ファンタスティカ作家会議「ストラーニク(遍歴者)」
大山博、大野典宏

 大統領選挙や手術をくぐりぬけ、国家そのものがザンボット3の人間爆弾状態に陥っているかのような気さえするが、一九九六年を見る限り、あまり日本人が他国のことを言えそうにない状況である。
 一九九六年のロシアSFを振り返ってみると、最大の出来事は新しい作家会議ストラーニクの開催である。これまでインタープレスコンが果たしてきた(はずの)役割を、いきなり他のコンベンションにごっそりと移し替えてしまったのである。これは日本SF大会をプロが全員ボイコットし、別のコンベンションを始めてしまったようなものだ。かなりの大事件なのである。

●ストラーニク(遍歴者)の成立
 ストラーニクが開催された表向きの理由は、「インタープレスコン」はあくまでもファンのコンベンションであり、作家には作家の興味があるため、作家のコンベンションを発足させる必要があったというものである。それは出版社と話し合ったり、純粋に文学的な問題を議論するといったところだ。
 だが、本当の理由は少し頭の痛い話になる。
 そもそもインタープレスコンも最初は作家たちによって始められた文学イベントだった。もちろん作家たちの仲良し交流会という面もあったのだが、主な内容は講演やディスカッションといった文学的な要素を詰め込んだものだった。第一回のインタープレスコンで生じた議論は翌年以降も続き、作家や評論家、ファンが論文やエッセイ、ファンジンで議論を交わしているのだ。
 そのまま第一回の形態が続いていれば何の問題もなかったはずである。
 しかし、ここにロシアSF特有の問題がかかわってくる。アメリカSFとロシアSF(ファンタスティカ)は、ともにSFと名乗ってはいても志向するものがまるで違うという点だ。コンベンションに参加する多くのファンはアメリカSFやUFOの話がしたい。その一方で作家は、どちらも同じSFであるということでコンベンションには参加するが、アメリカSFにはあまり興味が無い。そして、ファンタスティカの読者はわざわざSFのコンベンションには参加しない。
 この乖離を示す良い見本として挙げられるのが、一九九二年のアエリータ賞だ。その年、アエリータ賞は、ワシーリ・ズビャギンツェフの「オデッセイはイタカを置き去りにする」という作品に与えられた。一方、その時期、ペレーヴィンは「青い火影」によって話題を集め、ロシアで最も権威あるブッカー賞まで受賞しているのだ。そうなると当然、アエリータ賞の選考委員会は一体何を見ていたんだという話になる。
 このように嗜好が乖離してしまうと、SFというカテゴリだけでお互いが集まっていても何も得るものはない。両者をひっくるめてSFだからと集まってしまうこと事態に無理が出てきているわけだ。
 そうなると作家も参加しなくなる。ビクトル・ペレーヴィンは、過去一回参加しただけ、キール・ブリチョフとその一派も参加していない。ミハイル・ウェレルなどはコンベンションなど無駄だと思っている。
 そして、問題が決定的となったのは、一九九五年のインタープレスコンでのことである。
 遍歴者賞の授賞式後に開かれる、受賞者によるパネル・ディスカッション(一九九六年は行われなかった)の最中、突然、遍歴者賞に対する強烈な批判が一部の作家とファンから吹き出したのだ。この時、大野が会場で聞いていたところによるとこんな内容だった。曰く、ターボだが何だが知らないが、昔からあるSFを無視して格好つけやがって…。凄い剣幕でまくしたてていたため細かいところまでは聞き取れず、わからない固有名詞も多く出てきていたが、だいたいこんな内容のことを話していた。
 その犯人は「モロダヤ・グバルヂヤ」で活動していた作家とファンだった。「モロダヤ・グバルヂヤ」はソビエト時代、SFの出版を独占し、作家達を迫害していた出版社である。現地の作家たちにとっては怨霊のような存在なのだ。その連中がこんな方法で鬱憤を晴らしにきたわけだ。その時、ボリス・ストルガツキーが何とかなだめようとしたのだが、結局は物別れのままに終った。
