ムーンライトながら乗車記

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 青春18きっぷ旅行の第1回目。3月中旬にムーンライトながらで大阪まで往復するのでその予習を兼ね、0泊2日で行って来た。すなわち、2/28(金)の仕事の後ムーンライトながらに乗り、翌朝豊橋で降り、一日かけて戻ってきた。
 2/28(金)は飲み会があったが、20時には終わってしまった。仕事が早く終われるのはありがたいが、まだ発車まで4時間もある。銭湯に行き本屋で立ち読みし、少し早いが東京駅で時間を潰すことにした。東京駅には22:00頃着いた。しかし、東京駅は夜が終わるのが早い。新宿や渋谷なら金曜日の22時といえば「まだまだ夜はこれから」という雰囲気だが、東京駅は店も殆ど閉まっていて、乗客も帰り道を急いでいる。失敗したな。売店でコーヒーを買い、銀の鈴待ち合わせ場所のベンチで読書して過ごす。アナウンスによると川崎駅で人身事故のため東海道線が止まっている。しばらくすると、「品川〜横浜間で横須賀線を通る」形での運行再開。さらにしばらくすると完全に復旧した。ムーンライトながらの発車時間が迫り、ホームへ。本来は23時発車の急行銀河大阪行きが遅れて入ってきた。懐かしのブルートレイン。機関車が客車を引いて入ってきた。昔ながらの汽車旅という感じ。いつかこれにも乗ってみたい。寝台車だが特急ではなく急行なので「のぞみ」に乗る金額プラス数千円で済むらしい。
 最初に、ムーンライトながらの乗った率直な感想から。客層が悪い。客のレベルが低い。青春18きっぷシーズンだからだろうが。そういう私も青春18きっぷを使った「安い客」なので人のことは言えぬが。物の値段をどう付けるかという話で、経済学では「需要と供給の一致する所」と習った。公共料金などはかかる原価に利益を上乗せする。高級料理屋などは客層を一定に保つため高い金額を付けたりもするらしい。高いところには高い客が、安いところにはそれなりの客が集まるものだろう。
 さて、ムーンライトながらだが、空席が目立つ。私が乗ったのは1号車。名古屋までが指定の車両である。品川で大勢乗ってきた。その後も横浜や小田原を過ぎてからも、途中から乗ってくる人が多かった。静岡あたりから乗ってくる人までいた。勿論、豊橋では満員だった。
 話が前後するが、東京を出るとすぐに車掌が検札にやって来た。車掌と何やらやりとりしている客が多かった。ある人は定期券で乗ろうとした様で「指定券があるから良いだろう」と主張していたが、乗車券を買わされていた。
 また、これは重大なルール違反のはずだが、やはり指定券を持たずに乗る人も多い様だった。汽車旅の本やテレビ番組が多く、気ままな旅は良い物だという印象を持ち、「指定券がなくても、行けば何とかなるだろう」という誤った認識をする人も増えているのかも知れない。
 あと、初めは理解に苦しんだのだが、デッキに立っている乗客もいた。車掌に指示された訳ではなく、初めから自主的にデッキに立っているのである。どうやら、初めから立ち、指定料金の510円を払う覚悟で乗り込んでいるらしい。「指定券を持たずに全車指定の列車に乗り込むと、指定料金の510円を取られた上で次の駅で降ろされる」と聞いていた。しかし実際は次の駅で降ろすところまではせず、510円を徴収するだけでそのまま乗車オーケーという事らしい。そんなこんなで車掌も忙しく、各駅に止まる度に車掌が来た。
 また、これは断片的に聞こえてきたやり取りからの想像だが、指定券を持たずに指定席に乗り、デッキへの移動を指示されたおばさんもいた。デッキからガラガラの空席だらけの車内を恨めしそうに見ていた。しかし、やむを得ない。
