7月31日 土曜日
天花起き
ビデオで『紅いコーリャン』と『あの子を探して』見る。
『紅いコーリャン』(1987年・中国)
イーモウの初監督作品。1920年代の文革、ハンセン病、日本軍による虐待など暗い題材を扱っているが、根底には人間の生からあふれるエネルギーが満ちあふれていて、不思議な気持ちになる。
ここでもひと癖ふた癖もある人物が登場するが、みんな根っこはいい人ばかり。コーリャン酒の造り酒屋の老主人に嫌々嫁ぐ九児(コン・リー)をさらい、主人を殺して自分の妻にしてしまう乱暴な男(主人公)、造り酒屋の番頭として九児を助ける、もの静かな男、義侠心のある盗賊の頭とその手下の居酒屋の主人など魅力的な人物として描かれている。
紅色の使い方は、ほうぼうで指摘されているとおり。夕日の赤、コーリャン酒の赤、コーリャン畑の緑が何もない中国の大地で異彩を放つ。
『あの子を探して』(1999年・中国)
題名そのまんま。村に1人しかいない先生の代用教師としてとある村にやってきた13歳の少女。目的はお金のため。給料前払いを拒否され、生徒が1人もやめなければボーナスをやるとの言葉を信じて嫌々教える、ある日、1人の少年が家の借金返済のために街へ出稼ぎに出される。追いかけて少年を取り戻そうとする少女。
なんてことのない映画だが、貧乏で満足に教育を受けられない農村部の現状を訴えつつ、13歳の少女の素朴な気持ちを描いている。嫌々ながら教えている先生を慕う子どものかわいさがこの話を支えている。
ラストの解決の仕方は、よくあるクイズの逆転問題みたい。コツコツためてきたポイントを1つのボーナス問題で軽く逆転されてしまう感じ。
ついでに『グリーン・ディスティニー』見て武侠のお勉強。
年1回恒例の就職試験による○氏との対決準備。毎年の反省を踏まえて作戦を練るが果たして・・・。
7月30日 金曜日
天花起き
朝から原稿執筆。今日の締め切りにギリギリ間に合い。まあこんなもんかというところまで。
『過防備都市』(五十嵐太郎著/中公新書ラクレ/798円)読了。著者は1967年生まれ、新進気鋭の建築評論家。
治安の悪化とともに社会情勢の不安が高まり、街には監視カメラがあふれている。地域では自警団が結成され、学校の要さい化が進んでいる。セキュリティ空間が都市を変えていく姿を最近のニュースや著者が街を歩いて集めた写真から読み解いていく。
セキュリティだけを抜き出すだけで立派な都市論になっているところが興味深い。若手の研究者だけに、テクノロジーについても詳しい。また、押井守の甲殻機動隊や、踊る大捜査線、こち亀などからもセキュリティに関するテーマを拾い出してくる点なども現役バリバリの大学教授らしい。
本の作りは、2003年頃から2004年6月までの新聞記事や雑誌、お知らせなどから集めた膨大な情報を整理して並べたもので、分析は最小限に留まる。資料の言葉をそのまま引用している部分も多く、多少わかりにくい点もあるが、これだけの物量を集め、それをテーマ別に並べるだけで、都市を取り巻く現在の状況が手にとるようにわかるようになっているのは興味深い。感じるのは雑誌のような速さ。その勢いがテキストから迫ってくるから、知識がない人でも、すんなり読める。
興味深い指摘はたくさんあるが、特にひかれたのは都市と監視カメラの章。
90年代の建築は、住宅を都市に開くデザインが追求されていたが、最近は壁を高くし、完全防備した要塞化が進んでいると指摘。そういえば、マンションのCMも、快適空間をアピールするより、セキュリティに優れていると訴えるケースが増えている。
一方、要塞化できない公共機関は、管理型の情報空間となるとしてその1つが監視カメラを挙げている。「監視カメラを空間のスキャナーに例えることができるのではないか」という指摘は興味深い。「空間を走査しながら個体の位置情報を確認し、データベースと照らし合わせて、そこから不要な人物を特定する。・・・・スキャナーとしての建築は、万人に開かれているが、誰も匿名ではいられない。」とある。簡単にいうと、ある空間をまるごと写真に撮って怪しい人物をはじき出しそうということ。