 その後も数々のトラブルが続いた末、ついに一九九六年のインタープレスコンでは、前年攻撃された作家達がこぞって参加をボイコットするという事態にまで発展した。  結局、作家達自身の興味による、文学のコンベンションを行う必要があるという話になった。現在のファンタスティカについて報告し、文体の問題や作家本人の問題について議論し、そこで与えられる賞は大衆的なものではなく、芸術的な意義のある作品に与えられるというものだ。とは言っても何のことはない、これは最初のインタープレスコンの目的とほぼ同じである。
 というわけで、一九九六年以降、ストラーニクはインタープレスコンとは別に開催されることになった。
 ところで、今紹介した話にはロシア固有の問題が関わってはいるが、一部の単語をブロック単位で置換すると、どこの国の話としても通りそうなのは面白い。
 で、ストラーニクが開催が本格的に決まったのは一九九六年の初夏のことである。しかも初めてそのことを聞かされた時にはサンクト・ペテルブルグのどこかで秋に行うとだけしか決まっていなかった。八月に送られてきた招待状にも「九月二十五日から十月三日まで行う会議に来てよね」としか書かれていないという凄い状態だったのだ。
 準備するロシアのほうもかなり慌ただしかったのだろうが、招待状が送られてきたほうもあまりに突然のことなので驚いた。なにぶん時間が無いのでひょっとしたら今年は見送りかと思われていたのだが、何とか大山が参加できたので、そのレポートをお届けする。

●ストラーニク参加レポート
 ロシア・ファンタスティカ作家会議《ストラーニク》は、一九九六年九月二十七日〜二十九日の三日間、サンクト・ペテルブルク市内のホテル・ルーシにて開催された。ロシアおよび旧ソ連諸国からの参加者は、作家を中心に、評論家、編集者、出版関係者等を加えた総計約百名。国外からの参加者は、ポーランドの翻訳家タデウシ・リトフィンスキ氏および大山の二名であった。会場は、当初の案内ではホテル・オクチャーブリスカヤの予定だったが、「犯罪者が多くて物騒」という理由で変更になったらしい。
 ボリス・ストルガツキーの開会宣言の後、国外からの参加者挨拶。約七十名のSF作家等を前に、おまけにすぐ隣にはボリス・ストルガツキーときているから、ひたすら緊張したものの、事前に「三フレーズで良いからね」と言われていたとおり、三フレーズの挨拶を終えた。「この会議に参加させていただいて光栄に思う。日本ではロシア文学が伝統的に人気あるが、最近のファンタスティカはあまり紹介されていないので紹介して行きたいと思っている。ロシア・ファンタスティカのより一層の発展を期待する」
 続いて、今回の大会のスポンサーでもある出版社の紹介に移った。サンクト・ペテルブルクからはアーズブカ社、ラーニ社、そしてテラ・ファンタスティカ社、モスクワからはローキド社、アー・エス・テー社、そしてスモレンスクのルーシチ社など。アー・エス・テー社はテラ・ファンタスティカとも協力関係にあり、後述する「ストルガツキー兄弟の世界」は両社の共同出版となっている。
 この出版社紹介では、各社の出版物が壇上に並べられ、出版社の人間が宣伝文句を披露するのだが、外国物の出版(スタートレックなど)に対しては一部の参加者からブーイングも飛び出し、出版社の人が憮然とする一幕もあった。
 なお、テラ・ファンタスティカ社のユータノフ社長が紹介した新刊「ストルガツキー兄弟の世界」は、ストルガツキー兄弟の作品世界と登場人物を用いたアンソロジーで、ボリス自身は序文を書いている(本書の内容については後述する)。ユータノフ社長はその場でボリスに対し「ストルガツキー兄弟の世界」の続編企画への同意を求め、それをボリスが快く了解する一幕もあった(実にやらせ臭い)。
