【なりきり弥次喜多道中】
第四章 台町を通り保土ヶ谷宿へ

■目次
 1-1 京急の小さな駅からスタート!
 1-2 賑やかな商店街を越え、次なる宿場へ
 1-3 いよいよ保土ヶ谷宿


■京急の小さな駅からスタート!
 秋の気配が少しずつ増す9月中旬。旅人は港町横浜の小さな駅前に立っていた。京急の神奈川駅は、横浜駅の隣。各駅停車しか止まらない小さな駅である。JR東海道線や京浜東北線、横須賀線などと隣接する敷地にあり、ひっきりなしに電車が行き交う。駅を出れば、そこは青木橋の交差点。国道1号線と15号線の合流する、交通量の多い場所である。
 幹線道路と鉄道、現在は交通の要所となっているこの場所に、かつて宿場があったなんて、誰が想像できるであろうか。

 神奈川駅を出た場所は、宮原商店街の出口。宿場はここまでと思ってしまうが、国道に対する道の角度を見ると、斜めに合流しており、なんとなくかつての道筋が、国道と鉄道に分断されていることがわかる。二人の旅は、まず、保土ヶ谷宿へ向かう旧道を見つけるところから始まるのであった。
「おさべえ、今日はこの小さな駅からスタートなのだが、目の前には国道1号線があるぞ。東海道はどこなんだ?この国道1号線を進めばいいのか?」
「国道1号線が東海道になるのはもっと先。そもそも、江戸時代、今の横浜駅があるところは海だったので、横浜駅前を通る国道1号線の部分に道はなかったわけだよ。」
「そうか。確かに。そうなると、山を登るルートが東海道だった、というわけだな。」
「台町、と呼ばれていたように、高台を東海道は通っていたようだよ。しかも、神奈川宿は、海の見える丘に宿場があって、風光明媚だったみたいだしね。」
「この、安藤広重の絵を見ても、確かに左側に海が描かれているなぁ。となると、この国道を挟んで対岸に続きがあるというわけか。」
そう言うと、きんのじは目をこらして対岸を見つめた。
「うーん、車が多くてよく見えないが、どうも道がありそうだぞ。」
「地図で見ると、確かに道があるよ。この宮原商店街と同じ角度の道が。線でつなげてみると、この道の続きといった感じだよ。よし、きんのじ。とにかく国道を渡って反対側に行ってみよう。」
二人は、とりあえず国道1号線を渡り、反対側に行くことにした。

 国道を渡り反対側に着くと、宮原商店街の続きとわかるような道があった。国道に対して斜めに分岐するこの道。反対側(京急の神奈川駅側)を見ると、宮原商店街と書かれた案内板が見える。その位置は、ちょうど二人がいる分岐点の延長線上にありそうだ。
「おさべえ、この道で間違いなさそうだな。対岸には、先ほどいた神奈川駅近くにある宮原商店街の案内板が見えるし、なんとなくこの道の延長線上にありそうだ。」
「間違いない。この道が続き、つまり旧東海道だよ。よし、先へ進もう。」
「ようやく、我々の旅がスタート、といったところだな。」
旧東海道を進むと、すぐに東急東横線跡がある。かつてここには東急東横線が走っていた。みなとみらい線との直通運転を行う際に地下化されたため、現在は「跡」が残るのみとなっている。この「跡」になったことが、少々おもしろい景色をかもしだしている。
「おさべえ、右を見てみろよ。トンネルがあるぞ。」
「おお、本当だ。ここはかつて東横線が走っていた場所。確かに、横浜の手前でトンネルをくぐっていたよな。それがここか。こんな都会に、廃線となったトンネルがあるとはね。」
「東横線はどこを走っているんだ?」
「今は地下化されているので、この線路跡の地下を走っているのかな?」
「かつての宿場跡に鉄道跡あり、か。未来都市横浜は、今も発展し続けているというわけか。」
「お、きんのじにしては、おもしろいことを言うなぁ。」
「まあね。」
「東横線があった頃も、廃止になった今も、この道が旧東海道である良い目印になっているなぁ。さ、きんのじ。この先が安藤広重の絵で有名な神奈川宿のメイン、台町だよ。」
「台町か。それにしても、なかなかすごい坂だ。」
 東横線跡地の先で東海道は、丘の上に向かって上り坂となる。このあたりが台町と呼ばれるところで、安藤広重の神奈川宿の絵にも描かれている場所である。坂道の左側には海が見える風光明媚な場所であったが、今は海はなく、かわりに横浜駅やその先にあるみなとみらいのビルが見える。

