軍楽等(聴くには曲名をクリックしてください)
このコーナーの曲は私が耳コピーとか楽譜があってもメロディーだけだったりの状態でいい加減に編曲したものが多いので、原曲と少々違うとか和声が間違っているとかいう御批判があるかもしれませんが、ご容赦ください。サウンドの効果にコーラス設定が可能な方はコーラスを使用可能にしていただくと迫力ある音がお楽しみいただける曲があります。
分類 | 曲名 | 作曲者 | size(KB) |
コメント | date |
ドイツ国歌 | Deutschlandlied | ヨゼフ・ハイドン | 4 |
元は神聖ローマ(オーストリア)皇帝の賛歌なんですが,作曲者自身が弦楽四重奏にしてます。歌詞は現在では3番のみが歌われています。耳コピーなんでおかしいところがあるのは勘弁してください。弦楽四重奏曲のほうもクラシックのコーナーにあります。 (和声等を少し手直ししました。 2007/06/17) |
|
旧日本軍軍歌 | 歩兵の本領 | 栗林 宇一 | 30 |
来は旧制一高の寮歌「アムール川の流血や」だったものが,歌詞を替えて軍歌として歌われるようになったもの。10番までフルコーラス歌えるようにしてあります。 | |
日本戦時歌謡 | 海行かば | 信時 潔 | 4 |
歌詞は万葉の歌人大伴家持。 |
2002/08/13up |
労働運動歌 | ワルシャワ労働歌 | 17 |
もとはポーランド民謡らしいのですが、ロシア革命時に革命歌として歌われ、ワルシャワ条約機構軍では行進曲として使われました。日本でも労働運動歌とてかつては歌われました。 最初にアップしたものは出来がいま一つでしたので、少し手直ししました。でもあまり変わってません(2005/03/02手直し)。 |
||
旧日本軍軍歌 | 青年日本の歌 | 三上 卓 | 3 |
なんだか時代劇のBGMみたいになっちゃいました。本当に政治的目的はありません。 |
2003/02/11up |
ドイツ軍歌軍歌 | 戦車の歌 | 8 |
原語のPanzerliedでも十分名前が知られていますね。映画「バルジ大作戦」で使われて有名です。 |
2003/02/11up | |
ドイツ軍歌軍歌 | 明日我らは敵地に進軍する | ハンス・ヘーレン | 9 |
原語の曲名は"Morgen
marschieren wir in Feindesland"で,1916年発表の曲の出征兵士の別れの決意と気持ちを歌った曲です。 |
2003/02/17up |
ナチス親衛隊軍歌 | 全ての者が裏切ろうとも | 7 |
原曲は民謡です。原語の曲名"Wenn
alle untreu werden"。SS軍歌集にあるこの曲の楽譜には記譜法上の誤りがあるので修正がしてあります。ここではドイツ民謡調狩猟ファンファーレ風の演奏にしてあります。 |
2003/02/19up | |
旧ソ連国歌 | Гимн Советского Союза | A. V. アレクサンドロフ | 18 |
スターリン時代からソ連崩壊まで使われた国歌です。現在はロシア国歌となっています。 |
2003/03/09up |
イギリス国歌 | God save the Queen | 6 |
こんな時にこんな曲というのもなんですが・・・政治的意図はありません。このメロディは帝政ドイツでは皇帝賛歌として、アメリカ合衆国でも愛国歌として歌われていました。 |
2003/03/22up | |
ドイツ軍隊行進曲 | ロック行進曲 | 伝承曲 | 2 |
あまりにもピンポイントすぎる曲で申し訳ないですが、行進曲のつなぎに演奏される短い曲です。曲名は軒端様より御教示いただきました。Lockmarschはどう訳せばよいのでしょうか、あえて訳せば「口笛行進曲」とか「鼓笛行進曲」でしょうか?実際の行進の際はリピートを付けてもう少し長く演奏されることもあります。映画「08/15」のテーマとして使われました。 |