 夕食後、同じホールにてロック・グループ「ユーリイとクレオパトラ」のコンサートがあると予定表に書かれていたので行ってみた。グループと言っても二人組で、ボーカル担当は作家でもあるユーリイ・ブルキン。その後は深夜からスポンサー主催のカクテル・パーティとなっていたのでしばし自室で休んでいたのだが、そのまま寝入ってしまい、気がついたらとうに時間が過ぎていた。翌朝確認したところによるとパーティはなかったそうだ。
 大会二日目には、SF評論家にして銀行家のセルゲイ・ペレスレーギンによる講演「ロシアの図書市場における出版社の戦略について」が行われた。
 それからバスで市内のクループスカヤ名称文化会館に向かい、「ロシア・ファンタスティカの華麗と赤貧」と題した著者サイン・即売会が行われた。本の値段はどれも一万ルーブリだったようだ。入り口真正面はボリス・ストルガツキーのブース。その右側にラザルチューク、左はストリャーロフ、ウスペンスキイ、ゲヴォルキャンと続く。その他、ルキヤネンコ、ルーキン、トルスキノフスカヤ、ズヴャギンツェフ、作家兼歌手のブルキン(自作CDも売っていた)、本職は警察官で「KGBの将軍」とからかわれていたブライデルなど。会場では取材も行われ、ストルガツキーやラザルチュークはビデオ撮影もされていた。
 夕刻、バスで市内の音楽家会館へと移動する。本大会のメイン・イベントたる遍歴者賞の授賞式である。シャンデリアのぶら下がった古風なホールなのだが、この会場は一九九五年五月にインタープレスコンで行われた授賞式と同じ場所である。
 授賞式そのものは、昨年、大野が報告したインタープレスコンでの授賞式と同様の雰囲気だった。舞台俳優である司会者の調子の良いセリフで式が始まり、まずは室内楽の演奏、そして色っぽい服を着た女性モデルたちが入って来るのも同じである。
 さて、今年の遍歴者賞の受賞者及び受賞作は以下のとおり。
○遍歴者賞
<長編>「宿命の探索、または倫理の二十七定理」С・ヴィチツキイ(ボリス・ストルガツキー)
<中編>「スエル・ヴィエル」ユーリイ・コヴァリ
<短篇>「夜明け前」アンドレイ・ストリャーロフ
<翻訳>アレクセイ・コロトコフ、ニコライ・ナウメンコ、スヴェトラーナ・シラコワ(ダン・シモンズ「ハイペリオン」、「ハイペリオンの没落」)
<評論>「台風の目」セルゲイ・ペレスレーギン
<編集>ゲオルギイ・フブラロフ(ローキド社「現代ロシア・ファンタスティカ」シリーズ)
<出版>ローキド社(モスクワ)
<アート>アンドレイ・カラペチャン(ミハイル・ウスペンスキイ「我等のいない彼方」の挿画)
 長編部門がボリスというのも少々気になるところだが、最終選考に残った作品はボリスの他、ゲヴォルキャンの「ろくでなしの時間」とスビャトスラフ・ロギノフの「ダライナの多手神」であった。短編部門のストリャーロフは、ミハイル・ウェレル「モスクワ・タイム」と競った末の久しぶりの受賞である。受賞後、ストリャーロフ曰く「読者は長編を愛するのだが作家は短編を好む。何しろこれで三つも遍歴者がもらえたのだから」
 大会三日目は閉会式。ボリスの公式閉会宣言を受け、ロシアSF作家会議「ストラーニク」は閉会した。
 会期中に聞いた話によると、現在、ロシアでは自国SFの再評価がなされ、翻訳との比率は半々くらいになってきている。また、ロシアでは出版ブームになっていて、幸いなことに支払いも良いとのことだ。
 また、作家の話題では、ペレーヴィンは現在、アメリカにいるらしいこと(したがってストラーニクには参加しなかった)、ミハイル・ウェレルは病気の父親を看病するためイスラエルに行っており、参加できなかったことなどの話を聞いた。

●その他のSF賞  さて、遍歴者賞は場所を移したものの、それ以外のSF賞は例年通りインタープレスコンにて発表された。前述の通り、今年のインタープレスコンは、大勢の作家達がボイコットしたことにより盛り上がりに欠けたようだが、それでもファンのコンベンションとして一九九六年五月四日から八日まで、サンクト・ペテルブルグのどこかで開催された。
○カタツムリ賞
