パソコンのデータ破損の責任追求裁判
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2024.8.25mf更新
弁護士河原崎弘
データ消去
H社は中国文、国文および漢文の教科書などを発行している出版社です。
1993年11月12日、T社のセールスマンがパソコンの見積書を持ってH社を訪れました。H社の担当者は女性でした。セールスマンが感じの良い人でしたので、H社の担当者はパソコンを取り替えることにしました。ここが、間違いの始まりでした。T社の担当者の外観は良くても、T 社の担当者には技術力が欠けていました。
パソコンの
価格は合計205万円、月3万3千円のリースでした。
H社では、パソコンを顧客管理と販売管理に使っていました。
リースの審査もパスし、11月30日、パソコンが搬入され、翌日以降、T社の技術者がソフトのバージョンアップを行い、旧データを新しい、ハードディスクに移すなどの作業を行いました。
Hでは、販売管理のデータの更新が1月ごとで、その都度データをフロッピーに入れていたので、前月以前のデータを見るのにフロッピーの差し替えが必要で面倒でした。T 社は、3ヶ月分だけ、保管する場所をハードディスク内に作ることを提案しました。H社もそれに賛成しました。
1994年4月21日、朝からT社の担当者がハードディスクのB領域をさらに2つに分ける作業をしていたのですが、誤って顧客管理のデータを消してしまったのです。
担当者は「作業中にデータを消してしまった(彼は後日法廷でこの発言を否定しました)。修復できるかは私の判断ではわかりませんので、ハードディスクを持ち帰ります」と言って、昼頃ハードディスクを持ち帰りました。午後7時半頃、T社の他の従業員から「修復は不可能でした」との連絡がありました。
翌22日、T社から「FATが論理エラーを起こしており、修復は不可能でした」とのFAX連絡がありました。同日夕方、T社の社長が来て、「FATが壊れていた。作業する前に壊れていた可能性が大きく、サポーターに責任はない。だだお困りのようなので、前向きに考えましょう」と言って、2年前のバックアップフロッピーディスクを持ち帰りました。
26日、T社からファックスが来て、「フロッピーからデータを修復する作業を検討している」と言ってきました。
不信に思ったH社の社長は、法律事務所を尋ね、弁護士に助言を求めました。
弁護士の助言
弁護士は、「ハードディスクを返してもらい、専門家に調査を依頼するよう」助言しました。
27日にハードディスクが返ってきたので、H社は専門家に調査を依頼したところ、
ハードディスクは21日午後5時24分にフォーマットされていることが判明しました。
専門家の話からは、「FATが壊れていても、FATは2つあるので、データの修復は可能であるし、例え2つのFATが壊れていても、データの修復するツールがあり、それを使えばデータの修復は可能である」との回答がありました。
交渉
H社は、この話を基にT社と損害賠償の交渉をしました。T社は「バックアップはユーザーの責任である」の1点張りで、話し合いはまとまりませんでした。H社の社長は、T 社に対し、非常に怒りました。
裁判
H社は、弁護士を依頼し、T社に対して、データと消したとの不法行為(民法709条、715条)を理由に損害賠償379万円を求め、訴えを提起しました。
データを抹消したことによる損害額の算定は難しいです。弁護士は、データの再取得費用を損害と考えました。損害とは、データ収集費用および打込み費用(1時間2000円として計算した)です。
コンピュータ保守を受託する場合、保守を受託する会社(T社)は、顧客(H社)と、事前に、保守契約を締結し、その契約書の中に「データのバックアップはユーザーの責任であり、受託会社(この場合はT社)が保守の実行に伴い、データーを破損しても、免責される」との条項が入ることが多いのです(アプリケーションソフトのライセンス使用許諾契約にも似た条項があり、結論は同じです)。この免責条項は有効です。通常は、免責特約のためにユーザーが敗訴しています。
しかし、一般論として、重過失の場合は免責されません。米法上、gross negligenceの場合も免責されません。そこで、日本でも米国でも、原告は、通常、被告の重過失を証明する必要があります。
幸い、このケースではH社とT社の間に、この契約はありませんでした。免責条項(契約)がなかったのです(もちろん、リース会社との契約の中にはリース会社を免責させる条項はありました)。原告(H社)は、被告(T社)の過失を証明すればよかったのです。
(被告の抗弁)
被告は、「HDD内にディレクトリーはあったが、ファイルがなかった、多数のクラスターが破損していた、FATにエラーがあった」と抗弁していました。被告は、その原因として、「原告の従業員が不完全な終了をした(いきなり電源を切った)か、周辺の電気機器のノイズの影響ではないかと説明していました。
