蝸牛月刊 第25号 1997年11月30日発行


ゴスフィルモフォンド訪問記 その2(完)

大山博


1930年代後半の変容

 かなりラフな区分だが,1920年代のソヴィエト・アニメの特徴の一つが『実験性』であるとすれば,1930年代のそれは,『プロパガンダ』と『ディズニー対抗』といえるかもしれない.
 日ソ両国の装甲兵力同士が衝突したハルハ河事件(ノモンハン事件)は1939年のことだが,その前から極東の情勢は緊迫の度合いを高めており,国防意識高揚の手段としてもアニメーションが利用されていた.1920年代の革命アニメもアジテーションの手段には違いなかったが,30年代後半以降に作られたプロパガンダ映画は手法としての実験性を失い,単に宣伝媒体と化しているようにも思われる.ゴスフィルモフォンド訪問記の後半では,30年代に生じた変化を中心に,話を進めてみたい.

1930年代前半の娯楽作品

 この時期になると,明らかな実験的作品は次第に陰をひそめるようになっている.レーニンの死後,スターリン化が進行の度合いを強めたことだけが原因ではないだろうが,いわば「普通の作品」が現れてくることが特徴と言えるかもしれない.
 もちろん,ツェハノフスキイらが作り始めたものの,未完に終わった前衛的でグロテスクな『バザール』や,イワーノフらの人力シンセサイザー?アニメ『泥棒』(1934)等の特筆するべき作品もあるが,やはり新しい部類の作品が表に出てきたのであった.
 後に,特撮映画で名をはせるアレクサンドル・プトゥシコが作った人形アニメ『生活を支配するもの』(1932)は,古い生活習慣から,革命後の近代的生活環境への移行を薦める宣伝映画であるが,落ちの部分を除けば,宣伝臭さの感じられない娯楽作品としても十分に楽しめるアニメである.ホダターエフのシチェドリン原作の風刺アニメ『自動オルガン』(1934)も旧体制を皮肉りつつ,コミカルな味わいがある作品だ.ホダターエフの『フィアルキンの経歴』(1935)も,まじめに働かず,他人の経歴を利用して職にありつこうとする若者をコミカルに描きつつ,改心してまじめに働くようになる落ちをつけているが,やはり,コルホーズ員を動員して,蚊を退治に出撃するあたりの馬鹿馬鹿しさがこの作品の命ではないだろうか.教育目的を掲げながら,娯楽の手法を探索した作家たちの意図が感じられる作品群だ.
 プトゥシコはやがて実写・人形アニメの手法を併用した6巻ものの長編『新ガリバー』(1935)を作る.これは,ピオネール少年の夢物語の姿を借りて,小人国の革命を描いた作品であり,実写とアニメの組み合わせもさほど違和感なく仕上がっているあたりはさすがである.

1930年代後半,娯楽作品の系譜

 別に10年区切りに深い意味はなくて,単に切りが良いだけの理由なのだが,この時期になると,本当に,単なる娯楽作品が登場してくる(別に悪い意味で書いているのではないよ).
 バビチェンコの『アフリカは暑い』(1936)の舞台は,とっても暑いアフリカ.あまりの暑さにまいった猿が,友達のセイウチ?に電話して,冷たいアイスクリームを遠路はるばる北極から届けてもらうナンセンス物語.ホダターエワは北方民族の民話を題材とした『取り戻された太陽』(1936)を作り,スミルノフのソ連版ポパイ?『勇敢な水兵』(1936),ロシア民話のモチーフを用いたブルンベルグの『イワシコとバーバ=ヤガー』(1938)などはイデオロギー色ともほとんど無縁の単純娯楽作品と言ってよいだろう.