<長編>「ろくでなしの時間」エドゥアルド・ゲヴォルキャン
<中編>「冥府の河を越えた場所」エフゲニイ・ルーキン
<短篇>「ベイルート・サラダ」パウル・クズメンコ
<評論>「台風の目」セルゲイ・ペレスレーギン
○インタープレスコン賞
<長編>「宿命の探索、または倫理の二十七定理」С・ヴィチツキイ
<中編>「冥府の河を越えた場所」エフゲニイ・ルーキン
<短篇>「下僕」セルゲイ・ルキヤネンコ
<評論>「台風の目」セルゲイ・ペレスレーギン

●「ストルガツキー兄弟の世界」
 ストラーニク参加レポートの中にも出てきたが、「ストルガツキー兄弟の世界」はボリス・ストルガツキーの作家セミナー出身者たちがストルガツキー作品世界と登場人物を用いて書いた小説集である。
 本書に参加している作家と作品、および元の作品は以下の通り。
・セルゲイ・ルキヤネンコ「つかの間の空騒ぎ」(トロイカ物語)
・アント・スカランディス(アントン・モルチヤノフ)「第二の試み」(みにくい白鳥)
・レオニード・クドリャフツェフ「ハンターと…」(願望機)
・ニーク・ロマネツキイ「押し付けられた幸福」(ストーカー)
・ビャチェスラフ・ルィバコフ「Hard to become a God」(世界終末十億年前)
・アンドレイ・ラザルチューク「万事良好」(遍歴者シリーズ)
・ミハイル・ウスペンスキイ「クソッタレ!」(地獄から来た青年)
 これらの中で最も興味を引く作品は、ミハイル・ウスペンスキイの「クソッタレ!」である。これまで「地獄から来た青年」と遍歴者シリーズ(「リットルマン」、「蟻塚の中のかぶと虫」、「波が風を消す」など)は、コルネイ・ヤノービッチ・ヤシマアという共通の人物によって繋がっていた(「地獄…」では主人公ガークの身元引受人、「蟻塚…」では主人公マクシム・カンメラーの同僚にして遍歴者の子孫)。そして本作品ではさらに深く踏み込み、「地獄…」のガークと「収容所惑星」や「蟻塚…」などのマクシムを同じ作品に登場させているのだ。明確に関連付けがなされていたとはいえ、ボリスのお墨付きの元、ここまで露骨に作品世界の融合が行われているのを見ると、作品世界が単独で機能しはじめている事を感じ、興奮してくる。

●SF百科辞典(人名編)が発行される  これまでファンタスティカ関係の事項をまとめた図書はロシアに存在しなかったのだが、昨年、ついにSF百科辞典の第一巻が発行された。ファンタスティカ辞典(Энциклопедия Фантастики)と題され、全二巻の予定。今回発行されたのは人名辞典で、幻想文学作家、千三百名の経歴と作品が紹介されている。
 SF百科事典としては、ピーター・ニコルズの"The encyclopedia of Science fiction"や一九九六年のヒューゴー賞を受賞した"Science fiction the illustrated encyclopedia"が有名だが、本書ではこれら二冊であまり取り上げられていない旧ソ連圏、東欧圏の作家が多く収録されている点が嬉しい。また、図版や写真も多く、この点でも嬉しい。
 ただ、こういった本の宿命として、内容についてはロシア国内で議論が絶えないそうである。また、原稿の完成から制作までに時間がかかったのか、最新の話題までフォローしきれていない(何とペレーヴィンが入っていない!)。とあるロシア作家の弁によれば「ニコルズのほうが良い」とのことだ。
 だが、初版の段階でニコルズの内容を抜くことなど常識的に考えて不可能である。これから何年もかけて内容が磨かれて行けば、ロシア幻想文学のリファレンスとしてかけがえの無い本になるだろう。それだけのポテンシャルを持っていると信じている。せっかくの機会なのだから、成果を中途半端で投げ出すような真似はして欲しくない。何をやっても徒労と損失にしかならなかった悪夢の時代はとっくに終わっているはずなのだ。
 なお、次巻は映画、評論、書誌の予定だが、ロシアの常として刊行時期は未定である。