赤穂浪士休息の地
(2013年6月12日 作成)

永代橋東詰め北側に交番があり、その角を左に曲がるとすぐ(数十メートル)の右側のビルの通り沿いの駐車スペースに記念碑が設置されています。
ちくま味噌さんが設置されているのでしょう。そのエピソードが碑文に記されています。
下記のページをアクセスしていただくと詳しいことがわかります。

記念碑を訪ねようと現地に行ったのですが、概ねの位置はわかっているのですが、それでもなかなか場所がわからなくて30分余り行ったり来たりと迷ってしま いました。付近を行き交う複数の方々に聞いても、近くに在ることは知っていらしても「ここだ」と言ってくださる方は無かったのです。先入観で「ちくま味 噌」という店舗か看板が有ると思い込んでいたためかもしれません。実際には目立った看板は無く、むしろ英字数文字の企業名(と思われます。写真では無断で アップできませんので白く消してあります。)が表示されていて足元に有るのに目に入りませんでした。ただただ、目立たず謙虚に地味に設置されているのでし た。
でも、やっとその存在に気が付き、浪士と店主のやり取りの場面を想像することでき満足しました。
当時と現在の永代橋はもちろん違うわけですが、架橋されている場所はほとんど移動していないのでしょう。隅田川にかかる永代橋を通し江戸時代初期と平成の世が時間的に連続していることが強く感じられました。

幼い頃見た、東映時代劇全盛時の忠臣蔵映画のシーンさながらに江戸下町の人々が吉良邸から永代橋へと進む浪士をたたえたのでしょうか。それとも、後に創作 されたイメージなのでしょうか。何れにしても、一時期工業化経済発展一辺倒により汚された隅田川の水も綺麗にに蘇り、平成の今も悠然と流れています。
そういえば、私が卒業した小学校の校歌でも、「隅田の流れ、とこしえに・・・」と詠われています。


ちくま味噌と永代橋
http://www.chikuma-tokyo.co.jp/eitai-br.html

忠臣蔵ゆかりの地
http://www.chikuma-tokyo.co.jp/akoroushi-1.html

ちくま小史
http://www.chikuma-tokyo.co.jp/shi-1a.html



赤穂浪士休息の地1



















赤穂浪士休息の地2 赤穂四十七士の一人大高源吾子葉は
俳人としても有名でありますがちく
ま味噌初代竹口作兵衛木浄とは其角
の門下として俳界の友でありました
元禄十五年十二月十四日討入本懐を
遂げた義士達が永代橋へ差し掛るや
あたかも當所乳熊屋味噌店の上棟の
日に當り作兵衛は一同を店に招き入
れ甘酒粥を振る舞い勞を犒らつたの
であります大高源吾は棟木に由来を
認め又看板を書き残し泉岳寺へ引き
上げて行ったのであります

 昭和三十八年二月

       ちくま味噌十六代
          竹口作兵衛識

引用
記念碑より


なお、旧漢字は一部新漢字で表しています。




赤穂浪士休息;石碑の文





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