスで手足を左右に振る優雅な踊りくらいだ。早速ネットで調べてみたら結構人気があるらしくユーチューブにたくさんの映像が載っていた。ゆったりした音楽だがイスラエル特有の半回転が頻繁に入るので油断はできない。徐々に踊りに慣れてくると素晴らしいメロディーが実に心地よく感じられてくる。元々の曲はイスラエルとは関係なく作詞、作曲、歌はそれぞれカナダ、ギリシャ、アルバニア人だ。民族性はあまり感じられない踊りではあるがアルバニア人の歌手Eli Fara(イーライ ファラ)には何故か惹かれる。2018年と2019年に訪れた国だからかもしれない。もう一度行きたいところだが今は歌を聴いて慰めようか。皆さんも是非聞いてみてほしい。ソナタ

(24曲目)Bitolsko(Atanas 1982)

前回に引き続きアタナスの曲を記述してフォークダンス界に多大な貢献をしたアタナスに私なりに感謝したい。1980年に初来日して以来年ごとにアタナスの人気は高まり1982年の岩井合宿は大量の参加者でサークルは3重4重になった。アタナスの人気の一つはこの年に講習されたOro PembeSal nok ne sum zaspaloに現れているが従来のダンスにはない新鮮さだった。右へ進むのに左足がリード足になるのが当時の私にはとても新鮮だった。そんな中で講習されたメインのダンスがBitolskoだった。12/16拍子も当時としては斬新だった。さらにクラリネットの音色によるマケドニアの民族音楽は私の心をしっかりつかんでしまった。ダンスの後半ではリーダーの指示で右に回ったり左に回ったりするので変化も楽しめる。アタナスはまだ日本人には馴染みの薄いリズムと受け取ったのか実に丁寧に時間をかけてコールしてくれた。当時の映像を見るとアタナスの人柄がよく出ている。3重4重のサークルの中でオタオタしながら踊っている自分の姿を見つけるのは多少気恥ずかしい感じだ。それでも40年前にアタナスに巡り合ってBitolskoに魅了された自分がいたいたということを確認することはとても楽しいことである。

(23曲目)Lapovo Kolo(Atanas 1983)

アタナスの訃報が届いた。マケドニアの踊りと音楽を長年にわたって教えてくれたアタナスの功績は絶大だ。ユーチューブには彼の日本での29年間にわたる偉大なダンサーを惜しむコメントと8曲の映像がF氏によりアップされた。その中からコロナ禍で休んでいた「この1曲」を再開するにあたり8曲の紹介曲の中からLapovo Koloを選んだ。この曲はマケドニアの曲ではないがアタナスの初来日時はまだユーゴスラビア時代だったのでセルビアの曲も当然紹介された。「黄金の足」と言われたアタナスはこの踊りでもいかんなく発揮している。軽やかな足さばきは勿論のこと、重力に逆らって空中に浮いているようにさえ見える。U Sestもまた同じように素晴らしい。Lapovo Koloは今でも大好きな踊りだ。短い小節からなる3つのフィギュアではあるが飽きがこない。次回もまた踊りたいと思わせてくれる。また軽快な音楽も踊りとよくマッチしている。とてもあのように軽やかには踊れないが「Atanas and Japan」のコメントにあるように私も80過ぎまで踊りたいと思う。アタナスのように95歳まではとても生きられないだろうが。

(22曲目)Vino Pija(Ventzi Sotirov 2012)

初めにこの曲を踊った時に何か違和感があった。そして油断しているとつい間違ってしまうのである。TとUだけの2つだけのフィギュアだけなのにである。しばらくして正体がわかった。Uは8小節の踊りで体になじむがTは8+5の13小節からなる踊りなのである。これが違和感だった。踊り込んでいくうちに徐々に気にいってきた。13という数字には格別な思いを持っているせいもあるが振付けも感心するところだ。TとUは奇数と偶数にもかかわらず同じ振付けを入れ込んであるところが絶妙だし巧妙なところが多いに気に入っている。さらに気に入っている点はメロディーだが後々以下のことがわかった。2018年にマケドニアで手に入れた民族音楽のCDに元歌とおぼしきAjde Vino Pijamが入っていた。こちらはUの歌の部分は8+6の14小節からできていて心地よい。どうやらマケドニアのほうが元歌のように思える。私は音楽的にはマケドニアのほうが好きなのでマケドニア由来のVino Pijaも気に入ったのは必然だったのだろう。歌詞を比較してみるのも面白い。Vino Pijaの最後の歌詞「強い男はドアを蹴とばす」はいかにも強さを強調するブルガリア側の付け足しと思える。