2003/03/23up |
アメリカ合衆国軍歌 | ヤンキー・ドゥードゥル〜リパブリック賛歌 | 34 |
軍楽に分類するか民謡に分類するか迷いました。行進曲にアレンジしたので、とりあえず軍楽のコーナーに置きます。ヤンキー・ドゥードゥルは、日本では「アルプス一万尺」で知られていますが、実はフレンチ・インディアン戦争のころまで遡る軍歌で、南北戦争時代は北軍で歌われました。リパブリック賛歌は、日本では童謡やCMソングで知られていますが、これもまた古い軍歌です。 |
2003/04/14up | |
スコットランドバグパイプ行進曲 | スコットランド・ザ・ブレイブ | 7 |
民謡だか軍楽だか分からない曲が続きますが、軍楽というものはどうしても郷土意識と密接に関係するため、こんなものなのでしょう。曲の方はスコットランドのタトゥー(入れ墨のことではなく野外軍楽コンサートみたいなもののこと)の定番です。タトゥーというのは酒樽に栓をすることの意味で、ドイツではZapfenstreich(帰営譜)がこれに当たる単語ですが、Zappenstreichというと単に曲単体のことを指し、炬火の中で行う野外軍楽コンサートはGroszerzapfenstreich(大帰営譜)と言います。コーラス効果あり。 |
2003/05/17up | |
ドイツ軍歌軍歌 | ラインの守り | カール・ヴィルヘルム | 10 |
第1時世界大戦当時の代表的なドイツ軍歌です。曲はドイツ統一前からある古いものです。ただ行進曲風のアレンジをするだけでは芸がないので、ゾンタークの「ニーベルンゲン行進曲」よろしく、ヴァーグナーの「ニーベルングの指輪」のライトモティーフが2つかくしてあります。探してみてください。ヒント | 2003/08/28up |
日本軍歌 | 抜刀隊 | C.E.G.ルルー | 13 |
西南戦争に由来する曲です。但し発表は明治18年。ルルーは明治政府がフランス陸軍から招聘した御雇い外国人です。今回のアレンジは今ひとつです。 |
2003/09/08up |
アメリカ合衆国軍歌 | ジョニーが凱旋するとき | P.S.ギルモア | 17 |
アメリカの南北戦争時代にまで遡る軍歌です。「第17捕虜収容所」、「博士の異常な愛情」等多くの映画で使われています。ネタばらしをすると、間奏はメロディーの後半部分を逆行さたものとそれを4度下で対位させて作ってあります。 |
2003/10/05up |
アメリカ合衆国軍歌 | ケソン・ソング(弾薬箱の歌) | エドマンド・グルーバー | 17 |
小学校のバンドで演奏されたことのある方も多いと思います。作者のグルーバーは准将にまでなった人で、1908年に砲兵中尉としてフィリピンで従軍中にこの曲を作りました。このメロディーはスーザが行進曲「アメリカ野砲隊」で使っています。現在では、砲兵隊の歌というだけでなく、歌詞を替えてアメリカ合衆国陸軍全軍の公式軍歌になっています。私のアレンジなどマーチ王のものに比べるべくもありません。 |
2003/10/18up |
アメリカ合衆国軍歌 | ホールズ・オブ・モンテズマ(海兵隊賛歌) | ジャック・オッフェンバック | 15 |
上のケソン・ソングと共に小学校のバンドで演奏されたことのある方も多いと思います。作曲者はドイツ生まれでパリで活動したオペレッタ作曲家のオッフェンバック(カステラのCMの「天国と地獄」で有名)です。この曲もオペレッタの中の1曲とか。歌詞は戦争の度に何回も変わっています。 |
2003/10/26up |
日本軍歌 | 戦友 | 三善和気 | 13 |
明治38年発表の曲ですので、題材としては日露戦争と思われます。軍歌というと勇ましいものばかりを思い浮かべがちですが、こんな悲しい曲もあります。アレンジのほうはというと、クライマックスの部分は有名なオペラのパクリです。 |