 さて、台町の坂道を少し進むと、途中に「滝川」と書かれた料亭がある。この料亭の壁には、安藤広重の神奈川宿の絵が貼られていた。
「きんのじ、みてみろよ。」
「なんだ?」
「この料亭の壁に、安藤広重の絵があるぞ。」
「どれどれ、本当だ。神奈川宿の絵だな。」
「ビルばかりの現在と違って、江戸時代はさぞかし風光明媚だったんだろうな。この料亭も、その頃の生き残りかね?」
「そうかもしれない。景色のよかった神奈川宿には、何件もの料亭があったんだろうな。今では、この滝川を含めて数件が残っているだけなんじゃないだろうか。」
しばし、現実の町並みと絵を見比べながら、旅人は海の見えた江戸時代の宿場を想像していた。すると、きんのじが突然・・・。
「オーシャンビュー、だな。」
「あん?なんだ突然?」
「いや、言ってみたかっただけさ。」
「・・・・・・。」
「なぁ、おさべえ。品川宿にしても神奈川宿にしても、当時はさぞかし海がよく見えて、景色も良く、食い物もうまかったんだろうな。」
「まあ、そうだろうね。」
「その海はずいぶんと遠ざかってしまったわけだ。」
「さ、きんのじ。先を急ごう。まだ、旅ははじまったばかりだし。」
「そうだな、この坂道を越えないと保土ヶ谷にはたどり着かないしな。それにしても急な坂だ。」

 台町の坂を上りきると、神奈川台関門の碑がある。横浜開港後、外国人があいついて殺傷される事件が発生し、この対策として幕府は台町など2ヶ所に関門を設け、警備を強化した。
「神奈川台関門?関所のことかな、おさべえ。」
「警備を強化するために築かれたものだから、幕末の代物だな。」
「なんだ、幕末か。あまり興味ないなぁ。」
「きんのじは、江戸以外は興味ないんだなぁ。」
「そういうわけじゃないけど、今は東海道を歩いているのだから、やっぱり江戸時代の物の方がわくわくするだろう。」
「本陣跡とか旅籠跡とかか?」
「そうそう。」
 関門跡を過ぎると、なんの変哲もない街路となり、東海道は先へ続いている。東海道として意識しなければ、どこにでもある「町の中の道」である。そんな道を旅人は進む。しばらくすると、東海道は二手に分かれる。
「おさべえ、道が左右に分かれているぞ。左へ進むとすぐに広い通りに合流だ。右は先に続いているぞ。」
「もちろん、東海道は右だよ。」
「そうか、そんじゃぁ、右の道を進もう。」
 旅人は右の道を進んだ。もちろん、東海道は右の道である。左へ分岐した道は、平行する通りへの連絡路であった。この辺りまでくると、神奈川宿からはとうに出ており、史跡も無い退屈な道が続く。こうなると、ぼやきがはじまるのはきんのじ。地図を見ながら道を確認しつつ進むおさべえと比べると、歩きがメインのきんのじにとって「なにも無い道」
は退屈なのである。
「なにもないなぁ、退屈だぞ、おさべえ。」
「そろそろ退屈になってきたか、きんのじ。」
「関門跡を過ぎてからずいぶんと歩いてきたが、この先もなにもないのか。」
「しばらく無いね。」
「建物ばかりの道というのは、実に退屈だ。せっかく東海道なんだから、もう少し江戸の雰囲気があれば退屈しないのになぁ。」
「そりゃ、無理ってもんだよ。ここは横浜市。たとえかつて東海道として賑わった道でも、今は市内にある小さな道の一つなんだからさ。それよりも、この道が箱根、そして京都まで続いていると思えば、進むことが楽しくならないかい。」
「まあね。そう考えると楽しいかもな。」
「そういうこと。楽しく歩こう。」
「そうか、この道が箱根の石畳まで続いているのか。いやいや、それだけじゃないぞ、京都まで続いているとは・・・。先は長いが楽しくなりそうだな。」

