信楽-大阪

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 久々の定期ムーンライトながら。今回はうるさい乗客もいなくて、大垣まで無事辿り着く。
 大垣からは快速網干行きに乗り継ぎ。走って座席を確保。緑とオレンジの、俗に言う115系、専門用語で言うところのカボチャ電車である。米原まで行き下車。
 あとから来た長浜始発の新快速姫路行きに乗る。長浜からの客で混んでいたが、座席は確保できた。0749米原発。今回は0821草津で降りる。
 草津での待ち時間、駅の周辺を散策。通勤客が多い。蒸気機関車時代の写真が展示されている。昔の草津駅舎の写真など。
 0846草津線の貴生川行きに乗る。草津線はローカル線ではなく、通勤路線。草津-貴生川間は30分に一本の電車が走る。またまたカボチャ電車で草津まで。沿線は工場、資材置き場が目立った。のんびりして良い路線。
 0910貴生川着。今回の標的、信楽高原鉄道とは改札内の乗り換え。2両編成のディーゼル車。一両はオールロングシート。もう一両はボックス式のセミクロスシート。私はもちろんクロスシートに座るが、地元の人はロングシートを好む模様。何故か、進行左側のカーテンが全て閉められている。地図を見て分かったが、進行左側は南側で、陽が強いため締め切っているようだ。しかし、発車前にカーテンを閉めておくというのはサービスが良い気もするし、余計なお世話のような気もする。
 0919貴生川を発車。山の中に分け入っていく。次の紫香楽宮跡まではなんと9.6キロ。15分もかかる。この間に駅はない。紫香楽宮跡からはこまめに止まり、信楽には0943についた。
 紫香楽宮跡の手前、他の乗客が「この辺や」と言い合っている。何かと思うと、事故現場らしきモニュメントが建っている。そうか、ここか。。。今回の旅行の前に、インターネットで信楽高原鉄道の事故について予習してあったので、ここで何人も亡くなったかと複雑な気分。なぜ単線路線で赤信号なのに列車を走らせたか。
 信楽駅構内にあるセーフティーしがらきという展示館で、事故の記録があると本に書いてあったのだが、本日は期間限定企画のようで、信楽線開業70周年とことで、昔の蒸気機関車の写真が展示されていた。今日は蒸機の写真ばかり見ている。事故でひしゃげたヘッドマークなどは見学できず。

 すぐに引き返すつもりだったが、少しこの信楽の町を歩きたくなってきた。駅前には巨大な狸の像が。駅前の道を進むと、左右に土産物店があり、やはり店の前は狸で埋め尽くされている。
 朝食を食べようと喫茶店に。モーニングセットなどはないようで、単品のサンドイッチ650円とコーヒー300円を注文。高価な朝食だが、久々にうまいサンドイッチを食べたように思った。
 市役所でタウンマップを入手。陶元散策路と示されたところを歩く。小さい町だが、観光客には慣れている町のようで、地元の人も変な目で見ない。紫門ふみのAGE35という漫画で、信楽の陶芸家が出てきたことを思い出す。こういう静かな町で、ひたすら焼き物を作るというのはどんなものだろう。
 地方都市によくあるパターンだが、細い旧道があり、昔ながらの商店が並ぶ。近くにバイパスがあり、沿線にはコンビニや新しい店がある。バイパス沿いのコンビニで弁当を買う。地元の高校生が買い物をしている。やはり若者は昔ながらの商店には目もくれず、品揃えも豊富で店内も明るいコンビニを選んでしまう。
 駅に戻り、ベンチで弁当を食べる。駅内は高校生で混み合っている。今度は一両編成で車内は混雑。私は座れたが、立っている高校生も多かった。1221信楽発1243貴生川着。
 1246貴生川発の柘植行きに乗るが、この電車からも大勢の高校生が降りてきた。いったいどこに行くのだろう。柘植行きも混んでいたが、次の甲南で空いた。途中に、甲賀という駅があった。伊賀のハットリ君に対して甲賀のケムマキという図式があるが、この駅は「こうか」と読む。1304柘植着。
 ここから先はひたすら関西本線の旅路。1312柘植発は加茂行きの一両のディーゼル車。オールロングシート。せっかく景色は良いのに勿体ない。反対側に止まっていた車両はセミクロスシートだった。なんだ、あっちに乗りたかったなあ。。。遠足帰りの小学生がたくさん乗ってきた。関東ではこういうローカル線はちんたらのろのろ走るのが通例だが、そこはさすがにJR西日本、速い速い。快調に飛ばし、1359加茂着。
 加茂から先は編成も長くなり、快適な転換式クロスシート。関西では当たり前だが、関東ではあまりない。先日乗った秋田内陸縦貫鉄道の急行もりよし号は、東日本では珍しく転換式クロスシートだった。
 1406加茂発、大和路快速大阪行き。同じ関西本線でも、加茂以西は電化区間であり、通勤路線。快調に走る。1505大阪着。
 いったんホテルに行き、荷物を置く。晩に昔の友人と会う予定だが、それまでは暇。何をしようかと市内を歩く。昔よく行った旭屋書店に行くことにした。梅田の、阪神百貨店や阪急百貨店の近くにある旭屋書店である。入社研修のレポート作りで、参考資料を買いに来たことを思い出す。あとは、公務員試験を受けるためのエール出版の受験体験記を買いに来たりもした。
 昔は狭い店内にたくさんの本がある印象があったが、今はスペースがゆったりと取ってある。本が選びやすくなっている。青木雄二のコーナーがあり、この著者がこの9月の肺ガンでなくなったことを初めて知った。