2003/12/14up |
日本軍歌 | 雪の進軍 | 永井建子 | 9 |
映画「八甲田山」で使われて有名な曲です。誤解のないように書いておきますと、作曲者は男性で、日清戦争に従軍した体験に基づいています。アレンジのほうは、これと言ったアイデアもなく、冒頭に速歩行進の喇叭譜を入れてあるだけです。 |
2003/12/29up |
ドイツ軍隊行進曲 | 18世紀の帰営譜 | 伝承曲 | 22 |
帰営譜とは文字通り帰営の合図でして、古い時代のドイツの軍隊では、帰営時間になると憲兵が酒保の酒樽に木栓をしてまわったことからZapfenstreichと呼ばれます。「いつまでも飲んでないで、早く兵舎に帰らないと、鬼軍曹にどやされるぞ。」というような感じでしょうか。日本風に言うと消灯喇叭です。手許にある楽譜は2声のピッコロとドラムだけの曲なのですが、それだけでは寂しいのでリピート3回目以降はオーボエ属のパートを付けてあります。ちなみに、その楽譜では曲名は「オイゲン王子の行進曲」となっていますが、これは明らかに別の曲の名前です。 最初と最後に信号喇叭の帰営譜を付けました(2005/03/02手直し)。 |
2004/02/16up |
ドイツ軍隊行進曲 | ヨルク軍団行進曲 | ルードヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン | 31 |
当サイト最初のまともな行進曲です。古い日本のレコード等では「ヨークシャー行進曲」と表記されたりしたこともありますが、英国のヨークシャーとは関係がありません。ヨルクとは将軍の名前で、彼の指揮する対ナポレオン戦役における義勇兵軍団のための行進曲というわけです。元々はベートーヴェンが友人に贈った曲で、「ベーメン守備隊行進曲」という曲名だったのですが、楽譜が出版されたときには、現在の曲名になったということです。ベートーヴェンの「アテネの廃墟」の「トルコ行進曲」は有名ですが、同じ作者のトルコ風行進曲であっても「ヨルク軍団行進曲」のほうはあまり日本では知名度がありません。しかし、前者は劇音楽であるのに対し、後者は本来の軍隊行進曲であることもあり、ドイツでは実際の軍隊の行進にはよく使われます。映画では「壮烈!第六軍最後の戦線」の冒頭の記録フィルムのパレードシーンで使われました。AMU−37(AM=Armeemaersche Sammlung、プロイセン勅撰行進曲集)。 |
2004/04/09up |
ドイツ軍隊行進曲 | オランダ海軍礼式行進曲 | J・ラウシャー | 12 |
ドイツ海軍ファンの方、お待たせしました。本来はオランダ海軍の曲ですが、海軍贔屓、オランダ贔屓の皇帝ヴィルヘルム2世によってドイツ海軍の礼式行進曲に指定された曲です。AMT-60。 |
2004/04/15up |
ドイツ軍隊行進曲 | フリードリッヒ大王時代の行進曲 | 伝承曲 | 23 |
AMやHMには登録されていませんが、しばしば演奏される曲です。トランペットの華やかさと主旋律の優雅さがいかにもフリードリッヒ大王の時代を感じさせます。 真面目くさった行進曲ばかりでは芸がないので少しお遊びも追加しました。 |
2004/04/23up お遊びは2004/05/06up |
日本古曲 | 維新マーチ | 伝承曲 | 5 |
明治維新当時の行進曲です。分類については、まだ旧日本陸軍として成立していたわけではないので、やむを得ず「日本古曲」としました。曲名も現在の通称です。作者もよく分かりません。「宮さん宮さん」で始まる「トンヤレ節」は大村益次郎の作と言われているのですが、このメロディももそうであったかどうかは知りません。 2005/08/21追記 以前BBSでこの曲はヤッパンマルスではないかと御指摘を受け、そのときは別の曲であろうとお答えしたのですが、やはり伝承されているヤッパンマルスのメロディの一つということです。ヤッパンマルスについては三尻伝習所に詳しく出ていますので、興味のある方は参照してください。 2009/09/27 ヤッパンマルスもアップ |
