(豊橋鉄道)



温暖な東海地方の一角、豊橋市に拠点を持つ豊橋鉄道。鉄道線の渥美線と軌道線の東田保線からなり、軌道線は市内交通の一躍を担っています。この豊橋鉄道、建設省の路面電車走行空間改築事業の適用第1号として、1998年2月19日に旧駅前電停から現在の、豊橋駅前のペデストリアンデッキの下まで150m延長されました。路面電車が廃止される中、わずかではありますが、路線が延長されたことは、とても興味深いことでした。
なお、市内線は全線にわたり併用軌道となっており、競輪場前電停から先、赤岩口・運動公園前までの区間が単線、競輪場前から豊橋駅前までは複線となっています。また、豊橋駅前〜東八町間は、架線中がセンターポール化されていて、都市景観もすっきりしています。


【歴史】
豊橋鉄道の軌道線である東田本線は、1924(大正13)年3月に設立された豊橋電気軌道が、1925年7月14日に豊橋駅〜神明〜札木十字路、神明〜柳生橋を開業したことに始まります。7月21日には札木十字路から赤門前(現在の東八町)まで、12月25日に東田(現在の東田とは位置が異なる)まで延長し、予定していた路線が完成します。
1945年6月20日に空襲により全線が不通となりますが、1946年2月までに全線が復旧します。この年から都市復興計画が始まり、路線の変更が行われました。

<路線変更記録>
・1949年12月25日に市役所前〜赤門前(現在の東八町)を複線化
・1950年4月7日に東田坂上〜東田を現在と同じルートに変更(旧ルートは途中にある車庫までを車庫線として使用)
・1950年9月17日に東田から競輪場前までを延長
・1950年10月20日に駅前〜神明を広小路通りのルートから現在の駅大通りのルートに変更、複線化
・1951年7月30日に赤門前(現在の東八町)〜前畑を複線化
・1951年10月30日に神明〜市役所前を大手通りのルートから現在の新大手通りのルートに変更し、複線化
・1952年3月19日に前畑〜東田坂上を複線化
・1952年10月5日に駅前〜市民病院前を新たに単線で開業
・1952年12月25日に駅前〜市民病院前を複線化
・1954年7月22日に現在の豊橋鉄道に社名変更
・1960年6月1日に競輪場前〜赤岩口を開業、赤岩口車庫を開設し、東田車庫と車庫線を廃止
・1969年5月15日に豊橋駅改築に伴う交通混雑を理由に、駅前〜市民病院前間休止
・1973年3月24日に駅前〜市民病院前間廃止
・1976年3月7日に新川〜柳生橋廃止
・1982年7月31日に井原〜運動公園前開業

なお、建設省の路面電車走行空間改築事業の適用第1号として、1998年2月19日に旧駅前電停から豊橋駅前のペデストリアンデッキの下まで150mが延長されました。これにより、JRからの乗り継ぎが容易となり、利用しやすい交通機関となりました。また、1999年1月25日に回数券の割引率を約4%拡大し、車内での発売を開始しています。


【路線】
豊橋駅前〜赤岩口・運動公園前までの5.4km(駅前〜赤岩口 4.8km、井原〜運動公園前 0.6km)の路線です。運行系統は3つで、駅前〜赤岩口、駅前〜運動公園前、駅前〜競輪場前となっています。系統番号はありませんが、行き先方向幕に色をつけてわかりやすくしています。ちなみに、色は駅前と競輪場前行きが黒地に白文字、赤岩口行きが赤字に白文字、運動公園前行きが緑地に白文字となっています。

路線図はこちら



【料金】
料金は150円均一となっています。



【画像集】
豊橋鉄道東田本線の画像集です。画像集はこちら



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