World SF Report

 昨年の五月、故・深見弾氏の追悼旅行と称し、遺族の方をはじめ関係者数名とのツアーで深見氏ゆかりの地・ロシアを訪問した。と、言いたいところだが、筆者は薄情にもそのツアーを途中で抜け、ロシアのSF大会であるインタープレスコンに参加すべく、単身サンクトペテルブルグに向かってしまった。  一九九一年に筆者がロシアのコンベンションに参加したときにはモスクワはクーデター騒ぎでかなり緊張していた。そして今度はオウム真理教への摘発・警戒でモスクワ市内が緊張しる最中で、入国の際にも日本人へのチェックが異様なまでに厳しかった。来年秋にヴォルゴグラードで開催されるコンベンション、ヴォルガコン2に参加する予定なのだが、この調子ではその頃にも何か想像もつかない事件が起こりそうである。

●インタープレスコン
 五月三日午前、サンクトペテルブルグ空港から市内にあるSF専門出版社であるテラ・ファンタスティカに向かった。同社はロシアにおけるSF復興の波に乗り、ハインラインやディッシュといった純粋なSF作家のものからゲーテや芥川龍之介といった幻想的な要素の強い作家のものに至るまで、幅広く出版している。また、ターボ・リアリズム作家の作品を積極的に出版し、現在のターボ運動の拠点であるとすら言える。今回、筆者を招待してくれたアンドレイ・ストリャーロフは同社の編集長でもあるため、この訪問が実現した。
 テラ・ファンタスティカの社長ニコライ・ユータノフはインタープレスコンの協賛者であり、同時にロシアのSF大賞とも言える遍歴者賞の主催者でもあり、ロシアSF界の重鎮である。ロシアSFはユータノフの尽力によって今の地位を保っているといってもいいくらいなのだ。ペレストロイカやソビエト崩壊の後、数多くのアントレプレナ(起業家)が出現したようだが、その中でもユータノフはかなりの成功をおさめた部類に入るだろう。
 同社は、いかにも元科学者が作った出版社らしく、EWS・パソコンがLAN・WANで接続され、編集作業が完全にコンピュータ化されていた。それもテキストの編集作業をエディタでするとかいった半端なものではない。植字から組み版に至るまでの全て指示がコンピュータ上で行われているのだ。非常に合理的に設計されたシステムである。同社程度のレベルまでコンピュータ化されている出版社は日本でもまだ少ない。
 ユータノフとの会食の後、車でインタープレスコンへ向かった。ストリャーロフと筆者の他に何とボリス・ストルガツキー(!)が同乗した。故・深見弾氏は兄・アルカジイとの付き合いが主だったらしく、ボリスの話はあまり聞いたことが無かった。だからボリスに深見氏の話をしても大丈夫だろうかと心配したが、実際に話してみたら喜んでくれた。
 この道中でいろいろ面白いことがわかったが、中でも収穫だったのは、ボリスがペンネームで本を執筆をしているということである。С.ヴィチツキーがそれである。アルカジイのペンネームがС.ヤロスラツェフだということは知っていたのだが、これは初耳である。
 そして、とんでもないことも聞かされた。アンドレイ・ラザルチュークの新しい作品集「バビロンの兵士たち」のカバー折り返しに掲載されている推薦文を筆者が書いたことになっているらしいのだ。なんでもオオノノリヒロという人が書いた「現代ロシアン・ターボリアリズム入門」という本からの抜粋ということらしい。読んでみると似たような文章をどこかに書いた覚えはあるのだが、本を書いた覚えはない。この事件によって、知り会いからさんざんからかわれることになった。このことをラザルチューク本人に問い合わせてみたところ、「私は何も存じません」との返答であった。
 インタープレスコンは、翌日の五月四日から八日までの五日間にわたり開催された。会場はサンクトペテルブルグから車で九〇分程度の近郊都市レーピノにある保養所「ヴォストーク」。フィンランド湾に面し、夏にはビーチ・リゾートで賑わうという。