2004/05/04up |
トルコ軍楽 | 古い陸軍行進曲「ジェッディン・デデン」(先祖も祖父も) | アリ・ルザ・ベイ | 138 |
オスマン=トルコの軍楽(メフテルハーネ)のなかでも代表的な曲です。日本でもNHKのドラマで使われて知られています。 |
2004/05/23up |
ドイツ軍隊行進曲 | 傭兵行進曲 | 伝承曲 | 13 |
15世紀の曲で「ゼッケンハイム行進曲」とも呼ばれます。この時代には常備軍はなく、君主はLandsknechtと呼ばれる傭兵隊を雇って戦争をしました。この傭兵というのは曲者で、社会からドロップアウトしたような人達が多く、戦争が終わってしまうと自分たちの仕事がなくなるので、雇い主である君主の指揮どおりには動かず、占領地での略奪やリンチは普通のことでした。 |
2004/06/06up |
ドイツ軍隊行進曲 | ラデツキー行進曲 | ヨハン・シュトラウス(父) | 90 |
当然クラシックの名曲としても有名で、新年コンサートの定番です。ドイツというよりオーストリアの行進曲と言ったほうが正確ですが、AMU-145としてプロイセン勅撰行進曲集にも入っています。作曲者は同名の息子ではなく父のほうです。作曲者の作品番号は第228番。題名のヨゼフ・ラデツキー将軍(1766〜1858)はオーストリアの将軍で、この曲は将軍が北イタリアの独立運動を鎮圧したことを讃えて作られたもの。アレンジのほうは軍楽風にするため弦楽器が入っていないですが、それでも同時発音数の少ないMIDI音源では正確に鳴らないかもしれません。 |
2004/07/03up |
イギリス軍隊行進曲 | ブリティッシュ擲弾兵連隊行進曲 | 伝承曲 | 24 |
このメロディーは色々アレンジされてCM等に使われますので、曲名は知らなくても聞いたことがあるという方はいると思います。Gredadiersを擲弾兵と訳しましたが、この兵科は18世紀に由来するもので、普通の歩兵が密集隊形の一斉射撃と銃剣突撃を主な戦術としたのに対し、擲弾兵は城塞の守備兵から生まれたもので、射撃戦と手榴弾を主な戦術とし、歩兵の中ではエリート部隊でして、英国の近衛歩兵連隊にその名を留めています。つまりこの曲は赤い上着と黒い毛皮帽を被っているバッキンガム宮殿の衛兵の行進曲の1つというわけです。 |
2004/07/17up |
日本軍歌 | 日本陸軍 | 深沢登代吉 | 34 |
トリオに速歩行進の喇叭譜に和声を付けて入れてみました。ちっと単調になってしまいました。 |
2004/07/18up |
日本軍歌 | 陸軍士官学校校歌 | 陸軍戸山学校軍楽隊 | 15 |
また喇叭譜とのコンビです。喇叭譜は士官学校です。私はこの曲の演奏を一回も聴いたことがなく、メロディだけの楽譜から作りましたので、出来のほうは?です。最後のところではちょっとヘンデルのマカベウスのユダが入ってます。兵下士官には縁のない曲なので、軍歌としてはかなりマイナーなところでしょうか。 |
2004/09/21up |
日本軍歌 | 敵は幾万〜君が代 | 小山作之助(敵は幾万) 林広守(君が代) |
51 |
喇叭譜は「君が代」です。トリオ部分には「君が代」の旋律と喇叭譜の君が代を使いました。ちょっと木に竹を接いだような感じもしますが・・・。「君が代」を行進曲に使うことや喇叭譜の「君が代」をそれに合わせることは、私のオリジナルではありません。 |
2004/10/06up |
ドイツ軍歌 | 炎よ、高く上がれ | クリストフ・プレトリウス | 2 |
