イラストなぜ「自分史」なのか



 この講座を企画したのは今から5年前のことでした。世界のIT大国を目指して森内閣が「IT講習会」の構想を打ち出すよりもかなり前の話です。

  来たるべき21世紀は高齢化と情報化が同時に進行する時代なのに、高齢者にとってパソコンへのハードルは依然として高いのです。
 そもそも機器やソフト自体の操作にはバリアが多いですね。マニュアルや参考図書を開いても出てくるのは難解なカタカナ術語ばかり、、、。五十五の手習いでパソコンとつきあうようになり71歳を超えた私でさえ、そんな思いをずっと抱き続けてきました。

 たとえば、一念発起してパソコンスクールの門をたたいた高齢者でも、最初のマウス操作でつまずいたりするのです。
インストラクターが「マウスを動かして画面のカーソルを移動させましょう」と指示します。どうやっても動かせない。となりの人を見るとスイスイと動かしている。「ああ、やっぱり私には素質がないのだ」と思い込んで脱落してしまう人もいます。
 パソコンを習いに行ったはずなのに、パソコン恐怖症を身につけて帰ってくるという結果になりかねません。

 私と同年代でEメールを使いこなしているのは、子供が結婚や転勤で海外に在住する人たちです。国際電話よりも料金が安い、時差を気にしなくてもいい、非常に便利なコミュニケーションの手段なのです。孫の描いた絵が添付ファイルで送られてくる、こちらからもデジカメで撮った老夫婦の写真を送ったりしています。
  このような目的があれば、手段としてのパソコン操作、メールの送受信を習得するのは苦痛でも困難でもありません。楽しみであるはずです。 

  パソコンは、たかが道具(されど道具?)なのです。目的が明確であれば障害者でも高齢者でも容易に取り組めるのです。それなのにパソコンスクールとかIT講習会では、パソコンそのもの、道具そのものを教えているのです。だから脱落者が出るのでしょう。しかも、IT講習会では20歳以上という年齢制限があるだけです。20歳でも70歳でも国が決めた同じカリキュラムにより12時間で教えてしまうのです。

 いっぽう、高齢者たちは戦中戦後の激動期を体験しています。召集令状での戦地への出征、銃後では軍需工場への動員、降りそそぐB29からの焼夷弾、飢餓状態の食糧事情などなど。このような戦時体験を自分の口で話したり自分の手で書いたりできる人は、20年後にはこの世に存在しなくなるかも知れません。これを自分史の形で書き残しておきたいのです。

  自分史を書く…、原稿用紙の升目をボールペンで埋めていくのではなくて、たまたまパソコンのワープロソフトを使ってキーボードから入力するということ。自分史という目的のために、パソコンという道具を使うのです。

 

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