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■賑やかな商店街を越え、次なる宿場へ
 神奈川台関門跡を過ぎてから先は、やや複雑なルートとなる。もともと一本道だったのだが、区画の整理や車を通すための道路が出来ることにより、次第に複雑になってきたのであろう。おさべえは、地図と見比べながら、東海道を辿るのであった。
 関門跡を過ぎてから40分ほど歩くと、一つの分岐地点があった。これまでに何度も分岐を見てきているので、今回も単なる分岐と思っていた旅人。だが、分岐地点に手書きで書かれた案内板があるのに、きんのじが気づいた。
「おさべえ、また分岐だそ。」
「本当だ。地図によると東海道は直進だな。右へ分岐する道は違うようだよ。」
「まっすぐ行くということは、あの賑やかな商店街ということか。」
「そうそう。このあたりの東海道は商店街になっているみたいだ。保土ヶ谷宿が近いのかもしれない。」
「ん、ちょっと待て、おさべえ。」
「なに?」
「なんか書いてあるぞ。」
「どれどれ。」
「旧東海道 追分けと書いてある。」
「しかも手書きじゃないか。」
「旧東海道って、そりゃ、この道は旧東海道だよな。」
「でもさ、きんのじ。追分けとわざわざ書いてあるのだから、右に分かれる道も、江戸時代からある、なんらかの街道なんじゃないか。」
「そうだな。いったい何の道なんだか・・・。」
 追分けと書かれた案内板を見ながら、旅人はしばし考え込んだ。二人の言うように、追分けと書かれているからには、右へ分岐する道も「街道」あるいは「古道」なのかもしれない。この右の道が何か、この時は判明しなかった旅人だが、後に判明することになる。

 追分けを過ぎると、人通りが増え、東海道は松原商店街の中を通る。松原商店街は安売りで有名で、近隣から多くの人が集まる。その賑やかさに、旅人は圧倒されつつも、先へ進む。
「ずいぶんと人が多いなぁ、おさべえ。どうやら商店街らしいぞ。」
「松原商店街と書いてある。」
「商店街か。そういえば、スタートしたところも商店街だったなぁ。宮原商店街だっけ。そこと比べると、かなり人が多く、賑わっているぞ。」
「確かに。宮原商店街は人通りも少なく寂しい感じだったけど、こっちの商店街は活気があるねぇ。」
「商店街ということは、そろそろ保土ヶ谷宿か?」
「残念ながら、保土ヶ谷宿じゃないね。宿場はもう少し先。相鉄の駅を越えなければならないからね。」
「それは残念。それにしても人が多いな。まあ、活気があってよろしい、といったところかな。」
 商店街を歩いていると、時折良いにおいがしてくる。スタートしてから2時間が経過し、そろそろおなかがすいてくるころであった。
「いいにおいがするぞ。そういえば、スタートしてから歩きっぱなしで、そろそろ腹が減ってこないか、おさべえ。」
「確かに。でも、宿場まではまだ先。もう少し進もうよ。」
「もう少しって、あとどのくらいあるんだ。」
「なんともいえないけど、そんなにかからないんじゃないかな。」
「よし、その言葉を信じて、先を急ごう。」
「地図によると、商店街を抜けると橘樹神社があって、その先に相鉄の駅があるので、もうすぐだね。」
「飯はそば。飲み物はビールだな。」
「昼間からビールか。きんのじ。」
「昼間だからいいんじゃないか。歩きなんだから、飲んだって大丈夫だし。」
「はっはっは、そりゃそうだ。まあ、その楽しみのために進むぞ。」

