東海道TOP>番外編(2003年12月28日 臨済寺・丁字屋・宇津ノ谷峠の旅記録)

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2003年12月28日、年の瀬迫ったこの日に、思い立ったように東海道丸子宿へ行きました。目的は丁字屋の「とろろ汁」。一度食べたあの味が忘れられず、この日、再び丸子の地を訪れたのです。ただ、とろろ汁を食べるだけのために行くのではもったいない、そんな思いから、この日は「臨済寺」→「丁字屋」→「蔦の細道」→「明治トンネル」の行程で、名所旧跡をまわってきました。その記録を紹介します。

臨済寺
臨済寺は、静岡駅から静鉄バスで15分の山間のところにあります。今川家の菩提寺として伝えられ、桶狭間で織田信長に打たれた今川義元は、この寺に眠っています。観光客の訪れる寺ではないため、ひっそりとしていますが、本堂などの建物は立派で、威風堂々としています。

また、臨済寺には、いまもなお修行僧がいるため、原則として建物の中に立ち入ることはできません。今川義元の像は、建物の中にあるため、残念ながら見ることはできませんでした(不定期で年に2回開放することがあるらしい)。

<写真説明>
左上:臨済寺正門
右上:仏堂
左中:本堂
右中:今川家の墓
左下:修行僧の一行
 

東海道丸子宿
久しぶりに訪れた丸子宿。丁字屋の建物も周りの景色も、2002年3月10日に来たときと全く変わっていませんでした。なぜかほっとしたと同時に、とてもなつかしく思いました。2002年3月10日、京都を目指して歩いていた時も、今回と同じような青空の下で、とろろ汁を食し、宇津ノ谷峠を目指したわけです。
京都を目指して歩いていた時には、丁字屋が混んでいたために、隣の一松園でとろろ汁を食しました。この日は、年内の営業最終日ということもあり、丁字屋でとろろ汁を食することができました。
とろろ汁を食した後は、宇都ノ谷峠まで一度歩いた東海道を歩くことにしました。丁字屋の前の橋を渡り、歩き始めてすぐ、見慣れないものがありました。高札です。右側になんと高札があるではありませんか。前に来た時にはなかったはず・・・。
その後、前に来たときには逃してしまった「丸子紅茶」の案内のある旧道を歩き、宇都ノ谷峠へ向かいました。
<写真説明>
左上:丁字屋
右上:高札(前に来たときにはなかった)
左下:丸子紅茶の案内板

宇津ノ谷峠(蔦の細道)
丁字屋からしばらく旧道を歩くと、やがて国道1号線に合流します。本来なら、旧道は左側に何度も分岐と合流を繰り返しながら宇都ノ谷峠に着きますが、一度歩いた道。ここは国道をひたすら歩きます。やがて、道の駅に着くと、その先が蔦の細道の登り口です。江戸時代の東海道は国道から右に分岐しましたが、蔦の細道は左側に分岐します。
さて、蔦の細道とは、平安時代から江戸時代の東海道が開通するまで使用されていた、平安・鎌倉時代の東海道ルートです。江戸時代の東海道ルートが開通すると、道としての機能を終え、次第に山林に埋もれていきました。現代になって、遊歩道として整備されました。

<写真説明>
左上:蔦の細道登り口
右上:鬱蒼とした中を進む蔦の細道
左下:宇都ノ谷峠
右下:案内板

宇津ノ谷峠2(蔦の細道〜明治トンネル)
宇都ノ谷峠を越えると、見晴らしのいい道となり、緩やかに下ります。茶畑の脇の農道化した細い道を歩くと、途中に「猫石」とかかれた大きな石があります。猫石を過ぎると、傾斜は急になり、足下に注意しながら山林の中を一気に下ります。下りきると、アスファルト道に合流しますので、右方向へ行きます。やがて「つたの細道公園」につきます。この先で、江戸時代の東海道と合流しますが、今回のもう一つの目的、明治トンネルをくぐるために、江戸時代の東海道を歩きます。江戸時代の東海道は、蔦の細道と違って、傾斜もやや緩やかで、なによりも道幅が広く、歩きやすいと感じました。蛇行しながら坂道を上りきると、アスファルト道に出ますが、左方向に下ると、明治トンネルに着きます。明治トンネルは明治時代に作られたもので、当時は有料道路でした。今は歩行者専用道として使用されています。険しい宇津ノ谷峠も、このトンネルをくぐるとあっという間に過ぎ去りました。
 

今回の旅は、この明治トンネルで終わりです。この後、道の駅まで東海道を歩き、バスで静岡駅まで移動して帰路につきました。江戸時代の東海道、蔦の細道、そして明治トンネル。宇都ノ谷峠を越える歩行者専用道の3ルートを全て歩きました。それぞれの道は、その時の時代を反映しているかのように、今も宇都ノ谷峠越えのルートとして存在しています。それぞれの道には特徴があり、個人的に以下のように感じました。

■蔦の細道
平安・鎌倉時代。武士社会のこの時代に整備された道には「軍用道」としての機能が含まれているため、急峻な山越えルートがよく見られます(関東周辺の鎌倉街道など)。蔦の細道も、直線的に山を登っており、平安・鎌倉時代の道を彷彿させます。

■旧東海道
「お羽織屋」のある江戸時代の東海道は、軍用道としての機能はなくなり、商人・旅人・大名行列など、交通機関としての機能が含まれています。このため、傾斜も蔦の細道よりもゆるやかで道幅も広く、歩きやすくなっています。

■明治トンネル
それまでの道は、峠を越えるために山を登っていました。掘削技術が日本にも上陸すると、ついに道はトンネルという形で山を貫くようになりました。これにより、峠越えをするための登山がなくなり、時間の短縮になりました。

歩行者専用の3ルートにはそれぞれの特徴があり、道として機能していた時代を思い浮かべながら歩くと、とてもおもしろいと思います。


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