「参考音楽:Ajde Vino Pijam1コーラスのみ)

(21曲目) Shoof Ni (Yakovee 1995)

このダンスは1993年にヤコヴィーによって作られ、1994年のストックトンキャンプで講習されてから全世界に広まった。翌年には日本に入ってきて各サークルで踊られるようになった。今でも時々は踊られていると思う。確かに良くできている踊りだ。何しろ曲と踊りがぴたりとシンクロしていて自然に心地よく踊れる。途中に拍手が入るのもいい。イスラエルの各ティーチャーによって振付けられた曲はたくさんあるが私的には10指に入る。というのも私の記憶違いでなければアメリカでの振付け部門で年間最優秀賞に輝いた踊りだ。シュフニの曲の特徴は一種の変拍子にある。規則正しい4拍子の繰り返しではなく途中に2拍子が入ってる。一瞬つまづきそうになるが振付けがうまくできていてそれを感じさせない。そこが快感だ。この特徴はアラブ音楽からきていると思われる。彼の親世代は音楽の盛んな国イエメンだ。最近は踊ることもなくなった彼の曲アバ・シモンも同じことが言える。世界の様々な音楽に触れられることは長年フォークダンスを続けてきたからこそである。

(20曲目)Macedo-Aromanian(Theodor 1997)

関東のあるサークルの例会プログラムを見ていたらMacedo-Aromanianが載っていました。この踊りを今でも踊っているサークルがあるんだ、と驚いたと同時に感激した次第です。1997年の講習曲なので20年以上にわたって踊り続けていることになります。ネット上で調べてみたら関西のパーティーでは毎年のように踊られていて結構人気があることがわかりました。私は10数年前に関東のあるサークルで踊っていましたが仙台に戻ってからは全く踊ってません。曲はあの「リバーダンス」で使われた曲なのでとても躍動感があります。曲だけでも申し分ないです。さらにリズムが15/16拍子なのでフォークダンサーを満足させるものがありました。しかし、難点は曲が長いことです。4つのパートからできている踊りを4回も繰り返します。せめて2回でカットしてくれていたらもっと広まったかもしれませんが体力勝負なので今となっては中高年にはきついです。ネット上にあるリバーダンスの舞台を見ながら昔に浸るのがよろしいかなと。しかし、まてよ。97年のDVDではTheodorがあんなにはつらつと踊っているではないか!昔を懐かしがっているだけではダメだ。喝ーツ!YouTube

(19曲目) Memede (Atanas 1981)

2019年のセルビアの講習曲にMemedovo oroという曲が入っていた。これがアタナスのMemedeとすっかり同じメロディーだった。どうしてセルビアの曲にアタナスの曲が?と思って調べたら納得した。アタナスのイメージはマケドニアとなってしまうがMemedeはコソヴォの踊りである。アタナスは当初マケドニアに限らずユーゴスラビア全般の曲をコールしていたのでコソヴォの曲も当然入っていた訳だ。そして現在コソヴォはセルビアからの独立が承認されず

セルビアの1自治州の扱いのためセルビアの講習曲に入っていたという訳だった。

さてMemedeは私が初めてアタナス講習会に参加した時の講習曲なので思い入れがある。曲調が独特な上に踊りも曲にマッチしていていかにもフォークロア感が満載の曲だ。さらにアタナスの独特なコールの仕方にも圧倒された。簡単なステップをわざと?分かりずらくしかも時々間違えながらも黄金の足の魅力はまさっていた。そんな訳でMemedeは今でも大好きな曲である。この時には他にコソヴォの講習曲としてSiptarkaRugovoがあった。これらも魅力的な曲である。