30年代後半〜1940年代前半,愛国プロパガンダの世界

 しかしながら,同時に,スターリン化の進行,国際情勢の緊迫化もあり,五ヵ年計画や社会発展の成果を誇示する宣伝映画や,ドイツや日本の帝国主義に対する国防意識向上のための作品も,アニメーションの世界に現れてくる.
 イワノーフの『猟師フョードル』(1938)は,冒頭こそ三人兄弟の末っ子,フョードルが成人した兄二人にからかわれつつ,愛犬とともに山ほどの獲物を仕留めてみせる民話的物語なのだが,後半になると突然,がに又で丸い眼鏡をかけて,出っ歯の日本軍兵士がうじゃうじゃ登場し(全員,同じ顔),侵略を始め,愛国心に燃える三人兄弟が勇敢に反撃し,赤軍が迎撃に出るまで持ちこたえるという,いささか脈絡に欠ける物語となっている.
 バビチェンコの『戦争の数頁』(1939)や『撃った,撃っている,撃つだろう』(1941)なども,国防プロパガンダ作品だ.バビチェンコらは,『凱旋行進』(1939)で五ヵ年計画を賛美,邁進するソ連社会を疾走する機関車になぞって描いた(ちなみに,その列車にはスターリン本人が乗っている).また,バビチェンコの『イワンじいさん』(1939)は,経済発展賛美と国防意識高揚の両方を目的とした作品なのだが,題名からも想像できるように,冒頭は民話調で始まる.田舎の村にすむ年老いたイワンじいさんのもとに死神がやってきて,「そろそろあの世に行く時期だよ」とつげると,イワンじいさんは「さて,どうしたものか.息子たちに相談してみるよ」と答えて,モスクワにやってくる.ところが,モスクワは革命後の経済発展でどえらい近代都市になっていて,じいさんはたじたじ.途方に暮れたじいさんが,息子を呼んで叫ぶと,建築技術者になっている息子が登場,残りの二人の息子も軍人になっていて,イワンじいさんに軍民両分野における革命の成果を誇らしげに見せる……(死神はどうなったんだ?).こうなると,もう,何だか無茶苦茶である.
 シュームキンらの『いかにワーシャ・チョールキンが応召したか』(1941)やイワノフ=ワノーらの『ファシストの軍靴に祖国を踏みにじらせるな』(1941)等も同傾向の作品だが,こちらの方がまだ物語としての破綻は少ないだろう.

それでも娯楽は必要だ!

 と言うわけでもないだろうが,この時期にも普通の作品も作られていたことを補足しておく.ツェハノフスキイの『おろかな子ねずみの話』(1940)等はこの手の作品と言えるだろう.また,対独戦の状況が好転してきたためか,ブルンベルクらの『船乗りシンドバッド』(1944)は,この時期の作品にも関わらず,イデオロギー色も,プロパガンダも,ついでにロシアらしさも全くない単純娯楽作品である(でも,あんまり面白くないのだな).

ハリウッドへの対抗,ディズニーの影響

 スターリンは映画好きだった.ゴスフィルモフォンド設立を命じたくらいだから,独裁者の趣味とは言え,相当なものだったのだろう.話は前後するが,1920年代に当時の世界的大スター,ダグラス・フェアバンクスとメアリ・ピックフォードが訪ソした時の騒動がホダターエフのアニメ『大勢の中の一人の女』(1927)にも描かれていることを前回,紹介した.彼等が訪ソしたきっかけは,ヨーロッパで上映されていたエイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』を観たことであり,そのことが後にエイゼンシュテインらが訪米し,ハリウッドに行き,未完の『メキシコ万歳』を作ることにもなるのだが,それはさておき,当時,スターリンはソ連版ハリウッドを作ることをも夢見ていたらしい.アレクサンドロフ監督のミュージカル映画には,アメリカ映画の影響を見ることができるだろうし,アニメーションの世界にも,ディズニーを意識した登場したのは戦後間もない時期のことであった.

知られざる戦勝直後の?名作,ゴーゴリの世界

 文豪ゴーゴリの連作短編に民話的世界をグロテスクに描いた『ディカーニカ近郷夜話』がある(岩波文庫にも収録).このうち,いくつかの物語をブルンベルクらがアニメ化しており,今回の訪問では『消えた国書』(1945)を観ることができた. 物語はご存知の方も多いだろうが,都に届ける大切な書状を託されたコサックが,途中の宿屋で酒を飲み過ぎ,魔物に書状を奪われてしまい,取り戻すまでの騒動を描いたものだ.絵の美しさ,動きの見事さ,今観てもすばらしい大作だ.もちろん,小悪魔どものキャラクターが妙に漫画調でバランスが悪いことなど欠点も目につくが,当時のソ連アニメの高い技術水準を証明している.ブルンベルクらは後に『降誕祭の前夜』(1951)も作っており,こちらはビデオを手に入れたので,いずれ改めて紹介したい.

そして記念碑的作品『せむしのこうま』に

 日本のアニメーション関係者に強い印象を与えた外国アニメを上げてみろ,と言われればかなりの人がその名を口にするに違いない作品が,イワノフ=ワノーの『せむしのこうま』(1947)だろう.この作品は,日本でも上映され,好評を博したと聞く.ソ連国内でもひじょうに人気があり,あまりに多くのプリントを作ったためにオリジナルのネガが損傷してしまい,後に監督自身がいくつかのエピソードを追加してリメイクした版の方しか観られない状態となっていた.ところが,その幻のオリジナル版のかなり保存状態の良いフィルムがゴスフィルモフォンドにあったのだ.筆者は初めて観る機会であったが,確かに短くはあるが,リメイク版よりも強い印象を受けるアニメであった.話に聞いていた,魔法の母馬のたてがみの透過光も美しかったが,実は,ブルンベルクらの『消えた国書』に出てくる黒馬の動きの方が素晴らしいのであった…….
 ところで,この作品だが,最近の差別用語規制の流れの中,日本では上映が難しい状況が生じているらしい.とくに,公的ホールなどでのアニメ上映や,演劇の際に,題名にクレームがつくとか.真偽のほどは定かではないが,何だかおかしな話である.

