蝸牛月刊 第19号 1997年4月12日発行


第一印象「滅びの都」

大野典宏
 この長大な小説(約500ページ)を読み終わった直後に書いている。メモを取りながら読んだわけではないので,当然のことながら読み落としたところ,理解・考察の足りないところがたくさんある。そもそも,有能な作家が自ら認める「問題作」をそんなに簡単に解読できるなどとは思っていない。
 理想を言えば,小説中で語られる事項に付いて,それぞれ個別に検討し,全体の中での位置づけを考察してゆくべきなのだろう。だが,そのような考察が現時点で可能だとは思わないし,いつ可能になるかもわからない。
 そこで現時点で感じたことをのみを記すことにする。

舞台―都市

 少なくとも地球ではない。東を黄長城と呼ばれるそびえ立つ岩壁,西を深い断崖で区切られた岩棚のような土地に都市は存在する。はたしてこの世界は丸いのか,平らなのか,それすらもわからない。太陽は電灯のごとく,オンオフを繰り返し,昼夜が唐突に入れ替わる。北側には,捨てられた別の都市群が偏在しているが,人は住んでいない。都市へは,さまざまな人種が,さまざまな動機から,自ら志願して移住している。結局,都市を取り巻く世界全体の構造,場所など,最後まで一切明らかにされない。
 もちろん,都市を含めたこの小説世界に何らかの(比喩的な)意味づけを行うことも,その立場から小説を解釈することは可能だろう。だが,意味付けを行うための手段も,その意味付けに説得力を持たせられるだけの根拠も,現時点で発見できていない。

ストーリー

 主人公―アンドレイが不条理な都市で見聞きする幻想小説としてだけでも十分に楽しめる。主な事件として,突然のヒヒの襲来(最後まで説明はない),市中を徘徊し人を飲み込む赤い館での冒険,検閲官との頭の痛い(笑える)会話,クーデター,独裁政権移行後の変節,元同僚の爆弾自殺,北方の探索,そして「都市」そのものの構造など,ストーリー的に退屈はしない。
 そして内容的には,主人公の変節と脱出をめぐる話である。

変節と脱出

 都市は実験のために存在している。実験の目的は明らかにされない。そして「実験は実験なのだ(ex。共産主義とは大いなる実験であった)」というキーワードによって,あらゆる理不尽/不条理がまかり通っている。たとえば,ここでは,職業は機械によって勝手に決められるのだが,実験を成功させるという「崇高な」意志のもと,「実験は実験なのだ」と人々はそれに従っている。主人公アンドレイは,絵に描いたような典型的な共産主義信奉のロシア人であり,実験を微塵にも疑っていない「都市」の模範的な市民である。
 途中,クーデターにより第三帝国出身のファシストが政権を握ることになる。その結果,主人公アンドレイは,旧体制の御用新聞編集長から,ファシスト政権の幹部という立場になる。一般的には変節したということになるのだろうが,果たしてこれを変節と呼べるのか,怪しいものである。なぜなら,アンドレイは,旧体制の御用新聞としての立場を崩さずに新聞を発行してきたつもりなのに,新政権のトップから「新聞で自分たちに協力してくれてありがとう」という意味の感謝状をもらってしまい,ファシストに仲間として迎えられるのだ。
 こうして熱心な典型的コミュニストは,極自然にファシスト集団に組み込まれる。

流れ行く男と道を示す男

 同書の解説でも指摘されているが,ユダヤ人のイージャ・カツマンが非常に重要な役を果たしている(注:これは解説で触れられている内容に賛同しているというわけではない)。ソ連にとってもナチス・ドイツにとっても,意味こそ違え,「ユダヤ人」は非常に大きな要素である。共産主義者でありファシスト政権の中で上り詰めるロシア人と常に事態を冷静に見ているユダヤ人,非常に面白い対立である。
 本書では,イデオロギーを声高に唱えながら結局は状況に流され変節してゆくだけのアンドレイと,流れの外に位置し続けるユダヤ人,カツマンという全く正反対の者同士の対比によって全ての事件が語られる。基本的にはアンドレイが教条を唱え,カツマンがそれ否定してゆく形式が続く。そして最後はカツマンに導かれるかのようにアンドレイは都市を取り巻く世界から脱出を果たす。だが,脱出行はまだ終わっていない。