 ディアモール大阪の地下街を歩く。ドコモDTタワーという見慣れぬ建物ができている。むかし、この地下街に三省堂があったはずなのだが、なくなったようだ。壁に楽器の模様があり、触るとその楽器の音が鳴る。数年前、できたばかりのころは、誰かしら触って遊んでいる人がいたものだが、今では誰も見向きもしない。
 堂島アバンザというところにあるジュンク堂書店に行く。ここも大きい本屋さん。このそばで、H社時代、先輩の結婚式の二次会に行ったことを思い出した。
 待ち合わせの時間が近づいてきたので西梅田から四つ橋線に乗り、なんばへ。JR難波まで歩いてみたくなったが、もう暗くなっていたし、朝から歩きずくめで疲れたのでやめにした。次に来た時にしよう。
 なんば駅での四つ橋線から御堂筋線への乗換は、私が大阪にいた時代は、いったん改札を出て、地上乗換だった。しかし、今回はちゃんと地下通路ができていた。南海線の難波まで、かなりの距離を歩いて辿り着く。待ち合わせの友人から、少し遅刻するとの連絡を貰ったので、南海難波の地下にある旭屋書店で爆笑問題の「文学のすすめ」を読む。今日は本屋ばかり行っている。
 18時半、ロケット広場で、高校の同級生の友人と会う。実は、今年の2月に会ったばかりだが、その時はあまり時間がなくて慌ただしかった。
 道頓堀へ。グリコの絵や、食い倒れ人形が阪神タイガースのユニフォームを着ている。戎橋(ひっかけ橋とも呼ばれる)には、「飛び込まないでください」との看板が。阪神がリーグ優勝した夜、たくさん人が飛び込んだからだ。「転落事件の目撃者は連絡下さい」との張り紙もあった。突き落とされ、おぼれ死んだ人がいるからだ。
 道頓堀を歩いたが、見慣れぬ店が増えている。とはいえ、昔なんの店があったかは思い出せない。目立ったのはラーメン屋が増えたこと。ラーメンブームらしい。神座(かむくらと読む)や金龍という店は昔からあり、今も健在だ。神座は綺麗に改装されていた。しかし、これ以外にもたくさんの新しいラーメン屋ができていた。特に行列しているような店はなかったが。
 あと、「卵と私」という店をあちこちで見かけた。流行っているのだろうか。大たこも健在。
 和民や魚民など、全国チェーンの居酒屋が増えたような印象。東京と大阪の差がなくなりつつあるような気がした。しかし、私が大阪にいた時代からあったのかもしれない。気付いていなかっただけかもしれないが。
 焼き肉バーベキューの店へ。友人は食肉卸業界の人である。狂牛病の騒ぎで、経営が苦しかったらしいが、持ち直したとのこと。だいだい、熱しやすく冷めやすいのが大衆で、雪印もそうだったが、最近では誰も牛肉は怖いなどと言わなくなった。もちろん、業界の改善努力も忘れてはいけないのだが。
 友人によると「この店の肉質は吉野家並み」とのこと。もちろん、ほめていないのでいる。彼は吉野家を評し「安い肉をよく煮込んで柔らかくし、うま〜く味付けしておいしくしている」と言っていた。
 店を変え、居酒屋へ。同級生の消息、将来の展望など話し合い、お互いの健闘を祈りつつ別れた。地下鉄で梅田に戻り、ホテル泊。