 しばらくすると、前方に神社が見えてきた。橘樹神社である。そして東海道は繁華街となり、やがて相鉄の高架が見えてくる。ここまでくると、保土ヶ谷宿はもう目と鼻の先である。
「おお、右側に神社がある。」
「本当だ。これが橘樹神社だよ、きんのじ。」
「ああ、確かにそう書いてあるな。神社や寺が増えてくると宿場は近いってね。そろそろ宿場かな。」
「あの高架が、恐らく相鉄の天王町駅だろう。保土ヶ谷宿は天王町の先だから、宿場は近いね。」
「ん!」
「どうした、きんのじ。」
「あれ、そば屋じゃないか。」
「あらら、そっちかい。史跡でもあるのかと思ったよ。」
「史跡も大切だけど、今は空腹を満たすものが大切。やっているみたいだから、入ろう。おさべえ。」
「まあ、確かに。ちょっと腹減ったなぁ。よし、入ろうか。」
二人は、とりあえず休息と昼食をとることにした。大のそば好き、ビール好きのきんのじ。お目当てのそば屋があり、ご機嫌であった。もちろん、しっかりとビールをたのんでいる。

 さて、昼食を終えた旅人は、再び東海道の旅を続けた。といっても、かなり保土ヶ谷宿の近くまできているため、ゴール地点まではそれほど長くはない、といったところであろうか。
「そばを食ってビールを飲んで。燃料補給はばっちりだぞ、おさべえ。」
「そりゃよかった。ゴールはまだ先なので、さあ、歩こう。」
「それにしても、この辺りは繁華街になっているが、駅へのメインルートなのかねぇ。」
「そうだろうね、きんのじ。あの高架部分が天王町の駅みたいだからね。」
天王町の駅が見えてくると、小さな川に架かる橋を渡る。この橋は「帷子橋」といい、この先でもう一度目にする名前である。
「おお、橋だ。駅の手前に橋があるのか。なんという橋だ、おさべえ。」
「帷子橋と書いてあるね。」
「まあ、よくある小さな川に架かる橋みたいだから、先へ歩を進めよう。」
「橋を渡るとすぐに天王町の駅なのか。相鉄は乗ったことがないから、初めて見るなぁ、相鉄の駅は。」
「ん、道がとぎれているぞ、おさべえ。」
「鉄道の駅で道がなくなってしまっているようだね。でも、通り抜けられるようなので行ってみよう。」
「相鉄を越えると、何があるのかな・・・。ん、公園があるじゃないか。それに、あの橋のモニュメントななんだ。」
「この公園、いろいろなものがあるぞ、きんのじ。」
「どれどれ。」
「これは一里塚の碑だろうか。」
「江戸より・・・里、と読めるぞ。」
「橋のモニュメントは・・・、帷子橋と書いてある。」
「あれ、帷子橋といえば、さっき渡ったじゃないか。」
「案内板があるので、見てみよう。」
「どれどれ、ふむふむ。なるほど。おさべえ、帷子橋はもともとここにあったらしいぞ。あの川ももともとはこの辺りに流れていたらしい。つまり、流路が変わったわけだ。」
「とすると、この公園の、今立っているところが東海道というわけか。」
「へえ、時代と共に川の流路も変わっていったわけだな。」
「ちなみに、この橋のことは安藤広重の絵にも描かれているよ。」
「ああ、保土ヶ谷宿を表した絵だろう。あの橋がこれなのか。」
「きんのじ。」
「あん?」
「こっちの案内板には保土ヶ谷宿のことが書かれているぞ。」
「どれどれ。おお、本当だ。」
「保土ヶ谷宿は、慶安六年(1648年)に改修されて今の位置になったみたいだな。それより も前の保土ヶ谷宿は、今よりももっと山沿いにあり、道幅も狭かったようだよ。」
「ということは、我々が知っている保土ヶ谷宿は、慶安六年以降の宿場ということか。」
「きんのじ、この地図に示されている、改修前の東海道をよく見てみなよ。」
「ん?」
「ここに追分けがあるだろう。改修前の東海道はこのルートだったわけだから、東海道の旧ルートとうことになる。」
「さしずめ、古東海道といったところだな。」
「そうだよ。で、この位置って、松原商店街の手前じゃないか。」
「そう言われるとそうだな。手書きの追分けと書かれた案内板のあったところだ。」
「つまり、あの追分けで右に分岐していた道が、古東海道で、慶安六年の改修以前のルートとうことにならないか。」
「なるほど。あの追分けは旧保土ヶ谷宿へ向かう古東海道との分岐点だったわけか。そうなると、古東海道も気になるなぁ。」
「今度、機会があったら散策してみよう。」
「そうだな。」
「東海道は、この公園の先で環状2号線となるよ。しばらくは、交通量の多い道を歩くことになるけど、歩道があるので歩きやすいかな。」
 松原商店街の手前にあった追分け。それは、慶安六年に改修される以前の保土ヶ谷宿へ向かう、古東海道との追分けであった。古東海道も気になるが、旅人は目的地である、今の保土ヶ谷宿へ向かい、環状2号線と合流した東海道を進んだ。