ちなみに個人的な事ですが1981年のDVDのMemedeのところに私が写ってます。当時の映像を見ると全員の熱気が伝わってきます。

(18曲目) Vana Mardig (Tom 1989)

トムの踊りはあまり好きではありません。理由は簡単で全般的に曲がつまらないからです。ラッパと太鼓のリズムが主体でメロディーは重視されていません。私は美しいメロディーであれば多少ステップはつまらなくても許せるほうです。その点、ここで紹介するVana Mardigは多分トムが市販の音楽に振付けたものと思われますが改めて曲だけを聞いてみてもカッコイイ曲です。メロディーと踊りが一致していてすぐにでも足が動きそうだ。トム独特な上体を傾ける動作が目に浮かんできます。最近はめっきり踊る機会は減ってきているがいつかまた踊りたい曲です。

他にもトムの曲でお気に入りはあります。Artiok Oveker EnGumerva TrngeeTsaghkadz Baleri等ですがいずれも魅力ある素敵な曲です。

(17曲目) HaShana HaChadasha Sheli  (Shumlik 2016)

この曲を踊った当初はステップの方に気を取られているのでメロディーにはさほど関心は行きませんでしたが、繰り返して曲を聞くようになるとメロディーが心に深く入ってきました。そのうち頭から離れなくなりました。踊りのほうは3パートからできていて第1パートは少し目新しさ感があってなかなかいいです。第2第3はちょっと平凡ですが全体を通して踊れば私は好きなほうです。それ以上に曲が魅力的です。ネットで調べてみたら2014年にリリースされたイスラエルのポップスでした。それにシュムリクが振付けて2016年に日本で紹介しました。フォークロアとはかけ離れていて少し複雑な気持ちですがシュムリクの選曲と振り付けが私の心を打ったということになるのでしょう。作曲と歌はオハッド ヒットマンです。YouTube

(16曲目) Dansul Spoitorilor  (Theodor 2003)

この曲より前の1997年にGypsy Danceがコールされた時には衝撃的だった。今までにない踊りのスタイルでジプシーダンスとはこういうものなのかという感想をもった。と同時にとても踊りこなせないとも思った。特にスローパートは従来のダンスの域を超えて舞踏家が舞台上で演じるような雰囲気だった。その後2003年にコールされたこのDansul Spoitorilorは前回のスローパートとクイックパートを併せ持つような作りなっている。これならさほど極端ではなくジプシーの雰囲気を楽しみながら踊ることができると感じた。上体を左右に振るテオドールの振りを思い浮かべながら踊るのがコツだ。それはとりもなおさずその向こうにはジプシーの人達に思いを馳せることにも通じるものだと思う。因みにspoitorとは鍋釜の修理屋のことで村々を修理しながら巡っている様子を思い浮かべるのも有りかもしれない。踊りも曲も大好きだ。

(15曲目) Pešačka  (Vladimir & Sandra 2019年)

2019年5月にコールされたセルビアの最新の踊りである。セルビアの踊りは2010年以降ようやく紹介されるようになってきた。それまではセルビアンメドレー以降、本格的な外人ティーチャーは来なかった。ブルガリアやマケドニアなどからは大分遅れをとってしまった感がある。そんなわけで体にどうもなじまないと感じるのは私だけだろうか?それとブルガリアやマケドニアの曲と同じメロディーのものがあるのも気になる。隣国のダンス曲をアレンジしていると思わざるをえない。どうも後続組の焦りがあるようだ。

この Pešačkaもそれを引き継いでいてブルガリアの曲にそっくりだ。しかも7拍子のラチニッツァなのだ。ただここで私が強調したいのはフィギュア数である。7つもある。最近の講習曲では珍しい。かつてのセルビアンメドレーは8つの踊りから構成されていたが、それでもみんな頑張って覚えて踊った。

最近は2〜3のフィギュアを手っ取り早く踊る傾向にある。遅れてやって来たセルビアのこの曲が我々にガツンとパンチを出した。それに応えるようにかつての若さを振り絞って このPešačkaに向き合いたいと思っている。