野外での焚き火の歌であって放火の歌ではないと思います。軍楽と古楽の接点のような曲です。作者は1574年生まれの人です。プレトリウスというと音楽理論家のミヒャエル・プレトリウスが思い浮かびますが、2人の関係は私には分かりません。これが軍歌かと疑われるかたもいるかもしれませんが、ちゃんと軍歌集に載っています。 |
2004/10/17up |
オーストリア軍隊行進曲 | 双頭の鷲の旗の下に | ヨゼフ・フランツ・ヴァーグナー | 86 |
作者はオーストリアの軍楽隊長であって、楽劇のヴァーグナーとは別人です。他には「チロルの木こり」という曲が知られています。この行進曲のほうはラデツキー行進曲とならんで有名ですが、AMやHMには入っていません。双頭の鷲とはオーストリア=ハンガリー帝国の紋章です。「双頭」なのであって、「総統」ではありませんので、ワープロで書くときは注意してください。 |
2005/01/30up |
日本国民歌謡 | 愛国行進曲 | 瀬戸口藤吉 | 28 |
昭和12年に内閣情報部が歌詞・曲を公募して制定された曲です。歌詞内容も軍隊についてのものではなく、国民の精神高揚のためのものであって、「軍歌」という分類にはあてはまらず、「国民歌謡」もしくは「戦時歌謡」というものになると思います。作曲者の瀬戸口藤吉は、海軍で軍楽長を勤めた人で、有名な行進曲「軍艦」の作曲者でもあります。この曲も心なしか少し行進曲「軍艦」に似たところもあります。この愛国行進曲をトリオに使った軍隊行進曲としては、陸軍軍楽隊の斉藤丑松作曲の行進曲「愛国」があります。メロディーは、前半部分にリピートのあるロングバージョンと、そのリピートのない一般に歌われるショートバージョンがありますが、ここではロングバージョンを採用しました。テンポも行進曲としては少し速めにしてあります。 |
2005/02/26up |
ロシア軍隊行進曲 | プレオブラシェンスキー近衛連隊行進曲 | フェルディナント・ハーゼ | 56 |
作曲者はロシア帝国で軍楽監を勤めた人で、1816年に作られた曲です。古典的ドイツ徒歩部隊用緩歩(閲兵)行進曲のように聞こえますが、それもそのはずで、ハーゼはプロイセン人です。ナポレオンのロシア遠征の結果、ロシア軍に移ったドイツ軍人は少なからずおり、その後のロシアの軍制にドイツの影響が少なくないのです。ソ連時代になっても演奏されていたようです。ドイツでもAMT-30とAMU-99に入っていて、英国でも60歩/分のテンポのスローマーチとして採用されています。MIDIアレンジは、80歩/分のドイツ徒歩部隊用緩歩(閲兵)行進曲で、ハッケンベルガー編曲のものを参考にし耳コピーしています。 |
2005/03/07up |
ロシア軍歌 | 望郷 | 伝承曲 | 80 |
軍歌とも言えるし民謡とも言える曲です。原語のタイトルはТоска
по родине。この曲についての詳細は残念ながら存じません。ソビエト=ロシア軍というと日本では好印象をもたれませんが、哀調を帯びたメロディは結構日本人好みではないかと思います。国家の体制はどうあれ、兵士個人が任地や兵営で故郷の我が家を思う気持ちは国を問わず同じということでしょう。 |
2005/05/22up |
ドイツ軍歌 | プロイセン王 | 伝承曲 | 14 |
この曲は東プロイセン民謡なのですが、音楽学者でナチス時代にベルリン高等音楽学校の監督教授であったフリッツ・シュタインが採譜編集したもので、「プロイセン王は、多くの兵を持つ。10の騎兵中隊、龍騎兵に剽騎兵。」というような内容です。立派なタイトルの割にあまり知名度がないのは、東プロイセンが現在ドイツ領でないためでしょうか。声部が少ないので手を加えてありますが、それでも少し小ぶりです。 |
2005/08/08up |
日本古曲 | トンヤレ節 | 伝・大村益次郎 | 4 |
