12月31日 水曜日
8時起き

起きたら仮面ライダークウガ(映画版)やってたので終わりまで見てしまう。
ビバリーは柳昇師匠特集。志ん朝、小さんと続いて3年目。どうしても来年は誰だってことに。結婚式風景やカラオケ病院など久々に聞く。

片付けしてこの日記書いて帰省へ、新幹線はそれでもまだ混んでいるので立ちで。
大晦日の帰省はここ5,6年で1度くらい。
毎年なんかのカウントダウンとかテレビでザッピングとかだったので、今年は超久々。
大勢だとテレビのチャンネルはほとんど変えられない。主に紅白で。テレビにはあまり集中もできずざっと見る。松井家はテーブルの上にミカンすら出ていない。6時30分くらいから11時30までどうやって過ごしていたのだろうか、気になって仕方ない。
とりあえずサップVS曙戦は見る。家族もみんな見たがっていたから、それだけ注目度も高いってことなのかと。

12月30日 火曜日
8時起き

今日は告別式へ。また蘇我。
神奈川のおまるがクルマで迎えにきてくれたので2人で蘇我へ。
告別式も遠方から落研の先輩たちが多数。
隅演メンバーもたくさん東京から来てくれる。みんなぞんさんのあてぶりとかあの雰囲気が好きだったので。出来たばかりの別冊と東京かわら版の1月号をぞんさんのお棺に入れてお別れ。元かわら版の大友さんもギリギリ到着。「逆に考えればこれ以上苦しまなくてもすむから」という大友さんの言葉にもなるほどと。生まれながらの病気で、しかも週に3回の透析は健常者にはわからない。その病気と一生つきあう運命だったのが、それ以上苦しむ必要がなくなったということでもあるわけで。障害者手帳を持つぞんさんを健常者として扱ってきた我々がまったく気付かなかった視点でもある。
子どもに先に逝かれる親の身にたつと、辛いものはありますわな。

おまるとクルマで帰る途中、ひだいさんとばったり合ったのでファミレスで食事してクルマで中野に送ってもらう。

毎年30日の定例行事は競輪グランプリ。12年間の年末行事なのだが、今年はそれもできず。車券も買えず。今年は立川でなく京王閣だったので亀寿司コースもなく。今年は新坂さんとぞんさんを亡くして寂しい年となる。
競輪グランプリはビデオでじっくり。うーん、この展開は読めない。村上と伏見の逃げ争いがすべて。

ビデオで『ベスト・フレンズ・ウェディング』

ウッチャンナンチャンお笑いバトル、ものまねプロレス、くだらな過ぎ。ますがおかだの柔ちゃん激似。


12月29日 月曜日
6時30起き

一つ目のお別れ。まる6年の活動に一段落。
毎年29日の昼は
末広亭の余一会というか年末企画の「正朝・右朝二人会」(右朝師亡き後は正朝・扇遊二人会)。
今年はその後一琴さんの出る志らく劇団の芝居に行こうと思ったが、今年はそのスケジュールもなし。

16時 千葉の蘇我まで。ぞんさんのお通夜。大学の落研の先輩であり、大学卒業してからはかわら版のゼミで一緒に落語評論について勉強したり、田口さんたちと寄席のミニコミ誌作ったりする演芸仲間。
急死ということでみんなビックリ。

落研の先輩、同輩、後輩など多数。東京かわら版のナオミさんも演芸作家の稲田さんも駆けつけてくれる。

蘇我駅前の居酒屋で40人くらいで。千葉から2駅とはいえ蘇我はもう田舎。飲み屋らしきものはほとんどない。蘇我駅落研の飲み会はとにかくうるさいので普段の大声でしゃべらないと隣の人にも聞こえないので大変。

12月28日 日曜日
8時起き

訃報連絡。思いもよらぬところから。何はともあれ、連絡回すことに。電話とメール併用して送ったのだが、メールでも意外と反応早いことに驚く。

16時 御徒町パセラ 歌クラブ
高橋宗匠主催、つくし、したぎ門下で。
疲れいうかテンション上がらず。

帰宅後ビデオで
M-1ぐらんぷり2003
今年で3回目、有馬記念や競輪グランプリみたいに年末の恒例行事に定着しそう。賞金1000万だし、周囲からの認知度も高い。
本命視されるフット、成長期待の笑い飯、にちょけん、アメザリなどがからむ構図。