(14曲目) Zapasnjaska  (Ventzi 2006)

以前にも書いたことだが毎年の講習曲が多いので残らない曲がたくさん出てくる。残らない曲には2つのパターンがあって各サークルで講習された後1年過ぎたあたりには消えてしまう曲と初めから全く講習されない曲とに分けられる。このZapasnjaskaは後者の方だろう。この年の講習曲にはVentziの最大のヒット曲であるRaina Samodivaに始まり、KalinkinoMara Bere

Mijatalo LencePirinska HubostDijakovskoVenzakino等々の曲がありまさにVentziの絶頂期だったかもしれない。そんな状況だったからかZapasnjaskaはどこのサークルでも取り上げられずスルーされたと思われる。多分踊っているサークルはないだろう。

私はこの曲と踊りが気に入っていたが気持ち的に大衆に流される方なので主張はせず個人的にひっそりと踊ることにして今に続いている。曲は5拍子のパイドシュカタイプでホップがやたらと入る若い時のVentziが得意としている踊りに入ると思われる。ステップとメロディーが実にマッチしていて心地よい。長すぎないのでホップが多くても疲れない。また踊りたくなる曲のベストワンだろう。岩井の夜のパーティーでリクエストしたらVentziが踊ってくれるだろうか。失礼だが多分すっかり忘れてしまっているだろう。かつてテオドールがジプシーダンスをすっかり忘れてしまって奥さんに非難されていたのを思い出した。

(13曲目) Gjusevska Racenica  (Yves Moreau 1970年代後半)

私がフォークダンスを始めた1970年代前半は日連のカップルダンスがメインだったが70年代後半からチェーンダンスが入ってきた。最初にイヴ・モローがチェーンダンスのブームのきっかけを作り、その後トム、モシコ、アタナス、テオドールなど次々にやってきて更に盛り上がった。イヴ・モローが広めたブルガリアの踊りは日本にはない独特なリズムでもって当時の若者を夢中にさせた。このGjusevska Racenicaもその1つだ。今改めて曲を聞いて見ても全然古臭さを感じさせない。踊りもやたら難しいという訳でもないがラチニツァの特徴が出ていて良くできた踊りで素晴らしい。まさにチェーンダンスの傑作のひとつと云っていいだろう。昔ほど足が上がらなくなったがベルトホールドでこれを踊ると昔がよみがえってきて元気が出てくる。

(12曲目) Hora Veche  (Cristian 2012)

毎年海外から講師がやってきては10数曲紹介していくのでとても全曲の把握はできない。それに招聘するルートも色々あるので全く関わってない講師もいる。私にとってそんな一人がルーマニアの踊りを教えているCristianだ。今回沖縄のサークルにお邪魔した時にかかったのがHora Veche(ホラ ヴェケ)である。ルーマニア独特の哀調を帯びた曲がゆったりと流れてとても気に入ってしまった。今までHora FetelorHora FemeilorそしてHora Spoitoriorと同じ雰囲気の曲が多く紹介されてきたが曲調が全般的に軽い感じがした。アメリカナイズされていると云うのだろうかきれいすぎると私には感じられた。このHora Vecheはルーマニア人の心ひいてはロマの心までを内在してるように思える。この独特な哀調は遠く離れたポルトガルのファドを思い出させてくれるが歌詞なしの演奏だけでここまで表現できるルーマニアの音楽は素晴らしい。

(11曲目) Sejmensko  (Atanas 1998年)