日本最初の軍歌とも言われますが、薩長土肥以外には面白くない歌詞であり、維新後の軍ですぐには軍歌というものが確立しなかったこともあり、公式に歌われることはなかったようです。どちらかと言えば薩長土肥出身の下級士族の酒宴の歌という色彩のほうがつよいでしょうか。合わせてある喇叭譜は薩摩藩が採用した1862年版の英式調練法のものです。 |
2005/08/22up |
ドイツ軍歌 | ヴェスターヴァルトの歌 | ヨゼフ・ノイホイザー | 48 |
原語の「Westerwaldlied」は直訳すれば「西部森林の歌」となりますが、Westerwaldというのは、地名ですので、直訳しないのが適切と思います。ライン右岸、ジーゲンからコブレンツの間に広がる森林地帯のことで、現在では、古い教会を巡りや、ハイキングやキャンプ向けの観光地となっています。歌詞の大意は、一番では、冷たい風が吹き付けるが美しいヴェスターヴァルトで今日行進したいというもの、2番は日曜日に恋人とよく踊りに行ったという話で、3番は他人から勇気がないと言われてよくケンカした、というようなもので、ドイツ国内の若い兵士の日常の歌というところです。行軍歌として歌われますが、ウェスターヴァルト地方の新しい民謡でもありとい感じです。「Eukalyptusbonbon(ユーカリのど飴)」という合いの手を入れたり、口笛をいれたりとにぎやかな曲です。ドイツ軍歌としてはもっとも有名な曲の一つで、映画「08/15」をはじめ、しばしば戦争映画に登場します。 |
2005/09/24up |
ドイツ軍歌 | あるチロル人が鹿を狩ろうとしたが | 伝承曲 | 21 |
ドイツ軍歌というより、チロル民謡と言ったほうが正解かもしれません。一応ドイツの軍歌集の中にも入っています。チロルの砲兵の歌でして、歌詞の内容は、鹿を狩ろうとしたが、上手くいかず、さらに森林監督官の娘(田舎ではとてもお嬢様!)にを口説いたけどやはり上手く行かずのダメ人間が、チロルの砲兵連隊で2年勤め上げて1人前の男になったという話です。チロルというと猟兵が有名ですが、この曲はそんな猟兵に対する砲兵の対抗意識といったものの現れとも見られます。4分の6拍子という軍歌としては変わった曲で、砲兵が馬で砲を牽引するからでしょうか。それともやはり行軍歌というより民謡だからでしょうか。後半のリフレインは「ホルデリアホー」というヨーデルみたいな歌詞です。 |
2005/11/02up |
ドイツ軍歌 | セダンの高地で | 伝承曲 | 6 |
あまりにぎやかな曲ばかりでも食傷気味になりますので、少ししんみりした曲を一つ。古い曲で、普仏戦争時の兵隊歌です。歌詞の大意は、激戦後、セダンの高地で歩哨についていたあるドイツ歩兵が、砲撃を受けて燃えさかる村に累々と横たわる戦死者の中にまだ息ののあるドイツ騎兵を見つけ、末期の水を与え、そのアンドレアス・フェルスターという名のザールゲミュント出身の兵を埋葬して遺族に手紙を書いてやるという内容です。 |
2005/12/17up |
ドイツ軍歌 | 新年の歌 | ヨハン・A・ペーター・シュルツ | 6 |
1784年に作られた曲で、一応軍歌集に収められている曲なのですが、あまり軍歌らしい曲ではありません。学生歌とか民謡といったところでしょう。あるいは大晦日のカウントダウン後に全員で歌うものなのでしょうか、ちょっとよく分かりません。歌詞の大意はあまり珍しいものではなくて、嫌なこともあった年は過ぎ去り、新年こそ良い年でありますように程度のものです。ドイツも欧米諸国と同様、パーティーをやるのは大晦日だけで、元旦以降のお祝いをする習慣はありません。ただカウントダウン後は朝まで大酒喰らって、まるで砲撃のように花火を打ち上げることが多いようです。調子に乗って斜めや水平に発射して狙ってくる奴もいてかなり危険です。 |
2005/12/30up |
ドイツ軍隊行進曲 | プロイセン閲兵行進曲 | プロイセン国王フリードリッヒ・ヴィルヘルム3世 | 66 |