芸術論争

 各論の試みとして,本書の中で展開される芸術論争を取り上げてみる。本書の中では2ページにすぎない内容である。
 この論争の特異な点は,かなり唐突に,しかもわかりやすい形で出てくるところだ。都市の生活は満ち足りたものになったが,人々は退屈し,自殺・蜂起が増えるだろうという会話がなされた後,突然文学の話になる。都市には百万もの人間がいるにもかかわらず,まともな(偉大な)文学,美術,音楽,建築,映画が出てこないのはなぜかという問題が議論される。ソ連時代にまともな文学が無かった理由,ソ連社会が停滞した理由,そしてストルガツキーが考える作家論を直接的に説明しているのだ。
 この問いかけを受け,本書の中でユダヤ人,イージャ・カツマンは言う。芸術は,社会がまともな状態だからこそ出てくる,逆にまともじゃないから出てくるというものではない。あるいは市民の生活が満ち足りている/足りてないという理由でもない。また,秘密警察が芸術を抑圧しているからというわけでもない。逆に権力への対抗手段として文化が存在するわけでもない。結局のところ,イージャは,芸術とは「病める良心」なのだと結論づける。
 芸術が生まれる/生まれないという尺度で社会の「まともさ」を測ることができるとするならば,「病める良心」の存在する社会がまともなのだという結論になる。ソ連社会に「病める良心」が存在していたことは,本書が存在することで,それを証明している。
 逮捕の危険を省みず,ストルガツキーが本書を執筆した理由は,文学による社会改革などといったものではなく,「病める良心」という内的衝動によるものなのだ。芸術が社会に貢献するなどとは,ときどき見かける指摘だが,ただの夢にすぎない。それは本書の中でも指摘されていることだ。

終わりの見えない脱出行

 実際,各論は,比較的わかりやすい書き方がなされている。
 だが,本書では,語られる項目があまりにも多いため,すぐに整理できるものではない(ただし全てのベクトルが同一の方向を向いていることはわかる)。
 たとえば「赤い館」で行われるチェスなどは,非常に印象的でよくできた場面だと思う。そしてスターリニズムまたはソ連的なエリート主義の考え方,危険性について指摘しているということだけはすぐにわかる。だが,全体の意味が把握できていない以上,それがどう位置づけられるべきなのか,現時点では全くわからない。
 この文章は,レベル的にはまだ都市の中で右往左往している段階にすぎない。主人公アンドレイと共に都市からの脱出をはかることができるようになるのは,まだ先のことだ。
 次ページの表は,全体像を把握するための試みとしてまとめてみたものだ。見てもわかるとおり,内容を見渡す目的には全く不十分なので,各セルの充実と,列の追加が必要だ。


「滅びの都」不完全表

出来事アンドレイカツマン
ゴミ収集員 大量のヒヒが出現する。「実験は実験である」という命題のもと,全てが許容される。実験に対する教条が繰り返し唱えられる。 狂信的共産主義者。実験は実験である。この言葉に賛同し,疑いも持っていない。 ユダヤ人.アンドレイの友人.あくまでも傍観者的な態度をくずさない.北方に忘れられた古い都市(廃虚)があることを示唆する.
捜査員 赤い館事件。市中に突然出現する「赤い館」は人を飲み込み,跡形もなく消える。イージャ・カツマンによれば,かき乱された良心の妄想であるのだと言う。 赤い館への侵入。スターリンとチェスで対戦する。チェスの駒と化した人々は,それぞれの死に様を見せながら消えてゆく。友人,イージャ・カツマンを「売る」 赤い館の前で逮捕.持っていたファイルを隠したという疑いで逮捕され,腕を折られる.
編集者 太陽が長期間にわたって消えている不安をきっかけとした,ファシスト,ガイガーによるクーデター。ガイガーより,アンドレイに「助力」を感謝する手紙が届き,情報局政治代表に取りたてられる。 政府御用新聞の編集長。クーデターによって「旧体制派」の人間として逮捕されるのではないかと脅えるが,結局は「新体制派」にとっても都合の良い言説しか弄していなかったことが明らかになる。 新聞の編集室で,逮捕におびえるアンドレイを前に「お前は何もわかっていないから大丈夫だ」と宣言.本当に危険なのは,一部の投書の作者だという.
補佐官殿 新政権も軌道に乗り,陰で秘密警察が暗躍している.ある日,広場の真ん中で爆弾自殺をする男が現れた.また,都市からは芸術が全く生まれていないことが議論される。そしてガイガーの希望から北方を探索することが決定する。 補佐官として都市での地位を登り詰め,部下の密告状に目をとおし,秘書と浮気をするような生活を送っている,稀少な絨毯を購入したり,銃をコレクションしたりと,非常に豊かである. 官僚と人民との関係を指摘する。独占的なエリートが支配する退屈な世界と化した都市に自殺者や蜂起といった事態が起こるだろうと指摘。
連続性は断ち切られた 北方の探索行.そこには廃虚しか残っていない。一行はさまざまな苦難に直面する.少人数でほんの数時間の偵察行に出ている間,探索部隊では何日もの時間が流れていた.探索部隊はアンドレイとカツマンを残して全滅する. エリートと愚衆についての長い独白。<教導師>との認識についての会話。 うち捨てられた都市で文書を発見する.
脱出 アンドレイとカツマンは,北で「塔」,「水晶塔」,「パビリオン」などの場所を巡る.さまざまな時代とさまざまな技術が偏在していることが明らかになる. ついに脱出を果たす.だが,それも第1圏と呼ばれる世界を脱出したにすぎない.ソ連と思われる場所にアンドレイはいる. アンドレイとともに北の乾いた土地を進む.神殿についての議論がなされる.精神的な資産を収めたものであり,たとえば作家は建設者,カツマンは神殿を治める神官,そしてアンドレイはその使い手であるという。