ダンスには色々な要素があるがまずはステップが第1であろう。ホップ、ステップ、リープ、ジャンプといった足の運びが重要なのは間違いない。次にそれらを盛り上げるのがメロディーやリズムで大体のダンスの魅力は決まってしまう。今までの選曲もこれらを基準にしてきた。残りの要素は歌である。レスノトなどはみんなで歌いながら踊ると場が盛り上がるし歌詞の意味が分かればより感情をこめて踊ることができる。最近はこういう曲を持ってくる講師も少なくなった。その点かつてのアタナスは歌いながら踊れる曲をたくさん紹介してくれた。このSejmenskoは8小節だけの踊りで歌いながら踊るにはうってつけだ。というより歌わないと間がもたないくらいだ。ここで重要なのは歌詞の意味だ。かつて関東にいた時、ブルガリアからの留学生にブルガリアとマケドニアの歌詞をけっこう訳してもらった。その時Sejmenskoの歌詞には衝撃を受けた。大まかな意味は次の通りである。

 

(弟)棒の先に刺された首はヨバナ兄さんのものだ。顔に目印があるから。

(母)15のお前はまだ大砲は持てないから戦にはいかないで。

(弟)ボクは行くよ。トルコ人をひっかくことくらいはできるよ。

 

1998年の講習曲にはほかにVelickovoがある。これも悲惨な内容だ。最近はこれらの曲を踊ることも少なくなった。歌詞の意味をかみしめつつ踊った昔を今でも思い出す。

(10曲目) Carinosa(キャリノサ)  (フィリピン)

私がフォークダンスを始めたのは1969年である。その頃は勿論日本フォークダンス連盟が紹介した曲を踊っていた。世界各国の踊りが紹介されていたが今でも印象深く記憶に残っている曲がキャリノサである。当時のカップルダンスはヨーロッパ圏のワルツや派手なメキシカンダンスが主流であったが、このキャリノサは派手さはなくメロディーがどこかに哀調をおびていていかにもアジア的なところに私は惹かれた。後に欧陽菲菲が日本語の歌詞をつけて「島の女」でレコードを出した。踊りは男女が向かい合ってハンカチを上げ下げして顔をのぞき合ったりするもので動作もアジア的だ。さすがに最後はワルツターンで終わるところはご愛敬か。どこか日民の「江差甚句」に通じる。そんなところがアジア人の私の琴線に触れたのだろう。学生時代が終わってキャリノサを踊ることはなかった。それでもしっかりと記憶に残っている。(映像

(9曲目) Adana  (Atanas 1980年)

1980年にアタナスが初来日して「黄金の足」を見せつけた。この年の曲は今でも多く踊られている。CucukDrenicaKopackaLesiLiljano Mome UbavoMoj AtidzeSopska PetorkaZensko Camce等々そしてAdanaである。数ある男性の踊りの中でAdanaが一番カッコいい踊りだと思う。やたら難しくて複雑な踊りはプロのダンサーに任せるとして我々素人にはちょうどいい構成だ。トルコのチャルメラを思わせるような出だしでスローパートが始まる。途中でスクワットが入るがスローな分それほど膝に負担はない。それにTポジションなのでお互いが支え合える。一転ファストパートになるが踊りは比較的単純だ。そしてソロのトラベリングを経て再びTポジションに戻りポーズが入る。ここが最高の決めどころだ。曲もいいし踊りの構成もいいしアタナスの最高のダンスのひとつだ。

Adanaに関しては次のような思い出がある。岩井海岸での合宿のことである。岩井の合宿といえば「かわな館」に決まっていたが体育館を閉鎖することになりこれが最後の「かわな館」であった。この体育館には数々の思い出がある。1980年代は参加者が多くて踊りの輪が2重3重になったこと。全国からのFD愛好家にめぐり逢えたこと。みんな若かったこと等々。そんな中でAdanaがかかった。S氏を先頭にほとんどの男性が踊った。踊り終わってこの場所ではもう踊れないしS氏と一緒にAdanaを踊ることもないだろうと思った。何年のことだったかも他のこともすっかり忘れてしまったがAdanaを踊ったことだけは今でもハッキリと覚えている。

(8曲目) De-A Lungul (1970年代)

