小説「美しい橋」

この小説のはじめの記述は、まさに本サイトの主題である「隅田川にかかる橋」にぴったりなのです。
白鬚橋は、物理的には両岸の地域を隅田川を挟んで結んでいるのですが、実はそこで生活し行き交う人々の人生、喜び、悲しみ、苦しみと結びついているので しょう。また、どうも昔は、橋は身投げに好都合な場所だったらしいですね。落語では吾妻橋から身投げしようとする話があります。白鬚橋はスカイツリーを建 設した大手建設会社の大林組さんなのだそうです。


早乙女勝元さんの「美しい橋」(文理書院)から引用させていただきました。



はじめに

 白鬚橋・しらひげばしとよぶ。
 白いひげだなぞというと、知らない人は、おそらく枯木のようにヨボヨボの、おじいさん橋を連想するかもしれない。

 ところが、それとはまったく逆に、この橋は、全長一六九メートル、幅二二メートル、巨大なはがねの拱(アーチ)が、弧状をえがいて天を走り、アミの目の ように、拱骨が細かく空をおおって、今にも頭上にのしかぶさってくるようにおもえる。それはまるで、前世紀に生きた、あの重たくぶきみな感じの”恐竜”の 姿を思わせるのに充分だ。

 たくましいということでは、一点の非のうちどころもないこの力にみちた鋼鉄の橋は、隅田川にかかっている十二本の橋梁の一つで、この川の上流からかぞえ て二番目にあたる。が、煤煙で、どんよりナマリのように重くにごった、東京の下町に面し、交通量がさほどでもないのと、墨田と荒川と、この二つの工場地帯 をむすんでいるので、あまり多くの人には、知られていないようである。
 しかし、白鬚橋という本名よりも、むしろ『お化け橋』『身投げ橋』という名称では、この橋は、かなりたくさんの貧しい人々の頭の隅に、きざみこまれてい るのにちがいない。
 この橋が生まれて、すでに三〇年に近い。
 この長い年月のうちには、どんなにさまざまな出来事が、この橋の上にあったことだろう。しかし橋はおそろしく無口だ・・・・・・。何一つ喋ってくれはし ない。したがって、そのさまざまな出来事も、だれひとり知ることができない。・・・・・・しかし、わたしは、たった一つだけ、この橋の上に生まれたささや かな話を知っている。それは一九五五年のある日、この橋の上から歩みをはじめた。ある貧しい恋人たちのものがたりである。




以下、一章の冒頭部分

 昭和六年、白鬚橋は竣工された。
 この橋のきわの千住のガスタンクの町にすむ石田友二は、その後に生まれたので、白鬚橋がどんなにたくさんの人々のちからと、どんなに長い時間をかけて生 まれてきたかを、知ることができない。けれども、友二はそのあたりのことを、つぶさに見てきたようによく知っているのである。というのは、その頃、まだ働 きざかりだった彼の父が、目を糸のように細め、たった一つの自慢話のように白鬚橋のことを、幼い彼にはなしてきかせてくれたからだ。
 父のはなしによれば、白鬚橋はむかし木の橋で、わたる人はかならず、一銭玉一ツずつの渡り賃をとられたものだという。八十七万五千円もの大金をかけて、 このワニザメのようないかめしい橋がつくられたころは、両岸はまだ、
「若草が一面にもえたつ、きれいな土手だったよ」
と、父はよくことばをつづけたものである。ところが、それからまもなくすると、ふしぎなうわさがおきたのだそうだ。
ーーー真夜中、この橋をわたってゆくと、ちょうど八本目の支柱のところに、白い着物をきた一人の美しい少女が立っているのだという。目鼻立ちはすっきりと 澄んでいるが、その顔の色は、夜目にもぬけるようにほの白い。人が通るのをみると、もの悲しい調子のうたを、ほそぼそと笛をふくようにうたうという。早足 に通りすぎて、おそるおそるふりかえってみると、もう少女の姿はあとかたもなく消えている。それで『お化け橋』とよばれた。
 その少女は、どうやら土手に住んでいるかわうそのいたずらだろう。ということになったが、それからしばらくするというと、渦のように暗い不景気の時代が やってきた。こんどは、このお化け橋を利用して、橋の上から隅田川にとびこんで死ぬものがつぎつぎとあらわれ、それで、お化けの橋は『身投げ橋』という名 にかえられたのである。もちろん、いつのまにか、美しい少女もいなくなっていた。ーーー生活においつめられて、隅田川へとびこむ者に心をよせた少女は、そ の行いを一つにしたのかもしれぬ。






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