 小田原に着くと、大勢人が並んでいる。ムーンライトながらは1-3号車は名古屋までが指定席。4-9号車は小田原までが指定席である。そのため、指定券を買えなかった人は小田原まで別の電車で先回りし、ここから自由席に変わる4-9号車に乗り込んでくるという寸法。勿論空席があるはずもなく、通路やデッキ・洗面台にねそべったり、あるいは胡座をかくような形で壁に寄っかかったり、あるいは立って朝まで過ごすわけである。正直、よくそんな事をするなあ、と感心(半ば呆れた)。私なら、指定席がなければ旅を諦めてしまう所。または、高いお金を払ってでも新幹線等で行く。女性が冷たい床に座ったり朝まで立ったりしているのを見ると、「本当にこの人達はそこまでお金がないのか?」と思ってしまう。昔の、他に移動手段の選択肢がない時代であればやむを得ないが、これだけ豊かになった世の中でこんな事をするなんて。でも、私は昔の全車自由席時代の大垣夜行を知らないので、あまり知った様な事は言えない。私など甘ちゃんなのだろう。
 さて、小田原を過ぎると私の乗る1号車にも大勢デッキに立ち客がいた。4-9号車のデッキや通路は混むので、510円を払ってでも、やや空いている所で立ちたいという事だろうか。ただ、通路にまで入ってくることは禁止されている模様で、みなデッキにいた。私なら座席もないのに指定料金を払う気はしないが・・・。しかし、この連中がうるさいのである。外国人たちが英語で大声で話している。ついに歌を歌い出した。そこで、座っていたおじさんが堪らず寄っていって、注意していた。外人達はゴメンナサイと謝り歌はやめたが、その後もお喋りは続いた。しかし、程なく富士駅で降りていった。
 長時間停車する浜松では大学の鉄道研究会だと思うが、大勢の若い男がホームにいた。ドアを開けたままホームで大声で話している。私が堪らずドアを閉める。しかし、彼らは開けてしまう。そのような事が2回ほどあった。彼らは浜松で二手に分かれるらしく、「じゃあ、次は高知で会おう」などと言っている。発車後もデッキで大声で話している。ついに辛抱堪らず、私が寄っていって「君たちうるさいで、気ぃ付けぇ」と半分大阪弁で言うと、素直に謝り以後静かになった。
 と、そんなこんなであまり眠ることが出来なかった。ムーンライトながらは夜中でも消灯・減灯しない。ムーンライトえちごと違い停車駅が多く、夜中でも乗り降りが多いからか。車内検札を走行中ずっとせねばならず、その都合か。明るい事そのものが眠りを妨げるというよりも、減灯しない事により「今は寝る時間だから、静かにしなくてはいけないんだ」という雰囲気にならないのだ。夜行バスであれば「ただいまより消灯します。ごゆっくりお休み下さい」となれば、他にすることもないし、寝るしかない。おしゃべりなどすれば目立ってしまう。飛行機だって「ただいまから映画を上映します」といって消灯する。これからは静かにするべき時間だと誰にでも分かる。しかし、ムーンライトながらはいつまで経っても明るいままなので、昼間の延長のように勘違いする人も多いのだろう。また、ムーンライトながらの車両はデッキと座席部分の境が壁になっておらず、薄いガラスの児童ドアしかないため、デッキの音が席まで筒抜けなのだ。どうか、マスコミや紀行ライターの方々など、鉄道旅行の楽しさばかりを伝えるのではなく(それも大事だが)、マナーの向上のための啓蒙にも力を入れていただきたいと思った次第。これだから、鉄道趣味は社会の地位が上がらないのだ。  