ルーマニアの曲にはいい曲が多いと以前書いたがその最たるものがこの曲ではないだろうか。どういう経緯で日本に入ってきたのか詳しくは知らないが70年代にとても人気があった。踊りはすっかり忘れてしまったが曲の方は今でもはっきりと覚えている。別段変化に富んだメロディーというよりはどちらかというと単純なメロディーであるが一度聴いたら忘れられない。なんと素敵な曲であろうか。どうやら恋の歌のようであるが歌詞の意味はわからなくても朗々と歌う男の気持ちが伝わってくる。世界各国の名曲には恋の歌が多いのも納得できる。今でもあちこちで踊られているようだ。2015年5月久しぶりに岩井の合宿に参加したときの夜のパーティーでかかった。結構みなさん踊っていたのを覚えている。YouTubeに歌がのっています。

音楽

(7曲目) Israel Hayafa  (Shumlik 2008)

この曲に関してはどちらかというと踊りの方が気に入っている。勿論曲も素敵だ。LOD向きに進んで右回りに反回転して逆LOD向きになるのだがこの時一瞬右手が前に出てしまう間違いをおかしやすい。この動作を考えだした振付師には感心する。最後にもう少し踊りが続きそうというところで余韻を残しながら終わる終わり方もいい。タイトルの意味は「美しいイスラエル」であるが途中に肩を組むところが出てくる。これは歌詞の中に出てくるみんなで力を合わせて「美しいイスラエル」を目指そうというところを表現しているようだ。

この曲に関しては次のような思い出がある。2010年つくばでのShumlikの講習会でフリータイムにこの曲がかかった。この曲はあまり踊らえてないらしくShumlikの隣にはすぐにつく人がいなかった。この曲が好きだった私はShumlikの隣について2番手で踊った。緊張しながらも満足して踊り終えるとShumlikがニコリとほほ笑んでくれた。ところで2014年のShumlik講習曲CDに再びこの曲が入った。日本であまり踊られてない状況を思って再びコールしようと考えたのかもしれない。

(6曲目) Targil Temani  (Moshiko 2005) 

曲名の意味は「イエメナイトの練習」であるがイエメナイトが頻繁に出てくるという訳でもない。この曲の特徴は何といっても5拍子にある。パイドーシュカがそうであるようにフォークダンス界では5拍子の踊りは珍しくない。ただしパイドーシュカは2拍子+3拍子で区切られ変形2拍子で踊られる。このTargil Temaniは純粋な5拍子でひたすら1から10呼間を数えながら踊らないと間違ってしまう。珍しい曲ではあるが踊りは違和感がなくとても楽しい。前後左右に移動しさらに反転したりして流れに乗っていると思わぬ所に落とし穴がある。Moshikoの振り付けの基本はダンサーを驚かせる所にある。「次の動作は流れからして右だなと思わせておいて敢て逆に出る」と以前Moshikoは言っていた。皮肉れているところは今は懐かしい。踊りが楽しければそれも許されるであろう。

(5曲目) Cele Une  (Jovco  2014)

2005年に開催された愛知万博でこの曲を聞いた。5月13日にはブルガリアデーが催され式典の後、フィリップ・クーテフ舞踊団の公演を幸運にも見ることができた。その中でこの曲がかかった。Jovcoの紹介後、何となく聞き覚えがあったので改めて当時の映像を確認したらCele Uneだった。と言ってもメドレーのなかの一部にこのメロディーが入っているということだ。振り付けは全く違うが踊りの雰囲気は似ている。

そういう縁もあってこの曲は気に入っている。踊りもメロディーも単純だがワクワクするような高揚感が伝わってくる。油断すると結構間違ってしまう。音楽を無視してひたすら踊り続けて最後にピタリと終わった時にはささやかな満足感が得られる。それと必ず「チェレ」の掛け声を早だしする人も必ず出てくる。どちらにしてもお互いの笑顔が見られること間違いなしだ。

(4曲目) Hora De La Chircani (Theodor 1995年)

ルーマニアの曲は全般にいい曲が多い。ここで「いい」というのは第1にメロディーラインが美しいことで東欧では唯一ラテン系の民族だからだろうか。第2に演奏楽器が変化に富んでいることもいい条件であろう。ナイなどルーマニア独特の民族楽器から弦楽器や金管楽器まで飽きがこない。第3に踊りもスローなものから激しいものまで変化に富んでいる。