 参加者は確認しただけでも、ボリス・ストルガツキー、アンドレイ・ストリャーロフ、ビャチェスラフ・ルィーバコフ、ミハイル・ウェレル、エドゥアルド・ゲボルキャン、アンドレイ・ラザルチューク、エブゲニー・ルーキン、セルゲイ・ルキャネンコ、ミハイル・ウスペンスキー、セルゲイ・イワノフ、アラン・クバチェフ、ダリヤ・トルスキノフスカヤなどなど。他に翻訳者や編集者などが加わり、当初の目標だった全員との名刺交換は果たせなかった。
 インタープレスコンは作家をはじめとした出版人の大会なので、日本のSF大会などとは少し意味が違う。いわゆる企画などはなく、一日に一回ミーティングや発表会があるくらいで、あとは呑んで騒いで夜がふけてゆく毎日である。退屈になったらバーに行く。すると誰かが呑んだくれていて、いつでも話に付き合ってくれるというわけだ。
 このように秩序も何も無いインタープレスコンであるが、SF賞の発表だけは、ほぼ全員が集まっていた。インタープレスコンでは、会期中にカタツムリ賞、インタープレスコン賞、遍歴者賞が発表される。これらの中でも遍歴者賞の地位は高く、授賞式はサンクトペテルブルグ市街のコンサート・ホールを借り切り、一つの部門賞が発表されるごとにファッション・ショーや室内楽団によるミニ・コンサートが催されるという豪華な雰囲気の中で行われた。
 遍歴者賞に限らず、賞の発表にはテレビ局や新聞の取材が殺到し、作家達は記者に取り囲まれていた。ロシアの作家は、決して儲かりはしないが、大きな尊敬と名誉が得られるのである。  今年の受賞作は次のとおり。純粋なSFやファンタジーがいくらか盛り返している。

○カタツムリ賞
長編 「バビロンの兵士たち」
 アンドレイ・ラザルチューク
中編 「永遠の夜」
 アレクサンドル・シチェゴレフ
短編 「不死身のカシチェーイ」
 ボリス・シテルン
ノンフィクション 「探し求める価値への迷走」
 ビャチェスラフ・ルィーバコフ
○インタープレスコン賞
長編 「多手神 ダライナ」
 スヴャトスラフ・ロギノフ
中編 「龍のシンボル」
 セルゲイ・カズメンコ
短編 「制服を着た河豚」
 セルゲイ・ルキャネンコ
ノンフィクション 「蛙群の上を飛ぶ」
 ヴァーヂム・カザコフ
○遍歴者賞
長編 「そこに我々は存在しない」
 ミハイル・ウスペンスキー
中編 「親愛なる同志たる王様」
 ミハイル・ウスペンスキー
短編 「不死身のカシチェーイ」
 ボリス・シテルン
翻訳 セルゲイ・フレノフ
 J・B・キャベル「マニュレル・サーガ」
ノンフィクション 「ゾンビフィケーション」
 ビクトル・ペレービン
編集者 ロマン・ソルントセフ
 雑誌「昼と夜」に対して。
出版社 ミール(モスクワ)
アート ヤナ・アシュマリーナ
 ハインライン全集の表紙イラストに対して。
ファン ボリス・ザフゴロドニ
 彼は遍歴者賞の投票管理と集計をやっていたのだが・・。
特別賞 ビターリ・ブグロフ
 生涯に渡るSF活動に対して。彼とは何度か手紙のやり取りもしたが、一昨年以来何の知らせもなかった。この授賞によってその理由を初めて知ることになった。まだ三十代の半ばだったはずである。授賞が発表されたとき、会場の全員が立ち上がって黙祷した。

●はまなこん
 インタープレスコンから約三カ月半後、今度はロシアの作家、アンドレイ・ストリャーロフとビャチェスラフ・ルィーバコフの二名が来日した。
 二名の来日目的はもちろん、「はまなこん」への参加なのだが、今回はひょんなことから凄いオマケが付くことになった。
 今回の来日に早稲田大学教授の井桁貞義先生が興味を持ってくれて、先生が講師を務めているNHKテレビ「ロシア語会話」中のインタビューに出演することになったのだ。インドより暑いと言われた真夏に、汗腺の少ない人種が渋谷の真ん中まで徒歩で向かった。作家二名はロシア国内では文学番組に何度も出演しているのでインタビューも手慣れたものだったが、こんなことには全く不慣れな筆者などは自分が出るわけでもないのに依頼が来ただけでひっくり返りそうになってしまった。
