大徳寺総見院
〒603-8231
京都市北区紫野大徳寺町82
075(492)2630

 大徳寺を訪れたのは今年2度目ですが、塔頭の数20ヶ所余りを抱える寺としては拝観謝絶なる看板を掲げる塔頭もある中、全ての塔頭を拝観させてもらうのは難しいようで、せめて特別公開の時期をみて訪れるのがせいぜいのようです。
 今回は特別公開の塔頭とあわせて4ヶ寺を拝観させてもらいました。ここではその中の一つ「総見院」をご紹介しましょう。

 信長公の葬儀の際、遺体がないため香木で造られた信長公の像を荼毘ふし、都中に終日香の香りに包まれたとも言われています。
 当初、大徳寺・黄梅院に祀られていた信長公を秀吉が翌、天正十一年(1583)六月、信長追善供養のため大徳寺山内に信長の「総見院殿贈大相国一品泰厳大居士」という非常に長い法名から「総見院」を建立しました。そして、荼毘にふされた像の他にもう一体等身大の信長像が造られておりましたので、総見院の開祖・古渓禅師の像の左隣に祀られています。この像の写真は教科書などにもよく利用されていますのでご存じの方も多いのでは。
 また、大徳寺と言えば茶室でも有名ですが、古渓禅師は利休を通して秀吉の信頼を得て総見院の開山となり、古渓禅師、利休、秀吉という三人の関わりが非常に大きかったことから大徳寺が茶道ゆかりの地として今日に至っているのでしょう。
  ( by RICOH GX200 2008.10.30 )

 


総見院の気品のある門
   門の傍の信長公廟所の碑

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 左から2番目が信長公の墓。  本堂から茶室へ通じる回廊の屋根裏には信長公の座像を運ぶときに使用したという輿が保存されています。何気なく下を通り過ぎてしまいそう。

 茶室「寿安」、釜を置く場所の天井には釜を吊り下げる金具が取り付けられています。

 

茶室「(广に龍)庵(ほうあん)」 

茶室「香雲軒(こううんけん)」

 朝鮮出兵の際、加藤清正が持ち帰ったと言われる朝鮮石で彫りぬかれた掘抜き井戸ですが、この石はどうやら朝鮮からの帰りの船は荷が少なく、船のバランスをとるための重り(バラスト水)の代わりに積み込まれたものを利用したようです。

 秀吉遺愛の「侘助椿」 樹齢約400年、年天正11年(1583)秀吉が、総見院の創建時に千利休から譲り受けて植えたものといわれています。

  

Photo by N.Sugai