中山道TOP>愛知川宿〜尼子交差点
[ 2005年5月1日(日) ]
[ くもりのち雨 ]
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今にも雨が降りそうな、どんよりとした朝。続きを歩きます。今日は、愛知川宿の次、高宮宿を目指して歩いたのですが・・・。雨に悩まされる一日でした。

愛知川宿を出発
昨日終了した愛知川宿北入口。そこが本日のスタート地点です。午前中だというのに、空は暗く今にも雨が降り出しそうな状態。雨との勝負になりそうな予感です。
さて、愛知川宿が終わると、これといった見物がなく、途中「江州音頭発祥の地」なる石碑が久しぶりの石碑といった感じです。

豊会館と一里塚跡
旧家や神社仏閣を見ながら進むと、「又十屋敷」と書かれた大きな看板が目にとまりました。そこには、一里塚跡の碑と豊会館と書かれた石碑がありました。豊会館は北海道開拓の豪商「藤野四郎兵衛」の屋敷跡を資料館として公開しているものだそうです。せっかくなので見学したのですが、これが後悔に繋がるとは・・・。

雨の中、ひたすら歩いていたら1里来てしまった・・・
豊会館で少々時間を費やしてしまったので、先を急ぐことにしました。歩き出して数分、とうとう傘を使うはめになり、雨の中山道となってしまいました。こうなると、歩くことに無我夢中となり、気づいたら1里きてしまったようです。八幡神社の横に、間の宿の石碑と一里塚跡の石碑が建っていました。ついでにバス停も「八幡神社一里塚の郷」。

間の宿「石畑」の一里塚
中山道沿いには、あまり一里塚跡がないのですが、このの一里塚は立派でした。しっかりとした石碑だけでも十分なのですが、石碑の後ろには、小さな塚もありました。もちろん、当時のものではありませんが、一里塚の雰囲気は伝わってきます。

雨でやむなく終了
雨は止むどころか強くなってきました。もはや悠長に史跡を探しながら歩く、といったことはできない状態です。近江鉄道は併走しているものの、やや離れています。どうしよう・・・。地図を見ると、尼子の交差点から駅に向かえるようなので、ここで終了。雨の向こうの高宮宿を想像しながら、尼子の駅から近江鉄道で帰宅の徒へ。

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