移りゆくもの、そして変わらぬもの

(2000.01/09)
(1997.12/02 送信メール)

Date: Tue, 2 Dec 1997 00:26:19 +0900
Subject: 移りゆくもの、そして変わらぬもの

 頬をすり抜ける風に冷たさが感じられ、少しずつ訪れてくる冬が予感させるようになってきました。12月に入り、いっそう強くそれを実感するようです。ふとした気のゆるみが風邪を引くきっかけになります。
 今年ももうそんな時期になってしまったのですね。

 ご存知のとおり、先月つまり11月23日(土)・24日(日)にわたって明薬祭が開催されました。留年に加え大学院を終了という松永君の7年間を最長とし、我らが仲間はこの田無校舎で青春の貴重な時間をともに過ごしてまいりました。しかし来年の夏をもって田無校舎はなくなることが決まっています。田無で開かれる明薬祭は今年が最後となりました。

 これは、田無キャンパス最後の明薬祭に顔を出した阿部・泉谷・尾崎・早川の4名を代表して、わたくし早川が文章をまとめたのものです。同報メールの形式でアドレス既知の同級生に一斉送信しました。

【11月23日(土)は泉谷宅泊】
 今回は釣り竿持参が前提だったため新幹線ではなく車で上京することになりました。本当だったら8000円もお得になる5万円ハイウエーカードを購入したかったのですが、車検直後の金銭的に苦しいときだったので現金払いでの高速利用でした。

 あいにく雨の中での高速走行を強いられ、予定していた時刻がどんどん遅れる中を運転することになってしまいました。さらに用賀インターを下りたとたん環八渋滞に見舞われ、田無に到着したのは午後9時を回っておりました。

 校門前のデニーズ(住重のあった場所だよ)を待ち合わせ場所とし、この日泊めてもらうことになっている泉谷君と遅い晩飯を食うことに。たわいもないことを話しながら食べていると“ベンツE320五十嵐君”から泉谷君へ電話が入り、相変わらずの仲良しぶりを確認できました。
 泉谷宅では大蔵大臣がいないことをいいことに、ポルシェ雑誌やポルシェ・ビデオを肴に夜まで騒いでいました。「今度はでかいウイングのポール君を購入する!」との熱い宣言を耳にでき、それだけでも今回の上京の目的は果たせたようなものです。
 楽しみです。

【なにはともあれ「いながきドラッグ」ひばりが丘店】
 卒業後、大学とひばりヶ丘駅のちょうと中間くらいの場所に“ジョナサン”ができ たのは皆さん承知のことです。しかし現在、“ひばりが丘ボール”のあった所にそのジョナサンが移動し、その跡地に“「いながきドラッグ」ひばりが丘店”が入ったことを知っている人は、いったいどのくらいいることでしょう。
 泉谷君はその「いながきドラッグ」ひばりが丘店で働いています。
 愛知県に住んでいる私などは無理だとしても、関東方面に住んでいる皆さんなら、朝夕の通勤途中や休日のドライブがてら、いつでも思いたった時お手軽に寄ることができるはず。ちょっと覗いてみるのも一考かも。

【パルコひばりが丘店で昼飯】
 昼過ぎに阿部さん、尾崎君と合流する。
 まだ昼飯を済ませていなかったことだし、パルコの中の店で昼飯を食べることに。
 で、迷ったあげく、和風の店“藩(はん)(0424-25-5216)”に入ることにし、780円ていどの定食で腹を満たしました。
(ところで、地名では“ひばりが丘”だけど、駅名だと“ひばりヶ丘”なんだよね。なーんでなんだろう。気にならなかった?)

【明薬祭突入】
 明薬祭といえば忘れてはいけないものがあります。“喫茶 阿部さま”です。
 そう、田無校特別指定区域として定められ、明治薬科大学の発展に絶大なる功績を残した者のみにしかその使用が許可されない「わたり廊下」で開かれた伝説の喫茶店のことです。実は最後の記念として“喫茶 阿部さま”をやらせてくれと大学に打診したのですが、「同窓会への寄付金を出さないような連中に店をやらせるわけにはいかん!」と一喝されてしまい、結局幻で終わってしまいました。
 残念です。(ウソ、ウソ)

 さらっと展示をながめ、内山竹彦氏の特別講演、「生体防御機構」を受講しました。会場は、何号館だったっけ、分析や微生が入っている校舎の一番上の階です。生化学の森田教授が司会を務められましたが、しゃべり方は変わっていませんでした。

 講演が終わるころには太陽もすっかり西に傾き、暗くなる前に私たちは学校を去ることにしました。時計の針は、そろそろ夕食の時間にさしかかるところです。

 “八まん”で食べることを決めるのに、時間はさほど必要ありませんでした。

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 とりあえずこれで一区切りです。
 気が向いたらつづきを書くことがあります。

内容は
 1. 知ってるか? ひばり駅近くの喫茶店“アート茶房”
 2. 数年ぶりの再会・果たして阿部さんを覚えていたか“八まん”の女将
 3. どこが違うのか・“八まん”の天丼<大盛り>と上天丼
 4. 子供説教中華料理店のその後
 5. 翌日の三浦半島三崎港での釣りレポート

などを予定してはいるのですけど、どうなるものやら。


 このメールを書いた時期というと、ほとんどの連中がメールアドレスを持つようになってきたころで、手軽な道具としてしきにり利用していました。簡単な操作で複数の相手に一斉送信できる機能がとても気に入り、共通性のありそうなネタがあったときなどは、文章を書いては送信していました。古いメールの整理をしていたらちょうど目にとまり、読んでみると当時の様子が思い出され、けっこう面白かったので番外編という扱いで載せてみました。
 「気が向いたらつづきを書くことがあります」と言っていますが、つづきはありません。気が向かなかったためではなく、単に忘れていたからです。

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