テンポが速く感じるかも知れませんが、これは1分間に80歩の緩歩行進曲です。テレビ映画版の「西部戦線異状なし」や映画「ブルーマックス」の受勲式のシーンで使われました。今でもドイツでは儀仗隊の閲兵行進曲として使われているようです。作者の国王はフリードリッヒ大王から2代後の人で、音楽(軍楽?)好きで勅撰行進曲集を作らせたりもしていますが、政治的にはかなり反動的保守的な傾向が強い国王でした。無論この曲もその曲集のAMT-1aの曲です。MIDIの出来は、かなり手抜きで作ったので、あまりコピーの方も正確ではないと思います。さらに元々単純な曲なので、ユニゾンになるパートが多いちょっと響きが寂しいかも。 | 2006/04/10up |
ドイツ軍歌 | 故郷には再会がある | 伝承曲 | 16 |
元々はドイツのさすらい人の歌です。中世以来ドイツの若い騎士、職人、学生というのは一箇所にとどまらずに、徒歩で各地を遍歴をして修行をするものでした。それが軍歌になったものです。こういった遍歴する若者という題材は、ゲーテ、シューベルト、マーラーをはじめドイツ芸術にはしばしば登場します。軍歌としては、戦地からの復員や満期除隊といったときの曲と思います。軍歌としての歌詞の大意は、「僕には他には見つけられないくらいの素晴らしい戦友がいた。戦列の太鼓がなっているとき、彼は僕のとなりで行軍した。栄光あれ、勝利に。身も心も祖国の為に。小鳥が素晴らしく美しく森で歌う。故郷には再会がある。」です。誰との再会かというと、家族や恋人とかでしょうけど、同一の部隊は同一の徴兵区から徴兵されるので、戦友ともまた故郷で再会するとも考えることもできるかもしれません。映画では「スターリングラードから来た医者」に使われています。 | 2006/06/11up |
ドイツ軍隊行進曲 | 行進曲「旧友」 | カール・タイケ | 32 |
ドイツの行進曲としては最も有名なもので、日本でも運動会の定番曲です。これはプロイセン勅撰行進曲集AMにはいっているのではなく、1933年からのドイツ陸軍行進曲集「Heeresmaersche(HM)」所収の曲です。MIDIのほうは、曲の全部だけでなくて一部だけです。HMU-150 | 2006/09/11up |
ドイツ軍歌 | 別れ(ムシデン) | 伝承曲 | 25 |
ドイツの曲ばかりが続きます。軍歌集にも出ている曲なのですが、日本では民謡として知られています。日本でもよく知られた曲なので、多くのサイトにMIDIがありますが、当然こちらのアレンジは軍楽風。もとは南西ドイツ・シュヴァーベンの民謡で、恋人を残して街に旅立つ人の歌です。丁度上記「故郷には再会がある」と対になる関係とも言えましょう。「天に代わりて不義を討つ」の歌で送り出された旧日本軍の兵隊さんとは大分状況が違います。歌詞はシュヴァーベン方言で丸出しです。映画「Uボート」の出航シーンで使われています。 | 2007/04/08up |
日本古曲 | 君が代 | ジョン・ウィリアム・フェントン | 8 |
君が代と言っても、林広守作曲の現在の国歌ではありません。明治元年ころ、横浜の英国公使館警備歩兵隊の軍楽隊長で薩摩藩の軍楽指導もしていたフェントンが、大山巌らに礼式曲としての国歌の必要を進言して、作曲したものです。明治3年に明治天皇の御前で演奏されましたが、耳慣れない西洋旋律にとまどわれたのか、「是は人々が歌っているのか」との御質問があったため、現在国歌として法定されている雅楽風旋律の君が代が作られました。フェントンは日本語を理解しなかったため、歌詞の句切れとメロディーが一致せず、歌いにくいこともあって普及せず、明治9年に廃止になっています。国歌というより薩摩藩礼式曲といったほうがよいかもしれません。アレンジは適当にやっただけですので、当時このように演奏されていたという保障はありません。 | 2007/04/19up |
