大手門


大手門の写真
大手門


 

大手門

 平成5年に三の門とともに重要文化財に指定される。慶長17年仙石秀久(*1)が建造した、
城郭建築様式初期の特長(*2)を持つ戦国時代を代表する城門。下層の間口は6間半、奥行き2
間半。石垣と門が一体化していない、寺院建築の様式を残す。
 2階が畳敷きで、天井が張ってあり、概して2階は住宅風の造りが見られる。鏡柱の奥に対応す
る柱があり、鏡柱から外側の柱がだんだん細くなっている。2階が少し張り出しているのは、「ここ
から石を落としたのではないか」と言われる。また、2階へ上る階段がない等、多くの特徴を持つ。
通称瓦門(*3)と言われる。特に門を支える鏡柱は圧巻で、門に向かって右側のものは、見事な玉杢(タマモク)
が見られる。3本は「ケヤキ」だが、右側奥の1本は「松」で、さすがにこれだけの巨木が領内だけではそ
ろわなかったらしい。

 明治になって、家老だった、太田道一の所有となり「大手館」と言う会席料理店に貸されたあと、小諸義
塾の教室に1年間位使用され、義塾本館建設後は、雨天体操場に利用されたりしたが、最後は質店の店舗と
して使用された。本来城門であるが、扉門は撤去されて(*4)住居用にに改築されており、通行部分に2
階建ての住居空間が作られている。2階の襖の裏張りから小諸城関係の資料が見つかっており、また、門内
に張られた壁紙の下に、まだかなり多くの古文書が張られており、今後の調査が期待されている。

 重要文化財として復元されるときには、増築された部分取り外され、本来の城門の姿になる。
地面を掘れば、仙石秀久時代の瓦が出て来るはずである。

(*1) 高松城20数万石の戦国大名だったが、九州を攻めて豊臣秀吉の不興をかい、
城を没収されて素浪人になるが、北条攻めて戦功をたてて、再び秀吉に取り立てられ、
小諸5万石を安堵した。 

(*2) 居館式から、戦闘式に移る過渡期的な特徴。 

(*3) 瓦は三河から牛の背中に乗せられて運ばれたという。現在の瓦は牧野時代に
葺き直されたものである。  

(*4) 門扉の一部は、風呂場の板として使われていて、現存している。

大手門の中を覗いてみよう!!

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