最近も事件が起きた後に監視カメラから犯人が割れることがあるが、ここではもう一歩未来に踏み込んで、登録した人でないと受け付けないセキュリティシステムについて言及している。2001年のスーパーボールでは、スタジアムにカメラを設置し、10万人の観衆をスキャンして顔認証システムの実験を試みたという。顔の80カ所以上を計測してその数値を犯罪者のデータベースと照合。19人の要注意人物を割り出したとある。顔画像と合わせて虹彩(瞳の奥にある模様)などの生体認証を利用すれば精度はより高まる。テクノロジーの進歩でこれらのことが比較的容易になり、遠くない将来、あたりまえのようになるかもしれない。セキュリティ社会では、安全性を得るためなら監視カメラで撮られることに対して寛容的であり、比較的簡単に監視カメラが導入されている現状も紹介している。
その他の章でも都市とセキュリティに関する指摘が多数あり、現状を理解するためにはうってつけ。情報の鮮度が高すぎるため、雑誌感覚でソッコーで読む本といえるでしょう。
7月29日 木曜日
天花起き
朝から原稿執筆、明日の締め切りに何とか間に合いそうなレベルに。
18:00 上野・落語協会
落語協会新作落語の会(その1)
協会が公募した新作落語の台本を上演する会。先月、鈴本演芸場でやった発表会(こっちは行ってない)の番外編。13日のプークで清麿師匠から誘われたので行ってみた。
清麿師が落選した本の中から気に入った噺「置き女」、円丈師が自作ながら落選した「エステ湯屋番」をやり、わか馬さんが初めての新作「ナマズのひげ」に挑戦するということで個人的には注目率高し。狭い場所に20〜30人くらいのいい感じの入り。
新作落語で、ネタ下ろし。安全な要素がまったくない(当たるか外れるかわからない)会というのが好きだし、演者の緊張が伝わってくるのも好き。初ものに出会えるってうれしさというか怖いモノみたさというか。
最近落語の台本コンクールが、増えてきている。それ自体はいいことなのだが、選ぶほうもやるほうも観客も慣れてないせいからか、「ホン」を気にしすぎ。円丈師の出現以来、新作落語は自作自演が当たり前となってしまったため、みんな脚本の処理の仕方を試行錯誤している段階。
映画でもドラマでも、初稿でホンが完成するわけではない。プロの作家が書いた脚本だって初稿から二稿、三稿、四稿・・・と変わるわけだし、コンクールで入賞したって、作品化にあたって大幅に直しが入る。落語の台本だって、あくまで初稿なんだから、演じる際に変わるのなんて当たり前なのだ。
映画やドラマならプロデューサーや演出家の意向でライターが書き直しをするが、落語の場合、演出家であり演者も兼ねる噺家に一任するパターンがほとんど。人前で初めてやるだけで異常なプレッシャーにさらされるうえ、世の中で初めて発表される新作とくるわけだから、やる側には相当なストレスがかかる。そこを乗り越えて生まれるのが新作のネタ下ろしなのだ。一方の客は、「どれどれお手並み拝見」って感じで構えるから両者の間には何ともいえない微妙な空間が生まれる。
人前で演じられる落語の場合、台本はあくまでたたき台に過ぎない。どう変わったとか、そんなことを考える前に、たたき台をモトにどれだけ面白くできるか、作品としてお客さんを満足させられるかを考えていかないと互いに不幸な結果で終わるだけというのが私の持論。演者と対等な関係が気付ければ話し合いをしながら噺をくみ上げていくのもいいでしょう。時間的、物理的にそこまでできない場合は、ホンを上げた以上、書いた人も観客もわくわくしながら、見ればいい。そして生まれた噺を観客と演者が一緒になって育てていけば定着するのではないでしょうか。
新しいものが生まれる瞬間に立ち会える、それが好きで私は新作の会に運んでいるようなものだし。
以下自分用の覚え書き。
わか馬「なまずのヒゲ」
夫婦げんか生き甲斐の夫婦。軒下から黒くて大きなものにょきにょき。なまずのヒゲと知らされた夫婦。ケンカが原因とか。なまずを怒らすと江戸が地震で崩壊。それは大変、ケンカができなくなった夫婦苦しむ、死んでもいいからケンカをしたい。