証拠調べの中で、T社の技術者が誤ってハードディスクをフォーマット(正確には、領域解放)した疑いが強くなりました。T社は、それを隠すために、さらに自社でフォーマットしたのです。(前述のように)ハードディスクを調べると、T社はハードディスクを持ち帰った日にフォーマットしていることが判明しました。T社はパソコンの「内部日付が1日早くなっていた(これも嘘でしょう)」と苦しい言い訳をしました。
「FATが壊れていた」とは嘘だったのです。ハードディスクの中に証拠は残っていたのです。これは、これからのコンピュータ関連の裁判で当事者が注意しなければならぬ点です。証拠はハードディスクの中に必ず残ります。この証拠隠滅の疑いのある被告の行動および被告側のコンピュータに関する知識不足のため、裁判は、圧倒的に原告有利に進みました。
日本には、コンピュータのデータを誤って消してしまった事件については、たいした判例はありません。しかし、消した側に責任があるのは当たり前です。
証拠調べの後、1995年12月26日、裁判所で話合いになりました。話合いの席上、裁判官から、「簡単にコピーできるのですから、専門家なら事前にハードディスクをコピーすべきではないですか」との見解が示されました。バックアップの義務は、操作する専門家にあると言うのです。
T社は責任を認め、和解が成立し、H社に対して賠償金として200万円を支払いました。
弁護士費用
この場合の弁護士費用は着手金40万円、成功報酬20万円、切手代、印紙代の合計は4万円位でした。
本件は、1997年12月15日、日本ユニシス株式会社でおこなった講演の一部です。同社法務部発行の社内報「Legal Vol 14/1998 July」に掲載されています。
データ破損についての判決を挙げておきます。
判例
- 神戸地裁は、平成2年8月8日判決(判例時報1375-124)
電子手帳の電池交換を依頼された電気店の店員が電池交換をしたところ、データが抹消された件につき、裁判所は、店員の責任を次のように否定している。
前記のとおり取扱説明書には、電池交換後、リセットボタンを押すように記載してあるが、西口隆夫らとしては、本件電子手帳に示
された方法で電池交換をしたのであるから、動作用電池の交換に過失を認めることはできない。そうすると、同人らに入力データーの
消滅についても過失はないことになる。
この判決は事実認定が不充分です。
- 旭川地裁平成11年6月30日判決(交通民32巻3号975頁)
車が事務所に突入してパソコン及び周辺機器、パソコンのデータを破壊した事故による損害につき、判決は、次のように述べています。
他方、本件事務所では主にパートが中心となって作業をしており(田中証言)、平成8年3月から本件事故までの間にパートに支払
った人件費は70万円程度であること(甲25の3)からすれば、本件事故当時パソコンに保存されていたデータは、多くても60万
円程度の人件費で作成されたものであるということができる。これに、前記のとおり、実際に復元したデータは損壊したデータの一部
であること、復元する場合は新規に作成するよりも所要時間が短縮されることを考え合わせれば、復元に要する人件費相当の損害は、
30万円と認めることが相当である。
- 広島地方裁判所平成11年2月24日判決(判例タイムズ1023号212頁)
業務上不可欠なデータが多量に存する場合、事故の際の復旧に備えてバックアップをとっておき、損害を最小限のものにすることが必要であり、その懈怠によって発生又は拡大した損害については、被告にその全部を賠償させるのは損害賠償法を支配する衡平の理念に照らし均衡を失すると
いうべきである。
そこで、民法722条2項の過失相殺の規定を類推適用して、データの重要性、損害回避のためのバックアップの必要性、これを怠った原告の過失の程度その他諸般の事情を斟酌し、原告に生じた右損害の50パーセントを減額するのか相当であるから、右減額後における原告の損害額は、金50万円となる。
もっとも、原告は、現在の慣習としてユーザー(原告)にはバックアップをとっておくべき義務はない旨主張する。しかしながら、前示のとおり、原告は、十数年以上前からパソコンなどの電子機器を扱い、自らデータベースの専用ソフトを使用して検索システムを構築する作業を行っており、パソコンの利用方法について習熟し、相当詳しい知識を有していることか認められるのであるから、本件ディスクの本件パソコンへの導入据付作業に伴いハードディスク内のデータ消失の危険があることは、右作業内容に関する専門知識の有無は別として、原告において十分予見できたものというべきであり、そのための策として本件データのバックアッ をとっておくべき義務かあるというべきである。このことは、
- 前示のとおり、齋藤は右作業を無償サービスとして行ったものであること、
- 原告は、齋藤に本件データの内容を告げず、また、同人に
対し特段の注意喚起もしていないこと(原告本人)、
- 原告自身、損害賠償の交渉の課程で被口に対し、バックアップを怠った責任(一部)のあることを認めていること(乙1)