 朝の4:20、豊橋で下車。ここで30分ほど停まるので、駅のホームで食事をする人、喫煙室でタバコを吸う人がいる。私は東海道線で反対方向に戻る。 発車まで1時間ほど間があるので、デニーズで朝食。24時間営業のファミレスをインターネットで調べておいたのだ。駅からは遠く、歩いて10分以上。誰もいない道を進むとだんだん街灯も減ってきて不安になってきたがなんとか辿り着く。ファミレスでパンとコーヒーのセットを食べ駅まで戻る。ムーンライトながらはすでにいなくなっていた。興津行き、三両編成オールロングシートに乗る。程なく新所原に着く。ここで雨が降り出した。天竜浜名湖鉄道に乗り換え。「天浜線みちくさきっぷ」1200円を買う。これを使うと一方向に乗り降り自由。逆戻りは出来ない。浜名湖を右に見て一両のディーゼルカーが進む。景色はなかなか良く、車窓を楽しむ。車両にトイレはない。車内はガラガラでボックスシートを1人で占領。陽が開けたあたりで西鹿島に着く。遠州鉄道の車両がたくさん停まっている。ここで遠州鉄道に乗り換え。新浜松まで。単線電化路線。単線とは思えないほど本数も多く(12分間隔)、スピードも速く、列車行き違いの待ち時間も少ない。かなりスピードアップに力を入れている模様。新浜松は浜松駅と近い。浜松駅のキヨスクで傘を購入し、さっき食べたばかりなのにまたお腹が空きロッテリアで朝食。再度遠州鉄道で西鹿島まで戻る。
 ここから再度天竜浜名湖鉄道で東に向かう。だが、次の列車は天竜二股止まり。天竜二股で30分ほど過ごす。由緒ある古い駅で、駅前には蒸気機関車が展示されていた。天浜線の掛川行きに乗り終点掛川まで。東海道線で静岡へ。ここから静岡鉄道に乗る。静岡鉄道の起点は新静岡駅。地図で見ると近そうだったが、歩くと結構遠かった。まっすぐ歩けず、1回地下に降りて再度上がるという事を2回しなくてはいけなかった。静岡鉄道は2両編成の複線電化路線。駅間隔は500メートルおきくらいにある。ここの印象は車内アナウンスがうるさいということ。案内テープがバスのように「次はxxです。xx医院はここでお降り下さい」と流す。駅間隔が短いため、走行中ず〜っと何かしらアナウンスしていた。終点新清水へ。徒歩10分。商店街をひたすら歩き、清水駅へ。昔は確かここから清水港線というのが出ていたはず。一日一往復しかないことで有名だった路線。
 清水から再度東海道線で吉原へ。ここで岳南鉄道に乗り換え。一日乗車券400円を購入し、ロングシート2両編成のロングシート車へ。単線電化。20分ほどで終点岳南江尾へ。特に何がある訳でもなくそのまま引き返す。この岳南江尾あるいは隣の神谷から、東海道線の東田子の浦まで3キロほど。単純往復はつまらないので歩いてみたい気もしたが、あまりに雨が強いのでやめにした。
 吉原まで戻り、東海道線に再度乗る。沼津で下車し、御殿場線へ。単線電化、2両編成。満員で、何故2両編成なのか?と不思議。でも御殿場で殆どの客が降り、ガラガラになる。これじゃ2両にされても仕方ない。昔はこちらが東海道線だったそうだ。トンネルを掘る技術が進み、現在の東海道線が開通し、旧線は御殿場線となったとのこと。高校の卒業式があったみたいで、卒業証書をもった高校生が多かった。
 終点国府津。駅前は特に何もない。ここから東海道線で東京まで。本日は朝から夜までず〜っと雨が降っており、閉口。しかし、よく考えたら私が雨雲と一緒に西から東に移動してきただけなのだが。ムーンライトながらであまり眠れなかったため、最後の方は殆ど眠ってしまっていた。
 なんだか不満ばかり書いた様だが、やっぱり4000円以下の値段で(青春18きっぷ一回分2300円プラス指定席券510円プラス渋谷〜横浜の運賃380円)豊橋まで行って帰ってこられるのはやはり有り難いこと。積極的にムーンライトながらに乗りたいとまでは思わぬが、やはり利用価値は高い。今度は耳栓持参で行くことにしよう。

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