今回選んだテオドールのHora De La Chircaniは私の中ではルーマニアでベスト1だと思っている。何と言っても編曲が素晴らしい。それぞれのブラス同士がうまく絡み合って徐々に曲が盛り上がってくる。その高揚感に合わせて踊りの方も自然に乗せられて何も考えずにただ踊るだけで満足してしまう。メロディーとハートとが一体になってハッピーな気持ちにさせられてしまう。因みにこの曲には思い出がある。昔関東で踊っていたサークルで、ある会員が結婚することになり祝賀会でこの曲をデモった。毎年送られてくる年賀状にはすっかり大きくなった彼らの子供たちの写真が載っている。これを見るとつくづく私も歳をとったものだなあ!と思ってしまう。

(3曲目) Pijan ot merak  (Ventzi  2018年)

ヴェンツィーの最新曲だ。曲を聞いてすぐにこれは昔踊った曲だとわかった。80年代にアタナスが教えた「Sal Nok Ne sum Zaspalo」と全くメロディーは同じだ。歌詞も所々似ている。変拍子が好きな私はこのアタナスの曲には興味があったので今回のヴェンツィーの曲にも早速とびついた。アタナスには変拍子が多かったがそれでもその頃は11拍子はなかったと思う。それも1拍目に付点8分音符が来るのは珍しかったので記憶に残っていた。3拍目に付点8分音符が来るコパニッツァ形式だと多々ある。アタナスの曲に比べて今回のヴェンツィーの曲はテンポがゆったりしていて踊りも単調ではなく少し変化を持たせてある。足慣らしの曲ではなく最後に踊る曲にふさわしい。ここ最近アタナスが来なくなってからヴェンツィーが変拍子を積極的に取り入れているのは日本を意識していると私は見ている。今年のクルスタチカは13拍子だ。とてもいいことだ。

因みに市川バルカンの情報によるとアタナスの「Sal Nok Ne sum Zaspalo」を今でもときたま踊っているとのことです。こちらは、もっといいことだ。

(2曲目) Karavan (Tom 1996年)

トムの踊りは余り好きではないがこれは女性の踊りなので優雅な曲を聞きながら踊りを見ていればいい。トムに関しては全般に女性の踊りにメロディーラインがきれいな曲が多い。この踊りは頭上に上げられた優雅な手の動きに合わせて近づきすぎず離れすぎず絶妙な距離感を保ちながら進んだり戻ったりする。それに合わせて大アルメニアのかつての栄光を懐かしむようなもの悲しいメロディーが流れていく。実にエキゾチックなメロディーだ。トムは昔クラシックバレーを習っていたと聞いたことがあるが、これはアルメニアの民族舞踊というよりはトム独自のダンスであろう。1996年の岩井での合宿を今でもはっきりと覚えている。女性陣の踊りを見ながらどこか異国の地にいるような自分は今どこにいるのだろうという何とも言えない感慨を覚えたことを。

(1曲目) Pembe (Atanas 2003年)

2003年のアタナス講習会で再びこの曲が取り上げられた。最初は1982年で曲名はOro Pembeとなっていた。その時の踊りのイメージをハッキリと覚えている。その当時のフォークダンスだと右に行くときは右足が1拍目に来るのが普通であったが左足で右に進んでいくので「ぴょこたん、ぴょこたん」といった感じであった。徐々に慣れてくると音楽のリズムの取り方が実にこの踊りにあっていることがわかってきた。途中で入るクラリネットの演奏が一層高揚感を与えてくれる。

さて、2003年のPembeであるが演奏はとてもいい。全編がクラリネットで演奏され素晴らしい響きだ。演奏者はIlija Ampevskiだ。というのは2005年ブルガリアで購入したCDにこの曲がフルバージョンで入っていた。アタナス版だと4分少々にカットされてあるがフルバージョンでは6分弱もある。この曲を聞いて私はクラリネットの音色に魅了され自分でも習いたいと思い、その結果現在も教室に通っている。という訳でこの曲は私にとっての1曲となった。

因みに購入したCDは「The very best of macedonia」である。