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■いよいよ保土ヶ谷宿
 環状2号線になると、交通量も増し、これまでの東海道とは雰囲気が変わる。ただ、歩道が整備されている分、歩きやすさは増す。旅人は、そんな東海道を保土ヶ谷宿へ向けて進む。
「ずいぶんと交通量が多いな。」
「そりゃそうさ、きんのじ。この環状2号線は、このあたりでは幹線道路だからね。」
「さっきまでの、生活感あふれる道と比べると、無機質な感じがするなぁ。」
「でも、この道は保土ヶ谷駅まで繋がっているので、賑やかではあるよな。」
「まあな。」
「きんのじ、地図を見ると、このまま進めば、保土ヶ谷駅の近くで旧道が分岐していて、このあたりが保土ヶ谷宿みたいだ。いや、正確にいうと、すでに保土ヶ谷宿に入っているのかもしれない。」
「なるほど。」
 しばらく進むと、「右相州道」と書かれた木抗が立っていた。「相州道」とは、東海道から分岐する大山道の一つで、大山道、厚木道、八王子道の総称である。
 ここで、「大山道」について簡単に述べるとしよう。大山道は、相模原にある大山へ向かう参拝道の総称で、関東のいたるところから分岐している。大山には阿夫利神社があり、江戸時代、この阿夫利神社へ参拝することが、娯楽の一つであった。

 さて、旅人はそんな相州道との分岐(つまり追分け)を見ながら、保土ヶ谷宿へ向かって歩を進めた。交通量の多い道ではあるが、保土ヶ谷駅へのアクセス道でもあることから、道の両側には店舗も多く、賑わいを見せている。車道を見れば、路線バスも走り、神奈川宿から旧道となっていた東海道も、この辺りでは交通の中心にある、といった感じである。
「交通量の多い道のわりには、店も多く、楽しめないか、きんのじ。」
「うん、そうだな。まあ、楽しめるほどでもないなぁ。」
「おやおや、今ひとつ煮え切らないといった感じだね、きんのじは。史跡が少ないからか。それとも、飽きてきたか。」
「はっはっは、そんなんじゃないよ。交通量の多い現代の道は、江戸情緒がないからね。東海道ではあっても、当時の旅人の気分にはなれない。街の中にある普通の道を歩いているといった感覚にしかならないんだよな。」
「なるほど。」
「宿場町であったところは、史跡も多く、それなりに楽しめるけどね。」
「でもさ、きんのじ。よく見てみてみなよ。にわかに神社や寺が増えていているとは思わないか。」
「そうえばそうだな。」
「つまり、きんのじが待ちに待っていた宿場が近いというわけだよ。」
「そうか。そうなると、楽しくなってきたぞ。」