世之介「儂(わし)の葬式」
自分の葬式に現れたおじいさん。自分が死んだのか死んでないのかわからない、周りの人からは葬式の主役なんだから、自分ではホントに死んだのか。そのやり取りだけで進む。ワンアイデアだが設定が落語的。ある意味の強引さで押し切る。
清麿「置き女」
原作からは100%変わったとか(円丈師談)。中身はまさに清麿流。からくり人形、フィギア、マニア。
円丈「エステ湯屋番」
古典の湯屋番をエステに。それだけといえばそれだけ。演者の勢いで笑わせる。ひとりきちがいで「火遊び」ってところが個人的にツボ。
7月28日 水曜日
天花起き
商店会の騒音
駅に歩いて向かう際、地元の商店街の中を通るのだが、最近、スピーカーからBGMを流し始めた。お店が徐々に減って寂しくなる商店街だが、音が流れることでそれなりに活気つくことは否定しないけど、流す曲のセンスが問題あり過ぎ。耳障りのないインスト系を薄く流すならまだいいが、たまに聞きたくもないアイドルの歌がランダムに流れてきたりするんですよ。誰かがCDを持ってきてかけるわけないから、恐らく有線放送の歌謡曲チャンネルあたりをかけているんでしょうか。
今日なんか、駅に向かうときはなっち妹、安倍麻美アサミンのデビュー曲がフルコーラスですよ! 微妙に知っているって感じ。好き嫌いはないが、暑い中、歩いている間、聞かされるのは結構辛い。帰りは帰りで、どっかで聞いたことのある曲が流れている。何だろうなあとイライラしながらずーーっと歩いてた。全部聴き終わってやっと冬ソナの挿入歌で、「My
Memory」を日本人の女性がカバーしてたことに気づく。別にいいけど、最後にカバーするなら男にしろよ、紛らわしい! などの妙なツッコミを入れてしまう。こういうBGMは街歩きの妨げで、騒音でしかない。
商店街の人たちはこの騒音に、何も感じていないのかなぁ。街中に意味もなく音楽が流れている国ってほかにあるのか知らないが、もう少し音に気を配るというか音楽による騒音について考えてくれ〜。
大学時代の友人からHP見たとメール。よくわからないが、最近グーグルヒット率があがっているようだ。ネット歴は長いが、サーチエンジンの仕組み(不思議)だけはいつまでも理解できない。
7月27日 火曜日
天花起き
原稿執筆いろいろ。
7月26日 月曜日
天花起き
あまり月曜って感じがせず。
締め切り迫りで書き物(下調べや構想多数)。
NHKの9時ドラ『妻の卒業式』見る。フジの月9の裏。5週連続の最終回。脚本の田淵さんが好きなのと、三宅裕司さんが好きなのでずっと見てた。最近増えつつある熟年離婚もの。鉱脈ありと続々と作られているが、大体設定は似てきてしまうから今がやりどき。
専業主婦の岡江さんが、サラリーマンの夫(三宅さん)から離婚を切り出される。離婚日は一人娘の結婚式当日って設定が面白い。熟年夫婦当事者にとっては、身近に感じるような作りで、結構楽しめた。
もちろん若い人が見てもわからない部分が大きい。視聴率は月9の裏で10%取っているが、視聴者層はある程度年を重ねた人だからネットでの書き込みも少なめでしたね。
最終回、娘の結婚式のシーンで見たことある女の人だな〜と思ってたら、脚本の田淵さんで、実はこれが一番驚いた。セリフなしだけど結構映ってたんですよ、モト冬樹の奥さん役で。たぶん誰も気が付かないけど、このマニアック度合いがたまりませんでしたね。後で田淵さんのHP見たら出たと書いてあったので、間違ってなかったみたい。
7月25日 日曜日
10時起き
ビデオで『活きる』(チャンイーモウ監督、1994年中国)を見る。
1940年代の中国。博打に明け暮れる資産家の福貴。借金で家や財産を失い、妻の家珍は、子供を連れて家出。老父は死に、老母は寝込む。改心した福貴の元に返る妻。福貴は影絵芝居で、全国を巡演。戦火から生き延びて帰ったが世は文革の真っ最中。家族に襲いかかる不幸を乗り越えて活きていくある家族の姿を大河ドラマ風に描いていくって感じ。
