【歴史】
豊橋鉄道の軌道線である東田本線は、1924(大正13)年3月に設立された豊橋電気軌道が、1925年7月14日に豊橋駅〜神明〜札木十字路、神明〜柳生橋を開業したことに始まります。7月21日には札木十字路から赤門前(現在の東八町)まで、12月25日に東田(現在の東田とは位置が異なる)まで延長し、予定していた路線が完成します。
1945年6月20日に空襲により全線が不通となりますが、1946年2月までに全線が復旧します。この年から都市復興計画が始まり、路線の変更が行われました。
<路線変更記録>
・1949年12月25日に市役所前〜赤門前(現在の東八町)を複線化
・1950年4月7日に東田坂上〜東田を現在と同じルートに変更(旧ルートは途中にある車庫までを車庫線として使用)
・1950年9月17日に東田から競輪場前までを延長
・1950年10月20日に駅前〜神明を広小路通りのルートから現在の駅大通りのルートに変更、複線化
・1951年7月30日に赤門前(現在の東八町)〜前畑を複線化
・1951年10月30日に神明〜市役所前を大手通りのルートから現在の新大手通りのルートに変更し、複線化
・1952年3月19日に前畑〜東田坂上を複線化
・1952年10月5日に駅前〜市民病院前を新たに単線で開業
・1952年12月25日に駅前〜市民病院前を複線化
・1954年7月22日に現在の豊橋鉄道に社名変更
・1960年6月1日に競輪場前〜赤岩口を開業、赤岩口車庫を開設し、東田車庫と車庫線を廃止
・1969年5月15日に豊橋駅改築に伴う交通混雑を理由に、駅前〜市民病院前間休止
・1973年3月24日に駅前〜市民病院前間廃止
・1976年3月7日に新川〜柳生橋廃止
・1982年7月31日に井原〜運動公園前開業
なお、建設省の路面電車走行空間改築事業の適用第1号として、1998年2月19日に旧駅前電停から豊橋駅前のペデストリアンデッキの下まで150mが延長されました。これにより、JRからの乗り継ぎが容易となり、利用しやすい交通機関となりました。また、1999年1月25日に回数券の割引率を約4%拡大し、車内での発売を開始しています。
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