 追分けを過ぎて道なりに進むと、環状2号線は左へカーブしていくが、直進する道が分岐する。この直進する道が、旧東海道である。すでに保土ヶ谷宿に入っており、きんのじの待っていた宿場の史跡が現れてくる。
「道が分かれているな。」
「どっちが東海道だ、おさべえ。直進している道が東海道っぽいが。」
「きんのじの言うとおり、直進している道が東海道だよ。左へ行けば保土ヶ谷駅。」
「いつのまにか、保土ヶ谷宿にはいっいたというわけか。」
「そうみたいだ。もしかしたら、天王町駅あたりが、江戸側の見附だったかもしれない。」
「それじゃ、あの道へ向かいますか、おさべえ。」
 直進している道へ入ると、すぐに宿場に関係する史跡が現れた。高札場跡と書かれた案内板が、そば屋の軒先に掲げられていたのである。高札場跡の先には、小さな十字路があり、石碑がいくつか建っていた。
「きんのじ、石碑が建っているぞ。」
「どれどれ、本当だ。なんの石碑だ。」
「金沢道。金沢八景の方へ向かう道と書いてあるな。ちなみに、この小さな道は金沢横丁というらしい。」
「へぇー、金沢八景ねぇ。ここから行かれるのか。」
「きんのじ、この十字路を過ぎると、本陣のあったところに出るぞ。」
「おお、そうか。よし、東海道を進もう。」
「あ、踏切だ。十字路の先に踏み切りがあるぞ。」
「東海道線の踏切か。」
「きんのじ、踏切を渡ると、東海道は国道1号線に合流するけど、そこに本陣があったらしいよ。今でも門が残っているみたいだ。」
「となると、あの建物か。」
 東海道線の踏切を越えると、東海道はすぐに国道1号線に合流する。この合流するところに、本陣の門と思われる遺構が残っている。
「おさべえ、これが本陣跡か。建物は江戸時代のものではなさそうだぞ。」
「きんのじ、本陣の遺構は門だけだよ。」
「門だけか。でもまあ、門だけとはいえ、初めて見る本陣の遺構だな。」
「よく残っていた。そんな感じだね。」
「本陣があったということは、このあたりが保土ヶ谷宿の中心か。当時の宿場ここで曲がっていたのかなぁ。」
「当時とは、かなり区画が変わっているかもしれない。国道と鉄道が開通して、当時の道筋は変更されてしまっているだろうからね。」
「おさべえ、今日はここで終わりか。」
「まだ時間があるので、もう少し先に進んでみよう。保土ヶ谷宿はこの先も続いているので。」

 旅人は、本陣の門が残る本陣跡を越え、国道1号線と合流した東海道を先に進む。どうやら、保土ヶ谷宿のはじまで行くようである。本陣跡から少し歩くと、立派な古民家があった。
「おさべえ、ずいぶんと立派な旧家があるぞ。なんの建物だろう。」
「いやー、これは立派だなぁ。ガイドブックなどには載っていないけど、恐らく宿場に関係する建物だったんじゃないかな。例えば、旅籠とか。」
「この大きさからいって、旅籠だった可能性はあるな。」
「この建物だけ見ていると、江戸時代の面影があるよな、きんのじ。」
「まあね。」
「さて、もう少し進もう。」
 旧家を過ぎると、左側に小さな川が現れる。やがて、外川神社の表札が見えてくると、保土ヶ谷宿は終わりを向かえる。
「きんのじ、外川神社と書かれた表札があるぞ。」
「小さな神社だな。」
「この辺りが、保土ヶ谷宿の京側の見附と言われているよ。」
「ということは、宿場はここで終わりか。」
「今日はここまで。この先は、東海道最初の難関、権太坂が待っているぞ。」
「おお、権太坂か。箱根駅伝でも有名な、あの坂だな。」
「難所越えは次回にして、今日は保土ヶ谷駅から帰ろう。」
「お疲れさん、おさべえ。さあ、帰ってビールでも飲もう。」
「またビールかい!」
 旅人は、外川神社の前でこの日の工程を終えた。宿場のはじまで歩いてきたので、保土ヶ谷駅までは、かなり戻ることになったが、宿場をじっくりと散策しながら、駅へ向かったのである。
 次回は、いよいよ東海道最初の難所、権太坂を越える。旅人の思いは、はやくも権太坂越えに移っているようである。

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