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千住大橋
(2013年12月14日 更新)


千住大橋1国道4号(いわゆる日光街道) の下り車線に架橋されている。写真の右端奥にと何の変哲もない高架道路が見えるのですが、これが上り車線専用なのです。これは、渋滞解消を狙って新設され たのだが、従来の橋を撤去せず残存させたため変則的な状況になっているのでしょう。

橋の姿を観ると、アーチの中が「あやとり」のようにジグザクしている。長さが短いので、無名の橋かと思ってしまうが、実は、隅田川にかかる橋の中で一番早 く架けられた橋(1594)なのである。従って、2番目の両国橋(1659)が できるまでは隅田川で唯一の橋であったそうです。これは、必要性が無かったわけではなく江戸幕府の軍事上の方針であったといわれている。その後、江戸の町 が大火に襲われ多数の犠牲者が出たことから両国橋が架けられたとされている。
それでは、橋がないのにもかかわらず隅田川の両岸をどうのように行き交ったのかというえば、渡し舟によったのである。現在の隅田川の橋の場所には「渡し 舟」が運行されていた様である。初代の千住大橋(当時は、単に大橋と呼ばれていたらしい。)は現在の位置より数百メール上流に位置していたらしい。



千住大橋2


関東大震災(大正12年、1923年)により東京は下町を中心に壊滅的な被害を受けたが、震災後の復興政策により昭和2年から3年にかけて、駒形橋、蔵前 橋、言問橋そして千住大橋が次々と開通した。昭和2年の11月に蔵前橋、翌月の12月には千住大橋が開通しているのである。
現在では、都内と北千住、草加、春日部、さらに小山、宇都宮方面に通じる重要な国道である4号線が隅田川を渡る重要な橋梁となっている。






千住大橋欄干欄干を観ると、戦前に作られた 橋らしく装飾が施された姿であるが、他の橋に比べると小ぢんまりしているようだ。
上野方向に向かって撮影した写真だが、すぐ先には歴史ある素さの雄神社があります。















千住大橋、名所江戸百景「千住の大橋」千住大橋、名所江戸百景「千住の大橋」



















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