jazzと発狂 多重可能性 LEDの光点は異常 見ただけで狂ってる 意識と言語は近いもの 見られてる見られてる発狂してるのがばれる 意識の中に壁は作れるか 意識は共有できない いつまでもトリップしてはいられないから外側にいる連中が疑似体験できるように でも発狂している間の殆どのことは 過去と現在の多重化 発狂してるように見えるけど実はそうではなくて 意識が 有る という文章が書けるモード1があって、 今の意識の特殊性は、いずれ 意識の連続は言語と繋がっている筈でそれは文章の形で例え文法が一時的におかくても 発狂している自分と発狂していない自分の多重性を世界は許容するのは世界が自分であるからで、評価の遅延による無限ループが発生していますがどうしましょう。 このまま保存するしかないでしょう。 文章としての文法を越え そのような文章の存在が許されるのかという社会規範を越え というか、あとで編集できるから、ftpで送るまでに体裁を整えればそれは確かに外部から観測できる他者であるけれど、 ここで表現したいのは あ、そうか。日記を異常に多量に書くという症例が ううん、日本語は不便。意識の完結を文章で表現すると んーと、だからね、「後で編集をしてはいけない」ということを今書いておけばとりあえず安心らしい しかしその「後で」というのは あ、これか。自分で編集できる文章を書きながら発狂してるのがいかんのか。 発狂中に編集してませんということが自意識に証明できない (a)() ここの括弧の中にaと書いて消したが、それは誰にも証明できない 1720 まっさいちゅう 1800 まっさいちゅうそのに 1925 まだ効いてるけど大分醒めてきた 2010 まだ残ってるなあ。一応まだ「あっち側」ということで、編集禁止中。 発狂論理学というのを思いつく。思いついただけで内容は決めてなく、後で考えれば判る、と思っていたが、 そんなもの発狂してる人にしか分からん。 発狂論理学のさらに上のクラスとして、死亡論理学というのも思いつく。 これも詳しくは決めてなかったが、trueとfalse以外に死亡という状態を含めたものだ。 んでさっき、死亡論理学という名称をあらためて命題論理学と付け替えても、特に問題のないことに気付く。 発狂している最中には、発狂というモードと正常というモードがあるように思えていたが、 そのうち正常は発狂の一部分であるという認識に至る。 どちらがどちらを包含しているかは不定のような気もするが、こっちの方が面白い。 エントロピーの定義には、エネルギーによるものと、状態数(規則性)によるものの他に、 知っている集団から知らない集団への情報の流れという見方があり、 情報エントロピーでの伝えられる情報に、「発狂」の概念を加えても何も問題ない。 つまり、発狂は感染してゆきそれは不可逆で、いずれ宇宙全体が発狂する。 2110 一風呂浴びてさっぱり。もうほとんど正常。 食べてから6.5時間くらい。そのうち2.5〜3.5時間目あたりにピーク。ちょっと遅めかな。 肝臓がいよいよ負荷を越えた後、血中濃度が上がっていくのかな。 これだけ効けば、セットとかセッティングとか関係なしになんか意識変容するわ。