This is a Japanese translation of Katherine Mansfield's "The Canary" by The Creative CAT.

キャサリン・マンスフィールド「カナリア」の全訳です。

カナリア

キャサリン・マンスフィールド

 …大きな釘が玄関口の右の所にあるでしょう? 今でもそれをあまり見ることができませんし、かといって取ってしまうことにも耐えられません。私がこの世からいなくなった後もあの釘は残るんだ、と考えてみるのが好きなんです。時折耳にするんですよ、隣の人たちが「あそこに鳥籠がかかってたんだよね」と言うのを。気分がよくなります。あの子がまだすっかり忘れられてしまったのではないと思えるから。

 …あの子がどれほど素敵に歌ったか、想像できないでしょうね。他のカナリアとはまるで似ていませんでした。私の夢想だけでもないんですよ。窓からしょっちゅう、誰かが門の所に立ち止まって耳を傾けていたり、ミカンモドキ(*)の垣根に凭れ掛かって長い時間夢中になっていたりするのを見たものです。馬鹿らしく聞こえるかもしれませんが――あの子の声を聞いたことがなければ――本当に何曲もの歌をはじめから終わりまで歌い通しているようだったんです。

 たとえば、午後、家事を終えて、裁縫道具を持ってこのベランダにくると、あの子は止まり木から止まり木へ片脚でピョン、ピョン、ピョンと跳ねて、柵を突いたものでした。まるで私の気を惹こうとするみたいに。本職の歌手がするように水を一口含むと、いきなり歌いだすのがとても素晴らしいものですから、思わず針を運ぶ手を止めて聞き入ってしまったんですよ。それはとても言葉にできません。それができたらいいのに。ですが、いつもいつも午後になるとこんな風で、その歌の一つ一つの音を全部判ってしまったように思ったものです。

 …あの子が好きでした。どんなにかあの子が好きだったことか。この世の中で誰が何を好きになろうと、大した問題じゃないんでしょう。でも人は何かを愛さないわけにはいかない。私にはもちろんずっと家と庭がありましたが、どういうわけかそれだけでは駄目でした。草花はよく応えてくれますが、共感してはくれません。そこで私は夕星を好きになりました。お馬鹿さんな話でしょうか? 日暮れ時にはいつも裏庭に出て、暗いゴムの樹の上にそれが輝くまで待っていました。囁いたものです、「愛しいひと、あなたはそこにいるのね。」と。その星が輝きだす一瞬、私にだけ光ってくれているように思えたんです。星は判っているようでした、この…願いのようなもの、それでいて願いではない何かを。それとも悲しい後悔…後悔と言った方が近いわね。では何を悔いて? むしろ私は感謝しなければ。

 …ですが、あの子が私の暮らしの中にやってきた時、私は夕暮れの星を忘れました。もういらなくなったんです。変な具合でしたわ。鳥売りの中国人が玄関の所に来て、あの子の入った小さな籠を取り上げた時、哀れで小さなゴシキヒワのようにバタバタバタバタするんじゃなくて、あの子はかすかに小声で囀って、気がつけば私はゴムの樹の上の星に向けてそうしたように口にしていました。「愛しいひと、あなたはそこにいるのね。」その瞬間からあの子は私のものになったのです。

 …二人がどんな風に生活を共にしていたか、今思いだしても驚きます。朝降りてきて籠を覆う布を取るとすぐさま、あの子は眠そうに小さな声で挨拶しました。それは「奥さん、奥さん」ていう意味でした。表の釘に籠をかけ、三人の下宿人に朝食を出す間外に出しておきました。私達二人きりで家にいられるようになるまで中に戻さなかったんです。洗い物が終わると、楽しいひとときの始まりでした。テーブルの角に新聞紙を敷いて、籠をその上に乗せると、あの子は絶望的な様子で翼を拡げてばたばたしたものでした。まるでこの先のことが判ってないかのように。「あなたはちっちゃな常連の俳優さんじゃないの」と叱ってあげました。トレイを拭って、新しい砂で奇麗にして、餌と水を一杯にして、小さなハコベのかけらと半分にしたチリを柵の間に押し込んで。間違いなく、あの子はこういったこまごまとしたことの一つ一つにどんな意味があるかを判っていて、それを喜んでいました。あの子はとっても奇麗好きなたちだったんですよ。止まり木には汚れ一つついていませんでした。清潔にしていようというあの子の小さな情熱、それを判ってもらうには、楽しんで沐浴する姿を知れば十分でしょう。お風呂を入れるのは最後でした。すぐさま自分からその中に飛び込んで。まず片方づつ翼を振るわせて、次に小首を曲げて胸の毛に水を跳ねかけました。台所じゅうに水のしずくが飛びますが、それでも猶お風呂からあがろうとしません。いつも話しかけました。「もう十分よ、おめかしさんですよ。」と。やっとピョンと跳ねて出て、そのまま片脚で立ったまま嘴で自分の体を乾かし始めました。最後にぶるっと体を震わせて、ひょいと飛び立つと、のどを上げてくすくすさえずって――ああ、思いだすとつらくて。その横で私はいつも包丁を洗っていました。ぴかぴかに磨いてボードに置く時には、まるで包丁も一緒になって歌うようでした。