おわりに

 以上,かなりの駆け足で初期ソ連アニメについて流れを追いかけてみた.間違いも多々,含まれているかと思うが,その点についてはご指摘願えれば幸いである.また,これらの作品の多くは,遠からず日本でも観ることができる機会があるはずである.その時には改めて紹介するので,興味のある人はぜひぜひ足を運んでいただきたい.また,今回の訪露で市販のビデオを何本か手に入れたので,それらについてもいずれ紹介して行きたい.



新刊

消えたドロテア
パーヴェル・ヴェージノフ著
松永緑弥訳
恒文社(東ヨーロッパの文学)
ISBN4-7704-0916-8
\2,000-(税抜き)

緑色の耳
リューベン・ディロフ著
松永緑弥訳
恒文社(東ヨーロッパの文学)
ISBN4-7704-0918-4
\2,200-(税抜き)

 東欧文学を中心に翻訳出版してきた恒文社だが,今年になってブルガリアの幻想文学作品二冊を出している.前者は「現実か狂気か? 大人のメルヘン」,後者は「珍しいブルガリアのSF読み物4篇を収録」と帯の宣伝文句にあり,同社にとってまだまだこの種の文学作品の扱いを決めかねている感がなきにしもあらずだ(宣伝文句のキーワード自体は,間違っていないのだが……).
 表題作『消えたドロテア』は離婚した中年音楽家と精神を病んだ若い女性の奇妙な共同生活に,奇跡とも思えるできごと(空を飛翔する夢)と悲劇が絡み合った佳作である.中年音楽家の心理にかなり共鳴できてしまうのは,評者とほぼ同年代の設定のためだろうか?(主人公は40過ぎとあるので,評者よりは年長だが)
 併録作『ある幽霊の話』は,ゴーゴリ風とも言える物悲しい風刺作品.
 さて,東欧文学専門出版社にさえ「珍しい」と書かれてしまったブルガリアSFだが,訳者解説にもあるとおり,国内市場は小さくとも,SFの歴史に関しては他国にひけをとらないだろう.とは言え,日本に紹介された作品は確かに少ない.早川書房の歴史的偉業?『世界SF全集33 世界のSF ソ連東欧篇』にも今は亡き深見弾氏の訳でライコフの『コルネリウス教授の帰還』が収録されているのみ.白水社の『現代東欧幻想小説』(1971)や,最近のアンソロジーである沼野充義編『東欧怪談集』(1995)にもブルガリアの作品は収録されていない.かろうじて深見弾編『東欧SF傑作集 上』(1980)に5本の短編が収録されている程度である.したがって,本書『緑色の耳』は確かにブルガリアSFの姿をかいま見る貴重な資料なのである. 収録作品『麗しのエレナ』や『二重星』はやや古風なSF小説だ.いずれのエンディングもセンチメンタルすぎると感じる読者もあるだろう(評者の好みではある).何はともあれ,最近の日本や北米のSFとはちょっとちがった味わいを素直に楽しんでほしい1冊である.なお,後者にはSFマガジン1982年12月号に掲載されたスヴェトスラフ・スラフチェフの短編『呼びかけの声』を収録しているのだが,表題紙には名前があげられていない.目次や解説には取り上げられているとは言え,少々わかりにくい扱いである.また,難を言えば,訳者の松永氏にとってSFはどうも不得手なようで,『緑色の耳』収録作品の訳文におかしな表現や訳が散見され,読みにく感じられたのが残念である.
(大山)


イヴェント


ポスターで見る「無声時代後期のソビエト映画」(予告)

 ソ連SF紹介の先駆け,袋一平氏は,ソビエト映画の紹介でも活発に活動された方であった.その袋氏が革命期に集め,遺したコレクションの大部分は現在,東京国立近代美術館フィルムセンターで保存されているのだ.そのうち,修復を終えた63点がフィルムセンター展示室(7階)で無料展示中である.SF映画のポスターがあるのかは不明だが(63点の題名はわかっているのだが,筆者の知識不足で判断不能なのだ),美術的史料としての価値も高いものであり,時間の許すことがあれば,ぜひ足を伸ばしてみてほしい企画である.
 場所:東京国立近代美術館フィルムセンター展示室(7階)
 日時:1997.11.04-11.15, 11.25-12.25, 1998.01.06-01.31
    10:30-18:00(入場は17:30まで)
 休館日:11.18-11.22, 12.26-01.03及び日曜日,月曜日
(大山)