いやーレベルあがりましたわ。紳助さんや松本さんが言ってたが、笑い飯の一本目は本当に感動モノ。ボケの取り合いという新しいスタイルで去年の話題をさらった新しめのコンビだが、今年はそのスケールをさらにアップさせた感じ。これだけ面白い新スタイルの漫才はしばらく見たことない。他のコンビがかすんでしまいそう。フットも総合力では抜けているしボケの岩尾はホントにいい。決勝のネタもやはり僅差。ここまで来たら誰がとってもおかしくないわけで、実力からしたらやはり妥当な結果。
東京のアンタッチャブル(人力舎)、敗者復活から一気に決勝。出番が最後という幸運もあったけど、とりあえず関西の有力審査員の目に触れることでやっと面白さをわかってもらえたみたい。オンバトでは常時オンエアクラスなので、面白い若手がいかに人の目に触れていないかということがわかる。あの場で紳助さんにお墨付きをもらうことはこれからの漫才人生に何らかの影響を与えることは間違いない。ただし、漫才やテレビを見ている人は自分の感性以外に面白さを測る基準を持っていないので紳助さんの一言は悪い意味で影響を与えてしまう可能性大。「来年はこの2組(笑い飯とアンタッチャブル)で決勝と紳助氏が言ったことだどう響くかかな。

つくしさん、家に帰ってビデオ見ようとしたら、ある人から電話あってすべて結果を知らされてしまったとか。帰りの電車で決勝予想の話しで盛り上がっていただけに、かわいそうというか運悪いというか。


12月27日 土曜日
てる起き

中野でウクレレ
つくし、森、高橋さんのいつものメンツで。
なぜか最後はあまり弾かず。去年は発表会などやってたのだが、今年はイマイチ。何事も企画と実行をと反省。


12月26日 金曜日
てる起き

どの編集部も年内最後の作業。企業も連絡は大抵今日までで終わり。
素材作成、写真集めなどラストスパートで。ほぼまるいちにちかかかりで。

早く終わったら一琴さんの出てる芝居に行こうと思ったが終わらずあきらめ。


12月25日 木曜日
てる起き

朝いちZAIゲラチェック。原稿入れて翌日校了体制。

13時 下馬スタジオでナビ撮影。
テレビPC全盛。PCの液晶、ついに20インチオーバー。またデスクトップの時代へ逆戻り。撮影泣かせ。20kgもあるのを箱から出してセットしてかたづけてと。ノートなら箱から出すのも簡単だし片付けも撮影も簡単なのだが。

編集部戻って画面撮りして23時。1日がかり。ゲラ見ていろいろやって終わり。

12月24日 水曜日
てる起き

年内残すところ3日。編集者はそこまでに全部校了までたどり着かないといけないので大変。クリスマスイブとかクリスマスとかは恐らく関係ないでしょう。このヘンの業界の人たちは。
こちらもそのためには必死で。8時30からスパート。昼までにZAI入れる。

BBマガジン 原稿執筆
ブロバンの有料テレビ番組配信「トレソーラ」
要はテレビの記事。テレビを見ていたおかげで簡単に書ける。何が役立つかわからない。ブラックジャック、トリック、銭金、内プロ、アサ秘ジOK。大奥と顔以外は書けた。その入稿。

夕方、ZAI即ゲラ、文字アフレ直してとりあえず。
ベスPもゲラ。
ずっと休む間もなく。

1時、アサ秘ジャーナル年末スペシャル版。総選挙で落ちた高市、植田前議員、横森アコーディオンで「アローン」「明日への扉」「世界に一つだけの花」熱唱。このくだらなさがオモロすぎ。

12月23日 火曜日
二日酔い
今日原稿少し入れる約束も午後まで仕事やるき起きず。
ZAI1/4をやっとこ夕方入稿。

つけ回って、4時まで仕事。
もう1つの忘年会と落語会行けず。


12月22日 月曜日
6時30起き

11時 赤坂 Sバンク
この時間ひとけの少ない社内で打ち合わせ。

13時 五反田 学研打ち合わせ
15時30から18時30まで時間つぶさないといけないので五反田ネットカフェで原稿執筆。

唯一の忘年会。蒲田。最後は高円寺、3次会まで。

12月21日 日曜日

9時起き

ZAI続き
レイアウトも遅れ気味だが、それはそれで仕方なし。残り1週間。ほとんど集中して原稿書いてた。22社もオンライン証券あるからそのサイトを細かくチェックしたりデモ画面で見たり。パソコンなんかと同じであまり差がないので、差がつきやすいところをピックアップ。逆指値とかリレー注文とか知らない言葉も調べないといけないし。こんな記事書いてても株には詳しくならないのがいい。

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