戦争や凶悪事件のニュースが毎日流れる中、不景気やリストラで自分が活きることに精一杯な現代人の心にも通じます。
時代にあらがうことなく、ただ活きることを淡々と描いている。ただ活きるだけのことがどれだけ難しいか。一夜にして今までのでの価値観が逆転するような時代の中国ならなおさらでしょう。福貴の人生は、おそらく特別なものではなく、それぞれの人がそれぞれの悲しみを背負って活きていたであろうことが想像できるでしょう。
感動巨編というより、純粋なエンターテイメント映画として楽しめますね。この映画には悪人が1人も登場しない。福貴から家を取り上げた人も、食い扶持を稼ぐために影絵師の仕事を世話してくれるし、町長も婿を世話してくれる。娘婿の二喜は、ハシゴを持って家に乗り込んだと見せて家を改築してくれるし。
ただ、子どもを持つ方には辛いシーンが続きます。2人の子どもが死ぬのも親友の春生という人の不注意による事故、しかも本人は殺したことに対する重荷を一生背負うことになる。娘が死ぬのも出血多量による事故。殺したのは医師を引っ張っていた共産党ということになる。戦争映画でよくある兵士が庶民を殺したりすることもない(1カ所だけ全さんという人が銃で撃たれる)。悪いのはすべて時代だったとメッセージを送ると同時に、どうにもならない運命を描くことが感動や爽快感を残すことに成功しているのでしょう。
ユーモア(というかギャグ)も随所に効いていて、息子の名前を「不賭」と言って驚かせたり孫の名前を本当に「マントウ」としてしまうシーン、息子を殺してしまた春生が結婚式の祝いとしてもってきた品物を受け取りたくないといった妻だったが、春生が持ってきたのは毛沢東の写真だったところ、娘の出産に呼んだ王医師にマントウ喰わせてお湯飲ませてのどを詰まらせるシーンなどなど。死や不幸と隣りあわせにあるからこういったギャグのようなシーンが何ともいえないおかしさを生み出している。「あの時、王医師にマントウをあんなに食べさせなければ」は死んだ直後なら深刻だが、時がたてば笑い話として語り継がれる類でしょう。
親友の春生という人物は、ばくちに狂っていた時は帳簿付けの役、影絵師を始めた時は同僚として主人公と共に生きる。共産党軍では共に生き延び、帰ってきてからは区長に就任、最後には「走資派」と疑いをかけられ、妻も自殺してしまう。戦場ではクルマが運転できれば死んでもいいといったり、妻が死んだ時には福貴に「もう生きたくない」とつぶやく。主人公と対照的な人物として印象に残りました。最後に福貴の妻が「あなたは私たちの家族を一人奪ったのだから、生きなくてはいけないのよ」と叫ぶシーンが胸を打つ。
『HIRO』と『初恋の来た道』で見せたような強烈な色彩美も発揮されていて、娘婿の二喜が家の修理にやってきて描いた毛沢東の壁画の強烈な赤のコントラストや影絵の美しさ、結婚式風景の撮り方にこの監督らしさが出ている。特に主人公が戦場から戻ってきた時の共産党旗や娘の出血シーンのような赤の使い方はこの監督ならではで、『初恋の来た道』でも、主人公が織る赤い織物や赤い首巻き、防寒着などが効果的に使われている。建物や街の変化で見せる年月の流れもこの監督らしく(『初恋〜』でも効果的に使われている)、娘の鳳霞と二喜が描いた毛沢東の壁画も70年代になるとすっかり色あせているところなどは共産党政権に対する庶民の気持ちが離れていることをうまく表していると思いますね。
7月24日 土曜日
9時起き
18時45分 なかの芸能小劇場 「柳家一琴の会」。
さん作 寿限無
一琴 道灌
コンタキンテ ちんちん電車
一琴 棒鱈
中入り
一琴 質屋庫
さん作さん、初見。一琴さんによるとさん喬師の弟子で一琴さんの2個下(35歳)だとか。35歳で前座修行ですか。妙に落ち着いていて語り口もそれなりにしっかりしてたので。前座界の高年齢化も日常的になってきたのでしょうか。
道灌、丁寧にやると細かいくすぐりや間が大切なギャグがたくさん出てきて、まさしく前座が落語の基礎を練習するのに最適な噺。この間ができるかできないかでそれからの落語に大きな影響が出るわけだから、こういうのを前座のうちにやるって大事なんですね。でもなかなか難しいんですが。