10/18(土)、12時にアポがあるが、それまで予定がない。今日は何をするか決めていない。だが、6時半に目覚ましをかけて起き、7時にはチェックアウトした。シャンピアホテル大阪というビジネスホテル。隣のすかいらーくでモーニングセットを食べながら作戦を立てる。地図を眺める。ここは、堺筋線の扇町という駅も近い。そうだ、前々回、乗り残し悔し涙を流した(嘘)北千里に行こう。
 市営地下鉄の一日乗車券850円を購入、北千里行きに乗る。扇町の次の天神橋筋6丁目、略して「てんろく」(確かそう呼ぶ記憶がある)から先は阪急線。阪急の運賃が別途必要になる。阪急マルーンと呼ばれるあずき色の電車。車内は木目調で落ち着いた内装。公務員試験の模試を受けた関大前を通過しつつ、未乗区間の北千里へ。すぐに着いた。
 北千里では少し散策。千里中央駅と感じが似ている。独特なニュータウン。この北千里はなんだか丸っこい。螺旋階段があったり、筒状の建物がある。
 さて、折り返しの梅田行き電車に乗る。ここで1つ発見。北千里は折り返し駅なので、車掌と運転士が居場所を交換する。車掌が、車両の端から端まで移動しながら、進行左側、東向きの窓のブラインドを上げているのだ。この車両は上から下ろすタイプではなく、下から引っ張り上げるタイプ。だから、ブラインドを「上げる」。とにかく、午前中の時間帯、客が日に焼けて暑くないようになのか、客がたくさん乗ってくる前に車掌がブラインドを閉めているのだ。昨日の信楽高原鉄道といい、西日本の鉄道の文化なのだろうか。
 梅田行きを吹田で下車。東海道線に乗り換える。ところが、地図で見ると近そうなのに歩いても歩いても辿り着かず。結局10分くらいかかった。関東の感覚では、これだけ離れていれば、違う駅名が着くところだ。新吹田とか、西吹田とか、阪急吹田とか。しかし、関西では徒歩での乗換が不可能なほど離れていても、同じ駅名ということがよくある。初めの頃、同期に混同しないのか?と尋ねたら、そんなことはないとのことだった。東京でこのような例は私が知る限り都電と東西線の早稲田くらいだと思う。
 東海道線の普通電車で新大阪へ。大阪在住時代、東京との往復は新幹線だったので、よく来た駅である。ここの土産物屋でタイガースのユニフォームを着たキティちゃんの携帯ストラップを発見。思わず買ってしまった。また、タイガースのコップがあり、職場での茶飲みとして買った。普段ケチなのに旅先では財布の紐がゆるむ。
 御堂筋線に乗り換え、大阪時代に何度か行った西中島南方へ。記憶どおりの場所にモスバーガーがあって少し嬉しい。しかし、あったはずのサブウェイはなし。確か、ここの露天で「たまごっち」が3万円で売られていたのだ。私は結局たまごっちは持たずじまいだった。欲しかったが、3万円では手が出ず、諦めた。
 昔よく行った場所に行く、という旅行の仕方ってどうなんだろう。私の場合、行って思い出す事が多い。自分でも意外なことを思い出す。ここで、あの人がこんな事を言ったとか。それが面白くて、かつて行ったところをブラブラするのだ。こういう趣味の人、いませんか?

 次に、一駅すすみ、中津へ。資格予備校のTACがあり、よく来た。弁当屋やコンビニは昔のまま。しかし、TACは移転してなくなっている。オフィスビルになり、一階には美容室が入居していた。このあたり、妙に美容室が多い。やっていけるのだろうか。
 中津から梅田はすぐなので歩く。駅に近づくにつれ、大きなビルが近づく。ヨドバシカメラだ。私が大阪にいた時はまだなかった。大阪の梅田のど真ん中にヨドカメがあるとは。例のテーマソングが流れているが、もちろん「まあるい緑の山手線、まんなか通るは中央線」の歌詞はなし。なんだか東京と大阪の差がなくなりつつあるような気がする。
 さて,待ち合わせ時間までまだ1時間ほどある。本町で中央線に乗り換え、コスモスクエア行きに乗る。コスモスクエア駅では自動改札が閉まる。大阪港までが市営地下鉄、大阪港-テクノスクエアの一駅間はOTS(大阪トランスポートシステム)テクノポート線といい、運賃体系は市営地下鉄とは別。一日乗車券は無効扱いとなり、別途運賃を払った。
 コスモスクエアではニュートラムと呼ばれる無人運転の新交通システムに乗り換え。東京のゆりかもめ線のようなもの。通常「ゆりかもめ」と呼ばれ、「ゆりかもめ線」という言い方は定着しないが、現在は株式会社ゆりかもめという会社が運営しているため、こう呼んでも良いはず。とにかく、この遊園地の乗り物のような電車に乗る。住之江公園行きである。
 テクノスクエアから中ふ頭まではOTSニュートラムテクノポート線。中ふ頭から住之江公園までは大阪市交通局が運営。こちらはテクノポート線と呼ばれる。地上を走るので地下鉄とは呼ばれない。
 運転系統としては、本町方面-テクノスクエア、テクノスクエア-住之江公園で直通。運営主体としては、大阪港-中ふ頭がOTS、その他は交通局。興味のない方、すみません。これだけの事が、路線図をみただけではどうしても理解できず、乗ってみて初めて分かった。そんなことが分かってどうなるのだと言われればそれまでだが。