ドイツ軍隊行進曲 | ファンファーレとパッペンハイム騎兵隊行進曲 | 伝承曲 | 23 |
30年戦争に由来する曲です。パッペンハイムというのは、ゴットフリート・ハインリッヒ・フォン・パッペンハイムという人でして、神聖ローマ皇帝軍の勇猛を持って知られた騎兵隊の武将で、シラーの「ヴァレンシュタイン」にも出ていて、ドイツ語の諺にもなっています。冒頭のファンファーレは30年戦争時のパッペンハイム騎兵隊のもので、行進曲は後にミヒャエル・ハイドンが作曲したと伝えられています。30年戦争というと日本人にはなじみの薄いもので、映画が作られて日本で公開されても流行りそうにないです。1年戦争ならファンは山ほどいるでしょうけど。当然、この曲が使われている映画とうのは知りません。流石に古い曲で単純なので、編成も小さめでユニゾンのパートが多くなってます。プロイセン勅撰行進曲集の番号はAMV-138とAMT-104です。 | 2008/09/15up |
ドイツ軍隊行進曲 | フィンランド騎兵隊行進曲 | 伝承曲 | 33 |
これも30年戦争に由来する曲です。上記のパッペンハイム騎兵隊行進曲は、皇帝軍というわけで旧教側ですが、この曲は新教側のスウェーデン王のフィンランド騎兵隊の行進曲です。スウェーデン王のフィンランド騎兵隊はポーランド王のコサック騎兵隊と並び称せられ勇名を馳せていました。「スウェーデン騎兵隊行進曲」とも呼ばれ、スウェーデンでも演奏されるそうです。この曲のほうが上記の曲より転調が多く、情感があります。プロイセン勅撰行進曲集の番号はAMV-70とAMU-211です。 | 2008/09/21up |
日本軍隊行進曲 | 陸軍分列行進曲「扶桑歌」 | C.E.G.ルルー | 33 |
旧日本陸軍の代表的行進曲です。作曲者は御雇い外国人のルルーで、同人作曲の「扶桑歌」の旋律の前半部分が行進曲のはじめの部分に使われ、同じく「抜刀隊」の旋律がトリオに使われています。現在でも自衛隊や警察で使われているので、これで行進したことがある方もいると多いと思います。また、戦時中の記録映像中で聞いたことあるが、何という曲かは知らなかったという方も多いと思います。海軍の行進曲「軍艦」が知名度が高いのに比べると対照的です。これは「軍艦」が長調で景気がよく、戦後パチンコ屋で盛んに使われたが、短調が基調で転調が多く覚えにくい「扶桑歌」「抜刀隊」は戦後民間で聞く機会はなかったということもあるのでしょう。 | 2008/12/07up |
日本古曲 | ヤッパンマルス(山国勤王隊風) | 伝承曲 | 6 |
上記の維新マーチはテンポが速過ぎて短いとの指摘がありましたので、別のバージョンも載せました。恐らくこの指摘は京都の山国勤王隊の演奏に比べてのことと思いますので、山国勤王隊風のMIDIにしました。上記維新マーチは昭和になってから採譜されたもののようです。テンポは一分間108歩が当時の教範の速歩行進の速度だったのですが、山国勤王隊の演奏は2倍の音価で演奏され非常にゆっくりです。これは、軍隊の行進とは違って祭りの行列というのはゆっくりしており、それに合わせるかたちでテンポが遅くなっていったのではないかと推測しています。実は、オリジナルの鼓譜と山国勤王隊の演奏では若干の相違があります。 またトンヤレ節とヤッパンマルスを同一の曲であるという見解もありますが、それは誤解であると思います。軍歌集レコードにトンヤレ節をレコーディングする際、曲が短すぎるため前奏や間奏にヤッパンマルスの冒頭を引用したアレンジがなされ、それが広まったためこのような誤解が生まれたと思われます。2つの曲はメロディーも長さも全く異なります。トンヤレ節がもともと幕府軍で使われていたヤッパンマルスと同一の曲であれば、トンヤレ節と同一のメロディが幕府軍でも使われていてもおかしくないのですが、そういう事実は確認できていません。 |
2009/09/27up |