 当初の放送予定では各人一回ずつという話だったが、かなり白熱した喋りだったということで、各人二回計四回の放送ということになった。本稿が掲載されるころには全ての放送は終わっているが、「ロシア語会話」のテキスト一〇・一一月号、一二・一月号に紹介が掲載されているので興味のある人はご覧下さい。
 さて、はまなこん当日、作家二名は他の企画には全く興味を示さず、浜松市内を観光した後、講演に突入した。
 講演の中で最も面白かったのは、ロシアと中国のSF観は水と油の関係で、お互いに全く受け入れる余地のないことがはっきりとしたことである。簡単に言ってしまうと、中国のSFがあくまでもヴェルヌ的なものであるのに対し、ロシアのSFはカフカやブルガーコフの系譜に位置し、共通項が全く無いに等しいのである。
 確かに、どちらもSFと称してはいる。しかし、それぞれ別の起源を持ち、独立した文化・社会状況のなかで育まれてきたものなので、違っていて当然なのである。ただ、ここまで極端に違う二つのSF観が一つの場に集い、お互いの意見が食い違う瞬間を目の当たりにできたというだけで、この企画は成功したのではないかと思った。
 企画終了後も場所を移し、ロシア・中国・そして日本代表として森下一仁氏に参加していただき、会話が続けられた。この間、筆者は「なんでも鑑定団」に連れ出されて恥をかいていたため、この場で何が語られたのかはわからない。だが、翌日、ストリャーロフの漏らした「中国のゲストとは全く話が合わない」という一言が、この時の会話の結論だと解釈してもいいのではないかと思う。
 なお、この企画のために、前々日と当日、森下一仁氏に全面的なご協力をいただきました。また、井桁貞義先生がわざわざこの企画のためだけに当日、東京から駆けつけてくださいました。お二方にはたいへん感謝しております。この場を借りて心から御礼申し上げます。
 ゲスト二名は帰国後、テレビ、新聞、雑誌で「はまなこん」のレポートを発表している。筆者もいくつかの記事を目にしたが、どれも好意的な紹介に留まっている。実を言うと作家の冷静な目で見たSF比較論や日本論のようなレポートを期待していたのだ。きっとこれから書いてくれることだろう。

●エストニアの短編小説作家 ミハイル・ウェレル
 ターボ・リアリズム作家達の中にあってビクトル・ペレービンと並ぶもう一人の雄と称されるミハイル・ウェレルを紹介する。ウェレルはこれまで名前と一部の作品名だけがわかっているだけでずっと謎の作家だった。だが今回、インタープレスコンで本人に会うことができ、ようやく詳しく知ることができた。
 ミハイル・ウェレルは一九四八年生まれ。一時期、レニングラードに暮らし、ボリス・ストルガツキーの指導を受ける。現在はエストニアのタリンに在住。有名な主流文学誌「ズナーミヤ」、「ユーノスチ」、「ネヴァ」、「ズビェズダー」、「アフローラ」などに短編を発表し、翻訳がイギリス、フランス、イタリアで出版されている。ウェレルの本領は短編小説にあり、著書「短編小説技巧」は、ミラノ、チューリン、コペンハーゲン、オデッサの大学で、短編小説実技の講座または現代ロシア短編小説の講座の教科書になっているという。
 デビューは一九七七年に発表した短編「ナイフ」だが、同作品はボリス・ストルガツキーをリーダーとするレニングラード幻想小説作家セミナーの第一回の賞を授けられた。
 代表的な短編集として「門番になりたい」(一九八三年)、「引き裂かれる心」(一九八八年)、「著名人との対面」(一九九〇年)、「ネフスキー大通り奇談」(一九九三年)などがある。長編「ズビャーギン少佐の珍事」は発行後三年間で四五万部に達したという。
