【歴史】
富山電気軌道が大正元年(1912)11月4日に降りた特許を受けて、富山駅前〜共進会場前(現在の大町近辺)の本線、富山駅前〜総曲輪〜西町間の支線の建設を進め、大正2年9月1日に開通させたのが発端です。と同時に、日本海沿岸としては最初の軌道線の誕生でもありました。その後、大正4年には共進会場前〜堀川新(現在の南富山駅前)間が開業し、本線が全通しました。堀川新では富南鉄道(現在の富山地方鉄道)と接続し、便宜を図っていました。本線全通後も路線の拡大が行われましたが、経営は必ずしも順調ではありませんでした。大正9年には業務の全てを富山市へ委託され、富山電気軌道は富山市営の路面電車として再スタートを切りました。富山市電となり、路線網の拡大、車両の増備、路線の複線化等を進め、昭和11年には総延長10.8kmとなり、環状運転も行われました。しかし、昭和17年の陸上交通事業整備法の発令により、富山市電は昭和18年1月1日より富山地方鉄道に統合されました。
富山電気軌道から富山市電へ、そして富山地方鉄道と歩んできた軌道線でしたが、モータリゼーションの進展の影響を受けてしまいます。ワンマン化策などの合理化が進められましたが、次々に路線が廃止されていきました。各都市から軌道線が廃止された昭和40年代が過ぎ、昭和50年代に入ると、3系統が残っていました。しかしながら、昭和59年には1系統が廃止され、現在は残った2系統で運行されています。
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