からも明らかである。
この判決は、復元費用を認めていません。しかし、物損につき慰謝料を認め、バックアップはユーザーの責任として、50%過失相殺をしています。苦心した判決ですが、過失相殺は妥当ではありません。
- 東京地方裁判所平成13年9月28日判決(判例秘書登載)
サーバーに保管中のホームページのファイルを消滅させたとするワールドワイドウェブレンタルサーバーサービス契約にかかる債務不履行に基づく損害賠償請求につき訴訟になった。
被告が原告に対し負担すべき損害賠償責任の額は736万5000円であり、それに対して既に被告は原告に対し覚書に基づき3000万円を支払っているので、訴訟では、請求が認められなかった。損害額の証明が難しいですね。
- 海外(アメリカ)では、業者が、フロッピーディスクの上に磁気を帯びたものを置き、病院の患者と経理のデータを消してしまったことを原因として、病院が業者に100万ドルを請求した事件で、前述した免責条項のため、業者は責任を免れています。
これに対し、これは、 Gross negligence のケースなので、業者に責任があるとの批判がありました。
免責条項の排除
免責条項が効力を失う事例の1つは重過失の場合と Gross negligence の場合です。
故意責任を予め免除させるのは公序良俗に反すると考え方は一般的です。ドイツ民法276条2項( Bürgerliches Gesetzbuch - § 276 )はこれを明文で「Die Haftung wegen Vorsatzes kann dem Schuldner nicht im voraus
erlassen werden.」と規定しています。日本の民法には規定がありませんが、同様に考えられています。重過失も故意と同じと考えています。
*重過失とは、注意義務の懈怠が重大である場合、わずかな注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見できたのに、漫然とこれを見過ごしたような、ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態です。しかし、重過失の概念は必ずしも明確ではありません。重過失とGross negligenceは、必ずしも同じではありません。
参考:商法578条、581条。失火の責任に関する法律
*Gross Negligenceについて
Gross negligenceは、「Failure to use even the slightest amount of care in a way that shows Recklessness or willful disregard for the safety of others.」と定義されています。日本法における重過失とは同じではありません。むしろ、認識ある過失に近いです。「Gross negligence is sometimes compared with "willful and wanton misconduct,
and is understood in many states to involve an act or omission in reckless disregard of the consequences affecting the life or property of another.」
免責条項が効力を失う事例の2つ目は Malpractice の場合です。プロフェッショナルとしての過失(Malpractice = Professional
negligence)責任の場合は、免責条項は無視されます。Professionalとは、単に専門家ではなく、以下の要素を前提にします。そのため、米国では、コンピュータ技術者の場合、プロフェッショナルとしての過失責任を、ほとんど追求されていません(note
s669)。コンピュータ技術者は損害賠償請求を制限する免責条項の恩恵を受けています。この種の考え方は日本法にありません。
プロフェッショナルの要件
- 高度で広い知識
- 通常よりも高度な行動倫理規範の存在
- 倫理規範に違反した場合の懲戒システムの存在
- 個人の利益を越えた社会的責任とプロとしての義務の存在
- ランセンスの存在
英米法上、Malpracticeの責任を追及されると、原告は、以下の通り有利な地位に立ち、その分被告は不利な立場に置かれます(Computer Malpractice s3)。
- 免責条項を無視できる
- 訴訟上の利益があり期限に遅れても訴えを提起できる
- 仲裁条項を回避できる、
- 無料のアドバイスを受けた場合もプロの責任を追求できる
- 懲罰的損害賠償(punitive damages)を請求できる
登録 Jan. 18, 1998 コメントおよび誤りの指摘は
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