2時に天王寺で待ち合わせている。住之江公園からは四つ橋線で大国町へ。大国町で御堂筋線に乗り換え。大国町は方向別ホームの駅(御茶ノ水や戸塚みたいなもの)。私の場合は、方向が違うので階段で乗り換えた。そして久々の天王寺へ。
 本日は、リンク先でもあり、前職のH社時代の先輩であるチロポン氏と待ち合わせているのだった。3年半ぶりか。なぜかドキドキ。うーん、久しぶりだ。会ったら何て言おう・・・?(女の子と会うんじゃないんだから)
 待ち合わせ時間だが、まだ来ていない。5分,10分と経過。おかしいな。もしかして、お互いに認識できないほど、外見が変わってしまったのか!?携帯が鳴る。何のことはなく、二人で別々の改札で待っていたのだった。
 こちらは一日乗車券がある。改札は出入りし放題。一日乗車券を入場券代わりにして、チロポン氏のいる改札に辿り着き、無事再開。
 回転寿司に案内していただき、近況を報告しあう。前職の業界も、業界再編がものすごい勢いで進んでいる模様。共通の知り合いの消息など教えていただく。
 さて、このあとの趣向が面白いのだが、尾崎亜美という歌手のコンサートに行った。大阪市が主催する無料コンサートで、往復ハガキで申し込んだところたまたま当選したので誘って下さったとのこと。谷町線の四天王寺前夕陽ヶ丘(長い駅名だ!)の近く、クレオ大阪中央というホール。大阪市女性協会という法人が主催しているとのこと。会場内で尾崎亜美のCDの発売をしている。よくある光景だ。
 尾崎亜美のコンサートの前に、「きらめき賞」という賞の授賞式。なんでも、男女共同参画社会の実現に貢献している人を表彰するというもので、3人の女性が表彰され、挨拶していた。ふーむ。働く女性の支援会社の社長、屋上緑化を手がける造園家、バレエ(踊る方)のプロデューサー。
 次に、尾崎亜美のコンサートが始まる。ギターとベースのプレイヤーがいる。ドラムはおらずにカラオケというのか、テープ(?)演奏。ドラムがテープだとテンポをゆらすことができず、曲の始まりや終わりが工夫できないような気がするのだが・・・などとつまらない事を考えたが、演奏が始まってみると面白くて楽しめた。
 尾崎亜美というのは実はこれまで知らなかった。嘉門達夫の替え歌で「オリビアを聴きながら」を知っていたのみ。本物に触れることができて良かった。
 途中で尾崎亜美がプロデュースしているという若い女性歌手がでてきた。その名はmyu(ミュー)という。名鉄の特急特別車乗車券のことではない。(やはり言ったかと思われそう)この歌手が2曲ほど歌い、そのあとは尾崎のコーラスに回った。CDももう2枚出しているそうだ。
 いや、しかし、この子が(なれなれしい)すごいのだ。歌が。マイクを通して歌っているのに、声量の多さはすごい。まさに圧倒された。歌が上手いというか、いや、うまいのだが、それよりも何だか凄かった。有名になってほしいな。
 演奏会終了後、さきほど閑散としていたCD売り場が人山の黒だかりじゃなくて黒山の人だかりがある(べたですみません)。開演前とは大違い。ものすごい熱気で、尾崎のもmyuのもバンバン売れている。私も思わずmyuのを1枚買ってしまった。演奏会でのCD発売など義理で形だけやっているのだと思っていたが、認識を改めねば。先に生演奏を聞き、気に入ったのでレコードを買う。これ、実は元々の音楽の楽しみ方だったのかも。普通はその順序が逆転している。先に生の歌声を聞いたのはラッキーだった。CDだけては、あのものすごい声量はなかなか伝わらない。
 地下鉄で阿倍野駅に移動し、チロポン氏の奥様と合流し、有名な明治屋という居酒屋へ。料理が美味しい。昔ながらのこじんまりとした店だが、再開発地域のためもうすぐこの場所からなくなるという。ここで19時過ぎまで飲み、お別れした。
 梅田まで行き、阪急東通のサウナへ。土曜日の晩ということもあり、ものすごい混雑。日本シリーズの初日であり、店内でテレビ中継していますとの張り紙も目立つ。大急ぎで風呂に入り、21時大阪発の新快速に間に合った。その後は米原で大垣行きに乗り継ぎ、大垣からは上りのムーンライトながらで帰ってきたのである。
 一人で全く知らぬ地へ行くのも好きだが、仲間に恵まれる旅行も面白い。チロポン夫妻はじめ、お世話になった方々に感謝したい。ありがとうございました。

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