 短編「サイフ」は一九八二年に制定されたソビエト連邦SFファン賞「グレート・リング」の第一回の短編小説部門賞を受賞した。また、一九九二年の第一回カタツムリ賞短編部門はウェレルの「パリに行きたい」が受賞している。長編「セリョーシ・ダブラーロフのナイフ」は一九九四年に雑誌「ズナーミヤ」に掲載され、同年に作品集「なんたる侮辱」に収録されたのだが、同年のロシア文学ブッカー賞を受賞した。
 先にもふれたように、評価の高いターボ作家としてウェレルの他にビクトル・ペレービンがいるが、ペレービンは海外においての評判こそ相変わらず高いものの、ロシア国内での評価は冷めかけているという。作品のテーマがソビエト時代への批判のみであるためロシア国内ではマンネリ化が指摘されているのだ。それに対しウェレルは最近になってパワーダウンが指摘されているものの、まだまだ水準の高い作品を発表し続けている。
 ウェレルの作品は奇妙な状況を描いたものや実験的な形式ものが多く、作品には不思議なユーモアがある。作家自らが、最良の短編小説作家として芥川龍之介とエドガー・アラン・ポーの名前を挙げているが、奇妙な味わいの中に深いテーマを内包しているという点で共通している。
 たとえば、ウェレルの代表作「パリに行きたい」はパリに行きたいという偏執的な考えにとりつかれた男が妄想を延々と語るという話である。だが、男は最後の最後まで決してパリに行くことはないのだ。これだけの説明ではだからどうだと言われてしまいそうだが、この作品はなんとも言えない奇妙さや不思議な魅力を持っていて一気に読んでしまう。
 作者の弁によると、「パリに行きたい」を含め彼の多くの作品は東西の壁崩壊や湾岸戦争のテレビニュースに感じた非現実感、つまり嘘っぽさこそがテーマなのだという。
 日常的な感覚ではとても信じられないような事件が自分の生活とは遠い場所で起こる。それが過剰なまでの量の情報として、しかもリアルな形で流れてくる。我々はこれらのニュースに感じる疑似体験的感覚と映画を観てハラハラする疑似体験的感覚を、どれだけの差を持って、何を根拠として、違うものと認識しているのだろうか。その差は常識とか倫理感といった受け取る側のバランス感覚のみでしかないのではないだろうか。そのあやうげなバランスを揺さぶることがウェレルの持ち味なのだ。
 事件そのものは純粋な悲劇なのだが、シチュエーションはどこかギャグっぽい、そんな事件が多い昨今にあって、悲劇とギャグを入れ替えてしまったような作品も見受けられる。中編「振り子の人生」は、一人の人間に起こった悲劇を描いている。ソビエト時代に実在した人物なのだが、時流に乗って大きな成功を収めたものの、その後没落していった人物である。
 まず第一章では、齢を重ねるごとに何が起こったのかが語られる。この章で特に変わったことはない。そして第二章で高みに昇りつめる主人公の様子が語られるのだが、この章ではすべてが箇条書きで語られる。それぞれの階級で何を考えたか、何があったのかが数字付きの箇条書きで書かれているのである。箇条書きにしかならない程度の人生なのである。最後の第三章では没落が始まる。次第に人々から注目されなくなり、他人の視界に入りづらくなっていく。奇妙なのは、地位が下がることによって社会的に目立たなくなるのと同時に身長までも縮み、物理的にも目立たなくなっていくのである。最初は一七五センチあった身長が、誰からも相手にされず、目にも留められなくなる時点で身長がゼロになってしまうのだ。一人の人間の悲劇を描いているはずなのだが、アイロニーを通り越してすでにギャグである。
 先にもふれたように、ウェレルの評価が落ちてきているのは避けがたい事実なのだが、ただそれによって数多くの傑作短編の評価が落ちるわけではない。

●ロシアでもインターネット
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