棒鱈、質屋庫ともに滅多に聴くことのない噺。下げにつながる噺を事前に仕込んでおかないといけなくて、しかもそのオチがなじみのないものだったりするので難しそう。噺の中身は田舎の酔っぱらいが出てきてそれをからかうとか、質の品に付いている化け物が出てきたりと落語らしい変なエピソードのオンパレード。爆笑が巻き起こるような王道落語ではないが、独演会のような場所でじっくり聴くには最適。
今日のゲストはコンタキンテさん。かつて大川興業に所属し、江頭2時50分と一緒に「男同志」を組んでボキャブラなどに出ていた知る人ぞ知る存在。大川興業の本公演は10年以上見続けてきたが、江頭に次いで主役を務めることが多かった期待の存在だったが、わけあって外れることになってしまった。大川興業を辞めた後も個人でも舞台を中心に活動している。今回は、一琴さんの縁で出演となった。
ネタは『ちんちん電車』。電車の車掌の格好をした男。股間に長い棒状のようなものをつけ、それを右手で持ちながら・・・。下ネタでちんちんと・・、発車と・・がかかっています。
一琴さんのが自分の会に来てくれるお客さん(年配の方が半分以上)に是非これを見て欲しいといってリクエストしたネタで、一琴さんもその反応を楽しんでいる雰囲気。もちろん会場には引き気味で、微妙な空気が流れてはいるが、その感じが私的にはスリルあって楽しかったですね。声を出して笑っているのは比較的若い男性ばかりで。私も久々に聴くコンタネタに大満足。あの頃のパワーが全然衰ろえてなくて懐かしかった。
帰宅後、冬ソナ、オンバト見る。
27時間テレビは見ないで、撮り貯めた「赤い衝撃」を3本分まとめて見る。
↑薬師か今日から恒例の盆踊り。どこにこれだけの子どもがいるのかと思うくらい子どもがいる。
7月23日 金曜日
天花起き
ケータイ電話やインターネット関連のイベント・展示会「ワイヤレスジャパン2004」を見に有明の東京ビッグサイトへ。21日から23日までの期間のうち今日は最終日。展示会での情報収集はライターにとってわりと大事なのだが、コスト的に合わないことも多い。仕事に直接結びつかないと行く気も萎えるのだるが、その場で産業や技術の勢いを感じることができるのでわりと好き。
NTTドコモのブース、携帯電話の将来像を紹介するコーナー、指パッチン式スイッチ「UbiButton」という製品が参考出展されていた。腕時計のように手首に装着して、指をパチッと鳴らすと、その振動を検知するというもの。例えば、指を「パチ、パチ、パチと3回鳴らすと、それがスイッチの役割を果たしてテレビのスイッチを入れたりできる。これを携帯電話に応用するとすれば、耳にヘッドセットをはめておき、電話がかかってきたら指をパチッと鳴らして電話に出たり、切ったりできるとか。これは昔からある「加速度センサー」を使っているものなんですが、小さなチップ化することでやっと実用レベルまで近づいた。
時期的にドコモが力を入れていたのが、「おさいふケータイ」でおなじみフェリカ(ICカード)対応の506iCシリーズと対応サービス。第一興商は「ビッグエコー」に置いてある端末でケータイから曲名を入れたり、コンテンツをEDYの決済で買ったりするサービス、ビックカメラはポイント、コカコーラの自動販売機、ケータイによる鍵、社内用ゲートなどの実物を体験できるようになっていた。
auのブースは新製品のWシリーズを触る。端末の形状でドコモがどんどん新しい方向を打ち出す中、auはおとなしい感じ。午前中にいったので思う存分触ることができた。ボーダフォンは出展なし。この業界どこで主導権が移るかわからない。勢いの差が改めてみられる。
逆にケータイのハードメーカーが出展するケース目立つ。東芝や三洋電機、NEC、パナソニック、京セラなんかも元気良かったですね。もちろん、コンテンツ会社もさまざまなサービスを出展。大して広くないが端から端までじっくり見ると3時間は余裕でかかる。途中休まずずっとうろうろしているから展示会は疲れるんですよね。
