ヴャチェスラフ・ルィバコーフに聞く

 このインタビューにあたって最も聞きたかったことは、ルィバコーフの論文の中にあった次のような一文に対する疑問を問いただすことであった。「SFはキリスト教圏でしか発展していない。日本を除いては」。そこから始まり、短い時間ながらロシア作家の創作における主眼を語ってくれたので紹介する。

――あなたが主張するSFはキリスト教圏で発展したという主張について説明してください。
 事実としてキリスト教圏で発展したということを言ったまでです。
 ただ、言えるのはこういうことでしょう。六〇年代から七〇年代にかけて「未来に対する議論」が行われていました。未来のことを考える、または夢を見るのには志が必要になるのですが、ソ連時代には宗教というものはなく、社会単位での夢だったんです。つまり共産主義の完成です。今日のロシアにおける志とはキリスト教世界ということになります。

――それにしては同じキリスト教圏であるアメリカとロシアでは、SFといってもかなり違いますが。
 たとえば、アメリカのSF作家は未来のことを平気で書きますが、ロシアでは未来のことなどわかりません。今日のことが重要なのです。ロシアの作家は今日のことを書くのです。

――しかし、日本はキリスト教の国ではなく、しかも多くの日本人は宗教に全く関心が無いにもかかわらずSFが存在しますが。
 宗教との関連で言えば、日本には古代宗教(神道)があります。
 宗教を持つということと、信じるものがあるというのは、意味が違います。日本はアジアでも非常に特異な国です。他のアジアの国は夢を見ません。日本は真に未来に向いています。

――二年前、中国のSF作家に会った(九五年の日本SF大会「はまなこん」でのこと)と思いますが、中国にもSFはあります。
 中国のものは私の考えるSFではありません。エンターテインメントにすぎません。そんな作品は二年も経てば忘れてしまうでしょう。

――先ほど発言された「今日の問題を書く」ということについて聞かせてください。あなたの「重力航行船『帝位継承者号』」などを見る限り、架空の歴史を作り上げるという意味では外挿的な手法を使っているような気がしますが。
 それは違います。ロシアでは誰も外挿的な考え方をしません。もちろん私も使いません。
 では、なぜSFなのか? 別の視点から現実を見てみたいからです。私の方法は標準的なものではありませんが、読者に現実のバリアントを見せたいのです。我々、つまりロシアは永遠であることを見せたいのです。
 今日のことについて書くのは、未来を選ぶためなのです。現時点には、未来へと向う可能性が無数に存在するのです。共産主義時代には未来の選択肢がほとんどありませんでした。今では月ごとに状況が変わります。そんな中にあって私は未来を選びたいのです。その未来とは何か。アメリカSFに見られる社会や生活環境の未来ではなく、人間性の未来です。
 言っておきます。未来を信じたいのならSFを読みなさい。

聞き手:大野典宏
(1998年)