 …仲間、そうね、あの子は仲間だった。完璧な仲間。あなたがひとりで生きているなら、どれ程それが貴重なことかお判りでしょう。もちろん下宿人の若い男が三人、毎晩夕食を食べに来て、食後もダイニングルームで新聞を読んだりすることがありました。が、あの人達が、私の日常を形作っている些細な物事に関心を持つなんて、期待することはできませんでした。どうしてあの人達にそんな必要があるの? あの人達には私なんて何者でもありません。実際、ある晩階上であの人達が私のことを「案山子」って呼んでいるのを耳にしたことがあります。いいんです。何でもないんです。全然。すっかり判ってますから。あの人達は若いんです。どうしてそんなのを気にするの? ですが、その晩、自分が一人きりではないことをどれ程ありがたく感じたか、今でも思いだせます。彼らが行った後、あの子に話しました。「ねえ、あの人達って奥さんを何て呼んでるか知ってる?」 するとあの子は首を傾けて、その小さな明るい目で私を見つめました。私が笑いたくなるまでずっと。私が笑ったのが嬉しかったようです。

 鳥を飼ったことがおありですか? もしおありでなければ、多分、随分と誇張しているなあとお思いでしょうね。皆さん、鳥は心のない冷たい小動物に過ぎないとお考えのようです。犬や猫とは違って。うちの洗濯女は月曜日毎に言ったものでしたよ、どうして「いかしたフォックステリア」を飼わないのかって。「お嬢様、カナリアではつまらないでしょうに。」 間違いです! 酷い間違いです! 思いだしますわ、ある夜のこと。とても怖い夢を見ました――夢って震えるほど残酷なことがあります――目が覚めた後も立ち直ることができなくて。コップ一杯の水を飲もうと、化粧着を羽織って台所まで降りました。冬の、土砂降りの雨の夜。まだ半分眠っていたのでしょうね、ブラインドのついていない台所の窓から、闇が覗き込み、中を窺っているように見えたんです。突然、私はもうこんなのは耐えられない、「いまこんなに怖い夢をみたの」とか――「わたしを闇から匿って」と話せる相手がいないなんて、と感じました。暫くの間、顔を両手の間に埋めさえして。そこに小さな声が聞こえてきました。「愛しい人! 愛しい人!」と。テーブルの上にあの子の籠があり、覆いがずれていて、そこから一条の光が差していたのです。「愛しい人! 愛しい人!」と、いとおしい小さな友は再び言いました。優しく、「私はここにいますよ、奥様、私はここに!」というほどに優しく。美しく心宥める声に、私が泣き出してしまいそうになるほど。

 …今はもうあの子はいません。二度と鳥を飼うことも、どんなペットを飼うこともないでしょう。どうしてそんなことができます? それを見つけた時には、あの子は背中を下にして横たわり、目は曇り爪はねじれていました。もう二度と愛しい歌を聴くことはないのだとその時知り、私の中の何かが死んだようでした。私の胸は空っぽです。あの子の鳥籠と同じように。それを乗り越えなければ。もちろん、そうしなければなりません。時を経れば、人はどんなものでも乗り越えられます。皆は私にいいます、あなたは朗らかだと。本当にそうね。神様に感謝しなくては。

 …それでもやはり、陰気にならないで、思い出とかそんなものに支配されたりしないで、告白しないと。私にとって、生きていくことには、何かしら悲しいものが確かにあります。それがどんなものか、言葉にするのは難しいのですが。病気、貧困、死といった、誰でも知っているような涙にくれる物事ではありません。何か違っているんです。それがあるのは深い深い奥底で、自分と一体になっていて、呼吸のようなもの。どんなに厳しく働いて自分自身を疲れ果てさせても、それはそこにあって、私を待っている。みんな同じように感じているのでしょうか。よく疑問に思います。決して判らないのだけれど。ですが、こういってもそんなに不思議ではありませんよね。あの子の甘い、楽しい小さな歌のなかに、そのようなもの――悲しみ?――ああ、何て言えばいいのでしょう――そのようなものを私は聞き取っていたと。


* mock-orange (バイカウツギ)

高校の英語教科書でこの作品を読んだのが、キャサリン・マンスフィールドを知った最初でした。教科書には(今思うとなかなか抜け目なく)多分1914年に撮影されたマンスフィールドのポートレートが載せられており、意思が強く、それでいて薄倖そうな美人の姿にまずは胸をときめかしたものです。

ところが、そういった不埒な感じ方は読了後に変わりました。なんていう心の襞、人間の深淵を、非英語国民の高校生にも判る程度の英文で描いてあるんだろう。その後も記憶の隅にこの作品のことが残っていました。

約四半世紀たち、今では英文にもなれ、インターネットで容易に原文を入手することができるようになりました。この作品はGutenbergにも見つからなかったのですが、洋書が簡単に購入できる時代なので、Oxford Pressのペーパーバックを入手、せっかくなので自分でタイプしてこのページからのリンクとして載せてあります(→原文)。

同じように、マンスフィールドの生涯もインターネットで知ることができるようになりました(→日本語版Wikipediaのマンスフィールドの項目。漠然と若くて病死したという記憶だけしかなかったのですが、なるほど、こういった作品はマンスフィールドの短い人生が結晶したものなのだと知り、更に忘れがたい作家になりました。優れた邦訳が出版されているのに下手くそな屋上屋を架する行為にどの程度意味があるかわかりませんが、こうやって紹介することで、若い人達がマンスフィールドの作品に触れる機会が増えれば幸いです。

公開して十年以上放置していましたが、ちょっとだけ修正した上で体裁を整えました。

この訳文は他の拙訳同様 Creative Commons CC-BY 3.0 の下で公開します。TPPに伴う著作権保護期間の延長が事実上決定した現状で、ほとんど自由に使える訳文を投げることには多少の意味があるでしょう。


Uploaded on 26, Dec., 2005, Corrected on 27, Dec.,12, Jan. 2006.
Revised on 25, Sep., 2016.
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