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ついでに今日から始まった「デジタルアートフェスティバル東京2004」をのぞきにパナソニックセンター(ビックサイトの近くにある)へ。
NHKのBSで放送している「デジタル・スタジアム」が主催して毎年開いているイベントで、番組で取り上げられた若手クリエイターの作品が展示されている。
デジタルの知識を生活に役立つ産業分野に使うのもいいが、まったく役に立たないアートに使うのも好き。デジタル技術を使ったおもちゃや装置を意味する「ガジェット作品」の展示が興味を引きました。音が出ると光るボール「どんぴか」、茶筒のような缶に声を入れると缶から永遠に声が聞こえてくる「音カン」、声に反応するおもちゃのレーシングゲームなどなど。あまりのくだらなさに笑ったのは、単なる七輪の下にセンサーを組み込んで、うちわで仰ぐと上の電熱線が温かくなってトーストが焼ける「オカマトースター」とか。実際にアーティストも常駐しているので、直接話を聞くこともできて結構楽しいです。オカマトースターを作ったお姉さんと少し話しましたが、自分の作品をみんなに見て欲しいオーラが出てます。
また、放送で紹介されたデジタル作品(映像作品の上映も含む)、立花ハジメ、岩井俊雄氏らの作品を、誰でも気軽に体験できる「デジスタ・ミュージアム」(23日は見られなかった)など結構面白そうな催しが多数。
夏休みということもあって子ども連れのお母さん方がいたが、神秘的な世界はそれなりに子どもでも楽しめそう。わざわざ出かけるまでもないけど、お台場近辺に遊びにいったらって感じ。展示会は27日(火曜)まで。
帰宅後レンタル期限で
『恐怖の報酬』(リメイク版しか置いてなかった)と『マルホランド・ドライブ』を見る。
『マルホランド・ドライブ』はデイヴィッド・リンチ監督、ナオミ・ワッツ主演。2001年。
ツタヤのミニシアターの棚から適当に借りてくるので、まったく予備知識なしで見ることが多い。リンチ監督も初めて。この映画の内容を説明することはできない。DVDの監督インタビューを見たがインタビュワーが「この映画のテーマは」「一番言いたいことは何ですか」と投げた質問に、リンチ監督は答えない。というか、テーマなど何もないから答えられない。言いたいことはすべて映画の中で言っているからと。見る人が自分から積極的に読み取ればいいと突き放すんですが、まさしく監督のいうとおり。基本的に映画や物語なんていうものは、テーマは何かとか言いたいことは何かなどと考えてみる必要はない。何度かみると楽しいでしょうね。ミステリーっぽいし、レズもカラミも出てくる。ナオミ・ワッツという人は意外と演技派。
7月22日 木曜日
天花起き
今日も今日も暑い。
お台場の展示会に出かける予定も明日に延期することに決定。
7月21日 水曜日
天花起き
今日も暑い。
昼間、表参道、青山ブックセンター(本社)を一応のぞいてみるが閉店のお知らせ。ガラス越しに見える店内からは本がすべて運び出され、がらんとしている。先週ここで本を買ったばかりなのに。
ついでに銀座三越へ写真展「美しきコリアン・スターの素顔」(26日まで入場無料)をのぞきに。韓国のカメラマンが撮った韓国スターの大型パネル写真が展示されている。みんな知らない人ばっかりでちんぷんかんぷん。
その中で個人的にはまったのはチョーヨンピルの写真が1点だけあったこと。1982年撮影なので、もちろん若い。少し格好付けた感じが微妙に笑いを誘う。
展示会はそのカメラマンが撮った写真集のプロモ。入り口には写真集の展示販売、韓国ビデオやCDがずらり並んでいた。平日の昼ってせいもあるのですが、お客さんはもちろん、女性ばかりだった。
中野のケータイ屋(ドコモショップ以外)で片っ端からpreminiの在庫を当たるがどこも予約待ち。しかもFOMAからの買い替えがドコモショップのみということが発覚。どうやって買うか迷うところ。
夕方、くわっちへ。
いつも思うが唄は難しい。
終わって沖縄風の冷やしそば(結構美味い)。