新刊・旧刊・映画情報

大山博

ラーゲリ強制収容所註解事典

ジャック・ロッシ著,染谷茂校閲,内村剛介監修,梶浦智吉,麻田恭一訳
東京 恵雅堂出版 1996.10
ISBN4-87430-023-5 \3,500-(税抜き)

 旧ソ連最大の悲劇の一つ(あくまでも一つ)が「ラーゲリ」または「グラーグ」の名で知られる巨大な収容所システムなのである。本書はフランス人の著者が身を持って体験した収容所の事典である。残念ながら,日本語版では辞書的性格があえて薄められており,各項目も索引以外は五十音順排列になっていないため,少々読みにくいことが欠点かもしれない。もちろん,トロイカや特別トロイカだって載っている。


Transition : Events and issues in the Former Soviet Union and East-Central and Southern Europe

 A4判,60ページほどの雑誌である。創刊はおそらく1995年で,隔週刊らしい。ISBNも付いていないが,筆者はナウカ神保町店で見かけた。ちなみに,手元にある号の特集記事は'Drugs : a CIS growth industry'である…(裏表紙はUNICEFの広告)。
 発行元のOpen Media Research Institute(チェコの主都プラハにある)がどのような性格の組織なのかは不勉強で調べていないのだが,興味のある方はOMRIのWWWサーバにアクセスしてみては如何?(http://www.omri.cz/Publications/Net.html)


Кино и сценарии

 ロシアの映画雑誌と言えば,Экран(スクリーン),Кино−Глаз(キノ・グラース:映画眼),Новые фильмы(新作映画),Исскуство кино(映画芸術)等があるが,この『映画とシナリオ』誌は雑誌とペーパーバックの中間的な感じのする定期刊行物だ。以前はモノクロ写真だけの地味な紙面だったが,最近は表紙等がカラー印刷となった。1997年の第1号は,巻頭にニキータ・ミハルコフの新作Сибирский цирюльник『シベリアの床屋』のシナリオの一部を掲載している。ちなみに,主演男優は先月末から銀座テアトル西友で上映が始まったセルゲイ・ボドロフ監督の『コーカサスの虜』でも主演していたオレグ・メニシコフ。


モスクワ映画祭存亡の危機!

 今年のモスクワ国際映画祭は7月19日から開催の予定なのだが,予算はついてもお金が出ないロシアのこと,本当に開催できるのか怪しい状態になっている。詳細は近日中に判明するのではないかと思われるが,ロシア映画界は今年も蛇行しているようだ(日本映画界はすでに死んだとの声もあるが…)。


翻訳ソフト体験記

大野典宏

 先月紹介したロシア語-英語-ロシア語翻訳ソフト"Word Translator"の正式版が手に入ったので,早速試してみた(注文書をFaxで送信後,約十日で来た)。
 インターフェースはシェアウェア版と全く同じ。違うのは辞書に収録された単語数だけだ。また,インストール回数は10回に制限されている。価格は179ポンド+送料,ついでに税関で開けられるうえ追徴金を取られるので注意が必要だ(当然の手続きだが何となく嫌だ)。
 ロシア語フォント"Pravda"がついてくるのでWindows95の他国語設定をしていなくても表示はできる。また,独自の英語キーボードもどきロシア入力インターフェースが付いてくるので,ロシア語タイピングに慣れていない人でも使える。当然,キーボードをANSIのロシア語配列にして使用することも可能だが,いちいちキーボードを切り替えなければならないので,本ソフトでは英語もどきを使ったほうが便利だ。
 さて,気になる「買い」かどうかの判断だが,これは難しい。翻訳補助ソフトとして見た場合,ワープロとのインターフェース(Word上での選択・コピーで変換など)は,よく考えられた機能だ。だが,辞書として見るとまだまだ弱い。
 なにしろ,最も欲しいのは,翻訳補助ソフトとしての機能ではなく,電子辞書の機能なのだ。カタログ上の収録語数は120,000と多いが,フレーズまでも含んだ数であるため,実際の収録語数は少ない。また,翻訳も単語を表示するだけにすぎない。今以上の収録語数,意味の表示など,辞書機能の充実が最大の急務だろう。現在,辞書をHDDだけで持てる量だが,CD-ROMのサイズにまで膨らむのを待ちたい。